2019年3月12日火曜日

2019.03.12 わが友に贈る

誓いし「この道」を
猛然と歩む大中部よ!
諸天をも揺り動かす
我ら堅塁城の底力を
満天下に示しゆこう!

祈祷経送状 P1357
『仮使山谷に篭居候とも御病も平癒して便宜も吉候はば身命を捨て弘通せしめ給ふべし』

【通解】
たとえ山谷に籠ったとしても、御病気も治って、よい機会があれば身命を捨てて弘通されるがよい。

〈寸鉄〉 2019年3月12日
「常住とは法華経の行者の住処」御書。今いる場所で三変土田のドラマを
春日部、さいたま市大宮・中央区が勇戦。速度と勢いで勝て!さあ猛撃だ
京都の山科・中京・下京が威風堂々の前進。団結で壁破れ!勝利へ走り抜け
斯の人は世間に行じて能く衆生の闇を滅し—経文われらこそ希望送る太陽
若者中心にデート商法の被害と。何事も安易な契約は禁物。心の守り固く

☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第17回 東京校 1991〜93年度
◇"あそこまでやれたのだ"との自分史を残せ!
◇同じ劇なら「喜びの劇」「栄光の劇」を!

「皆さんもまた、『あの、わが学園時代ほど、人は偉大には生きられない』と言いきれる、誇り高き3年間、また6年間を勝ち取っていただきたい」
東京・創価学園の第24回入学式(1991年4月8日)で、創立者・池田先生は新入生に呼び掛けた。
社会的な成功や勝利は、華やかに見えるかもしれない。しかし、地道な忍耐の「学びの時代」に、何を願い、目指し、どう未来へと生きているのか。その"因"としての姿にこそ、何ものにもかえがたい人生の躍動がある——と。
先生は当時、創価の絆を分断しようとする悪侶らとの闘争の渦中にあった。しかし、そんなことは歯牙にもかけない。
もし、今の心境を聞かれたならば、何と答えるか——。同年、学園を訪れた時に、こう真情を述べた。
「私が考えているのは、21世紀には、わが学園生が、この地球を、ところ狭しと駆けめぐり、民衆の勝利のための、壮大な活躍を繰り広げるだろうということです」
私には、信頼する君たちがいる! 障魔の嵐の中にあって、先生の心は、学園生の未来に向けられていた。

91年夏、創価高校の女子硬式テニス部が、長野で合宿を行っていた。最終日の7月26日、長野に滞在中の先生と、思いがけない出会いを結ぶ。
「記念撮影をしよう」
先生は、皆の顔がはっきり写るように、自ら並び順などの調整を。
一人一人を見つめながら、「これからだよね」「いい顔をしているね」と激励。
学園生が帰る際には、香峯子夫人と共に、バスが見えなくなるまで手を振って見送った。
当時、3年生だった中澤清美さん(高校22期)。「先生の真心の励ましに"将来必ず、会計の分野で活躍する"と誓いました」
創価大学時代には、公認会計士を志したものの断念。卒業後は、会計士事務所で働きながら、税理士を目指して勉強に打ち込んだ。
税理士になるには、5科目の合格が必要。中澤さんが最後の試験を突破したのは、2014年。学園を卒業してから、20年以上がたっていた。
「諦めずに挑戦を続けてこられたのは、学園時代の先生との誓いがあったからです」
中澤さんは、「『自分を鍛えた人』が幸福、勝利者」との見出しと共に、長野での記念写真が掲載された聖教新聞のコピーを、今も大切に持っている。
あの日、一緒にカメラに納まった女子硬式テニス部の友は、毎年7月に原点を確認し合い、「これからだよね」と励まし合っている。
メンバーは現在、医師や看護師、小・中学、高校の教員などとして活躍。結婚して育児や介護に奮闘する人や、アメリカ、カナダ、フランス、スペイン、中国、オーストラリアなどに渡った海外経験者もいる。

◇安心を与える人に
"夏休み前に何か思い出を"——池田先生の提案で、開校1年目から始まった「栄光祭」。翌年の第2回以降、7月17日を中心に開催され、先生も毎年出席してきた。学園生にとって、創立者との絆を強く固く結びゆく一大行事である。
25回目の節を刻んだ1992年。学園生たちは「はばたけ 勇者の翼」とのテーマを掲げ、当日に向け、全校で対話運動を展開。"本当の勇者とは""その勇者に自分たちはなれるのか""そのために今、どんな学園時代を過ごすべきか"——「7・17」の歴史を学びながら、一人一人がその意義を深めていった。
池田先生を迎えて行われた本番。学園生は自身の決意を、元気いっぱいの歌や踊りで表現。先生も音に合わせ、共に体を揺らし、喝采を送る。
メイン演技の後、スピーチに立った先生は、"勇者の心"を歌い上げた学園生に応え、ローマの英雄シーザーの逸話を通して力説した。
「どんな時でも、"自分は絶対に負けない""かならず勝ってみせる"——この確信が『幸福』を築く」
「どうか皆さんも、"私と一緒にいるかぎり心配ない。大丈夫だ!"と、周囲の人に安心と希望をあたえていける勇者に成長していただきたい」
スピーチが終わり、最後の校歌斉唱へ移ろうとした時だった。
一人の中学生が声を上げた。
「先生! もう一度踊りたいです!」
瞬間、先生が応える。
「よし、やろうよ」
思いがけない"第2幕"。総立ちとなり、肩を組みながら、中学生・女子高校生・男子高校生が次々と、歌い、舞う。はじけるような歓喜が会場を包んだ。
高校3年生だった柳谷正明さん(高校23期)。「"世界を駆けめぐるのは、諸君の道を開くためです"との先生の言葉が心に残っています」
創大を卒業して、大手事務機器メーカーに就職。2011年には、社内で全国1位の成績を収めた。昨年からは、ベトナムの現地法人の社長に就任。先生が開いた道を力強く歩んでいる。

◇獅子の子だから
1993年7月16日、本番を翌日に控えた第26回栄光祭の総合リハーサル。席上、学園の理事長から池田先生の伝言が紹介された。
「学園生は獅子の子だから。先生は、新しい歴史を開くために動かねばいけないので、皆で元気いっぱい、楽しくやりなさい」
それは、"欠席"を伝えるものだった。
場内に動揺が広がる。互いに顔を見合わせる人。涙をこらえる人。目を見開き、大きく息を吸い込む人……。
「先生が出席されると信じていたので、最初はとても驚きました。しかし、"未来の模範となる栄光祭にするんだ"との決意が沸々と湧き上がってきました」(当時の実行委員)
学園生は四半世紀の伝統を踏まえ、新たな歴史を開く祭典にしようと、日々語り合っていた。
池田先生も、そんな学園生へエールを送るように、7月5日から10回にわたり、聖教新聞紙上で「アレキサンダー大王とアソカ大王」を巡る「語らい」を連載してきた。
「歴史に押し流されるのも人間なら、歴史をつくるのも人間です。私たちは、『歴史をつくる人間』でありたい」
「歴史を開いた偉業は、その時だけにとどまらない。偉業を慕う人々を後世に生み、多くの人々を奮い立たせる」
そして、その連載は、栄光祭当日の7月17日に完結する。
「『あのとき自分は、あそこまでやれたのだ』という、自分自身の歴史を残すことです。その事実が人生の最後の勝利へ、大きな土台となっていくのです」
「同じ劇ならば、私たちは『喜びの劇』をつづりたい。世界の歴史に『栄光のドラマ』を刻みたい」
栄光祭当日、登校する学園生の顔に悲しみの色はなかった。会場の体育館には、先生が詠み贈った和歌が巨大な金色のボードに拡大され、掲げられた。

若獅子よ
 おお 頭には
  月桂冠
 乙女の髪には
  英知の風吹け

そのボードを見ながら、学園生は、先生に届けとばかりに、全力のパフォーマンスを披露。観賞した卒業生の代表は「まるで、その場に先生がいらっしゃるようでした」。
開校から26年——。
創立者の心を知る鳳雛たちによって、学園の新たな一ページが開かれた瞬間だった。