打てば響くような
電光石火の行動を!
綿密で心通う
報告・連絡・相談が
団結と勢いをつくる。
一昨日御書 P183
『彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり』
【通解】
かの太公望が殷の国に攻め入ったのは、西伯(文王)が礼をもって迎えたからであり、張良が謀をめぐらして秦の国を滅ぼしたのは、漢の高祖(劉邦)の誠意に感じたからである。これらの人は皆、その当時にあって賞を得ている。謀を帷帳(幕を張り作戦計画を練る場所)の中にめぐらし、千里の外に勝利を決した者である。
〈寸鉄〉 2019年3月7日
諸天は「眼に見へて守護し給う」御書。この確信で祈り動け。敵をも味方に
大阪市の都島、北、平野区よ限界突破の拡大を!常勝の誇り胸に栄冠必ず
長岡市、新潟市中央区が激走。勝利の力は勇気の二字だ。気迫で攻め捲れ
青少年のネット利用は年々長時間化と。学力にも悪影響。親子で規則決め
自殺対策強化月間。社会に生きる哲学を!地域に強固な絆を!死魔を追放
☆勇気の旗高く 池田先生と鹿児島 2019年2月25日
◇「必ず勝つ」との炎の団結で
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は鹿児島県を掲載する。
歴史回天の電源地となった鹿児島からは、時代を画する革命児が躍り出た。
その胸には、火を噴く桜島のごとき、理想への闘魂が燃えたぎっていたに違いない。
池田先生もまた、鹿児島の同志へ、あふれんばかりの期待を込めている。
「明治維新よりも何倍、何十倍もの偉人が、一流の人が、大指導者が、この地から出ていただきたい!」と、深き先駆の使命を訴えた。
太陽も、中心の「核」が、瞬時も弛むことなく、激しく燃えているからこそ、あの赫々たる輝きがある。
それと同じように、"一念"という、わが生命の「核」を、赤々と燃やしながら、自分自身を輝かせ、家庭も、社会も、国土も、大いなる希望の光で照らしていく——これが、「人間革命」の方程式であります。
とともに、時代を変え、歴史を変える「核」の存在となってきたのが、まさしく、ここ鹿児島の天地であります。どうか、このロマンあふれる美しき故郷から、新たなる民衆の幸福のスクラムを、世界へ、世紀へ、拡大していただきたい。
◇三世永遠の充実
完成して間もない鹿児島文化会館を池田先生が初めて訪れたのは、1983年(昭和58年)3月。支部結成25周年を祝賀する第1回鹿児島県総会の折だった。
新法城に師を迎え、喜びに沸く2000人の同志。奄美大島、屋久島、種子島などからも、友が勇み集った。
広布の戦いを起こしたならば、それにかける。必ず勝ってみせるという心意気をもってほしい。それ以上の喜びと充実は、人生にはないのです。
自らの責任ある立場として、必ず学会員を幸せにしてみせる。後世に輝く歴史を残してみせる、との気概で、尊い人生を生きていただきたい。そういう気概の人、覚悟の人には、人生の充実感と喜びがある。
充実感は自分しか分からないものだ。自分が自分自身に問いかけ、自らが答えを出していく以外にない。スポーツや社会的活動にも、それなりの充実感はあるものの、永続性はない。三世永遠にわたる生命そのものの充実感は、広宣流布、一生成仏への仏道修行、学会活動にある。
わがままや労を惜しんだ一歩後退の人生にはむなしさ、わびしさが残るものだ。また常識や道理に反した無理の行動はいけない。だが大聖人が「如説修行」「不惜身命」「勇猛精進」と仰せのごとく、真剣な、心労を尽くした仏道修行にこそ、充実と功徳の人生の大道はある。
◇誓いを貫く
鹿児島の広布史に燦然と輝く池田先生の激励行。
霧島にあった九州研修道場では、九州はもとより、日本全国、世界から集った若き友と、可能な限り時間を共にしている。
90年(平成2年)9月には、研修道場で全国男子青年部幹部会が開かれ、先生は、わが青春に不滅の魂をと望んだ。
御書に「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136ページ)——受けることはやさしいが、持ち続けることはむずかしい。そのなかで、成仏は、持ち続けるところにある——と。
「持つ」とは、生涯、永遠に御本尊を持ちきることである。何があっても、ひとたび決めた信仰の誓いを貫くことである。因果倶時で、その一念に、一切の価値が、すでに含まれている。
「仏法は勝負」であり、広布を妨げようとするものに、断じて負けてはならない。社会においても、個々の生活のうえでも、勝負の厳しき現実を見すえ、仏法者として勝利の証を示していくところに、広布の前進はある。
弟子を思う師の心は、弟子が考えるよりはるかに深いものである。その心がわからないということは、弟子にとってこれ以上の不幸はない。
私は、戸田先生という稀有の大指導者を師匠として、徹底して訓練を受けさせていただいた。わが人生において、これ以上の誇りはない。若き日に人生の師に巡り会い、真実の人間の錬磨を受けることは、青春の最高の誉れである。この人生の真髄がわかれば、富や名声などの飾りに惑わされることもないし、何ものをも恐れることはない。
◇歓喜の祝砲を
「我胸の 燃ゆる思ひに くらふれは 烟はうすし 桜島山」——池田先生は、幕末の志士・平野国臣の和歌を通し、広布の大使命に生きる情熱を呼び掛けている。
「人を燃え上がらせるには、自分自身が燃えることだ。それでこそ、炎と炎が合わさった、無敵の団結の火の玉で戦うことができるからだ」
95年(平成7年)3月、先生が万感を込めて詠み贈った3首の和歌を、友は不滅の指針として心に刻む。
炎とぶ
怒りの声か
桜島
日本を救えや
鹿児島健児と
空が裂け
煙は嵐と
荒れ狂う
我此土安穏
我らの使命と
あまりにも
思い出多き
鹿児島の
同志の幸をば
断固 祈らむ
池田先生の限りない期待に呼応し、広布の地平を切り開いてきた鹿児島の友。師から贈られた随筆を胸に刻み、歴史回天の新たな勝利劇をつづりゆく。
ある詩人が言った。
「鹿児島の天地は、男らしい。その薩摩の風も、波も、桜島の響きも、断固たる正義のために、男らしく立ち上がれ! と叫んでいるように、私には聞こえる」と。
確かに、火の国の象徴の天地として、アジアへ、世界へ、新しき世紀の幕開けの偉大な雄叫びを上げている。
古今東西を通じて鑑となる、あらゆる偉業は、そして革命等の勝利は、必ず、青年たちの同志の結合によって勝利した。
二十一世紀に乱舞する、わが鹿児島の同志よ! 妙法の薩摩隼人たちよ! 誉れある先駆の大闘争を頼む。
朝な夕な、雄大な桜島を仰ぎながら、君の使命の舞台で、正義の砲撃を、歓喜の祝砲を轟かせていくのだ。
今再び、誇りも高く「同志の歌」を歌いながら!