大切な時こそ朗らかに!
苦闘する友の心を
パッと明るくする
声と笑顔を届けよう!
太陽の如き指揮を頼む!
守護国家論 P61
『是くの如き悪書・国中に充満するが故に法華真言等国に在りと雖も聴聞せんことを楽わず偶行ずる人有りと雖も尊重を生ぜず』
【通解】
このような悪書が国中に充満するゆえに、法華・真言等は国にあっても人々は法華経を聴聞しようと願わず、たまたま法華等を修行する人がいても尊重する心を起さない。
〈寸鉄〉 2019年3月28日
「互につねに・いゐあわせて」御書。共戦の同志と共に!励まし合い前進
千葉・花見川区、八千代市が乾坤一擲の拡大。旭日の如き攻勢で栄冠つかめ
群馬・太田市よ火の玉となって勝ち上がれ!勇猛果敢に動き語り大金星を
己に打ち勝つことが最大の勝利—哲人。壁を破る対話を。今いる場所から
簡単に稼げるとの投資話に注意—消費者庁。甘い文句は罠だ。騙されるな
☆勇気の旗高く 池田先生と大阪(下) 2019年3月18日
◇信心しきったものが必ず勝つ
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は「池田先生と大阪」(下)を掲載する。
◇永遠の勝利者
2000年(平成12年)12月、アジア歴訪を終えた池田先生は、大阪へ。21世紀の新たな扉を開くため、20世紀最後に訪れたのは大阪であった。同年12月14日、関西戸田記念講堂で開催された本部幹部会。先生は関西への万感の期待を述べた。
関西は「広宣流布の心臓部」である。関西が日本全国を、また全世界を動かしていくのである。それが関西の使命だからである。
二十一世紀の百年間、創価学会は、さらに「異体同心の団結」で、勝利のスクラムを組みながら、すばらしき前進の歴史をつくってまいりたい。皆、百年間は生きていられないかもしれないが、戦いぬいた魂は永遠である。また、後継の青年がいる。お子さんや、お孫さんがいる。
日蓮大聖人の仏法の「永遠の証明者」として、また「永遠の勝利者」として、誉れ高き大福運を積んでいっていただきたい。
この本部幹部会は、「関西女性総会」の意義も込められていた(翌2001年、12月14日は「関西女性の日」に制定される)。幹部会の席上、先生は、広布における「女性の使命」について語った。
聡明な女性の周囲には「平和」と「和楽」の勢力が、だんだんと、できあがっていく。
大聖人は、「女子は門をひらく」(御書1566ページ)と仰せである。広宣流布の永遠の前進にあって、「福徳の門」を開き、「希望の門」を開き、「常勝の門」を開くのは、女性である。なかんずく女子部である。
学会は草創以来、生き生きと輝く女子部が、広宣流布の原動力であった。
どうか、わが関西女子部は、先輩たちのごとく、全国の模範となり、先頭に立って進んでいただきたい。
それはむずかしいことではない。皆が仲良く、連携しあい、スクラムを組んで進んでいけばよいのである。家庭では良き娘となり、職場では、皆に慕われ、信頼される存在となっていくことだ。
◇不敗の一念
07年(同19年)11月、池田先生は7年ぶりに大阪へ。9日間の滞在中、先生は連日にわたって渾身の励ましを送った。関西最高協議会(同6日、関西池田記念会館)では、不屈の「関西魂」の意義を語った。
人生には、喜びの山もあれば、苦しみの坂もある。何が本当の幸福となるのか。
(中略)所詮は、だれかに幸福にしてもらうのではない。自分自身が強くなるしかないのだ。
そして、創価学会という麗しき"家族"のなかで、広宣流布に生き抜いていく。
これ以上の幸福はないことを知っていただきたい。
ともどもに、仲良き関西家族として、わが人生を勝ち抜いていきましょう!
「浄土」と言い、「寂光土」と言っても、何の苦難も、何の障害もない世界のことを言うのでは決してない。
それは、いかなる艱難にも断じて負けない、いな、艱難があればあるほど燃え上がる、人間生命の常勝不敗の一念にこそあるのだ。
この不敗の一念こそ、わが「関西魂」であり、わが「関西スピリット」である。
どんな厳しい戦いにあっても、断固として乗り越え、勝ち越えてみせる、関西の大行進が、世界に、そして人類に、どれほど大きな「勇気」と「希望」を贈り続けゆくことか。
その使命と栄光を、誇り高く、朗らかに自覚しながら、厳然と勝利また勝利の歴史を重ねてまいりたい。
関西池田記念会館で開かれた本部幹部会・関西総会(同8日)では、1979年(昭和54年)4月24日の会長辞任当時に言及。「最も強い怒りの声をあげてくれたのも、関西の同志であった」「関西の友の心は、あまりにも健気である。広宣流布のためには、関西を完璧に仕上げることだ——私は、こう思い、若き日から関西に力を入れてきたのである。これまで数多くの広布の戦いをしてきたが、関西が一番強かった」と。池田先生が手作りで築いた「常勝関西」の歴史。"最後は信心しきったものが必ず勝つ!"との闘魂は、関西の同志の誓願となっている。
関西の大発展と創価学会の大勝利のために、不滅の人材城を、我々の力で築いてまいりたい。仏法という永遠の次元で見るならば、目先のことで、一喜一憂する必要はまったくない。
最後は信心している者が勝つ。学会が勝つに決まっているのである。
この大確信で進んでいこう! 胸を張って!
◇声仏事を為す
さらに2日後の第2回関西最高協議会(同10日、関西文化会館)では、広布のリーダーに"勝負の鉄則"を訴えた。
大聖人は、四条金吾に仰せである。
「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)
厳粛な一節だ。人生においても、社会においても、よくよく拝していくべき勝負の鉄則である。勢いよく前進すればするほど、大きくなればなるほど、少しでも油断して、隙が生まれれば、一瞬で崩れてしまう。
使命の天地で勝つためには、「ここを素晴らしい地域にするんだ!」と深く決意し、祈りに祈り、命を削って動くしかない。
口先を動かすだけではダメだ。自分の「生命を揺り動かす」のだ。後世の人から仰がれるような、立派な幸福城を築いてほしい。限りある人生である。力を出しきらなければ、もったいない。
広布を阻む者とは、リーダーが先頭を切って、「声」で戦うのだ。声が"剣"であり、"弾丸"なのだ。敵を前にして、黙っていては卑怯だ。声が仏事を為すのである。唱題根本で戦う人の、心のこもった声は、相手の胸に入る。頭にも入る。たとえ細かい部分は忘れたとしても、不思議と心に残るものだ。
2010年(平成22年)4月17日、八王子市の東京牧口記念会館で開催された第3代会長就任50周年・創立80周年を祝賀する本部幹部会。池田先生が「全国、全世界の同志に感謝を込めて、かつて私が認めた『書』を紹介させていただきたい」と述べると、壇上に一幅の書が掲げられた。
——墨痕鮮やかな「五月三日」の文字。揮毫した日付として脇書に「昭和五十五年五月三日 記す」「心爽やかなり 合掌」と刻まれている。揮毫した場所は、関西牧口記念館(現在は大阪の豊中平和会館)である。1980年(昭和55年)5月3日を関西の地で迎えた先生は、後に、この時の真情を随筆につづった。
私が名誉会長として初めて関西を訪問したのは、学会創立五十周年にあたる昭和五十五年の四月であった。
(中略)そして、五月三日の「創価学会の日」を、私は、第二の故郷である大関西で迎えた。私の築いた、私と生死を共にしゆく、私の真実の弟子が集まる常勝の大関西で迎えたのだ!
豊かにして壮麗な五月晴れであった。最善の常勝の空であった。
落成まもない新・関西文化会館は、遠くまた近く、永遠なる輝きを放つとともに、広布の魂をひたむきに、精神の王者の如く形成されていた。堂々と、青空にそびえ立っていた。
私は心に強く決めていた。
"私が頼りとし、心から信頼できる関西の同志と、永遠の祝賀の「五月三日」を痛快に祝うのだ"
「常勝」を永遠の使命とする友は「平成31年」を、今再びの"まさかが実現"で勝ち飾ろうと、怒濤の前進、また前進を続ける。不屈の関西魂が、燃えに燃えている。
2019年3月28日木曜日
2019年3月27日水曜日
2019.03.27 わが友に贈る
「其の国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」
皆が交流の起点となり
友情の輪を広げよう!
わが地域を幸の楽土に!
強仁状御返事 P184
『身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣武家の責を恐れず昼は国主に奏し夜は弟子等に語る』
【通解】
日蓮は、わが身命を仏神の宝前に捧げて、刀剣をもって斬られることも、幕府から罰せられることも恐れず、昼は国主に訴え、夜は弟子たちに語り聞かせたのである。
〈寸鉄〉 2019年3月27日
広宣流布は思想戦であり言論戦—恩師。沈黙は後退。果敢に真実叫び抜け
埼玉・草加、上尾・伊奈町、大宮、見沼区が奮戦。さあ逆転勝利へ押しまくれ!
横浜の南区、中区の友が勇猛の前進!今こそ総力戦の拡大で正義の凱歌を
励ましはサーチライトの如く。陰の友に光当てよ。その連続作業で力は倍加
地方議会に占める女性議員は13%と。公明の女性議員900人の使命は益々大
☆勇気の旗高く 池田先生と大阪(上) 2019年3月15日
◇「大阪の戦い」に学ぶ勝利の要諦
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回の「池田先生と大阪」(上)は、「大阪の戦い」に学ぶ"勝利の要諦"を掲載する。
◇師弟不二の祈り
1956年(昭和31年)7月、参院選・大阪地方区の勝利で「"まさか"が実現」と世間を驚かせた「大阪の戦い」。池田先生はこの戦いを通し、全国の同志に"勝利の要諦"を示してきた。
第一の要諦は「師弟不二の祈り」である。
池田先生は2006年(平成18年)7月8日、7・3記念の代表者協議会(東京・新宿区内)の席上、ちょうど50年前の決戦の日を述懐しつつ、師弟に徹し抜く中にこそ必勝の力がある、と訴えた。
1956年(昭和31年)の7月8日のことである。その日は、日曜日であった。
あの「大阪の戦い」の指揮を執り、私は祈り抜き、戦い切って、関西本部で決戦の朝を迎えようとしていた。
早朝5時ごろ、静かな館内に電話のベルが鳴り響いた。
私は、東京におられる戸田先生からの電話であると直感した。
居住まいを正して受話器をとると、先生の声である。
「関西はどうだい?」
私は即座に、おこたえした。「こちらは勝ちます!」
瞬時の師弟の呼吸であった。「そうか。勝てるか。勝ってくれるか。うれしいな。うれしいな」
先生が命の底から喜びを露にされた、あの声の響きを、私は今もって忘れることができない。
そして、愛する関西の同志とともに、私は勝った。"まさか"を実現したのである。真の師匠は、弟子に勝利の道を示してくださる。
いな、師弟に徹し抜く中にこそ、「必勝の力」は、滾々と湧き出ずるのだ。仏・菩薩、諸天善神の絶対の加護も現れるのだ。
関西の指揮は、戸田先生から託された戦である。
当時、私は28歳。自分がうまくやろうとか、偉くみせようとか、そんな心は微塵もなかった。
「ただ、先生に勝利のご報告をしたい」——それだけであった。師弟こそ、無限の「智慧」と「勇気」と「生命力」の源泉なのである。
真の弟子ならば、断固として勝って、師匠に「勝利の栄光」を捧げゆくことである。それが、報恩の真髄であるからだ。
「勝てるか?」
「勝ちます!」
勝利の源泉となりゆく、この師弟の朝の深き心の呼吸を、私は後継の青年たちに伝えておきたい。
◇将の勢いと執念
第二に「将の勢いと執念」である。池田先生は2001年(平成13年)7月の随筆で「同じ戦うなら大闘争を! 爆発的な勝利を! 圧倒的な勝利を! 私の使命はただ一つ。この関西に、難攻不落の錦州城を築くことであった。そのために、私は全生命をなげうって、断じて勝ってみせるとの決心であった」と。先生は勝利への執念を燃えたぎらせ、陣頭指揮を執った。
全軍の勢いの原動力は、リーダーの勢いで決まる。リーダーの執念で決まる。
私は、捨て身になって打って出た。ためらうことなく、走りに走り、叫びに叫んだ。早朝から晩遅くまで、大阪中の街々を、友の激励に明け暮れた。
行く先々で「まだ、時間がある」「まだ、励ませる」と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある。
全身に汗は流れ、声は嗄れ、足は棒のようになった。
一日二十四時間という、限られた時間のなかで、会うべき人、会って励ましたい人、連絡をとりたい人は、あまりにも多い。
この瞬間、この機会を逃したら、もう会えないかもしれない。ゆえに必死だった。拠点から拠点へ、移動する途次にも、「あのお宅は学会員です」と聞けば、「せめて一分でも」と足を運んだ。
関西の友と一緒に拝した御書は数知れない。そのなかの一節に、こう仰せである。
「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御書986ページ)
かけがえのない「今日」を悔いなく戦い、広宣流布のため、人びとのために生ききれ! 「常勝」とは、断固として「今を勝つ」ことだ。「今日を勝つ」ことだ。
先生は折に触れて「リーダーの一念」が勝負を決すると示してきた。2010年(平成22年)1月26日、信濃町の創価文化会館(当時)で開かれた「SGIの日」記念協議会では"今の真剣な行動が、後世の教科書になる"と、リーダーを鼓舞している。
忘れもしない、昭和31年の大阪の戦いで、私は愛する関西の若き友に贈った。
「仏法は勝負なり」「正義に依って起て、汝の力 百倍せん」と。そして「吾れも断固斗う。君も共に、広布の為に奮斗されん事を」と呼びかけた。
正義なればこそ、断じて勝たねばならない。熾烈な戦いにあって、その勝敗を分けるものは一体、何か。それは、リーダーの一念である。先陣を切る将の姿である。大阪の戦いでは、まず私自身から、必死の祈りを開始した。
それが、友へと広がり、一人また一人と立ち上がり、遂には時代を動かす、大いなるうねりとなった。
風が吹けば、波が立つ。正義を叫べば、反発も起こる。
御書に「風大なれば波大なり」(909ページ)と仰せの通り、これからも、大仏法を弘めれば、必ず難が競うだろう。それは、正義のゆえであり、時代が変わる兆しなのだ。戦おう! 断じて勝つのだ。頑張ろう! 今の皆さん方の真剣な行動が、後世の教科書になっていく。(中略)皆がどう戦ったのかを、50年後、100年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ。
師とともに戦い、師とともに勝つ。ここに常勝の道がある。いかなる時代になろうとも、師弟の魂を叫び抜き、師弟の道に生きるのだ。
それが学会の強さである。それでこそ、最高の力が出る。この一点を、永遠に、わが生命に刻みつけていただきたい。
◇正義の団結
そして第三の要諦は、「正義の団結」の拡大である。
「大阪の戦い」の渦中、権力の魔性が、圧迫と妨害の鎌首をもたげてきた。
だが、関西の同志は障魔の嵐をはね返した。池田先生の陣頭指揮のもと、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091ページ)との御聖訓のままに、一致団結して大反撃を開始し、勝利の金字塔を打ち立てたのである。
池田先生は2001年(平成13年)5月の随筆で、その歴史を述懐。広布を阻む悪の本質を指摘し、善人が、それ以上に強力な核を固めて、正義の団結を拡大することこそ「古今不変の勝利の鉄則」であると強調した。
団結は力である。団結は正しい。団結は美しい。団結は楽しい。
堅固な団結は、必ず各人の「境涯の拡大」をともなう。広宣流布の回転に心を合わせれば、自分中心の小さなエゴの殻を破っていけるからだ。
学会と共に!
同志と共に!
正義の師弟が共々に!
その心があればこそ、偉大なる人間革命の山を登ることができるのだ。
さあ、新世紀の栄光の扉を開く大闘争だ!
どうせ戦うならば、勝ち戦を!
勝ち戦のためには、一にも、二にも、三にも、同志の金剛の団結で進むことだ。
まかせたてまつり候ぞ」
皆が交流の起点となり
友情の輪を広げよう!
わが地域を幸の楽土に!
強仁状御返事 P184
『身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣武家の責を恐れず昼は国主に奏し夜は弟子等に語る』
【通解】
日蓮は、わが身命を仏神の宝前に捧げて、刀剣をもって斬られることも、幕府から罰せられることも恐れず、昼は国主に訴え、夜は弟子たちに語り聞かせたのである。
〈寸鉄〉 2019年3月27日
広宣流布は思想戦であり言論戦—恩師。沈黙は後退。果敢に真実叫び抜け
埼玉・草加、上尾・伊奈町、大宮、見沼区が奮戦。さあ逆転勝利へ押しまくれ!
横浜の南区、中区の友が勇猛の前進!今こそ総力戦の拡大で正義の凱歌を
励ましはサーチライトの如く。陰の友に光当てよ。その連続作業で力は倍加
地方議会に占める女性議員は13%と。公明の女性議員900人の使命は益々大
☆勇気の旗高く 池田先生と大阪(上) 2019年3月15日
◇「大阪の戦い」に学ぶ勝利の要諦
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回の「池田先生と大阪」(上)は、「大阪の戦い」に学ぶ"勝利の要諦"を掲載する。
◇師弟不二の祈り
1956年(昭和31年)7月、参院選・大阪地方区の勝利で「"まさか"が実現」と世間を驚かせた「大阪の戦い」。池田先生はこの戦いを通し、全国の同志に"勝利の要諦"を示してきた。
第一の要諦は「師弟不二の祈り」である。
池田先生は2006年(平成18年)7月8日、7・3記念の代表者協議会(東京・新宿区内)の席上、ちょうど50年前の決戦の日を述懐しつつ、師弟に徹し抜く中にこそ必勝の力がある、と訴えた。
1956年(昭和31年)の7月8日のことである。その日は、日曜日であった。
あの「大阪の戦い」の指揮を執り、私は祈り抜き、戦い切って、関西本部で決戦の朝を迎えようとしていた。
早朝5時ごろ、静かな館内に電話のベルが鳴り響いた。
私は、東京におられる戸田先生からの電話であると直感した。
居住まいを正して受話器をとると、先生の声である。
「関西はどうだい?」
私は即座に、おこたえした。「こちらは勝ちます!」
瞬時の師弟の呼吸であった。「そうか。勝てるか。勝ってくれるか。うれしいな。うれしいな」
先生が命の底から喜びを露にされた、あの声の響きを、私は今もって忘れることができない。
そして、愛する関西の同志とともに、私は勝った。"まさか"を実現したのである。真の師匠は、弟子に勝利の道を示してくださる。
いな、師弟に徹し抜く中にこそ、「必勝の力」は、滾々と湧き出ずるのだ。仏・菩薩、諸天善神の絶対の加護も現れるのだ。
関西の指揮は、戸田先生から託された戦である。
当時、私は28歳。自分がうまくやろうとか、偉くみせようとか、そんな心は微塵もなかった。
「ただ、先生に勝利のご報告をしたい」——それだけであった。師弟こそ、無限の「智慧」と「勇気」と「生命力」の源泉なのである。
真の弟子ならば、断固として勝って、師匠に「勝利の栄光」を捧げゆくことである。それが、報恩の真髄であるからだ。
「勝てるか?」
「勝ちます!」
勝利の源泉となりゆく、この師弟の朝の深き心の呼吸を、私は後継の青年たちに伝えておきたい。
◇将の勢いと執念
第二に「将の勢いと執念」である。池田先生は2001年(平成13年)7月の随筆で「同じ戦うなら大闘争を! 爆発的な勝利を! 圧倒的な勝利を! 私の使命はただ一つ。この関西に、難攻不落の錦州城を築くことであった。そのために、私は全生命をなげうって、断じて勝ってみせるとの決心であった」と。先生は勝利への執念を燃えたぎらせ、陣頭指揮を執った。
全軍の勢いの原動力は、リーダーの勢いで決まる。リーダーの執念で決まる。
私は、捨て身になって打って出た。ためらうことなく、走りに走り、叫びに叫んだ。早朝から晩遅くまで、大阪中の街々を、友の激励に明け暮れた。
行く先々で「まだ、時間がある」「まだ、励ませる」と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある。
全身に汗は流れ、声は嗄れ、足は棒のようになった。
一日二十四時間という、限られた時間のなかで、会うべき人、会って励ましたい人、連絡をとりたい人は、あまりにも多い。
この瞬間、この機会を逃したら、もう会えないかもしれない。ゆえに必死だった。拠点から拠点へ、移動する途次にも、「あのお宅は学会員です」と聞けば、「せめて一分でも」と足を運んだ。
関西の友と一緒に拝した御書は数知れない。そのなかの一節に、こう仰せである。
「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御書986ページ)
かけがえのない「今日」を悔いなく戦い、広宣流布のため、人びとのために生ききれ! 「常勝」とは、断固として「今を勝つ」ことだ。「今日を勝つ」ことだ。
先生は折に触れて「リーダーの一念」が勝負を決すると示してきた。2010年(平成22年)1月26日、信濃町の創価文化会館(当時)で開かれた「SGIの日」記念協議会では"今の真剣な行動が、後世の教科書になる"と、リーダーを鼓舞している。
忘れもしない、昭和31年の大阪の戦いで、私は愛する関西の若き友に贈った。
「仏法は勝負なり」「正義に依って起て、汝の力 百倍せん」と。そして「吾れも断固斗う。君も共に、広布の為に奮斗されん事を」と呼びかけた。
正義なればこそ、断じて勝たねばならない。熾烈な戦いにあって、その勝敗を分けるものは一体、何か。それは、リーダーの一念である。先陣を切る将の姿である。大阪の戦いでは、まず私自身から、必死の祈りを開始した。
それが、友へと広がり、一人また一人と立ち上がり、遂には時代を動かす、大いなるうねりとなった。
風が吹けば、波が立つ。正義を叫べば、反発も起こる。
御書に「風大なれば波大なり」(909ページ)と仰せの通り、これからも、大仏法を弘めれば、必ず難が競うだろう。それは、正義のゆえであり、時代が変わる兆しなのだ。戦おう! 断じて勝つのだ。頑張ろう! 今の皆さん方の真剣な行動が、後世の教科書になっていく。(中略)皆がどう戦ったのかを、50年後、100年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ。
師とともに戦い、師とともに勝つ。ここに常勝の道がある。いかなる時代になろうとも、師弟の魂を叫び抜き、師弟の道に生きるのだ。
それが学会の強さである。それでこそ、最高の力が出る。この一点を、永遠に、わが生命に刻みつけていただきたい。
◇正義の団結
そして第三の要諦は、「正義の団結」の拡大である。
「大阪の戦い」の渦中、権力の魔性が、圧迫と妨害の鎌首をもたげてきた。
だが、関西の同志は障魔の嵐をはね返した。池田先生の陣頭指揮のもと、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091ページ)との御聖訓のままに、一致団結して大反撃を開始し、勝利の金字塔を打ち立てたのである。
池田先生は2001年(平成13年)5月の随筆で、その歴史を述懐。広布を阻む悪の本質を指摘し、善人が、それ以上に強力な核を固めて、正義の団結を拡大することこそ「古今不変の勝利の鉄則」であると強調した。
団結は力である。団結は正しい。団結は美しい。団結は楽しい。
堅固な団結は、必ず各人の「境涯の拡大」をともなう。広宣流布の回転に心を合わせれば、自分中心の小さなエゴの殻を破っていけるからだ。
学会と共に!
同志と共に!
正義の師弟が共々に!
その心があればこそ、偉大なる人間革命の山を登ることができるのだ。
さあ、新世紀の栄光の扉を開く大闘争だ!
どうせ戦うならば、勝ち戦を!
勝ち戦のためには、一にも、二にも、三にも、同志の金剛の団結で進むことだ。
2019年3月26日火曜日
2019.03.26 わが友に贈る
広宣流布の前進に
障魔は必ず競い起こる。
「本より存知の旨」との
深き覚悟の信心で
堂々と立ち向かおう!
椎地四郎殿御書 P1448
『生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず』
【通解】
生死の苦悩に満ちた大海を渡ることは、妙法蓮華経の船でなければ、成し遂げられない。
〈寸鉄〉 2019年3月26日
「火にたきぎを加える時はさかん」御書。逆境に燃える!誓願の祈り強く
広島・呉、山口市、島根出雲が勇戦!堅忍不抜の拡大で民衆勝利の讃歌を
静岡・富士、浜松市西・東区が猛攻。勢いで勝て!皆で攻め抜き栄光へ加速
大事なのは人間としての外交—戸田先生。大誠実を尽くす。広布の方程式
公明議員が地域にいないと不利益—識者。死に物狂いで断固期待に応えよ
☆勇気の旗高く 池田先生と埼玉 2019年3月14日
◇鉄桶の団結で常勝の大城を
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は埼玉県を掲載する。
◇師弟共戦の天地
埼玉は、池田先生が師弟共戦の魂を刻んだ天地である。1951年(昭和26年)9月、23歳の池田先生は戸田先生の名代として、川越地区での御書講義に臨む。それは足かけ3年にわたった。先生は、当時の思いを2001年(平成13年)7月の随筆に記した。
私は、夕暮れの池袋駅から東武東上線に乗った。電車は板橋を抜け、今の地名で、和光、朝霞、新座、志木、富士見、上福岡と、家々に明かりが灯る埼玉の天地を走り、やがて川越に着いた。埼玉の志木支部川越地区の「地区講義」を担当するためであった。
さらに先生は、埼玉の輝く未来を展望した。
埼玉が東京を動かし、全国の広布の原動力となる日が、きっとやって来る。新しき世紀の広宣流布の大電源地は、必ず、ここ埼玉になると!
私は一人、決意した。戸田先生の膝下で戦う弟子として、ここ埼玉の大地に、常勝不滅なる民衆の強固な城を築いてみせると、心に誓った。
以来、広宣流布への消えることなき、この光道は、大宮、上尾、熊谷へ、川口、浦和へ、さらに所沢、越谷、三郷、春日部、久喜へと、煌々と光り渡っていったことは、皆様、ご存じの通りである。
◇大目的を胸に
1958年(昭和33年)4月2日、戸田先生が逝去。悲しみに包まれた学会の中にあって、"池田先生を第3代会長に"と推戴の声を真っ先に上げたのが埼玉だった。先生は2001年(平成13年)3月の本部幹部会で、当時を振り返りつつ語った。
戸田先生が亡くなられた後、「われらの第三代会長を、早く推戴せよ!」と声を上げ、当時の学会首脳を突き動かしていったのは、埼玉の青年部であった。
「新しい歴史」は、「新しい地盤」「新しい天地」から始まる。「新しい人材」の息吹から始まる。一人の人間の気力、迫力から始まる。自分自身から始まるのである。
どうせ生きるなら、大目的に向かって、大確信をもって、自分自身の「栄光の山」を、悠然と、楽しみながら登りきることだ。
人生、弱くては、つまらない。「私は創価学会だ。だれが何と言おうが、偉大な創価学会の代表だ」。そのくらいの決心で、胸を張っていくべきだ。自分は自分である。自分の人生である。だれがどうとか、どう見られるとか、そんな臆病な、畜生根性は捨てて、堂々と生きて生きて生き抜いていくことだ。
埼玉の永遠の指針は「鉄桶の団結」である。1973年(昭和48年)9月12日、埼玉県幹部総会が行われた上尾市の運動公園体育館には、この指針が大きく掲げられた。これが「埼玉の日」の淵源となる。池田先生は指導集「広布の旗 師弟常勝の埼玉」の発刊に寄せ、団結の重要性をつづった。
私が、「鉄桶の団結」との指針を贈ったのは、世界でただ一つ、埼玉だけである。
「異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)
この絶対勝利の法則を、どこか一カ所が確立すれば、それが末法万年尽未来際への指標となる。そのモデルを、私は、清き埼玉に定めたのだ。
青年時代から苦楽を共にしてきた、この埼玉を、世界の友も見つめ讃える文化の香りの理想郷に——これが、私の願いであり、祈りであった。
大埼玉が、大関西と並び立って、師子王の心を出し、「師弟常勝」の城を築き上げていく限り、わが創価学会は永久に盤石なのである。
◇ここからが勝負
池田先生と埼玉の同志との師弟の絆は、いかなる烈風にも動じない。広布と学会の破壊をもくろむ邪宗門が91年(平成3年)11月28日付で学会本部に「破門通告書」なるものを送り付けてきた。その直後の12月8日、最初の本部幹部会が、埼玉文化会館で行われた。当時の真情を、先生は随筆につづっている。
「魂の独立」を勝ち取って最初の記念すべき本部幹部会は、いずこで行うべきか。
私の心は、一点の曇りもなく定まっていた。
埼玉しかない!
埼玉こそ、世界広宣流布へ飛翔しゆく新たな起点とするのだ。
わが同志は、宗門の陰謀にも微動だにしなかった。
学会は正しい!
埼玉は強い!
大埼玉が盤石であれば、何も恐れるものはない。
私は本当に嬉しかった。
さらに先生は、戸田先生と共に大宮へ足を運んだ思い出に触れ、事業の打開に挑んだ師弟の激闘を記した。
(戸田)先生は、よく私に語られた。
「人生、行き詰まった時が勝負だぞ! その時、もう駄目だと絶望し、投げやりになってしまうのか。まだまだ、これからだと、不撓不屈で立ち上がるのか。この一念の分かれ目が勝負だ!」
そう言われながら、私の精神に深く厳として打ち込んでくださった。
「いいか、大作、途中に何があろうが、最後に勝て! 断じて勝て! 最後に勝てば、全部、勝利なのだ」
私には、一日一日が激戦の連続であった。瞬時も、感傷にひたる暇など、なかった。
師のために、億劫の辛労を尽くしゆく苦闘の連続の胸中にこそ、永遠に常勝不敗の大城が築かれていることを、私は深く実感したのである。
◇破邪顕正の闘争
2007年(同19年)5月8日、池田先生は日高市の埼玉池田研修道場を初訪問し、スピーチした。
敵に対して本気になって戦わない。見て見ないふりをする。そんな情けない弟子、ずるい人間であっては絶対にならない。
大きく心を開いて、本当の高次元な創価学会の精神に立って戦うことだ。「師弟不二」で戦いきることだ。「師弟」がなくなったら、学会は壊されてしまう。
幹部が先頭を切って、師匠の正義を訴える。師の真実を、日本中に叫び抜いていく。そういう埼玉をつくってもらいたい。
悪は放置すれば増長する。皆、だまされてしまう。悪人と戦わなければ、学会が破壊されてしまうのだ。
「破邪顕正」といっても、あくまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。それでこそ「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らかにし、宣揚することができるのである。
10年(同22年)10月、さいたま市中央区にある、さいたまスーパーアリーナで師弟常勝大会が意気高く開催された。席上、先生が埼玉県歌「広布の旗」に加筆したことが発表され、最後の歌詞「ああ埼玉の楽土見む」が「ああ埼玉の勝利見む」となった。
明年は、歌詞の加筆から10周年。埼玉の同志は「広布の旗」を高らかに歌いながら、師弟常勝の人材の大城を築きゆく。
障魔は必ず競い起こる。
「本より存知の旨」との
深き覚悟の信心で
堂々と立ち向かおう!
椎地四郎殿御書 P1448
『生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず』
【通解】
生死の苦悩に満ちた大海を渡ることは、妙法蓮華経の船でなければ、成し遂げられない。
〈寸鉄〉 2019年3月26日
「火にたきぎを加える時はさかん」御書。逆境に燃える!誓願の祈り強く
広島・呉、山口市、島根出雲が勇戦!堅忍不抜の拡大で民衆勝利の讃歌を
静岡・富士、浜松市西・東区が猛攻。勢いで勝て!皆で攻め抜き栄光へ加速
大事なのは人間としての外交—戸田先生。大誠実を尽くす。広布の方程式
公明議員が地域にいないと不利益—識者。死に物狂いで断固期待に応えよ
☆勇気の旗高く 池田先生と埼玉 2019年3月14日
◇鉄桶の団結で常勝の大城を
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は埼玉県を掲載する。
◇師弟共戦の天地
埼玉は、池田先生が師弟共戦の魂を刻んだ天地である。1951年(昭和26年)9月、23歳の池田先生は戸田先生の名代として、川越地区での御書講義に臨む。それは足かけ3年にわたった。先生は、当時の思いを2001年(平成13年)7月の随筆に記した。
私は、夕暮れの池袋駅から東武東上線に乗った。電車は板橋を抜け、今の地名で、和光、朝霞、新座、志木、富士見、上福岡と、家々に明かりが灯る埼玉の天地を走り、やがて川越に着いた。埼玉の志木支部川越地区の「地区講義」を担当するためであった。
さらに先生は、埼玉の輝く未来を展望した。
埼玉が東京を動かし、全国の広布の原動力となる日が、きっとやって来る。新しき世紀の広宣流布の大電源地は、必ず、ここ埼玉になると!
私は一人、決意した。戸田先生の膝下で戦う弟子として、ここ埼玉の大地に、常勝不滅なる民衆の強固な城を築いてみせると、心に誓った。
以来、広宣流布への消えることなき、この光道は、大宮、上尾、熊谷へ、川口、浦和へ、さらに所沢、越谷、三郷、春日部、久喜へと、煌々と光り渡っていったことは、皆様、ご存じの通りである。
◇大目的を胸に
1958年(昭和33年)4月2日、戸田先生が逝去。悲しみに包まれた学会の中にあって、"池田先生を第3代会長に"と推戴の声を真っ先に上げたのが埼玉だった。先生は2001年(平成13年)3月の本部幹部会で、当時を振り返りつつ語った。
戸田先生が亡くなられた後、「われらの第三代会長を、早く推戴せよ!」と声を上げ、当時の学会首脳を突き動かしていったのは、埼玉の青年部であった。
「新しい歴史」は、「新しい地盤」「新しい天地」から始まる。「新しい人材」の息吹から始まる。一人の人間の気力、迫力から始まる。自分自身から始まるのである。
どうせ生きるなら、大目的に向かって、大確信をもって、自分自身の「栄光の山」を、悠然と、楽しみながら登りきることだ。
人生、弱くては、つまらない。「私は創価学会だ。だれが何と言おうが、偉大な創価学会の代表だ」。そのくらいの決心で、胸を張っていくべきだ。自分は自分である。自分の人生である。だれがどうとか、どう見られるとか、そんな臆病な、畜生根性は捨てて、堂々と生きて生きて生き抜いていくことだ。
埼玉の永遠の指針は「鉄桶の団結」である。1973年(昭和48年)9月12日、埼玉県幹部総会が行われた上尾市の運動公園体育館には、この指針が大きく掲げられた。これが「埼玉の日」の淵源となる。池田先生は指導集「広布の旗 師弟常勝の埼玉」の発刊に寄せ、団結の重要性をつづった。
私が、「鉄桶の団結」との指針を贈ったのは、世界でただ一つ、埼玉だけである。
「異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)
この絶対勝利の法則を、どこか一カ所が確立すれば、それが末法万年尽未来際への指標となる。そのモデルを、私は、清き埼玉に定めたのだ。
青年時代から苦楽を共にしてきた、この埼玉を、世界の友も見つめ讃える文化の香りの理想郷に——これが、私の願いであり、祈りであった。
大埼玉が、大関西と並び立って、師子王の心を出し、「師弟常勝」の城を築き上げていく限り、わが創価学会は永久に盤石なのである。
◇ここからが勝負
池田先生と埼玉の同志との師弟の絆は、いかなる烈風にも動じない。広布と学会の破壊をもくろむ邪宗門が91年(平成3年)11月28日付で学会本部に「破門通告書」なるものを送り付けてきた。その直後の12月8日、最初の本部幹部会が、埼玉文化会館で行われた。当時の真情を、先生は随筆につづっている。
「魂の独立」を勝ち取って最初の記念すべき本部幹部会は、いずこで行うべきか。
私の心は、一点の曇りもなく定まっていた。
埼玉しかない!
埼玉こそ、世界広宣流布へ飛翔しゆく新たな起点とするのだ。
わが同志は、宗門の陰謀にも微動だにしなかった。
学会は正しい!
埼玉は強い!
大埼玉が盤石であれば、何も恐れるものはない。
私は本当に嬉しかった。
さらに先生は、戸田先生と共に大宮へ足を運んだ思い出に触れ、事業の打開に挑んだ師弟の激闘を記した。
(戸田)先生は、よく私に語られた。
「人生、行き詰まった時が勝負だぞ! その時、もう駄目だと絶望し、投げやりになってしまうのか。まだまだ、これからだと、不撓不屈で立ち上がるのか。この一念の分かれ目が勝負だ!」
そう言われながら、私の精神に深く厳として打ち込んでくださった。
「いいか、大作、途中に何があろうが、最後に勝て! 断じて勝て! 最後に勝てば、全部、勝利なのだ」
私には、一日一日が激戦の連続であった。瞬時も、感傷にひたる暇など、なかった。
師のために、億劫の辛労を尽くしゆく苦闘の連続の胸中にこそ、永遠に常勝不敗の大城が築かれていることを、私は深く実感したのである。
◇破邪顕正の闘争
2007年(同19年)5月8日、池田先生は日高市の埼玉池田研修道場を初訪問し、スピーチした。
敵に対して本気になって戦わない。見て見ないふりをする。そんな情けない弟子、ずるい人間であっては絶対にならない。
大きく心を開いて、本当の高次元な創価学会の精神に立って戦うことだ。「師弟不二」で戦いきることだ。「師弟」がなくなったら、学会は壊されてしまう。
幹部が先頭を切って、師匠の正義を訴える。師の真実を、日本中に叫び抜いていく。そういう埼玉をつくってもらいたい。
悪は放置すれば増長する。皆、だまされてしまう。悪人と戦わなければ、学会が破壊されてしまうのだ。
「破邪顕正」といっても、あくまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。それでこそ「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らかにし、宣揚することができるのである。
10年(同22年)10月、さいたま市中央区にある、さいたまスーパーアリーナで師弟常勝大会が意気高く開催された。席上、先生が埼玉県歌「広布の旗」に加筆したことが発表され、最後の歌詞「ああ埼玉の楽土見む」が「ああ埼玉の勝利見む」となった。
明年は、歌詞の加筆から10周年。埼玉の同志は「広布の旗」を高らかに歌いながら、師弟常勝の人材の大城を築きゆく。
2019年3月25日月曜日
2019.03.25 わが友に贈る
◇今週のことば
「広宣」とは「外交」なり。
武器は人間性である。
主役は若い力である。
勇気と智慧で大胆に!
誠実と執念で断固勝て!
2019年3月25日
御講聞書 P816
『既に末法当時南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘むる間恐れなし、終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし云云』
【通解】
すでに末法であり、南無妙法蓮華経の七字を日本の国に弘めているので、何の恐れもない。遂には全世界に広宣流布することは間違いないのである。
〈寸鉄〉 2019年3月25日
御書「一つ心なれば必ず事を成ず」。団結こそ常勝の源。祈り合わせて前進
京都の山科、中京、下京よここからだ!勇気の総攻撃で威風堂々の凱歌を
滋賀の大津、大阪の堺市西区、奈良が気迫の拡大。民衆の力で激戦勝ち抜け
友人らと政治の話をする人ほど投票に行く—若者調査。青年部よ語り捲れ
他人への寛大さ、日本は92位。社会は希求。自他共の幸福に尽くす生き方を
☆御書と歩む� 第60回 広布の行動こそ最高の孝養
『いかなるところに・おはすとも・この御けうやうの心ざしをば・えんまほうわう・ぼんでん・たひしゃく・までも・しろしめしぬらん、釈迦仏・法華経もいかでか・すてさせ給うべき』(南条殿御返事、1534ページ)
◇通解
(故・南条兵衛七郎殿が)いかなるところにおられようとも、(子息である貴殿〈南条時光〉が正法を信仰する)ご孝養の志は、閻魔法王、大梵天王、帝釈天までも知っておられるであろう。釈迦仏、法華経も、どうして捨てられることがあろうか。
◇同志への指針
妙法には、生死を超えて生命を照らし晴らせる無量無辺の大功力がある。ゆえに、私たちの追善回向は必ず故人に届き、成仏の境涯へと導くことができる。これが御本仏のお約束である。
広布の行動こそ、自行化他の題目で一家眷属を三世に包める最極の孝養となる。十方の諸仏と諸天に守られながら、永遠に離れざる常楽我浄の旅を共々に続けゆこう!
「広宣」とは「外交」なり。
武器は人間性である。
主役は若い力である。
勇気と智慧で大胆に!
誠実と執念で断固勝て!
2019年3月25日
御講聞書 P816
『既に末法当時南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘むる間恐れなし、終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし云云』
【通解】
すでに末法であり、南無妙法蓮華経の七字を日本の国に弘めているので、何の恐れもない。遂には全世界に広宣流布することは間違いないのである。
〈寸鉄〉 2019年3月25日
御書「一つ心なれば必ず事を成ず」。団結こそ常勝の源。祈り合わせて前進
京都の山科、中京、下京よここからだ!勇気の総攻撃で威風堂々の凱歌を
滋賀の大津、大阪の堺市西区、奈良が気迫の拡大。民衆の力で激戦勝ち抜け
友人らと政治の話をする人ほど投票に行く—若者調査。青年部よ語り捲れ
他人への寛大さ、日本は92位。社会は希求。自他共の幸福に尽くす生き方を
☆御書と歩む� 第60回 広布の行動こそ最高の孝養
『いかなるところに・おはすとも・この御けうやうの心ざしをば・えんまほうわう・ぼんでん・たひしゃく・までも・しろしめしぬらん、釈迦仏・法華経もいかでか・すてさせ給うべき』(南条殿御返事、1534ページ)
◇通解
(故・南条兵衛七郎殿が)いかなるところにおられようとも、(子息である貴殿〈南条時光〉が正法を信仰する)ご孝養の志は、閻魔法王、大梵天王、帝釈天までも知っておられるであろう。釈迦仏、法華経も、どうして捨てられることがあろうか。
◇同志への指針
妙法には、生死を超えて生命を照らし晴らせる無量無辺の大功力がある。ゆえに、私たちの追善回向は必ず故人に届き、成仏の境涯へと導くことができる。これが御本仏のお約束である。
広布の行動こそ、自行化他の題目で一家眷属を三世に包める最極の孝養となる。十方の諸仏と諸天に守られながら、永遠に離れざる常楽我浄の旅を共々に続けゆこう!
2019年3月24日日曜日
2019.03.24 わが友に贈る
あの友を幸福に!
この友を味方に!
大誠実の振る舞いが
相手の心を動かす。
友情の花を万朶と!
弥源太殿御返事 P1227
『只一心に信心おはして霊山を期し給へ』
【通解】
ただ一心に信心を持たれて霊山を期しなさい。
〈寸鉄〉 2019年3月24日
御書「よく・よく・かたらせ給へ」。対話こそ立正安国の道。声を惜しまず
大阪市の此花、西淀川、大正、平野区よ頑張れ!「まさかが実現」の劇再び
北海道の旭川市、白石区が力走!新時代の扉開くのは今。執念で攻め捲れ
過ぎ去った一分ではなく次の一分が大事なのだ—文豪。ここからが勝負と
旅立ちの春。進級・進学・就職の友に励ましを。共に人生の栄光へ誓い新た
☆御書と歩む� 第59回 青年よ「創価の賢者」たれ!
『必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』
◇通解
(凡夫が仏になる時には)必ず三障四魔という障りが現れるので、賢者は喜び、愚者は退くのである。
◇同志への指針
苦難の時にこそ、人間の「真価」が現れる。逆境であるほど、いよいよ"負けじ魂"で挑むのが、大聖人直結の賢者である。妙法は、全てを前進の力に転じゆける絶対の法則なのだ。
広布の大闘争の中に偉大な人間革命があり、宿命転換がある。わが愛する青年たちよ、朗らかな「創価の賢者」たれ! 皆の青春凱歌を信じ、祈っている。
この友を味方に!
大誠実の振る舞いが
相手の心を動かす。
友情の花を万朶と!
弥源太殿御返事 P1227
『只一心に信心おはして霊山を期し給へ』
【通解】
ただ一心に信心を持たれて霊山を期しなさい。
〈寸鉄〉 2019年3月24日
御書「よく・よく・かたらせ給へ」。対話こそ立正安国の道。声を惜しまず
大阪市の此花、西淀川、大正、平野区よ頑張れ!「まさかが実現」の劇再び
北海道の旭川市、白石区が力走!新時代の扉開くのは今。執念で攻め捲れ
過ぎ去った一分ではなく次の一分が大事なのだ—文豪。ここからが勝負と
旅立ちの春。進級・進学・就職の友に励ましを。共に人生の栄光へ誓い新た
☆御書と歩む� 第59回 青年よ「創価の賢者」たれ!
『必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』
◇通解
(凡夫が仏になる時には)必ず三障四魔という障りが現れるので、賢者は喜び、愚者は退くのである。
◇同志への指針
苦難の時にこそ、人間の「真価」が現れる。逆境であるほど、いよいよ"負けじ魂"で挑むのが、大聖人直結の賢者である。妙法は、全てを前進の力に転じゆける絶対の法則なのだ。
広布の大闘争の中に偉大な人間革命があり、宿命転換がある。わが愛する青年たちよ、朗らかな「創価の賢者」たれ! 皆の青春凱歌を信じ、祈っている。
2019年3月23日土曜日
2019.03.23 わが友に贈る
「一度もしりぞく心なし」
これが学会精神だ。
諦めの心を打ち破り
"もう一回""もう一人"と
仏縁を広げる語らいを!
三世諸仏総勘文教相廃立 p563
『言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり』
【通解】
言葉というのは心の思いを響かせて声に表したものをいうのである。
※一度発せられた言葉は、相手に届いてしまったらもうもとへ戻すことはできません。心豊かに、相手を思いやって言葉をかけるようになりたいものです。
〈寸鉄〉 2019年3月23日
信心とは必ず勝つと腹を決める事だ—戸田先生。三代の闘魂を我らが継承
大阪の吹田・茨木市、都島・北区が怒濤の大攻勢!常勝の"底力"を満天下に
愛知・春日井、西区が激戦突破へ猛進。堅塁の魂を燃やして進め!粘り勝て
20歳前後の若者、3割が自殺考えた過去。後継よ広げよ。生命尊厳の哲学
近年、車のパンクが大幅に増。無事故こそ第一だ。点検を忘れず安全運転で
☆第45回創価大学・第33回創価女子短期大学卒業式への池田先生のメッセージ 2019年3月19日
◇人間性の花咲く未来へ! 負けじ魂で連帯築け
一、天も地も、花々までも祝賀する晴れの卒業式、誠におめでとう!
創立者として私が、いつも思いを巡らせることがあります。それは、わが創価の学位記授与を、日本中、世界中、どれほど多くの尊い庶民の方々が祝福してくれているか、ということです。大学に行けなかった方々をはじめ健気な民衆の期待と信頼が、これほど託された学位記はないと私は自負しております。建学の志を分かち合う教員の先生方、また職員の方々もきっと賛同してくれることでしょう。
創価大学45期生の皆さん、創価女子短期大学33期生の皆さん、また通信教育部の皆さん、さらに大学院の皆さん、そして最優秀の留学生の皆さん! 私は一人ひとりの奮闘を労い、たたえつつ、学位記を直接、手渡しする思いで、きょうの門出を全て見守っております。
私の願いは、皆さんを育み、送り出してくださったお父さん方、お母さん方に、後ほど感謝を込めて学位記を捧げ、ご一家の喜びあふれる飛躍への劇を刻んでいただきたいということです。皆さん、どうでしょうか(大拍手)。
◇グローバルに考え地域で行動せよ!
一、30年近く前、信念の獄中闘争を勝ち越えたアフリカの人権の大英雄・マンデラ大統領を、私は創大生の歌声と共に熱烈に歓迎しました。大統領と私は展望しました。——大地に色とりどりの花が個性豊かに、そして平等に花咲き、実を育んでいくように、「人華」という「人間性の花」が多彩に繚乱と咲き誇る平和と共生の未来を創り開こう!と。
わが創大の名誉ある一員でもあるマンデラ大統領の笑顔を胸に浮かべつつ、若き希望の人華の皆さんに3点のエールを送ります。
第一は「不屈の根を張れ! 誇り高き使命の大樹たれ」ということです。
本日は、崇高な慈愛と勇気の看護師のクレア・バーチンガー先生を迎え、生命尊厳を掲げた本学に意義深き歴史を刻むことができました。
クレア先生は、戦乱や飢餓の想像を絶する苦難の最前線に身を投じ、まさしく命を賭して、医療に救援活動に、奔走してこられた方です。
断崖絶壁の逆境にも断じて一歩も退かないと一念を定めて、他者に尽くし、命を救い抜く行動が、どれほど偉大な力を発揮するか。
1984年のアフリカの大飢餓の際には、難民の子どもたちに全身全霊で手を差し伸べ続ける若きクレア先生の姿が、英国のBBCで放映されました。番組は感動の反響を広げ、それがきっかけとなって、翌年、20世紀最大のチャリティーコンサート「ライブ・エイド」が開催され、難民救済の飛躍的な大前進を遂げたのであります。
クレア先生は淡々と語られています。「グローバルに考え、地域で行動することによって、私たち一人ひとりが変化を生み出すことができます。誰もが山々を動かし、世界を変革する力を持っているのです」と。
これは、創大・短大を支えてくれる創価の民衆の実践とも一致します。
どうか卒業生の皆さんは「何のために」「誰がために」と己が使命を問いかけつつ、たくましく朗らかに不屈の根を張っていってください。
◇挨拶・振る舞いが信頼を広げる基本
一、第二に「誠実の幹を太く! 信頼の花を咲かせよ」と呼びかけたい。
私が恩師・戸田城聖先生にお仕えして社会人としての新たな一歩を踏み出したのは、70年前。悪戦苦闘の連続でしたが、私が心がけていたことは、「自分に与えられた課題に真正面から取り組もう。そうすれば意義ある仕事になる。苦しくとも実に楽しい」ということです。
看護の母・ナイチンゲールは、「ゆるぎのない基礎を固めるためには、根強い、熱意のこもった数年間が必要」(湯槇ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集 第一巻』現代社)と語りました。
ともあれ、「元気な挨拶」「礼儀正しい振る舞い」「約束を守る誠実」等の基本を大切に、焦らず忍耐強く努力を重ねることです。
私は恩師から徹底して「青年の一番の宝は信頼である」「信用されることが、最大の誇りであり、勝利である」と打ち込まれました。
この誠実一路の道を、わが不二の創価のフレッシュマンに託します。
◇心の交流こそ国家超えて友情結ぶ力
一、第三に「世界市民の林立を! 平和の種を蒔きゆけ」と申し上げたい。
本日は、英国のバッキンガム大学、エチオピアのインジバラ大学とバハルダール大学、さらにハワイ大学の先生方にもご来学いただきました。
懐かしきハワイ大学のマノア校の「創立者の門」に「人間は国家を超える」とのモットーが刻まれていたことが、私には思い起こされます。
まさに大学を機軸とした世界市民の交流こそ、国家を超えて人類を結ぶ力でありましょう。今年の平和提言でも、私は国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成を目指し、世界の大学が協力を促進することを訴えました。
我らの平和のフォートレスから羽ばたく皆さんは、いずこにあっても開かれた創価の心で友情を結び、世界市民の連帯を築いてください。縁する一人ひとりの幸福を祈り、励ましと希望の対話を広げ、何があっても負けじ魂で、未来へ平和の種を蒔いていただきたいのです。
マンデラ大統領も語っておりました。
「成功によって、我を評価することなかれ! 幾たび失敗しようとも、また立ち上がる我こそを評価してくれ給え!」と。
最後に、わが生命であり、わが宝であり、わが希望である卒業生に、
風雪に
創価の人華は
胸を張り
民衆の勝利の
春を告げゆけ
と贈り、私のメッセージとします。
一人ももれなく、健康と福徳、充実と栄光の人生であれと祈りつつ(大拍手)。
これが学会精神だ。
諦めの心を打ち破り
"もう一回""もう一人"と
仏縁を広げる語らいを!
三世諸仏総勘文教相廃立 p563
『言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり』
【通解】
言葉というのは心の思いを響かせて声に表したものをいうのである。
※一度発せられた言葉は、相手に届いてしまったらもうもとへ戻すことはできません。心豊かに、相手を思いやって言葉をかけるようになりたいものです。
〈寸鉄〉 2019年3月23日
信心とは必ず勝つと腹を決める事だ—戸田先生。三代の闘魂を我らが継承
大阪の吹田・茨木市、都島・北区が怒濤の大攻勢!常勝の"底力"を満天下に
愛知・春日井、西区が激戦突破へ猛進。堅塁の魂を燃やして進め!粘り勝て
20歳前後の若者、3割が自殺考えた過去。後継よ広げよ。生命尊厳の哲学
近年、車のパンクが大幅に増。無事故こそ第一だ。点検を忘れず安全運転で
☆第45回創価大学・第33回創価女子短期大学卒業式への池田先生のメッセージ 2019年3月19日
◇人間性の花咲く未来へ! 負けじ魂で連帯築け
一、天も地も、花々までも祝賀する晴れの卒業式、誠におめでとう!
創立者として私が、いつも思いを巡らせることがあります。それは、わが創価の学位記授与を、日本中、世界中、どれほど多くの尊い庶民の方々が祝福してくれているか、ということです。大学に行けなかった方々をはじめ健気な民衆の期待と信頼が、これほど託された学位記はないと私は自負しております。建学の志を分かち合う教員の先生方、また職員の方々もきっと賛同してくれることでしょう。
創価大学45期生の皆さん、創価女子短期大学33期生の皆さん、また通信教育部の皆さん、さらに大学院の皆さん、そして最優秀の留学生の皆さん! 私は一人ひとりの奮闘を労い、たたえつつ、学位記を直接、手渡しする思いで、きょうの門出を全て見守っております。
私の願いは、皆さんを育み、送り出してくださったお父さん方、お母さん方に、後ほど感謝を込めて学位記を捧げ、ご一家の喜びあふれる飛躍への劇を刻んでいただきたいということです。皆さん、どうでしょうか(大拍手)。
◇グローバルに考え地域で行動せよ!
一、30年近く前、信念の獄中闘争を勝ち越えたアフリカの人権の大英雄・マンデラ大統領を、私は創大生の歌声と共に熱烈に歓迎しました。大統領と私は展望しました。——大地に色とりどりの花が個性豊かに、そして平等に花咲き、実を育んでいくように、「人華」という「人間性の花」が多彩に繚乱と咲き誇る平和と共生の未来を創り開こう!と。
わが創大の名誉ある一員でもあるマンデラ大統領の笑顔を胸に浮かべつつ、若き希望の人華の皆さんに3点のエールを送ります。
第一は「不屈の根を張れ! 誇り高き使命の大樹たれ」ということです。
本日は、崇高な慈愛と勇気の看護師のクレア・バーチンガー先生を迎え、生命尊厳を掲げた本学に意義深き歴史を刻むことができました。
クレア先生は、戦乱や飢餓の想像を絶する苦難の最前線に身を投じ、まさしく命を賭して、医療に救援活動に、奔走してこられた方です。
断崖絶壁の逆境にも断じて一歩も退かないと一念を定めて、他者に尽くし、命を救い抜く行動が、どれほど偉大な力を発揮するか。
1984年のアフリカの大飢餓の際には、難民の子どもたちに全身全霊で手を差し伸べ続ける若きクレア先生の姿が、英国のBBCで放映されました。番組は感動の反響を広げ、それがきっかけとなって、翌年、20世紀最大のチャリティーコンサート「ライブ・エイド」が開催され、難民救済の飛躍的な大前進を遂げたのであります。
クレア先生は淡々と語られています。「グローバルに考え、地域で行動することによって、私たち一人ひとりが変化を生み出すことができます。誰もが山々を動かし、世界を変革する力を持っているのです」と。
これは、創大・短大を支えてくれる創価の民衆の実践とも一致します。
どうか卒業生の皆さんは「何のために」「誰がために」と己が使命を問いかけつつ、たくましく朗らかに不屈の根を張っていってください。
◇挨拶・振る舞いが信頼を広げる基本
一、第二に「誠実の幹を太く! 信頼の花を咲かせよ」と呼びかけたい。
私が恩師・戸田城聖先生にお仕えして社会人としての新たな一歩を踏み出したのは、70年前。悪戦苦闘の連続でしたが、私が心がけていたことは、「自分に与えられた課題に真正面から取り組もう。そうすれば意義ある仕事になる。苦しくとも実に楽しい」ということです。
看護の母・ナイチンゲールは、「ゆるぎのない基礎を固めるためには、根強い、熱意のこもった数年間が必要」(湯槇ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集 第一巻』現代社)と語りました。
ともあれ、「元気な挨拶」「礼儀正しい振る舞い」「約束を守る誠実」等の基本を大切に、焦らず忍耐強く努力を重ねることです。
私は恩師から徹底して「青年の一番の宝は信頼である」「信用されることが、最大の誇りであり、勝利である」と打ち込まれました。
この誠実一路の道を、わが不二の創価のフレッシュマンに託します。
◇心の交流こそ国家超えて友情結ぶ力
一、第三に「世界市民の林立を! 平和の種を蒔きゆけ」と申し上げたい。
本日は、英国のバッキンガム大学、エチオピアのインジバラ大学とバハルダール大学、さらにハワイ大学の先生方にもご来学いただきました。
懐かしきハワイ大学のマノア校の「創立者の門」に「人間は国家を超える」とのモットーが刻まれていたことが、私には思い起こされます。
まさに大学を機軸とした世界市民の交流こそ、国家を超えて人類を結ぶ力でありましょう。今年の平和提言でも、私は国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成を目指し、世界の大学が協力を促進することを訴えました。
我らの平和のフォートレスから羽ばたく皆さんは、いずこにあっても開かれた創価の心で友情を結び、世界市民の連帯を築いてください。縁する一人ひとりの幸福を祈り、励ましと希望の対話を広げ、何があっても負けじ魂で、未来へ平和の種を蒔いていただきたいのです。
マンデラ大統領も語っておりました。
「成功によって、我を評価することなかれ! 幾たび失敗しようとも、また立ち上がる我こそを評価してくれ給え!」と。
最後に、わが生命であり、わが宝であり、わが希望である卒業生に、
風雪に
創価の人華は
胸を張り
民衆の勝利の
春を告げゆけ
と贈り、私のメッセージとします。
一人ももれなく、健康と福徳、充実と栄光の人生であれと祈りつつ(大拍手)。
2019年3月22日金曜日
2019.03.22 わが友に贈る
広布のために
動き 語った分だけ
わが人間革命は進む。
自他共の幸福の実現へ
果敢な挑戦を貫こう!
乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』
【通解】
一隻の船に乗りあわせてしまえば、もし船頭の舵取りが悪ければ一同に船中の人びとは命を損なってしまうでしょう。またどんなに体が強くても心が弱ければ多くの能力があってもなんの役にも立ちません。
〈寸鉄〉 2019年3月22日
「法華経は師子吼の第一なり」御聖訓。強き題目が根本。必ず壁は破れる
兵庫の川西・猪名川、伊丹、長田区、姫路が激闘。歴史的勝利へ総立ちを!
京都の北・右京区よ時は来た。劇はここから!正義の言論で断固勝ち進め
"自分は若い"と思う人ほど活動的、積極的と。生涯青春の多宝会が証明
国連・世界水の日。環境と資源守るのは一人一人の意識変革と行動の連帯
☆創価学園卒業式への池田先生のメッセージ 2019年3月17日
◇不屈の挑戦で新時代を切り開け 平和と人道の連帯を広げよ
一、さわやかに鳳雛が世界へ羽ばたく卒業式、誠におめでとう!
学園生と私の命は、いつも一緒ですから、きょうも卒業生全員と心の握手を固く交わしつつ一切を見守っております。
一人ひとりの尊い青春の力走の晴れ姿を仰ぎ見る、きょうこの日こそ、私の最大の喜びであり、最高の誉れなのであります。みんな、本当によく頑張った!
一、私の師匠である戸田城聖先生は、西暦1900年、20世紀の黎明の年に誕生しました。それから100年あまりを経た21世紀の黎明の時に、「第三の1000年」の出発を期して躍り出た使命の若人こそ、本日、巣立ちゆく皆さん方です。
皆さんの成長とともに、21世紀は明るく大きく輝きます。
21世紀の希望と栄光の第一走者たる皆さんの門出を祝して、私は三つの指針を贈ります。
◇父母を胸に
第一に、「父母を胸に! 挑戦と前進の走者たれ」と申し上げたい。
今年は、フランスの英雄・ナポレオンの生誕250年です。
いかなる困難にも「前進、また前進」と叫んで新時代を切り開いた、この英雄が残した「歴史の教訓」をめぐって、私は子孫であるナポレオン家の当主シャルル・ナポレオン公と対談集を発刊しました。
ナポレオンは若き日から、何があっても、自分を卑下したり、あきらめたりしない「負けじ魂」に燃えていました。「数々の逆運に遭っても私の魂は大理石のように堅かった。雷も私の魂には歯が立たず、私の魂の上を滑ってゆかなければならなかった」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)と言い切っております。
だからこそ、その生涯は後世の人々を「勇気があれば、道はいつでも拓ける」(『エマソン選集6 代表的人間像』酒本雅之訳、日本教文社)と励ましてやまないのです。
このナポレオンの「負けじ魂」を育んだ大きな源は何であったか。それは、気高きお母さんの存在でした。ナポレオン自身、「わたしのなしえたすべては、母のおかげだ」(アラン・ドゥコー著『ナポレオンの母』小宮正弘訳、潮出版社)と感謝をささげています。
皆さんも晴れの卒業を迎えるまでに、お母さん、お父さんをはじめ、ご家族の方々のどれほどの祈りと応援があったことか。ここで、感謝の大拍手を全員で送りたいと思うけれども、どうだろうか!(大拍手)
人間は、父母たちの恩を知り、その恩に報いてみせると決心した時、尽きることのない勇気を引き出すことができます。ゆえに、きょうよりまた、素晴らしき父母を心に抱いて、いよいよの学びの挑戦と前進の力走を、自分らしくさっそうと開始していただきたいのであります。
◇宇宙と共に
一、第二に申し上げたいことは、「宇宙と共に! 価値創造の走者たれ」ということです。
先日、日本の「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」への着地を成功させ、世界から喝采が送られました。
大宇宙と生命の起源への探究は、さらに進んでいくことでしょう。
私には、大宇宙のロマンを語り合ったブラジルの天文学者モウラン博士の洞察が思い起こされます。
"宇宙は自然の法則に従い、調和を求め、常に進化を続けている。同じように、私たち人間も常に成長し続けていくことが大切です"と。
思えば、この1秒間にも、私たちの地球は太陽の周りを約30キロという猛スピードで公転し、太陽は約7億トンともいわれる水素を転じて莫大なエネルギーを生み出しています。
そして皆さんの若き生命にも、まぎれもなく宇宙大の力と可能性が秘められているのです。それを解き放つのは、積極果敢な行動です。
私と妻の大切な友人である女性の世界初の宇宙飛行士テレシコワさんも、座して待っているのではなく、未来のために打って出て勇敢に闘ってこそ、大胆な夢もかなえることができると強調されていました。
どうか、心広々と大宇宙をも友とし味方としながら、日々、正しき生命の軌道をたゆまず進み、新たな価値を創造していってください。
◇世界の友と
一、最後に、「世界の友と! 正義と友情の走者たれ」と申し上げたい。
皆さんは、若き創価の世界市民として、人類貢献のリーダーシップを錬磨してきました。
私の世界の友人たちも、学園生に絶大なる期待を寄せてくれております。冷戦終結の大功労者ゴルバチョフ元ソ連大統領もその一人です。つい先日も、元大統領から私に「大親友へ」と著書を頂きました。
変わらざる友情と信義で結ばれた元大統領は、「人格」と「哲学の深さ」「人間性の大きさ」という創価の人道主義こそが、冷たい政治も経済も全てを温かく変えていけると信頼してくれているのです。
皆さんは、学園で結んだ一生涯の友情を宝としつつ、全世界に平和と人道の連帯を広げながら、この21世紀を「人間革命の光の世紀」と輝かせてください。そして次の22世紀へ、さらに西暦3000年へと、地球文明の偉大な創造の襷をつないでいただきたいのです。
皆さんがいずこにあっても、私は学園の先生方や職員の方々と共に、一人も残らず健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ!と祈り抜いていきます。
わが愛する卒業生に、
走り抜け
負けじの坂を
朗らかに
不屈の一歩が
明日の凱歌へ
と贈り、祝福のメッセージとします(大拍手)。
動き 語った分だけ
わが人間革命は進む。
自他共の幸福の実現へ
果敢な挑戦を貫こう!
乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』
【通解】
一隻の船に乗りあわせてしまえば、もし船頭の舵取りが悪ければ一同に船中の人びとは命を損なってしまうでしょう。またどんなに体が強くても心が弱ければ多くの能力があってもなんの役にも立ちません。
〈寸鉄〉 2019年3月22日
「法華経は師子吼の第一なり」御聖訓。強き題目が根本。必ず壁は破れる
兵庫の川西・猪名川、伊丹、長田区、姫路が激闘。歴史的勝利へ総立ちを!
京都の北・右京区よ時は来た。劇はここから!正義の言論で断固勝ち進め
"自分は若い"と思う人ほど活動的、積極的と。生涯青春の多宝会が証明
国連・世界水の日。環境と資源守るのは一人一人の意識変革と行動の連帯
☆創価学園卒業式への池田先生のメッセージ 2019年3月17日
◇不屈の挑戦で新時代を切り開け 平和と人道の連帯を広げよ
一、さわやかに鳳雛が世界へ羽ばたく卒業式、誠におめでとう!
学園生と私の命は、いつも一緒ですから、きょうも卒業生全員と心の握手を固く交わしつつ一切を見守っております。
一人ひとりの尊い青春の力走の晴れ姿を仰ぎ見る、きょうこの日こそ、私の最大の喜びであり、最高の誉れなのであります。みんな、本当によく頑張った!
一、私の師匠である戸田城聖先生は、西暦1900年、20世紀の黎明の年に誕生しました。それから100年あまりを経た21世紀の黎明の時に、「第三の1000年」の出発を期して躍り出た使命の若人こそ、本日、巣立ちゆく皆さん方です。
皆さんの成長とともに、21世紀は明るく大きく輝きます。
21世紀の希望と栄光の第一走者たる皆さんの門出を祝して、私は三つの指針を贈ります。
◇父母を胸に
第一に、「父母を胸に! 挑戦と前進の走者たれ」と申し上げたい。
今年は、フランスの英雄・ナポレオンの生誕250年です。
いかなる困難にも「前進、また前進」と叫んで新時代を切り開いた、この英雄が残した「歴史の教訓」をめぐって、私は子孫であるナポレオン家の当主シャルル・ナポレオン公と対談集を発刊しました。
ナポレオンは若き日から、何があっても、自分を卑下したり、あきらめたりしない「負けじ魂」に燃えていました。「数々の逆運に遭っても私の魂は大理石のように堅かった。雷も私の魂には歯が立たず、私の魂の上を滑ってゆかなければならなかった」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)と言い切っております。
だからこそ、その生涯は後世の人々を「勇気があれば、道はいつでも拓ける」(『エマソン選集6 代表的人間像』酒本雅之訳、日本教文社)と励ましてやまないのです。
このナポレオンの「負けじ魂」を育んだ大きな源は何であったか。それは、気高きお母さんの存在でした。ナポレオン自身、「わたしのなしえたすべては、母のおかげだ」(アラン・ドゥコー著『ナポレオンの母』小宮正弘訳、潮出版社)と感謝をささげています。
皆さんも晴れの卒業を迎えるまでに、お母さん、お父さんをはじめ、ご家族の方々のどれほどの祈りと応援があったことか。ここで、感謝の大拍手を全員で送りたいと思うけれども、どうだろうか!(大拍手)
人間は、父母たちの恩を知り、その恩に報いてみせると決心した時、尽きることのない勇気を引き出すことができます。ゆえに、きょうよりまた、素晴らしき父母を心に抱いて、いよいよの学びの挑戦と前進の力走を、自分らしくさっそうと開始していただきたいのであります。
◇宇宙と共に
一、第二に申し上げたいことは、「宇宙と共に! 価値創造の走者たれ」ということです。
先日、日本の「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」への着地を成功させ、世界から喝采が送られました。
大宇宙と生命の起源への探究は、さらに進んでいくことでしょう。
私には、大宇宙のロマンを語り合ったブラジルの天文学者モウラン博士の洞察が思い起こされます。
"宇宙は自然の法則に従い、調和を求め、常に進化を続けている。同じように、私たち人間も常に成長し続けていくことが大切です"と。
思えば、この1秒間にも、私たちの地球は太陽の周りを約30キロという猛スピードで公転し、太陽は約7億トンともいわれる水素を転じて莫大なエネルギーを生み出しています。
そして皆さんの若き生命にも、まぎれもなく宇宙大の力と可能性が秘められているのです。それを解き放つのは、積極果敢な行動です。
私と妻の大切な友人である女性の世界初の宇宙飛行士テレシコワさんも、座して待っているのではなく、未来のために打って出て勇敢に闘ってこそ、大胆な夢もかなえることができると強調されていました。
どうか、心広々と大宇宙をも友とし味方としながら、日々、正しき生命の軌道をたゆまず進み、新たな価値を創造していってください。
◇世界の友と
一、最後に、「世界の友と! 正義と友情の走者たれ」と申し上げたい。
皆さんは、若き創価の世界市民として、人類貢献のリーダーシップを錬磨してきました。
私の世界の友人たちも、学園生に絶大なる期待を寄せてくれております。冷戦終結の大功労者ゴルバチョフ元ソ連大統領もその一人です。つい先日も、元大統領から私に「大親友へ」と著書を頂きました。
変わらざる友情と信義で結ばれた元大統領は、「人格」と「哲学の深さ」「人間性の大きさ」という創価の人道主義こそが、冷たい政治も経済も全てを温かく変えていけると信頼してくれているのです。
皆さんは、学園で結んだ一生涯の友情を宝としつつ、全世界に平和と人道の連帯を広げながら、この21世紀を「人間革命の光の世紀」と輝かせてください。そして次の22世紀へ、さらに西暦3000年へと、地球文明の偉大な創造の襷をつないでいただきたいのです。
皆さんがいずこにあっても、私は学園の先生方や職員の方々と共に、一人も残らず健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ!と祈り抜いていきます。
わが愛する卒業生に、
走り抜け
負けじの坂を
朗らかに
不屈の一歩が
明日の凱歌へ
と贈り、祝福のメッセージとします(大拍手)。
2019年3月21日木曜日
2019.03.21 わが友に贈る
一人の百歩前進より
百人が一歩前進を!
「使命の人材」が
総立ちになってこそ
新たな勝利は開かれる。
治病大小権実違目 P998
『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』
【通解】
結局は、仏法の正邪についての勝負を決する以外には、この災難はやまない。
〈寸鉄〉 2019年3月21日
「多くの人に見て候へ」御書。会って語るが広布の道。今日も足取り軽く
札幌市の北・東・厚別・清田が奮戦。燃える開拓魂で栄光の暁鐘を鳴らせ
千葉・八千代、花見川よ凱歌の旭日を断固!敢闘精神で渾身の猛追見せよ
防災グッズ用意しているは4割と。災害は忘れた頃に。自助の意識を高く
国際人種差別撤廃デー。多様性輝く社会へ。我らは生命尊厳の哲学を拡大
☆3・16青年部代表者勤行会への池田先生のメッセージ 2019年3月16日
◇師子王のごとく 空飛ぶ大鷲のごとく 人間王者の陣列を築きゆけ
わが青年部、みんな、本当にご苦労さま!
昨年3月のあの歴史的な世界青年部総会より1年、君たち一人一人の目覚ましい成長と活躍を、何より嬉しく見守っています。
地涌の拡大と人材の育成、そして立正安国の堂々たる社会貢献の戦いの息吹で「3・16」を飾ってくれて、本当にありがとう!
青年に「頼むぞ、広宣流布を!」と託された戸田先生がどれほどお喜びか。
妻と語らいながら、今朝もみんなに題目を送っています。
きょうは、三つの御聖訓を一緒に拝したい。
第一に、華陽姉妹の記念の日に寄せて、日眼女への仰せです。
すなわち「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く」(御書1109ページ)と。
御本仏・日蓮大聖人に直結して、太陽と月のように最も明るく、蓮華のように最も浄らかに咲き光っていけるのが、華陽の皆さんの生命なのです。
日々、忙しくて大変だろうけれども、何があっても題目を唱え、尊き青春の命を自信満々と輝かせ、最極の歓喜と充実と福運のスクラムを仲良く朗らかに広げていってください。
第二に、「王者」の意義を示された御金言を拝したい。
「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(同1310ページ)
闘諍言訟の乱世に、若師子のごとく、大鷲のごとく、地涌の人材が躍り出て、民衆の幸福と平和のために、戦い勝っていくことこそ、立正安国の実像である。
「法華経の将軍学」を受け継ぐ君たちは、師弟不二の正義の師子吼を轟かせ、人間王者の陣列を築き上げていただきたい。試練の烈風をものともせぬ勇気と忍耐の若き翼で、天空高く君たち自身の広布と人生の栄光を勝ち開いていくのだ。
最後に拝したいのは、「異体同心事」の一節——「悪は多けれども一善にかつ事なし」(同1463ページ)である。
若き君たちの「異体同心」の連帯ほど、強いものはない。
きょうから、韓国と日本の青年の意義深い交流も始まる。また世界聖教会館の定礎式も行われる。君たちの晴れ舞台は、いよいよ洋々と開かれている。
全世界の創価家族の祈りに応え、威風堂々と新たな勝利の金字塔を打ち立ててくれ給え! みんな元気で!
百人が一歩前進を!
「使命の人材」が
総立ちになってこそ
新たな勝利は開かれる。
治病大小権実違目 P998
『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』
【通解】
結局は、仏法の正邪についての勝負を決する以外には、この災難はやまない。
〈寸鉄〉 2019年3月21日
「多くの人に見て候へ」御書。会って語るが広布の道。今日も足取り軽く
札幌市の北・東・厚別・清田が奮戦。燃える開拓魂で栄光の暁鐘を鳴らせ
千葉・八千代、花見川よ凱歌の旭日を断固!敢闘精神で渾身の猛追見せよ
防災グッズ用意しているは4割と。災害は忘れた頃に。自助の意識を高く
国際人種差別撤廃デー。多様性輝く社会へ。我らは生命尊厳の哲学を拡大
☆3・16青年部代表者勤行会への池田先生のメッセージ 2019年3月16日
◇師子王のごとく 空飛ぶ大鷲のごとく 人間王者の陣列を築きゆけ
わが青年部、みんな、本当にご苦労さま!
昨年3月のあの歴史的な世界青年部総会より1年、君たち一人一人の目覚ましい成長と活躍を、何より嬉しく見守っています。
地涌の拡大と人材の育成、そして立正安国の堂々たる社会貢献の戦いの息吹で「3・16」を飾ってくれて、本当にありがとう!
青年に「頼むぞ、広宣流布を!」と託された戸田先生がどれほどお喜びか。
妻と語らいながら、今朝もみんなに題目を送っています。
きょうは、三つの御聖訓を一緒に拝したい。
第一に、華陽姉妹の記念の日に寄せて、日眼女への仰せです。
すなわち「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く」(御書1109ページ)と。
御本仏・日蓮大聖人に直結して、太陽と月のように最も明るく、蓮華のように最も浄らかに咲き光っていけるのが、華陽の皆さんの生命なのです。
日々、忙しくて大変だろうけれども、何があっても題目を唱え、尊き青春の命を自信満々と輝かせ、最極の歓喜と充実と福運のスクラムを仲良く朗らかに広げていってください。
第二に、「王者」の意義を示された御金言を拝したい。
「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(同1310ページ)
闘諍言訟の乱世に、若師子のごとく、大鷲のごとく、地涌の人材が躍り出て、民衆の幸福と平和のために、戦い勝っていくことこそ、立正安国の実像である。
「法華経の将軍学」を受け継ぐ君たちは、師弟不二の正義の師子吼を轟かせ、人間王者の陣列を築き上げていただきたい。試練の烈風をものともせぬ勇気と忍耐の若き翼で、天空高く君たち自身の広布と人生の栄光を勝ち開いていくのだ。
最後に拝したいのは、「異体同心事」の一節——「悪は多けれども一善にかつ事なし」(同1463ページ)である。
若き君たちの「異体同心」の連帯ほど、強いものはない。
きょうから、韓国と日本の青年の意義深い交流も始まる。また世界聖教会館の定礎式も行われる。君たちの晴れ舞台は、いよいよ洋々と開かれている。
全世界の創価家族の祈りに応え、威風堂々と新たな勝利の金字塔を打ち立ててくれ給え! みんな元気で!
2019年3月20日水曜日
2019.03.20 わが友に贈る
限りある時間を
いかに有効に使うか。
価値創造の仏法だ。
深き祈りを根本に
挑戦と前身の日々を!
異体同心事 P1464
『悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし』
【通解】
悪は多くても一善に勝つことはない。たとえば、多くの火が集まっても、一水によって消えてしまう。この一門もまた同様である。
〈寸鉄〉 2019年3月20日
広宣流布は喋りまくらねばならぬ大運動—恩師。確信の声こそ最強の利剣
埼玉・草加、上尾・伊奈町、大宮区、春日部が総立ち。攻めに徹し断固勝ち抜け
北九州・小倉北区、福岡の南・博多区が執念の猛攻。総力の拡大で栄光つかめ
桜前線が列島を北上。我らの語らいも全国縦断!さあ友好の桜花を万朶と
車上荒らし、窃盗に注意。短時間でも施錠を!貴重品やカバンは肌身離さず
☆ふるさとを照らす誉れの長者 勝利島部 2019年3月9日
日本の有人島の数は約400といわれる。勝利島部の友は、愛する島の繁栄と島民の幸せを祈り、奮闘を重ねている。ここでは、誠実な振る舞いと行動で地域に信頼を広げる二つの島の同志を紹介する。
◇東京・神津島/私の実証が広布の未来開く
東京の調布飛行場からプロペラ機で45分。伊豆諸島の中央に浮かぶ神津島にたどり着くと、浜川道子さん(婦人部副本部長兼支部婦人部長)と夫の功さん(副本部長)が出迎えてくれた。2005年に地区から支部に発展したこの島で、初代支部長・支部婦人部長として広布を支えてきた。
「この島には見所がたくさんあるの。さあ行きましょう!」。夫妻の車に乗り島巡り。潮の香りと澄んだ空気が心地良い。水質と透明度で日本一に輝いた海、海岸線に沿って延びる白浜、島の中央にそびえる天上山……。壮大な自然が織りなす景観は、まるで一幅の名画のように美しい。
「特に夏場は釣りやダイビングの観光客でにぎわうんです。でも最近は……」
島の観光客は年々減少。民宿の数も急激に減った。浜川さん夫妻も長年、民宿を営んでいたが、2010年、道子さんを甲状腺がんが襲ったことも重なり、やむなく民宿をたたんだ。
観光協会の女性理事だった道子さんにとって二重のショック。沈む心を支えたのは"勝利の実証が広布を開く"との池田先生の言葉だった。
"必ず勝つ"と決め、強気で治療に臨んだ。甲状腺と右の反回神経を切除。声なき声で真剣に題目を唱えるうち、医師も驚くほど回復した。
報恩の決意で再び広布に走り出した道子さん。にじみ出る優しさと朗らかさに吸い寄せられるように、自宅には何人もの友人や同志が訪ねてくる。体験を通して語る確信の言葉に、立ち上がった友は少なくない。
半世紀にわたり漁業を営む功さんも、交通安全協会会長などを務め、島の安全と発展に尽力。功さんが乗る「吉左丸」は近年、島で最高の水揚げ量を誇る。
「"実証を示す"との思いは皆、一緒」と功さん。
社会福祉協議会に勤務する村田篤泰さん(支部長)も、中学校の用務主事として働く川崎弘子さん(地区婦人部長)も、青年部時代から浜川さん夫妻の姿に学びながら、島の発展を願い、行動してきた同志だ。
防犯協会理事の梅田洋さん(地区部長)は、島で唯一のケーキ屋を営む。島外からも客が来るほどの評判だ。昨年に小学校の副校長として赴任してきた松延康男さん(地区部長)も、島に新たな風を送る。
離島は過疎化や高齢化という課題との間断なき戦いである。だからこそ、一人一人の存在は極めて大きい。自らが勝利の旗を打ち立てた分だけ、島の発展、創価の前進につながると皆が確信している。
「島の広布は、いよいよこれから!」——そう口をそろえる"神津島家族"の熱が、勝利島の未来を切り開く力となるに違いない。
◇長崎・生月島/島で"なくてはならぬ人"に
長崎県の北西部に浮かぶ生月島。九州本土から平戸島を経由し、生月大橋を渡った先にある島である。
内陸を見れば、樹木が生い茂る断崖と草原。その向かいには、紺碧の東シナ海が彼方まで広がる。
日が傾けば、辺り一面が茜に染まる。島の西側を走る道は、水平線に沈む夕日の美しさから「サンセットウェイ」と呼ばれ、自動車会社のCMロケ地としても有名。島の名は、はるばる海を越えて帰って来た遣唐使船の旅人が"ホッと息をついた"ことに由来するという。
「この大自然が私たち島民の誇りです」と語るのは山下恒史さん(副本部長兼支部長)。生月島で生まれ育ち、今は縫製会社の社長として奮闘する。
広島の大学に在学中に入会。卒業後は"故郷に尽くしたい"と帰島し、青年団の副団長などを務めた。
その後、縫製会社の工場長を任されたが、不景気で工場が閉鎖。負債を抱え、島外に出ることも考えた。
それでも"島で戦おう"と思えたのは、島広布を支えた同志の存在だった。
旧習深い島社会の中、草創の友は必死の思いで広布の開拓に汗を流してきた。大浦千代子さん(地区副婦人部長)もその一人。入会当時は、家族や親戚から勘当同然の扱い。折伏に歩けば塩をまかれ、悔し涙を流した。それでも"一人でも多くの島民を幸せに"と子を背負って島中を回り、地道に信頼を築いた。今では老人会の中心的存在。人望の厚い"生月広布の母"は「4人の子が皆、広布の人材に成長したことが誇り」と笑みをたたえる。
35年間、無冠の友として本紙を配達してきたのが森アヤ子さん(支部副婦人部長)。病弱な体を治したいと、毎朝3時間、島を歩いて配った。毎月、購読推進も。「おかげで入会以来、全くの病気知らず」と語る森さんの姿に、学会理解を深めた島民も多い。配達員を引退してからも島中に励ましの輪を広げる。
"先輩が切り開いた広布の道をさらに"と、先の山下さんは島に残り再起を誓った。懸命に負債を返済し、2005年に新たな縫製会社を設立。東京や大阪にも販路を広げ、今ではカンボジアからも青年を雇い、安定した経営を維持できるまでになった。「島民の多くは、誰が学会員か知っています。だからこそ皆、島で"なくてはならない人"にとの思いで頑張っているんです」。山下さんの声に力がこもった。
9年前に関西からUターンし、漁師として活躍する川渕英生さん(地区部長)の存在も心強い。
「団結」を合言葉に勇敢に信頼の道を開いてきた生月島の友。一人一人が"創価の全権大使"に。わが島を"幸福島"に——それが生月の同志の誓いである。
いかに有効に使うか。
価値創造の仏法だ。
深き祈りを根本に
挑戦と前身の日々を!
異体同心事 P1464
『悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし』
【通解】
悪は多くても一善に勝つことはない。たとえば、多くの火が集まっても、一水によって消えてしまう。この一門もまた同様である。
〈寸鉄〉 2019年3月20日
広宣流布は喋りまくらねばならぬ大運動—恩師。確信の声こそ最強の利剣
埼玉・草加、上尾・伊奈町、大宮区、春日部が総立ち。攻めに徹し断固勝ち抜け
北九州・小倉北区、福岡の南・博多区が執念の猛攻。総力の拡大で栄光つかめ
桜前線が列島を北上。我らの語らいも全国縦断!さあ友好の桜花を万朶と
車上荒らし、窃盗に注意。短時間でも施錠を!貴重品やカバンは肌身離さず
☆ふるさとを照らす誉れの長者 勝利島部 2019年3月9日
日本の有人島の数は約400といわれる。勝利島部の友は、愛する島の繁栄と島民の幸せを祈り、奮闘を重ねている。ここでは、誠実な振る舞いと行動で地域に信頼を広げる二つの島の同志を紹介する。
◇東京・神津島/私の実証が広布の未来開く
東京の調布飛行場からプロペラ機で45分。伊豆諸島の中央に浮かぶ神津島にたどり着くと、浜川道子さん(婦人部副本部長兼支部婦人部長)と夫の功さん(副本部長)が出迎えてくれた。2005年に地区から支部に発展したこの島で、初代支部長・支部婦人部長として広布を支えてきた。
「この島には見所がたくさんあるの。さあ行きましょう!」。夫妻の車に乗り島巡り。潮の香りと澄んだ空気が心地良い。水質と透明度で日本一に輝いた海、海岸線に沿って延びる白浜、島の中央にそびえる天上山……。壮大な自然が織りなす景観は、まるで一幅の名画のように美しい。
「特に夏場は釣りやダイビングの観光客でにぎわうんです。でも最近は……」
島の観光客は年々減少。民宿の数も急激に減った。浜川さん夫妻も長年、民宿を営んでいたが、2010年、道子さんを甲状腺がんが襲ったことも重なり、やむなく民宿をたたんだ。
観光協会の女性理事だった道子さんにとって二重のショック。沈む心を支えたのは"勝利の実証が広布を開く"との池田先生の言葉だった。
"必ず勝つ"と決め、強気で治療に臨んだ。甲状腺と右の反回神経を切除。声なき声で真剣に題目を唱えるうち、医師も驚くほど回復した。
報恩の決意で再び広布に走り出した道子さん。にじみ出る優しさと朗らかさに吸い寄せられるように、自宅には何人もの友人や同志が訪ねてくる。体験を通して語る確信の言葉に、立ち上がった友は少なくない。
半世紀にわたり漁業を営む功さんも、交通安全協会会長などを務め、島の安全と発展に尽力。功さんが乗る「吉左丸」は近年、島で最高の水揚げ量を誇る。
「"実証を示す"との思いは皆、一緒」と功さん。
社会福祉協議会に勤務する村田篤泰さん(支部長)も、中学校の用務主事として働く川崎弘子さん(地区婦人部長)も、青年部時代から浜川さん夫妻の姿に学びながら、島の発展を願い、行動してきた同志だ。
防犯協会理事の梅田洋さん(地区部長)は、島で唯一のケーキ屋を営む。島外からも客が来るほどの評判だ。昨年に小学校の副校長として赴任してきた松延康男さん(地区部長)も、島に新たな風を送る。
離島は過疎化や高齢化という課題との間断なき戦いである。だからこそ、一人一人の存在は極めて大きい。自らが勝利の旗を打ち立てた分だけ、島の発展、創価の前進につながると皆が確信している。
「島の広布は、いよいよこれから!」——そう口をそろえる"神津島家族"の熱が、勝利島の未来を切り開く力となるに違いない。
◇長崎・生月島/島で"なくてはならぬ人"に
長崎県の北西部に浮かぶ生月島。九州本土から平戸島を経由し、生月大橋を渡った先にある島である。
内陸を見れば、樹木が生い茂る断崖と草原。その向かいには、紺碧の東シナ海が彼方まで広がる。
日が傾けば、辺り一面が茜に染まる。島の西側を走る道は、水平線に沈む夕日の美しさから「サンセットウェイ」と呼ばれ、自動車会社のCMロケ地としても有名。島の名は、はるばる海を越えて帰って来た遣唐使船の旅人が"ホッと息をついた"ことに由来するという。
「この大自然が私たち島民の誇りです」と語るのは山下恒史さん(副本部長兼支部長)。生月島で生まれ育ち、今は縫製会社の社長として奮闘する。
広島の大学に在学中に入会。卒業後は"故郷に尽くしたい"と帰島し、青年団の副団長などを務めた。
その後、縫製会社の工場長を任されたが、不景気で工場が閉鎖。負債を抱え、島外に出ることも考えた。
それでも"島で戦おう"と思えたのは、島広布を支えた同志の存在だった。
旧習深い島社会の中、草創の友は必死の思いで広布の開拓に汗を流してきた。大浦千代子さん(地区副婦人部長)もその一人。入会当時は、家族や親戚から勘当同然の扱い。折伏に歩けば塩をまかれ、悔し涙を流した。それでも"一人でも多くの島民を幸せに"と子を背負って島中を回り、地道に信頼を築いた。今では老人会の中心的存在。人望の厚い"生月広布の母"は「4人の子が皆、広布の人材に成長したことが誇り」と笑みをたたえる。
35年間、無冠の友として本紙を配達してきたのが森アヤ子さん(支部副婦人部長)。病弱な体を治したいと、毎朝3時間、島を歩いて配った。毎月、購読推進も。「おかげで入会以来、全くの病気知らず」と語る森さんの姿に、学会理解を深めた島民も多い。配達員を引退してからも島中に励ましの輪を広げる。
"先輩が切り開いた広布の道をさらに"と、先の山下さんは島に残り再起を誓った。懸命に負債を返済し、2005年に新たな縫製会社を設立。東京や大阪にも販路を広げ、今ではカンボジアからも青年を雇い、安定した経営を維持できるまでになった。「島民の多くは、誰が学会員か知っています。だからこそ皆、島で"なくてはならない人"にとの思いで頑張っているんです」。山下さんの声に力がこもった。
9年前に関西からUターンし、漁師として活躍する川渕英生さん(地区部長)の存在も心強い。
「団結」を合言葉に勇敢に信頼の道を開いてきた生月島の友。一人一人が"創価の全権大使"に。わが島を"幸福島"に——それが生月の同志の誓いである。
2019年3月19日火曜日
2019.03.19 わが友に贈る
烈婦に燃える誓いの炎は
愛する九州の友の中に!
広布の坂を駆け上がれ!
最高峰の先駆の旗を立て
歓喜の歌を世界まで!
曾谷殿御返事 P1056
『謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなしはかなし』
【通解】
謗法を責めないでいて成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を尋ねるようなものである。はかないことである。はかないことである。
〈寸鉄〉 2019年3月19日
創大・短大で卒業式。確固たる原点があれば絶対負けない。使命の空で乱舞
島根が記念月間。声仏事の確信、胸に赤々と。壁を破る勇気の師子吼を放て
山梨婦人部が"幸の春呼ぶ月間"。さあ皆が一歩前進!心結ぶ誠実の対話を
志を立てるのに遅すぎる事はない—宰相。因果倶時の信心。勝負は今から
悪質ローン等の被害に遭う不安—若者の64%。消費者電話「188」も活用
☆虹を懸ける 池田先生とボリビア� 2019年3月9日
◇今いる場所で勝ちゆけ
日本から1万7000キロ離れたボリビアで広布に走る同志の幸福を祈り、池田先生は折々に激励の書や伝言を贈り続けた。
「いつまでも いつまでも 学会精神を忘るな」(1967年)
「人の批判するは その人の自由であり 私は私の信条のもとに ただ行動をもって進みたい」(74年)
さらに、日本や訪問先のブラジルなどで直接、友と会い、渾身の励ましを送っている。
75年、一時来日した女子部員には、次のように語った。
「ボリビアの創価学会は、お父さんやお母さんたちが築いてくれた。若い世代が仲良く、団結して守りなさい。楽しくね。朗らかにね」「どんな境涯になっても、御本尊だけは裏切らないよ。どんなことがあっても幸せになりなさい」
◇価値ある人生を
世界広布30周年を祝して埼玉で行われたSGI総会(90年9月)。会場には海を越えて集ったボリビアSGIの代表の姿もあった。
席上、池田先生は、遠来の友をねぎらい、万感を込めてスピーチした。
「皆さま方が、時間的にも経済的にもどれほど苦労し、やりくりをしながら、来日されたことか。私はよく存じ上げているつもりである」「人々の幸福のため、また自身の三世永遠に崩れぬ幸福を築きゆくために、日夜、戦い続けていく——その人生ほど、価値ある人生はない」
この場に参加していたミドリ・タケイさん(婦人部長)。「当時は2人の幼子を抱え、経済的にも厳しい状況でした。先生の真心に触れ、"師匠は、全て分かってくださっている"と、感動で胸がいっぱいになりました」
題目根本に病を乗り越えた母から信心の大切さを学んだ。15歳で父を失うが、創価家族の励ましに力を得て、悲哀を克服。結婚後、幼い子どもを連れて激励に歩き、創価の女性のスクラムを広げてきたことは黄金の思い出だ。
昨年1月、ボリビアSGIの婦人部長に。「ボリビア婦人部のモットーは"常に師と共に!"です。小説『新・人間革命』を人生の規範として、師弟共戦の新しい歴史をつづります!」
ドローレス・ヤマシロさん(婦人部方面幹事)も、タケイさんと共にSGI総会に参加した一人である。
その前日に開かれた懇談会では、海外の同志を温かく包み込む池田先生の振る舞いをまぶたに焼き付けた。
幼少期に最愛の母を亡くし、孤児院で育った。その後、働きながら学び、学生時代に知り合った夫と結婚。子宝にも恵まれたが、ある日突然、夫が蒸発してしまう。
食事にも事欠くどん底の中で、沖縄出身の義母から仏法の話を聞いた。「南無妙法蓮華経の題目を唱えれば、必ず乗り越えられるよ」。そう言い切る確信に打たれ、祈り始めた。
同時に、義母から焼きそばの作り方を教わり、小さな食堂を開店。席は四つしかなく、数日間、客が入らない日もあった。
しかし、題目を唱えると、明日への活力が湧いた。さらに、障がいの影響で、毎日服薬していた長女が、薬を飲まずに生活できるように。信心の確信を得て、88年に御本尊を受持した。徐々に食堂の客足も増え、収入も安定。経営が軌道に乗り始めた頃、夫が戻り、一家和楽が実現した。
これまで日本、ブラジル、アメリカで先生との出会いを重ねてきたドローレスさん。13年前には、1階はレストラン、2・3階は自宅、4階に広布の会場というビルを建てることができた。5人の子も、婦人部の合唱団や鼓笛隊に所属し、広布の後継者に。
これまで30世帯以上を折伏。大統領夫人が出席したSGIの女性の集いで、信仰体験を披露したこともある。
「現在、6人の友が会合に参加してくれています。信心は一生涯です。いつまでも対話に、友の励ましに歩み抜いていきます」。その表情には"価値ある人生"を生きる喜びがあふれている。
◇もう大丈夫だ
93年2月、池田先生は50カ国目の訪問国となるチリへ。役員として駆け付けたトシヒロ・ナカジマさん(壮年部長)は「ボリビアの皆さんにくれぐれもよろしく伝えてね」との先生の言葉を忘れない。
火の国・九州の熊本出身。19歳の時に母の紹介で入会した。"海外に雄飛したい"との夢を抱き、大学時代にペルーへ留学。卒業後は、ボリビアに工場を持つ建材メーカーに就職し、89年にサンタクルスへ赴任した。後に縁あって国際機関の現地支社に転職。SGIでは、同国の男子部長などを歴任してきた。
2003年10月、海外の代表らによる協議会が日本で開催。先生はナカジマさんのもとに歩み寄り、ほほ笑みながら声を掛けた。
「何年になったね?」
質問の意図が分からず、戸惑うナカジマさんに先生は再び、「ボリビアに行って、何年になったね?」と。
「14年です!」
慌てて答えると、先生は力強くうなずき、「そうか。もう大丈夫だね。心配ないね。君のことは全部分かっているからね」。
そして、懇談の後には部屋の一角にあったピアノに向かい、父子の誓いの曲"大楠公"を奏でた。
"一人の青年の行く末をここまで見守ってくださるのか"——ナカジマさんの胸に、熱いものが込み上げた。
その後、勤務する事務所が閉鎖となり、職を失う寸前になったことも。だが強盛に祈り抜く中で、さらに専門的に国際協力の舞台で働けるようになり、苦境を打開。同国の教育や保健衛生の発展に尽力してきた。
ナカジマさんの紹介で入会した妻のミスズさんは現在、ロス・アンデス方面の婦人部長。これまで夫妻で23世帯の弘教を実らせてきた。長女・ミツコさんは同方面の女子部長を務め、長男・エイイチさんはイギリスの大学で英知を磨く。
「誉れの池田門下生としてボリビアの同志と共に、創価の連帯を広げていきます!」
◇悪条件を嘆くな
共戦の魂光る同志の奮闘によって、ボリビア広布の裾野は着実に広がっていった。
1990年代に入ってからは、展示や講演会を通して、社会に人間主義の精神を発信。そのテーマは「環境」「女性」「核兵器廃絶」など多岐に及んだ。
ボリビアSGIのカツオ・タケノ理事長は振り返る。
「"池田先生の思想を伝えたい! そのためには、どんな小さな村にも行こう"という決意でした。その結果、社会に"SGIとはどんな団体なのか。ダイサク・イケダとはどのような人物なのか"といった関心が少しずつ高まっていったのです」
タケノさんは61年、長崎の諫早から一家でボリビアに移住。ジャングルを開拓し、生活の礎を築いたサンファンでの苦闘を知る一人でもある。
ラパスの高校を卒業して日本へ戻り、大阪で商社に就職。"常勝関西"の男子部で信心を磨いた。
81年、ボリビアへ帰国し、自動車部品の販売会社を起こす。机一つ、電話一つから出発し、悪戦苦闘を経て、着実に業績は向上。SGIでは青年部長として、全土を奔走した。
93年、バーリエ大学からの「名誉博士号」を皮切りに、ボリビア各界から先生への顕彰が相次ぐように。その数は国家勲章を含め100を大きく超える。それは"良き市民"として社会に尽くしてきたボリビアSGIに対する信頼の証しでもある。
先生は尊き友をたたえ、「貴国の繁栄、ボリビアSGIの発展、全同志の御活躍と御長寿を祈りつつ」との言葉と共に、タケノさんに和歌を詠み贈った。
ボリビアの
偉大な指導者
君ありて
広宣流布の
友を守れや
「あまりにも深い慈愛に心から感動しました。改めて、ボリビア広布に生涯をささげようと誓った原点です」
ボリビアSGIのスクラムは今、57年前の支部結成当時の70倍に拡大。メンバーは全9県に誕生している。
かつて池田先生は、同国の広布草創の父母たちの労苦をたたえ、随筆につづった。
「自転車や馬に乗り、数十キロの道を越えて弘教に走った。しかし、ジャングルを開墾する斧を振り上げられ、追い返された日もあった」「悪条件を嘆いても、絶対に広宣流布はできない。今いる場所で勝つしかないのだ! 自分が変わった時、環境も劇的に変わる。それが『人間革命』の法則である」
愛する九州の友の中に!
広布の坂を駆け上がれ!
最高峰の先駆の旗を立て
歓喜の歌を世界まで!
曾谷殿御返事 P1056
『謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなしはかなし』
【通解】
謗法を責めないでいて成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を尋ねるようなものである。はかないことである。はかないことである。
〈寸鉄〉 2019年3月19日
創大・短大で卒業式。確固たる原点があれば絶対負けない。使命の空で乱舞
島根が記念月間。声仏事の確信、胸に赤々と。壁を破る勇気の師子吼を放て
山梨婦人部が"幸の春呼ぶ月間"。さあ皆が一歩前進!心結ぶ誠実の対話を
志を立てるのに遅すぎる事はない—宰相。因果倶時の信心。勝負は今から
悪質ローン等の被害に遭う不安—若者の64%。消費者電話「188」も活用
☆虹を懸ける 池田先生とボリビア� 2019年3月9日
◇今いる場所で勝ちゆけ
日本から1万7000キロ離れたボリビアで広布に走る同志の幸福を祈り、池田先生は折々に激励の書や伝言を贈り続けた。
「いつまでも いつまでも 学会精神を忘るな」(1967年)
「人の批判するは その人の自由であり 私は私の信条のもとに ただ行動をもって進みたい」(74年)
さらに、日本や訪問先のブラジルなどで直接、友と会い、渾身の励ましを送っている。
75年、一時来日した女子部員には、次のように語った。
「ボリビアの創価学会は、お父さんやお母さんたちが築いてくれた。若い世代が仲良く、団結して守りなさい。楽しくね。朗らかにね」「どんな境涯になっても、御本尊だけは裏切らないよ。どんなことがあっても幸せになりなさい」
◇価値ある人生を
世界広布30周年を祝して埼玉で行われたSGI総会(90年9月)。会場には海を越えて集ったボリビアSGIの代表の姿もあった。
席上、池田先生は、遠来の友をねぎらい、万感を込めてスピーチした。
「皆さま方が、時間的にも経済的にもどれほど苦労し、やりくりをしながら、来日されたことか。私はよく存じ上げているつもりである」「人々の幸福のため、また自身の三世永遠に崩れぬ幸福を築きゆくために、日夜、戦い続けていく——その人生ほど、価値ある人生はない」
この場に参加していたミドリ・タケイさん(婦人部長)。「当時は2人の幼子を抱え、経済的にも厳しい状況でした。先生の真心に触れ、"師匠は、全て分かってくださっている"と、感動で胸がいっぱいになりました」
題目根本に病を乗り越えた母から信心の大切さを学んだ。15歳で父を失うが、創価家族の励ましに力を得て、悲哀を克服。結婚後、幼い子どもを連れて激励に歩き、創価の女性のスクラムを広げてきたことは黄金の思い出だ。
昨年1月、ボリビアSGIの婦人部長に。「ボリビア婦人部のモットーは"常に師と共に!"です。小説『新・人間革命』を人生の規範として、師弟共戦の新しい歴史をつづります!」
ドローレス・ヤマシロさん(婦人部方面幹事)も、タケイさんと共にSGI総会に参加した一人である。
その前日に開かれた懇談会では、海外の同志を温かく包み込む池田先生の振る舞いをまぶたに焼き付けた。
幼少期に最愛の母を亡くし、孤児院で育った。その後、働きながら学び、学生時代に知り合った夫と結婚。子宝にも恵まれたが、ある日突然、夫が蒸発してしまう。
食事にも事欠くどん底の中で、沖縄出身の義母から仏法の話を聞いた。「南無妙法蓮華経の題目を唱えれば、必ず乗り越えられるよ」。そう言い切る確信に打たれ、祈り始めた。
同時に、義母から焼きそばの作り方を教わり、小さな食堂を開店。席は四つしかなく、数日間、客が入らない日もあった。
しかし、題目を唱えると、明日への活力が湧いた。さらに、障がいの影響で、毎日服薬していた長女が、薬を飲まずに生活できるように。信心の確信を得て、88年に御本尊を受持した。徐々に食堂の客足も増え、収入も安定。経営が軌道に乗り始めた頃、夫が戻り、一家和楽が実現した。
これまで日本、ブラジル、アメリカで先生との出会いを重ねてきたドローレスさん。13年前には、1階はレストラン、2・3階は自宅、4階に広布の会場というビルを建てることができた。5人の子も、婦人部の合唱団や鼓笛隊に所属し、広布の後継者に。
これまで30世帯以上を折伏。大統領夫人が出席したSGIの女性の集いで、信仰体験を披露したこともある。
「現在、6人の友が会合に参加してくれています。信心は一生涯です。いつまでも対話に、友の励ましに歩み抜いていきます」。その表情には"価値ある人生"を生きる喜びがあふれている。
◇もう大丈夫だ
93年2月、池田先生は50カ国目の訪問国となるチリへ。役員として駆け付けたトシヒロ・ナカジマさん(壮年部長)は「ボリビアの皆さんにくれぐれもよろしく伝えてね」との先生の言葉を忘れない。
火の国・九州の熊本出身。19歳の時に母の紹介で入会した。"海外に雄飛したい"との夢を抱き、大学時代にペルーへ留学。卒業後は、ボリビアに工場を持つ建材メーカーに就職し、89年にサンタクルスへ赴任した。後に縁あって国際機関の現地支社に転職。SGIでは、同国の男子部長などを歴任してきた。
2003年10月、海外の代表らによる協議会が日本で開催。先生はナカジマさんのもとに歩み寄り、ほほ笑みながら声を掛けた。
「何年になったね?」
質問の意図が分からず、戸惑うナカジマさんに先生は再び、「ボリビアに行って、何年になったね?」と。
「14年です!」
慌てて答えると、先生は力強くうなずき、「そうか。もう大丈夫だね。心配ないね。君のことは全部分かっているからね」。
そして、懇談の後には部屋の一角にあったピアノに向かい、父子の誓いの曲"大楠公"を奏でた。
"一人の青年の行く末をここまで見守ってくださるのか"——ナカジマさんの胸に、熱いものが込み上げた。
その後、勤務する事務所が閉鎖となり、職を失う寸前になったことも。だが強盛に祈り抜く中で、さらに専門的に国際協力の舞台で働けるようになり、苦境を打開。同国の教育や保健衛生の発展に尽力してきた。
ナカジマさんの紹介で入会した妻のミスズさんは現在、ロス・アンデス方面の婦人部長。これまで夫妻で23世帯の弘教を実らせてきた。長女・ミツコさんは同方面の女子部長を務め、長男・エイイチさんはイギリスの大学で英知を磨く。
「誉れの池田門下生としてボリビアの同志と共に、創価の連帯を広げていきます!」
◇悪条件を嘆くな
共戦の魂光る同志の奮闘によって、ボリビア広布の裾野は着実に広がっていった。
1990年代に入ってからは、展示や講演会を通して、社会に人間主義の精神を発信。そのテーマは「環境」「女性」「核兵器廃絶」など多岐に及んだ。
ボリビアSGIのカツオ・タケノ理事長は振り返る。
「"池田先生の思想を伝えたい! そのためには、どんな小さな村にも行こう"という決意でした。その結果、社会に"SGIとはどんな団体なのか。ダイサク・イケダとはどのような人物なのか"といった関心が少しずつ高まっていったのです」
タケノさんは61年、長崎の諫早から一家でボリビアに移住。ジャングルを開拓し、生活の礎を築いたサンファンでの苦闘を知る一人でもある。
ラパスの高校を卒業して日本へ戻り、大阪で商社に就職。"常勝関西"の男子部で信心を磨いた。
81年、ボリビアへ帰国し、自動車部品の販売会社を起こす。机一つ、電話一つから出発し、悪戦苦闘を経て、着実に業績は向上。SGIでは青年部長として、全土を奔走した。
93年、バーリエ大学からの「名誉博士号」を皮切りに、ボリビア各界から先生への顕彰が相次ぐように。その数は国家勲章を含め100を大きく超える。それは"良き市民"として社会に尽くしてきたボリビアSGIに対する信頼の証しでもある。
先生は尊き友をたたえ、「貴国の繁栄、ボリビアSGIの発展、全同志の御活躍と御長寿を祈りつつ」との言葉と共に、タケノさんに和歌を詠み贈った。
ボリビアの
偉大な指導者
君ありて
広宣流布の
友を守れや
「あまりにも深い慈愛に心から感動しました。改めて、ボリビア広布に生涯をささげようと誓った原点です」
ボリビアSGIのスクラムは今、57年前の支部結成当時の70倍に拡大。メンバーは全9県に誕生している。
かつて池田先生は、同国の広布草創の父母たちの労苦をたたえ、随筆につづった。
「自転車や馬に乗り、数十キロの道を越えて弘教に走った。しかし、ジャングルを開墾する斧を振り上げられ、追い返された日もあった」「悪条件を嘆いても、絶対に広宣流布はできない。今いる場所で勝つしかないのだ! 自分が変わった時、環境も劇的に変わる。それが『人間革命』の法則である」
2019年3月18日月曜日
2019.03.18 わが友に贈る
◇今週のことば
「私が創価学会だ」と
誇りも高く進みゆこう!
「弥弥悦びをなすべし」
不屈の信力・行力で
無量の仏力・法力を!
2019年3月18日
乙御前御消息 P1219
『犬は師子をほうれば腸くさる修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る』
【通解】
犬は、師子に向かって吠えれば腸がくさり、阿修羅は日輪(太陽)を矢で射れば、頭が七分に破れる。
〈寸鉄〉 2019年3月18日
「大風吹けば草木しづかならず」御書。大確信で祈り抜け。諸天を動かせ
北陸婦人部が拡大月間。愛する地域に友情の花は爛漫。希望と歓喜の連帯
郷土ルネサンスを—誓い燃える福井婦人部の日。揺るがぬ信念で勝利開け
改元で銀行カード変更が必要—これ詐欺の手口。暗証番号等は絶対教えず
SNSでの犯罪被害は低年齢化。親子の話し合い大切に。危機意識を強く
☆勇気の旗高く 池田先生と熊本 2019年3月8日
◇創価の師弟に「越せない坂」はない
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は熊本県を掲載する。
◇人材の城を築け
池田先生と熊本の同志を固く結ぶ歌がある。
西南戦争の激戦地・田原坂(熊本市北区)での激闘を歌った「田原坂」。
先生が初めて熊本を訪れたのは1958年(昭和33年)11月。以来、この歌を通し、広布と人生の坂を越えよと訴えてきた。
先生は、難攻不落の名城・熊本城に触れて、語っている。「加藤清正は、築城の名将とうたわれた人です。私たちは、人材の城を築くのです。勝とう! 清く! 正しく!」
そして「田原坂」の歌詞を通して呼び掛けた。
「越すにこされぬ田原坂——ここのところが大事なのです。広布の戦は越せなかったら退転です。どんなことがあっても、たとえ一人になっても越すのです」
81年(同56年)12月、先生は、邪宗門の悪僧や反逆者らの攻撃に耐え抜いた熊本の同志のもとへ。熊本文化会館(当時)近くの壱町畑公園で「田原坂」を共に大合唱し、師走の空に1500人の師弟勝利の万歳が轟いた。
先生は、この時の真情を随筆につづっている。
嫉妬と陰湿な謀略を抱ける坊主らに、最も苦しめ抜かれた地である。
その悔しさをはね返すために、雄々しき熊本健児は、わが熊本文化会館のそばの、壱町畑公園に集まった。
♪雨はふるふる 人馬はぬれる
越すにこされぬ 田原坂
右手に血刀 左手に手綱
馬上ゆたかな 美少年
天下取るまで 大事な身体
蚤にくわせて なるものか
私は深く決意した。
この尊き同志たちを、"蚤"にも劣る邪険な奴らに食わせてなるものかと。
雄渾なる魂の熊本の同志たちは、邪悪な坊主たちによる"険難の田原坂"を、堂々と勝ち越えていった。
悔し涙に濡れた頬は、今、笑顔に光っていた。戦いは断固として勝たねばならぬ。
◇最後は必ず勝つ
この熊本訪問の折、先生は阿蘇の白菊講堂(当時)へ。「苦労をかけたね。さあ、戦闘開始だ!」と、一人一人を全身全霊で励ましていった。
講堂の上空には、先生を迎えるように、三つの凧が舞っていた。凧を揚げた高等部員には、「君も、未来の大空を悠々と舞ってください」と。
難病の筋ジストロフィーのため、車いすに乗っていた高等部員には、体をさすりながら「強く生きるんですよ。使命のない人はいません。自分に負けない人が勝利者です」と、勇気の火をともした。
さらに女子部には、純粋な信心をたたえて「白菊の その名の如き 乙女等が 茜の夕日に 瞳ひかりぬ」と和歌を。熊本文化会館で開かれた自由勤行会(81年12月15日)では、いかなる坂をも越えゆく師弟の魂を訴えた。
安穏な人生、必ずしも幸福とは言い切れない。また、安穏にみえても、人は何かに必ず悩みがあるものである。そのさまざまな悩みを、幸福への発条にし、偉大なる人生へと転化できるところに信心の素晴らしさがあるのだ。
万策尽きて、生活や人生に敗れることがあったとしても、我々には大聖人という、永遠にして成仏への根本の師匠がおられる。また、御本尊がある。信心さえ破られなければ、師弟不二の原理から最後は必ず勝つのである。
人生には、いろいろな坂がある。その宿命的な坂を一つ一つ乗り越えていくのが人生であり信心である。
◇信心の「一念」
90年(平成2年)9月、熊本平和会館での熊本・大分合同の集い。先生は「男子部はいるかい?」と。「はいっ!」と勢いよく立ち上がった男子部に、「皆で『田原坂』を歌おう!」と提案した。後継の若武者たちの熱唱に、ひときわ大きな喝采を送った。
さらに婦人部には、「永遠の幸福を 勝ちとるために 今日も 信心の戦いを」と指針を贈っている。
"いざ"という時に、人の心は"鏡"に映すように明らかになってしまう。とくに"妙法の鏡"に照らしてみれば、善悪ともに「因果倶時」で、生命の実相が、一点の差し引きもなく浮かび上がってくる。信心の「一念」は、まことに厳しい。
広布の戦いにあって、急所、急所となる場面での、同志の言葉、行動は、映写機のように私は脳裏に焼き付けている。"この人は信頼できる""立派な信心だな"と。その方々のことを、私は永遠に忘れることはできない。
「火の国」熊本の友には、炎のごとき正義の心がある。
本年は「"妙法の肥後もっこす"たれ」との指針が示された熊本県幹部会(69年11月)から、50周年の節を刻む。
「肥後」は熊本県の旧国名で、「もっこす」は気骨者、意地っ張りなどを意味する。
先生は熊本の県民性に触れつつ、次のように訴えた。
頑固一徹のもっこす精神も、妙法の光を当てた時、民衆を利用しようとする権力や邪悪に対する反骨精神となる。これは、学会精神です。私たちは"肥後もっこす"でいこう!
私は生涯、庶民の味方として戦い、仏法を実践して、皆さんと苦楽を共に生き抜いていきます。
さらに先生は、"広宣流布は「仏」と「魔」との間断なき闘争である。立正安国の道を歩み抜こう"と強調。「熊本は勝つぞ!」との師の闘魂に、友の胸は炎と燃えた。
◇不撓不屈の誓い
4月14日で熊本地震の発生から3年となる。
熊本総県では、毎月14日を「不撓不屈 祈念の日」と定め、地域の復興を強く祈り、前進を続けてきた。
地震直後の4月20日、池田先生は随筆で、熊本の同志に全魂の励ましを送った。それは同志の希望の指標となり、師弟の誓いと輝いている。
苦難に遭遇した時に、「師子王の心」を取り出し、最大の生命の底力を発揮して、一切の艱難の山を登り切ってみせる。これが日蓮仏法の極意であり、創価の師弟の誇りです。
断じて、負けるな!
今こそ不撓不屈たれ!
「未来までの・ものがたり(物語)なに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)と謳われゆく「異体同心」と「変毒為薬」の凱歌の歴史を頼みます。
相手の仏性を信じ、一人また一人と語りかける我らの勇気の対話こそ、大聖人のお心に直結した慈悲の行動である。大事なことは友の幸福を祈り抜くことだ。立正安国への誓願の祈りだ。その深き祈りを根本とした言論こそ、無敵の力なのである。
創価の師弟に、「越せない坂」は絶対にない!
これが、未来永遠に変わらざる九州同志と私との不撓不屈の誓いだ。
「私が創価学会だ」と
誇りも高く進みゆこう!
「弥弥悦びをなすべし」
不屈の信力・行力で
無量の仏力・法力を!
2019年3月18日
乙御前御消息 P1219
『犬は師子をほうれば腸くさる修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る』
【通解】
犬は、師子に向かって吠えれば腸がくさり、阿修羅は日輪(太陽)を矢で射れば、頭が七分に破れる。
〈寸鉄〉 2019年3月18日
「大風吹けば草木しづかならず」御書。大確信で祈り抜け。諸天を動かせ
北陸婦人部が拡大月間。愛する地域に友情の花は爛漫。希望と歓喜の連帯
郷土ルネサンスを—誓い燃える福井婦人部の日。揺るがぬ信念で勝利開け
改元で銀行カード変更が必要—これ詐欺の手口。暗証番号等は絶対教えず
SNSでの犯罪被害は低年齢化。親子の話し合い大切に。危機意識を強く
☆勇気の旗高く 池田先生と熊本 2019年3月8日
◇創価の師弟に「越せない坂」はない
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は熊本県を掲載する。
◇人材の城を築け
池田先生と熊本の同志を固く結ぶ歌がある。
西南戦争の激戦地・田原坂(熊本市北区)での激闘を歌った「田原坂」。
先生が初めて熊本を訪れたのは1958年(昭和33年)11月。以来、この歌を通し、広布と人生の坂を越えよと訴えてきた。
先生は、難攻不落の名城・熊本城に触れて、語っている。「加藤清正は、築城の名将とうたわれた人です。私たちは、人材の城を築くのです。勝とう! 清く! 正しく!」
そして「田原坂」の歌詞を通して呼び掛けた。
「越すにこされぬ田原坂——ここのところが大事なのです。広布の戦は越せなかったら退転です。どんなことがあっても、たとえ一人になっても越すのです」
81年(同56年)12月、先生は、邪宗門の悪僧や反逆者らの攻撃に耐え抜いた熊本の同志のもとへ。熊本文化会館(当時)近くの壱町畑公園で「田原坂」を共に大合唱し、師走の空に1500人の師弟勝利の万歳が轟いた。
先生は、この時の真情を随筆につづっている。
嫉妬と陰湿な謀略を抱ける坊主らに、最も苦しめ抜かれた地である。
その悔しさをはね返すために、雄々しき熊本健児は、わが熊本文化会館のそばの、壱町畑公園に集まった。
♪雨はふるふる 人馬はぬれる
越すにこされぬ 田原坂
右手に血刀 左手に手綱
馬上ゆたかな 美少年
天下取るまで 大事な身体
蚤にくわせて なるものか
私は深く決意した。
この尊き同志たちを、"蚤"にも劣る邪険な奴らに食わせてなるものかと。
雄渾なる魂の熊本の同志たちは、邪悪な坊主たちによる"険難の田原坂"を、堂々と勝ち越えていった。
悔し涙に濡れた頬は、今、笑顔に光っていた。戦いは断固として勝たねばならぬ。
◇最後は必ず勝つ
この熊本訪問の折、先生は阿蘇の白菊講堂(当時)へ。「苦労をかけたね。さあ、戦闘開始だ!」と、一人一人を全身全霊で励ましていった。
講堂の上空には、先生を迎えるように、三つの凧が舞っていた。凧を揚げた高等部員には、「君も、未来の大空を悠々と舞ってください」と。
難病の筋ジストロフィーのため、車いすに乗っていた高等部員には、体をさすりながら「強く生きるんですよ。使命のない人はいません。自分に負けない人が勝利者です」と、勇気の火をともした。
さらに女子部には、純粋な信心をたたえて「白菊の その名の如き 乙女等が 茜の夕日に 瞳ひかりぬ」と和歌を。熊本文化会館で開かれた自由勤行会(81年12月15日)では、いかなる坂をも越えゆく師弟の魂を訴えた。
安穏な人生、必ずしも幸福とは言い切れない。また、安穏にみえても、人は何かに必ず悩みがあるものである。そのさまざまな悩みを、幸福への発条にし、偉大なる人生へと転化できるところに信心の素晴らしさがあるのだ。
万策尽きて、生活や人生に敗れることがあったとしても、我々には大聖人という、永遠にして成仏への根本の師匠がおられる。また、御本尊がある。信心さえ破られなければ、師弟不二の原理から最後は必ず勝つのである。
人生には、いろいろな坂がある。その宿命的な坂を一つ一つ乗り越えていくのが人生であり信心である。
◇信心の「一念」
90年(平成2年)9月、熊本平和会館での熊本・大分合同の集い。先生は「男子部はいるかい?」と。「はいっ!」と勢いよく立ち上がった男子部に、「皆で『田原坂』を歌おう!」と提案した。後継の若武者たちの熱唱に、ひときわ大きな喝采を送った。
さらに婦人部には、「永遠の幸福を 勝ちとるために 今日も 信心の戦いを」と指針を贈っている。
"いざ"という時に、人の心は"鏡"に映すように明らかになってしまう。とくに"妙法の鏡"に照らしてみれば、善悪ともに「因果倶時」で、生命の実相が、一点の差し引きもなく浮かび上がってくる。信心の「一念」は、まことに厳しい。
広布の戦いにあって、急所、急所となる場面での、同志の言葉、行動は、映写機のように私は脳裏に焼き付けている。"この人は信頼できる""立派な信心だな"と。その方々のことを、私は永遠に忘れることはできない。
「火の国」熊本の友には、炎のごとき正義の心がある。
本年は「"妙法の肥後もっこす"たれ」との指針が示された熊本県幹部会(69年11月)から、50周年の節を刻む。
「肥後」は熊本県の旧国名で、「もっこす」は気骨者、意地っ張りなどを意味する。
先生は熊本の県民性に触れつつ、次のように訴えた。
頑固一徹のもっこす精神も、妙法の光を当てた時、民衆を利用しようとする権力や邪悪に対する反骨精神となる。これは、学会精神です。私たちは"肥後もっこす"でいこう!
私は生涯、庶民の味方として戦い、仏法を実践して、皆さんと苦楽を共に生き抜いていきます。
さらに先生は、"広宣流布は「仏」と「魔」との間断なき闘争である。立正安国の道を歩み抜こう"と強調。「熊本は勝つぞ!」との師の闘魂に、友の胸は炎と燃えた。
◇不撓不屈の誓い
4月14日で熊本地震の発生から3年となる。
熊本総県では、毎月14日を「不撓不屈 祈念の日」と定め、地域の復興を強く祈り、前進を続けてきた。
地震直後の4月20日、池田先生は随筆で、熊本の同志に全魂の励ましを送った。それは同志の希望の指標となり、師弟の誓いと輝いている。
苦難に遭遇した時に、「師子王の心」を取り出し、最大の生命の底力を発揮して、一切の艱難の山を登り切ってみせる。これが日蓮仏法の極意であり、創価の師弟の誇りです。
断じて、負けるな!
今こそ不撓不屈たれ!
「未来までの・ものがたり(物語)なに事か・これにすぎ候べき」(御書1086ページ)と謳われゆく「異体同心」と「変毒為薬」の凱歌の歴史を頼みます。
相手の仏性を信じ、一人また一人と語りかける我らの勇気の対話こそ、大聖人のお心に直結した慈悲の行動である。大事なことは友の幸福を祈り抜くことだ。立正安国への誓願の祈りだ。その深き祈りを根本とした言論こそ、無敵の力なのである。
創価の師弟に、「越せない坂」は絶対にない!
これが、未来永遠に変わらざる九州同志と私との不撓不屈の誓いだ。
2019年3月17日日曜日
2019.03.17 わが友に贈る
「強言なれども
人をたすくれば実語」
堂々と正義を語ろう!
「誠実」の行動には
「信用」が必ず残る。
一生成仏抄 P384
『迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し』
【通解】
迷う時は衆生と名づけ、悟る時を仏と名づけたのである。たとえば、曇っている鏡も磨いたならば、輝く玉のように見えるようなものである。
〈寸鉄〉 2019年3月17日
東西創価学園で卒業式。英知の翼で世界を結べ!創立者の心を生涯抱いて
新潟の長岡・三島、長野の飯田・下伊那が不撓不屈の攻勢。勇気で勝ち抜け
鹿児島市・鹿児島郡、福岡市東区よ一気呵成に押し捲れ!大九州に勝ち鬨を
「命と申す物は一身第一の珍宝」御書。尊き人生を悔いなく。今を完全燃焼
医療ヘリ導入で事故から治療までの時間半減と。公明よ人命守る実績更に
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 立正安国論(下) 2019年3月9日
◇対話の花を咲かせ、歓喜の春を! 平和と安穏の社会を築く
今月は、「立正安国論」の後半を学びます。
池田先生は、本抄を拝して語っています。
「立正安国は、人類の夢の実現です。悲願の達成です。若き諸君は、その目標に向かって、一日一日を勝ち進んでほしい。立正安国の実践に徹する時、仏の力を出すことができる。人間は最も強くなれる。(中略)自分自身の人間革命に挑みながら、大いなる『正義の勝利の大連帯』を社会に、世界に広げていってもらいたいのです」
「立正安国」の大哲理を心に刻み、希望に燃えて「人間革命」の挑戦を開始していきましょう。(拝読範囲は、御書26ページ13行目~最後です)
◇本抄について
本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。客(時頼を想定)と主人(大聖人を想定)の問答形式で記されています。
「立正安国(正を立て国を安んず)」とは、人々が正法を信受し、仏法の思想が社会の基本原理として確立することによって(立正)、社会の繁栄と世界の平和を築く(安国)との意味です。
本書の御執筆当時、飢饉、疫病に加え、大地震などの自然災害が相次ぎ、民衆は苦悩の底にありました。
問答の中で主人は、災難の根本原因が、生命尊厳の正法たる法華経を否定する「謗法」にあると明かします。
そして、このままでは、三災七難のうちまだ起きていない「自界叛逆難(内乱)」「他国侵逼難(他国からの侵略)」が必ず起こると警告し、一刻も早く「実乗の一善(妙法)」に帰依するよう、客に促します。
最後に、客は謗法の教えを捨てて正法に帰依することを誓います。この言葉が本書全体の結論となっています。
◇御文
『広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸って鎮に謗教の網に纒る、此の朦霧の迷彼の盛 の底に沈む豈愁えざらんや豈苦まざらんや、汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し』(御書32ページ13行目〜17行目)
◇通解
多くの経に広く目を通すと、何よりも謗法を重大なこととしている。なんと悲しいことだろうか、皆、正法の門を出て邪法の牢獄に深く入ることは。なんと愚かなことだろうか、それぞれが悪い教えの綱に懸かって永久に謗法の教えの網に纏わりつかれることは。朦朧と立ち込める霧のようなこの迷いによって、激しく燃え盛るあの炎の地獄の底に沈む。どうして憂えずにいられるだろうか、どうして苦しまずにいられるだろうか。
あなたは早速ささやかな信仰の心を改めて、速やかに本当に成仏へ至らせる教えである唯一の善い法に帰依しなさい。そうすれば、三界は皆、仏国である。仏国がどうして衰えることがあるだろうか。十方はことごとく宝土である。宝土がどうして壊れることがあるだろうか。国が衰えることがなく国土が壊れることがないなら、身は安全であり、心は動揺することがないだろう。これらの言葉を信じて敬わなければならない。
◇解説
掲げた御文の前段までで、客は、法然の念仏こそが災難の根本原因であることを理解し、謗法の悪僧への布施を止め、正しい僧を重んじるとの決意を述べます。
主人は客の変化を喜びつつ、さらに経文を引いて、謗法がいかに重罪であるかを示します。
掲げた御文の冒頭で大聖人は、人々が謗法によって苦悩に沈んでいることを嘆き悲しむ心情をつづられます。そして、民衆を救い、社会の安穏を実現する方途として、本抄の結論である「立正安国」の原理を示されるのです。
まず、「信仰の寸心」を改める——根底から一念を変革するという意味です。
一切は、一人の「心の変革」から始まります。私たちの実践でいえば、まさに「人間革命」にほかなりません。
続いて、「実乗の一善」に基づいていくべきと仰せです。
「実乗の一善」とは、法華経の根本善であり、万人に具わる仏の生命を、各人が開き、成仏できるという法理です。
この究極の「生命尊厳」「人間尊敬」の哲理を社会の根本精神とすることで、「仏国土」、すなわち、自他共の幸福を実現しゆく平和と安穏の世界を築くことができるのです。
そして本抄は、正法に目覚めた客の決意で結ばれます。「立正安国」という大理想を実現する焦点は、いかなる相手をも味方に変えゆく誠実の対話であると拝せます。
池田先生は、「『一人』を大切にし、一対一の対話に徹する、この『創価』の心の中に、『立正』の実践も、『安国』の使命も包含されています」と語っています。
縁する友の幸福を祈り、勇気を奮い起こして仏法を語る。目の前の一人を励ます——こうした日々の学会活動こそ、「立正安国」への直道であることは間違いありません。
広布後継の「3・16」は目前です。私たちは、正義と友情の対話の花を咲かせ、創価勝利の"歓喜の春"を迎えていきましょう!
◇池田先生の講義から
仏の生命を開き現すには、妙法という最高の縁をもって働きかけるしかありません。妙法を持った私たちが真実を語った分だけ、仏縁が拡大されるのです。
いよいよ「対話の春」です。一人ひとりが自身の人間革命に果敢に挑戦し、社会の変革のため、民衆の安穏のため、あの友にこの友に、対話につぐ対話の潮流を巻き起こしていこうではありませんか。
「立正安国」とは、即「世界平和」にほかなりません。
私たちは、どこまでも「対話」という平和的手段で、善の連帯を広げていくのです。
この私たちの対話は、人間の力を復興する戦いです。
私たちの対話が、社会を変え、世界を結び、未来を創ります。
私たちの対話には、希望があります。
生命の可能性を開く蘇生の力があります。
勝利と勇気と確信があります。
「人間を信ずる力」によって民衆の時代を築くのが、私たちの「立正安国」の対話なのです。(「勝利の経典『御書』に学ぶ」第22巻)
研さんのために
…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
…『御書と青年』(同)
…『御書と師弟』第2巻(同)
人をたすくれば実語」
堂々と正義を語ろう!
「誠実」の行動には
「信用」が必ず残る。
一生成仏抄 P384
『迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し』
【通解】
迷う時は衆生と名づけ、悟る時を仏と名づけたのである。たとえば、曇っている鏡も磨いたならば、輝く玉のように見えるようなものである。
〈寸鉄〉 2019年3月17日
東西創価学園で卒業式。英知の翼で世界を結べ!創立者の心を生涯抱いて
新潟の長岡・三島、長野の飯田・下伊那が不撓不屈の攻勢。勇気で勝ち抜け
鹿児島市・鹿児島郡、福岡市東区よ一気呵成に押し捲れ!大九州に勝ち鬨を
「命と申す物は一身第一の珍宝」御書。尊き人生を悔いなく。今を完全燃焼
医療ヘリ導入で事故から治療までの時間半減と。公明よ人命守る実績更に
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 立正安国論(下) 2019年3月9日
◇対話の花を咲かせ、歓喜の春を! 平和と安穏の社会を築く
今月は、「立正安国論」の後半を学びます。
池田先生は、本抄を拝して語っています。
「立正安国は、人類の夢の実現です。悲願の達成です。若き諸君は、その目標に向かって、一日一日を勝ち進んでほしい。立正安国の実践に徹する時、仏の力を出すことができる。人間は最も強くなれる。(中略)自分自身の人間革命に挑みながら、大いなる『正義の勝利の大連帯』を社会に、世界に広げていってもらいたいのです」
「立正安国」の大哲理を心に刻み、希望に燃えて「人間革命」の挑戦を開始していきましょう。(拝読範囲は、御書26ページ13行目~最後です)
◇本抄について
本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。客(時頼を想定)と主人(大聖人を想定)の問答形式で記されています。
「立正安国(正を立て国を安んず)」とは、人々が正法を信受し、仏法の思想が社会の基本原理として確立することによって(立正)、社会の繁栄と世界の平和を築く(安国)との意味です。
本書の御執筆当時、飢饉、疫病に加え、大地震などの自然災害が相次ぎ、民衆は苦悩の底にありました。
問答の中で主人は、災難の根本原因が、生命尊厳の正法たる法華経を否定する「謗法」にあると明かします。
そして、このままでは、三災七難のうちまだ起きていない「自界叛逆難(内乱)」「他国侵逼難(他国からの侵略)」が必ず起こると警告し、一刻も早く「実乗の一善(妙法)」に帰依するよう、客に促します。
最後に、客は謗法の教えを捨てて正法に帰依することを誓います。この言葉が本書全体の結論となっています。
◇御文
『広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸って鎮に謗教の網に纒る、此の朦霧の迷彼の盛 の底に沈む豈愁えざらんや豈苦まざらんや、汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し』(御書32ページ13行目〜17行目)
◇通解
多くの経に広く目を通すと、何よりも謗法を重大なこととしている。なんと悲しいことだろうか、皆、正法の門を出て邪法の牢獄に深く入ることは。なんと愚かなことだろうか、それぞれが悪い教えの綱に懸かって永久に謗法の教えの網に纏わりつかれることは。朦朧と立ち込める霧のようなこの迷いによって、激しく燃え盛るあの炎の地獄の底に沈む。どうして憂えずにいられるだろうか、どうして苦しまずにいられるだろうか。
あなたは早速ささやかな信仰の心を改めて、速やかに本当に成仏へ至らせる教えである唯一の善い法に帰依しなさい。そうすれば、三界は皆、仏国である。仏国がどうして衰えることがあるだろうか。十方はことごとく宝土である。宝土がどうして壊れることがあるだろうか。国が衰えることがなく国土が壊れることがないなら、身は安全であり、心は動揺することがないだろう。これらの言葉を信じて敬わなければならない。
◇解説
掲げた御文の前段までで、客は、法然の念仏こそが災難の根本原因であることを理解し、謗法の悪僧への布施を止め、正しい僧を重んじるとの決意を述べます。
主人は客の変化を喜びつつ、さらに経文を引いて、謗法がいかに重罪であるかを示します。
掲げた御文の冒頭で大聖人は、人々が謗法によって苦悩に沈んでいることを嘆き悲しむ心情をつづられます。そして、民衆を救い、社会の安穏を実現する方途として、本抄の結論である「立正安国」の原理を示されるのです。
まず、「信仰の寸心」を改める——根底から一念を変革するという意味です。
一切は、一人の「心の変革」から始まります。私たちの実践でいえば、まさに「人間革命」にほかなりません。
続いて、「実乗の一善」に基づいていくべきと仰せです。
「実乗の一善」とは、法華経の根本善であり、万人に具わる仏の生命を、各人が開き、成仏できるという法理です。
この究極の「生命尊厳」「人間尊敬」の哲理を社会の根本精神とすることで、「仏国土」、すなわち、自他共の幸福を実現しゆく平和と安穏の世界を築くことができるのです。
そして本抄は、正法に目覚めた客の決意で結ばれます。「立正安国」という大理想を実現する焦点は、いかなる相手をも味方に変えゆく誠実の対話であると拝せます。
池田先生は、「『一人』を大切にし、一対一の対話に徹する、この『創価』の心の中に、『立正』の実践も、『安国』の使命も包含されています」と語っています。
縁する友の幸福を祈り、勇気を奮い起こして仏法を語る。目の前の一人を励ます——こうした日々の学会活動こそ、「立正安国」への直道であることは間違いありません。
広布後継の「3・16」は目前です。私たちは、正義と友情の対話の花を咲かせ、創価勝利の"歓喜の春"を迎えていきましょう!
◇池田先生の講義から
仏の生命を開き現すには、妙法という最高の縁をもって働きかけるしかありません。妙法を持った私たちが真実を語った分だけ、仏縁が拡大されるのです。
いよいよ「対話の春」です。一人ひとりが自身の人間革命に果敢に挑戦し、社会の変革のため、民衆の安穏のため、あの友にこの友に、対話につぐ対話の潮流を巻き起こしていこうではありませんか。
「立正安国」とは、即「世界平和」にほかなりません。
私たちは、どこまでも「対話」という平和的手段で、善の連帯を広げていくのです。
この私たちの対話は、人間の力を復興する戦いです。
私たちの対話が、社会を変え、世界を結び、未来を創ります。
私たちの対話には、希望があります。
生命の可能性を開く蘇生の力があります。
勝利と勇気と確信があります。
「人間を信ずる力」によって民衆の時代を築くのが、私たちの「立正安国」の対話なのです。(「勝利の経典『御書』に学ぶ」第22巻)
研さんのために
…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
…『御書と青年』(同)
…『御書と師弟』第2巻(同)
2019年3月16日土曜日
2019.03.16 わが友に贈る
創価桜 満開の春へ
皆で広布拡大に挑み
凱歌の歴史を綴ろう!
異体同心の団結固く
歓喜あふれる大前進を!
盂蘭盆御書 P1430
『悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う』
【通解】
悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。
善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。
また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。
〈寸鉄〉 2019年3月16日
師弟の魂 刻む「3・16」。誓願に生きる人は強し!青年よ立ち上がる時は今
宮崎・延岡市、福岡・早良区が一瀉千里の力走!先駆の心で拡大。勝利必ず
滋賀・大津市、兵庫・須磨区、奈良の友が勇戦!正義の対話で栄光の扉開け
「一念三千は抜苦与楽なり」御書。幹部は励ましの達人に。友の為に駆けよ
花粉飛散ピーク。マスク、服薬、洗顔、嗽等で症状は緩和と。賢く健康第一で
☆随筆「人間革命」光あれ 福光勝利の春 2019年3月11日
君も不屈なり 貴女も偉大なり
負けじ魂で! 永遠の人材城を共に
東北の「心の財」の輝きを 世界が讃嘆
今も深く温かく、心に響く恩師の声がある。
「昭和三十一年」(一九五六年)の四月、宮城訪問の折、東北放送のラジオ・インタビューに応じられたのである。
「特に仙台の方々に望むというようなことはございますか?」とのアナウンサーの問いかけに、戸田先生は即答された。
「一日も早く幸福になれ!と。これが私の主張です」
ただただ幸せになってほしい。一人でも多く幸せにしてほしい——。こよなく愛されていた東北の友への真情であった。
東北に続いて訪れた関西でも、雨の大阪球場で先生は師子吼なされた。
——正しい信心に立つならば、皆、必ず幸福になる。民衆救済に立つ者こそ日蓮大聖人の弟子である。立正安国のため、社会のため、民衆のため、大確信に立って行動していただきたい、と。
六十三星霜を経た本年「平成三十一年」の春を、福光勝利の創価桜で飾りゆこうと、全宝友が勇気凜々と前進している。
恩師は、いかばかり讃えてくださるだろうか。
◇生き抜いた8年
八年前(二〇一一年)のあの三月十一日。
思いもかけぬ巨大地震と大津波。続いて起こった原発事故——。「東日本大震災」は、まさに未曽有の大苦難であった。
あれから、どれほど言語に絶する艱難と不安の風雪を堪え忍ばねばならなかったことか。
皆で新たな出会いと絆を広げ、支え支えられて、互いの思いを重ねつつ寄り添ってこられた。苦悩に打ちひしがれた友のため、我が身を顧みず、億劫の辛労を尽くしてくださったのだ。
まさしく仏であり、菩薩の振る舞いである。
福島県の富岡町にある双葉会館では、今年の正月、震災後初となる新年勤行会が行われた。
県内外から百十一人の友が集った。大震災の年の新年勤行会の写真も、館内に飾られていた。
「負けない日々」を生き抜いた同志は、この日再びカメラに納まった。苦楽を分かち合った福光の賢者たちの笑顔——。広布の宝城に、新たな黄金の一頁が刻まれた。
あの地でも、この地でも、「地涌の正義の旗頭」の皆様は、ここが使命の大舞台なりと、自他共の幸福へ奮闘されている。
人間とは、なんと優しく、明るく、負けない強さを持てるものか。
君も不屈なり。貴女も偉大なり。世界よ、この「人間の英雄」を見よ! 民衆の「歓喜の凱歌」を聴け!と、私は叫びたい。
◇異体同心の支え
東日本大震災以降も、深刻な自然災害が続いている。昨年も、広島、岡山、愛媛など西日本各地を蹂躙した「七月豪雨」があり、九月に起こった「北海道胆振東部地震」も激甚であった。
打ち続く自然災害に対して、どう応戦するか。その辛苦の歩みの中で、私たちの社会は「レジリエンス」(困難を乗り越える力)をいかに強めるかという課題に、真摯に向き合い始めている。
なればこそ、「立正安国論」で「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祈らん者か」(御書三一ページ)と仰せの如く、民衆の幸福と平和を根本とする生き方が輝き光っていくはずだ。
そして、我ら創価家族には、「難を乗り越える信心」がある。崩れざる「心の財」がある。そして久遠からの「異体同心」の友がいる。
長年、双葉会館の近くで活動してきた"多宝の父母"は、震災後、隣接の栃木県へ避難した。
最初の座談会で、地区の友は東北の歌「青葉の誓い」を歌って、大歓迎してくれた。夫妻は友の心遣いに感極まり、声にならなかった。
しかし、翌月の座談会では、夫婦して誇り高く、声の限りに歌った。その姿に、今度は栃木の友が胸打たれ、涙で一緒に歌えなくなったという。
夫妻は今、富岡町に戻り、「元気に暮らすことが栃木の皆さんへの恩返し」と活躍されている。
御聖訓に、「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよ(強)きすけ(扶)をか(介)ひぬれば・たうれず」(同一四六八ページ)と仰せ通りの人間共和のネットワークである。
この絆は、生死を超えて永遠である。
若くして父を亡くした南条時光への励ましには、「いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほ(守)り給うべし」(同一五一二ページ)とある。
大難に怯まぬ強盛な信心を貫けば、亡き家族・眷属も成仏し、我らを守る。共に「常楽我浄」の旅を続けていけるのだ。
◇音楽は蘇生の力
大震災後、音楽隊の「『希望の絆』コンサート」からは、幾重にも感動が紡ぎ出されてきた。
人をつなぎ、心を鼓舞する歌の力、音楽の力は何と大きいことか。それは「生きる歓び」と「魂の蘇生」「勇気の共鳴」をもたらしてくれる。
民音(民主音楽協会)では、世界的な音楽家やラジオ局、また地元の方々のご協力をいただき、岩手、宮城、福島の小・中学校などで「東北希望コンサート」を重ねてきた。二〇一二年の五月に陸前高田市の中学校で第一回を行い、昨年十二月の気仙沼市の中学校で七十五回を数える。
歌や楽曲の響きと共に広がる、子どもたちの明るい笑顔こそ、何よりの復興の希望の光だ。
この五日の朝、総本部の周辺を車で回った折、白亜の"音楽の宮殿"民音文化センターが目に飛び込んできた。昨秋、創立五十五周年を迎えた民音の海外交流は百十カ国・地域に広がり、国内での鑑賞者は一億二千万人に迫ると伺っている。
支えてくださっている全ての方々に感謝を込めシャッターを切った。
◇青葉城と岡城と
恩師が仙台の青葉城址に立ち、「学会は、人材をもって城となす」との永遠の指針を示されたのは、六十五年前(一九五四年)の春四月だった。
詩人・土井晩翠が、この青葉城や福島・会津の鶴ケ城に着想を得て作詞したといわれる「荒城の月」の一節には、「昔の光 いまいずこ」とある。
森羅万象は、変化、変化の連続である。
戸田先生は青葉城を訪れたその日、仙台支部の総会で、妙法こそ生命の一切をよりよく変化させゆく根源の力であると明快に教えてくださった。
人生も社会も、どんなことがあろうと、全てを善の方向、幸福の方向、勝利の方向へと変化させていけるのが、「人間革命」即「立正安国」の我らの祈りなのである。
思えば、「荒城の月」の作曲者・滝廉太郎ゆかりの大分・竹田の岡城も難攻不落で知られた。
その本丸跡で、九州の友と「荒城の月」を大合唱したことはあまりに懐かしい(一九八一年)。それは私が長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を発表した二日後、熊本へ向かう途次のことであった。
歴史上、岡城の堅固さは「一人萬卒を制するといひしはかゝる所の事ならん」と称えられた。
広布の勇者が「一人立つ」ならば、千人、万人にも匹敵する百戦不撓の「平和の城」となる。
「熊本地震」(二〇一六年)では、熊本・阿蘇両地方と大分は、激しい揺れに襲われた。試練に挑み、「負けんばい!」と険難の坂を越えゆく師子のスクラムは誇り高い。
ともあれ、城は「民衆を守る」ものだ。それは民衆が安心して暮らせる拠点であり、地域社会であろう。まさに「立正安国」とは、崩れざる民衆城を築く戦いだ。わが地域の繁栄を願って仏縁を広げる一人ひとりの誠実な行動が、この城を盤石に固めているのである。
◇「八」は開く義
法華経に、八歳の竜女の「即身成仏」が説かれている。女子部や未来部のような乙女が、尊い人間勝利の道を開いたのだ。
「御義口伝」には、「八とは色心を妙法と開くなり」(御書七四五ページ)と仰せである。「八」には、わが生命に具わる仏界を「開く」意義が込められている。
大震災より八年。我らは今、人間復興の新生の道を開き、大きく境涯を開く「勝利の春」を迎えていると確信したい。
かの竜女は「我が成仏を観よ」と宣言し、疑う人びとの前で即身成仏の実証を現した。その勝利の姿に、皆が「心大歓喜」したと示されている。
いかなる宿命にも「負げでたまっか!」と、いよいよ学会精神を燃え上がらせる、東北の宝友たちそのものではないか。
勇気ある信心で、全てを変毒為薬しゆく「世界の東北」の見事なる実証と「心の財」の輝きに、全世界の同志が「大歓喜」しているのだ。
◇
昨年三月十一日、壮大に地球を結んで開催された、世界青年部総会から一年——。今、広布後継の「3・16」の誓いのままに、東北青年部をはじめ、「従藍而青」の若人が澎湃と躍り出ている。
君たち青年こそが、「大悪を(起)これば大善きたる」「大正法必ずひろまるべし」(同一三〇〇ページ)との御金言を証明しゆく地涌の本命なのだ。
「信ずる後継よ 不二の生命よ」——私と共に、永遠なる創価の城を築きゆこうではないか!
皆で広布拡大に挑み
凱歌の歴史を綴ろう!
異体同心の団結固く
歓喜あふれる大前進を!
盂蘭盆御書 P1430
『悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う』
【通解】
悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。
善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。
また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。
〈寸鉄〉 2019年3月16日
師弟の魂 刻む「3・16」。誓願に生きる人は強し!青年よ立ち上がる時は今
宮崎・延岡市、福岡・早良区が一瀉千里の力走!先駆の心で拡大。勝利必ず
滋賀・大津市、兵庫・須磨区、奈良の友が勇戦!正義の対話で栄光の扉開け
「一念三千は抜苦与楽なり」御書。幹部は励ましの達人に。友の為に駆けよ
花粉飛散ピーク。マスク、服薬、洗顔、嗽等で症状は緩和と。賢く健康第一で
☆随筆「人間革命」光あれ 福光勝利の春 2019年3月11日
君も不屈なり 貴女も偉大なり
負けじ魂で! 永遠の人材城を共に
東北の「心の財」の輝きを 世界が讃嘆
今も深く温かく、心に響く恩師の声がある。
「昭和三十一年」(一九五六年)の四月、宮城訪問の折、東北放送のラジオ・インタビューに応じられたのである。
「特に仙台の方々に望むというようなことはございますか?」とのアナウンサーの問いかけに、戸田先生は即答された。
「一日も早く幸福になれ!と。これが私の主張です」
ただただ幸せになってほしい。一人でも多く幸せにしてほしい——。こよなく愛されていた東北の友への真情であった。
東北に続いて訪れた関西でも、雨の大阪球場で先生は師子吼なされた。
——正しい信心に立つならば、皆、必ず幸福になる。民衆救済に立つ者こそ日蓮大聖人の弟子である。立正安国のため、社会のため、民衆のため、大確信に立って行動していただきたい、と。
六十三星霜を経た本年「平成三十一年」の春を、福光勝利の創価桜で飾りゆこうと、全宝友が勇気凜々と前進している。
恩師は、いかばかり讃えてくださるだろうか。
◇生き抜いた8年
八年前(二〇一一年)のあの三月十一日。
思いもかけぬ巨大地震と大津波。続いて起こった原発事故——。「東日本大震災」は、まさに未曽有の大苦難であった。
あれから、どれほど言語に絶する艱難と不安の風雪を堪え忍ばねばならなかったことか。
皆で新たな出会いと絆を広げ、支え支えられて、互いの思いを重ねつつ寄り添ってこられた。苦悩に打ちひしがれた友のため、我が身を顧みず、億劫の辛労を尽くしてくださったのだ。
まさしく仏であり、菩薩の振る舞いである。
福島県の富岡町にある双葉会館では、今年の正月、震災後初となる新年勤行会が行われた。
県内外から百十一人の友が集った。大震災の年の新年勤行会の写真も、館内に飾られていた。
「負けない日々」を生き抜いた同志は、この日再びカメラに納まった。苦楽を分かち合った福光の賢者たちの笑顔——。広布の宝城に、新たな黄金の一頁が刻まれた。
あの地でも、この地でも、「地涌の正義の旗頭」の皆様は、ここが使命の大舞台なりと、自他共の幸福へ奮闘されている。
人間とは、なんと優しく、明るく、負けない強さを持てるものか。
君も不屈なり。貴女も偉大なり。世界よ、この「人間の英雄」を見よ! 民衆の「歓喜の凱歌」を聴け!と、私は叫びたい。
◇異体同心の支え
東日本大震災以降も、深刻な自然災害が続いている。昨年も、広島、岡山、愛媛など西日本各地を蹂躙した「七月豪雨」があり、九月に起こった「北海道胆振東部地震」も激甚であった。
打ち続く自然災害に対して、どう応戦するか。その辛苦の歩みの中で、私たちの社会は「レジリエンス」(困難を乗り越える力)をいかに強めるかという課題に、真摯に向き合い始めている。
なればこそ、「立正安国論」で「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祈らん者か」(御書三一ページ)と仰せの如く、民衆の幸福と平和を根本とする生き方が輝き光っていくはずだ。
そして、我ら創価家族には、「難を乗り越える信心」がある。崩れざる「心の財」がある。そして久遠からの「異体同心」の友がいる。
長年、双葉会館の近くで活動してきた"多宝の父母"は、震災後、隣接の栃木県へ避難した。
最初の座談会で、地区の友は東北の歌「青葉の誓い」を歌って、大歓迎してくれた。夫妻は友の心遣いに感極まり、声にならなかった。
しかし、翌月の座談会では、夫婦して誇り高く、声の限りに歌った。その姿に、今度は栃木の友が胸打たれ、涙で一緒に歌えなくなったという。
夫妻は今、富岡町に戻り、「元気に暮らすことが栃木の皆さんへの恩返し」と活躍されている。
御聖訓に、「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよ(強)きすけ(扶)をか(介)ひぬれば・たうれず」(同一四六八ページ)と仰せ通りの人間共和のネットワークである。
この絆は、生死を超えて永遠である。
若くして父を亡くした南条時光への励ましには、「いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほ(守)り給うべし」(同一五一二ページ)とある。
大難に怯まぬ強盛な信心を貫けば、亡き家族・眷属も成仏し、我らを守る。共に「常楽我浄」の旅を続けていけるのだ。
◇音楽は蘇生の力
大震災後、音楽隊の「『希望の絆』コンサート」からは、幾重にも感動が紡ぎ出されてきた。
人をつなぎ、心を鼓舞する歌の力、音楽の力は何と大きいことか。それは「生きる歓び」と「魂の蘇生」「勇気の共鳴」をもたらしてくれる。
民音(民主音楽協会)では、世界的な音楽家やラジオ局、また地元の方々のご協力をいただき、岩手、宮城、福島の小・中学校などで「東北希望コンサート」を重ねてきた。二〇一二年の五月に陸前高田市の中学校で第一回を行い、昨年十二月の気仙沼市の中学校で七十五回を数える。
歌や楽曲の響きと共に広がる、子どもたちの明るい笑顔こそ、何よりの復興の希望の光だ。
この五日の朝、総本部の周辺を車で回った折、白亜の"音楽の宮殿"民音文化センターが目に飛び込んできた。昨秋、創立五十五周年を迎えた民音の海外交流は百十カ国・地域に広がり、国内での鑑賞者は一億二千万人に迫ると伺っている。
支えてくださっている全ての方々に感謝を込めシャッターを切った。
◇青葉城と岡城と
恩師が仙台の青葉城址に立ち、「学会は、人材をもって城となす」との永遠の指針を示されたのは、六十五年前(一九五四年)の春四月だった。
詩人・土井晩翠が、この青葉城や福島・会津の鶴ケ城に着想を得て作詞したといわれる「荒城の月」の一節には、「昔の光 いまいずこ」とある。
森羅万象は、変化、変化の連続である。
戸田先生は青葉城を訪れたその日、仙台支部の総会で、妙法こそ生命の一切をよりよく変化させゆく根源の力であると明快に教えてくださった。
人生も社会も、どんなことがあろうと、全てを善の方向、幸福の方向、勝利の方向へと変化させていけるのが、「人間革命」即「立正安国」の我らの祈りなのである。
思えば、「荒城の月」の作曲者・滝廉太郎ゆかりの大分・竹田の岡城も難攻不落で知られた。
その本丸跡で、九州の友と「荒城の月」を大合唱したことはあまりに懐かしい(一九八一年)。それは私が長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を発表した二日後、熊本へ向かう途次のことであった。
歴史上、岡城の堅固さは「一人萬卒を制するといひしはかゝる所の事ならん」と称えられた。
広布の勇者が「一人立つ」ならば、千人、万人にも匹敵する百戦不撓の「平和の城」となる。
「熊本地震」(二〇一六年)では、熊本・阿蘇両地方と大分は、激しい揺れに襲われた。試練に挑み、「負けんばい!」と険難の坂を越えゆく師子のスクラムは誇り高い。
ともあれ、城は「民衆を守る」ものだ。それは民衆が安心して暮らせる拠点であり、地域社会であろう。まさに「立正安国」とは、崩れざる民衆城を築く戦いだ。わが地域の繁栄を願って仏縁を広げる一人ひとりの誠実な行動が、この城を盤石に固めているのである。
◇「八」は開く義
法華経に、八歳の竜女の「即身成仏」が説かれている。女子部や未来部のような乙女が、尊い人間勝利の道を開いたのだ。
「御義口伝」には、「八とは色心を妙法と開くなり」(御書七四五ページ)と仰せである。「八」には、わが生命に具わる仏界を「開く」意義が込められている。
大震災より八年。我らは今、人間復興の新生の道を開き、大きく境涯を開く「勝利の春」を迎えていると確信したい。
かの竜女は「我が成仏を観よ」と宣言し、疑う人びとの前で即身成仏の実証を現した。その勝利の姿に、皆が「心大歓喜」したと示されている。
いかなる宿命にも「負げでたまっか!」と、いよいよ学会精神を燃え上がらせる、東北の宝友たちそのものではないか。
勇気ある信心で、全てを変毒為薬しゆく「世界の東北」の見事なる実証と「心の財」の輝きに、全世界の同志が「大歓喜」しているのだ。
◇
昨年三月十一日、壮大に地球を結んで開催された、世界青年部総会から一年——。今、広布後継の「3・16」の誓いのままに、東北青年部をはじめ、「従藍而青」の若人が澎湃と躍り出ている。
君たち青年こそが、「大悪を(起)これば大善きたる」「大正法必ずひろまるべし」(同一三〇〇ページ)との御金言を証明しゆく地涌の本命なのだ。
「信ずる後継よ 不二の生命よ」——私と共に、永遠なる創価の城を築きゆこうではないか!
2019年3月15日金曜日
2019.03.15 わが友に贈る
法華経の兵法で進むのが
創価の常勝の方程式だ。
「とられじ・うばはん」の
仏と魔との闘争を
強盛な祈りで打ち勝て!
上野殿後家尼御返事 P1506
『逆即是順の法華経なればなりこれ妙の一字の功徳なり。竜樹菩薩の云く「譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」云云』
【通解】
逆即是順の法華経だからであり、これが妙の一字の功徳です。
竜樹菩薩は「譬えば大薬師が能く毒を変じて薬となすようなものである」と。
〈寸鉄〉 2019年3月15日
一人の同志に光を!躍進の鍵そこに。励ましの声強め人間革命の輪を拡大
青森・八戸市、山形市の友よ強気で攻め抜け。「師子の大城」に栄光の旗を!
群馬・太田、栃木・小山に闘志満々の民衆の陣列。本領発揮し、勝って輝け
創価班・牙城会・白蓮Gの新時代1期生が大挑戦!鍛えの日々こそ生涯の宝
液体ミルク、災害物資としても期待大と。公明よ生活に根差した政策更に
☆御書と歩む� 第58回 「宿命」を「使命」に!
『一日の命は三千界の財にもすぎて候なり先ず御志をみみへさせ給うべし』(可延定業書、986ページ)
◇通解
一日の命は、この宇宙全ての財宝よりもすぐれている。まず、志を身で示していきなさい。
◇同志への指針
病を抱えながら妙法を唱え生きゆく門下を、御本仏は厳然と御照覧である。ゆえに、断じて臆してはならない。
題目には、「絶望」を「希望」に、「宿命」を「使命」に転じゆける究極の力がある。
宇宙の全ての財宝にも勝る「一日」の命である。その命を「信心の志」で最大に輝き光らせ、きょうも誓願に生き抜こう。無限の価値を創造しようではないか!
☆3月度座談会拝読御書 聖人御難事
◇今こそ不屈の勇気を奮い起こせ
「師子王の心」は自身の生命にある
◇拝読御文
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(御書全集 1190ページ7行目~9行目)
◇本抄について
本抄は、「熱原の法難」のさなかの弘安2年(1279年)10月1日、日蓮大聖人が身延で認められ、門下一同に与えられたお手紙です。末尾に、四条金吾のもとに留めるように命じられています。
大難の中で不惜身命の信心を体現した熱原の農民信徒の姿が、本抄を著す契機になったとされています。
冒頭、立宗宣言から「二十七年」目にして「出世の本懐」を遂げたと明かされます。
続いて、法華経法師品第10の文を引き、仏滅後の方が難が大きいとあるのに、その通りの大難にあった人はいない。仏説は虚妄になってしまうではないかと述べられます。
それを受けて、立宗以来、27年にわたって自ら受けた法難を挙げ、法華経の予言を現実にしたのは「但日蓮一人なり」と、末法の御本仏である御確信を述べられます。
「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」と、法華経の行者を迫害する者には、必ず罰の現象が現れることを明かします。
そして、大聖人が大難を勝ち越えられてきたように、門下も「師子王の心」を取り出して難に立ち向かい、月々日々に強盛な信心を貫いていくよう励まされます。
さらに、法難に立ち向かう覚悟を促された上で、退転者の先例を挙げ、同じ過ちを繰り返さないよう戒められて、本抄を結ばれています。
◇常に全力を!
「師子王の心」とは、どんな苦難や試練に遭っても、決して負けることのない勇気のことです。「仏界の生命」の異名です。
本抄では「師子王の心を取り出して」と仰せです。
いったいどこから取り出すのでしょう。それは、自分自身の生命からです。
「師子王の心」は本来、だれの生命にも具わっているからこそ、大聖人は"取り出す"と仰せなのです。
たとえいかなる逆境にあっても、今から、ここから、自分の中から、不屈の勇気を奮い起こして、威風堂々と勝ち越えていくことができるのです。
大事なことは、最強の勇気である「師子王の心」を取り出そうとするのか、取り出さないのか、どちらなのかということです。
人生の課題に直面しながら"今は本気を出すまでもない"などと、真剣になり切れない人もいます。"いつか本気を出す"というばかりでは、いざという時に力を出せないものです。
大聖人は、「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり」(御書1124ページ)と仰せです。どんな敵に対しても、あなどらず、常に全力を出し切って立ち向かうのが師子王の特質です。
ささいなこと、簡単に思えることであったとしても、そこに全力で挑んでいくのが、「師子王の心」を取り出す生き方なのです。
私たちも、一つ一つ具体的な目標を定め、それに向かって、御本尊に真剣に祈り、勇敢に挑戦することによって、「師子王の心」を自由自在に取り出していける境涯を築くことができるのです。
◇師弟不二の道
「師子王の心」を真っすぐ受け継いでこそ、師子王の子です。
大聖人は、自らが大難を勝ち越えてきた姿を通し、「師子王は百獣にをぢず」と仰せです。なんとかして、門下の勇気を奮い起こそう、生命の底力を引き出そうとの、大聖人の熱き思いが込められています。
「熱原の法難」をはじめ、門下に対するさまざまな迫害の嵐は、どこまでも妙法流布のゆえに起こった難です。その時、勇気をもって信仰を貫き通せば、必ず成仏することができる勝負どころだからこそ、「をづる事なかれ」と仰せなのです。
さらに続く部分で、「師子の子・又かくのごとし」と仰せです。"師子王である私と、同じ覚悟で戦うのだ"と、師弟不二の生き方を教えられています。
私たちにとって、そのスタート地点は、広宣流布の大願を共にすることです。師弟不二の道を歩む決意を固めることです。
命に及ぶような大難に直面した時、臆病、嘆き、疑い、瞋りなどに心が支配されるものです。これこそ、不信を起こして退転させようとする魔の働きです。この元品の無明を打ち破った時に涌現する「仏界の生命」こそ「師子王の心」です。
元品の無明を打ち破る根本は、妙法への絶対の確信であることはいうまでもありません。その上で、広布の誓願を常に忘れないことです。大変な時こそ、師弟の誓いの原点を忘れない人が、負けない人なのです。
拝読御文の少し後では、「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)と、常に信心を強くしていく生き方を教えられています。心にすきがあれば、そこから魔がつけ込むからです。
一日一日を、"師匠ならどうされるか"と誓願を深める祈りと、勇気の行動の積み重ねで、完全燃焼していく時、「師子王の心」が現れるのです。
◇熱原の法難
「熱原の法難」は、建治・弘安年間に駿河国の熱原地域(現在の静岡県富士市)で打ち続いた法難です。
当時、駿河方面では、日興上人が中心となって弘教が進み、大聖人の門下が増えていました。こうした動きを恐れた天台宗滝泉寺の院主代・行智らは、大聖人門下への弾圧を企てます。
弘安2年4月、信徒に傷害を加え、8月には別の信徒を斬首し、罪を大聖人門下にきせようとしました。
こうした迫害の渦中の9月21日、熱原の農民信徒20人が、"他人の田の稲を刈り取った"との無実の罪で逮捕され、鎌倉に送られました。当時、権勢を振るった平左衛門尉頼綱は、自らの私邸で、農民信徒に拷問に等しい尋問を行い、念仏を唱えるよう強要します。しかし、一人として退転せず、ついには、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人が斬首され殉教しました。残った17人も追放という処分を受けたのです。
大聖人が「出世の本懐」を遂げる契機となった、弟子の戦いによって起こり、弟子が受けた法難です。
池田先生は語っています。
「偉大な民衆、偉大な広宣流布の和合僧が出現しうることを確信されたがゆえに、大聖人は『出世の本懐』を遂げられたと拝したい。広宣流布、すなわち人類の幸福・平和といっても、御本仏の闘争に連なり、戦う民衆が登場しなければ、実現できるものではないからです」(『池田大作全集』第33巻所収、「御書の世界」〈下〉)
★池田先生の指針から 民衆勝利の歴史を開け
臆病は、戦う前から侘しく敗北である。勇気ある行動は、朗らかな勝利の劇だ。
日蓮大聖人は熱原の法難の渦中、鎌倉の四条金吾はじめ門下一同に言われた。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書1190ページ)
我らは、いかなる広宣流布の激戦にも「師子王の心」で勇敢に立ち向かう。
合言葉は「勇気の大前進」「正義の大攻勢」である。
法のため、人びとのため、社会のため、そして未来のために、何ものも恐れず、我らは戦い進む!
「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同502ページ)との如説修行の御金言のままに!
この人知れぬ労苦の歩みこそが、黄金の栄光と福運の足跡となる。その道には、未来の逸材たちが力をつけて続いてくれるのだ。(2009年7月29日付本紙「随筆 人間世紀の光」〈「正義」の旗高く!〉)
◇ ◆ ◇
「聖人御難事」にいわく。「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190ページ)と。
この一節を拝しながら、戸田先生は語られた。
「われら創価学会の折伏は、師子が吼えるのである。邪悪な輩が驚き、恐れおののくのは、当然である。この確信なくして、日蓮大聖人の門下とは、絶対に言えないのである。この確信こそ、いかにも荘厳にして、勇壮なものではないか!」と。
さらに、戸田先生は宣言された。
「いかに学会を憎もうと、いかに学会をおとしいれようと、だれ人が騒ごうとも恐れるな! 彼らは犬、野干のごとき畜生である。われわれは師子王である!」と。
「師子王の心」こそが、永遠の学会精神である。「強気でいけ!」——これが戸田先生の遺言なのである。(中略)
心からの叫びは、だれにも、とめられない。真実を語る。正義を語りぬく。そこにこそ、『民衆が勝利する』歴史の幕は晴れやかに開くであろう。(2001年1月、「東京総区長会」でのスピーチ。『池田大作全集』第92巻所収)
参考文献
…2015年10・11月号「大白蓮華」に掲載の「世界を照らす太陽の仏法」(聖教新聞社)
…『池田大作全集』第32・33巻所収の「御書の世界」上・下(同)
創価の常勝の方程式だ。
「とられじ・うばはん」の
仏と魔との闘争を
強盛な祈りで打ち勝て!
上野殿後家尼御返事 P1506
『逆即是順の法華経なればなりこれ妙の一字の功徳なり。竜樹菩薩の云く「譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」云云』
【通解】
逆即是順の法華経だからであり、これが妙の一字の功徳です。
竜樹菩薩は「譬えば大薬師が能く毒を変じて薬となすようなものである」と。
〈寸鉄〉 2019年3月15日
一人の同志に光を!躍進の鍵そこに。励ましの声強め人間革命の輪を拡大
青森・八戸市、山形市の友よ強気で攻め抜け。「師子の大城」に栄光の旗を!
群馬・太田、栃木・小山に闘志満々の民衆の陣列。本領発揮し、勝って輝け
創価班・牙城会・白蓮Gの新時代1期生が大挑戦!鍛えの日々こそ生涯の宝
液体ミルク、災害物資としても期待大と。公明よ生活に根差した政策更に
☆御書と歩む� 第58回 「宿命」を「使命」に!
『一日の命は三千界の財にもすぎて候なり先ず御志をみみへさせ給うべし』(可延定業書、986ページ)
◇通解
一日の命は、この宇宙全ての財宝よりもすぐれている。まず、志を身で示していきなさい。
◇同志への指針
病を抱えながら妙法を唱え生きゆく門下を、御本仏は厳然と御照覧である。ゆえに、断じて臆してはならない。
題目には、「絶望」を「希望」に、「宿命」を「使命」に転じゆける究極の力がある。
宇宙の全ての財宝にも勝る「一日」の命である。その命を「信心の志」で最大に輝き光らせ、きょうも誓願に生き抜こう。無限の価値を創造しようではないか!
☆3月度座談会拝読御書 聖人御難事
◇今こそ不屈の勇気を奮い起こせ
「師子王の心」は自身の生命にある
◇拝読御文
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(御書全集 1190ページ7行目~9行目)
◇本抄について
本抄は、「熱原の法難」のさなかの弘安2年(1279年)10月1日、日蓮大聖人が身延で認められ、門下一同に与えられたお手紙です。末尾に、四条金吾のもとに留めるように命じられています。
大難の中で不惜身命の信心を体現した熱原の農民信徒の姿が、本抄を著す契機になったとされています。
冒頭、立宗宣言から「二十七年」目にして「出世の本懐」を遂げたと明かされます。
続いて、法華経法師品第10の文を引き、仏滅後の方が難が大きいとあるのに、その通りの大難にあった人はいない。仏説は虚妄になってしまうではないかと述べられます。
それを受けて、立宗以来、27年にわたって自ら受けた法難を挙げ、法華経の予言を現実にしたのは「但日蓮一人なり」と、末法の御本仏である御確信を述べられます。
「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」と、法華経の行者を迫害する者には、必ず罰の現象が現れることを明かします。
そして、大聖人が大難を勝ち越えられてきたように、門下も「師子王の心」を取り出して難に立ち向かい、月々日々に強盛な信心を貫いていくよう励まされます。
さらに、法難に立ち向かう覚悟を促された上で、退転者の先例を挙げ、同じ過ちを繰り返さないよう戒められて、本抄を結ばれています。
◇常に全力を!
「師子王の心」とは、どんな苦難や試練に遭っても、決して負けることのない勇気のことです。「仏界の生命」の異名です。
本抄では「師子王の心を取り出して」と仰せです。
いったいどこから取り出すのでしょう。それは、自分自身の生命からです。
「師子王の心」は本来、だれの生命にも具わっているからこそ、大聖人は"取り出す"と仰せなのです。
たとえいかなる逆境にあっても、今から、ここから、自分の中から、不屈の勇気を奮い起こして、威風堂々と勝ち越えていくことができるのです。
大事なことは、最強の勇気である「師子王の心」を取り出そうとするのか、取り出さないのか、どちらなのかということです。
人生の課題に直面しながら"今は本気を出すまでもない"などと、真剣になり切れない人もいます。"いつか本気を出す"というばかりでは、いざという時に力を出せないものです。
大聖人は、「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり」(御書1124ページ)と仰せです。どんな敵に対しても、あなどらず、常に全力を出し切って立ち向かうのが師子王の特質です。
ささいなこと、簡単に思えることであったとしても、そこに全力で挑んでいくのが、「師子王の心」を取り出す生き方なのです。
私たちも、一つ一つ具体的な目標を定め、それに向かって、御本尊に真剣に祈り、勇敢に挑戦することによって、「師子王の心」を自由自在に取り出していける境涯を築くことができるのです。
◇師弟不二の道
「師子王の心」を真っすぐ受け継いでこそ、師子王の子です。
大聖人は、自らが大難を勝ち越えてきた姿を通し、「師子王は百獣にをぢず」と仰せです。なんとかして、門下の勇気を奮い起こそう、生命の底力を引き出そうとの、大聖人の熱き思いが込められています。
「熱原の法難」をはじめ、門下に対するさまざまな迫害の嵐は、どこまでも妙法流布のゆえに起こった難です。その時、勇気をもって信仰を貫き通せば、必ず成仏することができる勝負どころだからこそ、「をづる事なかれ」と仰せなのです。
さらに続く部分で、「師子の子・又かくのごとし」と仰せです。"師子王である私と、同じ覚悟で戦うのだ"と、師弟不二の生き方を教えられています。
私たちにとって、そのスタート地点は、広宣流布の大願を共にすることです。師弟不二の道を歩む決意を固めることです。
命に及ぶような大難に直面した時、臆病、嘆き、疑い、瞋りなどに心が支配されるものです。これこそ、不信を起こして退転させようとする魔の働きです。この元品の無明を打ち破った時に涌現する「仏界の生命」こそ「師子王の心」です。
元品の無明を打ち破る根本は、妙法への絶対の確信であることはいうまでもありません。その上で、広布の誓願を常に忘れないことです。大変な時こそ、師弟の誓いの原点を忘れない人が、負けない人なのです。
拝読御文の少し後では、「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)と、常に信心を強くしていく生き方を教えられています。心にすきがあれば、そこから魔がつけ込むからです。
一日一日を、"師匠ならどうされるか"と誓願を深める祈りと、勇気の行動の積み重ねで、完全燃焼していく時、「師子王の心」が現れるのです。
◇熱原の法難
「熱原の法難」は、建治・弘安年間に駿河国の熱原地域(現在の静岡県富士市)で打ち続いた法難です。
当時、駿河方面では、日興上人が中心となって弘教が進み、大聖人の門下が増えていました。こうした動きを恐れた天台宗滝泉寺の院主代・行智らは、大聖人門下への弾圧を企てます。
弘安2年4月、信徒に傷害を加え、8月には別の信徒を斬首し、罪を大聖人門下にきせようとしました。
こうした迫害の渦中の9月21日、熱原の農民信徒20人が、"他人の田の稲を刈り取った"との無実の罪で逮捕され、鎌倉に送られました。当時、権勢を振るった平左衛門尉頼綱は、自らの私邸で、農民信徒に拷問に等しい尋問を行い、念仏を唱えるよう強要します。しかし、一人として退転せず、ついには、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人が斬首され殉教しました。残った17人も追放という処分を受けたのです。
大聖人が「出世の本懐」を遂げる契機となった、弟子の戦いによって起こり、弟子が受けた法難です。
池田先生は語っています。
「偉大な民衆、偉大な広宣流布の和合僧が出現しうることを確信されたがゆえに、大聖人は『出世の本懐』を遂げられたと拝したい。広宣流布、すなわち人類の幸福・平和といっても、御本仏の闘争に連なり、戦う民衆が登場しなければ、実現できるものではないからです」(『池田大作全集』第33巻所収、「御書の世界」〈下〉)
★池田先生の指針から 民衆勝利の歴史を開け
臆病は、戦う前から侘しく敗北である。勇気ある行動は、朗らかな勝利の劇だ。
日蓮大聖人は熱原の法難の渦中、鎌倉の四条金吾はじめ門下一同に言われた。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書1190ページ)
我らは、いかなる広宣流布の激戦にも「師子王の心」で勇敢に立ち向かう。
合言葉は「勇気の大前進」「正義の大攻勢」である。
法のため、人びとのため、社会のため、そして未来のために、何ものも恐れず、我らは戦い進む!
「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同502ページ)との如説修行の御金言のままに!
この人知れぬ労苦の歩みこそが、黄金の栄光と福運の足跡となる。その道には、未来の逸材たちが力をつけて続いてくれるのだ。(2009年7月29日付本紙「随筆 人間世紀の光」〈「正義」の旗高く!〉)
◇ ◆ ◇
「聖人御難事」にいわく。「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190ページ)と。
この一節を拝しながら、戸田先生は語られた。
「われら創価学会の折伏は、師子が吼えるのである。邪悪な輩が驚き、恐れおののくのは、当然である。この確信なくして、日蓮大聖人の門下とは、絶対に言えないのである。この確信こそ、いかにも荘厳にして、勇壮なものではないか!」と。
さらに、戸田先生は宣言された。
「いかに学会を憎もうと、いかに学会をおとしいれようと、だれ人が騒ごうとも恐れるな! 彼らは犬、野干のごとき畜生である。われわれは師子王である!」と。
「師子王の心」こそが、永遠の学会精神である。「強気でいけ!」——これが戸田先生の遺言なのである。(中略)
心からの叫びは、だれにも、とめられない。真実を語る。正義を語りぬく。そこにこそ、『民衆が勝利する』歴史の幕は晴れやかに開くであろう。(2001年1月、「東京総区長会」でのスピーチ。『池田大作全集』第92巻所収)
参考文献
…2015年10・11月号「大白蓮華」に掲載の「世界を照らす太陽の仏法」(聖教新聞社)
…『池田大作全集』第32・33巻所収の「御書の世界」上・下(同)
2019年3月14日木曜日
2019.03.14 わが友に贈る
誠実な振る舞いが
近隣の友好を深める。
向こう三軒両隣の
つながりの強さこそ
社会の安心の基盤だ。
松野殿御返事 P1389
『五の巻には我が末世末法に入つて法華経の行者有るべし、其の時其の国に持戒破戒等の無量無辺の僧等集りて国主に讒言して流し失ふべしと説かれたり、然るにかかる経文かたがた符合し候畢んぬ未来に仏に成り候はん事疑いなく覚え候』
【通解】
法華経の第五の巻(の勧持品)には、「私(釈迦仏)の滅後の末法に入って、法華経の行者が現れるであろう。その時、その国に、戒を持った僧、戒を破った僧など、無数の僧たちが集まって、国主に讒言して、法華経の行者を流罪にし、亡き者にしようとする」と説かれています。
こうした経文がことごとく、日蓮の身に符合しました。未来に仏になることは疑いないと確信しています。
〈寸鉄〉 2019年3月14日
列島各地で「3・16」祝う座談会。さあ皆が青年の息吹で!決意固めて飛躍
静岡の富士市、葵・駿河・清水区が師子奮迅。痛快な正義の勝利劇を断じて
広島・呉、山口市、島根・出雲よ開拓魂で勝て!勇気の言論で新しい味方を
まず祈れ。そこに経験も生きる—恩師。逆境破る源は題目。今日も朗々と
若者5割が地域の避難所知らず—意識調査。もしもの備えを。教訓忘るな
☆新時代を築く 我ら地涌の絆は無敵なり 2019年3月5日
季節の変わり目で天候が不順な中、聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」の方々の健康と絶対の無事故を強盛に祈る日々である。
友の幸福のため、労苦をいとわず奮闘する創価家族に、御本仏の御照覧はいかばかりであろうか。
先般、草創から不退の信心を貫いてきたフランス婦人部の懐かしい友人たちが来日された。創価世界女性会館での懇談には、妻も伺ってうれしい再会を果たした(2月27日)。
「友の喜び友の歎き一つなり」(御書934ページ)
この御聖訓さながら苦楽を分かち合い、「お互いに頑張りましょうね」と励まし合う同志のスクラムほど、尊く美しいものはない。
フランスの宝友は"時代を開く""歴史を創る"には、一人一人が自分の決めた課題に挑み、今日を勝ち抜くことだと決め、水の流れるごとく行動してきた。
そして欧州・世界の友と心一つに、日本全国の広布の前進勝利を祈り、エールを送ってくれているのだ。
* * *
思えば、日蓮大聖人御自身が、「この法門を弘めるので、他の人とは比較にならないほど多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)と振り返られている。
「人と会う」「友と語る」——我らの立正安国の挑戦は、大聖人直結であり、仏道修行の真髄である。そこに、仏の勇気も智慧も慈悲も涌現しないわけがない。
「立正安国論」には、対話の極意が示されている。
同じ時代を生きる仲間として現実社会の課題を率直に見つめ、相手の意見に誠実に耳を傾ける。反発にも笑顔で懐深く受け止めつつ、相手の仏性へ信頼を込めて、聡明に信念を語り切っていくのである。
この語らいから生まれる「蘭室の交わり」こそ、地域にも、世界にも、安穏と平和を創り開く力なのだ。
* * *
弥生3月は、青年の月だ。
わが女子部の友が誇らかに歌う「華陽の誓い」が誕生して10周年。「広宣の華」「希望の華」「使命の華」と舞う青春は、喜びの光彩を全世界に広げている。
昨年3月の世界青年部総会を期に、地涌の若人は、いよいよ勢いよく躍り出てきた。
恩師は叫ばれた。
「創価の青年のたくましさを吹き込んでこそ、世界の青年層を力強く蘇らせることができる」
男子部大学校生の拡大も見事だ。創価班、牙城会、白蓮グループの「新時代1期生」の使命は計り知れない。
さらに青年部出身の"ヤング"の活躍が、壮年部でも婦人部でも光っている。
あの「大阪の戦い」は新しい力が不可能を可能にした。今再び広宣の金字塔を築こう。君と我とで!
近隣の友好を深める。
向こう三軒両隣の
つながりの強さこそ
社会の安心の基盤だ。
松野殿御返事 P1389
『五の巻には我が末世末法に入つて法華経の行者有るべし、其の時其の国に持戒破戒等の無量無辺の僧等集りて国主に讒言して流し失ふべしと説かれたり、然るにかかる経文かたがた符合し候畢んぬ未来に仏に成り候はん事疑いなく覚え候』
【通解】
法華経の第五の巻(の勧持品)には、「私(釈迦仏)の滅後の末法に入って、法華経の行者が現れるであろう。その時、その国に、戒を持った僧、戒を破った僧など、無数の僧たちが集まって、国主に讒言して、法華経の行者を流罪にし、亡き者にしようとする」と説かれています。
こうした経文がことごとく、日蓮の身に符合しました。未来に仏になることは疑いないと確信しています。
〈寸鉄〉 2019年3月14日
列島各地で「3・16」祝う座談会。さあ皆が青年の息吹で!決意固めて飛躍
静岡の富士市、葵・駿河・清水区が師子奮迅。痛快な正義の勝利劇を断じて
広島・呉、山口市、島根・出雲よ開拓魂で勝て!勇気の言論で新しい味方を
まず祈れ。そこに経験も生きる—恩師。逆境破る源は題目。今日も朗々と
若者5割が地域の避難所知らず—意識調査。もしもの備えを。教訓忘るな
☆新時代を築く 我ら地涌の絆は無敵なり 2019年3月5日
季節の変わり目で天候が不順な中、聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」の方々の健康と絶対の無事故を強盛に祈る日々である。
友の幸福のため、労苦をいとわず奮闘する創価家族に、御本仏の御照覧はいかばかりであろうか。
先般、草創から不退の信心を貫いてきたフランス婦人部の懐かしい友人たちが来日された。創価世界女性会館での懇談には、妻も伺ってうれしい再会を果たした(2月27日)。
「友の喜び友の歎き一つなり」(御書934ページ)
この御聖訓さながら苦楽を分かち合い、「お互いに頑張りましょうね」と励まし合う同志のスクラムほど、尊く美しいものはない。
フランスの宝友は"時代を開く""歴史を創る"には、一人一人が自分の決めた課題に挑み、今日を勝ち抜くことだと決め、水の流れるごとく行動してきた。
そして欧州・世界の友と心一つに、日本全国の広布の前進勝利を祈り、エールを送ってくれているのだ。
* * *
思えば、日蓮大聖人御自身が、「この法門を弘めるので、他の人とは比較にならないほど多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)と振り返られている。
「人と会う」「友と語る」——我らの立正安国の挑戦は、大聖人直結であり、仏道修行の真髄である。そこに、仏の勇気も智慧も慈悲も涌現しないわけがない。
「立正安国論」には、対話の極意が示されている。
同じ時代を生きる仲間として現実社会の課題を率直に見つめ、相手の意見に誠実に耳を傾ける。反発にも笑顔で懐深く受け止めつつ、相手の仏性へ信頼を込めて、聡明に信念を語り切っていくのである。
この語らいから生まれる「蘭室の交わり」こそ、地域にも、世界にも、安穏と平和を創り開く力なのだ。
* * *
弥生3月は、青年の月だ。
わが女子部の友が誇らかに歌う「華陽の誓い」が誕生して10周年。「広宣の華」「希望の華」「使命の華」と舞う青春は、喜びの光彩を全世界に広げている。
昨年3月の世界青年部総会を期に、地涌の若人は、いよいよ勢いよく躍り出てきた。
恩師は叫ばれた。
「創価の青年のたくましさを吹き込んでこそ、世界の青年層を力強く蘇らせることができる」
男子部大学校生の拡大も見事だ。創価班、牙城会、白蓮グループの「新時代1期生」の使命は計り知れない。
さらに青年部出身の"ヤング"の活躍が、壮年部でも婦人部でも光っている。
あの「大阪の戦い」は新しい力が不可能を可能にした。今再び広宣の金字塔を築こう。君と我とで!
2019年3月13日水曜日
2019.03.13 わが友に贈る
「強敵を伏して
始めて力士をしる」
自らの苦手を打ち破れば
栄冠は ぐっと近づく。
そこが戦いの急所だ!
内房女房御返事 P1423
『過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり』
【通解】
過去の慈父尊霊は、存命中に南無妙法蓮華経を唱えたのですから、即身成仏の人なのです。
〈寸鉄〉 2019年3月13日
学会には「闘う平和主義」が脈打っている—識者。正義の言論こそ我らの剣
横浜市南・鶴見・緑区が怒濤の追い上げ!神奈川同志の団結で栄光つかめ
千葉の八千代、花見川区、松戸が反転攻勢!敢闘精神赤々燃やし勝利の峰へ
「諸難ありとも疑う心なく」御書。最後に勝つ信心だ。弥弥の祈り強盛に
年度末、交通事故に注意。夕暮れ時に多発。早めの点灯や反射材の使用徹底
☆未来部育成のページ 池田先生の指針 2019年3月5日
◇今の勝利と未来永遠の勝利
心から信頼する未来本部長、また21世紀使命会の皆さん、さらに教育本部の先生方、そして学生部の英才たち! かけがえのない未来部員のために、労苦をいとわず、時間を惜しまず奮闘してくれ、本当にありがとう!
かつて、ヨーロッパのヒューマニズムの哲人は、"幾つ銅像を建てようとも、優れた後継者を育てること以上の麗しい記念碑はない"と叫びました。
私は恩師・戸田先生の七回忌を期して、学会の「本門の時代」を宣言し、そして未来部を結成しました。以来、いかなる眼前の激戦の真っ只中でも、未来部の育成は断固として手放さずに貫き通してきました。
この私の心を、誰よりも揺るぎなく皆さん方が受け継いでくれ、これほど頼もしいことはありません。
日蓮大聖人は、「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり」(御書183ページ)と仰せになられました。
皆さんと私の不二の祈りで、創価の今の勝利と、そして未来永遠の勝利を千里の外に決していこう!
華果成就御書に「源に水あれば流かはかず」(同900ページ)と仰せの通り、誉れの源である皆さんの満々たる生命力と励ましで、地涌の後継の流れを更に勢いよく頼みます。
最も陰徳深き皆さん方と一家眷属が、無量の陽報に包まれゆくことを、私は妻と祈り抜いてまいります。
人の何倍も忙しいからこそ、師子吼の題目で、人の何倍も頑健に聡明に、偉大なる人間革命の勝利者であれ! どうか、お元気で!
〈2018年12月、「全国未来本部長・未来部長会」へのメッセージ(抜粋)〉
☆私がつくる平和の文化 第3回 女性と男性の平等
インタビュー ジャーナリスト 治部れんげさん
◇男女ともに生きやすい社会を
3月8日は「国際女性デー」(国連が1975年の「国際婦人年」に当たり制定)です。「私がつくる平和の文化」第3回のテーマ「女性と男性の平等」で登場していただくのは、働く女性や育児、家族を巡る社会問題が専門のジャーナリスト、治部れんげさん。自身も2児の母であり、政府主催の「国際女性会議WAW!」国内アドバイザーとしても活躍する治部さんに、男女共に人権が尊重される社会について語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
——国連の「平和の文化に関する宣言」では、女性に対するあらゆる形態の差別と暴力をなくすための努力を訴えています。
治部 「平和」とは、単に戦争がないということではない。一人一人の人権が尊重される社会のありようを訴えていることが重要ですね。私は、女性が暴力を受けない社会とは、男性にとっても「平和」な社会だと思います。
ここ数年、アメリカから起こった「Me Too運動」は、セクハラや性暴力に対する告発ですが、もし部下の女性が大事な取引先の社長の娘だったら、上司はセクハラなどするでしょうか。しないはずです。そう考えると、結局、力関係や立場で人を従わせようとする「権力構造」が根底にあることが分かります。「弱い人間を見下す」という態度です。
だから女性に対するセクハラが起こるような職場には、たいていパワハラも横行しています。男性も女性も、権力を持った上司から威圧的に扱われたり、体調が悪くても休めなかったりするのです。
こうした「人を見下す」姿勢は、非常時になると増幅されます。紛争地域では、ふだん弱い立場にいる女性や子どもは、筆舌に尽くせぬ被害を受けることになります。
過激派組織「イスラム国」による性暴力を国際社会に告発し、2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんのように、戦時下で悲惨な暴力に遭っている女性や子どもが、今もたくさんいます。過去の戦争を調べていくと、そういうことをしていない軍隊はないと思います。
非常時という点でいえば、日本では大きな災害が起こった時に、やはり弱い立場の女性や子どもが被害者になりやすい。現実に、ある調査では、避難所での子どもを含む女性への複数の性被害が報告されています。
平時から人権意識を養っておかないと、非常時には無意識のうちに弱い人を傷つけてしまいます。
こうしたハラスメント、暴力をなくすことが、男女共に生きやすい社会をつくることにつながると思います。
——「平和の文化に関する宣言」では、女性および男性の平等の権利と機会均等を呼び掛けていますが、世界的に見て日本の男女平等はどれくらいの位置にありますか。
治部 男女格差の度合いを示す「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」(世界経済フォーラム)では、2018年には149カ国のうち110位。先進国では最下位です。女性の上場企業の役員比率を見ると、イギリスでは30%を超えていますが、日本は4%しかいません。政治の分野では、国会議員の少なさが際立っており(衆議院10・1%、参議院20・7%、2018年2月)、「日本は依然として相対的に、男女平等が進んでいない経済圏の一つ」と厳しく指摘されています。
最近は国際会議の場でも、政治・経済・軍事・外交・環境・人権などあらゆる分野を「ジェンダー(社会的性差)の視点」から検討するという、「ジェンダー主流化」が重要視されています。世界は、どんなことでも「ジェンダー平等」を考えて動かざるを得ない時代になっているのです。
今の日本のように、大事な意思決定の場に女性が少なすぎたり、生活の場に男性が少なすぎる状況を解消し、多様な意見を反映した社会を築かなければ、日本は世界から取り残されてしまうでしょう。
私たちの身近なことでいえば、例えば地域の自治会などは、高齢の男性社会になりがちです。女性も地域に貢献しているのに、大事な意思決定の場には入れてもらえない。男女平等が「文化=生き方」として根付いているかどうかは、地域の避難訓練などの時に、おじさんだけでなく、おばさんもちゃんと発言できているかどうかで分かります。
男女の平等を女性だけで話し合っていても、何も変わりません。男性にも参加してもらい、率直に語り合うことがとても大切です。
——治部さんは、途上国の少女の自立を支援する活動もされていますね。
治部 よく言われるのは、途上国で貧しい生活をしている母親に小口のお金を貸し付けると、母親はそれを子どもに投資するんです。すると、女の子も学校に行けるようになって、栄養・健康状態も良くなる。つまり、女の子や女性に対するエンパワーメントは、次の世代にまでいいリターンとなって返ってくることが、国際的な経済の文脈の中でも強調されているのです。
◇互いに感謝する
——女性も男性も幸福に生きられる社会のために、何から始めたらよいでしょうか。
治部 「女性と男性の平等」を目指すとは、人権が尊重される社会をつくることにほかなりません。女性も男性も、「性別による役割分担」に縛られていると、自由がなく、生きづらい思いをするでしょう。
私も経験がありますが、たいてい職場の上司は子育て中の女性社員には「早く帰った方がいいよ」と声を掛けますが、同じ立場の男性には、仕事をしていて当然とばかりに何の配慮もしません。結局、そのしわ寄せは、妻である女性が受けることになります。
人口減少の時代を迎えて、日本の企業はもっと「人」を大切にしていくべきではないでしょうか。管理職も同僚も、想像力を働かせて、一人一人の状況をよく理解し、応援していくことが大事です。
職場に限らず、地域でも家庭の中でも、"男性だから""女性だから"ではなく、その人らしく活躍できるよう、意識を変え、仕組みを変える。そのことが生き方の選択肢を広げ、豊かさにつながっていくと思うのです。
最後に家庭人として考えたいことがあります。私がアメリカの共働き家庭を取材した時、夫たちは家事について「ヘルプ(手伝う)」ではなく、「シェア(分かち合う)」という言葉を使っていました。そこには、家庭の責任を自分も担っているとの意識がありました。そういう思いがあれば、家事をしてもらった時、「ありがとう」の言葉が自然と出てくると思います。
互いに、今あることを当たり前と思わず感謝する——そこから家庭の平和は始まり、職場や地域にも広がっていくのではないでしょうか。
じぶ・れんげ 経済誌記者を経てフリージャーナリスト。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。東京大学情報学環客員研究員。東京都男女平等参画審議会委員(第5期)。近著に『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版社)。
池田先生の指針から
自分が今いる、その場所で、身近な現実を決して疎かにせず、縁する人々を大事にし、生命を大切にしていこうとする——こうした女性の知恵と力が伸びやかに反映される社会でこそ、地球的課題の打開も、世界の平和も、堅実に前進していくに違いない。
◇
大切なことは、女性も男性も、人間として「幸福になる」ということです。幸福になるのが「目的」であり、他は「手段」です。「こうあるべきだ」と決めつけ、それが、どんなに正論のように見えても、それを実行して不幸になったのでは何にもなりません。また女性が不幸のままで男性だけが幸福になれるわけもない。
池田大作
(前半は『池田大作 名言100選』、後半は『法華経の智慧〈中〉』竜女成仏——大いなる「女性の人権宣言」から)
地域・家庭でも尊重し合って
女性も男性も、役割を決め付けず、互いに支え合おう——そんな思いで活躍する2人の人を取材しました。
福岡市に住む菊本久美子さんは5年前、地元の校区内の町内会で初の女性町内会長に選ばれた。
保護司や民生委員、小学校での読み聞かせなどを通し、地域と積極的に関わってきた。「でも大事なことを決める時には男の人しかいない。女性もそれに疑問を感じていませんでした」
就任当初、行事で町内会長が並んだ時、自分を珍しそうに見る目を感じた。またある会合で意見を述べた時は、「9人の男性町内会長を前に堂々としているんだから、この人は女じゃない」と心ない言葉も浴びた。
だが菊本さんが、災害弱者の把握や河川敷の歩道の舗装など町内の課題に真摯に取り組む姿に、周囲の見方は変わった。「いいじゃないか」「頑張ってね」
昨年には同じ校区内に2人目の女性町内会長が誕生。「女性がいるのは普通だよね、という雰囲気が出てきました。男性が慣れてきたのかもしれません」
男性、女性という前に「人として」「命を守る」という視点を持って行動する——そこから、平和な社会が築かれていくと、菊本さんは確信する。
◇
大阪市在住の川�敏行さんは5歳の長男と3歳の長女の父。妻・真利さんが長男出産後、育児ストレスを抱え込んだ。
川�さんは"育児は女性の仕事"と決め付けていたことを反省。その気持ちを感謝の言葉と花束に込めて毎月、贈った。「ママもパパも笑顔の家庭が、子どもには一番です」
"初心者マーク"の川�さんが子どもをおぶって外出すると、新しい世界が開けた。スーパーでは、食品や育児グッズの値段に目が行き、相場が分かるようになった。一緒に電車に乗れば、ぐずり始めた時の肩身の狭さや、おむつ替えベッドを探すのがいかに大変かを思い知った。
その気づきから、同じ子育て中の地域のパパたちと、何でも語り合う「イクダン会」を結成した。その存在はママたちにも喜ばれ、地域の絆が広がった。
さらに思い切って、職場の子連れ出勤制度を利用し始めた。すると、今まで遠慮していた同僚たちも続くようになり、職場の意識も変わっていった。
川�さんは語る。
「人間として、目の前の相手や周囲への思いやりこそ、幸福への一歩です」
始めて力士をしる」
自らの苦手を打ち破れば
栄冠は ぐっと近づく。
そこが戦いの急所だ!
内房女房御返事 P1423
『過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり』
【通解】
過去の慈父尊霊は、存命中に南無妙法蓮華経を唱えたのですから、即身成仏の人なのです。
〈寸鉄〉 2019年3月13日
学会には「闘う平和主義」が脈打っている—識者。正義の言論こそ我らの剣
横浜市南・鶴見・緑区が怒濤の追い上げ!神奈川同志の団結で栄光つかめ
千葉の八千代、花見川区、松戸が反転攻勢!敢闘精神赤々燃やし勝利の峰へ
「諸難ありとも疑う心なく」御書。最後に勝つ信心だ。弥弥の祈り強盛に
年度末、交通事故に注意。夕暮れ時に多発。早めの点灯や反射材の使用徹底
☆未来部育成のページ 池田先生の指針 2019年3月5日
◇今の勝利と未来永遠の勝利
心から信頼する未来本部長、また21世紀使命会の皆さん、さらに教育本部の先生方、そして学生部の英才たち! かけがえのない未来部員のために、労苦をいとわず、時間を惜しまず奮闘してくれ、本当にありがとう!
かつて、ヨーロッパのヒューマニズムの哲人は、"幾つ銅像を建てようとも、優れた後継者を育てること以上の麗しい記念碑はない"と叫びました。
私は恩師・戸田先生の七回忌を期して、学会の「本門の時代」を宣言し、そして未来部を結成しました。以来、いかなる眼前の激戦の真っ只中でも、未来部の育成は断固として手放さずに貫き通してきました。
この私の心を、誰よりも揺るぎなく皆さん方が受け継いでくれ、これほど頼もしいことはありません。
日蓮大聖人は、「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり」(御書183ページ)と仰せになられました。
皆さんと私の不二の祈りで、創価の今の勝利と、そして未来永遠の勝利を千里の外に決していこう!
華果成就御書に「源に水あれば流かはかず」(同900ページ)と仰せの通り、誉れの源である皆さんの満々たる生命力と励ましで、地涌の後継の流れを更に勢いよく頼みます。
最も陰徳深き皆さん方と一家眷属が、無量の陽報に包まれゆくことを、私は妻と祈り抜いてまいります。
人の何倍も忙しいからこそ、師子吼の題目で、人の何倍も頑健に聡明に、偉大なる人間革命の勝利者であれ! どうか、お元気で!
〈2018年12月、「全国未来本部長・未来部長会」へのメッセージ(抜粋)〉
☆私がつくる平和の文化 第3回 女性と男性の平等
インタビュー ジャーナリスト 治部れんげさん
◇男女ともに生きやすい社会を
3月8日は「国際女性デー」(国連が1975年の「国際婦人年」に当たり制定)です。「私がつくる平和の文化」第3回のテーマ「女性と男性の平等」で登場していただくのは、働く女性や育児、家族を巡る社会問題が専門のジャーナリスト、治部れんげさん。自身も2児の母であり、政府主催の「国際女性会議WAW!」国内アドバイザーとしても活躍する治部さんに、男女共に人権が尊重される社会について語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
——国連の「平和の文化に関する宣言」では、女性に対するあらゆる形態の差別と暴力をなくすための努力を訴えています。
治部 「平和」とは、単に戦争がないということではない。一人一人の人権が尊重される社会のありようを訴えていることが重要ですね。私は、女性が暴力を受けない社会とは、男性にとっても「平和」な社会だと思います。
ここ数年、アメリカから起こった「Me Too運動」は、セクハラや性暴力に対する告発ですが、もし部下の女性が大事な取引先の社長の娘だったら、上司はセクハラなどするでしょうか。しないはずです。そう考えると、結局、力関係や立場で人を従わせようとする「権力構造」が根底にあることが分かります。「弱い人間を見下す」という態度です。
だから女性に対するセクハラが起こるような職場には、たいていパワハラも横行しています。男性も女性も、権力を持った上司から威圧的に扱われたり、体調が悪くても休めなかったりするのです。
こうした「人を見下す」姿勢は、非常時になると増幅されます。紛争地域では、ふだん弱い立場にいる女性や子どもは、筆舌に尽くせぬ被害を受けることになります。
過激派組織「イスラム国」による性暴力を国際社会に告発し、2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんのように、戦時下で悲惨な暴力に遭っている女性や子どもが、今もたくさんいます。過去の戦争を調べていくと、そういうことをしていない軍隊はないと思います。
非常時という点でいえば、日本では大きな災害が起こった時に、やはり弱い立場の女性や子どもが被害者になりやすい。現実に、ある調査では、避難所での子どもを含む女性への複数の性被害が報告されています。
平時から人権意識を養っておかないと、非常時には無意識のうちに弱い人を傷つけてしまいます。
こうしたハラスメント、暴力をなくすことが、男女共に生きやすい社会をつくることにつながると思います。
——「平和の文化に関する宣言」では、女性および男性の平等の権利と機会均等を呼び掛けていますが、世界的に見て日本の男女平等はどれくらいの位置にありますか。
治部 男女格差の度合いを示す「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」(世界経済フォーラム)では、2018年には149カ国のうち110位。先進国では最下位です。女性の上場企業の役員比率を見ると、イギリスでは30%を超えていますが、日本は4%しかいません。政治の分野では、国会議員の少なさが際立っており(衆議院10・1%、参議院20・7%、2018年2月)、「日本は依然として相対的に、男女平等が進んでいない経済圏の一つ」と厳しく指摘されています。
最近は国際会議の場でも、政治・経済・軍事・外交・環境・人権などあらゆる分野を「ジェンダー(社会的性差)の視点」から検討するという、「ジェンダー主流化」が重要視されています。世界は、どんなことでも「ジェンダー平等」を考えて動かざるを得ない時代になっているのです。
今の日本のように、大事な意思決定の場に女性が少なすぎたり、生活の場に男性が少なすぎる状況を解消し、多様な意見を反映した社会を築かなければ、日本は世界から取り残されてしまうでしょう。
私たちの身近なことでいえば、例えば地域の自治会などは、高齢の男性社会になりがちです。女性も地域に貢献しているのに、大事な意思決定の場には入れてもらえない。男女平等が「文化=生き方」として根付いているかどうかは、地域の避難訓練などの時に、おじさんだけでなく、おばさんもちゃんと発言できているかどうかで分かります。
男女の平等を女性だけで話し合っていても、何も変わりません。男性にも参加してもらい、率直に語り合うことがとても大切です。
——治部さんは、途上国の少女の自立を支援する活動もされていますね。
治部 よく言われるのは、途上国で貧しい生活をしている母親に小口のお金を貸し付けると、母親はそれを子どもに投資するんです。すると、女の子も学校に行けるようになって、栄養・健康状態も良くなる。つまり、女の子や女性に対するエンパワーメントは、次の世代にまでいいリターンとなって返ってくることが、国際的な経済の文脈の中でも強調されているのです。
◇互いに感謝する
——女性も男性も幸福に生きられる社会のために、何から始めたらよいでしょうか。
治部 「女性と男性の平等」を目指すとは、人権が尊重される社会をつくることにほかなりません。女性も男性も、「性別による役割分担」に縛られていると、自由がなく、生きづらい思いをするでしょう。
私も経験がありますが、たいてい職場の上司は子育て中の女性社員には「早く帰った方がいいよ」と声を掛けますが、同じ立場の男性には、仕事をしていて当然とばかりに何の配慮もしません。結局、そのしわ寄せは、妻である女性が受けることになります。
人口減少の時代を迎えて、日本の企業はもっと「人」を大切にしていくべきではないでしょうか。管理職も同僚も、想像力を働かせて、一人一人の状況をよく理解し、応援していくことが大事です。
職場に限らず、地域でも家庭の中でも、"男性だから""女性だから"ではなく、その人らしく活躍できるよう、意識を変え、仕組みを変える。そのことが生き方の選択肢を広げ、豊かさにつながっていくと思うのです。
最後に家庭人として考えたいことがあります。私がアメリカの共働き家庭を取材した時、夫たちは家事について「ヘルプ(手伝う)」ではなく、「シェア(分かち合う)」という言葉を使っていました。そこには、家庭の責任を自分も担っているとの意識がありました。そういう思いがあれば、家事をしてもらった時、「ありがとう」の言葉が自然と出てくると思います。
互いに、今あることを当たり前と思わず感謝する——そこから家庭の平和は始まり、職場や地域にも広がっていくのではないでしょうか。
じぶ・れんげ 経済誌記者を経てフリージャーナリスト。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。東京大学情報学環客員研究員。東京都男女平等参画審議会委員(第5期)。近著に『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版社)。
池田先生の指針から
自分が今いる、その場所で、身近な現実を決して疎かにせず、縁する人々を大事にし、生命を大切にしていこうとする——こうした女性の知恵と力が伸びやかに反映される社会でこそ、地球的課題の打開も、世界の平和も、堅実に前進していくに違いない。
◇
大切なことは、女性も男性も、人間として「幸福になる」ということです。幸福になるのが「目的」であり、他は「手段」です。「こうあるべきだ」と決めつけ、それが、どんなに正論のように見えても、それを実行して不幸になったのでは何にもなりません。また女性が不幸のままで男性だけが幸福になれるわけもない。
池田大作
(前半は『池田大作 名言100選』、後半は『法華経の智慧〈中〉』竜女成仏——大いなる「女性の人権宣言」から)
地域・家庭でも尊重し合って
女性も男性も、役割を決め付けず、互いに支え合おう——そんな思いで活躍する2人の人を取材しました。
福岡市に住む菊本久美子さんは5年前、地元の校区内の町内会で初の女性町内会長に選ばれた。
保護司や民生委員、小学校での読み聞かせなどを通し、地域と積極的に関わってきた。「でも大事なことを決める時には男の人しかいない。女性もそれに疑問を感じていませんでした」
就任当初、行事で町内会長が並んだ時、自分を珍しそうに見る目を感じた。またある会合で意見を述べた時は、「9人の男性町内会長を前に堂々としているんだから、この人は女じゃない」と心ない言葉も浴びた。
だが菊本さんが、災害弱者の把握や河川敷の歩道の舗装など町内の課題に真摯に取り組む姿に、周囲の見方は変わった。「いいじゃないか」「頑張ってね」
昨年には同じ校区内に2人目の女性町内会長が誕生。「女性がいるのは普通だよね、という雰囲気が出てきました。男性が慣れてきたのかもしれません」
男性、女性という前に「人として」「命を守る」という視点を持って行動する——そこから、平和な社会が築かれていくと、菊本さんは確信する。
◇
大阪市在住の川�敏行さんは5歳の長男と3歳の長女の父。妻・真利さんが長男出産後、育児ストレスを抱え込んだ。
川�さんは"育児は女性の仕事"と決め付けていたことを反省。その気持ちを感謝の言葉と花束に込めて毎月、贈った。「ママもパパも笑顔の家庭が、子どもには一番です」
"初心者マーク"の川�さんが子どもをおぶって外出すると、新しい世界が開けた。スーパーでは、食品や育児グッズの値段に目が行き、相場が分かるようになった。一緒に電車に乗れば、ぐずり始めた時の肩身の狭さや、おむつ替えベッドを探すのがいかに大変かを思い知った。
その気づきから、同じ子育て中の地域のパパたちと、何でも語り合う「イクダン会」を結成した。その存在はママたちにも喜ばれ、地域の絆が広がった。
さらに思い切って、職場の子連れ出勤制度を利用し始めた。すると、今まで遠慮していた同僚たちも続くようになり、職場の意識も変わっていった。
川�さんは語る。
「人間として、目の前の相手や周囲への思いやりこそ、幸福への一歩です」
2019年3月12日火曜日
2019.03.12 わが友に贈る
誓いし「この道」を
猛然と歩む大中部よ!
諸天をも揺り動かす
我ら堅塁城の底力を
満天下に示しゆこう!
祈祷経送状 P1357
『仮使山谷に篭居候とも御病も平癒して便宜も吉候はば身命を捨て弘通せしめ給ふべし』
【通解】
たとえ山谷に籠ったとしても、御病気も治って、よい機会があれば身命を捨てて弘通されるがよい。
〈寸鉄〉 2019年3月12日
「常住とは法華経の行者の住処」御書。今いる場所で三変土田のドラマを
春日部、さいたま市大宮・中央区が勇戦。速度と勢いで勝て!さあ猛撃だ
京都の山科・中京・下京が威風堂々の前進。団結で壁破れ!勝利へ走り抜け
斯の人は世間に行じて能く衆生の闇を滅し—経文われらこそ希望送る太陽
若者中心にデート商法の被害と。何事も安易な契約は禁物。心の守り固く
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第17回 東京校 1991〜93年度
◇"あそこまでやれたのだ"との自分史を残せ!
◇同じ劇なら「喜びの劇」「栄光の劇」を!
「皆さんもまた、『あの、わが学園時代ほど、人は偉大には生きられない』と言いきれる、誇り高き3年間、また6年間を勝ち取っていただきたい」
東京・創価学園の第24回入学式(1991年4月8日)で、創立者・池田先生は新入生に呼び掛けた。
社会的な成功や勝利は、華やかに見えるかもしれない。しかし、地道な忍耐の「学びの時代」に、何を願い、目指し、どう未来へと生きているのか。その"因"としての姿にこそ、何ものにもかえがたい人生の躍動がある——と。
先生は当時、創価の絆を分断しようとする悪侶らとの闘争の渦中にあった。しかし、そんなことは歯牙にもかけない。
もし、今の心境を聞かれたならば、何と答えるか——。同年、学園を訪れた時に、こう真情を述べた。
「私が考えているのは、21世紀には、わが学園生が、この地球を、ところ狭しと駆けめぐり、民衆の勝利のための、壮大な活躍を繰り広げるだろうということです」
私には、信頼する君たちがいる! 障魔の嵐の中にあって、先生の心は、学園生の未来に向けられていた。
◇
91年夏、創価高校の女子硬式テニス部が、長野で合宿を行っていた。最終日の7月26日、長野に滞在中の先生と、思いがけない出会いを結ぶ。
「記念撮影をしよう」
先生は、皆の顔がはっきり写るように、自ら並び順などの調整を。
一人一人を見つめながら、「これからだよね」「いい顔をしているね」と激励。
学園生が帰る際には、香峯子夫人と共に、バスが見えなくなるまで手を振って見送った。
当時、3年生だった中澤清美さん(高校22期)。「先生の真心の励ましに"将来必ず、会計の分野で活躍する"と誓いました」
創価大学時代には、公認会計士を志したものの断念。卒業後は、会計士事務所で働きながら、税理士を目指して勉強に打ち込んだ。
税理士になるには、5科目の合格が必要。中澤さんが最後の試験を突破したのは、2014年。学園を卒業してから、20年以上がたっていた。
「諦めずに挑戦を続けてこられたのは、学園時代の先生との誓いがあったからです」
中澤さんは、「『自分を鍛えた人』が幸福、勝利者」との見出しと共に、長野での記念写真が掲載された聖教新聞のコピーを、今も大切に持っている。
あの日、一緒にカメラに納まった女子硬式テニス部の友は、毎年7月に原点を確認し合い、「これからだよね」と励まし合っている。
メンバーは現在、医師や看護師、小・中学、高校の教員などとして活躍。結婚して育児や介護に奮闘する人や、アメリカ、カナダ、フランス、スペイン、中国、オーストラリアなどに渡った海外経験者もいる。
◇安心を与える人に
"夏休み前に何か思い出を"——池田先生の提案で、開校1年目から始まった「栄光祭」。翌年の第2回以降、7月17日を中心に開催され、先生も毎年出席してきた。学園生にとって、創立者との絆を強く固く結びゆく一大行事である。
25回目の節を刻んだ1992年。学園生たちは「はばたけ 勇者の翼」とのテーマを掲げ、当日に向け、全校で対話運動を展開。"本当の勇者とは""その勇者に自分たちはなれるのか""そのために今、どんな学園時代を過ごすべきか"——「7・17」の歴史を学びながら、一人一人がその意義を深めていった。
池田先生を迎えて行われた本番。学園生は自身の決意を、元気いっぱいの歌や踊りで表現。先生も音に合わせ、共に体を揺らし、喝采を送る。
メイン演技の後、スピーチに立った先生は、"勇者の心"を歌い上げた学園生に応え、ローマの英雄シーザーの逸話を通して力説した。
「どんな時でも、"自分は絶対に負けない""かならず勝ってみせる"——この確信が『幸福』を築く」
「どうか皆さんも、"私と一緒にいるかぎり心配ない。大丈夫だ!"と、周囲の人に安心と希望をあたえていける勇者に成長していただきたい」
スピーチが終わり、最後の校歌斉唱へ移ろうとした時だった。
一人の中学生が声を上げた。
「先生! もう一度踊りたいです!」
瞬間、先生が応える。
「よし、やろうよ」
思いがけない"第2幕"。総立ちとなり、肩を組みながら、中学生・女子高校生・男子高校生が次々と、歌い、舞う。はじけるような歓喜が会場を包んだ。
高校3年生だった柳谷正明さん(高校23期)。「"世界を駆けめぐるのは、諸君の道を開くためです"との先生の言葉が心に残っています」
創大を卒業して、大手事務機器メーカーに就職。2011年には、社内で全国1位の成績を収めた。昨年からは、ベトナムの現地法人の社長に就任。先生が開いた道を力強く歩んでいる。
◇獅子の子だから
1993年7月16日、本番を翌日に控えた第26回栄光祭の総合リハーサル。席上、学園の理事長から池田先生の伝言が紹介された。
「学園生は獅子の子だから。先生は、新しい歴史を開くために動かねばいけないので、皆で元気いっぱい、楽しくやりなさい」
それは、"欠席"を伝えるものだった。
場内に動揺が広がる。互いに顔を見合わせる人。涙をこらえる人。目を見開き、大きく息を吸い込む人……。
「先生が出席されると信じていたので、最初はとても驚きました。しかし、"未来の模範となる栄光祭にするんだ"との決意が沸々と湧き上がってきました」(当時の実行委員)
学園生は四半世紀の伝統を踏まえ、新たな歴史を開く祭典にしようと、日々語り合っていた。
池田先生も、そんな学園生へエールを送るように、7月5日から10回にわたり、聖教新聞紙上で「アレキサンダー大王とアソカ大王」を巡る「語らい」を連載してきた。
「歴史に押し流されるのも人間なら、歴史をつくるのも人間です。私たちは、『歴史をつくる人間』でありたい」
「歴史を開いた偉業は、その時だけにとどまらない。偉業を慕う人々を後世に生み、多くの人々を奮い立たせる」
そして、その連載は、栄光祭当日の7月17日に完結する。
「『あのとき自分は、あそこまでやれたのだ』という、自分自身の歴史を残すことです。その事実が人生の最後の勝利へ、大きな土台となっていくのです」
「同じ劇ならば、私たちは『喜びの劇』をつづりたい。世界の歴史に『栄光のドラマ』を刻みたい」
栄光祭当日、登校する学園生の顔に悲しみの色はなかった。会場の体育館には、先生が詠み贈った和歌が巨大な金色のボードに拡大され、掲げられた。
若獅子よ
おお 頭には
月桂冠
乙女の髪には
英知の風吹け
そのボードを見ながら、学園生は、先生に届けとばかりに、全力のパフォーマンスを披露。観賞した卒業生の代表は「まるで、その場に先生がいらっしゃるようでした」。
開校から26年——。
創立者の心を知る鳳雛たちによって、学園の新たな一ページが開かれた瞬間だった。
猛然と歩む大中部よ!
諸天をも揺り動かす
我ら堅塁城の底力を
満天下に示しゆこう!
祈祷経送状 P1357
『仮使山谷に篭居候とも御病も平癒して便宜も吉候はば身命を捨て弘通せしめ給ふべし』
【通解】
たとえ山谷に籠ったとしても、御病気も治って、よい機会があれば身命を捨てて弘通されるがよい。
〈寸鉄〉 2019年3月12日
「常住とは法華経の行者の住処」御書。今いる場所で三変土田のドラマを
春日部、さいたま市大宮・中央区が勇戦。速度と勢いで勝て!さあ猛撃だ
京都の山科・中京・下京が威風堂々の前進。団結で壁破れ!勝利へ走り抜け
斯の人は世間に行じて能く衆生の闇を滅し—経文われらこそ希望送る太陽
若者中心にデート商法の被害と。何事も安易な契約は禁物。心の守り固く
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第17回 東京校 1991〜93年度
◇"あそこまでやれたのだ"との自分史を残せ!
◇同じ劇なら「喜びの劇」「栄光の劇」を!
「皆さんもまた、『あの、わが学園時代ほど、人は偉大には生きられない』と言いきれる、誇り高き3年間、また6年間を勝ち取っていただきたい」
東京・創価学園の第24回入学式(1991年4月8日)で、創立者・池田先生は新入生に呼び掛けた。
社会的な成功や勝利は、華やかに見えるかもしれない。しかし、地道な忍耐の「学びの時代」に、何を願い、目指し、どう未来へと生きているのか。その"因"としての姿にこそ、何ものにもかえがたい人生の躍動がある——と。
先生は当時、創価の絆を分断しようとする悪侶らとの闘争の渦中にあった。しかし、そんなことは歯牙にもかけない。
もし、今の心境を聞かれたならば、何と答えるか——。同年、学園を訪れた時に、こう真情を述べた。
「私が考えているのは、21世紀には、わが学園生が、この地球を、ところ狭しと駆けめぐり、民衆の勝利のための、壮大な活躍を繰り広げるだろうということです」
私には、信頼する君たちがいる! 障魔の嵐の中にあって、先生の心は、学園生の未来に向けられていた。
◇
91年夏、創価高校の女子硬式テニス部が、長野で合宿を行っていた。最終日の7月26日、長野に滞在中の先生と、思いがけない出会いを結ぶ。
「記念撮影をしよう」
先生は、皆の顔がはっきり写るように、自ら並び順などの調整を。
一人一人を見つめながら、「これからだよね」「いい顔をしているね」と激励。
学園生が帰る際には、香峯子夫人と共に、バスが見えなくなるまで手を振って見送った。
当時、3年生だった中澤清美さん(高校22期)。「先生の真心の励ましに"将来必ず、会計の分野で活躍する"と誓いました」
創価大学時代には、公認会計士を志したものの断念。卒業後は、会計士事務所で働きながら、税理士を目指して勉強に打ち込んだ。
税理士になるには、5科目の合格が必要。中澤さんが最後の試験を突破したのは、2014年。学園を卒業してから、20年以上がたっていた。
「諦めずに挑戦を続けてこられたのは、学園時代の先生との誓いがあったからです」
中澤さんは、「『自分を鍛えた人』が幸福、勝利者」との見出しと共に、長野での記念写真が掲載された聖教新聞のコピーを、今も大切に持っている。
あの日、一緒にカメラに納まった女子硬式テニス部の友は、毎年7月に原点を確認し合い、「これからだよね」と励まし合っている。
メンバーは現在、医師や看護師、小・中学、高校の教員などとして活躍。結婚して育児や介護に奮闘する人や、アメリカ、カナダ、フランス、スペイン、中国、オーストラリアなどに渡った海外経験者もいる。
◇安心を与える人に
"夏休み前に何か思い出を"——池田先生の提案で、開校1年目から始まった「栄光祭」。翌年の第2回以降、7月17日を中心に開催され、先生も毎年出席してきた。学園生にとって、創立者との絆を強く固く結びゆく一大行事である。
25回目の節を刻んだ1992年。学園生たちは「はばたけ 勇者の翼」とのテーマを掲げ、当日に向け、全校で対話運動を展開。"本当の勇者とは""その勇者に自分たちはなれるのか""そのために今、どんな学園時代を過ごすべきか"——「7・17」の歴史を学びながら、一人一人がその意義を深めていった。
池田先生を迎えて行われた本番。学園生は自身の決意を、元気いっぱいの歌や踊りで表現。先生も音に合わせ、共に体を揺らし、喝采を送る。
メイン演技の後、スピーチに立った先生は、"勇者の心"を歌い上げた学園生に応え、ローマの英雄シーザーの逸話を通して力説した。
「どんな時でも、"自分は絶対に負けない""かならず勝ってみせる"——この確信が『幸福』を築く」
「どうか皆さんも、"私と一緒にいるかぎり心配ない。大丈夫だ!"と、周囲の人に安心と希望をあたえていける勇者に成長していただきたい」
スピーチが終わり、最後の校歌斉唱へ移ろうとした時だった。
一人の中学生が声を上げた。
「先生! もう一度踊りたいです!」
瞬間、先生が応える。
「よし、やろうよ」
思いがけない"第2幕"。総立ちとなり、肩を組みながら、中学生・女子高校生・男子高校生が次々と、歌い、舞う。はじけるような歓喜が会場を包んだ。
高校3年生だった柳谷正明さん(高校23期)。「"世界を駆けめぐるのは、諸君の道を開くためです"との先生の言葉が心に残っています」
創大を卒業して、大手事務機器メーカーに就職。2011年には、社内で全国1位の成績を収めた。昨年からは、ベトナムの現地法人の社長に就任。先生が開いた道を力強く歩んでいる。
◇獅子の子だから
1993年7月16日、本番を翌日に控えた第26回栄光祭の総合リハーサル。席上、学園の理事長から池田先生の伝言が紹介された。
「学園生は獅子の子だから。先生は、新しい歴史を開くために動かねばいけないので、皆で元気いっぱい、楽しくやりなさい」
それは、"欠席"を伝えるものだった。
場内に動揺が広がる。互いに顔を見合わせる人。涙をこらえる人。目を見開き、大きく息を吸い込む人……。
「先生が出席されると信じていたので、最初はとても驚きました。しかし、"未来の模範となる栄光祭にするんだ"との決意が沸々と湧き上がってきました」(当時の実行委員)
学園生は四半世紀の伝統を踏まえ、新たな歴史を開く祭典にしようと、日々語り合っていた。
池田先生も、そんな学園生へエールを送るように、7月5日から10回にわたり、聖教新聞紙上で「アレキサンダー大王とアソカ大王」を巡る「語らい」を連載してきた。
「歴史に押し流されるのも人間なら、歴史をつくるのも人間です。私たちは、『歴史をつくる人間』でありたい」
「歴史を開いた偉業は、その時だけにとどまらない。偉業を慕う人々を後世に生み、多くの人々を奮い立たせる」
そして、その連載は、栄光祭当日の7月17日に完結する。
「『あのとき自分は、あそこまでやれたのだ』という、自分自身の歴史を残すことです。その事実が人生の最後の勝利へ、大きな土台となっていくのです」
「同じ劇ならば、私たちは『喜びの劇』をつづりたい。世界の歴史に『栄光のドラマ』を刻みたい」
栄光祭当日、登校する学園生の顔に悲しみの色はなかった。会場の体育館には、先生が詠み贈った和歌が巨大な金色のボードに拡大され、掲げられた。
若獅子よ
おお 頭には
月桂冠
乙女の髪には
英知の風吹け
そのボードを見ながら、学園生は、先生に届けとばかりに、全力のパフォーマンスを披露。観賞した卒業生の代表は「まるで、その場に先生がいらっしゃるようでした」。
開校から26年——。
創立者の心を知る鳳雛たちによって、学園の新たな一ページが開かれた瞬間だった。
2019年3月11日月曜日
2019.03.11 わが友に贈る
◇今週のことば
「妙とは蘇生の義なり」
行き詰まりを突破する
広大無辺の力が信心だ。
悩みも活動のバネに
生き生きと勝ち開け!
2019年3月11日
四条金吾殿御返事 P1165
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり』
【通解】
そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。
〈寸鉄〉 2019年3月11日
東日本大震災から8年。犠牲者の冥福祈る。福光の未来へ共に新たな一歩
福岡市の早良区、東区よ攻め捲れ!火の国の民衆パワーで大金星をつかめ
岐阜の日。正義を広げる時は今。堅塁の要の天地に勝利の金字塔を断じて
桜の開花予想、1週間後と。さあ列島に友情の花を!我らの対話で満開に
同居家族や資産聞く電話は詐欺等の前兆と。絶対答えるな。留守電も活用
☆虹を懸ける 池田先生とボリビア� 2019年3月2日
◇未踏の原野を切り開け
南アメリカ大陸の中心に位置し、"南米の心臓"と呼ばれるボリビア。同国の広布の歴史と創価の師弟のドラマを紹介する。
池田先生を中心に広がった世界広布の大潮流。その草創期には、どの地にあっても、未踏の原野を切り開く、血のにじむような苦闘の歩みがあった。
ボリビアも、その一つ。そして、ここは文字通り、広布と人生の開拓が一体となって進んでいった国である。
本年は、ボリビアに初めて日本人が移住して120年。当時のアマゾン地域は、空前の天然ゴムブームに沸いていた。
その中で、日本人がたどり着いたのは、ゴムの集積地があった同国のベニ地方。1899年の9月のことである。
戦後も多くの人々が南米諸国へと渡るが、日本と最初に移住協定を締結したのがボリビアだった。
だが、「一家族当たり五十町歩(約50ヘクタール)分けてもらえる」という好条件に胸を躍らせ、遠い異国の地を踏んだ日本人移民を待っていたのは、「原野」ならぬ「密林」だった。
道も、電気も、水道もないジャングルの大木を切り倒し、農地へと変えていく重労働の毎日——。
ボリビア広布もまた、沖縄や長崎などから海を渡り、ゼロから生活の基盤を築いた日本人会員が中心となって始まった。
◇団結第一
マサコ・カミヤさん(婦人部参事)が日本を発ったのは、1961年2月。16歳の時だった。
「高校生で、"親よりも友達が大事"というくらい、多感な時期でした。さんざん駄々をこねて抵抗しましたが、家族と一緒に泣く泣く移住船に乗ったのです」
日本人の移住地は、主に二つ。沖縄出身者が切り開いた「オキナワ」と、北海道から鹿児島までの人々が集まった「サンファン」である。カミヤさん一家は、サンファンで生活を開始した。
翌62年11月、ボリビアに支部が結成。2地区50世帯からのスタートだった。
日本で入会していたカミヤさんも、女子部の活動に励んだ。「夢も希望も、何もない中で、和気あいあいと語り合える学会の会合だけが、唯一の楽しみでした」
同志の家と家は数十キロも離れていた。馬に乗って激励に、弘教にと歩いた日々。移住地に1部だけ届く聖教新聞を、皆ですり切れるまで回し読みした。
無理解の反発もあった。学会員という理由で、不当解雇された人や、給料が支払われない人もいた。
「でも、何があっても同志は立ち止まりませんでした。苦しい時は題目。どんな時も題目。その中で少しずつ信心の実証が現れ、徐々に信心したいという人が出てきたのです」
カミヤさんは、その後、ラパスに移り、日本語の家庭教師として働きながら、地域で初めての女子部員として広布に走った。
74年3月、池田先生が隣国ペルーを訪問。この折、ボリビアからも、代表メンバーが喜び勇んで駆け付けた。
先生はボリビアの同志と共に勤行。「みんな、よく来たね。仲良く頑張ってね」。この「仲良く」という言葉を2度、3度と繰り返し、一人一人を優しく包み込んだ。
カミヤさんにとって、これが初めての先生との出会いだった。 「あの言葉は今でも耳朶から離れません。先生が教えてくださった団結こそ、ボリビア広布の根本です」
この年の5月、ボリビアSGIは法人認可を取得。広布の勢いは増していく。
やがてカミヤさんは結婚し、32歳でボリビアの婦人部長に就任。3人の娘を育てながら全土を東奔西走した。
ある時は、何十キロも歩いてメンバーのもとへ。またある時は、バスに揺られ、たった一人の同志が活動する地方都市に向かうこともあった。
「大変であればあるほど、決まって『一人を大切に』との先生の言葉が頭に浮かびました。"先生ご自身も、会員のいない国々で、地涌の菩薩の出現を祈ってこられたじゃないか"——そう思って自分を鼓舞し、胸中で題目を唱えました」
会員がいない地域に第1号のメンバーが誕生し、御本尊を安置できた時の感動は、昨日のことのように覚えている。
広布の誓願を胸に、これまで自身のがんなど、幾多の宿命の嵐を乗り越えてきたカミヤさん。
生後間もない頃の大病の影響で、歩行や会話に障がいが残った長女は元気に歩けるようになり、はつらつと学会活動に参加するまでに。次女はブラジルで薬剤師として、三女は国内で歯科医として、社会に尽くしている。
「常に目の前の一人を大切にしながら、報恩の人生を貫きます」と語るカミヤさんの笑顔は、太陽のように明るく輝いている。
◇必ず幸せに!
ボリビア広布に身をささげてきた偉大な開拓者たち。
その一人、タケオ・ヒガさん(方面幹事)は沖縄の出身。1954年、約270人の第1次移民団の一員として、ボリビアへ渡航した。
「うるま移住地」に入ったが、用意されていた住宅は、屋根も壁も不十分な丸太小屋。飲み水にも事欠いた。加えて、原因不明の疫病が流行し、ヒガさんの弟が命を落としてしまう。
一家で別の移住地に移ったヒガさんは、同郷のミツコさん(婦人部参事)と結婚する。"弟の分も"と、心機一転を期していたが、父も病にかかり、自身も病床に。農業にも失敗してしまった。
初めて仏法の話を聞いたのは、そんな絶望の淵に立たされていた時だった。
生きる希望を失いかけていたヒガさんに、サンファン移住地からやって来た学会員は言った。「必ず幸せになれます!」と。
その言葉に心動かされ、65年に入会。題目を唱えると知恵が湧いた。さまざまな工夫を凝らす中で収穫高が上がり、生活も少しずつよくなっていった。
さらに子育てと内職による多忙から体調を崩していたミツコさんも、学会活動の中で、いつしか健康な体に。"この御本尊はすごい!"——夫婦で確信をつかんだ。
経済革命を果たしたヒガさん夫妻は、日本で幾度も師との出会いを結ぶ。"持続の信心が大事だよ。どんなことが起ころうが、信心さえ貫いていけば、必ず幸せな境涯になる"との激励は、人生の指針だ。
その後、日本企業に就職し、71歳まで勤め上げたヒガさん。5人の子は皆、結婚し、ボリビアやペルー、日本で、それぞれ広布後継の大道を歩んでいる。
心に刻む御文は「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)。持続の信心の確信が、同志を励ます力になっている。
◇真面目な信心を
ケンタロウ・ナグモさん(方面幹事)も、62年に一家でボリビアへ移住した。
長崎の「軍艦島」の通称で知られる端島の出身。さまざまな宗教を遍歴した後、"題目の響きに引かれた"という母と共に、58年に入会した。
サンファン移住地に入り、経済苦の中で信心に励むようになったナグモさん。その後、ブラジルへ約2年、出稼ぎに。そこでもSGIの会合に参加し、求道の炎を燃やした。
ボリビアに戻ってからは、ラパスで通信関係の会社に就職する。
ある日、会社の野球チームの練習中、ボールが額を直撃。頭蓋骨が陥没する大けがを負う。すぐに緊急手術。医師は"あと1センチずれていれば命はなかった"と。わずか2週間で職場復帰することができた。
「転重軽受」の法理をかみ締め、学会活動にも一層、力が込もった。
当時、ラパスのSGIメンバーは4、5人ほど。ナグモさん自身も年間の大半が出張という状況だったが、信心からは一歩も引かなかった。地区部長、支部長を務め、着実に広布の水かさは増していった。
大切にしている指針は"真面目に信心に励めば、50代、60代で揺るぎない境涯を築くことができる"との師の指導。池田先生がブラジルを訪問した93年には、ナグモさんも現地へ。一人一人を抱きかかえるようにして励ます師の雄姿をまぶたに焼き付けた。
20年ほど前、会社を退職し、ラパスでホテルを開業。地域で評判の宿として信頼を広げていった。
そんなナグモさんを突然の悲劇が襲ったのは5年前。事故で長男を失ったのだ。
深い悲しみに沈むナグモさんのもとに、池田先生から温かな励ましの伝言が届く。師の真心に涙を拭い、"息子のためにも、絶対に負けない"と前を向いた。
「どんな時も信心をおろそかにしたことはありません。生涯、先生と共に広布に生き抜きます。それこそが、息子が喜んでくれる道だからです」
そう語るナグモさんは、2支部に発展したラパス広布の拡大へ、後継の人材育成に走っている。
——師弟の誓いに燃えるパイオニアたちによって蒔かれた妙法の種。それは、90年代に入り、ボリビア全土で大きく花開いていく。
「妙とは蘇生の義なり」
行き詰まりを突破する
広大無辺の力が信心だ。
悩みも活動のバネに
生き生きと勝ち開け!
2019年3月11日
四条金吾殿御返事 P1165
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり』
【通解】
そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。
〈寸鉄〉 2019年3月11日
東日本大震災から8年。犠牲者の冥福祈る。福光の未来へ共に新たな一歩
福岡市の早良区、東区よ攻め捲れ!火の国の民衆パワーで大金星をつかめ
岐阜の日。正義を広げる時は今。堅塁の要の天地に勝利の金字塔を断じて
桜の開花予想、1週間後と。さあ列島に友情の花を!我らの対話で満開に
同居家族や資産聞く電話は詐欺等の前兆と。絶対答えるな。留守電も活用
☆虹を懸ける 池田先生とボリビア� 2019年3月2日
◇未踏の原野を切り開け
南アメリカ大陸の中心に位置し、"南米の心臓"と呼ばれるボリビア。同国の広布の歴史と創価の師弟のドラマを紹介する。
池田先生を中心に広がった世界広布の大潮流。その草創期には、どの地にあっても、未踏の原野を切り開く、血のにじむような苦闘の歩みがあった。
ボリビアも、その一つ。そして、ここは文字通り、広布と人生の開拓が一体となって進んでいった国である。
本年は、ボリビアに初めて日本人が移住して120年。当時のアマゾン地域は、空前の天然ゴムブームに沸いていた。
その中で、日本人がたどり着いたのは、ゴムの集積地があった同国のベニ地方。1899年の9月のことである。
戦後も多くの人々が南米諸国へと渡るが、日本と最初に移住協定を締結したのがボリビアだった。
だが、「一家族当たり五十町歩(約50ヘクタール)分けてもらえる」という好条件に胸を躍らせ、遠い異国の地を踏んだ日本人移民を待っていたのは、「原野」ならぬ「密林」だった。
道も、電気も、水道もないジャングルの大木を切り倒し、農地へと変えていく重労働の毎日——。
ボリビア広布もまた、沖縄や長崎などから海を渡り、ゼロから生活の基盤を築いた日本人会員が中心となって始まった。
◇団結第一
マサコ・カミヤさん(婦人部参事)が日本を発ったのは、1961年2月。16歳の時だった。
「高校生で、"親よりも友達が大事"というくらい、多感な時期でした。さんざん駄々をこねて抵抗しましたが、家族と一緒に泣く泣く移住船に乗ったのです」
日本人の移住地は、主に二つ。沖縄出身者が切り開いた「オキナワ」と、北海道から鹿児島までの人々が集まった「サンファン」である。カミヤさん一家は、サンファンで生活を開始した。
翌62年11月、ボリビアに支部が結成。2地区50世帯からのスタートだった。
日本で入会していたカミヤさんも、女子部の活動に励んだ。「夢も希望も、何もない中で、和気あいあいと語り合える学会の会合だけが、唯一の楽しみでした」
同志の家と家は数十キロも離れていた。馬に乗って激励に、弘教にと歩いた日々。移住地に1部だけ届く聖教新聞を、皆ですり切れるまで回し読みした。
無理解の反発もあった。学会員という理由で、不当解雇された人や、給料が支払われない人もいた。
「でも、何があっても同志は立ち止まりませんでした。苦しい時は題目。どんな時も題目。その中で少しずつ信心の実証が現れ、徐々に信心したいという人が出てきたのです」
カミヤさんは、その後、ラパスに移り、日本語の家庭教師として働きながら、地域で初めての女子部員として広布に走った。
74年3月、池田先生が隣国ペルーを訪問。この折、ボリビアからも、代表メンバーが喜び勇んで駆け付けた。
先生はボリビアの同志と共に勤行。「みんな、よく来たね。仲良く頑張ってね」。この「仲良く」という言葉を2度、3度と繰り返し、一人一人を優しく包み込んだ。
カミヤさんにとって、これが初めての先生との出会いだった。 「あの言葉は今でも耳朶から離れません。先生が教えてくださった団結こそ、ボリビア広布の根本です」
この年の5月、ボリビアSGIは法人認可を取得。広布の勢いは増していく。
やがてカミヤさんは結婚し、32歳でボリビアの婦人部長に就任。3人の娘を育てながら全土を東奔西走した。
ある時は、何十キロも歩いてメンバーのもとへ。またある時は、バスに揺られ、たった一人の同志が活動する地方都市に向かうこともあった。
「大変であればあるほど、決まって『一人を大切に』との先生の言葉が頭に浮かびました。"先生ご自身も、会員のいない国々で、地涌の菩薩の出現を祈ってこられたじゃないか"——そう思って自分を鼓舞し、胸中で題目を唱えました」
会員がいない地域に第1号のメンバーが誕生し、御本尊を安置できた時の感動は、昨日のことのように覚えている。
広布の誓願を胸に、これまで自身のがんなど、幾多の宿命の嵐を乗り越えてきたカミヤさん。
生後間もない頃の大病の影響で、歩行や会話に障がいが残った長女は元気に歩けるようになり、はつらつと学会活動に参加するまでに。次女はブラジルで薬剤師として、三女は国内で歯科医として、社会に尽くしている。
「常に目の前の一人を大切にしながら、報恩の人生を貫きます」と語るカミヤさんの笑顔は、太陽のように明るく輝いている。
◇必ず幸せに!
ボリビア広布に身をささげてきた偉大な開拓者たち。
その一人、タケオ・ヒガさん(方面幹事)は沖縄の出身。1954年、約270人の第1次移民団の一員として、ボリビアへ渡航した。
「うるま移住地」に入ったが、用意されていた住宅は、屋根も壁も不十分な丸太小屋。飲み水にも事欠いた。加えて、原因不明の疫病が流行し、ヒガさんの弟が命を落としてしまう。
一家で別の移住地に移ったヒガさんは、同郷のミツコさん(婦人部参事)と結婚する。"弟の分も"と、心機一転を期していたが、父も病にかかり、自身も病床に。農業にも失敗してしまった。
初めて仏法の話を聞いたのは、そんな絶望の淵に立たされていた時だった。
生きる希望を失いかけていたヒガさんに、サンファン移住地からやって来た学会員は言った。「必ず幸せになれます!」と。
その言葉に心動かされ、65年に入会。題目を唱えると知恵が湧いた。さまざまな工夫を凝らす中で収穫高が上がり、生活も少しずつよくなっていった。
さらに子育てと内職による多忙から体調を崩していたミツコさんも、学会活動の中で、いつしか健康な体に。"この御本尊はすごい!"——夫婦で確信をつかんだ。
経済革命を果たしたヒガさん夫妻は、日本で幾度も師との出会いを結ぶ。"持続の信心が大事だよ。どんなことが起ころうが、信心さえ貫いていけば、必ず幸せな境涯になる"との激励は、人生の指針だ。
その後、日本企業に就職し、71歳まで勤め上げたヒガさん。5人の子は皆、結婚し、ボリビアやペルー、日本で、それぞれ広布後継の大道を歩んでいる。
心に刻む御文は「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)。持続の信心の確信が、同志を励ます力になっている。
◇真面目な信心を
ケンタロウ・ナグモさん(方面幹事)も、62年に一家でボリビアへ移住した。
長崎の「軍艦島」の通称で知られる端島の出身。さまざまな宗教を遍歴した後、"題目の響きに引かれた"という母と共に、58年に入会した。
サンファン移住地に入り、経済苦の中で信心に励むようになったナグモさん。その後、ブラジルへ約2年、出稼ぎに。そこでもSGIの会合に参加し、求道の炎を燃やした。
ボリビアに戻ってからは、ラパスで通信関係の会社に就職する。
ある日、会社の野球チームの練習中、ボールが額を直撃。頭蓋骨が陥没する大けがを負う。すぐに緊急手術。医師は"あと1センチずれていれば命はなかった"と。わずか2週間で職場復帰することができた。
「転重軽受」の法理をかみ締め、学会活動にも一層、力が込もった。
当時、ラパスのSGIメンバーは4、5人ほど。ナグモさん自身も年間の大半が出張という状況だったが、信心からは一歩も引かなかった。地区部長、支部長を務め、着実に広布の水かさは増していった。
大切にしている指針は"真面目に信心に励めば、50代、60代で揺るぎない境涯を築くことができる"との師の指導。池田先生がブラジルを訪問した93年には、ナグモさんも現地へ。一人一人を抱きかかえるようにして励ます師の雄姿をまぶたに焼き付けた。
20年ほど前、会社を退職し、ラパスでホテルを開業。地域で評判の宿として信頼を広げていった。
そんなナグモさんを突然の悲劇が襲ったのは5年前。事故で長男を失ったのだ。
深い悲しみに沈むナグモさんのもとに、池田先生から温かな励ましの伝言が届く。師の真心に涙を拭い、"息子のためにも、絶対に負けない"と前を向いた。
「どんな時も信心をおろそかにしたことはありません。生涯、先生と共に広布に生き抜きます。それこそが、息子が喜んでくれる道だからです」
そう語るナグモさんは、2支部に発展したラパス広布の拡大へ、後継の人材育成に走っている。
——師弟の誓いに燃えるパイオニアたちによって蒔かれた妙法の種。それは、90年代に入り、ボリビア全土で大きく花開いていく。
2019年3月10日日曜日
2019.03.10 わが友に贈る
広宣流布は
言葉の力で進む。
「励ましの声」と
「確信の対話」で
勇気と希望を広げよう!
祈祷抄 P1352
『行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし』
【通解】
たとえ行者は不実であっても、智慧は愚かであっても、身は不浄であっても、戒徳を備えていなくても、ただ南無妙法蓮華経と唱え奉るなら、必ず守護されるべきである。
〈寸鉄〉 2019年3月10日
「幹部が必死に走るから、皆もついてくる」恩師。自分が動け。活路を開け
1埼玉の草加、上尾市よ!激戦制する猛攻今こそ。「鉄桶の団結」で勝ち飾れ
兵庫の伊丹、川西・猪名川が力闘。不屈の魂で拡大更に。常勝の伝統、未来へ
塩分の取り過ぎで胃がんリスク増加と。バランス良い食生活を。賢く工夫
東京大空襲の日。青年よ戦禍の悲劇忘るな。歴史継承こそ不戦世紀の礎と
☆勇気の旗高く 池田先生と宮城 2019年3月1日
◇わが地域の幸福責任者に
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は宮城県を掲載する。
◇広布に一人立て
間もなく東日本大震災から8年を迎える。宮城の友は、愛するふるさとの復興へ、力を尽くしてきた。その地域貢献の精神は、池田先生から示された指針でもある。
1978年(昭和53年)11月、池田先生は本格的な「地方の時代」の到来を展望した提言を本紙紙上で発表した。
翌79年(同54年)1月、宮城の新年幹部会では「東北こそ『地方の時代』の先駆」と期待を寄せている。先生は2003年(平成15年)1月の随筆で、使命に燃える宮城の友に"わが地域の幸福責任者に"と呼び掛けた。
「地域広布」の第一歩は、誰がなんといおうが、自分が「一人立つ」ことだ。
数世帯の小さな集落でも、マンションの同じフロアでも、あるいは地区やブロックのなかでもよい、「自分が地域の幸福の責任者である」との使命感に立つことだ。
この「一人立つ」決意なくしては、エンジンなしに車を動かすようなものだ。
御義口伝には「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と仰せである。広布の「使命の道場」とは、他のどこかではなく、自分が今いるこの場所なのである。そして、自分が地域の幸福を担うならば、友情の輪を広げることだ。それには、自ら進んで挨拶を交わし、言葉を交わし、周囲の人びとの「友」になることだ。「声仏事を為す」(同708ページ)である。笑顔と対話こそ、我らの「心」と「哲学」の表現だ。
さらに、「地域広布」は、一個の人間として、信頼を勝ち得ることから始まる。
それには、日常の振る舞いが最も大事である。一市民として良識ある行動を心掛けていくことも当然であろう。
その上で、なんでもよい、「あの人は光っている」という実証を、自分らしく示していくことである。
お年寄りであれば、いつもかくしゃくとして元気であることそれ自体が、偉大な折伏になっているものだ。
学会のなかで培った面倒みのよさで、内外問わず地域の相談役のような存在になっている方々も多いだろう。
明るい家庭を築くこと、わが子を立派に育てあげること、地域に積極的にかかわること、仕事で勝つこと……見栄や格好でない、誠実に振る舞うその姿が、揺るがぬ信頼を育んでいくのである。
池田先生は折に触れて、宮城の友に「一人立つ」姿勢を訴えてきた。
1987年(昭和62年)7月5日、仙台市の東北平和会館(当時)で行われた東北の各部合同研修会では「ただ一人立つ確信をもって立つところに、いっさいの仕事ができあがる」との戸田先生の指針を紹介しつつ、語った。
私どもの人生にも、また広宣流布の歩みにも、さまざまな障害や深刻な事態があろう。そのとき、困難なカベに向かい、敢然と"一人立つ"ことが肝要であり、それがその後の前進への一切の出発となる。
"一人立つ"ならば、必ずや、あとに二陣三陣と、同志の陣列が続くであろう。
また、"一人立つ"強き一念をもつときに、自身の境涯は大きく開け、そのときから人間としてのすべての成長が始まる。
私もまた、何度か学会が苦境にあったとき、いずれの場合も責任者としてあらゆる攻撃の矢面に立ち、同志を守り、戦いぬいてきたつもりである。戸田先生もまたそうであった。"一人立つ"精神こそ、学会のゆるがぬ伝統精神である。
◇人材の城を築け
広瀬川を眼下にして、青葉城址がある。戸田先生が"学会は人材の城を築け"と永遠の指針を残した城跡だ。
池田先生は、戸田先生と共に、この仙台の地を訪問した歴史を振り返りつつ、「青葉城址で、種々懇談していただいたことが、まことに懐かしい。ここ仙台には、いくつもの戸田先生との"人生の師弟"の歴史と物語が刻まれている」と述べている。
89年(平成元年)9月15日、旧・東北文化会館で開かれた本部幹部会の席上、池田先生は、戸田先生の折々の指導を通し、人材育成の根本である信心の基本を確認した。
人は"自分を見つめる"ことを忘れたとき、必ず進歩がなくなる。また、自分を見つめない人は、人間的な深みも魅力も出てこないし、最後は枯渇せざるをえない。
だからといって、ただ自分を見つめてばかりいて行動のない人には、前進も成長もない。大切なことは、実践のなかで自分を凝視しつつ、そこで深められた精神を、さらなる価値創造へのバネとしていくことである。
その意味で私どもは日々、御本尊に向かい、唱題することによってみずからを照らし、境涯を深めながら、限りなく前進していくことができる。これほど偉大な世界はないし、価値ある人生はない。
どこまでも信心である。一個の人間として、信仰者として偉大なる境涯を開いていくことである。それが自身の成仏を決定していく。また実質的に広宣流布を進めていくのである。この原理・原則を、私は厳然と言い残しておきたい。
学会は、歴代会長を中心とした鉄桶の団結で発展のリズムを築き、広げながら、広布の波を幾重にも拡大してきた。その信心のリズムに「心」を合わせ、「思い」を合わせてきたからこそ、一つ一つの行動が価値を生み、相互に補い、相乗効果となって無限のパワー(力)を生みだしてきたのである。
「心」「思い」といっても、決して特別なことではない。いかに、広宣流布を進めていくか。いかに人々の幸福を開いていくか。どのように、一人一人の信心を全うさせていくか——その地道にして純一な広布への「祈り」であり、「真心」にほかならない。
「思い」を合わせ、大きなエネルギー源にギアがかみあえば、その人には想像もつかない力が出る。気持ちよく皆の心が通じ合う。あたたかな世界が広がる。
つねに楽しく新鮮に、広布と境涯の拡大を果たしていくことができる。すばらしき理想の世界を創造していけるのである。
◇「攻め」の精神
宮城の白石市には伊達政宗の名参謀・片倉景綱が居城した白石城の跡が残っている。
池田先生は90年(同2年)8月24日、同市の蔵王平和講堂で行われた本部幹部会の席上、仙台藩の攻撃の拠点であった、この城についてスピーチ。いかなる戦いも「攻め」の精神に徹してこそ勝利は開ける、と強調した。
戦いにおいては、守ることよりも、攻撃することが勝利の要件である。学会がこれまで、なぜ連続勝利の歴史をつづり残してこられたのか。
それは一つに、弘法にせよ、何にせよ、つねに前進、すなわち「攻め」の精神に徹してきたからである。
広宣流布のために、悪には断じて負けないという積極的な"攻撃戦"を展開してきたからである。
いかなる戦いにおいても「守り」、受け身に回ってしまえば弱い。道も開けない。「攻撃は最大の防御」とも言うが、広布の歩みにあっても、一人一人の人生にあっても、積極的に勇気をもって挑戦してこそ道は開かれ、勝利の栄光が築かれていくことを忘れてはならない。
言葉の力で進む。
「励ましの声」と
「確信の対話」で
勇気と希望を広げよう!
祈祷抄 P1352
『行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし』
【通解】
たとえ行者は不実であっても、智慧は愚かであっても、身は不浄であっても、戒徳を備えていなくても、ただ南無妙法蓮華経と唱え奉るなら、必ず守護されるべきである。
〈寸鉄〉 2019年3月10日
「幹部が必死に走るから、皆もついてくる」恩師。自分が動け。活路を開け
1埼玉の草加、上尾市よ!激戦制する猛攻今こそ。「鉄桶の団結」で勝ち飾れ
兵庫の伊丹、川西・猪名川が力闘。不屈の魂で拡大更に。常勝の伝統、未来へ
塩分の取り過ぎで胃がんリスク増加と。バランス良い食生活を。賢く工夫
東京大空襲の日。青年よ戦禍の悲劇忘るな。歴史継承こそ不戦世紀の礎と
☆勇気の旗高く 池田先生と宮城 2019年3月1日
◇わが地域の幸福責任者に
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は宮城県を掲載する。
◇広布に一人立て
間もなく東日本大震災から8年を迎える。宮城の友は、愛するふるさとの復興へ、力を尽くしてきた。その地域貢献の精神は、池田先生から示された指針でもある。
1978年(昭和53年)11月、池田先生は本格的な「地方の時代」の到来を展望した提言を本紙紙上で発表した。
翌79年(同54年)1月、宮城の新年幹部会では「東北こそ『地方の時代』の先駆」と期待を寄せている。先生は2003年(平成15年)1月の随筆で、使命に燃える宮城の友に"わが地域の幸福責任者に"と呼び掛けた。
「地域広布」の第一歩は、誰がなんといおうが、自分が「一人立つ」ことだ。
数世帯の小さな集落でも、マンションの同じフロアでも、あるいは地区やブロックのなかでもよい、「自分が地域の幸福の責任者である」との使命感に立つことだ。
この「一人立つ」決意なくしては、エンジンなしに車を動かすようなものだ。
御義口伝には「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と仰せである。広布の「使命の道場」とは、他のどこかではなく、自分が今いるこの場所なのである。そして、自分が地域の幸福を担うならば、友情の輪を広げることだ。それには、自ら進んで挨拶を交わし、言葉を交わし、周囲の人びとの「友」になることだ。「声仏事を為す」(同708ページ)である。笑顔と対話こそ、我らの「心」と「哲学」の表現だ。
さらに、「地域広布」は、一個の人間として、信頼を勝ち得ることから始まる。
それには、日常の振る舞いが最も大事である。一市民として良識ある行動を心掛けていくことも当然であろう。
その上で、なんでもよい、「あの人は光っている」という実証を、自分らしく示していくことである。
お年寄りであれば、いつもかくしゃくとして元気であることそれ自体が、偉大な折伏になっているものだ。
学会のなかで培った面倒みのよさで、内外問わず地域の相談役のような存在になっている方々も多いだろう。
明るい家庭を築くこと、わが子を立派に育てあげること、地域に積極的にかかわること、仕事で勝つこと……見栄や格好でない、誠実に振る舞うその姿が、揺るがぬ信頼を育んでいくのである。
池田先生は折に触れて、宮城の友に「一人立つ」姿勢を訴えてきた。
1987年(昭和62年)7月5日、仙台市の東北平和会館(当時)で行われた東北の各部合同研修会では「ただ一人立つ確信をもって立つところに、いっさいの仕事ができあがる」との戸田先生の指針を紹介しつつ、語った。
私どもの人生にも、また広宣流布の歩みにも、さまざまな障害や深刻な事態があろう。そのとき、困難なカベに向かい、敢然と"一人立つ"ことが肝要であり、それがその後の前進への一切の出発となる。
"一人立つ"ならば、必ずや、あとに二陣三陣と、同志の陣列が続くであろう。
また、"一人立つ"強き一念をもつときに、自身の境涯は大きく開け、そのときから人間としてのすべての成長が始まる。
私もまた、何度か学会が苦境にあったとき、いずれの場合も責任者としてあらゆる攻撃の矢面に立ち、同志を守り、戦いぬいてきたつもりである。戸田先生もまたそうであった。"一人立つ"精神こそ、学会のゆるがぬ伝統精神である。
◇人材の城を築け
広瀬川を眼下にして、青葉城址がある。戸田先生が"学会は人材の城を築け"と永遠の指針を残した城跡だ。
池田先生は、戸田先生と共に、この仙台の地を訪問した歴史を振り返りつつ、「青葉城址で、種々懇談していただいたことが、まことに懐かしい。ここ仙台には、いくつもの戸田先生との"人生の師弟"の歴史と物語が刻まれている」と述べている。
89年(平成元年)9月15日、旧・東北文化会館で開かれた本部幹部会の席上、池田先生は、戸田先生の折々の指導を通し、人材育成の根本である信心の基本を確認した。
人は"自分を見つめる"ことを忘れたとき、必ず進歩がなくなる。また、自分を見つめない人は、人間的な深みも魅力も出てこないし、最後は枯渇せざるをえない。
だからといって、ただ自分を見つめてばかりいて行動のない人には、前進も成長もない。大切なことは、実践のなかで自分を凝視しつつ、そこで深められた精神を、さらなる価値創造へのバネとしていくことである。
その意味で私どもは日々、御本尊に向かい、唱題することによってみずからを照らし、境涯を深めながら、限りなく前進していくことができる。これほど偉大な世界はないし、価値ある人生はない。
どこまでも信心である。一個の人間として、信仰者として偉大なる境涯を開いていくことである。それが自身の成仏を決定していく。また実質的に広宣流布を進めていくのである。この原理・原則を、私は厳然と言い残しておきたい。
学会は、歴代会長を中心とした鉄桶の団結で発展のリズムを築き、広げながら、広布の波を幾重にも拡大してきた。その信心のリズムに「心」を合わせ、「思い」を合わせてきたからこそ、一つ一つの行動が価値を生み、相互に補い、相乗効果となって無限のパワー(力)を生みだしてきたのである。
「心」「思い」といっても、決して特別なことではない。いかに、広宣流布を進めていくか。いかに人々の幸福を開いていくか。どのように、一人一人の信心を全うさせていくか——その地道にして純一な広布への「祈り」であり、「真心」にほかならない。
「思い」を合わせ、大きなエネルギー源にギアがかみあえば、その人には想像もつかない力が出る。気持ちよく皆の心が通じ合う。あたたかな世界が広がる。
つねに楽しく新鮮に、広布と境涯の拡大を果たしていくことができる。すばらしき理想の世界を創造していけるのである。
◇「攻め」の精神
宮城の白石市には伊達政宗の名参謀・片倉景綱が居城した白石城の跡が残っている。
池田先生は90年(同2年)8月24日、同市の蔵王平和講堂で行われた本部幹部会の席上、仙台藩の攻撃の拠点であった、この城についてスピーチ。いかなる戦いも「攻め」の精神に徹してこそ勝利は開ける、と強調した。
戦いにおいては、守ることよりも、攻撃することが勝利の要件である。学会がこれまで、なぜ連続勝利の歴史をつづり残してこられたのか。
それは一つに、弘法にせよ、何にせよ、つねに前進、すなわち「攻め」の精神に徹してきたからである。
広宣流布のために、悪には断じて負けないという積極的な"攻撃戦"を展開してきたからである。
いかなる戦いにおいても「守り」、受け身に回ってしまえば弱い。道も開けない。「攻撃は最大の防御」とも言うが、広布の歩みにあっても、一人一人の人生にあっても、積極的に勇気をもって挑戦してこそ道は開かれ、勝利の栄光が築かれていくことを忘れてはならない。
2019年3月9日土曜日
2019.03.09 わが友に贈る
あの人のもとへ行こう!
この友と語ろう!
自ら決めて動いた分だけ
わが境涯も大きくなる。
さあ心軽やかに!
顕謗法抄 P452
『後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり』
【通解】
後世を願う人は、一切の悪縁を恐れるべきである。一切の悪縁よりは悪知識を恐れるべきである。
〈寸鉄〉 2019年3月9日
「師子は吼えてこそ師子」恩師。青年よ勇敢に正義叫べ!歴史開くのは私と
長野の飯田・下伊那、上田・小県が奮闘。破れぬ壁はない!総力戦で勝ち抜け
大阪の茨木・吹田、堺市西区が攻勢!常勝関西の本領発揮だ。執念で栄光を
中国方面「女性の日」。麗しき婦女一体の行進。笑顔咲く対話で歓喜の春へ
ネットの不審アクセス急増。前年の2倍と。ID、パスワード管理等厳重に
☆世界に魂を 心に翼を 第13回 沖縄芸能の光彩(上)
◇「太陽を浴びせてくれた」
「よくぞ、あんな公演ができたものだと思う。今や、盛んに行われている琉球舞踊の原型となった。祖国で下火だったアルゼンチン・タンゴが日本で息を吹き返したように、沖縄芸能も民音公演で息を吹き返したのです。民音がなければ、今日の沖縄芸能は考えられません」(伝統・民族芸能プロデューサーの中坪功雄氏)
「これほど芸能が豊かでありながら、自力では魅力を伝えられなくて悔しかった。今は次々に沖縄の芸能が発信されて、世界中で注目を集めていますが、原点はここ。本土の人にとって、沖縄がまだよく分からない時代に民音が取り上げてくれた。私たちは誇りが持てたんです」(玉城流の二代目家元・玉城秀子氏)
「現在の沖縄芸能界を担う方々は皆、この公演の出身です。あの時、舞台に乗せたから今がある。眠っていた沖縄に太陽を浴びせてくれました」(朱日流家元の古謝弘子氏)
今からちょうど50年前。沖縄芸能の関係者が、異口同音に胸を熱くする民音の全国公演があった。
沖縄歌舞団による「太陽燃える島」。
公演名に冠された「太陽」のごとく、沖縄芸能の夜明けを開く転機となった。
◇ ◆ ◇
江戸時代、葛飾北斎が沖縄を描いた「琉球八景」。そこには、降り積もる「雪」が描写されている。
北斎は一度も琉球を訪れたことはなく、想像上の作品である。琉球といえば、本土の文化人・知識人が憧れた"遠い異国"だった。
中国を中心とした近隣諸国との貿易で栄えた琉球王国(1429年〜1879年)では、中国使節団の歓待が最重要行事に位置づけられ、専門の踊り手が誕生した。試行錯誤をへて、鍛え高められた技が「琉球舞踊」である。沖縄は古来、外交においても歌舞という文化の力を重んじてきた。
17世紀初頭に琉球が薩摩藩に侵略された後も中国との外交は続き、新たに江戸との交流も始まった。北斎が琉球を描いた時代は、琉球ブームの真っ盛り。そうした一方で、1719年、琉球では舞踊と音楽の粋が詰まった「組踊」が創作された。今年で初上演から300年となる。
組踊研究で著名な大城学氏(元琉球大学教授)は、「組踊には伝承の危機が2度あった」と指摘する。
一つは明治の「廃藩置県」。
もう一つは昭和の「戦争」である。
国内最大の地上戦を強いられた沖縄。大地は焼き尽くされ、住民の4分の1が犠牲になった。
もともと舞踊家は男性のみだったが、戦争で消息を絶った者も多く、代わりに女性の若手舞踊家が台頭していく。芸能の継承運動が盛んになる一方で、古典への一般の関心は低く、公演中に観客が一人残らず帰ってしまったこともあった。
言いようのない閉塞感の中で、舞踊家たちは将来を模索していた。
◇ ◆ ◇
琉球時代に育まれた「組踊」とは別に、沖縄には、庶民の生活に根差した「民俗芸能」があった。
そうした文化に強い関心を持ったのが、沖縄芸能研究の第一人者である三隅治雄氏だった。
本土から見ると、沖縄は抑圧と戦争の爪痕が刻まれた"悲しみの島"というイメージが根強かった。叙情的な沖縄の古典舞踊が、悲しみの表現だと捉える人も少なくなかった。
だが氏が接した民俗芸能は、そうした先入観を一変させた。自然災害や長年の圧政を歌と舞ではね返してきた沖縄の人々。その屈強な心意気が胸に響く。沖縄本島だけでなく、どの島にも息をのむ歌舞があった。
若者は島を離れ、高齢者が多いのが現実。しかし、ひとたび歌い踊れば、まるで青年のよう。一人一人が名もなき名優だった。「命そのものが噴き出すようでした。困難に屈しない生命の力の表現。それが沖縄の芸能の本質だと感じたのです」
例えば、宮古のクイチャー。三隅氏が目にしたのは、感情豊かに飛び跳ね、全てを吹き飛ばすような豪快な踊り歌だった。
人口300人の竹富島には30もの歌舞曲が。祭りの日は、島外の人々も集まって群舞を繰り広げていた。
氏は島々を訪ね歩き、歌を採録。その成果はLPレコード16枚の「沖縄音楽総攬」に結実し、これが「太陽燃える島」の礎となる。
舞台の革新を目指す古典舞踊家たち。古典だけでなく民俗芸能にも着目した三隅氏。国内外で数々の民俗芸能を世に送り出してきた中坪英雄氏。そして民音が一つになり、1969年、沖縄歌舞団が創設された。団長には宮城美能留氏が就いた。
◇ ◆ ◇
三隅氏が作・演出を手掛けた「太陽燃える島」では、沖縄の庶民の一日を、漁、農耕、織物、武術など10の場面から活写した。
古典舞踊では、出演者が、舞台の袖から出て袖に入るのが一般的だった。曲も一曲ずつ披露する。それが冗長な印象を与えてもいた。
だが同作では、演目の間隔を空けず次々に披露した。幕が上がると、朝焼けの海を見つめる島人が。そこから約1時間、多彩な民謡と舞踊を、息もつかせぬ"早変わり"で演じる。単調な古典芸能が一変した。
歌舞団創設は、古典芸能と民俗芸能を融合させる未聞の挑戦だった。さらに異なる流派の舞踊家たちを、一堂に集める試みでもあった。
「沖縄芸能を代表する4人の先生方の弟子、つまり私たち若いメンバーでやろう、となったんです」
幼少から舞踊に習熟し、若くして道場を構えた玉城秀子氏。重要無形文化財「琉球舞踊」(総合認定)保持者である。歌舞団の創作活動は、氏の概念を根本から覆すものだった。「全てが新しく、初めて経験するものでした。今の私は、歌舞団の中で育てられたようなものです」
同じく重要無形文化財「琉球舞踊」(総合認定)保持者の古謝弘子氏は、「離島に出向き、歌や踊りを学びました。中には"自分たちの歌や舞を教えたくない""外には出したくない"という人もいました」。
ある島で12年に1度の祭りに参加した。だが以後、過疎化が進み、この祭りは行われていない。民俗芸能を受け継ぐ、深い意義をかみ締めた。
◇ ◆ ◇
民音創立者の池田先生が初めて沖縄を訪れたのは、1960年7月。当時はアメリカ施政下であり、その手にはパスポートが握られていた。厳密には"初の海外訪問"となる。
建物にも自動車にも、まだ冷房はない。周囲は涼しい季節の訪問を勧めたが、先生は言った。「暑い盛りに行かなければ、沖縄の人の心も分からない」
この折、学会の沖縄支部が結成された。喜びを込め、琉球舞踊や空手を披露する沖縄の同志。飛び入りの民謡や歌も相次いだ。
東京からの同行者が"お客さんのような顔"で眺める中、先生が扇を手に立った。友の真心に応え、「黒田節」を舞う。一緒に踊ってくれる指導者は初めてだった。
先生の沖縄訪問は本土復帰前だけで6度。第10回学生部総会(67年)では、沖縄の本土復帰を求める提言を。施政権の返還にとどまらない、沖縄の未来を見据えた主張だった。
この年の5月には、民音の海外派遣公演で沖縄に向かう知己の音楽家をねぎらっている。"一つの音色にしても、価値あるものに"と期待を語り、公演先に電報も寄せた。沖縄歌舞団創設を心から喜び、全国公演の成功を念願してきた。
沖縄に第一歩をしるした当時に触れ、池田先生は記している。
「涙も涸れるような、残酷な歴史さえも、沖縄の民衆から歌と舞を奪うことは、絶対にできなかった。生きて、生きて、生き抜いて、生命の底から、歌わずにはいられない、そして舞わずにはいられない人間の光彩! この民衆の乱舞こそ、戦争の暴風に打ち勝つ、文化の力であり、平和の力である」と。
半世紀にわたって民音の歩みを見つめてきた三隅氏は、こう結論する。
「沖縄がどう生きていくか。沖縄の幸せとは何かを、民音は常に考えている。沖縄の芸能は民衆の魂の所産です。沖縄の芸術を大切にすることが、沖縄の地熱を高めます。華やかだとか今がブームだとか、そんなことに関係なく、沖縄の未来そのものを応援しようという姿勢。民音が形にしたのは、源にある池田先生の思想そのものではないでしょうか」
◇ ◆ ◇
沖縄歌舞団の全国公演は、69年11月17日、大阪から始まった。
好演が話題を呼び、どの会場も満席の歓声に包まれた。古典舞踊や民俗芸能の公演としては異例である。
上京し、沖縄出身者の学生寮にいた大城学氏は、先輩を誘って足を運んだ。「あの組踊やお祭りの舞が、これほど心を揺さぶるのか」。驚くそばで、先輩は「沖縄に生まれてよかったよ……」と涙を拭っていた。
氏は語る。「古典といわれる組踊は七十数番ありますが、古典を保存するためには新作が不可欠です。新作と古典は、いわば車の両輪。それがうまくかみ合うところに、新しい芸能文化が生まれてきます」
当時、沖縄芸能といえば、県人会など身内での公演が中心で、県外の鑑賞者は少なかった。ところが民音は、北海道から鹿児島まで、全国100回を超えるステージ。どの会場も熱烈な喝采が飛び交う。沖縄と本土との心の距離を縮めた意義についても、識者は口々にたたえている。
その後、歌舞団は国際交流基金等の助成を得て、世界の舞台へ。30カ国以上で沖縄芸能の魅力を伝えた。
「鳥肌が立つんですよ。涙が出るんですよ」——古謝弘子氏が、つぶやくように胸の内を明かす。
「日本中、世界中、どこに行っても沖縄の人たちがいるんです。皆さん、涙して帰るの。民音は、この人たちを力づけてくれた。これが一番思い出に残るんです。世界中の沖縄の人たちに夢を与えてもらって、歌舞団には勇気をもらって。民音が熱い情熱で火を付けてくれたんです」
沖縄歌舞団創設から約3年がたった72年5月15日——。
本土復帰のこの日、組踊は国の重要無形文化財に指定され、伝承者の育成事業が本格化することになる。
この友と語ろう!
自ら決めて動いた分だけ
わが境涯も大きくなる。
さあ心軽やかに!
顕謗法抄 P452
『後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり』
【通解】
後世を願う人は、一切の悪縁を恐れるべきである。一切の悪縁よりは悪知識を恐れるべきである。
〈寸鉄〉 2019年3月9日
「師子は吼えてこそ師子」恩師。青年よ勇敢に正義叫べ!歴史開くのは私と
長野の飯田・下伊那、上田・小県が奮闘。破れぬ壁はない!総力戦で勝ち抜け
大阪の茨木・吹田、堺市西区が攻勢!常勝関西の本領発揮だ。執念で栄光を
中国方面「女性の日」。麗しき婦女一体の行進。笑顔咲く対話で歓喜の春へ
ネットの不審アクセス急増。前年の2倍と。ID、パスワード管理等厳重に
☆世界に魂を 心に翼を 第13回 沖縄芸能の光彩(上)
◇「太陽を浴びせてくれた」
「よくぞ、あんな公演ができたものだと思う。今や、盛んに行われている琉球舞踊の原型となった。祖国で下火だったアルゼンチン・タンゴが日本で息を吹き返したように、沖縄芸能も民音公演で息を吹き返したのです。民音がなければ、今日の沖縄芸能は考えられません」(伝統・民族芸能プロデューサーの中坪功雄氏)
「これほど芸能が豊かでありながら、自力では魅力を伝えられなくて悔しかった。今は次々に沖縄の芸能が発信されて、世界中で注目を集めていますが、原点はここ。本土の人にとって、沖縄がまだよく分からない時代に民音が取り上げてくれた。私たちは誇りが持てたんです」(玉城流の二代目家元・玉城秀子氏)
「現在の沖縄芸能界を担う方々は皆、この公演の出身です。あの時、舞台に乗せたから今がある。眠っていた沖縄に太陽を浴びせてくれました」(朱日流家元の古謝弘子氏)
今からちょうど50年前。沖縄芸能の関係者が、異口同音に胸を熱くする民音の全国公演があった。
沖縄歌舞団による「太陽燃える島」。
公演名に冠された「太陽」のごとく、沖縄芸能の夜明けを開く転機となった。
◇ ◆ ◇
江戸時代、葛飾北斎が沖縄を描いた「琉球八景」。そこには、降り積もる「雪」が描写されている。
北斎は一度も琉球を訪れたことはなく、想像上の作品である。琉球といえば、本土の文化人・知識人が憧れた"遠い異国"だった。
中国を中心とした近隣諸国との貿易で栄えた琉球王国(1429年〜1879年)では、中国使節団の歓待が最重要行事に位置づけられ、専門の踊り手が誕生した。試行錯誤をへて、鍛え高められた技が「琉球舞踊」である。沖縄は古来、外交においても歌舞という文化の力を重んじてきた。
17世紀初頭に琉球が薩摩藩に侵略された後も中国との外交は続き、新たに江戸との交流も始まった。北斎が琉球を描いた時代は、琉球ブームの真っ盛り。そうした一方で、1719年、琉球では舞踊と音楽の粋が詰まった「組踊」が創作された。今年で初上演から300年となる。
組踊研究で著名な大城学氏(元琉球大学教授)は、「組踊には伝承の危機が2度あった」と指摘する。
一つは明治の「廃藩置県」。
もう一つは昭和の「戦争」である。
国内最大の地上戦を強いられた沖縄。大地は焼き尽くされ、住民の4分の1が犠牲になった。
もともと舞踊家は男性のみだったが、戦争で消息を絶った者も多く、代わりに女性の若手舞踊家が台頭していく。芸能の継承運動が盛んになる一方で、古典への一般の関心は低く、公演中に観客が一人残らず帰ってしまったこともあった。
言いようのない閉塞感の中で、舞踊家たちは将来を模索していた。
◇ ◆ ◇
琉球時代に育まれた「組踊」とは別に、沖縄には、庶民の生活に根差した「民俗芸能」があった。
そうした文化に強い関心を持ったのが、沖縄芸能研究の第一人者である三隅治雄氏だった。
本土から見ると、沖縄は抑圧と戦争の爪痕が刻まれた"悲しみの島"というイメージが根強かった。叙情的な沖縄の古典舞踊が、悲しみの表現だと捉える人も少なくなかった。
だが氏が接した民俗芸能は、そうした先入観を一変させた。自然災害や長年の圧政を歌と舞ではね返してきた沖縄の人々。その屈強な心意気が胸に響く。沖縄本島だけでなく、どの島にも息をのむ歌舞があった。
若者は島を離れ、高齢者が多いのが現実。しかし、ひとたび歌い踊れば、まるで青年のよう。一人一人が名もなき名優だった。「命そのものが噴き出すようでした。困難に屈しない生命の力の表現。それが沖縄の芸能の本質だと感じたのです」
例えば、宮古のクイチャー。三隅氏が目にしたのは、感情豊かに飛び跳ね、全てを吹き飛ばすような豪快な踊り歌だった。
人口300人の竹富島には30もの歌舞曲が。祭りの日は、島外の人々も集まって群舞を繰り広げていた。
氏は島々を訪ね歩き、歌を採録。その成果はLPレコード16枚の「沖縄音楽総攬」に結実し、これが「太陽燃える島」の礎となる。
舞台の革新を目指す古典舞踊家たち。古典だけでなく民俗芸能にも着目した三隅氏。国内外で数々の民俗芸能を世に送り出してきた中坪英雄氏。そして民音が一つになり、1969年、沖縄歌舞団が創設された。団長には宮城美能留氏が就いた。
◇ ◆ ◇
三隅氏が作・演出を手掛けた「太陽燃える島」では、沖縄の庶民の一日を、漁、農耕、織物、武術など10の場面から活写した。
古典舞踊では、出演者が、舞台の袖から出て袖に入るのが一般的だった。曲も一曲ずつ披露する。それが冗長な印象を与えてもいた。
だが同作では、演目の間隔を空けず次々に披露した。幕が上がると、朝焼けの海を見つめる島人が。そこから約1時間、多彩な民謡と舞踊を、息もつかせぬ"早変わり"で演じる。単調な古典芸能が一変した。
歌舞団創設は、古典芸能と民俗芸能を融合させる未聞の挑戦だった。さらに異なる流派の舞踊家たちを、一堂に集める試みでもあった。
「沖縄芸能を代表する4人の先生方の弟子、つまり私たち若いメンバーでやろう、となったんです」
幼少から舞踊に習熟し、若くして道場を構えた玉城秀子氏。重要無形文化財「琉球舞踊」(総合認定)保持者である。歌舞団の創作活動は、氏の概念を根本から覆すものだった。「全てが新しく、初めて経験するものでした。今の私は、歌舞団の中で育てられたようなものです」
同じく重要無形文化財「琉球舞踊」(総合認定)保持者の古謝弘子氏は、「離島に出向き、歌や踊りを学びました。中には"自分たちの歌や舞を教えたくない""外には出したくない"という人もいました」。
ある島で12年に1度の祭りに参加した。だが以後、過疎化が進み、この祭りは行われていない。民俗芸能を受け継ぐ、深い意義をかみ締めた。
◇ ◆ ◇
民音創立者の池田先生が初めて沖縄を訪れたのは、1960年7月。当時はアメリカ施政下であり、その手にはパスポートが握られていた。厳密には"初の海外訪問"となる。
建物にも自動車にも、まだ冷房はない。周囲は涼しい季節の訪問を勧めたが、先生は言った。「暑い盛りに行かなければ、沖縄の人の心も分からない」
この折、学会の沖縄支部が結成された。喜びを込め、琉球舞踊や空手を披露する沖縄の同志。飛び入りの民謡や歌も相次いだ。
東京からの同行者が"お客さんのような顔"で眺める中、先生が扇を手に立った。友の真心に応え、「黒田節」を舞う。一緒に踊ってくれる指導者は初めてだった。
先生の沖縄訪問は本土復帰前だけで6度。第10回学生部総会(67年)では、沖縄の本土復帰を求める提言を。施政権の返還にとどまらない、沖縄の未来を見据えた主張だった。
この年の5月には、民音の海外派遣公演で沖縄に向かう知己の音楽家をねぎらっている。"一つの音色にしても、価値あるものに"と期待を語り、公演先に電報も寄せた。沖縄歌舞団創設を心から喜び、全国公演の成功を念願してきた。
沖縄に第一歩をしるした当時に触れ、池田先生は記している。
「涙も涸れるような、残酷な歴史さえも、沖縄の民衆から歌と舞を奪うことは、絶対にできなかった。生きて、生きて、生き抜いて、生命の底から、歌わずにはいられない、そして舞わずにはいられない人間の光彩! この民衆の乱舞こそ、戦争の暴風に打ち勝つ、文化の力であり、平和の力である」と。
半世紀にわたって民音の歩みを見つめてきた三隅氏は、こう結論する。
「沖縄がどう生きていくか。沖縄の幸せとは何かを、民音は常に考えている。沖縄の芸能は民衆の魂の所産です。沖縄の芸術を大切にすることが、沖縄の地熱を高めます。華やかだとか今がブームだとか、そんなことに関係なく、沖縄の未来そのものを応援しようという姿勢。民音が形にしたのは、源にある池田先生の思想そのものではないでしょうか」
◇ ◆ ◇
沖縄歌舞団の全国公演は、69年11月17日、大阪から始まった。
好演が話題を呼び、どの会場も満席の歓声に包まれた。古典舞踊や民俗芸能の公演としては異例である。
上京し、沖縄出身者の学生寮にいた大城学氏は、先輩を誘って足を運んだ。「あの組踊やお祭りの舞が、これほど心を揺さぶるのか」。驚くそばで、先輩は「沖縄に生まれてよかったよ……」と涙を拭っていた。
氏は語る。「古典といわれる組踊は七十数番ありますが、古典を保存するためには新作が不可欠です。新作と古典は、いわば車の両輪。それがうまくかみ合うところに、新しい芸能文化が生まれてきます」
当時、沖縄芸能といえば、県人会など身内での公演が中心で、県外の鑑賞者は少なかった。ところが民音は、北海道から鹿児島まで、全国100回を超えるステージ。どの会場も熱烈な喝采が飛び交う。沖縄と本土との心の距離を縮めた意義についても、識者は口々にたたえている。
その後、歌舞団は国際交流基金等の助成を得て、世界の舞台へ。30カ国以上で沖縄芸能の魅力を伝えた。
「鳥肌が立つんですよ。涙が出るんですよ」——古謝弘子氏が、つぶやくように胸の内を明かす。
「日本中、世界中、どこに行っても沖縄の人たちがいるんです。皆さん、涙して帰るの。民音は、この人たちを力づけてくれた。これが一番思い出に残るんです。世界中の沖縄の人たちに夢を与えてもらって、歌舞団には勇気をもらって。民音が熱い情熱で火を付けてくれたんです」
沖縄歌舞団創設から約3年がたった72年5月15日——。
本土復帰のこの日、組踊は国の重要無形文化財に指定され、伝承者の育成事業が本格化することになる。
2019年3月8日金曜日
2019.03.08 わが友に贈る
「負けたらあかん」
関西魂は世界の光なり!
わが愛する常勝の友よ
いざや前進 恐れなく
大言論戦を威風堂々と!
十字御書 P1492
『蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物大地よりをいたり、さくらはをもしろき物木の中よりさきいづ』
【通解】
蓮は清らかなものですが、泥から生え出ます。栴檀は香りのよいものですが、大地から生じます。桜の花は趣のあるものですが、木の中から咲き出ます。
〈寸鉄〉 2019年3月8日
「いよいよ・はりあげてせむべし」御書。未聞の激闘こそ誉れ。さあ開拓だ
愛知の豊田・春日井、千種・緑区の勇者が総立ち。民衆の底力で勝利掴め!
札幌市厚別・中央・清田区の友が猛追。断固と攻め上がり三代城に万歳を!
国際女性デー。"誰も置き去りにしない"対話広げる創価の女性は人類の宝
AI技術の倫理的指針を決めるべき時—事務局長人間の為の視点で熟議を
☆忘れ得ぬ瞬間 創立者の語らい 第10回 創価女子短期大学 1988年3月 卒業式
◇真実の幸福を問う生き方を
あす2月27日は「創価女子短期大学の日」。短大は間もなく創立35周年を迎える。開学以来、1万1000人を超える卒業生が、この"女性教育の殿堂"から社会へと羽ばたいていった。創立者・池田先生は"短大姉妹"のかけがえのない"青春二歳"を、常に温かく見守り、励ましを送ってきた。1988年3月14日の第2回卒業式には万感のメッセージを寄せ、終了後の謝恩会に出席している。メッセージの中で池田先生は、19世紀フランスの女性作家ジョルジュ・サンドの名作『愛の妖精』を紹介。自分が正しいと信じるままに、強く生き抜くことの大切さを訴えた。
初めに、これから、未来の日々多き皆さんは、一人ももれなく「幸福の大道」を真っすぐに歩んでいってもらいたい。幸福への道を踏みはずしてはならないということであります。
「幸福」とは「満足」と言いかえてよい。物質や財産といった充足も、幸福の一つの条件かもしれない。けれども、それらは、絶対的なものではない。それよりも、自分自身を楽しむこと、自分自身に満足すること、すなわち「ああ、私は、この生き方でよかったのだ」と自分自身に、心から言いきれる喜びにこそ、確かな幸福があるといえるでありましょう。
見せかけの幸福にのみ酔った人生だけは歩んではならない。真実の幸福とは何であるかを、つねに自分自身に問う生き方を忘れないでいただきたい。
◇思いやりの人に
続いて先生は、フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユの生涯に言及。ヴェイユは貧しい労働者のための社会運動に挺身し、スペイン内乱時には義勇軍として戦った。後年は激しい肉体労働にも従事するようになる。名もない虐げられた人々に対する、やむにやまれぬ同苦の心から、人間精神の内奥を見つめた彼女の生き方を通し、「深い思いやりの人に」と望んだ。
もう一つの願望は「深い思いやりの人に」ということであります。
女性の特質の一つは"愛すること"といってよい。恋人や、夫や、子どもへの愛情ももちろん、これに含まれます。さらに、こうした個別的な意味での愛情を超えて、広く他者に向ける愛、とりわけ傷つき悩んでいる人、宿命とたたかっている人、弱い立場の人への深い思いやりと行動のことを、私は申し上げたいのであります。
皆さんは、シモーヌ・ヴェイユの名をよくご存じのことでありましょう。彼女の思想や生涯は、私がここであらためて論ずるまでもありませんが、現代社会に投げかけたその光はじつに大きく、輝かしいものでありました。自分自身に、極限といってよい人間愛を課してやまなかったその生き方は、今なお私たちの心を深く打つものがあります。
ヴェイユは、世の中に苦悩が存在するかぎり、自分だけの小さな幸福に安住することが、決してできない人であった。彼女は、こう述べております。
「苦痛と危険は、わたしの精神構造からいって不可欠なものです。(中略)地球上に拡がった不幸は、わたしにとりつき、わたしの能力を無に帰せしめてしまうほどわたしを打ちのめしています。わたし自身が危険と苦しみの分け前をたっぷり背負わないかぎり、わたしはその能力を回復し、このとりつかれた状態から解放されることはありません」(ジャック・カボー『シモーヌ・ヴェーユ伝』山崎庸一郎・中條忍共訳、みすず書房)
身近に他人の苦しみを自分の苦しみとして体験した「不幸」が、人間の根源的な「不幸」を深く洞察させたということ。そして、その体験が、つねに彼女の思想の根底を裏打ちし、深めていったこと。そしてさらに病弱で激しい頭痛の発作などに生涯つきまとわれながらも、なお、苦しんでいる人々に近づこうとしたあの強い意志——それらを、よくよく考えていただきたいと思うのです。
そして、私は皆さんに「現実のなかに身をおいて、人間を深めていってほしい」のであります。病める人、悩める人、迷う人がいたら、それを自分の痛みとして、自然に体が動いていく。真っ先にいたわりの手をさしのべてあげる。それが、身近な小さな問題であっても、自分の痛みとして担っていく。そういうあたたかな、そして鋭敏な同苦の作業の積み重ねは、人間を深くし、謙虚にし、大きく成長させていくにちがいありません。
◇巣立ちの「ふるさと」
最後に先生は、社会へ旅立つ短大生に、聡明な女性として、心美しく、意志強く、白鳥のように、幸福の舞を描きゆく人生をと強調。卒業生の限りない成長を願い、祝福のエールを送った。
この創価女子短大は、皆さんの人生にとって巣立ちの「ふるさと」であります。これからの人生でのうれしいこと、苦しいこと、悲しいこと、さまざまなことにつけて、この「ふるさと」を思い出し、また、帰ってきてください。
「ふるさと」が懐かしく、大切なのは、そこにいつも何か変わらないものがあるからでありましょう。どんなに時代や社会や皆さんの境遇が変わっても、自分の変わらぬアイデンティティーがここにある。根っこが、ここにあることを忘れないでいただきたいのであります。
関西魂は世界の光なり!
わが愛する常勝の友よ
いざや前進 恐れなく
大言論戦を威風堂々と!
十字御書 P1492
『蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物大地よりをいたり、さくらはをもしろき物木の中よりさきいづ』
【通解】
蓮は清らかなものですが、泥から生え出ます。栴檀は香りのよいものですが、大地から生じます。桜の花は趣のあるものですが、木の中から咲き出ます。
〈寸鉄〉 2019年3月8日
「いよいよ・はりあげてせむべし」御書。未聞の激闘こそ誉れ。さあ開拓だ
愛知の豊田・春日井、千種・緑区の勇者が総立ち。民衆の底力で勝利掴め!
札幌市厚別・中央・清田区の友が猛追。断固と攻め上がり三代城に万歳を!
国際女性デー。"誰も置き去りにしない"対話広げる創価の女性は人類の宝
AI技術の倫理的指針を決めるべき時—事務局長人間の為の視点で熟議を
☆忘れ得ぬ瞬間 創立者の語らい 第10回 創価女子短期大学 1988年3月 卒業式
◇真実の幸福を問う生き方を
あす2月27日は「創価女子短期大学の日」。短大は間もなく創立35周年を迎える。開学以来、1万1000人を超える卒業生が、この"女性教育の殿堂"から社会へと羽ばたいていった。創立者・池田先生は"短大姉妹"のかけがえのない"青春二歳"を、常に温かく見守り、励ましを送ってきた。1988年3月14日の第2回卒業式には万感のメッセージを寄せ、終了後の謝恩会に出席している。メッセージの中で池田先生は、19世紀フランスの女性作家ジョルジュ・サンドの名作『愛の妖精』を紹介。自分が正しいと信じるままに、強く生き抜くことの大切さを訴えた。
初めに、これから、未来の日々多き皆さんは、一人ももれなく「幸福の大道」を真っすぐに歩んでいってもらいたい。幸福への道を踏みはずしてはならないということであります。
「幸福」とは「満足」と言いかえてよい。物質や財産といった充足も、幸福の一つの条件かもしれない。けれども、それらは、絶対的なものではない。それよりも、自分自身を楽しむこと、自分自身に満足すること、すなわち「ああ、私は、この生き方でよかったのだ」と自分自身に、心から言いきれる喜びにこそ、確かな幸福があるといえるでありましょう。
見せかけの幸福にのみ酔った人生だけは歩んではならない。真実の幸福とは何であるかを、つねに自分自身に問う生き方を忘れないでいただきたい。
◇思いやりの人に
続いて先生は、フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユの生涯に言及。ヴェイユは貧しい労働者のための社会運動に挺身し、スペイン内乱時には義勇軍として戦った。後年は激しい肉体労働にも従事するようになる。名もない虐げられた人々に対する、やむにやまれぬ同苦の心から、人間精神の内奥を見つめた彼女の生き方を通し、「深い思いやりの人に」と望んだ。
もう一つの願望は「深い思いやりの人に」ということであります。
女性の特質の一つは"愛すること"といってよい。恋人や、夫や、子どもへの愛情ももちろん、これに含まれます。さらに、こうした個別的な意味での愛情を超えて、広く他者に向ける愛、とりわけ傷つき悩んでいる人、宿命とたたかっている人、弱い立場の人への深い思いやりと行動のことを、私は申し上げたいのであります。
皆さんは、シモーヌ・ヴェイユの名をよくご存じのことでありましょう。彼女の思想や生涯は、私がここであらためて論ずるまでもありませんが、現代社会に投げかけたその光はじつに大きく、輝かしいものでありました。自分自身に、極限といってよい人間愛を課してやまなかったその生き方は、今なお私たちの心を深く打つものがあります。
ヴェイユは、世の中に苦悩が存在するかぎり、自分だけの小さな幸福に安住することが、決してできない人であった。彼女は、こう述べております。
「苦痛と危険は、わたしの精神構造からいって不可欠なものです。(中略)地球上に拡がった不幸は、わたしにとりつき、わたしの能力を無に帰せしめてしまうほどわたしを打ちのめしています。わたし自身が危険と苦しみの分け前をたっぷり背負わないかぎり、わたしはその能力を回復し、このとりつかれた状態から解放されることはありません」(ジャック・カボー『シモーヌ・ヴェーユ伝』山崎庸一郎・中條忍共訳、みすず書房)
身近に他人の苦しみを自分の苦しみとして体験した「不幸」が、人間の根源的な「不幸」を深く洞察させたということ。そして、その体験が、つねに彼女の思想の根底を裏打ちし、深めていったこと。そしてさらに病弱で激しい頭痛の発作などに生涯つきまとわれながらも、なお、苦しんでいる人々に近づこうとしたあの強い意志——それらを、よくよく考えていただきたいと思うのです。
そして、私は皆さんに「現実のなかに身をおいて、人間を深めていってほしい」のであります。病める人、悩める人、迷う人がいたら、それを自分の痛みとして、自然に体が動いていく。真っ先にいたわりの手をさしのべてあげる。それが、身近な小さな問題であっても、自分の痛みとして担っていく。そういうあたたかな、そして鋭敏な同苦の作業の積み重ねは、人間を深くし、謙虚にし、大きく成長させていくにちがいありません。
◇巣立ちの「ふるさと」
最後に先生は、社会へ旅立つ短大生に、聡明な女性として、心美しく、意志強く、白鳥のように、幸福の舞を描きゆく人生をと強調。卒業生の限りない成長を願い、祝福のエールを送った。
この創価女子短大は、皆さんの人生にとって巣立ちの「ふるさと」であります。これからの人生でのうれしいこと、苦しいこと、悲しいこと、さまざまなことにつけて、この「ふるさと」を思い出し、また、帰ってきてください。
「ふるさと」が懐かしく、大切なのは、そこにいつも何か変わらないものがあるからでありましょう。どんなに時代や社会や皆さんの境遇が変わっても、自分の変わらぬアイデンティティーがここにある。根っこが、ここにあることを忘れないでいただきたいのであります。
2019年3月7日木曜日
2019.03.07 わが友に贈る
打てば響くような
電光石火の行動を!
綿密で心通う
報告・連絡・相談が
団結と勢いをつくる。
一昨日御書 P183
『彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり』
【通解】
かの太公望が殷の国に攻め入ったのは、西伯(文王)が礼をもって迎えたからであり、張良が謀をめぐらして秦の国を滅ぼしたのは、漢の高祖(劉邦)の誠意に感じたからである。これらの人は皆、その当時にあって賞を得ている。謀を帷帳(幕を張り作戦計画を練る場所)の中にめぐらし、千里の外に勝利を決した者である。
〈寸鉄〉 2019年3月7日
諸天は「眼に見へて守護し給う」御書。この確信で祈り動け。敵をも味方に
大阪市の都島、北、平野区よ限界突破の拡大を!常勝の誇り胸に栄冠必ず
長岡市、新潟市中央区が激走。勝利の力は勇気の二字だ。気迫で攻め捲れ
青少年のネット利用は年々長時間化と。学力にも悪影響。親子で規則決め
自殺対策強化月間。社会に生きる哲学を!地域に強固な絆を!死魔を追放
☆勇気の旗高く 池田先生と鹿児島 2019年2月25日
◇「必ず勝つ」との炎の団結で
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は鹿児島県を掲載する。
歴史回天の電源地となった鹿児島からは、時代を画する革命児が躍り出た。
その胸には、火を噴く桜島のごとき、理想への闘魂が燃えたぎっていたに違いない。
池田先生もまた、鹿児島の同志へ、あふれんばかりの期待を込めている。
「明治維新よりも何倍、何十倍もの偉人が、一流の人が、大指導者が、この地から出ていただきたい!」と、深き先駆の使命を訴えた。
太陽も、中心の「核」が、瞬時も弛むことなく、激しく燃えているからこそ、あの赫々たる輝きがある。
それと同じように、"一念"という、わが生命の「核」を、赤々と燃やしながら、自分自身を輝かせ、家庭も、社会も、国土も、大いなる希望の光で照らしていく——これが、「人間革命」の方程式であります。
とともに、時代を変え、歴史を変える「核」の存在となってきたのが、まさしく、ここ鹿児島の天地であります。どうか、このロマンあふれる美しき故郷から、新たなる民衆の幸福のスクラムを、世界へ、世紀へ、拡大していただきたい。
◇三世永遠の充実
完成して間もない鹿児島文化会館を池田先生が初めて訪れたのは、1983年(昭和58年)3月。支部結成25周年を祝賀する第1回鹿児島県総会の折だった。
新法城に師を迎え、喜びに沸く2000人の同志。奄美大島、屋久島、種子島などからも、友が勇み集った。
広布の戦いを起こしたならば、それにかける。必ず勝ってみせるという心意気をもってほしい。それ以上の喜びと充実は、人生にはないのです。
自らの責任ある立場として、必ず学会員を幸せにしてみせる。後世に輝く歴史を残してみせる、との気概で、尊い人生を生きていただきたい。そういう気概の人、覚悟の人には、人生の充実感と喜びがある。
充実感は自分しか分からないものだ。自分が自分自身に問いかけ、自らが答えを出していく以外にない。スポーツや社会的活動にも、それなりの充実感はあるものの、永続性はない。三世永遠にわたる生命そのものの充実感は、広宣流布、一生成仏への仏道修行、学会活動にある。
わがままや労を惜しんだ一歩後退の人生にはむなしさ、わびしさが残るものだ。また常識や道理に反した無理の行動はいけない。だが大聖人が「如説修行」「不惜身命」「勇猛精進」と仰せのごとく、真剣な、心労を尽くした仏道修行にこそ、充実と功徳の人生の大道はある。
◇誓いを貫く
鹿児島の広布史に燦然と輝く池田先生の激励行。
霧島にあった九州研修道場では、九州はもとより、日本全国、世界から集った若き友と、可能な限り時間を共にしている。
90年(平成2年)9月には、研修道場で全国男子青年部幹部会が開かれ、先生は、わが青春に不滅の魂をと望んだ。
御書に「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136ページ)——受けることはやさしいが、持ち続けることはむずかしい。そのなかで、成仏は、持ち続けるところにある——と。
「持つ」とは、生涯、永遠に御本尊を持ちきることである。何があっても、ひとたび決めた信仰の誓いを貫くことである。因果倶時で、その一念に、一切の価値が、すでに含まれている。
「仏法は勝負」であり、広布を妨げようとするものに、断じて負けてはならない。社会においても、個々の生活のうえでも、勝負の厳しき現実を見すえ、仏法者として勝利の証を示していくところに、広布の前進はある。
弟子を思う師の心は、弟子が考えるよりはるかに深いものである。その心がわからないということは、弟子にとってこれ以上の不幸はない。
私は、戸田先生という稀有の大指導者を師匠として、徹底して訓練を受けさせていただいた。わが人生において、これ以上の誇りはない。若き日に人生の師に巡り会い、真実の人間の錬磨を受けることは、青春の最高の誉れである。この人生の真髄がわかれば、富や名声などの飾りに惑わされることもないし、何ものをも恐れることはない。
◇歓喜の祝砲を
「我胸の 燃ゆる思ひに くらふれは 烟はうすし 桜島山」——池田先生は、幕末の志士・平野国臣の和歌を通し、広布の大使命に生きる情熱を呼び掛けている。
「人を燃え上がらせるには、自分自身が燃えることだ。それでこそ、炎と炎が合わさった、無敵の団結の火の玉で戦うことができるからだ」
95年(平成7年)3月、先生が万感を込めて詠み贈った3首の和歌を、友は不滅の指針として心に刻む。
炎とぶ
怒りの声か
桜島
日本を救えや
鹿児島健児と
空が裂け
煙は嵐と
荒れ狂う
我此土安穏
我らの使命と
あまりにも
思い出多き
鹿児島の
同志の幸をば
断固 祈らむ
池田先生の限りない期待に呼応し、広布の地平を切り開いてきた鹿児島の友。師から贈られた随筆を胸に刻み、歴史回天の新たな勝利劇をつづりゆく。
ある詩人が言った。
「鹿児島の天地は、男らしい。その薩摩の風も、波も、桜島の響きも、断固たる正義のために、男らしく立ち上がれ! と叫んでいるように、私には聞こえる」と。
確かに、火の国の象徴の天地として、アジアへ、世界へ、新しき世紀の幕開けの偉大な雄叫びを上げている。
古今東西を通じて鑑となる、あらゆる偉業は、そして革命等の勝利は、必ず、青年たちの同志の結合によって勝利した。
二十一世紀に乱舞する、わが鹿児島の同志よ! 妙法の薩摩隼人たちよ! 誉れある先駆の大闘争を頼む。
朝な夕な、雄大な桜島を仰ぎながら、君の使命の舞台で、正義の砲撃を、歓喜の祝砲を轟かせていくのだ。
今再び、誇りも高く「同志の歌」を歌いながら!
電光石火の行動を!
綿密で心通う
報告・連絡・相談が
団結と勢いをつくる。
一昨日御書 P183
『彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり』
【通解】
かの太公望が殷の国に攻め入ったのは、西伯(文王)が礼をもって迎えたからであり、張良が謀をめぐらして秦の国を滅ぼしたのは、漢の高祖(劉邦)の誠意に感じたからである。これらの人は皆、その当時にあって賞を得ている。謀を帷帳(幕を張り作戦計画を練る場所)の中にめぐらし、千里の外に勝利を決した者である。
〈寸鉄〉 2019年3月7日
諸天は「眼に見へて守護し給う」御書。この確信で祈り動け。敵をも味方に
大阪市の都島、北、平野区よ限界突破の拡大を!常勝の誇り胸に栄冠必ず
長岡市、新潟市中央区が激走。勝利の力は勇気の二字だ。気迫で攻め捲れ
青少年のネット利用は年々長時間化と。学力にも悪影響。親子で規則決め
自殺対策強化月間。社会に生きる哲学を!地域に強固な絆を!死魔を追放
☆勇気の旗高く 池田先生と鹿児島 2019年2月25日
◇「必ず勝つ」との炎の団結で
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は鹿児島県を掲載する。
歴史回天の電源地となった鹿児島からは、時代を画する革命児が躍り出た。
その胸には、火を噴く桜島のごとき、理想への闘魂が燃えたぎっていたに違いない。
池田先生もまた、鹿児島の同志へ、あふれんばかりの期待を込めている。
「明治維新よりも何倍、何十倍もの偉人が、一流の人が、大指導者が、この地から出ていただきたい!」と、深き先駆の使命を訴えた。
太陽も、中心の「核」が、瞬時も弛むことなく、激しく燃えているからこそ、あの赫々たる輝きがある。
それと同じように、"一念"という、わが生命の「核」を、赤々と燃やしながら、自分自身を輝かせ、家庭も、社会も、国土も、大いなる希望の光で照らしていく——これが、「人間革命」の方程式であります。
とともに、時代を変え、歴史を変える「核」の存在となってきたのが、まさしく、ここ鹿児島の天地であります。どうか、このロマンあふれる美しき故郷から、新たなる民衆の幸福のスクラムを、世界へ、世紀へ、拡大していただきたい。
◇三世永遠の充実
完成して間もない鹿児島文化会館を池田先生が初めて訪れたのは、1983年(昭和58年)3月。支部結成25周年を祝賀する第1回鹿児島県総会の折だった。
新法城に師を迎え、喜びに沸く2000人の同志。奄美大島、屋久島、種子島などからも、友が勇み集った。
広布の戦いを起こしたならば、それにかける。必ず勝ってみせるという心意気をもってほしい。それ以上の喜びと充実は、人生にはないのです。
自らの責任ある立場として、必ず学会員を幸せにしてみせる。後世に輝く歴史を残してみせる、との気概で、尊い人生を生きていただきたい。そういう気概の人、覚悟の人には、人生の充実感と喜びがある。
充実感は自分しか分からないものだ。自分が自分自身に問いかけ、自らが答えを出していく以外にない。スポーツや社会的活動にも、それなりの充実感はあるものの、永続性はない。三世永遠にわたる生命そのものの充実感は、広宣流布、一生成仏への仏道修行、学会活動にある。
わがままや労を惜しんだ一歩後退の人生にはむなしさ、わびしさが残るものだ。また常識や道理に反した無理の行動はいけない。だが大聖人が「如説修行」「不惜身命」「勇猛精進」と仰せのごとく、真剣な、心労を尽くした仏道修行にこそ、充実と功徳の人生の大道はある。
◇誓いを貫く
鹿児島の広布史に燦然と輝く池田先生の激励行。
霧島にあった九州研修道場では、九州はもとより、日本全国、世界から集った若き友と、可能な限り時間を共にしている。
90年(平成2年)9月には、研修道場で全国男子青年部幹部会が開かれ、先生は、わが青春に不滅の魂をと望んだ。
御書に「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136ページ)——受けることはやさしいが、持ち続けることはむずかしい。そのなかで、成仏は、持ち続けるところにある——と。
「持つ」とは、生涯、永遠に御本尊を持ちきることである。何があっても、ひとたび決めた信仰の誓いを貫くことである。因果倶時で、その一念に、一切の価値が、すでに含まれている。
「仏法は勝負」であり、広布を妨げようとするものに、断じて負けてはならない。社会においても、個々の生活のうえでも、勝負の厳しき現実を見すえ、仏法者として勝利の証を示していくところに、広布の前進はある。
弟子を思う師の心は、弟子が考えるよりはるかに深いものである。その心がわからないということは、弟子にとってこれ以上の不幸はない。
私は、戸田先生という稀有の大指導者を師匠として、徹底して訓練を受けさせていただいた。わが人生において、これ以上の誇りはない。若き日に人生の師に巡り会い、真実の人間の錬磨を受けることは、青春の最高の誉れである。この人生の真髄がわかれば、富や名声などの飾りに惑わされることもないし、何ものをも恐れることはない。
◇歓喜の祝砲を
「我胸の 燃ゆる思ひに くらふれは 烟はうすし 桜島山」——池田先生は、幕末の志士・平野国臣の和歌を通し、広布の大使命に生きる情熱を呼び掛けている。
「人を燃え上がらせるには、自分自身が燃えることだ。それでこそ、炎と炎が合わさった、無敵の団結の火の玉で戦うことができるからだ」
95年(平成7年)3月、先生が万感を込めて詠み贈った3首の和歌を、友は不滅の指針として心に刻む。
炎とぶ
怒りの声か
桜島
日本を救えや
鹿児島健児と
空が裂け
煙は嵐と
荒れ狂う
我此土安穏
我らの使命と
あまりにも
思い出多き
鹿児島の
同志の幸をば
断固 祈らむ
池田先生の限りない期待に呼応し、広布の地平を切り開いてきた鹿児島の友。師から贈られた随筆を胸に刻み、歴史回天の新たな勝利劇をつづりゆく。
ある詩人が言った。
「鹿児島の天地は、男らしい。その薩摩の風も、波も、桜島の響きも、断固たる正義のために、男らしく立ち上がれ! と叫んでいるように、私には聞こえる」と。
確かに、火の国の象徴の天地として、アジアへ、世界へ、新しき世紀の幕開けの偉大な雄叫びを上げている。
古今東西を通じて鑑となる、あらゆる偉業は、そして革命等の勝利は、必ず、青年たちの同志の結合によって勝利した。
二十一世紀に乱舞する、わが鹿児島の同志よ! 妙法の薩摩隼人たちよ! 誉れある先駆の大闘争を頼む。
朝な夕な、雄大な桜島を仰ぎながら、君の使命の舞台で、正義の砲撃を、歓喜の祝砲を轟かせていくのだ。
今再び、誇りも高く「同志の歌」を歌いながら!
2019年3月6日水曜日
2019.03.06 わが友に贈る
赫々たる希望の太陽は
神奈川の天地から昇る。
「正義」と「共戦」の港から
"創価勝利の暁鐘"を
高らかに打ち鳴らそう!
四条金吾殿御返事 P1192
『夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず果報つきぬれば所従もしたがはず』
【通解】
福運がなくなれば、どんな兵法も役に立たなくなり、果報が尽きてしまえば、従うべき人も従わなくなる。
〈寸鉄〉 2019年3月6日
学会は庶民の味方、悩める人の味方—恩師。立正安国の対話で堂々と前進
札幌の北・東・白石区の友が破竹の拡大。勇敢に語り北海天地に大勝旗を!
大阪の此花・西淀川・大正区、強気で攻め抜け!皆が師子となって断固凱旋
真の賢人はいつも快活—文豪。弾む生命で進め。歓喜ある所に人は集まる
自然災害の恐れ感じる人77%、防災活動の参加35%。自助・共助の備え固く
☆心大歓喜 紙上講義で学ぼう 2019年2月26日
◇常勝関西たれ!
法華経には、自身の尊極な生命に目覚めた喜びが「心大歓喜」(心は大いに歓喜、法華経341ページ等)と記されています。御書を拝せば、希望が広がる、勇気がみなぎる、智慧が湧く——ここでは「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」と題し、各地の教学部リーダーの講義を掲載します。
◇御文
『譬えばよき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり』(法華初心成仏抄、550ページ16行目〜18行目)
◇通解
例えていえば、よい火打ち金と、よい火打ち石の角と、よい火口と、この三つが寄り合って火を用いることができるのである。祈りもまた同じである。よい師と、よい弟子と、よい法と、この三つが寄り合って祈りを成就し、国土の大難をも払うことができるのである。
関西教学部長 細川哲也
●久遠の誓いで結ばれた師弟不二の勝利の証しを
若き日の池田先生が、不可能を可能にした「大阪の戦い」に当たって拝された「法華初心成仏抄」の一節です。
牧口先生、戸田先生も御書に傍線を引かれるなど、創価の三代が大切にしてきた師弟の御聖訓です。
本抄で大聖人は、「よき師」「よき檀那」「よき法」の三つが寄り合って、初めて祈りもかない、平和と安定の社会へ立正安国も可能になると仰せです。
ここで「よき師」とは、末法の御本仏である日蓮大聖人です。「よき法」とは、正法のことであり、「よき檀那」とは、正法を持つ人を指します。
私たちが、大聖人の仏法に巡り合えたのは、創価学会があったからです。また、信心に励み、幸福と勝利の日々を歩めるのも、仏法の偉大さを教えてくれる広布の師匠がいるからです。
ゆえに、大聖人の御遺命である広宣流布のために、不惜身命で戦い抜かれる創価の三代会長は、私たちにとって広宣流布の「よき師」であることは言うまでもありません。
師弟不二の祈りと行動で、不可能を可能にし、一切を勝利できる——これが仏法の要諦であり、学会精神の真髄です。それを現実に証明したのが、「"まさか"が実現」の金字塔を打ち立てた、「大阪の戦い」です。
1956年(昭和31年)、池田先生は、関西の同志と、寝食を共にする日々の中、戸田先生の期待に応えようとする自らの姿で、真の弟子の道を厳然と残されました。大阪に師弟不二の魂をとどめてくださったのです。
当時、先生と共に、大阪中を縦横無尽に走り抜いた同志の大半は、入会して間もないメンバーでした。将来、語り継がれるような歴史の中にいたとは、思いもしなかったと。そして、だれもが異口同音に、「楽しかった」とうれしそうに語っていました。「師匠と心を合わせて戦えば、思いも寄らない境涯が絶対に開かれる」と、今、関西の確信となっています。
師と共に戦うから、小さな自分の殻を破ることができます。師のために戦うから、自身が秘めている本当の底力が出せるのです。池田先生は、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章につづっています。
「大聖人は、『師子』には『師弟』の意義があると説かれている。仏という師匠と共に生き抜くならば、弟子すなわち衆生もまた、師匠と同じ偉大な境涯になれるのを教えたのが法華経なんです」
「『人生の師』をもつことは、『生き方の規範』をもつことであり、なかでも、師弟が共に、人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません。
この師弟不二の共戦こそが、広宣流布を永遠ならしめる生命線です。そして、広布の流れを、末法万年を潤す大河にするかどうかは、すべて後継の弟子によって決まります」
師弟不二といっても、真に不二であるかどうかは、弟子の信心にかかっているといえます。「師匠ならどうされるのか」と、師の心に肉薄する、祈りと行動があってこそ、不二になることができるのです。
関西は、いくつもの広布の山を登攀してきました。「大阪の戦い」も、第1次宗門事件からの反転攻勢の戦いも、広布拡大の実践によって上げ潮をつくり、挑み、勝ち越えてきました。このリズムは不変です。昨年、関西はかつてない弘教を達成。今、関西の同志は、昭和31年の「大阪の戦い」に続き、平成31年の"まさかが実現"の戦いを成し遂げようと誓い合っています。
関西は、師匠を人生のど真ん中に置くから、団結できる。異体同心で壁を破ってくることができたのです。その前進は、常に関西の歌「常勝の空」と共にあります。
♪今再びの 陣列に
君と我とは 久遠より
誓いの友と 春の曲
愛する関西 勇み立て……
師と久遠の誓いで結ばれた弟子である——これ以上の誉れはありません。
絶対勝利の極意である師弟不二の魂を受け継いでいる証しを、断じて示しゆこうではありませんか。
★池田先生の指針から
関西が、私の後を継いで、「師弟」を叫びきっていくのだ。
関西が、一致団結して、本当の「師弟の魂」を護っていくのだ。
それが、わが関西の決心であり、誓いであっていただきたい。
関西の皆さん、頼みます!
なんの遠慮もいらない。常勝関西の大前進で、全国を、全世界を揺り動かしていただきたい!(関西最高協議会でのスピーチ、本紙2007年11月11日付)
◇
大阪事件の出獄後、旧関西本部で、戸田先生が、しみじみと語られた言葉を紹介したい。
「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていく。そのなかにこそ、仏法の実践がある。それを断行するならば、当然、難が競い起こるぞ」
「しかし、そんなことを恐れていたのでは、仏法者の本当の使命を果たすことはできない。われわれが宿業を転換し、一生成仏を遂げていくためには、法難にあい、障魔と戦って勝つしかないのだ。だから私は、社会の建設に向かって舵を取り、三障四魔を、三類の強敵を呼び出したのだ」「大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。師子になるのだ」
関西は、私とともに、真正の師子となった!
関西よ、広布第2幕の創価学会を頼む!
21世紀の広宣流布を頼む!
そして、創価の師弟の永遠の常勝を頼む!(第2回関西最高協議会でのスピーチ、本紙2007年11月21日付)
神奈川の天地から昇る。
「正義」と「共戦」の港から
"創価勝利の暁鐘"を
高らかに打ち鳴らそう!
四条金吾殿御返事 P1192
『夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず果報つきぬれば所従もしたがはず』
【通解】
福運がなくなれば、どんな兵法も役に立たなくなり、果報が尽きてしまえば、従うべき人も従わなくなる。
〈寸鉄〉 2019年3月6日
学会は庶民の味方、悩める人の味方—恩師。立正安国の対話で堂々と前進
札幌の北・東・白石区の友が破竹の拡大。勇敢に語り北海天地に大勝旗を!
大阪の此花・西淀川・大正区、強気で攻め抜け!皆が師子となって断固凱旋
真の賢人はいつも快活—文豪。弾む生命で進め。歓喜ある所に人は集まる
自然災害の恐れ感じる人77%、防災活動の参加35%。自助・共助の備え固く
☆心大歓喜 紙上講義で学ぼう 2019年2月26日
◇常勝関西たれ!
法華経には、自身の尊極な生命に目覚めた喜びが「心大歓喜」(心は大いに歓喜、法華経341ページ等)と記されています。御書を拝せば、希望が広がる、勇気がみなぎる、智慧が湧く——ここでは「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」と題し、各地の教学部リーダーの講義を掲載します。
◇御文
『譬えばよき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり』(法華初心成仏抄、550ページ16行目〜18行目)
◇通解
例えていえば、よい火打ち金と、よい火打ち石の角と、よい火口と、この三つが寄り合って火を用いることができるのである。祈りもまた同じである。よい師と、よい弟子と、よい法と、この三つが寄り合って祈りを成就し、国土の大難をも払うことができるのである。
関西教学部長 細川哲也
●久遠の誓いで結ばれた師弟不二の勝利の証しを
若き日の池田先生が、不可能を可能にした「大阪の戦い」に当たって拝された「法華初心成仏抄」の一節です。
牧口先生、戸田先生も御書に傍線を引かれるなど、創価の三代が大切にしてきた師弟の御聖訓です。
本抄で大聖人は、「よき師」「よき檀那」「よき法」の三つが寄り合って、初めて祈りもかない、平和と安定の社会へ立正安国も可能になると仰せです。
ここで「よき師」とは、末法の御本仏である日蓮大聖人です。「よき法」とは、正法のことであり、「よき檀那」とは、正法を持つ人を指します。
私たちが、大聖人の仏法に巡り合えたのは、創価学会があったからです。また、信心に励み、幸福と勝利の日々を歩めるのも、仏法の偉大さを教えてくれる広布の師匠がいるからです。
ゆえに、大聖人の御遺命である広宣流布のために、不惜身命で戦い抜かれる創価の三代会長は、私たちにとって広宣流布の「よき師」であることは言うまでもありません。
師弟不二の祈りと行動で、不可能を可能にし、一切を勝利できる——これが仏法の要諦であり、学会精神の真髄です。それを現実に証明したのが、「"まさか"が実現」の金字塔を打ち立てた、「大阪の戦い」です。
1956年(昭和31年)、池田先生は、関西の同志と、寝食を共にする日々の中、戸田先生の期待に応えようとする自らの姿で、真の弟子の道を厳然と残されました。大阪に師弟不二の魂をとどめてくださったのです。
当時、先生と共に、大阪中を縦横無尽に走り抜いた同志の大半は、入会して間もないメンバーでした。将来、語り継がれるような歴史の中にいたとは、思いもしなかったと。そして、だれもが異口同音に、「楽しかった」とうれしそうに語っていました。「師匠と心を合わせて戦えば、思いも寄らない境涯が絶対に開かれる」と、今、関西の確信となっています。
師と共に戦うから、小さな自分の殻を破ることができます。師のために戦うから、自身が秘めている本当の底力が出せるのです。池田先生は、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章につづっています。
「大聖人は、『師子』には『師弟』の意義があると説かれている。仏という師匠と共に生き抜くならば、弟子すなわち衆生もまた、師匠と同じ偉大な境涯になれるのを教えたのが法華経なんです」
「『人生の師』をもつことは、『生き方の規範』をもつことであり、なかでも、師弟が共に、人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません。
この師弟不二の共戦こそが、広宣流布を永遠ならしめる生命線です。そして、広布の流れを、末法万年を潤す大河にするかどうかは、すべて後継の弟子によって決まります」
師弟不二といっても、真に不二であるかどうかは、弟子の信心にかかっているといえます。「師匠ならどうされるのか」と、師の心に肉薄する、祈りと行動があってこそ、不二になることができるのです。
関西は、いくつもの広布の山を登攀してきました。「大阪の戦い」も、第1次宗門事件からの反転攻勢の戦いも、広布拡大の実践によって上げ潮をつくり、挑み、勝ち越えてきました。このリズムは不変です。昨年、関西はかつてない弘教を達成。今、関西の同志は、昭和31年の「大阪の戦い」に続き、平成31年の"まさかが実現"の戦いを成し遂げようと誓い合っています。
関西は、師匠を人生のど真ん中に置くから、団結できる。異体同心で壁を破ってくることができたのです。その前進は、常に関西の歌「常勝の空」と共にあります。
♪今再びの 陣列に
君と我とは 久遠より
誓いの友と 春の曲
愛する関西 勇み立て……
師と久遠の誓いで結ばれた弟子である——これ以上の誉れはありません。
絶対勝利の極意である師弟不二の魂を受け継いでいる証しを、断じて示しゆこうではありませんか。
★池田先生の指針から
関西が、私の後を継いで、「師弟」を叫びきっていくのだ。
関西が、一致団結して、本当の「師弟の魂」を護っていくのだ。
それが、わが関西の決心であり、誓いであっていただきたい。
関西の皆さん、頼みます!
なんの遠慮もいらない。常勝関西の大前進で、全国を、全世界を揺り動かしていただきたい!(関西最高協議会でのスピーチ、本紙2007年11月11日付)
◇
大阪事件の出獄後、旧関西本部で、戸田先生が、しみじみと語られた言葉を紹介したい。
「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていく。そのなかにこそ、仏法の実践がある。それを断行するならば、当然、難が競い起こるぞ」
「しかし、そんなことを恐れていたのでは、仏法者の本当の使命を果たすことはできない。われわれが宿業を転換し、一生成仏を遂げていくためには、法難にあい、障魔と戦って勝つしかないのだ。だから私は、社会の建設に向かって舵を取り、三障四魔を、三類の強敵を呼び出したのだ」「大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。師子になるのだ」
関西は、私とともに、真正の師子となった!
関西よ、広布第2幕の創価学会を頼む!
21世紀の広宣流布を頼む!
そして、創価の師弟の永遠の常勝を頼む!(第2回関西最高協議会でのスピーチ、本紙2007年11月21日付)
2019年3月5日火曜日
2019.03.05 わが友に贈る
女性の声に耳を傾ける。
意見を最大に尊重する。
これが繁栄の要点!
一人一人が輝く
模範の地域を築こう!
異体同心事 P1463
『殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ』
【通解】
殷の紂王は、70万騎だったが、同体異心だったので、戦に負けた。周の武王は、わずか800人の軍勢であったが、異体同心だったので勝ったのである。
〈寸鉄〉 2019年3月5日
今日より明日と信心強盛に励む事が一生を決める—恩師。執念で一歩前へ
壮年部結成記念日。さあ本領発揮の時!黄金柱の躍進が創価勝利の決定打
戦場はここだ。私はここで勝つ気だ—作家。腹を決めよ。これ歴史開く鍵
大学3年生らの就職活動開始。祈り根本に入念に準備。短期決戦、悔いなく
雛人形飾りの誤飲注意—消費者庁。管理は子ども目線で。煙草等も含めて
☆四季の励まし 友好拡大の花を爛漫と 2019年3月3日
◇大阪 常勝の歴史を共に
来る日も、来る日も、
同志の笑顔のため、
地域の人々の喜びのため、
わが地涌の勇者の皆さま方は走り、
語り続けている。
いかなる高位の人よりも、
有名人や権勢の人よりも、
遥かに偉大な人間王者であり、
幸福と平和の博士である。
広布のためならば、
どこへでも駆けつけよ!
懸命に難関に挑み、
苦闘する友と一緒に立て!
激戦の地で新たな波動を起こせ!
創価学会には、
この真心のネットワークで結ばれた
強固な団結がある。
だから強い。だから負けない。
団結の鍵は何か。それは、
一見、矛盾するようであるが、
自らが「一人立つ」ことである。
自分が真剣に祈り、強くなることだ。
「誰かがやるだろう」と、
安易に考えている限り、
どこまでいっても、
真の団結を築くことはできない。
広宣流布の城に、
必要のない人など、一人もいない。
皆が「宝の人材」である。
誰もが、なくてはならない存在だ。
その一人一人を
真心から大切にしていく
積み重ねによってこそ、
難攻不落の大城が出来上がるのだ。
励ましの大地に、仏縁の拡大、
友好の拡大、青年の拡大、
人材の拡大の爛漫たる花を!
そのための要諦は何だろうか。
それは第一に「祈り」の拡大である。
第二に自身の「境涯」の拡大である。
そして第三に「勇気」の拡大である。
「祈り」「境涯」「勇気」——
この三つの拡大を通して、
わが人生と地域と世界の新時代を、
朗らかに邁進していこう!
早春の青空に、紅白の梅が映える——。1996年(平成8年)3月、池田大作先生が大阪城公園でカメラに収めた。同公園には、100種を超える約1270本の梅が植えられ、開花を迎えた今、多くの人々でにぎわう。
かつて池田先生はつづった。「厳しい冬を越え、春に咲く花は愛おしい。『桜梅桃李』と説かれる通り、試練の冬を経てこそ、"自分らしい花""可能性の花"は開花する」と。
躍動の3月。異体同心の団結固く、わが使命の舞台で"友好拡大の花"を爛漫と咲かせよう。
意見を最大に尊重する。
これが繁栄の要点!
一人一人が輝く
模範の地域を築こう!
異体同心事 P1463
『殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ』
【通解】
殷の紂王は、70万騎だったが、同体異心だったので、戦に負けた。周の武王は、わずか800人の軍勢であったが、異体同心だったので勝ったのである。
〈寸鉄〉 2019年3月5日
今日より明日と信心強盛に励む事が一生を決める—恩師。執念で一歩前へ
壮年部結成記念日。さあ本領発揮の時!黄金柱の躍進が創価勝利の決定打
戦場はここだ。私はここで勝つ気だ—作家。腹を決めよ。これ歴史開く鍵
大学3年生らの就職活動開始。祈り根本に入念に準備。短期決戦、悔いなく
雛人形飾りの誤飲注意—消費者庁。管理は子ども目線で。煙草等も含めて
☆四季の励まし 友好拡大の花を爛漫と 2019年3月3日
◇大阪 常勝の歴史を共に
来る日も、来る日も、
同志の笑顔のため、
地域の人々の喜びのため、
わが地涌の勇者の皆さま方は走り、
語り続けている。
いかなる高位の人よりも、
有名人や権勢の人よりも、
遥かに偉大な人間王者であり、
幸福と平和の博士である。
広布のためならば、
どこへでも駆けつけよ!
懸命に難関に挑み、
苦闘する友と一緒に立て!
激戦の地で新たな波動を起こせ!
創価学会には、
この真心のネットワークで結ばれた
強固な団結がある。
だから強い。だから負けない。
団結の鍵は何か。それは、
一見、矛盾するようであるが、
自らが「一人立つ」ことである。
自分が真剣に祈り、強くなることだ。
「誰かがやるだろう」と、
安易に考えている限り、
どこまでいっても、
真の団結を築くことはできない。
広宣流布の城に、
必要のない人など、一人もいない。
皆が「宝の人材」である。
誰もが、なくてはならない存在だ。
その一人一人を
真心から大切にしていく
積み重ねによってこそ、
難攻不落の大城が出来上がるのだ。
励ましの大地に、仏縁の拡大、
友好の拡大、青年の拡大、
人材の拡大の爛漫たる花を!
そのための要諦は何だろうか。
それは第一に「祈り」の拡大である。
第二に自身の「境涯」の拡大である。
そして第三に「勇気」の拡大である。
「祈り」「境涯」「勇気」——
この三つの拡大を通して、
わが人生と地域と世界の新時代を、
朗らかに邁進していこう!
早春の青空に、紅白の梅が映える——。1996年(平成8年)3月、池田大作先生が大阪城公園でカメラに収めた。同公園には、100種を超える約1270本の梅が植えられ、開花を迎えた今、多くの人々でにぎわう。
かつて池田先生はつづった。「厳しい冬を越え、春に咲く花は愛おしい。『桜梅桃李』と説かれる通り、試練の冬を経てこそ、"自分らしい花""可能性の花"は開花する」と。
躍動の3月。異体同心の団結固く、わが使命の舞台で"友好拡大の花"を爛漫と咲かせよう。
2019年3月4日月曜日
2019.03.04 わが友に贈る
新聞休刊日
兵衛志殿御返事 P1108
『二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし』
【通解】
二人が団結した姿は車の両輪のようなものである。鳥の二つの羽のようなものである。
☆御書と歩む� 第57回 徹底して「一人」を励ませ
『譬えば一人の父母に千子有りて一人の父母を讃歎すれば千子悦びをなす、一人の父母を供養すれば千子を供養するになりぬ』(千日尼御前御返事、1316ページ)
◇通解
(仏は子である。法華経は父母である)たとえば、一人の父母に千人の子がいて、一人の父母を讃歎すれば、千人の子が喜ぶ。一人の父母を供養すれば、千人の子を供養することになるのである。
◇同志への指針
法華経は一切の仏の父母である。ゆえに妙法に尽くす功徳は、十方三世の仏を供養する功徳と同じである。広布に走る学会活動の福徳こそ無量広大なのだ。
尊き地涌の闘士を守り支える創価の「励まし運動」を、諸仏も諸天も喝采しているに違いない。真心込めて「一人」を激励すれば、その力は幾多の眷属に広がる。一人を大切に! そこに歓喜の勝利が!
☆3月の広布史
◎3・5「壮年部結成記念日」
1966年(昭和41年)3月5日、池田大作先生のもと、学会本部に750人の代表が集い、壮年部が結成された。
席上、先生は"創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたい""壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です"などと述べ、大きな期待を寄せた。
※参考資料=小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」
◎3・8「芸術部の日」
62年(同37年)3月8日、「文化の世紀」の到来を見据え、池田先生のもと、30人で芸術部が発足した。
※参考資料=『新・人間革命』第13巻「光城」
◎3・11「小樽問答記念日」
55年(同30年)3月11日、北海道小樽市の公会堂で、創価学会と日蓮宗(身延派)の正邪を決する法論が行われた。青年部の室長だった池田先生が司会を務め、第一声で日蓮宗側を圧倒。学会側の完全勝利に終わった。
※参考資料=小説『人間革命』第9巻「発端」「小樽問答」
◎3・16「広宣流布記念の日」
57年(同32年)、第2代会長の戸田城聖先生が、生涯の願業である75万世帯の弘教を達成。翌58年3月上旬、戸田先生は、若き池田先生に「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」と提案した。同月16日、男女青年部の精鋭6000人が戸田先生のもとに集い、"広宣流布の記念式典"が開かれた。戸田先生は席上、「創価学会は、宗教界の王者である」と師子吼。広布のバトンを後継の青年に託した。
※参考資料=『人間革命』第12巻「後継」
兵衛志殿御返事 P1108
『二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし』
【通解】
二人が団結した姿は車の両輪のようなものである。鳥の二つの羽のようなものである。
☆御書と歩む� 第57回 徹底して「一人」を励ませ
『譬えば一人の父母に千子有りて一人の父母を讃歎すれば千子悦びをなす、一人の父母を供養すれば千子を供養するになりぬ』(千日尼御前御返事、1316ページ)
◇通解
(仏は子である。法華経は父母である)たとえば、一人の父母に千人の子がいて、一人の父母を讃歎すれば、千人の子が喜ぶ。一人の父母を供養すれば、千人の子を供養することになるのである。
◇同志への指針
法華経は一切の仏の父母である。ゆえに妙法に尽くす功徳は、十方三世の仏を供養する功徳と同じである。広布に走る学会活動の福徳こそ無量広大なのだ。
尊き地涌の闘士を守り支える創価の「励まし運動」を、諸仏も諸天も喝采しているに違いない。真心込めて「一人」を激励すれば、その力は幾多の眷属に広がる。一人を大切に! そこに歓喜の勝利が!
☆3月の広布史
◎3・5「壮年部結成記念日」
1966年(昭和41年)3月5日、池田大作先生のもと、学会本部に750人の代表が集い、壮年部が結成された。
席上、先生は"創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたい""壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です"などと述べ、大きな期待を寄せた。
※参考資料=小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」
◎3・8「芸術部の日」
62年(同37年)3月8日、「文化の世紀」の到来を見据え、池田先生のもと、30人で芸術部が発足した。
※参考資料=『新・人間革命』第13巻「光城」
◎3・11「小樽問答記念日」
55年(同30年)3月11日、北海道小樽市の公会堂で、創価学会と日蓮宗(身延派)の正邪を決する法論が行われた。青年部の室長だった池田先生が司会を務め、第一声で日蓮宗側を圧倒。学会側の完全勝利に終わった。
※参考資料=小説『人間革命』第9巻「発端」「小樽問答」
◎3・16「広宣流布記念の日」
57年(同32年)、第2代会長の戸田城聖先生が、生涯の願業である75万世帯の弘教を達成。翌58年3月上旬、戸田先生は、若き池田先生に「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」と提案した。同月16日、男女青年部の精鋭6000人が戸田先生のもとに集い、"広宣流布の記念式典"が開かれた。戸田先生は席上、「創価学会は、宗教界の王者である」と師子吼。広布のバトンを後継の青年に託した。
※参考資料=『人間革命』第12巻「後継」
2019年3月3日日曜日
2019.03.03 わが友に贈る
◇今週のことば
我らの草の根の対話が
人生と社会を照らす。
「声仏事を為す」
創価家族のスクラムで
春呼ぶ語らいを楽しく!
2019年3月3日
四条金吾殿御返事 P1192
『いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし』
【通解】
いかに日蓮が祈っても、あなた自身が不信ならば、濡れている火口(ほくち)に火を打ちかけるようなものである。勇んで強盛に信力を出しなさい。
〈寸鉄〉 2019年3月3日
「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り」御書。共に無上の人生を。共に師弟の道を
大阪婦人部の日。不屈の祈りと行動で勝つ!創価正義は常勝の母達ありて
「華陽姉妹 誓春の日」。女子部の前進こそ地域の希望。青春の誓いを貫け
この一瞬間に自己の全力を傾注せよ—文豪。さあ今日も挑戦。突破口必ず
車の自動停止で人身事故6割減と。でも過信せず。要は一人一人の安全運転
☆新時代を築く 朗らかに誓いの友と春の曲 2019年2月24日
心に太陽を抱く女性が輝くところ、家庭も地域も社会も、晴れわたる。
熱原の法難の中、勇敢に戦う南条時光の一家には経済の困窮や家族の急逝等、厳しい試練が打ち続いた。しかし母は負けなかった。
日蓮大聖人は、苦難の冬を乗り越えゆく母を労い、讃えつつ、仰せになられた。
「春のはじめ御喜び花のごとくひらけ・月のごとくみたせ」(御書1575ページ)
今、いずこでも、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と快活に進む婦人部・女子部の桜梅桃李のスクラムを、御本仏は、いかばかり御賞讃であろうか。
今月27日は、アメリカ、ブラジル、ニュージーランドなど各地で、創価の女性の記念日となっている。
また、桃の節句の3月3日は、花の女子部の「華陽姉妹 誓春の日」であり、「大阪婦人部の日」「先駆九州女性の日」でもある。
妻も宝友たちと「おひなさまのような笑顔を忘れないで明るく朗らかに!」といつも語り合い、尊き健闘に感謝をささげている。
* * *
戸田先生は、よく言われた。
「悩みや苦しみがあるから、信心が深く、強くなる。そして、未来に幸福の花を咲かせられるんだよ」と。
思えば40年前、猶多怨嫉の嵐が吹き荒れる渦中、私は海を望む神奈川文化会館(横浜市中区)で、いやまして内外の友と語らいを広げていった。
困難に挑むキューバ出身の神奈川婦人部の方を、妻と激励したことも懐かしい。「今に、キューバと日本を自在に行き来できる境涯にきっとなりますよ」
その方は「愛する祖国に平和と希望の種を!」と誓願を立て、両親も妹も信仰に導いていった。それが地涌の花園の淵源となり、キューバ社会を、今、仏法の人間主義の太陽は赫々と照らしている。
最も大変な時に、最も偉大な種を蒔ける。これが「変毒為薬」の妙法の功力だ。
* * *
立正安国の対話に励み、同志を守り包容していった新潟・佐渡の千日尼への御聖訓に、「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(同1316ページ)と仰せである。
創価の女性の「正義の声」「確信の声」「励ましの声」ほど、強い響きはない。
ともあれ、苦しい時こそ、声を掛け合い、支え合って、共に勝ち越えていくのが、久遠よりの「誓いの友」であり「感激の同志」である。
3月5日に結成の日を迎える「広布の黄金柱」壮年部も、いよいよ立ち上がる時が来た。
創価家族の団結の祈りで「諸天舞え」と一切を動かしながら、仲良く晴ればれと「春の曲」を奏でゆこうではないか!
我らの草の根の対話が
人生と社会を照らす。
「声仏事を為す」
創価家族のスクラムで
春呼ぶ語らいを楽しく!
2019年3月3日
四条金吾殿御返事 P1192
『いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし』
【通解】
いかに日蓮が祈っても、あなた自身が不信ならば、濡れている火口(ほくち)に火を打ちかけるようなものである。勇んで強盛に信力を出しなさい。
〈寸鉄〉 2019年3月3日
「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り」御書。共に無上の人生を。共に師弟の道を
大阪婦人部の日。不屈の祈りと行動で勝つ!創価正義は常勝の母達ありて
「華陽姉妹 誓春の日」。女子部の前進こそ地域の希望。青春の誓いを貫け
この一瞬間に自己の全力を傾注せよ—文豪。さあ今日も挑戦。突破口必ず
車の自動停止で人身事故6割減と。でも過信せず。要は一人一人の安全運転
☆新時代を築く 朗らかに誓いの友と春の曲 2019年2月24日
心に太陽を抱く女性が輝くところ、家庭も地域も社会も、晴れわたる。
熱原の法難の中、勇敢に戦う南条時光の一家には経済の困窮や家族の急逝等、厳しい試練が打ち続いた。しかし母は負けなかった。
日蓮大聖人は、苦難の冬を乗り越えゆく母を労い、讃えつつ、仰せになられた。
「春のはじめ御喜び花のごとくひらけ・月のごとくみたせ」(御書1575ページ)
今、いずこでも、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と快活に進む婦人部・女子部の桜梅桃李のスクラムを、御本仏は、いかばかり御賞讃であろうか。
今月27日は、アメリカ、ブラジル、ニュージーランドなど各地で、創価の女性の記念日となっている。
また、桃の節句の3月3日は、花の女子部の「華陽姉妹 誓春の日」であり、「大阪婦人部の日」「先駆九州女性の日」でもある。
妻も宝友たちと「おひなさまのような笑顔を忘れないで明るく朗らかに!」といつも語り合い、尊き健闘に感謝をささげている。
* * *
戸田先生は、よく言われた。
「悩みや苦しみがあるから、信心が深く、強くなる。そして、未来に幸福の花を咲かせられるんだよ」と。
思えば40年前、猶多怨嫉の嵐が吹き荒れる渦中、私は海を望む神奈川文化会館(横浜市中区)で、いやまして内外の友と語らいを広げていった。
困難に挑むキューバ出身の神奈川婦人部の方を、妻と激励したことも懐かしい。「今に、キューバと日本を自在に行き来できる境涯にきっとなりますよ」
その方は「愛する祖国に平和と希望の種を!」と誓願を立て、両親も妹も信仰に導いていった。それが地涌の花園の淵源となり、キューバ社会を、今、仏法の人間主義の太陽は赫々と照らしている。
最も大変な時に、最も偉大な種を蒔ける。これが「変毒為薬」の妙法の功力だ。
* * *
立正安国の対話に励み、同志を守り包容していった新潟・佐渡の千日尼への御聖訓に、「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(同1316ページ)と仰せである。
創価の女性の「正義の声」「確信の声」「励ましの声」ほど、強い響きはない。
ともあれ、苦しい時こそ、声を掛け合い、支え合って、共に勝ち越えていくのが、久遠よりの「誓いの友」であり「感激の同志」である。
3月5日に結成の日を迎える「広布の黄金柱」壮年部も、いよいよ立ち上がる時が来た。
創価家族の団結の祈りで「諸天舞え」と一切を動かしながら、仲良く晴ればれと「春の曲」を奏でゆこうではないか!
2019年3月2日土曜日
2019.03.02 わが友に贈る
新しい挑戦が
新しい自分をつくる。
生命に限界はない。
いよいよの心意気で
使命の舞台で輝こう!
十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』
【通解】
二乗は父母・師匠・国主・主君・一切衆生・仏などへの報恩が皆欠けている。ゆえに一念も二乗の心を起こすことは、十悪や五逆罪を犯すよりも過ぎたことである。
〈寸鉄〉 2019年3月2日
朗々と妙法を唱え感激に燃えて進め—戸田先生。共々に人間革命の大道を
埼玉男子部の日。「広布の旗」持つ若人が総立ち!勇気の師子吼で未来開け
「功労と幸福とは一つにつながる」文豪。陰の努力と奮闘に福徳は燦然と
火災の予防へ再点検を。配線の劣化・埃など丁寧に。小事が大事と心して
公明の魅力は身近で具体的な政策を掲げること—識者。庶民の声を政治に
☆大学校生とナットクTALK テーマ:祈りの姿勢
Q 唱題は量より質?
A 真剣な「持続の祈り」こそ肝要
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「祈りの姿勢」。勤行・唱題に挑戦し始めた大学校生の沢田ニュー・リーダーには悩んでいることがあるようで……。
【登場人物】
新井区男子部長 学会3世の38歳。後輩の育成に全力を注ぐ、信頼厚きリーダー。
沢田ニュー・リーダー 24歳。仕事上の悩みを乗り越えたいと大学校に入校した。
沢田ニュー・リーダー 実は年頭から、仕事の営業成績の目標を立てて祈り始めたんですが、なかなか結果が出ないんです……。
新井区男子部長 苦労してるんだね。でも、沢田君がそうやって悩んでること自体、頑張っている証拠だよ。でも、この信心は、「祈ったらすぐに結果が出る」というような魔法みたいなものとは違うよ。
沢田 うーん……。頭では分かるんですけど、題目を唱えて、1週間、2週間と経つと、もうダメなのかなあって、だんだんと気持ちがなえてきちゃって。題目の時間が足りないんですかね?
新井 もちろん、いっぱい題目をあげるに越したことはないけど、祈る時の「真剣さ」も大事なんじゃないかな。
沢田 「量」より「質」ってことですか?
新井 何て言えばいいかなあ……。そうだ! 沢田君は千円札と1万円札、財布に入ってたら、うれしいのは、どっち?
沢田 えっ! そりゃあ1万円札ですよ。
新井 だよね。その上で、1万円札が1枚だけより、たくさん入ってる方が、もっといいよね。
沢田 当たり前じゃないですか。
新井 次元は違うけど、祈りも同じだよ。質も量も、どっちも大事なんだ。大きな買い物をしようと思えば、たくさんお金も必要だよね? 自分にとって大きな目標を達成しようと思うなら……。
沢田 真剣に、いっぱいお題目をあげればいいんですね!
新井 その通り!
沢田 とすると、1日どれくらいあげればいいんでしょう?
新井 「これだけ祈らなければいけない」という決まりはないよ。祈りは幸せになるための道だから、自分が満足できるまで祈ればいい。その上で大事なことは、大学校の実践項目にある「持続の祈り」だよ。
沢田 持続?
新井 御書に「法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず」(1117ページ)とある。木をこすって火を起こすのに、途中で休んでしまえば火は得られない。同じように、祈りも絶え間なく続けることが肝要なんだ。
沢田 「質」と「量」と「持続」……祈りの姿勢が明確になりました。
新井 一念を込めて祈り続けていけば、生命力と智慧が無限に湧いて、行動も変わっていく。僕も一緒に祈るよ。沢田君の目標が達成できるまで!
新しい自分をつくる。
生命に限界はない。
いよいよの心意気で
使命の舞台で輝こう!
十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』
【通解】
二乗は父母・師匠・国主・主君・一切衆生・仏などへの報恩が皆欠けている。ゆえに一念も二乗の心を起こすことは、十悪や五逆罪を犯すよりも過ぎたことである。
〈寸鉄〉 2019年3月2日
朗々と妙法を唱え感激に燃えて進め—戸田先生。共々に人間革命の大道を
埼玉男子部の日。「広布の旗」持つ若人が総立ち!勇気の師子吼で未来開け
「功労と幸福とは一つにつながる」文豪。陰の努力と奮闘に福徳は燦然と
火災の予防へ再点検を。配線の劣化・埃など丁寧に。小事が大事と心して
公明の魅力は身近で具体的な政策を掲げること—識者。庶民の声を政治に
☆大学校生とナットクTALK テーマ:祈りの姿勢
Q 唱題は量より質?
A 真剣な「持続の祈り」こそ肝要
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「祈りの姿勢」。勤行・唱題に挑戦し始めた大学校生の沢田ニュー・リーダーには悩んでいることがあるようで……。
【登場人物】
新井区男子部長 学会3世の38歳。後輩の育成に全力を注ぐ、信頼厚きリーダー。
沢田ニュー・リーダー 24歳。仕事上の悩みを乗り越えたいと大学校に入校した。
沢田ニュー・リーダー 実は年頭から、仕事の営業成績の目標を立てて祈り始めたんですが、なかなか結果が出ないんです……。
新井区男子部長 苦労してるんだね。でも、沢田君がそうやって悩んでること自体、頑張っている証拠だよ。でも、この信心は、「祈ったらすぐに結果が出る」というような魔法みたいなものとは違うよ。
沢田 うーん……。頭では分かるんですけど、題目を唱えて、1週間、2週間と経つと、もうダメなのかなあって、だんだんと気持ちがなえてきちゃって。題目の時間が足りないんですかね?
新井 もちろん、いっぱい題目をあげるに越したことはないけど、祈る時の「真剣さ」も大事なんじゃないかな。
沢田 「量」より「質」ってことですか?
新井 何て言えばいいかなあ……。そうだ! 沢田君は千円札と1万円札、財布に入ってたら、うれしいのは、どっち?
沢田 えっ! そりゃあ1万円札ですよ。
新井 だよね。その上で、1万円札が1枚だけより、たくさん入ってる方が、もっといいよね。
沢田 当たり前じゃないですか。
新井 次元は違うけど、祈りも同じだよ。質も量も、どっちも大事なんだ。大きな買い物をしようと思えば、たくさんお金も必要だよね? 自分にとって大きな目標を達成しようと思うなら……。
沢田 真剣に、いっぱいお題目をあげればいいんですね!
新井 その通り!
沢田 とすると、1日どれくらいあげればいいんでしょう?
新井 「これだけ祈らなければいけない」という決まりはないよ。祈りは幸せになるための道だから、自分が満足できるまで祈ればいい。その上で大事なことは、大学校の実践項目にある「持続の祈り」だよ。
沢田 持続?
新井 御書に「法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず」(1117ページ)とある。木をこすって火を起こすのに、途中で休んでしまえば火は得られない。同じように、祈りも絶え間なく続けることが肝要なんだ。
沢田 「質」と「量」と「持続」……祈りの姿勢が明確になりました。
新井 一念を込めて祈り続けていけば、生命力と智慧が無限に湧いて、行動も変わっていく。僕も一緒に祈るよ。沢田君の目標が達成できるまで!
2019年3月1日金曜日
2019.03.01 わが友に贈る
祈りの力は無限大だ。
「法華経の行者をば
諸天善神・守護すべき」
広布誓願の題目で
断じて壁を破りゆこう!
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
【通解】
そのうえ、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志はあらわれるものである。
〈寸鉄〉 2019年3月1日
会長の"開かれた対話"の貢献は絶大—元大統領。大誠実の人間外交に続け
師弟原点の3月。学会は民衆の幸福の砦。弟子が総立ちで正義の声を拡大
皆様は最高の人生の目的を手にされた方—恩師。地涌の勇者よ歴史を残せ
未来部希望月間。一言の励ましが心に希望を!宝の鳳雛を大きく伸ばそう
熊本・水俣で希少生物発見、環境再生の象徴と。地球守る地道な努力を皆で
☆大白蓮華巻頭言 2019年3月号 明るく大きく幸の人間外交を!
取るく大きく車の人間外交を!
忘れ得ぬ、戸田大学の研鑽の中で、恩師が「大作、仏法は大きいな!」と微笑み、示された御聖訓がある。
日蓮大聖人が「其の国の仏法」を仕せると信頼された、駿河国(静岡県)富士郡の高橋夫妻への一節である。
「たすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ小便にこそ候へ、まして、一日も我がかたとて心よせなる人人は いかでかをろかなるべき」(P1460)
−−迫害してくる権力者などさえ不憫であり、導こうと仏法を語っているのだ。ましてや一日でも味方となり心を寄せてくれた人々を、どうして疎かにしようか、と。
どんな差異も超えて全人類を包み込む大きさと、緑を結んだ民衆一人一人の幸福をどこまでも折り抜く深さを、御本仏から受け継いでいるのが、創価の世界である。
大聖人は、一切衆生の「異の苫」も「同一苦」も悉く日蓮一人の苦」と仰せになられた。
このお心に連なって、我らはたゆまず「立正安国」の対話に打って出る。信仰の有無や立場などを問わず、同じ時代を生きる仲間として、現実の課題を共に見つめ、よりよき社会の建設へ人間主義の連借を築きゆくのた。
信念と大情熱の語らいの中で、仏性という最極の善の生命を互いに輝かせ合うことができる。反発さえも、「立正安国論」に「咲み止めて」とあるように、笑顔で受けとめながら、幸の仏種を心田に蒔いていくのである。
ここから、「人間革命」のドラマが幾重にも生まれる。
法華経の妙荘厳王晶は、邪見に囚われていた父王が、妻と二人の子によって正しき信仰に導かれる物語である。
ひとたび目覚めた父王は大いに歓喜し、一挙に偉大な力を憩揮する。王宮の幾多の群臣眷属を、仏のもとへ引き連れ、そして諸共に正義と功徳を拡大していくのだ。
広布の最前線の地区やブロックでも、勇敢にして誠実な宝友の挑戦が、新たな地涌の眷属を呼び出している。
祈りと真心を尽くす人間外交で、「一人」への励ましを広げ、幸福と平和の波動を起こしゆこうではないか!
みな宝塔
みなが払子と
誇らかに
声を惜しまず
励まし勝ちゆけ
「法華経の行者をば
諸天善神・守護すべき」
広布誓願の題目で
断じて壁を破りゆこう!
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
【通解】
そのうえ、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志はあらわれるものである。
〈寸鉄〉 2019年3月1日
会長の"開かれた対話"の貢献は絶大—元大統領。大誠実の人間外交に続け
師弟原点の3月。学会は民衆の幸福の砦。弟子が総立ちで正義の声を拡大
皆様は最高の人生の目的を手にされた方—恩師。地涌の勇者よ歴史を残せ
未来部希望月間。一言の励ましが心に希望を!宝の鳳雛を大きく伸ばそう
熊本・水俣で希少生物発見、環境再生の象徴と。地球守る地道な努力を皆で
☆大白蓮華巻頭言 2019年3月号 明るく大きく幸の人間外交を!
取るく大きく車の人間外交を!
忘れ得ぬ、戸田大学の研鑽の中で、恩師が「大作、仏法は大きいな!」と微笑み、示された御聖訓がある。
日蓮大聖人が「其の国の仏法」を仕せると信頼された、駿河国(静岡県)富士郡の高橋夫妻への一節である。
「たすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ小便にこそ候へ、まして、一日も我がかたとて心よせなる人人は いかでかをろかなるべき」(P1460)
−−迫害してくる権力者などさえ不憫であり、導こうと仏法を語っているのだ。ましてや一日でも味方となり心を寄せてくれた人々を、どうして疎かにしようか、と。
どんな差異も超えて全人類を包み込む大きさと、緑を結んだ民衆一人一人の幸福をどこまでも折り抜く深さを、御本仏から受け継いでいるのが、創価の世界である。
大聖人は、一切衆生の「異の苫」も「同一苦」も悉く日蓮一人の苦」と仰せになられた。
このお心に連なって、我らはたゆまず「立正安国」の対話に打って出る。信仰の有無や立場などを問わず、同じ時代を生きる仲間として、現実の課題を共に見つめ、よりよき社会の建設へ人間主義の連借を築きゆくのた。
信念と大情熱の語らいの中で、仏性という最極の善の生命を互いに輝かせ合うことができる。反発さえも、「立正安国論」に「咲み止めて」とあるように、笑顔で受けとめながら、幸の仏種を心田に蒔いていくのである。
ここから、「人間革命」のドラマが幾重にも生まれる。
法華経の妙荘厳王晶は、邪見に囚われていた父王が、妻と二人の子によって正しき信仰に導かれる物語である。
ひとたび目覚めた父王は大いに歓喜し、一挙に偉大な力を憩揮する。王宮の幾多の群臣眷属を、仏のもとへ引き連れ、そして諸共に正義と功徳を拡大していくのだ。
広布の最前線の地区やブロックでも、勇敢にして誠実な宝友の挑戦が、新たな地涌の眷属を呼び出している。
祈りと真心を尽くす人間外交で、「一人」への励ましを広げ、幸福と平和の波動を起こしゆこうではないか!
みな宝塔
みなが払子と
誇らかに
声を惜しまず
励まし勝ちゆけ
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