2019年3月17日日曜日

2019.03.17 わが友に贈る

「強言なれども
人をたすくれば実語」
堂々と正義を語ろう!
「誠実」の行動には
「信用」が必ず残る。

一生成仏抄 P384
『迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し』

【通解】
迷う時は衆生と名づけ、悟る時を仏と名づけたのである。たとえば、曇っている鏡も磨いたならば、輝く玉のように見えるようなものである。

〈寸鉄〉 2019年3月17日
東西創価学園で卒業式。英知の翼で世界を結べ!創立者の心を生涯抱いて
新潟の長岡・三島、長野の飯田・下伊那が不撓不屈の攻勢。勇気で勝ち抜け
鹿児島市・鹿児島郡、福岡市東区よ一気呵成に押し捲れ!大九州に勝ち鬨を
「命と申す物は一身第一の珍宝」御書。尊き人生を悔いなく。今を完全燃焼
医療ヘリ導入で事故から治療までの時間半減と。公明よ人命守る実績更に

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 立正安国論(下) 2019年3月9日
◇対話の花を咲かせ、歓喜の春を! 平和と安穏の社会を築く
今月は、「立正安国論」の後半を学びます。
池田先生は、本抄を拝して語っています。
「立正安国は、人類の夢の実現です。悲願の達成です。若き諸君は、その目標に向かって、一日一日を勝ち進んでほしい。立正安国の実践に徹する時、仏の力を出すことができる。人間は最も強くなれる。(中略)自分自身の人間革命に挑みながら、大いなる『正義の勝利の大連帯』を社会に、世界に広げていってもらいたいのです」
「立正安国」の大哲理を心に刻み、希望に燃えて「人間革命」の挑戦を開始していきましょう。(拝読範囲は、御書26ページ13行目~最後です)

◇本抄について
本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。客(時頼を想定)と主人(大聖人を想定)の問答形式で記されています。
「立正安国(正を立て国を安んず)」とは、人々が正法を信受し、仏法の思想が社会の基本原理として確立することによって(立正)、社会の繁栄と世界の平和を築く(安国)との意味です。
本書の御執筆当時、飢饉、疫病に加え、大地震などの自然災害が相次ぎ、民衆は苦悩の底にありました。
問答の中で主人は、災難の根本原因が、生命尊厳の正法たる法華経を否定する「謗法」にあると明かします。
そして、このままでは、三災七難のうちまだ起きていない「自界叛逆難(内乱)」「他国侵逼難(他国からの侵略)」が必ず起こると警告し、一刻も早く「実乗の一善(妙法)」に帰依するよう、客に促します。
最後に、客は謗法の教えを捨てて正法に帰依することを誓います。この言葉が本書全体の結論となっています。

◇御文
『広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸って鎮に謗教の網に纒る、此の朦霧の迷彼の盛 の底に沈む豈愁えざらんや豈苦まざらんや、汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し』(御書32ページ13行目〜17行目)

◇通解
多くの経に広く目を通すと、何よりも謗法を重大なこととしている。なんと悲しいことだろうか、皆、正法の門を出て邪法の牢獄に深く入ることは。なんと愚かなことだろうか、それぞれが悪い教えの綱に懸かって永久に謗法の教えの網に纏わりつかれることは。朦朧と立ち込める霧のようなこの迷いによって、激しく燃え盛るあの炎の地獄の底に沈む。どうして憂えずにいられるだろうか、どうして苦しまずにいられるだろうか。
あなたは早速ささやかな信仰の心を改めて、速やかに本当に成仏へ至らせる教えである唯一の善い法に帰依しなさい。そうすれば、三界は皆、仏国である。仏国がどうして衰えることがあるだろうか。十方はことごとく宝土である。宝土がどうして壊れることがあるだろうか。国が衰えることがなく国土が壊れることがないなら、身は安全であり、心は動揺することがないだろう。これらの言葉を信じて敬わなければならない。

◇解説
掲げた御文の前段までで、客は、法然の念仏こそが災難の根本原因であることを理解し、謗法の悪僧への布施を止め、正しい僧を重んじるとの決意を述べます。
主人は客の変化を喜びつつ、さらに経文を引いて、謗法がいかに重罪であるかを示します。
掲げた御文の冒頭で大聖人は、人々が謗法によって苦悩に沈んでいることを嘆き悲しむ心情をつづられます。そして、民衆を救い、社会の安穏を実現する方途として、本抄の結論である「立正安国」の原理を示されるのです。
まず、「信仰の寸心」を改める——根底から一念を変革するという意味です。
一切は、一人の「心の変革」から始まります。私たちの実践でいえば、まさに「人間革命」にほかなりません。
続いて、「実乗の一善」に基づいていくべきと仰せです。
「実乗の一善」とは、法華経の根本善であり、万人に具わる仏の生命を、各人が開き、成仏できるという法理です。
この究極の「生命尊厳」「人間尊敬」の哲理を社会の根本精神とすることで、「仏国土」、すなわち、自他共の幸福を実現しゆく平和と安穏の世界を築くことができるのです。
そして本抄は、正法に目覚めた客の決意で結ばれます。「立正安国」という大理想を実現する焦点は、いかなる相手をも味方に変えゆく誠実の対話であると拝せます。
池田先生は、「『一人』を大切にし、一対一の対話に徹する、この『創価』の心の中に、『立正』の実践も、『安国』の使命も包含されています」と語っています。
縁する友の幸福を祈り、勇気を奮い起こして仏法を語る。目の前の一人を励ます——こうした日々の学会活動こそ、「立正安国」への直道であることは間違いありません。
広布後継の「3・16」は目前です。私たちは、正義と友情の対話の花を咲かせ、創価勝利の"歓喜の春"を迎えていきましょう!

◇池田先生の講義から
仏の生命を開き現すには、妙法という最高の縁をもって働きかけるしかありません。妙法を持った私たちが真実を語った分だけ、仏縁が拡大されるのです。
いよいよ「対話の春」です。一人ひとりが自身の人間革命に果敢に挑戦し、社会の変革のため、民衆の安穏のため、あの友にこの友に、対話につぐ対話の潮流を巻き起こしていこうではありませんか。
「立正安国」とは、即「世界平和」にほかなりません。
私たちは、どこまでも「対話」という平和的手段で、善の連帯を広げていくのです。
この私たちの対話は、人間の力を復興する戦いです。
私たちの対話が、社会を変え、世界を結び、未来を創ります。
私たちの対話には、希望があります。
生命の可能性を開く蘇生の力があります。
勝利と勇気と確信があります。
「人間を信ずる力」によって民衆の時代を築くのが、私たちの「立正安国」の対話なのです。(「勝利の経典『御書』に学ぶ」第22巻)

研さんのために
…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
…『御書と青年』(同)
…『御書と師弟』第2巻(同)