気温の低下に要警戒!
上着を着用するなど
体を冷やさない工夫を。
体調を崩さぬように
気を引き締めていこう!
四条金吾御書 P1176
『かへらむには第一心にふかきえうじん(用心)あるべし、ここをばかならずかたきのうかがうところなり』
【通解】
帰る時には、いっそう、心に深く用心しなさい。この帰宅の機会を必ず敵が狙うからである。
名字の言 種子島で奮闘する理容室の5代目 2022年10月6日
鹿児島・種子島に、創業130年を超える理容室がある。5代目となる男子部員は、4代目で副圏長の父、支部女性部長の母と共に店に立つ毎日だ▼店が終わると学会活動に飛び出す両親の背中を見て育った。"自分も島で貢献を"と理容の道へ。だが幼少期から吃音に悩み、人前で話すことが苦手だった。理容師はお客とのコミュニケーションも仕事の一つ。真剣に勤行・唱題に励み、男子部の仲間と語り合う中で、徐々に症状は改善していった▼島にあっても懸命に技術を磨き、一昨年には、県の理容競技大会で優勝に輝いた。仕事の傍ら、清掃活動など地域行事にも積極的に取り組む姿に信頼が寄せられる。学会では、男子部本部長として奮闘。今週末に放映される全国男子部幹部会に向けて、愛する島を舞台に同世代への励ましを広げている▼池田先生はかつて、離島の友に語った。「皆さんは、偶然、それぞれの島に暮らしているのではない。日蓮大聖人から、その島の広宣流布を託され、仏の使いとして、地涌の菩薩として、各島々に出現したんです。仏から遣わされた仏子が、負けるわけがありません」▼あす7日は「勝利島部の日」。不屈の心で島広布に駆ける同志を、皆で最大にたたえたい。
寸鉄 2022年10月6日
最も高き思想から学べ—戸田先生。仏法は人生を無上道へ導く最高の哲理
三重の日。"新しい力"を先頭に異体同心の前進!地域照らす勇気の対話を
「師子王は、前三後一」御書。勇将は常に全力。今日の一歩を勝利の因に(新1632・全1124)
健康強調月間。寝不足・偏食等に注意。季節の変わり目を賢く乗り切ろう
はしご・脚立の転落事故—60代以上が約4割と。無理せず安全を最優先で
〈社説〉 2022・10・6 きょう「国際協力の日」
◇地球の平和"協える"大きな力
「早寝早起きもSDGs(の3番目『すべての人に健康と福祉を』)に当てはまります! 日本には、そう話す小学生がいるんです」。国際協力の第一線で、長年、尽力してきた友が力説する。「この浸透のレベルは世界でも相当な高さです。70年前に戸田先生が提唱された『地球民族主義』の理念、そして池田先生が訴えた『世界市民教育』の広がりを実感せずにいられません」。国連のSDGs(持続可能な開発目標)への関心が高い。感染症対策、温暖化など地球規模の課題が山積する現代。未来を担う世代にもグローバルな視野が広がっている。
10月6日は「国際協力の日」。1954年(昭和29年)のきょう、日本は初めて国際協力の援助国として、国際組織「コロンボ・プラン」に加盟。これが「ODA(政府開発援助)」の幕開けとされ、外務省とJICA(国際協力事業団。現在は国際協力機構)が、87年に記念日に制定した。
国際協力とは、地球全体の平和や発展のために支援すること。政府系機関、NGO(非政府組織)、企業等の組織がそれぞれの立場で、途上国に横たわる貧困などの問題解決に取り組んでいる。
日本も被援助国だった。戦後、世界から多くの支援を受けて復興を遂げ、援助する側へと成長した。だからこそ日本は被援助国に寄り添った支援をしていく使命がある。1993年以来、日本が開催を主導してきたアフリカ開発会議は今夏、第8回を数えた。途上国にコロナワクチンを供給する国際枠組み「COVAXファシリティー」にも積極的に協力している。
国際協力は多岐にわたる。先に挙げた組織のように語学や医療、教育など専門知識を活用して進めるだけでなく、私たちが身近に取り組めることも数多い。
一例が、自治体などで行っている、古自転車の回収・寄贈という支援。贈られた途上国では、通学時間が長いため家事で学校に通えない子が、自転車を使うことで通えるようになる。それは国の識字率向上、そして発展へとつながっていく。家に眠る書き損じはがきや古切手を回収する支援もある。近所に暮らす外国人と仲良く関わり助け合う努力も、共生社会を築きゆく国際協力だ。
協の字には「協う」との読みもある。今、私たちにできる「協力」を積み重ね、"地球民族の平和"という大きな願いをかなえていきたい。
☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第12回〈完〉 世界平和
◇全ての民衆に勝利の鐘を!
私は
長い間
世界の道を歩いてきた。
多くの思い出を
残しながら!
多くの歴史を
創りながら!
私には悔いはない。
戦争と不安を
世界からなくすために
慈愛の火が
正義の心に
燃えていたからだ。
無名の私には
無数の歓喜の戦いがあった。
そして
無数の友の
多彩な どよめきがあった。
新たに大きい
平和の道を築いたのだ。
青春を燃やしながら
燃える目で
理想の夢の世界を
創りたかったのだ。
いつも
妙法という
幸福の光の中に
立っていた。
歩いていた。
そして
戦っていた。
疲れた目を閉じれば——
ほとんど
息をする暇もないほど
正義の声を
張り上げてきた。
「世界の広布」とは
「世界の平和」という
意味だ。
その夢の実現のほかに
私には
何も残っていない。
現実の生活が
いくら厳しくても
私の心を動かすものは
世界の平和であった。
◆◇◆
平然と人の命を奪う。
何たる残虐なことか。
すべての幸福を
奪い去ってゆく
愚かな権力の
狂気の沙汰よ!
春のささやかな幸福を
胸に秘めながら
いつも生き抜いてきた
善良な庶民から
一切をもぎ取っていく
魔性の権力よ!
人間を人間と思わぬ
侮辱の態度に
もはや人間の心はない。
畜生の心である。
戦争は
勝っても負けても
無限の虚しさのみが残る。
その責任は誰か。
明確な解答が
あるようで ない。
わが幸福
わが平和を
断じて
侵されてはならない。
わが幸福の権利と
平和の権利を
冷酷無惨の輩に
奪い取られてはならない。
すべてが暗闇になり
すべてが滅びゆく
その夜の闇の中にあっても
断じて
平和の光は
消し去られてはならない。
騒々しい論議が
中傷非難が
右往左往しても
勝ち誇り
疲れを知らずに
わが魂の中に
厳然と
平和の太陽を
光らせていくのだ。
◆◇◆
平和の合図の鐘を
打つのだ!
断じて
すべての民衆に告げゆく
あの平和の鐘を
勝利の鐘を
打ち鳴らしてゆくのだ!
あの黒い太陽から
明々とした
平和の太陽を仰ぐのだ!
☆10月度座談会拝読御書 佐渡御書
◇御文
『畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり。強敵を伏して始めて力士をしる。
悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし。』(御書新版1285ページ16行目〜1286ページ3行目、御書全集957ページ7行目〜10行目)
◇[池田先生の指針から]師子王の心で一人立つ
大聖人は、佐渡流罪という大難の中にあって「強敵を伏して始て力士をしる」(全957・新1285)と師子吼された。
敵がいるからこそ強くなる。迫害があるからこそ仏になれる。本物の人材が出てくる。
「難こそチャンス」。ここに仏法の真髄がある。境涯を開けるか、大福運を積めるか、本物の広布の指導者と立てるかどうか——魔が競い起こる時こそ、その重大な境目なのである。
ゆえに、勇気を奮い起こして戦う以外にない。そして皆を励まし、勝利の要諦を教えて、新しい人材をどんどん育てることだ。(2006年5月、「5・3」記念最高幹部協議会でのスピーチ)
◇ ◇ ◇
「師子」とは、仏の異名です。師が師子王であれば、弟子も師子王となるのです。何があっても負けない。師子となって戦っていく。これこそ、誇り高き創価の人間革命の真髄です。(中略)
いかなる苦難の嵐があろうとも、師子王となって一人立つ。この負けじ魂の勇者が「必ず仏になるべし」なのです。
さあ、我らの凱歌の大潮流が「民衆の世紀」を創ります。「新時代」の開幕です。私は全世界の地涌の同志に、なかんずく後継の青年たちに呼びかけたい。
「君たちよ、貴女たちよ、師子王の心で立ち上がれ! 今いる場所で、『わが人間革命の姿を見よ!』と、勝利の旗を掲げゆけ!」(『人間革命の宗教』)
◇"創価の誇り"胸に人間革命の前進を!
[キーワード�]何があっても前へ
"いかなる迫害があったとしても、信心を貫けば必ず成仏の境涯が開かれる"——。
流罪地の佐渡から、逆境の嵐と戦う弟子たちの勝利を願い励ます、日蓮大聖人の烈々たる御確信が拝されます。
当時、諸宗の僧たちは権力者と結託し、たったお一人で末法広布に戦う大聖人を侮り、大聖人とその門下に弾圧を加えてきました。そういった状況だからこそ、大聖人は「強敵を伏して始めて力士をしる」と、弟子たちの勇気を呼び覚まされます。
本抄の前半では、「身命に過ぎたる惜しきもののなければ、これを布施として仏法を習えば必ず仏となる」(新1284・全956)、「世間の浅きことには身命を失えども、大事の仏法なんどには捨つること難し。故に仏になる人もなかるべし」(新1285・全956)と仰せです。末法という時に、世間の毀誉褒貶に惑わされることなく、「不惜身命」の精神で折伏にまい進することこそが仏界涌現の道です。ただし、「不惜身命」といっても、仏法はいたずらに命を捨てるような、「殉教主義」ではありません。
池田先生は「不惜身命」についてつづっています。
「広宣流布のため、人々の幸福のために、自分の命を使うと決め、生命力を燃え上がらせて、生きて生きて生き抜いていくことなのです。
ゆえに皆さんは、何があっても尊い命を大切にしていただきたい。どんなに辛く苦しいことがあっても、絶対に負けないで、聡明に前へ前へ進んでいっていただきたいのです」
友に励ましを送る日々に、仏界の生命は輝くのです。
[キーワード�]勇気を奮い起こす
迫り来る迫害に不安や恐れを抱いていた弟子たちも、日蓮大聖人のお手紙を拝し、"師と同じ「師子王の心」で立ち上がろう"と決意したに違いありません。
拝読御文の後には、「日蓮は、この関東の御一門の棟梁なり、日月なり、亀鏡なり、眼目なり」(新1286・全957)と宣言されています。
これは、御執筆前年の「竜の口の法難」の際、大聖人の命を狙い、襲いかかってきた平左衛門尉らに「大音声を放って」(新1286・全958)諫暁された言葉です。
ここでいう「関東の御一門」とは北条氏一門を指し、幕府の中枢、ひいては日本国全体を指すとも拝されます。
大聖人は、御自身こそが末法の御本仏であることを示され、「聖人去らん時は、七難必ず起こらん」(新1286・全957)との、仁王経の経文に照らし、「日蓮捨て去る時、七難必ず起こるべし」(同ページ)と御断言されています。
実際に、大聖人が予言された、「自界叛逆難・他国侵逼難」という二難は、その後、現実のものとなります。
"絶対に戦乱を起こしてはならない"——。大聖人は末法の民衆の幸福と安穏のため、「師子王の心」で権力の魔性と戦い抜かれたのです。
大聖人直結の創価学会もまた、三代会長と共に「師子王の心」を受け継ぎ、平和の連帯を広げてきました。社会が困難や混迷に直面する今、「立正安国」「立正安世界」を目指す私たちの使命はいやまして大きいと実感します。
"創価の誇り"を胸に、今いる場所で勇気を奮い起こし、人間革命の前進をしていきましょう。
2022年10月6日木曜日
2022年10月5日水曜日
2022.10.05 わが友に贈る
任用試験に挑む受験者を
最大に励ましていこう!
仏法を皆で学び合い
生活に生かす実践こそ
人生勝利の基盤となる。
上野殿御返事 P1540
『千丁万丁しる人もわづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり、今度法華経のために命をすつる事ならばなにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給い檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、さればひが事をすべきにはあらず、今はすてなばかへりて人わらはれになるべし』
【通解】
千町・万町を治める人でも些細なことにたちまちに命を捨て、その所領を取り上げられてしまう人もいる。このたび、法華経のために命を捨てるということならば、何が惜しいことがあろうか。薬王菩薩は身体を千二百歳が間、焼き尽くして仏になられ、須頭檀王は千年の間、身を床として今の釈迦仏といわれるようになったのである。したがって、心得違いをなすべきではない。今、信心を捨てたならば、かえって人に笑われることになるであろう。
【先生の指導から】
戸田先生は言われた。
「なすべき時に、なすべきことを、率先して、着々と、勇敢に、実践するのが、広布の途でなければならない」
「先手、先手と攻めることだ」
「守備に回らないで、逆に攻撃に回って、攻めることが肝心なのだ」
戸田先生は折伏精神を教えてくださった。
「勇気凛々だ!それが折伏精神ではないか!」
「日蓮大聖人の弟子は折伏の座については、決して臆してはならない。
大法を信ずる者には大利益あり、またこれを謗ずる者には法力厳然として仏罰があるのである」
青年部は、この確信と勇気を忘れてはならない。
名字の言 再出発を誓った「原点」の地 2022年10月5日
知り合いの大学教授の壮年は研究に行き詰まると、あるラーメン屋に行く。彼は学生時代、その店でアルバイトをしていた▼家庭の事情で仕送りのない中、自力で生活費を、奨学金で授業料を工面しつつ、研究者になる夢を抱き締めて苦学に徹した。彼にとってこの店は、青春の思い出を刻む"心の原点"ともいえる場所だった。そこを訪れ、「学術の道を志したのは何のため」という目的を再確認する。そうして、これまで何度も苦悩の壁を打ち破ってきた▼筆者が先日、都内の母校の同窓会に出かけた時のこと。そこで、久しぶりに再会した友がいた。話をしていると、「直前まで行くかどうか悩んだ」と。少し前に大病を患い、手術を受けたとのこと▼彼は言う。「長く仕事も休んだが、明日から出勤する。"もう一度、ここから出発だ"と決意し、朝、関西から出てきた」。かつて勉学に励み、仲間と切磋琢磨したキャンパスは、彼にとって原点の地であった▼池田先生は「人生も、社会も、常に『原点』に立ち返るところに、みずみずしい蘇生があり、今再びの希望の前進が始まります」と述べている。揺るぎない原点を持つ人は負けない。初心に返る"原点"は、次への飛翔を期す"起点"でもある。
寸鉄 2022年10月5日
衆生の「心清ければ土も清し」御書。わが一念は環境も変革。祈り定めて(新317・全384)
中部青年部の日。列島の要と光る人材城。一番星の君達ありて堅塁は盤石
楽観主義と理想掲げ平和の種を蒔け—ブラジル詩人。若き情熱こそ時代を変える力
国連・世界教師デー。子の希望の未来開く社会を!教育本部の奮闘に期待大
がん死亡の4割は予防可能な要因—研究。喫煙、飲酒、肥満…改善意識、皆で
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第24回 平和の旗を高く掲げて �核兵器の廃絶〈上〉
「魂の力」は原子爆弾よりも強い
◇1957年に刻まれた足跡
65年前の1957年は、核兵器の廃絶へ向けて、大きな足跡が刻まれた年である。
この年の7月、カナダのパグウォッシュに、世界10カ国から22人の科学者が集まった。戦争と平和に関する諸問題を討議するためである。
「科学者の社会的責任」「核兵器の管理」「原子力の利用と危険」をテーマとした会議では連日、白熱した議論が交わされた。
22人の科学者には、アメリカやイギリスなど"西側"だけではなく、"東側"の人間もいた。冷戦による緊張関係から、会議は喧嘩別れに終わる懸念もあった。だが、見解の相違が感情的な対立に転化することはなかった。
最終日、科学者たちは「原水爆実験を中止すべきである」などの声明を発表し、会議は幕を閉じた。
会議は当初、1回限りの予定だったが、予想以上の成功を収めたこともあり、「パグウォッシュ会議」の名で、継続して行われることになった。
第1回の「パグウォッシュ会議」が開かれた57年の7月12日、戸田城聖先生は、ある雑誌の依頼に応じ、対談を行っている。その中で、こう述べた。
「原子爆弾だけは許せんぞ、おれは決めているのだよ。アメリカでも、ロシアでも、どっちであってもそういうことは断じて許さん」
同月3日、池田大作先生が無実の容疑で不当に逮捕・勾留された。新たな民衆勢力の台頭を恐れた、権力による弾圧——その迫害の嵐の中でさえ、恩師の胸中から核兵器のことが離れることはなかった。
対談から2カ月後の9月8日、戸田先生は青年への「遺訓の第一」として「原水爆禁止宣言」を発表した。
池田先生は、恩師の遺訓を実現するため、"東西の壁"を超えて、世界の識者と核兵器廃絶の具体的方途などについて語り合った。その一人が、「パグウォッシュ会議」の会長を務めたジョセフ・ロートブラット博士である。
「人間の道徳意識は、ひとたび戦争が始まってしまうと、かなぐり捨てられてしまうものです。そういう現実を、私は何度もこの目で見てきました」
こう語る博士に、池田先生は応じた。
「戦争の歯車がいったん動き始めると、それは暴走を始め、多くの尊い生命を飲み込んでいきます。
その凶暴さの前にあっては、冷静な判断や合理的な思考など、ひとたまりもない。だから私たちも、戦争そのものに絶対に反対するのです」
◇ヒバクシャの声
核兵器の廃絶を難しくしている理由の一つに、議論が「抽象的」になりがちなことが指摘される。核兵器の実態を知る機会がないことから、その脅威を想像できないのである。
昨年1月に発効された「核兵器禁止条約」は、被爆者の声が条約成立を後押しした。同条約の前文には、「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみと被害に留意する」と明記されている。被爆者の声に学ぶことは、核兵器の恐ろしさを伝える大きな力である。
2018年3月、アメリカ創価大学(SUA)で、一人のヒバクシャの女性が講演した。
シゲコ・ササモリさん。13歳の時、広島で被爆。戦後、クリスチャンとなる。被爆から10年後、後遺症のケロイド治療のためアメリカに渡り、著名なジャーナリストであるノーマン・カズンズ氏の養女となった。
シゲコさんは世界各地で、自らの被爆体験を語り、核兵器の脅威を訴えてきた。彼女はSUAの学生に語った。
「戦争が始まってしまえば、みんな被害者。アメリカの兵士にも戦争の犠牲者がいる。だから、私はアメリカのことを恨んでいません」
一生の苦しみを背負わされた"敵国"を憎みはしない——。彼女の講演は、学生たちに大きな感動を与えた。
◇「人間は新しい時代を迎えた」
シゲコさんの養父であるカズンズ氏は、評論誌「サタデー・レビュー」の編集長だった。池田先生と3度にわたって語らい、対談集『世界市民の対話』を編んでいる。
広島に原爆が投下された12日後、氏は「サタデー・レビュー」に「現代人は時代遅れだ」との一文を掲載する。
「一九四五年八月六日をもって人間は新しい時代を迎えた」
氏が論じた「新しい時代」とは、核兵器の出現によって、国家が行う戦争が全人類を破滅させるものになった、ということ。こうした時代になったからこそ、「世界人としての人間」へ変わらなければならないと強調した。
誰よりも、氏自身が「世界人」として行動した。1949年、氏は広島を訪れる。原爆の傷痕が残る街を歩き、被爆者を取材した。帰国後、氏は核兵器廃絶の行動を開始する。
「サタデー・レビュー」で、原爆孤児を援助する"里親"を募り、400人を超す孤児を支援した。さらに、原爆でやけどを負った日本の女性25人の渡米治療も実現させる。
この行動に対して、"支援を受けられない人もいる。不公平ではないか"との批判もあった。氏は反論した。
「ただ一つの人生を有意義にする手伝いは、必ずしも万人の更生をもたらさないかも知れないが、しかしそれで十分に、社会のエネルギーの根本的な形を示している」
一人を救うことができずして、社会の変革も、核兵器廃絶もない——。それは、池田先生とも強く響き合う、氏の信念だった。
◇すべての人の幸福のため
「ワンダフル!」——インド・ガンジー研究評議会議長のニーラカンタ・ラダクリシュナン博士が思わず感嘆の声を上げた。
1993年の夏、広島を訪問した博士は、被爆者の金光悦子さんと語らう時間を持った。博士は率直に尋ねた。
「原爆を投下したアメリカをどう思いますか?」
金光さんは答えた。
「憎んだ時期もありました。でも、人を、国を恨むことに心を費やすことが、どれほど惨めか。人生、何に生命を懸けるかが大切です。私は、すべての人の幸福のため、すべての国の平和のために生命を捧げます」
この言葉に、博士は感動したのである。懇談の後、博士は述べた。
「あのご婦人の心のなかに、不滅の力がある。あのご婦人の心の行く手に、世界の希望がある」
金光さんは14歳の時、爆心地から1・5キロの場所にあった女学校の校庭で被爆した。50人のクラスメートの中で、生き残ったのは4人。金光さんは上半身に大やけどを負った。
ある日、銭湯に行くと、「ほかの客が気味悪がるから来ないで」と平然と言われた。泣きながら家に帰り、母に怒りをぶつけた。母は優しく語った。
「だれが何と言おうと、お母さんは、おまえが一番素敵だと思ってるよ」。母の温かさに、また涙が流れた。
その後、金光さんは和裁を学び、着物を仕立てるように。59年、被爆者の秋次さんと結婚。2年後の61年に正恵さんが誕生した。
正恵さんが3歳になった頃から、金光さんは娘の異変に気付いた。正恵さんは、よくころんだ。医師に診てもらうと、重度の視力障害だった。
"原爆はどこまで私たちを苦しめるのか!"。自分の運命を恨んでいた時、地域の知人から信心の話を聞いた。
懸命に学会活動に励んだ。正恵さんの視力は治療が功を奏し、入会1年後には、主治医が驚くほど回復した。
金光さんは「動員学徒等犠牲者の会」の一員として、戦争で苦しんだ人の支援に奔走してきた。その母の心を継ぐ正恵さんも今、同会の一人である。
93年8月6日、小説『新・人間革命』の執筆が開始されたその日、ラダクリシュナン博士は池田先生と会談。それに先立ち、博士は周囲に語った。
「ガンジーは、いかなる暴力も否定しました。そして主張していました。『魂の力』は原子爆弾よりも強い、と。この、だれもがもつ『魂の力』を引き出し、平和を生み出していく——これこそ池田先生が進めておられる運動です」
最大に励ましていこう!
仏法を皆で学び合い
生活に生かす実践こそ
人生勝利の基盤となる。
上野殿御返事 P1540
『千丁万丁しる人もわづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり、今度法華経のために命をすつる事ならばなにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給い檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、さればひが事をすべきにはあらず、今はすてなばかへりて人わらはれになるべし』
【通解】
千町・万町を治める人でも些細なことにたちまちに命を捨て、その所領を取り上げられてしまう人もいる。このたび、法華経のために命を捨てるということならば、何が惜しいことがあろうか。薬王菩薩は身体を千二百歳が間、焼き尽くして仏になられ、須頭檀王は千年の間、身を床として今の釈迦仏といわれるようになったのである。したがって、心得違いをなすべきではない。今、信心を捨てたならば、かえって人に笑われることになるであろう。
【先生の指導から】
戸田先生は言われた。
「なすべき時に、なすべきことを、率先して、着々と、勇敢に、実践するのが、広布の途でなければならない」
「先手、先手と攻めることだ」
「守備に回らないで、逆に攻撃に回って、攻めることが肝心なのだ」
戸田先生は折伏精神を教えてくださった。
「勇気凛々だ!それが折伏精神ではないか!」
「日蓮大聖人の弟子は折伏の座については、決して臆してはならない。
大法を信ずる者には大利益あり、またこれを謗ずる者には法力厳然として仏罰があるのである」
青年部は、この確信と勇気を忘れてはならない。
名字の言 再出発を誓った「原点」の地 2022年10月5日
知り合いの大学教授の壮年は研究に行き詰まると、あるラーメン屋に行く。彼は学生時代、その店でアルバイトをしていた▼家庭の事情で仕送りのない中、自力で生活費を、奨学金で授業料を工面しつつ、研究者になる夢を抱き締めて苦学に徹した。彼にとってこの店は、青春の思い出を刻む"心の原点"ともいえる場所だった。そこを訪れ、「学術の道を志したのは何のため」という目的を再確認する。そうして、これまで何度も苦悩の壁を打ち破ってきた▼筆者が先日、都内の母校の同窓会に出かけた時のこと。そこで、久しぶりに再会した友がいた。話をしていると、「直前まで行くかどうか悩んだ」と。少し前に大病を患い、手術を受けたとのこと▼彼は言う。「長く仕事も休んだが、明日から出勤する。"もう一度、ここから出発だ"と決意し、朝、関西から出てきた」。かつて勉学に励み、仲間と切磋琢磨したキャンパスは、彼にとって原点の地であった▼池田先生は「人生も、社会も、常に『原点』に立ち返るところに、みずみずしい蘇生があり、今再びの希望の前進が始まります」と述べている。揺るぎない原点を持つ人は負けない。初心に返る"原点"は、次への飛翔を期す"起点"でもある。
寸鉄 2022年10月5日
衆生の「心清ければ土も清し」御書。わが一念は環境も変革。祈り定めて(新317・全384)
中部青年部の日。列島の要と光る人材城。一番星の君達ありて堅塁は盤石
楽観主義と理想掲げ平和の種を蒔け—ブラジル詩人。若き情熱こそ時代を変える力
国連・世界教師デー。子の希望の未来開く社会を!教育本部の奮闘に期待大
がん死亡の4割は予防可能な要因—研究。喫煙、飲酒、肥満…改善意識、皆で
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第24回 平和の旗を高く掲げて �核兵器の廃絶〈上〉
「魂の力」は原子爆弾よりも強い
◇1957年に刻まれた足跡
65年前の1957年は、核兵器の廃絶へ向けて、大きな足跡が刻まれた年である。
この年の7月、カナダのパグウォッシュに、世界10カ国から22人の科学者が集まった。戦争と平和に関する諸問題を討議するためである。
「科学者の社会的責任」「核兵器の管理」「原子力の利用と危険」をテーマとした会議では連日、白熱した議論が交わされた。
22人の科学者には、アメリカやイギリスなど"西側"だけではなく、"東側"の人間もいた。冷戦による緊張関係から、会議は喧嘩別れに終わる懸念もあった。だが、見解の相違が感情的な対立に転化することはなかった。
最終日、科学者たちは「原水爆実験を中止すべきである」などの声明を発表し、会議は幕を閉じた。
会議は当初、1回限りの予定だったが、予想以上の成功を収めたこともあり、「パグウォッシュ会議」の名で、継続して行われることになった。
第1回の「パグウォッシュ会議」が開かれた57年の7月12日、戸田城聖先生は、ある雑誌の依頼に応じ、対談を行っている。その中で、こう述べた。
「原子爆弾だけは許せんぞ、おれは決めているのだよ。アメリカでも、ロシアでも、どっちであってもそういうことは断じて許さん」
同月3日、池田大作先生が無実の容疑で不当に逮捕・勾留された。新たな民衆勢力の台頭を恐れた、権力による弾圧——その迫害の嵐の中でさえ、恩師の胸中から核兵器のことが離れることはなかった。
対談から2カ月後の9月8日、戸田先生は青年への「遺訓の第一」として「原水爆禁止宣言」を発表した。
池田先生は、恩師の遺訓を実現するため、"東西の壁"を超えて、世界の識者と核兵器廃絶の具体的方途などについて語り合った。その一人が、「パグウォッシュ会議」の会長を務めたジョセフ・ロートブラット博士である。
「人間の道徳意識は、ひとたび戦争が始まってしまうと、かなぐり捨てられてしまうものです。そういう現実を、私は何度もこの目で見てきました」
こう語る博士に、池田先生は応じた。
「戦争の歯車がいったん動き始めると、それは暴走を始め、多くの尊い生命を飲み込んでいきます。
その凶暴さの前にあっては、冷静な判断や合理的な思考など、ひとたまりもない。だから私たちも、戦争そのものに絶対に反対するのです」
◇ヒバクシャの声
核兵器の廃絶を難しくしている理由の一つに、議論が「抽象的」になりがちなことが指摘される。核兵器の実態を知る機会がないことから、その脅威を想像できないのである。
昨年1月に発効された「核兵器禁止条約」は、被爆者の声が条約成立を後押しした。同条約の前文には、「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみと被害に留意する」と明記されている。被爆者の声に学ぶことは、核兵器の恐ろしさを伝える大きな力である。
2018年3月、アメリカ創価大学(SUA)で、一人のヒバクシャの女性が講演した。
シゲコ・ササモリさん。13歳の時、広島で被爆。戦後、クリスチャンとなる。被爆から10年後、後遺症のケロイド治療のためアメリカに渡り、著名なジャーナリストであるノーマン・カズンズ氏の養女となった。
シゲコさんは世界各地で、自らの被爆体験を語り、核兵器の脅威を訴えてきた。彼女はSUAの学生に語った。
「戦争が始まってしまえば、みんな被害者。アメリカの兵士にも戦争の犠牲者がいる。だから、私はアメリカのことを恨んでいません」
一生の苦しみを背負わされた"敵国"を憎みはしない——。彼女の講演は、学生たちに大きな感動を与えた。
◇「人間は新しい時代を迎えた」
シゲコさんの養父であるカズンズ氏は、評論誌「サタデー・レビュー」の編集長だった。池田先生と3度にわたって語らい、対談集『世界市民の対話』を編んでいる。
広島に原爆が投下された12日後、氏は「サタデー・レビュー」に「現代人は時代遅れだ」との一文を掲載する。
「一九四五年八月六日をもって人間は新しい時代を迎えた」
氏が論じた「新しい時代」とは、核兵器の出現によって、国家が行う戦争が全人類を破滅させるものになった、ということ。こうした時代になったからこそ、「世界人としての人間」へ変わらなければならないと強調した。
誰よりも、氏自身が「世界人」として行動した。1949年、氏は広島を訪れる。原爆の傷痕が残る街を歩き、被爆者を取材した。帰国後、氏は核兵器廃絶の行動を開始する。
「サタデー・レビュー」で、原爆孤児を援助する"里親"を募り、400人を超す孤児を支援した。さらに、原爆でやけどを負った日本の女性25人の渡米治療も実現させる。
この行動に対して、"支援を受けられない人もいる。不公平ではないか"との批判もあった。氏は反論した。
「ただ一つの人生を有意義にする手伝いは、必ずしも万人の更生をもたらさないかも知れないが、しかしそれで十分に、社会のエネルギーの根本的な形を示している」
一人を救うことができずして、社会の変革も、核兵器廃絶もない——。それは、池田先生とも強く響き合う、氏の信念だった。
◇すべての人の幸福のため
「ワンダフル!」——インド・ガンジー研究評議会議長のニーラカンタ・ラダクリシュナン博士が思わず感嘆の声を上げた。
1993年の夏、広島を訪問した博士は、被爆者の金光悦子さんと語らう時間を持った。博士は率直に尋ねた。
「原爆を投下したアメリカをどう思いますか?」
金光さんは答えた。
「憎んだ時期もありました。でも、人を、国を恨むことに心を費やすことが、どれほど惨めか。人生、何に生命を懸けるかが大切です。私は、すべての人の幸福のため、すべての国の平和のために生命を捧げます」
この言葉に、博士は感動したのである。懇談の後、博士は述べた。
「あのご婦人の心のなかに、不滅の力がある。あのご婦人の心の行く手に、世界の希望がある」
金光さんは14歳の時、爆心地から1・5キロの場所にあった女学校の校庭で被爆した。50人のクラスメートの中で、生き残ったのは4人。金光さんは上半身に大やけどを負った。
ある日、銭湯に行くと、「ほかの客が気味悪がるから来ないで」と平然と言われた。泣きながら家に帰り、母に怒りをぶつけた。母は優しく語った。
「だれが何と言おうと、お母さんは、おまえが一番素敵だと思ってるよ」。母の温かさに、また涙が流れた。
その後、金光さんは和裁を学び、着物を仕立てるように。59年、被爆者の秋次さんと結婚。2年後の61年に正恵さんが誕生した。
正恵さんが3歳になった頃から、金光さんは娘の異変に気付いた。正恵さんは、よくころんだ。医師に診てもらうと、重度の視力障害だった。
"原爆はどこまで私たちを苦しめるのか!"。自分の運命を恨んでいた時、地域の知人から信心の話を聞いた。
懸命に学会活動に励んだ。正恵さんの視力は治療が功を奏し、入会1年後には、主治医が驚くほど回復した。
金光さんは「動員学徒等犠牲者の会」の一員として、戦争で苦しんだ人の支援に奔走してきた。その母の心を継ぐ正恵さんも今、同会の一人である。
93年8月6日、小説『新・人間革命』の執筆が開始されたその日、ラダクリシュナン博士は池田先生と会談。それに先立ち、博士は周囲に語った。
「ガンジーは、いかなる暴力も否定しました。そして主張していました。『魂の力』は原子爆弾よりも強い、と。この、だれもがもつ『魂の力』を引き出し、平和を生み出していく——これこそ池田先生が進めておられる運動です」
2022年10月4日火曜日
2022.10.04 わが友に贈る
"われ地涌の菩薩なり"
自らの使命を自覚した時
無上の歓喜があふれる。
広布誓願に生き抜き
幸福広げる勝利劇を!
三世諸仏総勘文教相廃立 P561
『十方の浄土の依報正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて是の外には法無し此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し故に無分別法と云う是なり』
【通解】
十方の浄土の依報と正報との功徳にあふれた荘厳な姿は、我が心のなかに収まって瞬時も離れることがない。我が身は、そういう三身即一の本覚の如来であって、このほかには仏の法はないのである。この一法だけが十方の浄土にあって、他の法はない。これを無分別の法というのである。
名字の言 「世界最高の哲学を学ぶ喜び」 2022年10月4日
日蓮大聖人の仏法は、人間を「強く」「善く」「賢く」する"生きた哲学"である。11月6日、4年ぶりに行われる伝統の「教学部任用試験(仏法入門)」。世界192カ国・地域に広がった生命哲学を研さんする▼初の任用試験が実施されたのは、1952年(昭和27年)12月。午前に筆記試験、午後に御書の講義実習があり、合否は即日発表された。試験は「南無妙法蓮華経とは何ぞや」などの記述式の問題。1題は第2代会長の戸田先生が出題した▼当日の模様を報じた本紙を見ると、筆記試験に取り組む、真剣な受験者の写真が目に飛び込んできた。説明には「いくつになっても頭の痛い試験場風景」と▼この任用試験の合格者を加えた「教学部一覧」も掲載されていた。そこには、助教授に任命された池田先生の名前が。先生は「世界最高の哲学を学ぶ喜び」と題した一文を寄せ、生命の法理を明らかにしたのが御書であり、教学研さんは「誰人も知らぬ大哲学を勉強しているような喜び」とつづっている▼第1回の任用試験は、学会による御書全集が発刊された年に実施された。70年後に行われる今回の試験は御書新版の発刊後、初の開催となる。時代は変われど、私たちは永遠に御書根本に進む!
寸鉄 2022年10月4日
御聖訓「一向に法華経を説くべし」。青年よ折伏精神で語れ!勇んで進め(新478・全438)
難があるほど仏になれる—牧口先生。強き信心の挑戦で金剛の生命を錬磨
誉めることはそれ自体で芸術—アメリカ作家。皆の奮闘・長所を見つけ、称えよう
スマホ依存は自覚乏しく心身を蝕む—薬物に類似と。賢き利用を更に意識
中高生の自転車通学時の事故増と。ヘルメットの着用者少なく。油断大敵
☆輝きの瞬間 10月の広布史
◇1977年10月2日 「戸田記念墓地公園」が開園
「全国に墓園計画」との見出しが聖教新聞1面を飾ったのは1974年10月9日。北海道、関東、中部、関西、九州に、墓園を建設する計画が発表された。
学会の墓園の構想は、戸田先生が語った一言に由来する。「この末法の現実の世界で、波瀾万丈の戦いをしきって一生を生き、あとは、わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたいものだな」
池田先生はこの恩師の言葉を生命に刻み、永遠の広布旅、師弟旅を象徴する、学会の墓地公園の建設へ、熟慮を重ねてきた。
それまで会員の多くは、他の宗派の墓地を使用していた。しかし、学会の勢いが増すにつれ、"改宗"を理由に、埋葬を拒否される事態が相次ぎ、学会員は長年、"墓地問題"に悩まされてきた。何より、"学会の墓地で家族や同志と眠りたい"というのが、会員の率直な思いだった。広布の伸展に伴い、学会の墓園を熱願する声は大きくなっていた。
77年10月2日、北海道・厚田の地に戸田記念墓地公園が開園。学会初の墓園である。"恩師の遺徳を顕彰する「記念の城」を戸田先生の故郷に"との池田先生の強い思いが結実した。
先生は前日に行われた記念勤行会で、地元の同志に呼びかけた。「この学会の新しき原点の地から、凜々しく出発し、北海道広布のため、自身の一生成仏のために戦い抜いてください。そして、また、ここに帰り、三世永遠に、勇猛果敢なる広布旅を続けようではありませんか!」
今、全国20カ所に広がる学会の墓園・納骨堂。そこには、三つの基本理念が設けられている。
第一に、永遠の生命観に立脚した「恒久性」。第二に、皆が仏性を具えているという平等観に立ち、墓の大小を競うような風潮を排した「平等性」。第三に、妙法の生死不二を象徴する、親しみやすい「明るさ」である。
雄大な自然の中で丹念に整備された、美しい墓園の景観は、地元住民にも愛され、訪れる人たちを温かく迎えている。
◇1997年10月16日〜24日 インド訪問
眼下にインドの果てしない緑の大地が広がっていた。
1997年10月16日の午後5時過ぎ、池田先生を乗せた飛行機が、ニューデリーの空港に降り立った。到着した先生を、同国の要人らが盛大に歓迎した。「精神の大国であるインドにSGI会長が来られた。私たちは聖者を迎えたような気持ちです」
18日、先生はインド独立50周年を慶祝する「日印友好文化祭」に出席。20日には、グジュラール首相と会見し、終了後、第1回「南アジア代表者会議」へ。そして21日、ラジブ・ガンジー財団本部で「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題し、40分にわたり講演した。
インドを訪れ、「精神の大国」「青年の大国」として発展する息吹を感じた先生は、日本で用意した原稿に大幅に加筆、修正した。
講演では、非暴力の精神に触れつつ、「21世紀はアメリカ、中国、インドの3国が主軸となる」と言及。「再びの絢爛たる『インド・ルネサンス』を私は期待してやみません」と力説した。
当時のインドは、現在のようなIT(情報技術)産業が発展しておらず、国民の間では、インドの将来について不安視する声もあった。その不安を晴らす先見性あふれる講演に、会場からは共感と喜びの拍手が起こった。翌22日のナラヤナン大統領との会見では、講演が話題となり、インドの持つ可能性と未来を語り合った。
先生は、23日、インドの国家的文化機関であるアジア協会から、第1号となる「タゴール平和賞」を受賞。授与式の席上、詩聖タゴールの生涯を通し、述べた。
「深き哲学性を抱いた貴国の凜々しき青年の熱と力にこそ、新世紀の大いなる未来を見いだしてやまないのであります」
9日間にわたる先生の訪問を機に、インドでの学会理解の輪は広がり、広布の水かさを増していった。以来、25星霜——。師の"人間外交"に学んだ当時の青年たちが、インド広布の中核を担い、社会で活躍している。
◇1971年10月4日 長編詩「母」の発表
"どの国に、こんなに素晴らしい母の讃歌があるでしょうか。日本の方がうらやましい"——タイのある文化大臣が、池田先生との語らいの際、「母」の歌への率直な思いを語った。
国境を越え、多くの人たちに愛される「母」。その歌詞は、1971年10月4日に発表された長編詩「母」が基になっている。
大阪・東淀川体育館で行われた関西婦人部幹部会の席上、読み上げられ、翌5日の聖教新聞に全文が掲載された。
幹部会には、香峯子夫人が詩を携えて、先生の名代として参加した。その最終の原稿にも、推敲の跡が幾つも残っていた。
先生が自身の母親、そして全婦人部員を思い描きながら書き進めた詩は、約200行に及んだ。
「母よ!/おお 母よ/あなたは/あなたは なんと不思議な力を/なんと豊富な力を もっているのか」「あなたの願いが翼となって/天空に舞いくる日まで/いついつまでも達者に と/私は祈らずにはいられない」
先生はこの詩で、母こそ万人の「心の故郷」であることをうたった。海よりも広く、深い、母の愛は、正しき人生の軌道へと導く力であり、母という存在は、戦争とは対極の「平和の体現者」であるとの信念が込められていた。
インドの創価池田女子大学のセトゥ・クマナン議長が、池田先生を知り、深い尊敬の念を抱くきっかけとなったのも、詩歌専門誌で読んだ「母」の詩だ。「すべての人びとが、この詩のように母を思うことができれば、人類の抱えるあらゆる問題は解決できるはずです」と、その感動を語っている。
この詩にメロディーがつけられたのは、76年の8月4日。先生自ら、音楽大学出身の2人の女性に、作曲を依頼した。世界中の母たちをたたえたいという思いからだった。
昨年10月、先生は随筆につづった。「私が詩にうたった感嘆と敬愛は、今も変わらない。否、これからこそ、女性たちの『豊富な力』が輝き光っていくはずだ」
◇2002年10月1日 女子短大での特別講義
創価女子短期大学が開学したのは、1985年のこと。若手の教員との懇談で、創立者・池田先生は語った。
「本物の生き方と本物の人をつくらなければ、私の人生の決着はない」
創価学園や創価大学と同様、短大での"本物の人間"の育成を願い、先生はあらゆる機会を通して、学生に励ましを送ってきた。
2002年10月1日、短大の1階にある101教室で、2時限目の会計学原理の講義が始まってすぐのこと。
右前方のドアが開くと、学生たちから驚きの声が上がった。教室に入ってきたのは、池田先生だった。授業を担当していた教授に、事前に了承を得て、初めての創立者の特別講義が始まった。
先生は「試験に出ないからね」とユーモアを交え、「山越え、谷越え、険難の峰を歩みながら、正しく強く、つくりあげていく人生——そこに幸福があるのです」と強調。「勉強は幸福になるためです。人生の目的も、学問の目的も、幸福になるためです」と呼びかけた。
また、フランスの作家・モーパッサンの長編小説『女の一生』を紹介。そして、「二度とない青春時代です。だからこそ、自分が生きた証しとして、何かを残してください。何かを創り出してください」と話を結んだ。
講義を終えた先生は、退室する際も、学生と握手を交わし、励ましを送った。宝の短大生を一人も残らず幸福に——20年を迎える今も、あの日の創立者の講義は、彼女たちの心に刻まれている。
「知性と福徳ゆたかな女性」「自己の信条をもち人間共和をめざす女性」「社会性と国際性に富む女性」との建学の指針を胸に、短大キャンパスには勉学に励み、友情を育む学生の姿があふれる。
短大での「青春二歳」を原点に、各界に羽ばたいていった卒業生たちの活躍には、高い評価が寄せられる。女性の活躍推進がうたわれる今、短大生の使命はいやまして大きい。
自らの使命を自覚した時
無上の歓喜があふれる。
広布誓願に生き抜き
幸福広げる勝利劇を!
三世諸仏総勘文教相廃立 P561
『十方の浄土の依報正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて是の外には法無し此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し故に無分別法と云う是なり』
【通解】
十方の浄土の依報と正報との功徳にあふれた荘厳な姿は、我が心のなかに収まって瞬時も離れることがない。我が身は、そういう三身即一の本覚の如来であって、このほかには仏の法はないのである。この一法だけが十方の浄土にあって、他の法はない。これを無分別の法というのである。
名字の言 「世界最高の哲学を学ぶ喜び」 2022年10月4日
日蓮大聖人の仏法は、人間を「強く」「善く」「賢く」する"生きた哲学"である。11月6日、4年ぶりに行われる伝統の「教学部任用試験(仏法入門)」。世界192カ国・地域に広がった生命哲学を研さんする▼初の任用試験が実施されたのは、1952年(昭和27年)12月。午前に筆記試験、午後に御書の講義実習があり、合否は即日発表された。試験は「南無妙法蓮華経とは何ぞや」などの記述式の問題。1題は第2代会長の戸田先生が出題した▼当日の模様を報じた本紙を見ると、筆記試験に取り組む、真剣な受験者の写真が目に飛び込んできた。説明には「いくつになっても頭の痛い試験場風景」と▼この任用試験の合格者を加えた「教学部一覧」も掲載されていた。そこには、助教授に任命された池田先生の名前が。先生は「世界最高の哲学を学ぶ喜び」と題した一文を寄せ、生命の法理を明らかにしたのが御書であり、教学研さんは「誰人も知らぬ大哲学を勉強しているような喜び」とつづっている▼第1回の任用試験は、学会による御書全集が発刊された年に実施された。70年後に行われる今回の試験は御書新版の発刊後、初の開催となる。時代は変われど、私たちは永遠に御書根本に進む!
寸鉄 2022年10月4日
御聖訓「一向に法華経を説くべし」。青年よ折伏精神で語れ!勇んで進め(新478・全438)
難があるほど仏になれる—牧口先生。強き信心の挑戦で金剛の生命を錬磨
誉めることはそれ自体で芸術—アメリカ作家。皆の奮闘・長所を見つけ、称えよう
スマホ依存は自覚乏しく心身を蝕む—薬物に類似と。賢き利用を更に意識
中高生の自転車通学時の事故増と。ヘルメットの着用者少なく。油断大敵
☆輝きの瞬間 10月の広布史
◇1977年10月2日 「戸田記念墓地公園」が開園
「全国に墓園計画」との見出しが聖教新聞1面を飾ったのは1974年10月9日。北海道、関東、中部、関西、九州に、墓園を建設する計画が発表された。
学会の墓園の構想は、戸田先生が語った一言に由来する。「この末法の現実の世界で、波瀾万丈の戦いをしきって一生を生き、あとは、わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたいものだな」
池田先生はこの恩師の言葉を生命に刻み、永遠の広布旅、師弟旅を象徴する、学会の墓地公園の建設へ、熟慮を重ねてきた。
それまで会員の多くは、他の宗派の墓地を使用していた。しかし、学会の勢いが増すにつれ、"改宗"を理由に、埋葬を拒否される事態が相次ぎ、学会員は長年、"墓地問題"に悩まされてきた。何より、"学会の墓地で家族や同志と眠りたい"というのが、会員の率直な思いだった。広布の伸展に伴い、学会の墓園を熱願する声は大きくなっていた。
77年10月2日、北海道・厚田の地に戸田記念墓地公園が開園。学会初の墓園である。"恩師の遺徳を顕彰する「記念の城」を戸田先生の故郷に"との池田先生の強い思いが結実した。
先生は前日に行われた記念勤行会で、地元の同志に呼びかけた。「この学会の新しき原点の地から、凜々しく出発し、北海道広布のため、自身の一生成仏のために戦い抜いてください。そして、また、ここに帰り、三世永遠に、勇猛果敢なる広布旅を続けようではありませんか!」
今、全国20カ所に広がる学会の墓園・納骨堂。そこには、三つの基本理念が設けられている。
第一に、永遠の生命観に立脚した「恒久性」。第二に、皆が仏性を具えているという平等観に立ち、墓の大小を競うような風潮を排した「平等性」。第三に、妙法の生死不二を象徴する、親しみやすい「明るさ」である。
雄大な自然の中で丹念に整備された、美しい墓園の景観は、地元住民にも愛され、訪れる人たちを温かく迎えている。
◇1997年10月16日〜24日 インド訪問
眼下にインドの果てしない緑の大地が広がっていた。
1997年10月16日の午後5時過ぎ、池田先生を乗せた飛行機が、ニューデリーの空港に降り立った。到着した先生を、同国の要人らが盛大に歓迎した。「精神の大国であるインドにSGI会長が来られた。私たちは聖者を迎えたような気持ちです」
18日、先生はインド独立50周年を慶祝する「日印友好文化祭」に出席。20日には、グジュラール首相と会見し、終了後、第1回「南アジア代表者会議」へ。そして21日、ラジブ・ガンジー財団本部で「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題し、40分にわたり講演した。
インドを訪れ、「精神の大国」「青年の大国」として発展する息吹を感じた先生は、日本で用意した原稿に大幅に加筆、修正した。
講演では、非暴力の精神に触れつつ、「21世紀はアメリカ、中国、インドの3国が主軸となる」と言及。「再びの絢爛たる『インド・ルネサンス』を私は期待してやみません」と力説した。
当時のインドは、現在のようなIT(情報技術)産業が発展しておらず、国民の間では、インドの将来について不安視する声もあった。その不安を晴らす先見性あふれる講演に、会場からは共感と喜びの拍手が起こった。翌22日のナラヤナン大統領との会見では、講演が話題となり、インドの持つ可能性と未来を語り合った。
先生は、23日、インドの国家的文化機関であるアジア協会から、第1号となる「タゴール平和賞」を受賞。授与式の席上、詩聖タゴールの生涯を通し、述べた。
「深き哲学性を抱いた貴国の凜々しき青年の熱と力にこそ、新世紀の大いなる未来を見いだしてやまないのであります」
9日間にわたる先生の訪問を機に、インドでの学会理解の輪は広がり、広布の水かさを増していった。以来、25星霜——。師の"人間外交"に学んだ当時の青年たちが、インド広布の中核を担い、社会で活躍している。
◇1971年10月4日 長編詩「母」の発表
"どの国に、こんなに素晴らしい母の讃歌があるでしょうか。日本の方がうらやましい"——タイのある文化大臣が、池田先生との語らいの際、「母」の歌への率直な思いを語った。
国境を越え、多くの人たちに愛される「母」。その歌詞は、1971年10月4日に発表された長編詩「母」が基になっている。
大阪・東淀川体育館で行われた関西婦人部幹部会の席上、読み上げられ、翌5日の聖教新聞に全文が掲載された。
幹部会には、香峯子夫人が詩を携えて、先生の名代として参加した。その最終の原稿にも、推敲の跡が幾つも残っていた。
先生が自身の母親、そして全婦人部員を思い描きながら書き進めた詩は、約200行に及んだ。
「母よ!/おお 母よ/あなたは/あなたは なんと不思議な力を/なんと豊富な力を もっているのか」「あなたの願いが翼となって/天空に舞いくる日まで/いついつまでも達者に と/私は祈らずにはいられない」
先生はこの詩で、母こそ万人の「心の故郷」であることをうたった。海よりも広く、深い、母の愛は、正しき人生の軌道へと導く力であり、母という存在は、戦争とは対極の「平和の体現者」であるとの信念が込められていた。
インドの創価池田女子大学のセトゥ・クマナン議長が、池田先生を知り、深い尊敬の念を抱くきっかけとなったのも、詩歌専門誌で読んだ「母」の詩だ。「すべての人びとが、この詩のように母を思うことができれば、人類の抱えるあらゆる問題は解決できるはずです」と、その感動を語っている。
この詩にメロディーがつけられたのは、76年の8月4日。先生自ら、音楽大学出身の2人の女性に、作曲を依頼した。世界中の母たちをたたえたいという思いからだった。
昨年10月、先生は随筆につづった。「私が詩にうたった感嘆と敬愛は、今も変わらない。否、これからこそ、女性たちの『豊富な力』が輝き光っていくはずだ」
◇2002年10月1日 女子短大での特別講義
創価女子短期大学が開学したのは、1985年のこと。若手の教員との懇談で、創立者・池田先生は語った。
「本物の生き方と本物の人をつくらなければ、私の人生の決着はない」
創価学園や創価大学と同様、短大での"本物の人間"の育成を願い、先生はあらゆる機会を通して、学生に励ましを送ってきた。
2002年10月1日、短大の1階にある101教室で、2時限目の会計学原理の講義が始まってすぐのこと。
右前方のドアが開くと、学生たちから驚きの声が上がった。教室に入ってきたのは、池田先生だった。授業を担当していた教授に、事前に了承を得て、初めての創立者の特別講義が始まった。
先生は「試験に出ないからね」とユーモアを交え、「山越え、谷越え、険難の峰を歩みながら、正しく強く、つくりあげていく人生——そこに幸福があるのです」と強調。「勉強は幸福になるためです。人生の目的も、学問の目的も、幸福になるためです」と呼びかけた。
また、フランスの作家・モーパッサンの長編小説『女の一生』を紹介。そして、「二度とない青春時代です。だからこそ、自分が生きた証しとして、何かを残してください。何かを創り出してください」と話を結んだ。
講義を終えた先生は、退室する際も、学生と握手を交わし、励ましを送った。宝の短大生を一人も残らず幸福に——20年を迎える今も、あの日の創立者の講義は、彼女たちの心に刻まれている。
「知性と福徳ゆたかな女性」「自己の信条をもち人間共和をめざす女性」「社会性と国際性に富む女性」との建学の指針を胸に、短大キャンパスには勉学に励み、友情を育む学生の姿があふれる。
短大での「青春二歳」を原点に、各界に羽ばたいていった卒業生たちの活躍には、高い評価が寄せられる。女性の活躍推進がうたわれる今、短大生の使命はいやまして大きい。
2022年10月3日月曜日
2022.10.03 わが友に贈る
◇今週のことば
「よりあいて
きかせ給い候え」
新たな地涌の友の結集を
皆で温かく応援しよう!
いざ青年学会の飛躍だ。
(新1204・全901)
2022年10月3日
椎地四郎殿御書 P1448
『大海へ衆流入るされども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れどもかへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ』
【通解】
大海には多くの河川が流れ込んでいますが、大海が川の水を押し返すことがあるでしょうか。それと同じように、大海のような法華経の行者に大難は諸河の水のように入ってくるけれども、法華経の行者はそれを押し返すことも、とがめることもないのです。諸河の水が流れ込むことがなければ大海が存在しないように、大難がなければ法華経の行者では無いのです。
名字の言 出雲駅伝へ、調整を進める創大駅伝部 2022年10月3日
今年の「三大駅伝」を制するのは、どの大学か。その開幕を告げる出雲駅伝まで1週間。2年連続2度目の出場となる創価大学は、10月10日に向けて順調に調整を進める▼注目されるチームの主力の一人はケニア人留学生だ。エースのムルワ選手は昨年の1万メートルのタイムが世界48位にランクイン。この"速さ"と競い合い、チーム力は例年以上に高まっている▼ケニアには、創大に留学する選手をサポートする同窓の壮年がいる。彼は在学中、アフリカの発展に尽くそうと語り合ってきた妹を交通事故で失った。妹が創大に入学する直前の出来事だった▼悲しみを振り払い、彼は妹の分までアフリカに貢献する決意を固めた。卒業後、国立ナイロビ大学の大学院を修了し、私立大学の教員に。「最優秀教員賞」に何度も輝き、ケニア日本語教師会の会長を長年務めるなど、異国の地で使命の道を力走する。子どもたちも日本とアメリカの創価の学びやへ。「アフリカ、そして母校の力になれることが何よりの喜び」——彼は今も胸中の妹と共に創立者への誓いに生き続ける▼応援してくれる方々への感謝を忘れずに走る。それが創大駅伝部の最大の強みだ。勝利へ、心をつなぐタスキリレーにエールを送りたい。
寸鉄 2022年10月3日
SGIほど活気に満ちた力強い団体はない—識者 青年を先頭に平和を建設
苦労した人を信用せよ—戸田先生。青春の労苦は財産。鍛えの大道を邁進
どんな私の行為も祈りなくして行われない—偉人 非暴力の根底に宗教性が
東西ドイツの統一の日。分断の壁を破るのは民衆の力。対話と交流を更に
7割以上が歩きスマホで危険な体験と。少しだけが命取り。周囲も大迷惑
〈社説〉2022・10・3 改正育児・介護休業法が施行
◇社会全体で子どもを育もう
「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思はゆ 何処より 来りしものそ 眼交に もとな懸りて 安眠し寝さぬ」(中西進『万葉集 全訳注原文付』講談社文庫)
「旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群」(同)
前者は山上憶良が自作から神亀5年(728年)に選び、後者は天平5年(733年)に出航した遣唐使の一員の母が詠んだ歌だという。
子どもはどういう因縁から来たのだろう。目の先にちらついて私を安眠させない——。こう詠んだ憶良は、続けて「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」と添えた。遣唐使の母は、離れた地の子を思い、野に霜が降りたらわが子を羽で包んでおくれ、と群れ飛ぶ鶴の姿に願った。
父の思い、母の祈り。それは奈良時代から変わるまい。これらの歌が今日まで読み継がれてきたことは、「子に勝る宝はない」という気持ちが、時代を問わず万人に通じる普遍的な心情であることを物語るのではないか。
10月1日、改正育児・介護休業法が施行された。2021年6月に改正された同法は今年4月から段階的に施行されており、今回は新制度の「産後パパ育休」が始まる。子どもの出生後8週間以内に4週間まで男性が育児休業を取得できる制度。2回に分けることも可能だ。従来の育児休業も2回に分割して取れるようになった。
女性の社会進出との関係などからも注目されており、法の整備・改善を今後も進め、社会全体の気風や文化として定着を目指す地道な取り組みが重要だろう。
その上で、法制度や家庭の在り方といった"かたち"ばかりが強調されてはならないだろう。一人親の家庭もある。子どもの年齢を広げて考えるなら、介護や家事など家族の世話を担う「ヤングケアラー」への支援も必要だ。家族の状況は一様ではない。子どもとその家族に寄り添う共感や同苦の心こそ肝要ではないか。
一人も残らず幸福に。地域と世界の未来部員を地球の未来を担う宝の存在とし、成長を真心込めて祈り、励ましを送る創価学会の同志の連帯は、ますます社会で光っていくに違いない。『万葉集』の父母にも勝る命からの叫びのような願いと祈りが社会の隅々にまで広がり重なった先に、子どもたちの笑顔が輝く社会がある。
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 中国の革命作家・魯迅の言論闘争に学ぶ「民衆を救う言葉の力」
●創価大学・女子短大の入学式(2000年4月)
〈2000年4月に行われた創価大学(第30回)・創価女子短期大学(第16回)の入学式。席上、創立者・池田先生に、中国の北京魯迅博物館から「名誉顧問」の称号が贈られた。式典で先生は、21世紀を担い立つ英知の若人たちに向け、革命作家・魯迅の箴言や生き方を紹介した。
先が見えない閉塞感が漂う社会の中で、今、多くの人が不安を抱えて生きている。そうした人々の苦悩に寄り添い、希望と活力を送る「言葉の力」について、改めて先生のスピーチに学びたい〉
「第一に重要なことは、いったい何か? それは人間の教育にある。人間が確立していけば、どんな事業でも成し遂げていくことができるからだ」(以下、「文化偏至論」〈伊東昭雄訳、『魯迅全集』1所収、学習研究社〉を参照)
これこそ、わが尊敬する魯迅先生の根幹の思想の一つであります。
「勇猛にして恐れなき人間をつくれ!」「剛毅にして不屈の人物を育てよ!」「人類の尊厳のために、万難を排して、断固として前進する青年よ、登場せよ!」
魯迅先生は、こう主張してやみませんでした。
わが創価大学は、「民衆のため」「平和のため」「世界のため」という明確なる目的を掲げた大学であります。
私は、この創価大学こそ、人類史が待望する揺るぎなき信念の人材群を育成しゆく「希望の教育の城」であっていただきたいと念願する一人であります。民衆を忘れ、未来を忘れて、「就職のため」「立身出世のため」だけになってしまえば、もはや大学は必要ないのであります。
◇「論争」の時代
〈"魯迅がつづり残した不滅の哲学は、世紀を超えて青年に多くのメッセージを伝えている"と訴える池田先生は、魯迅に学ぶべき人生の視座を学生たちに語りかける〉
その一つとして、「忍耐強く、徹して学びぬけ!」ということが挙げられるのであります。(以下、顧明遠『魯迅—その教育思想と実践』〈横山宏訳、同時代社〉を参照)
魯迅先生は、口先の理想や格好いい言葉やスローガンを叫ぶだけの青年には、まことに厳しかった。そういう人間を軽侮した。それでは、現実に「民衆を救う力」は持てないからであります。
民衆と「直結」でいくのです。自分中心ではなく。
私自身、創価学会の会長となって以来、40年間、ただ会員の皆さまのために、寸暇の休みもなく戦ってきました。人々に社会に貢献する心で、私自身の一切を、創価学会に、そして創価大学、学園等に捧げてきました。それが私の人生であります。
皆さんは、決して恵まれた環境ではないかもしれない。しかし、苦労して、働きながら、また民衆とつながりながら、学んでいく。それが本当の「勉強」であると私は思う。
魯迅先生もまた、「苦しさに耐えて学問を求めよ!」と、謙虚にして地道な粘り強い研鑽を訴えたのであります。
さらに私は、魯迅先生の青年教育を通して、皆さま方に申し上げたい。「正義を叫びぬく、戦う知性たれ!」と。
ある時、魯迅先生のもとにやってきた一人の青年が、現実社会の行き詰まりを嘆いて、弱々しく愚痴をこぼした。(以下、石一歌『魯迅の生涯』〈金子二郎・大原信一訳、東方書店〉から引用・参照)
「いまわれわれには自由に大声で笑い、叫び、罵れる場所があまりないのです……」
すると、すかさず魯迅先生は、鋭く問い返した。
「では、なぜ自分で発言の場所を作らないのです?」と。
青年よ、敢然と大胆に、声をあげたまえ!——これが、魯迅先生の一貫した叱咤でありました。若人にとって、臆病な沈黙は「敗北」です。魂の「死」であります。
魯迅先生は、仏法についても研究を深めておられました。仏法では「末法」、つまり「現代」という時代の様相を、「闘諍言訟」と言い表しました。すなわち、「戦い」「争い」「論争」の時代であると説いているのであります。
この時代にあって、何が大切か? 私の師匠である戸田先生は、こう教えました。
「戦いの勝利の原理は『勇気』と『忍耐』と『智慧』である」と。そして「言論は、機関銃のごとく! 大砲のごとく!」と。
ともあれ、「雷鳴がとどろいて万物を冬眠から呼び起こすように」(「破悪声論」伊藤虎丸訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)、複雑な時代を、そして複雑な社会を覚醒させてゆく「正義の大声」を、青年が胸を張り、堂々と叫び切っていくことを、魯迅先生も信じ、期待していたのであります。
わが創大生こそ、この魯迅先生の期待に応えて、先頭に立って、勇敢に恐れるものなく戦い、また戦って、偉大なる「青春の歴史」を、「不滅の自分史」を、つくっていっていただきたいのであります。
◇悪には容赦なく
〈魯迅は、青年時代の1902年春に日本に留学し、牧口先生と縁ある教育機関で学んだ。池田先生は、その歴史を紹介し、同時代を生きた二人の信念の歩みに光を当てる〉
魯迅先生が日本留学の第一歩を踏み出したのが、有名な「弘文学院」であります。この弘文学院では、ほぼ同時期に、若き牧口先生も、中国の英才たちに、「人生地理学」を講義しました。
光なき暗い時代にあって、魯迅先生と牧口先生は、ともに正義のため、人道のために殉じていかれました。その思想と人生は、奥深く共鳴しあっております。
なかんずく、お二人の最大の共通点は何か?
それは、迫害の連続のなかで、最後の最後まで、悪と徹して戦いぬいた点であります。
中国の文化史を通じて、魯迅先生ほど、あらゆる勢力から攻撃を受けた偉大な知性の方はいない、と言われております。
魯迅先生も、売らんがための雑誌によって、つねに悪口を捏造され、書き立てられたのでした。
また巨大な魯迅先生に敵対することで、自分たちを大きく見せようとする連中も、渦巻いていました。いつの時代にも見られる、浅ましい「妬み」と「謀略」の構図が、ここにあるのです。
しかし、魯迅先生は、そうした輩に対しては、憤然と反撃していかれました。
"利害にとらわれた知識階級などニセ者である"(「知識階級について」須藤洋一訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社、参照)、"歴史上、陰謀によって文豪になった人間など、いない"(「310202 韋素園宛 書簡」深澤一幸訳、同全集14所収、参照)等々——魯迅先生の反論は、まことに痛烈でありました。
魯迅先生は、どこまでも虐げられた民衆の側に立って、あらゆる邪悪を容赦なく攻めて、攻めぬいていったのであります。悪との戦いにあって、魯迅先生は中途半端な妥協は、絶対に許さなかった。それは、なぜか。
魯迅先生は、断言されております。「光明と暗黒とが徹底的にたたかうことをせず、実直な人が、悪を見のがすのを寛容と思い誤って、いい加減な態度をつづけてゆくならば、今日のような混沌状態は永久につづくだろう」(竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫)と。
この深き哲学を、諸君も、よくよく胸に刻んでいただきたいのであります。ここにこそ、心から尊敬できる「戦う知性」の使命があり、責務があるからであります。
◇険しき山に挑め
〈結びに池田先生は、新たな世紀の主役たる創大・短大の新入生へ指針を贈る〉
ちょうど、40年前(=1960年)、私は、第3代会長就任を前に、日記に、魯迅先生の随筆「生命の道」の一節を書き記しました。その言葉を、大切な新入生の皆さまに贈りたい。
「道とは何か。それは、道のなかったところに踏み作られたものだ。荊棘ばかりのところに開拓してできたものだ。むかしから、道はあった。将来も、永久にあるだろう。人類は寂しいはずがない。なぜなら、生命は進歩的であり、楽天的であるから」(前掲『魯迅評論集』)
また、19世紀、ロシア最高峰の文芸評論家と言われたベリンスキーは、叫んだ。「精神には、肉体と同様に、運動が必要である。それなしに何もせず、無力になれば、精神は衰える」。そして、「人間性とは、人類愛のことである。それは、自覚や教育によって育まれるものである」。
さあ、太陽のごとく昇りゆく、若き新入生諸君! 新しき学問の大道を、新しき自己の建設の坂道を、そしてまた、自分自身の勝利へ、自分の決めた眼前にある険しき山を、登り切っていってくれたまえ!——そう申し上げたいのであります。
「よりあいて
きかせ給い候え」
新たな地涌の友の結集を
皆で温かく応援しよう!
いざ青年学会の飛躍だ。
(新1204・全901)
2022年10月3日
椎地四郎殿御書 P1448
『大海へ衆流入るされども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れどもかへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ』
【通解】
大海には多くの河川が流れ込んでいますが、大海が川の水を押し返すことがあるでしょうか。それと同じように、大海のような法華経の行者に大難は諸河の水のように入ってくるけれども、法華経の行者はそれを押し返すことも、とがめることもないのです。諸河の水が流れ込むことがなければ大海が存在しないように、大難がなければ法華経の行者では無いのです。
名字の言 出雲駅伝へ、調整を進める創大駅伝部 2022年10月3日
今年の「三大駅伝」を制するのは、どの大学か。その開幕を告げる出雲駅伝まで1週間。2年連続2度目の出場となる創価大学は、10月10日に向けて順調に調整を進める▼注目されるチームの主力の一人はケニア人留学生だ。エースのムルワ選手は昨年の1万メートルのタイムが世界48位にランクイン。この"速さ"と競い合い、チーム力は例年以上に高まっている▼ケニアには、創大に留学する選手をサポートする同窓の壮年がいる。彼は在学中、アフリカの発展に尽くそうと語り合ってきた妹を交通事故で失った。妹が創大に入学する直前の出来事だった▼悲しみを振り払い、彼は妹の分までアフリカに貢献する決意を固めた。卒業後、国立ナイロビ大学の大学院を修了し、私立大学の教員に。「最優秀教員賞」に何度も輝き、ケニア日本語教師会の会長を長年務めるなど、異国の地で使命の道を力走する。子どもたちも日本とアメリカの創価の学びやへ。「アフリカ、そして母校の力になれることが何よりの喜び」——彼は今も胸中の妹と共に創立者への誓いに生き続ける▼応援してくれる方々への感謝を忘れずに走る。それが創大駅伝部の最大の強みだ。勝利へ、心をつなぐタスキリレーにエールを送りたい。
寸鉄 2022年10月3日
SGIほど活気に満ちた力強い団体はない—識者 青年を先頭に平和を建設
苦労した人を信用せよ—戸田先生。青春の労苦は財産。鍛えの大道を邁進
どんな私の行為も祈りなくして行われない—偉人 非暴力の根底に宗教性が
東西ドイツの統一の日。分断の壁を破るのは民衆の力。対話と交流を更に
7割以上が歩きスマホで危険な体験と。少しだけが命取り。周囲も大迷惑
〈社説〉2022・10・3 改正育児・介護休業法が施行
◇社会全体で子どもを育もう
「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思はゆ 何処より 来りしものそ 眼交に もとな懸りて 安眠し寝さぬ」(中西進『万葉集 全訳注原文付』講談社文庫)
「旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群」(同)
前者は山上憶良が自作から神亀5年(728年)に選び、後者は天平5年(733年)に出航した遣唐使の一員の母が詠んだ歌だという。
子どもはどういう因縁から来たのだろう。目の先にちらついて私を安眠させない——。こう詠んだ憶良は、続けて「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」と添えた。遣唐使の母は、離れた地の子を思い、野に霜が降りたらわが子を羽で包んでおくれ、と群れ飛ぶ鶴の姿に願った。
父の思い、母の祈り。それは奈良時代から変わるまい。これらの歌が今日まで読み継がれてきたことは、「子に勝る宝はない」という気持ちが、時代を問わず万人に通じる普遍的な心情であることを物語るのではないか。
10月1日、改正育児・介護休業法が施行された。2021年6月に改正された同法は今年4月から段階的に施行されており、今回は新制度の「産後パパ育休」が始まる。子どもの出生後8週間以内に4週間まで男性が育児休業を取得できる制度。2回に分けることも可能だ。従来の育児休業も2回に分割して取れるようになった。
女性の社会進出との関係などからも注目されており、法の整備・改善を今後も進め、社会全体の気風や文化として定着を目指す地道な取り組みが重要だろう。
その上で、法制度や家庭の在り方といった"かたち"ばかりが強調されてはならないだろう。一人親の家庭もある。子どもの年齢を広げて考えるなら、介護や家事など家族の世話を担う「ヤングケアラー」への支援も必要だ。家族の状況は一様ではない。子どもとその家族に寄り添う共感や同苦の心こそ肝要ではないか。
一人も残らず幸福に。地域と世界の未来部員を地球の未来を担う宝の存在とし、成長を真心込めて祈り、励ましを送る創価学会の同志の連帯は、ますます社会で光っていくに違いない。『万葉集』の父母にも勝る命からの叫びのような願いと祈りが社会の隅々にまで広がり重なった先に、子どもたちの笑顔が輝く社会がある。
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 中国の革命作家・魯迅の言論闘争に学ぶ「民衆を救う言葉の力」
●創価大学・女子短大の入学式(2000年4月)
〈2000年4月に行われた創価大学(第30回)・創価女子短期大学(第16回)の入学式。席上、創立者・池田先生に、中国の北京魯迅博物館から「名誉顧問」の称号が贈られた。式典で先生は、21世紀を担い立つ英知の若人たちに向け、革命作家・魯迅の箴言や生き方を紹介した。
先が見えない閉塞感が漂う社会の中で、今、多くの人が不安を抱えて生きている。そうした人々の苦悩に寄り添い、希望と活力を送る「言葉の力」について、改めて先生のスピーチに学びたい〉
「第一に重要なことは、いったい何か? それは人間の教育にある。人間が確立していけば、どんな事業でも成し遂げていくことができるからだ」(以下、「文化偏至論」〈伊東昭雄訳、『魯迅全集』1所収、学習研究社〉を参照)
これこそ、わが尊敬する魯迅先生の根幹の思想の一つであります。
「勇猛にして恐れなき人間をつくれ!」「剛毅にして不屈の人物を育てよ!」「人類の尊厳のために、万難を排して、断固として前進する青年よ、登場せよ!」
魯迅先生は、こう主張してやみませんでした。
わが創価大学は、「民衆のため」「平和のため」「世界のため」という明確なる目的を掲げた大学であります。
私は、この創価大学こそ、人類史が待望する揺るぎなき信念の人材群を育成しゆく「希望の教育の城」であっていただきたいと念願する一人であります。民衆を忘れ、未来を忘れて、「就職のため」「立身出世のため」だけになってしまえば、もはや大学は必要ないのであります。
◇「論争」の時代
〈"魯迅がつづり残した不滅の哲学は、世紀を超えて青年に多くのメッセージを伝えている"と訴える池田先生は、魯迅に学ぶべき人生の視座を学生たちに語りかける〉
その一つとして、「忍耐強く、徹して学びぬけ!」ということが挙げられるのであります。(以下、顧明遠『魯迅—その教育思想と実践』〈横山宏訳、同時代社〉を参照)
魯迅先生は、口先の理想や格好いい言葉やスローガンを叫ぶだけの青年には、まことに厳しかった。そういう人間を軽侮した。それでは、現実に「民衆を救う力」は持てないからであります。
民衆と「直結」でいくのです。自分中心ではなく。
私自身、創価学会の会長となって以来、40年間、ただ会員の皆さまのために、寸暇の休みもなく戦ってきました。人々に社会に貢献する心で、私自身の一切を、創価学会に、そして創価大学、学園等に捧げてきました。それが私の人生であります。
皆さんは、決して恵まれた環境ではないかもしれない。しかし、苦労して、働きながら、また民衆とつながりながら、学んでいく。それが本当の「勉強」であると私は思う。
魯迅先生もまた、「苦しさに耐えて学問を求めよ!」と、謙虚にして地道な粘り強い研鑽を訴えたのであります。
さらに私は、魯迅先生の青年教育を通して、皆さま方に申し上げたい。「正義を叫びぬく、戦う知性たれ!」と。
ある時、魯迅先生のもとにやってきた一人の青年が、現実社会の行き詰まりを嘆いて、弱々しく愚痴をこぼした。(以下、石一歌『魯迅の生涯』〈金子二郎・大原信一訳、東方書店〉から引用・参照)
「いまわれわれには自由に大声で笑い、叫び、罵れる場所があまりないのです……」
すると、すかさず魯迅先生は、鋭く問い返した。
「では、なぜ自分で発言の場所を作らないのです?」と。
青年よ、敢然と大胆に、声をあげたまえ!——これが、魯迅先生の一貫した叱咤でありました。若人にとって、臆病な沈黙は「敗北」です。魂の「死」であります。
魯迅先生は、仏法についても研究を深めておられました。仏法では「末法」、つまり「現代」という時代の様相を、「闘諍言訟」と言い表しました。すなわち、「戦い」「争い」「論争」の時代であると説いているのであります。
この時代にあって、何が大切か? 私の師匠である戸田先生は、こう教えました。
「戦いの勝利の原理は『勇気』と『忍耐』と『智慧』である」と。そして「言論は、機関銃のごとく! 大砲のごとく!」と。
ともあれ、「雷鳴がとどろいて万物を冬眠から呼び起こすように」(「破悪声論」伊藤虎丸訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)、複雑な時代を、そして複雑な社会を覚醒させてゆく「正義の大声」を、青年が胸を張り、堂々と叫び切っていくことを、魯迅先生も信じ、期待していたのであります。
わが創大生こそ、この魯迅先生の期待に応えて、先頭に立って、勇敢に恐れるものなく戦い、また戦って、偉大なる「青春の歴史」を、「不滅の自分史」を、つくっていっていただきたいのであります。
◇悪には容赦なく
〈魯迅は、青年時代の1902年春に日本に留学し、牧口先生と縁ある教育機関で学んだ。池田先生は、その歴史を紹介し、同時代を生きた二人の信念の歩みに光を当てる〉
魯迅先生が日本留学の第一歩を踏み出したのが、有名な「弘文学院」であります。この弘文学院では、ほぼ同時期に、若き牧口先生も、中国の英才たちに、「人生地理学」を講義しました。
光なき暗い時代にあって、魯迅先生と牧口先生は、ともに正義のため、人道のために殉じていかれました。その思想と人生は、奥深く共鳴しあっております。
なかんずく、お二人の最大の共通点は何か?
それは、迫害の連続のなかで、最後の最後まで、悪と徹して戦いぬいた点であります。
中国の文化史を通じて、魯迅先生ほど、あらゆる勢力から攻撃を受けた偉大な知性の方はいない、と言われております。
魯迅先生も、売らんがための雑誌によって、つねに悪口を捏造され、書き立てられたのでした。
また巨大な魯迅先生に敵対することで、自分たちを大きく見せようとする連中も、渦巻いていました。いつの時代にも見られる、浅ましい「妬み」と「謀略」の構図が、ここにあるのです。
しかし、魯迅先生は、そうした輩に対しては、憤然と反撃していかれました。
"利害にとらわれた知識階級などニセ者である"(「知識階級について」須藤洋一訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社、参照)、"歴史上、陰謀によって文豪になった人間など、いない"(「310202 韋素園宛 書簡」深澤一幸訳、同全集14所収、参照)等々——魯迅先生の反論は、まことに痛烈でありました。
魯迅先生は、どこまでも虐げられた民衆の側に立って、あらゆる邪悪を容赦なく攻めて、攻めぬいていったのであります。悪との戦いにあって、魯迅先生は中途半端な妥協は、絶対に許さなかった。それは、なぜか。
魯迅先生は、断言されております。「光明と暗黒とが徹底的にたたかうことをせず、実直な人が、悪を見のがすのを寛容と思い誤って、いい加減な態度をつづけてゆくならば、今日のような混沌状態は永久につづくだろう」(竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫)と。
この深き哲学を、諸君も、よくよく胸に刻んでいただきたいのであります。ここにこそ、心から尊敬できる「戦う知性」の使命があり、責務があるからであります。
◇険しき山に挑め
〈結びに池田先生は、新たな世紀の主役たる創大・短大の新入生へ指針を贈る〉
ちょうど、40年前(=1960年)、私は、第3代会長就任を前に、日記に、魯迅先生の随筆「生命の道」の一節を書き記しました。その言葉を、大切な新入生の皆さまに贈りたい。
「道とは何か。それは、道のなかったところに踏み作られたものだ。荊棘ばかりのところに開拓してできたものだ。むかしから、道はあった。将来も、永久にあるだろう。人類は寂しいはずがない。なぜなら、生命は進歩的であり、楽天的であるから」(前掲『魯迅評論集』)
また、19世紀、ロシア最高峰の文芸評論家と言われたベリンスキーは、叫んだ。「精神には、肉体と同様に、運動が必要である。それなしに何もせず、無力になれば、精神は衰える」。そして、「人間性とは、人類愛のことである。それは、自覚や教育によって育まれるものである」。
さあ、太陽のごとく昇りゆく、若き新入生諸君! 新しき学問の大道を、新しき自己の建設の坂道を、そしてまた、自分自身の勝利へ、自分の決めた眼前にある険しき山を、登り切っていってくれたまえ!——そう申し上げたいのであります。
2022年10月2日日曜日
2022.10.02 わが友に贈る
激動の時代だからこそ
自他共の幸福の哲学を
自信満々と語ろう!
広布の誇りと開拓精神を
わが胸中に燃やして!
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。
名字の言 介護予防で注目される「買い物リハビリ」 2022年10月2日
作業療法に詳しい友から「買い物リハビリ」の話を聞いた。スーパーマーケットで高齢者が専用カートを押して買い物をする。店内を歩き、品物を取ろうと手を伸ばすことなどが運動になる▼献立を考えたり、代金を暗算したりと認知機能を活性化させる効果も。本人はショッピングを楽しんでいるのだが、結果的にリハビリや介護予防になっている。ひいては健康長寿にもつながるだろう▼教員経験のある女性部員が、近所の80代の女性に教学部任用試験の受験を勧めた。女性は「この年で勉強や試験なんて……」と断った。その夜、同居する息子の妻が、女性から事の経緯を聞き、言った。「教員をしていたからか、彼女の話は面白くて、いつも楽しくなるよ」▼女性は「それならもう一度、話を聞いてみようかな」と笑顔に。息子の妻も含めて3人で歓談する中、女性は任用試験の受験を決意した。初めは、楽しくおしゃべりすることに満足だったが、今では御書を学ぶことで、より良い生き方を考えるようになったという▼仏法は体も心も、ともに健康人生を生きる根本の大道。何がその道に入る"きっかけ"になるかは分からない。友の幸福を祈り、関わり続けていけば、いつか必ず「道」は開ける。
寸鉄 2022年10月2日
「汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と成る」御聖訓。求道の善友と錬磨の秋に
東京・町田の日。"世界の模範"と輝く特区の同志。先駆の拡大で新時代開け
友情の大黒柱は尊敬と信頼である—イギリス思想家。誠実一路でスクラム固く前進
国連「国際非暴力デー」。対話こそ平和築く直道。生命尊厳の哲理を今こそ
新入社員が求める上司は「丁寧な指導」の人—調査 人材育成も寄り添う心で
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第21回 「青年部の文化運動」 文化は人間性の勝利をもたらす力
青年部への指針
一、出発は今だ、と勇敢に立ち上がれ!
二、嵐を誉れとして正義を語れ!
三、不二の後継の勝利で未来を開け!
(「随筆 民衆凱歌の大行進」〈誓いの青年に贈る〉から)
◇学会を真似する時代
池田先生が、青年部の室長時代、視察に訪れた催しがある。1958年(昭和33年)5月24日、東京・国立競技場で開催された「第3回アジア競技大会」だ。
同競技大会は、4年に1度開かれるアジア最大のスポーツの祭典である。
この日の日記には、こうつづられている。「第三回アジア大会を観にゆく。青年部幹部二、三人を連れて。将来の、学会青年部の体育祭、文化祭の参考にとも思い……」「絢爛たる、若人の熱と力と技」「来年は、必ず、青年部で開催してみたい」(『若き日の日記』)
同行した幹部には、音楽隊の初代隊長などがいた。観戦すると、先生は語った。
「やがて、何でも学会の真似をするような時代が来るよ」——それは、先生の強い確信と深い覚悟の言葉だった。
学会の文化祭の淵源は、54年(同29年)11月7日、東京・世田谷の日大グラウンドで開催された「世紀の祭典」である。青年部主催による初めての体育大会で、企画したのは先生だった。
当時の理事室は、当初、開催について賛同しなかった。同年5月6日、池田先生の提案によって音楽隊が発足するが、それまでの道のりにおいても、先輩幹部たちは理解を示さなかった。
しかし、先生の決意は揺るがなかった。
"優れた宗教があるところ、必ず偉大なる文化、芸術が生まれる。真の人間文化の創造は学会の使命である"
音楽隊の発足や「世紀の祭典」の開催に、ただ一人理解を示してくれたのが戸田先生だった。恩師は、「将来のために意味があるだろうから、やりなさい」と愛弟子に言明した。
ある懇談の際、池田先生は、青年部の文化運動の意義について述べたことがある。
「青年は、信心、信心と口で叫んでいるだけでは行き詰まってしまう。学会は信心を根本にした幅広い文化活動が必要なのです。だから、私は戸田先生の許可をいただいて始めたんだよ」
【「若き日の日記」1958年(昭和33年)12月12日から】
若あゆのごとく、躍動する若人。
この人たちのため、自分は一生戦おう。
犠牲になってもよい。恩師がそうであった。
◇上手になったね
池田先生の熱意によって実現した「世紀の祭典」は大成功を収めた。
以後、「若人の祭典」と銘打たれた体育大会が各方面で開催され、華やかなダンスや人文字なども取り入れられていく。
壮年や婦人も勇んで応援し、青年部の文化行事を通じて人材の拡大が図られる"創価の伝統"が築かれていった。
「若人の祭典」は、"師弟の原点"を刻む歴史的な催しにもなった。1957年(昭和32年)9月8日、横浜・三ツ沢の陸上競技場で行われた同祭典で、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を発表した。
そうした中で、池田先生は、文化運動において大きな役割を担う「音楽隊」「鼓笛隊」の育成に力を注ぐ。
54年5月6日に発足した音楽隊は、3日後の9日、初めて出動。雨の降りしきる中、全国から集った青年5千人の前で、演奏を披露した。その時、青年室長の先生は、自ら渾身の指揮を執った。
音楽隊の楽器は、借り集めたものだった。先生は、"広布の楽雄"を一流に育て上げるため、楽器を工面した。さらに、音楽隊に対してこまやかなアドバイスを送り続け、演奏曲や演奏形態、服装などに創意工夫が重ねられていった。
鼓笛隊は、33人の編成で56年(同31年)7月22日に結成された。先生は、"世界一の鼓笛隊に育て"との期待を込め、私財を投じてファイフとドラムを贈呈。翌57年10月に行われた鼓笛隊の第1回研修会で、「太陽のように明るく 月光のごとく清らかな鼓笛隊たれ」との指針を贈っている。「上手になったね」——先生は、練習会場を訪れては、"平和の天使"たちを励まし続けた。
58年3月16日、「3・16」の広布後継の儀式の終了後のこと。戸田先生は、体が著しく衰弱する中にあって、車駕に乗って会場を後にした。
池田先生は参加者を見送り、鼓笛隊、音楽隊がそれぞれ歓送の調べを奏でた。
見送りを終えた愛弟子は、恩師に聞こえるよう、音楽隊に演奏を依頼する。そして、この時の「星落秋風五丈原」が、戸田先生の聴く最後の曲となった。
翌59年(同34年)4月の戸田先生の一周忌法要で、音楽隊・鼓笛隊は同曲をはじめとした演奏を恩師の墓前でささげた。
墓参の後、池田先生は語った。
「音楽隊、鼓笛隊の音が響いているうちは、創価学会は大丈夫です」
先生の手作りによって、音楽隊・鼓笛隊は、各種コンテストで輝かしい実績を残す、名実ともに"日本一"の文化の旗手へと発展を遂げている。本年は、東日本大震災復興支援のための、音楽隊による「希望の絆」コンサートが2年ぶりに生演奏で再開された。さらに、3年ぶりのパレード出演によって、各地に"友情のハーモニー"が広がっている。
◇「第三文明」の夜明け
58年6月30日、総務に就任した池田先生は、学会の実質的な舵取りを担いながら、青年部の文化運動に次々と新たな灯をともしていった。
58年10月6日には、150人の乙女で「女子部合唱団」(女性部「富士合唱団」の前身)を発足。前年8月、恩師から「青年部に合唱団をつくったらどうかね」と提案されていた。発足式に出席した先生は、信心を貫くよう望み、後に、「"富士のように気高く"そして、"広野の如く限りなく"広布の道を進みなさい」との指針を贈っている。
59年は、夏に「若人の祭典」が初めて全国展開された。10月15日、先生の提案で、初の「全日本学生弁論大会」が東京・目黒で開催。11月23日には、東京・神田で第1回「学生祭」が行われた。
宗門は、"「祭り」は他宗がしていることであり、そんな祭りをやる必要があるのか"と、浅はかな言いがかりをつけていた。学生たちを守り、宗門を説得したのは先生だった。
そんな中で開かれた学生祭は、創作劇、日本舞踊、器楽演奏、記録映画「学会の歩み」の上映など、芸術色豊かな行事となった。先生は席上、「この催しこそ、色心不二の哲学を根底とした大文明、文芸復興の夜明けである」と宣言した。
文化運動の潮流が広がる中、先生が訴えたのが「第三文明」の大構想である。
27歳の日記でこうつづっている。
「次の、深く、輝く文化は、必ずや、この大衆を土壌にしたところに、永遠の金字塔の文化が、樹立しゆくことだろう。ああ、第三文明」(『若き日の日記』、1955年11月12日)
59年7月3日の男子部幹部会で、初めて「第三文明」について詳しく言及し、青年部に大きな期待を寄せた。
「現代の民衆は、精神文明の世の中にも、物質文明の世の中にも、もの足りないと感じております。民衆の根底からの欲求は、物でも心でもありません。真実に渇仰しているのは、色心不二の生命哲学から出発した『第三文明』なのです」
9日の女子部指導会では、「世界平和のために、最高の文化建設のために、『第三文明』という、色心不二の文化を創っていくのです」と強調した。
その後、師がともした「第三文明」の理想の灯は、創価の青年たちの手によって世界へと広がっていく。国境を超えた若人の絆が輝く「世界平和文化祭」「世界青年平和文化祭」は、社会に大きな反響を呼ぶ一大イベントとなった。
「音楽祭」「文化祭」「創価青年大会」等、時代に即した形で平和の潮流を拡大する青年部の文化運動。この下半期には、青年層を主役とする「SOKAユースフェスタ」が、各地で開催される。
先生は述べている。
「文化とは『文をもって化す』ことであり、人間の心を耕す作業といってよい。暴力や権力、金力といった人間を脅かす外からの力に抗して、人間性の勝利をもたらす力である」
文化による創価の連帯は、分断の闇を照らす"希望の光源"となろう。
自他共の幸福の哲学を
自信満々と語ろう!
広布の誇りと開拓精神を
わが胸中に燃やして!
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。
名字の言 介護予防で注目される「買い物リハビリ」 2022年10月2日
作業療法に詳しい友から「買い物リハビリ」の話を聞いた。スーパーマーケットで高齢者が専用カートを押して買い物をする。店内を歩き、品物を取ろうと手を伸ばすことなどが運動になる▼献立を考えたり、代金を暗算したりと認知機能を活性化させる効果も。本人はショッピングを楽しんでいるのだが、結果的にリハビリや介護予防になっている。ひいては健康長寿にもつながるだろう▼教員経験のある女性部員が、近所の80代の女性に教学部任用試験の受験を勧めた。女性は「この年で勉強や試験なんて……」と断った。その夜、同居する息子の妻が、女性から事の経緯を聞き、言った。「教員をしていたからか、彼女の話は面白くて、いつも楽しくなるよ」▼女性は「それならもう一度、話を聞いてみようかな」と笑顔に。息子の妻も含めて3人で歓談する中、女性は任用試験の受験を決意した。初めは、楽しくおしゃべりすることに満足だったが、今では御書を学ぶことで、より良い生き方を考えるようになったという▼仏法は体も心も、ともに健康人生を生きる根本の大道。何がその道に入る"きっかけ"になるかは分からない。友の幸福を祈り、関わり続けていけば、いつか必ず「道」は開ける。
寸鉄 2022年10月2日
「汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と成る」御聖訓。求道の善友と錬磨の秋に
東京・町田の日。"世界の模範"と輝く特区の同志。先駆の拡大で新時代開け
友情の大黒柱は尊敬と信頼である—イギリス思想家。誠実一路でスクラム固く前進
国連「国際非暴力デー」。対話こそ平和築く直道。生命尊厳の哲理を今こそ
新入社員が求める上司は「丁寧な指導」の人—調査 人材育成も寄り添う心で
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第21回 「青年部の文化運動」 文化は人間性の勝利をもたらす力
青年部への指針
一、出発は今だ、と勇敢に立ち上がれ!
二、嵐を誉れとして正義を語れ!
三、不二の後継の勝利で未来を開け!
(「随筆 民衆凱歌の大行進」〈誓いの青年に贈る〉から)
◇学会を真似する時代
池田先生が、青年部の室長時代、視察に訪れた催しがある。1958年(昭和33年)5月24日、東京・国立競技場で開催された「第3回アジア競技大会」だ。
同競技大会は、4年に1度開かれるアジア最大のスポーツの祭典である。
この日の日記には、こうつづられている。「第三回アジア大会を観にゆく。青年部幹部二、三人を連れて。将来の、学会青年部の体育祭、文化祭の参考にとも思い……」「絢爛たる、若人の熱と力と技」「来年は、必ず、青年部で開催してみたい」(『若き日の日記』)
同行した幹部には、音楽隊の初代隊長などがいた。観戦すると、先生は語った。
「やがて、何でも学会の真似をするような時代が来るよ」——それは、先生の強い確信と深い覚悟の言葉だった。
学会の文化祭の淵源は、54年(同29年)11月7日、東京・世田谷の日大グラウンドで開催された「世紀の祭典」である。青年部主催による初めての体育大会で、企画したのは先生だった。
当時の理事室は、当初、開催について賛同しなかった。同年5月6日、池田先生の提案によって音楽隊が発足するが、それまでの道のりにおいても、先輩幹部たちは理解を示さなかった。
しかし、先生の決意は揺るがなかった。
"優れた宗教があるところ、必ず偉大なる文化、芸術が生まれる。真の人間文化の創造は学会の使命である"
音楽隊の発足や「世紀の祭典」の開催に、ただ一人理解を示してくれたのが戸田先生だった。恩師は、「将来のために意味があるだろうから、やりなさい」と愛弟子に言明した。
ある懇談の際、池田先生は、青年部の文化運動の意義について述べたことがある。
「青年は、信心、信心と口で叫んでいるだけでは行き詰まってしまう。学会は信心を根本にした幅広い文化活動が必要なのです。だから、私は戸田先生の許可をいただいて始めたんだよ」
【「若き日の日記」1958年(昭和33年)12月12日から】
若あゆのごとく、躍動する若人。
この人たちのため、自分は一生戦おう。
犠牲になってもよい。恩師がそうであった。
◇上手になったね
池田先生の熱意によって実現した「世紀の祭典」は大成功を収めた。
以後、「若人の祭典」と銘打たれた体育大会が各方面で開催され、華やかなダンスや人文字なども取り入れられていく。
壮年や婦人も勇んで応援し、青年部の文化行事を通じて人材の拡大が図られる"創価の伝統"が築かれていった。
「若人の祭典」は、"師弟の原点"を刻む歴史的な催しにもなった。1957年(昭和32年)9月8日、横浜・三ツ沢の陸上競技場で行われた同祭典で、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を発表した。
そうした中で、池田先生は、文化運動において大きな役割を担う「音楽隊」「鼓笛隊」の育成に力を注ぐ。
54年5月6日に発足した音楽隊は、3日後の9日、初めて出動。雨の降りしきる中、全国から集った青年5千人の前で、演奏を披露した。その時、青年室長の先生は、自ら渾身の指揮を執った。
音楽隊の楽器は、借り集めたものだった。先生は、"広布の楽雄"を一流に育て上げるため、楽器を工面した。さらに、音楽隊に対してこまやかなアドバイスを送り続け、演奏曲や演奏形態、服装などに創意工夫が重ねられていった。
鼓笛隊は、33人の編成で56年(同31年)7月22日に結成された。先生は、"世界一の鼓笛隊に育て"との期待を込め、私財を投じてファイフとドラムを贈呈。翌57年10月に行われた鼓笛隊の第1回研修会で、「太陽のように明るく 月光のごとく清らかな鼓笛隊たれ」との指針を贈っている。「上手になったね」——先生は、練習会場を訪れては、"平和の天使"たちを励まし続けた。
58年3月16日、「3・16」の広布後継の儀式の終了後のこと。戸田先生は、体が著しく衰弱する中にあって、車駕に乗って会場を後にした。
池田先生は参加者を見送り、鼓笛隊、音楽隊がそれぞれ歓送の調べを奏でた。
見送りを終えた愛弟子は、恩師に聞こえるよう、音楽隊に演奏を依頼する。そして、この時の「星落秋風五丈原」が、戸田先生の聴く最後の曲となった。
翌59年(同34年)4月の戸田先生の一周忌法要で、音楽隊・鼓笛隊は同曲をはじめとした演奏を恩師の墓前でささげた。
墓参の後、池田先生は語った。
「音楽隊、鼓笛隊の音が響いているうちは、創価学会は大丈夫です」
先生の手作りによって、音楽隊・鼓笛隊は、各種コンテストで輝かしい実績を残す、名実ともに"日本一"の文化の旗手へと発展を遂げている。本年は、東日本大震災復興支援のための、音楽隊による「希望の絆」コンサートが2年ぶりに生演奏で再開された。さらに、3年ぶりのパレード出演によって、各地に"友情のハーモニー"が広がっている。
◇「第三文明」の夜明け
58年6月30日、総務に就任した池田先生は、学会の実質的な舵取りを担いながら、青年部の文化運動に次々と新たな灯をともしていった。
58年10月6日には、150人の乙女で「女子部合唱団」(女性部「富士合唱団」の前身)を発足。前年8月、恩師から「青年部に合唱団をつくったらどうかね」と提案されていた。発足式に出席した先生は、信心を貫くよう望み、後に、「"富士のように気高く"そして、"広野の如く限りなく"広布の道を進みなさい」との指針を贈っている。
59年は、夏に「若人の祭典」が初めて全国展開された。10月15日、先生の提案で、初の「全日本学生弁論大会」が東京・目黒で開催。11月23日には、東京・神田で第1回「学生祭」が行われた。
宗門は、"「祭り」は他宗がしていることであり、そんな祭りをやる必要があるのか"と、浅はかな言いがかりをつけていた。学生たちを守り、宗門を説得したのは先生だった。
そんな中で開かれた学生祭は、創作劇、日本舞踊、器楽演奏、記録映画「学会の歩み」の上映など、芸術色豊かな行事となった。先生は席上、「この催しこそ、色心不二の哲学を根底とした大文明、文芸復興の夜明けである」と宣言した。
文化運動の潮流が広がる中、先生が訴えたのが「第三文明」の大構想である。
27歳の日記でこうつづっている。
「次の、深く、輝く文化は、必ずや、この大衆を土壌にしたところに、永遠の金字塔の文化が、樹立しゆくことだろう。ああ、第三文明」(『若き日の日記』、1955年11月12日)
59年7月3日の男子部幹部会で、初めて「第三文明」について詳しく言及し、青年部に大きな期待を寄せた。
「現代の民衆は、精神文明の世の中にも、物質文明の世の中にも、もの足りないと感じております。民衆の根底からの欲求は、物でも心でもありません。真実に渇仰しているのは、色心不二の生命哲学から出発した『第三文明』なのです」
9日の女子部指導会では、「世界平和のために、最高の文化建設のために、『第三文明』という、色心不二の文化を創っていくのです」と強調した。
その後、師がともした「第三文明」の理想の灯は、創価の青年たちの手によって世界へと広がっていく。国境を超えた若人の絆が輝く「世界平和文化祭」「世界青年平和文化祭」は、社会に大きな反響を呼ぶ一大イベントとなった。
「音楽祭」「文化祭」「創価青年大会」等、時代に即した形で平和の潮流を拡大する青年部の文化運動。この下半期には、青年層を主役とする「SOKAユースフェスタ」が、各地で開催される。
先生は述べている。
「文化とは『文をもって化す』ことであり、人間の心を耕す作業といってよい。暴力や権力、金力といった人間を脅かす外からの力に抗して、人間性の勝利をもたらす力である」
文化による創価の連帯は、分断の闇を照らす"希望の光源"となろう。
2022年10月1日土曜日
2022.10.01 わが友に贈る
飛躍を遂げる秋!
いよいよの決意と
ますますの祈りで
励ましの対話を!
心軽やかに進もう!
諸法実相抄 P1361
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』
【通解】
行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はなくなってしまう。自分も実践し、人にも教え、勧めていきなさい。行学は信心から起こるのである。力があるならば、一文一句であっても人に語っていきなさい。
名字の言 Vサインをする息子を見て、胸を熱くした夫妻 2022年10月1日
「学会に出あえて勇気百倍です」。障がいのある息子がいる夫妻が語っていた。先ごろ、親子3人で入会したばかり。きっかけは、知人の誘いで参加した座談会▼皆が家族のように温かく歓迎してくれた。ある女性は「お子さんの笑顔、本当に素敵。ご一家のヒーローね」と。息子さんの肩を抱き、「頑張っとるんやな。おじちゃんも負けんからな」と語りかける壮年も。Vサインをするわが子を見て、夫妻は胸を熱くした▼これまで「大変でしょう」と同情してくれる人は多くいた。夫妻は「そうした心遣いはありがたいのですが……。この子は何をするにも一生懸命で、それを見て私たちは毎日、感動しているんです。苦労の何倍も、親としての喜びがある。この気持ちを分かってくださる世界に出あえたことが本当にうれしかった」と▼東京大学大学院の松井彰彦教授が本紙で述べている。「障害者/非障害者」「支援すべき人/しなくてもいい人」のように「人々を区別し、分類してしまう、社会の"ふつう"を問い直す」べきだ、と▼誰もが相手の個性を尊重し、可能性を信じ、同じ人間として励まし合う。それを"ふつう"の感覚として、心の絆を広げる友の歩みが、地域・社会の希望となる。
寸鉄 2022年10月1日
広布の大行進に連なれば必ず幸福に—戸田先生。一人でも多くの友を糾合
「学術部の日」50周年。民衆のために戦う知性の勇者。希望送る灯台たれ
国際高齢者デー。孤立化防ぐ地域のネットワーク強化今こそ。社会全体で
ネット中傷投稿者の特定が迅速に—改正法施行。誹謗や嘘許さぬ思潮更に
水害の偽画像がSNSで拡散。不安を煽るデマに警戒。発信元の確認徹底
〈社説〉 2022・10・1 あす「世界平和の日」
◇「対話の力」を信じ抜く
あすは10・2「世界平和の日」。1960年(昭和35年)10月2日、池田先生が初の海外訪問へ出発した。第3代会長の就任から、わずか5カ月後のことであった。この日を起点として、先生はこれまで世界54カ国・地域を歴訪。「対話の力こそが、時代を開く平和力となる」との信念のもと、国家指導者、大学首脳、学識者、文化人らと誠実な語らいを重ねていった。
74年には、東西冷戦のさなかで一触即発だった中国、ソ連(当時)を相次ぎ訪問。両国の首脳が互いに戦争の意思がないことを確認し、双方に伝えた。さらに翌年にはアメリカへ。国連に核兵器廃絶への1000万署名を届け、米国務長官とも会見した。ゴルバチョフ元ソ連大統領は「鉄のカーテンのもとでも、平和への対話や民間外交が可能であることを証明しました」と明言している。
今ほど"対話による平和構築"という命題に人類が刮目すべき時はなかろう。池田先生はつづる。「ひとたび紛争や戦争が起こり、報復が繰り返され、凄惨な殺戮が恒常化すると、ともすれば、対話によって平和の道を開いていくことに無力さを感じ、あきらめと絶望を覚えてしまいがちである。実は、そこに平和への最大の関門がある」(小説『新・人間革命』第29巻「清新」の章)
池田先生が示してきたのは、目の前の一人一人との誠実な対話の広がりが世界平和の道へと重なっていった厳然たる事実である。
対話によって状況を打開した事例はほかにもある。62年の"キューバ危機"では、核戦争が危ぶまれたが、当時のアメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ首相が書簡を通じて意見交換。衝突を回避した。また、内戦が約50年続いた南米コロンビアでは、サントス元大統領が粘り強い対話によって国内最大の武装組織との和平交渉を成立させた(2016年にノーベル平和賞を受賞)。元大統領は「戦争は対話で解決できる」と高らかに述べている。
危機の時代を迎える現代にあって、対話の重要性を叫び抜く意義はますます大きい。立正安国論に「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祷るべきものか」(新44・全31)と。私たちの目の前の一人との語らいが、平和の世紀の実現につながっていることを確信し、"対話の秋"を堂々と歩みたい。
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第20回 「葛飾総ブロック長」 日本一の幸せあふれるわが地域に
模範の地域建設への実践
一、「誓願の祈り」
二、「御書根本」
三、「異体同心の団結」
(「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「行学の闘士」の誉れ〉から)
◇勤行・唱題の実践
「夜、葛飾ブロックの会合に出席」「体当たりで指導」(『若き日の日記』)——1957年(昭和32年)9月25日、29歳の池田先生は日記にとどめた。
この日、東京・葛飾区の亀有で、総ブロックの結成大会が開催された。葛飾の初代総ブロック長に就任した先生は、自らの誓いをこう語った。
「私が葛飾に来たのは、ただ任命を受けたからではありません。私はこの葛飾に、全国に先駆けて、模範的なブロックをつくるために来ました」
学会に、地域を基盤としたブロック制が敷かれたのは、55年(同30年)5月のことだった。新入会者が紹介者の組織に所属する「タテ線」に比べ、ブロックの連携は希薄で、毎週水曜日の「ブロックの日」は熱が入らない状況があった。ブロック組織の強化は課題となっていた。
57年8月、ブロック強化を目的とした「夏季ブロック指導」が行われた。池田先生は、荒川区の最高責任者として指揮を執り、8日から14日の間で、二百数十世帯の弘教を成し遂げた。
同月28日、本部幹部会が豊島公会堂(当時)で開催された。席上、従来のブロック制を改革し、東京23区に総ブロック制を設置することが発表される。新たな出発を開始する幹部会で、先生は「葛飾総ブロック長」の任命を受けた。
総ブロック長の先生が、葛飾で呼び掛けたのは、信仰の基本である"勤行の実践"だった。結成大会で訴えた。
「模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです」
「宿業の転換といっても、人間革命といっても、その一切の源泉は、勤行・唱題にほかなりません」
葛飾区の中には、先生が住んでいた大田区から2時間近くを要する地域もあった。青年部の室長として全国を東奔西走しながら、勇んで駆け付けた。
【「若き日の日記」1958年(昭和33年)4月29日から】
戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。
一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒濤を乗り越えて。
◇水曜日の男
「自転車をかり、葛飾のブロックを回る」(『若き日の日記』、1957年10月30日)
亀有、立石、金町、細田——池田先生は、時には自転車で、また時には同志のトラックに同乗し、訪問・激励や一対一の対話を重ねていった。
先生は、「私は、皆さんにとっては、『水曜日の男』だね」と、ユーモアを込めて、葛飾の同志に語ったことがある。水曜日の「ブロックの日」を中心に、訪れることが多かったからである。
葛飾の友にとって、水曜日は恩師の心を体現した池田先生から、広布の要諦を学ぶことができる絶好の機会だった。ある時、先生は葛飾のリーダーと共に個人指導に歩き、訪問・激励の心構えについて次のように語った。
「もうこの人には二度と会えないかもしれません。ありったけの思いやりで、精いっぱい真心の指導・激励をしましょう。それが仏の使いです」
「指導とは思い切り聞いてあげることです」
先生は、"高みから教える"のではなく、"同じ目線"で同苦した。激励に当たって心肝に染めるべき御文として、「十法界明因果抄」の一節を拝した。
「もし、自分が彼より立派であるという思いに耐え、乗り越えることができなければ、人を下に軽く見て、トンビのように高い所から人を見下げる行動をとってしまう」(新464・全430、趣意)
自分が偉いと錯覚し、横柄な態度で会員に接することは、すでに仏法者ではないことを訴えたのである。
また、励ましの"スピード"を重視した。ある時、悩みを抱えているメンバーの報告を聞くと、「よし、すぐ行こう」と、自転車に飛び乗った。後日、葛飾の同志が、そのメンバーの家を訪ねると、先生からの手紙が届いていた。皆、先生のこまやかな心配りに胸を熱くした。
「思い切り聞く」「スピード」「心配り」——先生の慈愛の激励を通し、葛飾の同志は、"創価の励ましの魂"を身をもって学んだ。
さらに、葛飾の友が、先生の姿から心に刻んだのは、誠実な振る舞いの大切さである。
個人会場の近隣にある寿司屋から苦情が出たことがあった。会場に多くの同志が集い、騒がしく感じたのである。その報告を聞いた先生は、即座に店主のもとを訪ね、丁寧に事情を説明した。
1958年(昭和33年)9月26日から27日にかけて、狩野川台風が日本を襲った。この台風によって、都内では30万戸以上が浸水の被害に遭った。葛飾でも多数の浸水家屋が出た。
台風が近づいていた25日、先生は大阪事件の第8回公判に出廷。26日の帰路、台風で足止めに遭い、列車内で1泊する。27日、帰京すると、疲労の体を押して、葛飾へと向かったのである。
◇信心とは無疑曰信
葛飾に到着した池田先生は、長靴に履き替えると、同志と共に中川の土手に足を運んだ。豪雨で足元が緩くなった土手沿いを見回り、土のうを積む人を見掛けると、ねぎらいの言葉を掛けた。
先生には、学会員も会員でない人も、分け隔てはなかった。地域のために行動する人をたたえた。この行動こそ地域友好を開く要諦——葛飾の友は、先生の実践を模範とした。
先生が葛飾で総ブロック長として指揮を執ったのは、1957年から59年(同34年)7月の約2年である。
この間、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成に向けて死力を尽くした。「3・16」の"広宣流布の記念式典"など、恩師の戦いの総仕上げの時にあって、先生が葛飾で強調したのは「師弟直結」である。
「皆さんと戸田先生との間には、なんの隔たりもありません。皆さん方一人ひとりが、その精神においては、本来、先生と直結しているんです」
池田先生の激励によって、葛飾の同志は、師匠・戸田先生に心を合わせ、自発能動の挑戦に奮い立っていった。
58年(同33年)4月2日に恩師が逝去し、先生は同年6月から、総務として学会の舵取りを担った。
激闘に次ぐ激闘の中、先生は葛飾に模範のブロック組織を築いていった。
「葛飾のブロックに出席」「『佐渡御書』を講義」(同、58年5月28日)
「夜、葛飾のブロックに出席」「『星落秋風五丈原』を歌いながら帰宅」(同、同年7月23日)
59年7月に葛飾総ブロック長の役職を離れた後も、先生は葛飾の友を見守り続けた。その深い慈愛に包まれた葛飾は、地域広布の水かさを増し、60年(同35年)12月、3総ブロックへと発展した。
先生は葛飾の青年たちに、大切な指針を残している。
一つは、「無疑曰信」(疑い無きを信と曰う)。
ある時、先生は男子部員に、「信心とは何ですか?」と質問した。「勝つことです」と答えるメンバーに、「間違いではないが」と前置きし、「信心とは無疑曰信です」と語った。
もう一つは、扇子に揮毫した「断は確信に通ず」との言葉である。
どんな困難が競い起こっても、広布の戦いをやり抜くとの決断。それこそが、自らの境涯を開き、人間革命を成し遂げる原動力である。
今月、先生の葛飾総ブロック長就任から65周年の佳節を刻む。葛飾総ブロック結成大会で、先生は「この葛飾を、皆で力を合わせ、東京一、いな、日本一の、幸せあふれる地域に」と望んだ。その呼び掛けをわが誓願として、葛飾の同志は使命の天地を駆ける。
葛飾は、先生が手作りで育んだ広布の天地——との誇りに燃えて。
☆大白蓮華巻頭言2022年10月号 「民衆仏法」の本懐いよいよ
日蓮大聖人が「民が子」として「民の家」に聖誕されてより八百星霜−−。太陽の「民衆仏法」が混沌の闇を打ち払って、いよいよ地球民族に平和と希望の大光を贈りゆく時である。
戸田先生の最晩年、師弟して語り合った。
−−あの鎌倉幕府の武家政権下で、熱原の三烈士をはじめ、何ものにも屈しない「師子王の心」の民衆が屹立した。ここに御本仏の「出世の本懐」の成就があり、この直系こそ創価学会に他ならない。だからこそ、戸田の命より大切なのだ−−と。
これほど確固たる生命尊厳の哲理と人間への信頼で結ばれた善なる民衆の連帯は、もう二度と築けないであろう。
「総勘文抄」には、「只今こそ打ち返し、思い直し、悟り返せば、即身成仏は我が身の外には無しと知りぬ」と仰せである。
その通りに、創価の民衆の学びと励ましの大地から、どれほど多くの庶民が「わが生命こそ妙法の当体なり」と立ち上がり、「大間革命の蘇生の大生を歩んできたことか。
今や、まぎれもなく内証は仏である地涌の菩薩の群像が、全世界に躍り出ていることが、我らの誉れである。
六十年前、より良き社会の建設に挑めば挑むほど、定見のない批判が強まると憂える英才に、私は言った。
−−私たちは行動者だ。大哲学を実践し、民衆に貢献している。だから強い。無責任な傍観の言説にも、若き君たちが自信をもって、堂々と見事な論陣を張っていくのだ−−と。
人類史の宿命的な苦悩の流転を押し止め、分断の悪縁に引き裂かれずに、民衆を結び高めるのが、中道の智慧である。
熱原の法難の折の御聖訓に、「恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず何らかの現証が現れる」とある。
気収らず偉ぶらず、我らは無冠の人間王者として、勇敢に楽しく笑い合いながら、広布と人生の本懐を果たしゆこう!
十方の
星のごとくに
後継の
地涌よ凛々しく
民に勇気を
☆2022 10月の学会史
◎10・1「学術部の日」50周年
1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上での、池田大作先生のてい談「生命論」(後に『生命を語る』として出版)の連載開始が淵源。本年で50周年を迎える。
◎10・2「世界平和の日」
1960年(昭和35年)10月2日、恩師・戸田城聖先生の構想実現のため、池田先生が初の海外訪問へ出発。北・南米へ世界広布の第一歩が踏み出された。その日が、後に「世界平和の日」に。
※参考資料=小説『新・人間革命』第1巻「旭日」、第24巻「母の詩」
◎10・5 池田先生の欧州初訪問
1961年(昭和36年)10月5日、池田先生が欧州を初訪問。9カ国を回る平和旅で、欧州広布の礎が築かれた。
※参考資料=『新・人間革命』第4巻「大光」
◎10・7「勝利島部の日」
1978年(昭和53年)10月7日、約120の島の友が集った離島本部(当時)の第1回総会を記念して、「離島部の日」が制定。後に「勝利島部の日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第28巻「勝利島」
◎10・8「中国・師弟原点の日」
1956年(昭和31年)10月8日、青年部の室長だった池田先生は岡山を初訪問し、中国方面に広宣流布の第一歩をしるした。
◎10・9「山口開拓指導」開始の日
1956年(昭和31年)10月9日、池田先生は山口へ。戸田先生の命を受け、山口開拓指導が始まる。翌年1月までの計22日間で、当時の山口の会員世帯数を約10倍に拡大する弘教を達成した。
※参考資料=『人間革命』第11巻「転機」
◎10・18「民音創立記念日」
1963年(昭和38年)10月18日に行われた、民主音楽協会(民音)による初の記念演奏会に由来する。
※参考資料=『新・人間革命』第8巻「清流」
◎10・24「社会部の日」
1973年(昭和48年)10月24日、職場・職域を同じくする同志が、自身を磨き、互いの成長を図ることを目的に結成された。
※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」
◎10・30「クーデンホーフ=カレルギー伯爵との初会談」55周年
1967年(昭和42年)10月30日、池田先生は"欧州統合の父"クーデンホーフ=カレルギー伯爵と東京・信濃町で初の会談を。本年が55周年。
いよいよの決意と
ますますの祈りで
励ましの対話を!
心軽やかに進もう!
諸法実相抄 P1361
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』
【通解】
行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はなくなってしまう。自分も実践し、人にも教え、勧めていきなさい。行学は信心から起こるのである。力があるならば、一文一句であっても人に語っていきなさい。
名字の言 Vサインをする息子を見て、胸を熱くした夫妻 2022年10月1日
「学会に出あえて勇気百倍です」。障がいのある息子がいる夫妻が語っていた。先ごろ、親子3人で入会したばかり。きっかけは、知人の誘いで参加した座談会▼皆が家族のように温かく歓迎してくれた。ある女性は「お子さんの笑顔、本当に素敵。ご一家のヒーローね」と。息子さんの肩を抱き、「頑張っとるんやな。おじちゃんも負けんからな」と語りかける壮年も。Vサインをするわが子を見て、夫妻は胸を熱くした▼これまで「大変でしょう」と同情してくれる人は多くいた。夫妻は「そうした心遣いはありがたいのですが……。この子は何をするにも一生懸命で、それを見て私たちは毎日、感動しているんです。苦労の何倍も、親としての喜びがある。この気持ちを分かってくださる世界に出あえたことが本当にうれしかった」と▼東京大学大学院の松井彰彦教授が本紙で述べている。「障害者/非障害者」「支援すべき人/しなくてもいい人」のように「人々を区別し、分類してしまう、社会の"ふつう"を問い直す」べきだ、と▼誰もが相手の個性を尊重し、可能性を信じ、同じ人間として励まし合う。それを"ふつう"の感覚として、心の絆を広げる友の歩みが、地域・社会の希望となる。
寸鉄 2022年10月1日
広布の大行進に連なれば必ず幸福に—戸田先生。一人でも多くの友を糾合
「学術部の日」50周年。民衆のために戦う知性の勇者。希望送る灯台たれ
国際高齢者デー。孤立化防ぐ地域のネットワーク強化今こそ。社会全体で
ネット中傷投稿者の特定が迅速に—改正法施行。誹謗や嘘許さぬ思潮更に
水害の偽画像がSNSで拡散。不安を煽るデマに警戒。発信元の確認徹底
〈社説〉 2022・10・1 あす「世界平和の日」
◇「対話の力」を信じ抜く
あすは10・2「世界平和の日」。1960年(昭和35年)10月2日、池田先生が初の海外訪問へ出発した。第3代会長の就任から、わずか5カ月後のことであった。この日を起点として、先生はこれまで世界54カ国・地域を歴訪。「対話の力こそが、時代を開く平和力となる」との信念のもと、国家指導者、大学首脳、学識者、文化人らと誠実な語らいを重ねていった。
74年には、東西冷戦のさなかで一触即発だった中国、ソ連(当時)を相次ぎ訪問。両国の首脳が互いに戦争の意思がないことを確認し、双方に伝えた。さらに翌年にはアメリカへ。国連に核兵器廃絶への1000万署名を届け、米国務長官とも会見した。ゴルバチョフ元ソ連大統領は「鉄のカーテンのもとでも、平和への対話や民間外交が可能であることを証明しました」と明言している。
今ほど"対話による平和構築"という命題に人類が刮目すべき時はなかろう。池田先生はつづる。「ひとたび紛争や戦争が起こり、報復が繰り返され、凄惨な殺戮が恒常化すると、ともすれば、対話によって平和の道を開いていくことに無力さを感じ、あきらめと絶望を覚えてしまいがちである。実は、そこに平和への最大の関門がある」(小説『新・人間革命』第29巻「清新」の章)
池田先生が示してきたのは、目の前の一人一人との誠実な対話の広がりが世界平和の道へと重なっていった厳然たる事実である。
対話によって状況を打開した事例はほかにもある。62年の"キューバ危機"では、核戦争が危ぶまれたが、当時のアメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ首相が書簡を通じて意見交換。衝突を回避した。また、内戦が約50年続いた南米コロンビアでは、サントス元大統領が粘り強い対話によって国内最大の武装組織との和平交渉を成立させた(2016年にノーベル平和賞を受賞)。元大統領は「戦争は対話で解決できる」と高らかに述べている。
危機の時代を迎える現代にあって、対話の重要性を叫び抜く意義はますます大きい。立正安国論に「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祷るべきものか」(新44・全31)と。私たちの目の前の一人との語らいが、平和の世紀の実現につながっていることを確信し、"対話の秋"を堂々と歩みたい。
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第20回 「葛飾総ブロック長」 日本一の幸せあふれるわが地域に
模範の地域建設への実践
一、「誓願の祈り」
二、「御書根本」
三、「異体同心の団結」
(「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「行学の闘士」の誉れ〉から)
◇勤行・唱題の実践
「夜、葛飾ブロックの会合に出席」「体当たりで指導」(『若き日の日記』)——1957年(昭和32年)9月25日、29歳の池田先生は日記にとどめた。
この日、東京・葛飾区の亀有で、総ブロックの結成大会が開催された。葛飾の初代総ブロック長に就任した先生は、自らの誓いをこう語った。
「私が葛飾に来たのは、ただ任命を受けたからではありません。私はこの葛飾に、全国に先駆けて、模範的なブロックをつくるために来ました」
学会に、地域を基盤としたブロック制が敷かれたのは、55年(同30年)5月のことだった。新入会者が紹介者の組織に所属する「タテ線」に比べ、ブロックの連携は希薄で、毎週水曜日の「ブロックの日」は熱が入らない状況があった。ブロック組織の強化は課題となっていた。
57年8月、ブロック強化を目的とした「夏季ブロック指導」が行われた。池田先生は、荒川区の最高責任者として指揮を執り、8日から14日の間で、二百数十世帯の弘教を成し遂げた。
同月28日、本部幹部会が豊島公会堂(当時)で開催された。席上、従来のブロック制を改革し、東京23区に総ブロック制を設置することが発表される。新たな出発を開始する幹部会で、先生は「葛飾総ブロック長」の任命を受けた。
総ブロック長の先生が、葛飾で呼び掛けたのは、信仰の基本である"勤行の実践"だった。結成大会で訴えた。
「模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです」
「宿業の転換といっても、人間革命といっても、その一切の源泉は、勤行・唱題にほかなりません」
葛飾区の中には、先生が住んでいた大田区から2時間近くを要する地域もあった。青年部の室長として全国を東奔西走しながら、勇んで駆け付けた。
【「若き日の日記」1958年(昭和33年)4月29日から】
戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。
一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒濤を乗り越えて。
◇水曜日の男
「自転車をかり、葛飾のブロックを回る」(『若き日の日記』、1957年10月30日)
亀有、立石、金町、細田——池田先生は、時には自転車で、また時には同志のトラックに同乗し、訪問・激励や一対一の対話を重ねていった。
先生は、「私は、皆さんにとっては、『水曜日の男』だね」と、ユーモアを込めて、葛飾の同志に語ったことがある。水曜日の「ブロックの日」を中心に、訪れることが多かったからである。
葛飾の友にとって、水曜日は恩師の心を体現した池田先生から、広布の要諦を学ぶことができる絶好の機会だった。ある時、先生は葛飾のリーダーと共に個人指導に歩き、訪問・激励の心構えについて次のように語った。
「もうこの人には二度と会えないかもしれません。ありったけの思いやりで、精いっぱい真心の指導・激励をしましょう。それが仏の使いです」
「指導とは思い切り聞いてあげることです」
先生は、"高みから教える"のではなく、"同じ目線"で同苦した。激励に当たって心肝に染めるべき御文として、「十法界明因果抄」の一節を拝した。
「もし、自分が彼より立派であるという思いに耐え、乗り越えることができなければ、人を下に軽く見て、トンビのように高い所から人を見下げる行動をとってしまう」(新464・全430、趣意)
自分が偉いと錯覚し、横柄な態度で会員に接することは、すでに仏法者ではないことを訴えたのである。
また、励ましの"スピード"を重視した。ある時、悩みを抱えているメンバーの報告を聞くと、「よし、すぐ行こう」と、自転車に飛び乗った。後日、葛飾の同志が、そのメンバーの家を訪ねると、先生からの手紙が届いていた。皆、先生のこまやかな心配りに胸を熱くした。
「思い切り聞く」「スピード」「心配り」——先生の慈愛の激励を通し、葛飾の同志は、"創価の励ましの魂"を身をもって学んだ。
さらに、葛飾の友が、先生の姿から心に刻んだのは、誠実な振る舞いの大切さである。
個人会場の近隣にある寿司屋から苦情が出たことがあった。会場に多くの同志が集い、騒がしく感じたのである。その報告を聞いた先生は、即座に店主のもとを訪ね、丁寧に事情を説明した。
1958年(昭和33年)9月26日から27日にかけて、狩野川台風が日本を襲った。この台風によって、都内では30万戸以上が浸水の被害に遭った。葛飾でも多数の浸水家屋が出た。
台風が近づいていた25日、先生は大阪事件の第8回公判に出廷。26日の帰路、台風で足止めに遭い、列車内で1泊する。27日、帰京すると、疲労の体を押して、葛飾へと向かったのである。
◇信心とは無疑曰信
葛飾に到着した池田先生は、長靴に履き替えると、同志と共に中川の土手に足を運んだ。豪雨で足元が緩くなった土手沿いを見回り、土のうを積む人を見掛けると、ねぎらいの言葉を掛けた。
先生には、学会員も会員でない人も、分け隔てはなかった。地域のために行動する人をたたえた。この行動こそ地域友好を開く要諦——葛飾の友は、先生の実践を模範とした。
先生が葛飾で総ブロック長として指揮を執ったのは、1957年から59年(同34年)7月の約2年である。
この間、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成に向けて死力を尽くした。「3・16」の"広宣流布の記念式典"など、恩師の戦いの総仕上げの時にあって、先生が葛飾で強調したのは「師弟直結」である。
「皆さんと戸田先生との間には、なんの隔たりもありません。皆さん方一人ひとりが、その精神においては、本来、先生と直結しているんです」
池田先生の激励によって、葛飾の同志は、師匠・戸田先生に心を合わせ、自発能動の挑戦に奮い立っていった。
58年(同33年)4月2日に恩師が逝去し、先生は同年6月から、総務として学会の舵取りを担った。
激闘に次ぐ激闘の中、先生は葛飾に模範のブロック組織を築いていった。
「葛飾のブロックに出席」「『佐渡御書』を講義」(同、58年5月28日)
「夜、葛飾のブロックに出席」「『星落秋風五丈原』を歌いながら帰宅」(同、同年7月23日)
59年7月に葛飾総ブロック長の役職を離れた後も、先生は葛飾の友を見守り続けた。その深い慈愛に包まれた葛飾は、地域広布の水かさを増し、60年(同35年)12月、3総ブロックへと発展した。
先生は葛飾の青年たちに、大切な指針を残している。
一つは、「無疑曰信」(疑い無きを信と曰う)。
ある時、先生は男子部員に、「信心とは何ですか?」と質問した。「勝つことです」と答えるメンバーに、「間違いではないが」と前置きし、「信心とは無疑曰信です」と語った。
もう一つは、扇子に揮毫した「断は確信に通ず」との言葉である。
どんな困難が競い起こっても、広布の戦いをやり抜くとの決断。それこそが、自らの境涯を開き、人間革命を成し遂げる原動力である。
今月、先生の葛飾総ブロック長就任から65周年の佳節を刻む。葛飾総ブロック結成大会で、先生は「この葛飾を、皆で力を合わせ、東京一、いな、日本一の、幸せあふれる地域に」と望んだ。その呼び掛けをわが誓願として、葛飾の同志は使命の天地を駆ける。
葛飾は、先生が手作りで育んだ広布の天地——との誇りに燃えて。
☆大白蓮華巻頭言2022年10月号 「民衆仏法」の本懐いよいよ
日蓮大聖人が「民が子」として「民の家」に聖誕されてより八百星霜−−。太陽の「民衆仏法」が混沌の闇を打ち払って、いよいよ地球民族に平和と希望の大光を贈りゆく時である。
戸田先生の最晩年、師弟して語り合った。
−−あの鎌倉幕府の武家政権下で、熱原の三烈士をはじめ、何ものにも屈しない「師子王の心」の民衆が屹立した。ここに御本仏の「出世の本懐」の成就があり、この直系こそ創価学会に他ならない。だからこそ、戸田の命より大切なのだ−−と。
これほど確固たる生命尊厳の哲理と人間への信頼で結ばれた善なる民衆の連帯は、もう二度と築けないであろう。
「総勘文抄」には、「只今こそ打ち返し、思い直し、悟り返せば、即身成仏は我が身の外には無しと知りぬ」と仰せである。
その通りに、創価の民衆の学びと励ましの大地から、どれほど多くの庶民が「わが生命こそ妙法の当体なり」と立ち上がり、「大間革命の蘇生の大生を歩んできたことか。
今や、まぎれもなく内証は仏である地涌の菩薩の群像が、全世界に躍り出ていることが、我らの誉れである。
六十年前、より良き社会の建設に挑めば挑むほど、定見のない批判が強まると憂える英才に、私は言った。
−−私たちは行動者だ。大哲学を実践し、民衆に貢献している。だから強い。無責任な傍観の言説にも、若き君たちが自信をもって、堂々と見事な論陣を張っていくのだ−−と。
人類史の宿命的な苦悩の流転を押し止め、分断の悪縁に引き裂かれずに、民衆を結び高めるのが、中道の智慧である。
熱原の法難の折の御聖訓に、「恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず何らかの現証が現れる」とある。
気収らず偉ぶらず、我らは無冠の人間王者として、勇敢に楽しく笑い合いながら、広布と人生の本懐を果たしゆこう!
十方の
星のごとくに
後継の
地涌よ凛々しく
民に勇気を
☆2022 10月の学会史
◎10・1「学術部の日」50周年
1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上での、池田大作先生のてい談「生命論」(後に『生命を語る』として出版)の連載開始が淵源。本年で50周年を迎える。
◎10・2「世界平和の日」
1960年(昭和35年)10月2日、恩師・戸田城聖先生の構想実現のため、池田先生が初の海外訪問へ出発。北・南米へ世界広布の第一歩が踏み出された。その日が、後に「世界平和の日」に。
※参考資料=小説『新・人間革命』第1巻「旭日」、第24巻「母の詩」
◎10・5 池田先生の欧州初訪問
1961年(昭和36年)10月5日、池田先生が欧州を初訪問。9カ国を回る平和旅で、欧州広布の礎が築かれた。
※参考資料=『新・人間革命』第4巻「大光」
◎10・7「勝利島部の日」
1978年(昭和53年)10月7日、約120の島の友が集った離島本部(当時)の第1回総会を記念して、「離島部の日」が制定。後に「勝利島部の日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第28巻「勝利島」
◎10・8「中国・師弟原点の日」
1956年(昭和31年)10月8日、青年部の室長だった池田先生は岡山を初訪問し、中国方面に広宣流布の第一歩をしるした。
◎10・9「山口開拓指導」開始の日
1956年(昭和31年)10月9日、池田先生は山口へ。戸田先生の命を受け、山口開拓指導が始まる。翌年1月までの計22日間で、当時の山口の会員世帯数を約10倍に拡大する弘教を達成した。
※参考資料=『人間革命』第11巻「転機」
◎10・18「民音創立記念日」
1963年(昭和38年)10月18日に行われた、民主音楽協会(民音)による初の記念演奏会に由来する。
※参考資料=『新・人間革命』第8巻「清流」
◎10・24「社会部の日」
1973年(昭和48年)10月24日、職場・職域を同じくする同志が、自身を磨き、互いの成長を図ることを目的に結成された。
※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」
◎10・30「クーデンホーフ=カレルギー伯爵との初会談」55周年
1967年(昭和42年)10月30日、池田先生は"欧州統合の父"クーデンホーフ=カレルギー伯爵と東京・信濃町で初の会談を。本年が55周年。
2022年9月30日金曜日
2022.09.30 わが友に贈る
「陰徳あれば陽報あり」
誰が見ていなくとも
自ら進んで広布に尽くす。
その清らかな心に
大いなる功徳が燦然と!
(新1613・全1178)
四条金吾殿御返事 P1186
『神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれどもつかう人によりて物をきり候か』
【通解】
神の守護といっても、人の心が強いことによるということである。法華経はよい剣であるが、その切れ味は使う人によるのである。
【先生の指導から】
強い信心で、正義の言論の宝剣で、痛烈に邪悪を叩き斬ることだ。勇気凛々と勝ち進んでいくことだ。これが、弟子一同に対する大聖人の厳命であるからだ。
名字の言 自分が変われば人は育つ——島根のある支部長の奮闘 2022年9月30日
世界の人口は2100年に約109億人に膨らみ、その後は減少に転じる可能性があるという。国連の「世界人口推計」(2019年)が調査結果を報告している▼作家・河合雅司氏は、少子高齢化で先行する日本の経験が「各国にとってまさに21世紀以降の世界を歩いていくためのガイドブック、羅針盤の役割を果たす」と指摘する(『世界100年カレンダー』朝日新聞出版)。少子高齢化が進む地域で、学会活動に励む友の苦闘も、広布の羅針盤となろう▼島根のある支部長が指針としているのは、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章の一節。「これからは、鳥取や島根など山陰の時代です。ここに、広宣流布の新しいモデルをつくることができれば、日本は変わります」との山本伸一の言葉だ▼かつては人の少なさを嘆くことも。だが、"自分が変われば人は育つ"と訪問・激励を開始。活動に消極的な壮年と、一対一で教学の研さんを重ねた。別の壮年とは3年間、一緒に勤行を続けた。2人の壮年は今、地区部長として活躍。支部では11月の教学部任用試験に挑む男子部員もいる▼自分が責任を担う——その一念に呼応して人材は必ず誕生する。支部長の戦いに、不変の広布の方程式を教わった。
寸鉄 2022年9月30日
SGIには青年の成長の場がある—博士。善友と錬磨しゆく青春の"道場"
きわめてまけじだましいの人—御書。不退の挑戦こそ法華経の行者の誉れ(新1309・全986)
人に与える喜びは自分に返ってくる—哲人。自他共の幸福道を今日も一歩
交通事故死ゼロを目指す日。他者への配慮を忘れず。多忙な時ほど心して
社会課題に関心を寄せる学生が増加と。自らの手で希望を創る気概頼もし
〈社説〉 2022.9.30 あす「学術部の日」50周年
◇民衆に尽くす正義の言論を
新型コロナウイルスが世界に広がり始めたのは、2019年12月。間もなく満3年となる。社会に閉塞感が漂う中にあって、一人一人が"広布に生きる仏法者として、自分には何ができるのか"と考えた期間ではなかったか。
本紙の連載企画「危機の時代を生きる——創価学会学術部編」も、細菌感染症を専門とする一人の学術部員の熱意から始まった。
「今こそ、正しい情報を踏まえながら、人々に希望を送るのが、私たちの使命だと思うのです」
そして20年に学術部編が開始。過去の感染症パンデミック(世界的大流行)の中で宗教が果たした役割や、日蓮大聖人は疫病等の災厄とどう向き合われたのかなど、多様なテーマを取り上げてきた。
学術部員の本業である研究は、一面では時間との戦いだ。競争の激しい分野では、世界中で同じ研究が進む中、一番に成果を発表できるかで評価が分かれる。そんな中でも、メンバーは共生の未来のためにと勇んで筆を執ってきた。
20回目に登場した友は、岩手で圏男子部長などを務めた広布のリーダー。5年前に大学教授の職に就き、現在は地区部長として汗を流す。「確かに多忙ですが、その中で学会活動に挑戦するから、社会でも負けられないとの思いが強まります。何より、活動をすると新しい発想が生まれ、それが自身の勝利にもつながってきました」
あす10月1日は「学術部の日」。淵源は、1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上で開始された、池田先生と学究の友とのてい談「生命論」である(後に『生命を語る』として出版)。
てい談では、当時の研究成果を踏まえ、十界論などの仏法の生命論が、いかに生命の本質を捉えているかが語り合われた。その中で先生が強調したのは、仏法の実践が現実に人間の内なる生命を変え、人類を平和へと導く力となるという点であった。
「部の日」50周年となる本年、先生は「大白蓮華」10月号で、改めてその重要性をつづっている。
「どこまでも実践に即して、自他共の境涯革命、さらには社会変革の指標としてきたのが、学会の生命論の真髄なのです」と。
民衆に尽くす——この実践の中で仏法の正義を証明し、それぞれの分野で勝利の実証を示す学術部員。この「正義・勝利の連帯」のますますの活躍に期待したい。
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 美容師 谷口純子
◇母から継いだ使命のサロン
【プロフィル】たにぐち・じゅんこ 鳥取県米子市で「すがわら美容室」を営む。1961年(昭和36年)入会。分県副女性部長。華峯会(美容関係に携わる女性部のグループ)鳥取総県委員長。
◇今いる場所を幸福の園に
松の緑と白浜の景観が美しい、鳥取県・弓ケ浜半島。日本海に沿って、きれいな弧を描く海岸の近くに、私のサロンはあります。
44年前、実家の1階を改装して、母が始めた2席だけの店。お客さまの多くは常連で、開店当初から通ってくださる方もいて、家族のような間柄です。採れたての野菜を頂くことも。子どもの頃から通ってくださっている方に、結婚式のスピーチを頼まれたこともありました。
コロナ禍で、一人ずつ接客するようになり、以前よりもじっくり話すことが増えました。子どもの将来、親の介護——話は尽きません。施術が終わると、「よう、しゃべったわー」と、笑い声が店を包みます。こうした温かな交流に、幸せをかみ締める日々です。
日蓮大聖人は、「今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所は、山谷曠野、皆、寂光土なり。これを『道場』と云うなり」(新1086・全781)と仰せです。
信心をたもち、実践する人が今いる場所こそ、最高の「道場」であると教えられています。生活している社会を離れて、どこか他に寂光土、つまり理想郷を求めるのではない、との意です。
私にとって、このサロンが"幸福の園"です。そう思えるようになるなんて、美容師を始めた頃は想像もつきませんでした。
◇人間革命の道場
将来の目的が見つからず、無気力だった高校3年の頃、母の勧めもあって美容専門学校に進学。卒業後は化粧品販売の仕事に就きましたが、やる気が起きずに1年で退職してしまいました。
その頃、母が病を患ったこともあり、サロンを手伝うことに。母は、よく語っていました。「人をきれいにして喜んでもらえるなんて、素晴らしい仕事だよ」と。
けれども、勤務時間は長く、土日は休めない。薬剤で手は荒れる——ここでも仕事にやりがいを見いだせず、恵まれた条件の他の仕事をうらやんでばかりでした。
転機は22歳の時。友人から悩みを打ち明けられました。当時、学会活動を避けていた私でしたが、友人の支えになりたくて、一緒に勤行・唱題を実践するように。友人は悩みを乗り越え、前向きになり、翌年、入会することができました。
"友人のために、私も信心を学ぼう"と、責任感が芽生えました。華冠グループ(美容関係に携わる女子部〈当時〉の集い)の会合に参加。皆、必ずしも華々しく働いているわけではありません。
華冠グループで、「技術を磨くことが、自分自身を磨くことだ」との池田先生の指針を教わり、ハッとしました。"私も変われるかもしれない"——ひとたび決めた美容師の道に、私も全力を尽くしてみようと気持ちが改まりました。
朝晩、仕事のことを真剣に祈り、技術の向上に努めました。そのうち、お客さまへ感謝の気持ちを抱けるようになり、接客態度が柔らかくなりました。このサロンが、"人間革命の道場"なんだ!——幸福の園を築くカギは、妙法による自身の一念の変革にあることを確信しました。
◇介護を通して
2010年(平成22年)、一家に試練が訪れます。同居する義父が重度のアルツハイマー型認知症に。徘徊や排せつのトラブルが相次ぎ、暴言や暴力までも……。
まるで、"出口のないトンネル"の中。かつての自分だったら、反発して逃げ出していたかもしれません。しかし、今いる場所で幸福の実証を示すための信心です。一歩も引きたくはありませんでした。
それでも、つらい気持ちを学会の先輩に吐き出すと、"お義父さんの仏性を信じ抜こうね"と励まされました。
大聖人の仏法では、誰もが無限の可能性を発揮できる、仏の生命(仏性)をもつと説きます。そして、あらゆる人に具わる尊厳を敬う大切さを教えています。
4人の子どもたちにも、仏法の生命観を伝え、義父への向き合い方を確かめ合いました。変わりゆく義父の姿に、子どもたちも心を痛めていたからです。
当時、中学3年の長男が、義父の介護をテーマに作文を書きました。作文では、「祖父の心の奥底にある"人間としての尊厳"を尊敬していこう」との夫の言葉を引用。"アルツハイマーの介護は楽しい、と思えるコツを祖父から学べれば"と、結ばれていました。私たち夫婦の思いが届き、一緒に希望を見いだそうとしてくれたことが何よりの喜びでした。
5年間の介護の末、義父は周囲に感謝の思いを告げて霊山へ。大変でしたが、義父のおかげで、家族で信心を深められたことに幸せを感じています。
5年前から、母に認知症の症状が現れました。それでも、母がサロンに一歩足を踏み入れると、パッと仕事人の母に変わります。「純ちゃん、題目しかないよ!」と、信心の確信は健在です。
"母はこの場所で、使命の仕事に懸けてきたんだな"と感慨深くなります。母の人生の総仕上げを、この幸福の園であるサロンで支えていきます。
◇[視点]変毒為薬
谷口さんは、義父をみとった後、義母のくも膜下出血や、自身と両親のがんとも闘い、信心根本に乗り越えました。
仏法は「変毒為薬」の法理を説きます。これは、毒として働く材料を調合して、病を治す薬として使うことを意味します。万人成仏を説く法華経の偉大さと、苦しみに支配された生命(毒)を仏の生命(薬)へと転じていける、妙法の功力を表しています。
日蓮大聖人は「わざわいも転じて幸いとなるべし」(新1633・全1124)と仰せです。人生の途上に起こるどんな苦難も、信心根本の人は、幸福境涯を築く因に転換し、必ず変毒為薬していける——この希望の哲理が、大聖人の仏法なのです。
誰が見ていなくとも
自ら進んで広布に尽くす。
その清らかな心に
大いなる功徳が燦然と!
(新1613・全1178)
四条金吾殿御返事 P1186
『神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれどもつかう人によりて物をきり候か』
【通解】
神の守護といっても、人の心が強いことによるということである。法華経はよい剣であるが、その切れ味は使う人によるのである。
【先生の指導から】
強い信心で、正義の言論の宝剣で、痛烈に邪悪を叩き斬ることだ。勇気凛々と勝ち進んでいくことだ。これが、弟子一同に対する大聖人の厳命であるからだ。
名字の言 自分が変われば人は育つ——島根のある支部長の奮闘 2022年9月30日
世界の人口は2100年に約109億人に膨らみ、その後は減少に転じる可能性があるという。国連の「世界人口推計」(2019年)が調査結果を報告している▼作家・河合雅司氏は、少子高齢化で先行する日本の経験が「各国にとってまさに21世紀以降の世界を歩いていくためのガイドブック、羅針盤の役割を果たす」と指摘する(『世界100年カレンダー』朝日新聞出版)。少子高齢化が進む地域で、学会活動に励む友の苦闘も、広布の羅針盤となろう▼島根のある支部長が指針としているのは、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章の一節。「これからは、鳥取や島根など山陰の時代です。ここに、広宣流布の新しいモデルをつくることができれば、日本は変わります」との山本伸一の言葉だ▼かつては人の少なさを嘆くことも。だが、"自分が変われば人は育つ"と訪問・激励を開始。活動に消極的な壮年と、一対一で教学の研さんを重ねた。別の壮年とは3年間、一緒に勤行を続けた。2人の壮年は今、地区部長として活躍。支部では11月の教学部任用試験に挑む男子部員もいる▼自分が責任を担う——その一念に呼応して人材は必ず誕生する。支部長の戦いに、不変の広布の方程式を教わった。
寸鉄 2022年9月30日
SGIには青年の成長の場がある—博士。善友と錬磨しゆく青春の"道場"
きわめてまけじだましいの人—御書。不退の挑戦こそ法華経の行者の誉れ(新1309・全986)
人に与える喜びは自分に返ってくる—哲人。自他共の幸福道を今日も一歩
交通事故死ゼロを目指す日。他者への配慮を忘れず。多忙な時ほど心して
社会課題に関心を寄せる学生が増加と。自らの手で希望を創る気概頼もし
〈社説〉 2022.9.30 あす「学術部の日」50周年
◇民衆に尽くす正義の言論を
新型コロナウイルスが世界に広がり始めたのは、2019年12月。間もなく満3年となる。社会に閉塞感が漂う中にあって、一人一人が"広布に生きる仏法者として、自分には何ができるのか"と考えた期間ではなかったか。
本紙の連載企画「危機の時代を生きる——創価学会学術部編」も、細菌感染症を専門とする一人の学術部員の熱意から始まった。
「今こそ、正しい情報を踏まえながら、人々に希望を送るのが、私たちの使命だと思うのです」
そして20年に学術部編が開始。過去の感染症パンデミック(世界的大流行)の中で宗教が果たした役割や、日蓮大聖人は疫病等の災厄とどう向き合われたのかなど、多様なテーマを取り上げてきた。
学術部員の本業である研究は、一面では時間との戦いだ。競争の激しい分野では、世界中で同じ研究が進む中、一番に成果を発表できるかで評価が分かれる。そんな中でも、メンバーは共生の未来のためにと勇んで筆を執ってきた。
20回目に登場した友は、岩手で圏男子部長などを務めた広布のリーダー。5年前に大学教授の職に就き、現在は地区部長として汗を流す。「確かに多忙ですが、その中で学会活動に挑戦するから、社会でも負けられないとの思いが強まります。何より、活動をすると新しい発想が生まれ、それが自身の勝利にもつながってきました」
あす10月1日は「学術部の日」。淵源は、1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上で開始された、池田先生と学究の友とのてい談「生命論」である(後に『生命を語る』として出版)。
てい談では、当時の研究成果を踏まえ、十界論などの仏法の生命論が、いかに生命の本質を捉えているかが語り合われた。その中で先生が強調したのは、仏法の実践が現実に人間の内なる生命を変え、人類を平和へと導く力となるという点であった。
「部の日」50周年となる本年、先生は「大白蓮華」10月号で、改めてその重要性をつづっている。
「どこまでも実践に即して、自他共の境涯革命、さらには社会変革の指標としてきたのが、学会の生命論の真髄なのです」と。
民衆に尽くす——この実践の中で仏法の正義を証明し、それぞれの分野で勝利の実証を示す学術部員。この「正義・勝利の連帯」のますますの活躍に期待したい。
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 美容師 谷口純子
◇母から継いだ使命のサロン
【プロフィル】たにぐち・じゅんこ 鳥取県米子市で「すがわら美容室」を営む。1961年(昭和36年)入会。分県副女性部長。華峯会(美容関係に携わる女性部のグループ)鳥取総県委員長。
◇今いる場所を幸福の園に
松の緑と白浜の景観が美しい、鳥取県・弓ケ浜半島。日本海に沿って、きれいな弧を描く海岸の近くに、私のサロンはあります。
44年前、実家の1階を改装して、母が始めた2席だけの店。お客さまの多くは常連で、開店当初から通ってくださる方もいて、家族のような間柄です。採れたての野菜を頂くことも。子どもの頃から通ってくださっている方に、結婚式のスピーチを頼まれたこともありました。
コロナ禍で、一人ずつ接客するようになり、以前よりもじっくり話すことが増えました。子どもの将来、親の介護——話は尽きません。施術が終わると、「よう、しゃべったわー」と、笑い声が店を包みます。こうした温かな交流に、幸せをかみ締める日々です。
日蓮大聖人は、「今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所は、山谷曠野、皆、寂光土なり。これを『道場』と云うなり」(新1086・全781)と仰せです。
信心をたもち、実践する人が今いる場所こそ、最高の「道場」であると教えられています。生活している社会を離れて、どこか他に寂光土、つまり理想郷を求めるのではない、との意です。
私にとって、このサロンが"幸福の園"です。そう思えるようになるなんて、美容師を始めた頃は想像もつきませんでした。
◇人間革命の道場
将来の目的が見つからず、無気力だった高校3年の頃、母の勧めもあって美容専門学校に進学。卒業後は化粧品販売の仕事に就きましたが、やる気が起きずに1年で退職してしまいました。
その頃、母が病を患ったこともあり、サロンを手伝うことに。母は、よく語っていました。「人をきれいにして喜んでもらえるなんて、素晴らしい仕事だよ」と。
けれども、勤務時間は長く、土日は休めない。薬剤で手は荒れる——ここでも仕事にやりがいを見いだせず、恵まれた条件の他の仕事をうらやんでばかりでした。
転機は22歳の時。友人から悩みを打ち明けられました。当時、学会活動を避けていた私でしたが、友人の支えになりたくて、一緒に勤行・唱題を実践するように。友人は悩みを乗り越え、前向きになり、翌年、入会することができました。
"友人のために、私も信心を学ぼう"と、責任感が芽生えました。華冠グループ(美容関係に携わる女子部〈当時〉の集い)の会合に参加。皆、必ずしも華々しく働いているわけではありません。
華冠グループで、「技術を磨くことが、自分自身を磨くことだ」との池田先生の指針を教わり、ハッとしました。"私も変われるかもしれない"——ひとたび決めた美容師の道に、私も全力を尽くしてみようと気持ちが改まりました。
朝晩、仕事のことを真剣に祈り、技術の向上に努めました。そのうち、お客さまへ感謝の気持ちを抱けるようになり、接客態度が柔らかくなりました。このサロンが、"人間革命の道場"なんだ!——幸福の園を築くカギは、妙法による自身の一念の変革にあることを確信しました。
◇介護を通して
2010年(平成22年)、一家に試練が訪れます。同居する義父が重度のアルツハイマー型認知症に。徘徊や排せつのトラブルが相次ぎ、暴言や暴力までも……。
まるで、"出口のないトンネル"の中。かつての自分だったら、反発して逃げ出していたかもしれません。しかし、今いる場所で幸福の実証を示すための信心です。一歩も引きたくはありませんでした。
それでも、つらい気持ちを学会の先輩に吐き出すと、"お義父さんの仏性を信じ抜こうね"と励まされました。
大聖人の仏法では、誰もが無限の可能性を発揮できる、仏の生命(仏性)をもつと説きます。そして、あらゆる人に具わる尊厳を敬う大切さを教えています。
4人の子どもたちにも、仏法の生命観を伝え、義父への向き合い方を確かめ合いました。変わりゆく義父の姿に、子どもたちも心を痛めていたからです。
当時、中学3年の長男が、義父の介護をテーマに作文を書きました。作文では、「祖父の心の奥底にある"人間としての尊厳"を尊敬していこう」との夫の言葉を引用。"アルツハイマーの介護は楽しい、と思えるコツを祖父から学べれば"と、結ばれていました。私たち夫婦の思いが届き、一緒に希望を見いだそうとしてくれたことが何よりの喜びでした。
5年間の介護の末、義父は周囲に感謝の思いを告げて霊山へ。大変でしたが、義父のおかげで、家族で信心を深められたことに幸せを感じています。
5年前から、母に認知症の症状が現れました。それでも、母がサロンに一歩足を踏み入れると、パッと仕事人の母に変わります。「純ちゃん、題目しかないよ!」と、信心の確信は健在です。
"母はこの場所で、使命の仕事に懸けてきたんだな"と感慨深くなります。母の人生の総仕上げを、この幸福の園であるサロンで支えていきます。
◇[視点]変毒為薬
谷口さんは、義父をみとった後、義母のくも膜下出血や、自身と両親のがんとも闘い、信心根本に乗り越えました。
仏法は「変毒為薬」の法理を説きます。これは、毒として働く材料を調合して、病を治す薬として使うことを意味します。万人成仏を説く法華経の偉大さと、苦しみに支配された生命(毒)を仏の生命(薬)へと転じていける、妙法の功力を表しています。
日蓮大聖人は「わざわいも転じて幸いとなるべし」(新1633・全1124)と仰せです。人生の途上に起こるどんな苦難も、信心根本の人は、幸福境涯を築く因に転換し、必ず変毒為薬していける——この希望の哲理が、大聖人の仏法なのです。
2022年9月29日木曜日
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2022.09.29 わが友に贈る
草の根の対話こそ
共生社会を築く道なり。
さあ足元から
大誠実の人間外交を!
強固な民衆の連帯を!
曾谷殿御返事 P1055
『夫れ法華経第一方便品に云く「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云、釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云い智水測り難き故に無量と云う」と』
【通解】
法華経第一方便品第二に「諸仏の智慧は甚深無量である」と説かれている。天台大師の釈には「境の淵が無辺であるので甚深といい智慧の水が測り難いので無量という」とある。
名字の言 「ありがとう」を言うたびに、あなたの心は光ってくる 2022年9月29日
「私が地区女性部長になったことを、先輩が自分のことのように喜んでくれて」。先輩とは、この女性に創価学会の信仰を教えた紹介者。居住地が少し離れているので20年ぶりの再会だった。彼女は伝えた。「先輩がいたから今の私があります。ありがとうございます」▼今月いっぱいで本紙の配達担当を終える壮年。読者宅のポストに新聞を入れる際、「購読してくださり、ありがとうございます」と頭を下げる。読者がいるから配達できる——このことに気が付くのに随分、時間がかかったという▼2人に共通するのは「感謝の心」。自分が、どれだけ多くの人に支えられて生きているか。この自覚が乏しいと、どうしても自分中心となり、相手よりも自分を上に置いてしまう。これでは感謝の心は生まれない▼池田先生は綴る。「『ありがとう』の中には相手への敬意がある。謙虚さがある。人生に対する大いなる肯定がある。前向きの楽観主義がある。強さがある。『ありがとう』と素直に言える心は健康である。だから『ありがとう』を言うたびに、あなたの心は光ってくる」▼当たり前を当たり前と思わず、常に感謝できる人でありたい。本紙を支えてくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます!
寸鉄 2022年9月29日
日中国交正常化50周年。苦難越え先人が咲かせた友誼と信頼の花を万代へ
任用試験、申込締切迫る。仏法は最極の"幸福学"。教える側も共に学び成長
埼玉青年部の日。鉄桶の団結光る広布の人材城。師弟常勝の魂燃やし拡大
信心の力で生活の全てが改善できる—牧口先生。日々、価値創造の挑戦!
変異株対応接種が各地で開始。従来型より重症化予防に効果と。賢く判断
〈社説〉 2022・9・29 きょう日中国交正常化50周年
◇友好の金の橋を未来へつなぐ
1972年9月29日に日中共同声明が調印され、国交が正常化してから、きょうで50周年を迎えた。
この間、両国の政治的関係は、さまざまな変遷をたどり、この数年はコロナ禍の影響もあり、懸案事項に関する対話も思うように進まないままだ。こうした状況の中、今年は文化交流展など、民間レベルの催しが活発に行われている。
政治的な枠組みだけではなく、民衆同士が手を携えられる道をつくる——。池田先生はその信念で、日中友好を築く青年の育成に力を注いできた。西側諸国と中国の溝が深まっていた68年9月、学生部総会で、「日中国交正常化提言」を発表。75年には、国交正常化後初の国費留学生を創価大学に受け入れた。青年らを伴った訪中は10度におよび、創大の教育交流や、民音、東京富士美術館を通じての文化交流が行われてきた。
東日本国際大学客員教授でジャーナリストの西園寺一晃氏が、74年6月、初訪中の途にあった池田先生と懇談した時の模様を自著『「周恩来と池田大作」の一期一会』(潮出版社)に記している。
氏は「日中友好の最大のテーマは?」と質問。未締結だった「日中平和友好条約」を挙げるだろうと予想した。しかし、先生は「いまいちばん大事なのは青年交流です。日中友好は百年の計です。若い人たちが交流し、理解し合っていかなければ、真の友好は築けません」と答えた。氏は驚きを隠せなかったという。
こうした池田先生の思いを受け、学会青年部は30年以上、中華全国青年連合会(全青連)と交流を続けている。昨年も、コロナ禍の中、詩を朗読する動画を両国の青年に募集して鑑賞し合ったほか、オンラインで交流会を行った。
顔の見える交流こそ真に心通うものとなる。意義深き50周年の節目は「私たちにできることは何か」と考える好機ともいえよう。
身近にも友好を深める一歩はあろう。かつて中国人のクラスメートがいたという首都圏の高等部員たち。その友人のことを「誰よりも一生懸命勉強に取り組んでいて、一人の人間として尊敬しています」「とてもオープンな性格で話しやすかった」と語っていた。
日中友好の「金の橋」を未来へつなぐ——。"井戸を掘った人"の思いを継ぎ、交流を深める中でこそ、風雨を越えて不滅の輝きを放つことを忘れまい。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:信心に巡り合えた喜び
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「信心に巡り合えた喜び」がテーマ。愛知県の壮年に話を聞いた。
◇御文
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。』(四条金吾殿御返事、新1623・全1192)
◇通解
どのような兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。法華経薬王品第23に「諸余の怨敵は、皆悉摧滅せり」と説かれる金言は決して空しいはずがない。
◇広布の組織から離れない 結婚を機に入会。続く試練の嵐
1991年(平成3年)、岩田公人さん(58)=愛知・三河創価県長=は、学会2世の妻・美紀さん(51)=圏副女性部長=との結婚を機に、創価学会へ入会した。とはいえ、岩田さんは当時を振り返り、「妻から話を聞いて、"やってみるか"くらいの気持ちで」と笑う。
◇
転機は、岩田さんの父親が末期がんであると判明したこと。
地域の同志が、まるで自分のことのように、毎日、父親の回復を祈り続けてくれた。入院中の父親を夫婦で見舞い、夜遅く帰宅すると、近所の同志が「作りすぎたから食べて」と、手料理を持ってきてくれた。
"赤の他人に、ここまで尽くしてくれるなんて"。岩田さんは、同志の真心に応えるように、自ら御本尊に向かった。やがて、父親は岩田さん夫婦らに見守られる中、安らかに息を引き取った。
その後、夫婦で力を合わせて、感謝の学会活動に励んだ。なかなか子宝に恵まれずに悩んでいたが、岩田さんが5世帯目の弘教を実らせた時、美紀さんが妊娠。ところが、喜んだのもつかの間、流産してしまう。
悲嘆の中、学会の先輩に相談すると、「何があっても信心を貫くこと」と励まされ、負けじ魂を奮い立たせた。
翌年、9世帯目の折伏が成就した時、待望の第1子を授かることができた。その4年後には次男も誕生。「この信心はすごい!」。岩田さんは、御本尊を疑わない不動の一念を固めた。
しかし、試練の荒波は容赦なかった。
2002年、美紀さんの父親が不慮の事故で急逝。同じ頃、美紀さんの母親に認知症の症状が出始めた。家族の心に重くのしかかる現実。
さらにその後、思春期を迎えた子どもとの関係で、夫婦は大きな壁に直面した。
当時、岩田さんは圏長。「夫婦で前に進めば進むほど、"これでもか"と難が押し寄せ、行く手を阻む。次第に妻は心をすり減らして、眠れなくなり、食事も取れなくなって、御本尊に向かえない日も続いたんです。医師からは『不安障害』と言われました」
実は岩田さん自身、職場で人間関係のあつれきに悩んでいた。数百人の部下を抱える重責から逃れるわけにはいかない。歯を食いしばった。美紀さんの代わりに家事の大半を担いながら、仕事に打ち込み、必死で信心に食らいつく毎日。
「毎朝4時に起きて"今日も一日、勝つぞ"と気合を込めて祈る。それから子どもたちの弁当を用意し、出勤する。"ここで倒れてたまるか"という意地だけで、踏ん張りました」
苦境の渦中で拝したのが、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(新1623・全1192)の一節だった。
「小手先の策や方法に走るのではなく、全て御本尊に任せきる。信心に徹する。そうすれば、どんな苦難の壁も必ず打ち破っていけることを、日蓮大聖人は大確信で示されている。拝せば拝すほど、勇気が湧いてきたんです」
美紀さんは、どうだったか。
「当時は、真っ暗なトンネルの中にいるような苦しい日々でした。でも、その中で、夫は常に題目を唱え続けてくれた。"家族の分まで夫が祈ってくれている"。その安心感が、私の心を少しずつ、前に向けてくれたんだと思います」
やがて、薄紙を剥ぐように、美紀さんの体調は快方に向かう。子どもたちも、それぞれが使命の道を自ら選び取り、いつしか、一家の状況は好転していった。
さらに、岩田さん自身も、職場での悩みを乗り越えることができた。「『願兼於業』です。自ら願って背負った宿業です。だから、この信心で乗り越えられない苦難はないんです。私自身、苦しんだあの経験があったからこそ、今、同じことで悩む友に心から同苦できるようになれた。御本尊に感謝は尽きません。信心に巡り合えて本当に良かったです」
岩田さんはなぜ、信心を疑わずに貫けたのか。
「どんなことがあっても、学会組織から離れなかったからです」
師匠の慈愛の指導。温かな同志の励まし。大聖人直結の信心の血脈が流れ通う創価学会にいたからこそ、苦難に負けない力を出せたというのが、岩田さんの確信だ。これまで夫婦で実らせた弘教は、29世帯を数える。
「学会の先輩からは、祈り方を教えてもらいました。それは、『誓願の祈り』『感謝の祈り』『確信の祈り』です。この祈りを重ねて、私たち夫婦は困難を打開しました」と、岩田さんは力を込める。
美紀さんは現在、地区女性部長を兼任し、広布の最前線で同志の激励に奔走。また、介護職に就いて職場で信頼を広げるなど、苦悩の日々がうそのように、はつらつとしている。
美紀さんは笑顔で言葉を継ぐ。
「人生のどん底を見たので、何も怖いものはありません。"こうやれば乗り越えられる"という、信心の戦い方をつかみましたから。私たち夫婦の『法華経の兵法』です」
池田先生はつづっている。
「信心に生き抜く時、いかなる苦悩に直面しようと、『宿命』を『使命』に変えていける。そして我らには、ともに戦う同志がいる。励ましがあり、希望がある。
生き生きとした生命と生命の触れ合い——それが、どれほど、健康長寿の活力の源泉となっていることか。学会こそ、最極の『常楽我浄』の安全地帯なのである」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
祈っても、すぐに現状は変わらないかもしれない。しかし、祈り続けていけば、必ず一番いい方向へ、現実を動かすことができる。その確信を岩田さんは笑顔で語りながら、こう言い添えた。
「ただただ信仰を貫く。それだけです。人生、題目を唱えること以上の『大歓喜』はないですから」
◇[教学コンパス]
仏法には、「八万法蔵」と呼ばれる釈尊の膨大な教説が存在し、それぞれが、仏の偉大さなどを説いている。当然、数千年に及ぶ仏典伝承の過程を一概にまとめることはできないが、あえて大胆に、こう考察してみたい。
——紀元前に説かれた仏教思想は、その後の社会や時代の変容に応じながら、新たな苦悩に直面する人々をいかに救っていくのか、という「問い」に挑み続けた。やがて、時代に即して創出し続けた知恵が、多様な経典群に結実していった、と。
民衆を救済するという、不変の使命を果たすために、むしろ変化し続ける。「変わらない」ために「変わり続ける」ところに、仏法の慈悲と知恵の発露もあると言えまいか。
時代は今、大きな転換点を迎えている。感染症の世界的流行、激動するグローバル経済や社会の状況。未曽有の危機に直面する今こそ、私たち創価学会員は「変わること」を恐れず、広布拡大の新たな挑戦を開始したい。その先に、「力ある真の宗教とは何か」が鮮明に浮き上がるはずだ。
共生社会を築く道なり。
さあ足元から
大誠実の人間外交を!
強固な民衆の連帯を!
曾谷殿御返事 P1055
『夫れ法華経第一方便品に云く「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云、釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云い智水測り難き故に無量と云う」と』
【通解】
法華経第一方便品第二に「諸仏の智慧は甚深無量である」と説かれている。天台大師の釈には「境の淵が無辺であるので甚深といい智慧の水が測り難いので無量という」とある。
名字の言 「ありがとう」を言うたびに、あなたの心は光ってくる 2022年9月29日
「私が地区女性部長になったことを、先輩が自分のことのように喜んでくれて」。先輩とは、この女性に創価学会の信仰を教えた紹介者。居住地が少し離れているので20年ぶりの再会だった。彼女は伝えた。「先輩がいたから今の私があります。ありがとうございます」▼今月いっぱいで本紙の配達担当を終える壮年。読者宅のポストに新聞を入れる際、「購読してくださり、ありがとうございます」と頭を下げる。読者がいるから配達できる——このことに気が付くのに随分、時間がかかったという▼2人に共通するのは「感謝の心」。自分が、どれだけ多くの人に支えられて生きているか。この自覚が乏しいと、どうしても自分中心となり、相手よりも自分を上に置いてしまう。これでは感謝の心は生まれない▼池田先生は綴る。「『ありがとう』の中には相手への敬意がある。謙虚さがある。人生に対する大いなる肯定がある。前向きの楽観主義がある。強さがある。『ありがとう』と素直に言える心は健康である。だから『ありがとう』を言うたびに、あなたの心は光ってくる」▼当たり前を当たり前と思わず、常に感謝できる人でありたい。本紙を支えてくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます!
寸鉄 2022年9月29日
日中国交正常化50周年。苦難越え先人が咲かせた友誼と信頼の花を万代へ
任用試験、申込締切迫る。仏法は最極の"幸福学"。教える側も共に学び成長
埼玉青年部の日。鉄桶の団結光る広布の人材城。師弟常勝の魂燃やし拡大
信心の力で生活の全てが改善できる—牧口先生。日々、価値創造の挑戦!
変異株対応接種が各地で開始。従来型より重症化予防に効果と。賢く判断
〈社説〉 2022・9・29 きょう日中国交正常化50周年
◇友好の金の橋を未来へつなぐ
1972年9月29日に日中共同声明が調印され、国交が正常化してから、きょうで50周年を迎えた。
この間、両国の政治的関係は、さまざまな変遷をたどり、この数年はコロナ禍の影響もあり、懸案事項に関する対話も思うように進まないままだ。こうした状況の中、今年は文化交流展など、民間レベルの催しが活発に行われている。
政治的な枠組みだけではなく、民衆同士が手を携えられる道をつくる——。池田先生はその信念で、日中友好を築く青年の育成に力を注いできた。西側諸国と中国の溝が深まっていた68年9月、学生部総会で、「日中国交正常化提言」を発表。75年には、国交正常化後初の国費留学生を創価大学に受け入れた。青年らを伴った訪中は10度におよび、創大の教育交流や、民音、東京富士美術館を通じての文化交流が行われてきた。
東日本国際大学客員教授でジャーナリストの西園寺一晃氏が、74年6月、初訪中の途にあった池田先生と懇談した時の模様を自著『「周恩来と池田大作」の一期一会』(潮出版社)に記している。
氏は「日中友好の最大のテーマは?」と質問。未締結だった「日中平和友好条約」を挙げるだろうと予想した。しかし、先生は「いまいちばん大事なのは青年交流です。日中友好は百年の計です。若い人たちが交流し、理解し合っていかなければ、真の友好は築けません」と答えた。氏は驚きを隠せなかったという。
こうした池田先生の思いを受け、学会青年部は30年以上、中華全国青年連合会(全青連)と交流を続けている。昨年も、コロナ禍の中、詩を朗読する動画を両国の青年に募集して鑑賞し合ったほか、オンラインで交流会を行った。
顔の見える交流こそ真に心通うものとなる。意義深き50周年の節目は「私たちにできることは何か」と考える好機ともいえよう。
身近にも友好を深める一歩はあろう。かつて中国人のクラスメートがいたという首都圏の高等部員たち。その友人のことを「誰よりも一生懸命勉強に取り組んでいて、一人の人間として尊敬しています」「とてもオープンな性格で話しやすかった」と語っていた。
日中友好の「金の橋」を未来へつなぐ——。"井戸を掘った人"の思いを継ぎ、交流を深める中でこそ、風雨を越えて不滅の輝きを放つことを忘れまい。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:信心に巡り合えた喜び
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「信心に巡り合えた喜び」がテーマ。愛知県の壮年に話を聞いた。
◇御文
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。』(四条金吾殿御返事、新1623・全1192)
◇通解
どのような兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。法華経薬王品第23に「諸余の怨敵は、皆悉摧滅せり」と説かれる金言は決して空しいはずがない。
◇広布の組織から離れない 結婚を機に入会。続く試練の嵐
1991年(平成3年)、岩田公人さん(58)=愛知・三河創価県長=は、学会2世の妻・美紀さん(51)=圏副女性部長=との結婚を機に、創価学会へ入会した。とはいえ、岩田さんは当時を振り返り、「妻から話を聞いて、"やってみるか"くらいの気持ちで」と笑う。
◇
転機は、岩田さんの父親が末期がんであると判明したこと。
地域の同志が、まるで自分のことのように、毎日、父親の回復を祈り続けてくれた。入院中の父親を夫婦で見舞い、夜遅く帰宅すると、近所の同志が「作りすぎたから食べて」と、手料理を持ってきてくれた。
"赤の他人に、ここまで尽くしてくれるなんて"。岩田さんは、同志の真心に応えるように、自ら御本尊に向かった。やがて、父親は岩田さん夫婦らに見守られる中、安らかに息を引き取った。
その後、夫婦で力を合わせて、感謝の学会活動に励んだ。なかなか子宝に恵まれずに悩んでいたが、岩田さんが5世帯目の弘教を実らせた時、美紀さんが妊娠。ところが、喜んだのもつかの間、流産してしまう。
悲嘆の中、学会の先輩に相談すると、「何があっても信心を貫くこと」と励まされ、負けじ魂を奮い立たせた。
翌年、9世帯目の折伏が成就した時、待望の第1子を授かることができた。その4年後には次男も誕生。「この信心はすごい!」。岩田さんは、御本尊を疑わない不動の一念を固めた。
しかし、試練の荒波は容赦なかった。
2002年、美紀さんの父親が不慮の事故で急逝。同じ頃、美紀さんの母親に認知症の症状が出始めた。家族の心に重くのしかかる現実。
さらにその後、思春期を迎えた子どもとの関係で、夫婦は大きな壁に直面した。
当時、岩田さんは圏長。「夫婦で前に進めば進むほど、"これでもか"と難が押し寄せ、行く手を阻む。次第に妻は心をすり減らして、眠れなくなり、食事も取れなくなって、御本尊に向かえない日も続いたんです。医師からは『不安障害』と言われました」
実は岩田さん自身、職場で人間関係のあつれきに悩んでいた。数百人の部下を抱える重責から逃れるわけにはいかない。歯を食いしばった。美紀さんの代わりに家事の大半を担いながら、仕事に打ち込み、必死で信心に食らいつく毎日。
「毎朝4時に起きて"今日も一日、勝つぞ"と気合を込めて祈る。それから子どもたちの弁当を用意し、出勤する。"ここで倒れてたまるか"という意地だけで、踏ん張りました」
苦境の渦中で拝したのが、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(新1623・全1192)の一節だった。
「小手先の策や方法に走るのではなく、全て御本尊に任せきる。信心に徹する。そうすれば、どんな苦難の壁も必ず打ち破っていけることを、日蓮大聖人は大確信で示されている。拝せば拝すほど、勇気が湧いてきたんです」
美紀さんは、どうだったか。
「当時は、真っ暗なトンネルの中にいるような苦しい日々でした。でも、その中で、夫は常に題目を唱え続けてくれた。"家族の分まで夫が祈ってくれている"。その安心感が、私の心を少しずつ、前に向けてくれたんだと思います」
やがて、薄紙を剥ぐように、美紀さんの体調は快方に向かう。子どもたちも、それぞれが使命の道を自ら選び取り、いつしか、一家の状況は好転していった。
さらに、岩田さん自身も、職場での悩みを乗り越えることができた。「『願兼於業』です。自ら願って背負った宿業です。だから、この信心で乗り越えられない苦難はないんです。私自身、苦しんだあの経験があったからこそ、今、同じことで悩む友に心から同苦できるようになれた。御本尊に感謝は尽きません。信心に巡り合えて本当に良かったです」
岩田さんはなぜ、信心を疑わずに貫けたのか。
「どんなことがあっても、学会組織から離れなかったからです」
師匠の慈愛の指導。温かな同志の励まし。大聖人直結の信心の血脈が流れ通う創価学会にいたからこそ、苦難に負けない力を出せたというのが、岩田さんの確信だ。これまで夫婦で実らせた弘教は、29世帯を数える。
「学会の先輩からは、祈り方を教えてもらいました。それは、『誓願の祈り』『感謝の祈り』『確信の祈り』です。この祈りを重ねて、私たち夫婦は困難を打開しました」と、岩田さんは力を込める。
美紀さんは現在、地区女性部長を兼任し、広布の最前線で同志の激励に奔走。また、介護職に就いて職場で信頼を広げるなど、苦悩の日々がうそのように、はつらつとしている。
美紀さんは笑顔で言葉を継ぐ。
「人生のどん底を見たので、何も怖いものはありません。"こうやれば乗り越えられる"という、信心の戦い方をつかみましたから。私たち夫婦の『法華経の兵法』です」
池田先生はつづっている。
「信心に生き抜く時、いかなる苦悩に直面しようと、『宿命』を『使命』に変えていける。そして我らには、ともに戦う同志がいる。励ましがあり、希望がある。
生き生きとした生命と生命の触れ合い——それが、どれほど、健康長寿の活力の源泉となっていることか。学会こそ、最極の『常楽我浄』の安全地帯なのである」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
祈っても、すぐに現状は変わらないかもしれない。しかし、祈り続けていけば、必ず一番いい方向へ、現実を動かすことができる。その確信を岩田さんは笑顔で語りながら、こう言い添えた。
「ただただ信仰を貫く。それだけです。人生、題目を唱えること以上の『大歓喜』はないですから」
◇[教学コンパス]
仏法には、「八万法蔵」と呼ばれる釈尊の膨大な教説が存在し、それぞれが、仏の偉大さなどを説いている。当然、数千年に及ぶ仏典伝承の過程を一概にまとめることはできないが、あえて大胆に、こう考察してみたい。
——紀元前に説かれた仏教思想は、その後の社会や時代の変容に応じながら、新たな苦悩に直面する人々をいかに救っていくのか、という「問い」に挑み続けた。やがて、時代に即して創出し続けた知恵が、多様な経典群に結実していった、と。
民衆を救済するという、不変の使命を果たすために、むしろ変化し続ける。「変わらない」ために「変わり続ける」ところに、仏法の慈悲と知恵の発露もあると言えまいか。
時代は今、大きな転換点を迎えている。感染症の世界的流行、激動するグローバル経済や社会の状況。未曽有の危機に直面する今こそ、私たち創価学会員は「変わること」を恐れず、広布拡大の新たな挑戦を開始したい。その先に、「力ある真の宗教とは何か」が鮮明に浮き上がるはずだ。
2022年9月28日水曜日
2022.09.28 わが友に贈る
近隣とのつながりが
安心・安全の土台だ。
日頃の挨拶を大切に
支え励まし合う
心の絆を強めよう!
松野殿御返事 P1388
『妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん』
【通解】
妙覚の山に走り登って、頂上から四方を御覧なさい。法界は寂光土であり、瑠璃を以って大地とし、黄金の繩で涅槃にいたる八つの道を境とし、天からは曼荼羅華等の四種類の花がふり、虚空に妙なる音楽が聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の四徳の風にそよめいている。我らも、必ずその仏・菩薩の数の内に列なるでしょう。
名字の言 戦後の沖縄復興に尽力した志喜屋孝信氏 2022年9月28日
戦後、沖縄民政府の初代知事を務めた志喜屋孝信氏は、教育者として名高い。故郷のうるま市にはその功績をたたえ、銅像が立つ。教師時代は"ライオン先生"と呼ばれ、厳愛の指導で生徒から慕われた▼教育向上のため私財を投じ、私立中学を開校するが、沖縄戦で焼失。軍事教練の場に立ち、教え子たちを戦場へ送ってしまう。深い悔恨を残し、その自責の念を戦後の復興の誓いにした。郷土の再建に尽力した後、沖縄初の大学の学長に就き、人材育成の礎を築いた▼紀元前3世紀、インド初の統一国家を築いたアショカ大王。かつて"暴君"と恐れられたが、戦乱の地獄図を見て、痛切な後悔の念にさいなまれた。大王は仏教に帰依し、「武力による政治」ではなく、「法による統治」を行った▼インド・ガンジー研究評議会のラダクリシュナン博士は、「最初は暴君と恐れられたアショカ大王でさえ、平和の指導者へと変わることができた。自己を変革することができた」と述べ、「誰もが自分を変えることができる——そうガンジーは見た」と▼人間は必ず変わることができる。変わろうとする一念から、新たな時代の扉も開かれる——史実は、そう教える。一人の人間革命には無限の力がある。
寸鉄 2022年9月28日
開かれた精神性が学会の最大の特色—イタリア博士。差異を超え心結ぶ対話、更に
苦労なくして真の指導者は育たない—戸田先生。青年よ次代担う力今こそ
今日という日は再び来ないと思え—詩人ダンテ。日々、勤行・唱題で新生の出発
小中学生の「摂食障害」が倍増—調査。早期発見が治療の鍵。変化見逃さず
大雨の"災害便乗"詐欺に注意。「無料点検」謳い不要工事行う。呉々も警戒
☆御書と未来へ 第38回 即身成仏の唱題行こそ真の回向
〈御文〉
『過去の慈父尊霊は、存生に南無妙法蓮華経と唱えしかば、即身成仏の人なり。石変じて玉と成るがごとし。孝養の至極と申し候なり。』〈内房女房御返事、新2033・全1423〉
〈通解〉
亡くなったお父様は、存命中に南無妙法蓮華経と唱えたのですから、即身成仏の人なのです。それはちょうど、石が変じて玉となるようなものです。これこそ、最高の親孝行というべきです。
〈池田先生が贈る指針〉
妙法の功力は永遠である。生前、題目を唱えた故人が即身成仏の境涯にあることは、絶対の約束だ。追善の唱題の光明は、信心していない家族にも厳然と届く。
妙法で結ばれた我らは常楽我浄の軌道を「生も歓喜、死も歓喜」と悠々と進みゆけるのだ。
幸の仏縁を広げ、「心の財」を積み、最上の孝養をすがすがしく!
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第20回 病によりて
◇妙心尼御前御返事
『このやまいは仏の御はからいか。そのゆえは、浄名経・涅槃経には、病ある人仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候なり。』(新1963・全1480)
◇勇気の指標
病気になること自体、何ら恥ずかしいことでもないし、まして人生の敗北などでは断じてありません。しかし、「自分は信心しているのに、なぜ」と疑いがもたげたり、「こんな時に病気になって」と苦しんだりする人もいるかもしれません。
だからこそ、「このやまひは仏の御はからひか」と受け止める信心が肝要なのです。偉大な妙法を持つ人が宿命を打開できないはずがありません。
◆◇◆
「道心」とは仏道を求める心です。成仏への軌道に入るということです。妙法の題目を唱え、病気に負けず、立ち向かう中で、実は、一段と大きく仏の境涯を開いていける。より深く、強く、尊く人生を生きていくことができる。そして、「病」や「老」や、「生」と「死」の実相を、恐れなく明らかに見つめられる功徳を満々と得ていけるのです。
◆◇◆
仏法では、病気は生命に本然的に具わっているものと捉えます。
病に直面して、健康の大切さ、生命の尊さを実感していくのです。自身の人生と使命を一重深く見つめ直すことができるのです。
その上で、強盛な信心、不屈の祈りで病魔と闘い、自身の偉大な境涯を築いていく姿は、皆に勇気と希望を贈ります。「病」は、即「使命」です。
◇病魔と闘い偉大な境涯築く 磯部昌継 ドクター部長
池田先生は、ドクター部の友に対して、よく「負けじ魂の善医」と呼びかけてくださいます。
「負けじ魂」といえば、強盛な信心と、医術を通して日蓮大聖人をお守りした四条金吾です。
金吾のごとく、広宣流布の最前線で戦い、自らの生命を磨きながら、どこまでも学会の同志を守り、"生命の世紀"を開く"戦うドクター部"の陣列を築いてまいります。
幸福へのプロセス
コロナ禍が長期化する中で、今こそ「生命尊厳の英知」「福徳長寿の智慧」である日蓮仏法を、先生の講義を通して学び深めていきたいと思います。今回は「妙心尼御前御返事」を拝します。
私は歯科医師として大学病院の口腔外科で臨床に従事した後、現在は自身の歯科医院で診察を行っています。特に大学病院では、口腔がんと闘う多くの患者さんの治療に携わってきました。
どんな人も、生老病死の苦悩からは逃れることはできません。
思いがけず、病気が分かり、"なぜ私が""どうして大切な今この時に"と動揺することもあるかもしれません。
先生はこの御文を拝し、病は"忌み嫌う対象"ではないと述べられ、次のように教えてくださっています。
「むしろ、かけがえのない人生の一部、それも『一生成仏』、すなわち永遠の幸福への欠かせぬプロセスであると捉えるならば、今こそ強盛の信心を燃え上がらせる『まことの時』と確信することができるのではないでしょうか」
◇「妙とは蘇生の義」
私自身、自分や家族の病を通して、このことを強く実感しています。中でも、長女の闘病は、自分にとって大きな経験となっています。
長女が生後7カ月の時、事故で脳出血を起こし、緊急搬送。手術を受け、なんとか一命を取り留めましたが、左半身にまひが残りました。集中治療室での娘の痛々しい姿に、ショックを受けました。
数カ月して退院できましたが、手足のまひを回復させるためのリハビリが始まりました。自分の病気ならまだしも、小さな体で闘う娘の姿に胸をつかれました。当初、医師からは、"今後の発育に関してはどうなるか分からない"と言われていました。
「子どもが病気をとおして親に本当の信心を教えてくれようとしている。絶対に完治させてわが子を広布の人材に育てていこう」「必ず宿命転換していこう」——夫婦して御本尊に必死に祈る中で、語り合いました。
長女はリハビリに励み、徐々に手足が動くように。「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがえる義なり」(新541・全947)の御聖訓を胸に、娘の脳細胞の一つ一つに注ぎ込む思いで、真剣に祈りました。すると、年々、担当医も驚くほど、知能や運動能力が回復。まさに、蘇生の実証を目の当たりにする思いでした。現在、長女は、軽度の障害はありますが、それに負けることなく、私の歯科医院で歯科助手として勤務。また女性部では華陽リーダーとして奮闘しています。
この間、師匠と地域の同志の皆さまにどれほど支えていただいたことか。娘の姿を通して、信心の偉大さを教えていただいたと、感謝の毎日です。
◇価値創造の戦い
先生はさらに、「偉大な妙法を持つ人が宿命を打開できないはずがありません」と強調されています。
病気になった時、「必ず意味がある」と捉えるからこそ、新しい価値創造の戦いが始まります。また、そこに病魔に打ち勝つ鍵があると思います。
また先生は、9月号の「大白蓮華」の巻頭言の中で、仏法は最高の道理であるからこそ、基本の励行を改めて確認されました。具体的には、
・張りのある勤行と献身の行動
・無理と無駄のない生活
・教養のある食生活
・睡眠を十分にとること
・時を逃さない早めの検診や治療
そして、「広宣流布を遂行する、かけがえのない宝器たる我が身を守り抜いていくことだ」と呼びかけてくださっています。
自らの健康を守ることが、広宣流布につながっていく——この確信で、聡明で豊かな生活を心がけ、創立100周年へ、はつらつと前進していきましょう。
◇メモ
「妙心尼御前御返事」は、病の夫・高橋入道を見守り支える妙心尼に対して、厳愛の励ましを送られたお手紙。夫妻は、駿河国(静岡県中央部)の富士方面に住む門下で、高橋入道は、この時期、重い病だった。
安心・安全の土台だ。
日頃の挨拶を大切に
支え励まし合う
心の絆を強めよう!
松野殿御返事 P1388
『妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん』
【通解】
妙覚の山に走り登って、頂上から四方を御覧なさい。法界は寂光土であり、瑠璃を以って大地とし、黄金の繩で涅槃にいたる八つの道を境とし、天からは曼荼羅華等の四種類の花がふり、虚空に妙なる音楽が聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の四徳の風にそよめいている。我らも、必ずその仏・菩薩の数の内に列なるでしょう。
名字の言 戦後の沖縄復興に尽力した志喜屋孝信氏 2022年9月28日
戦後、沖縄民政府の初代知事を務めた志喜屋孝信氏は、教育者として名高い。故郷のうるま市にはその功績をたたえ、銅像が立つ。教師時代は"ライオン先生"と呼ばれ、厳愛の指導で生徒から慕われた▼教育向上のため私財を投じ、私立中学を開校するが、沖縄戦で焼失。軍事教練の場に立ち、教え子たちを戦場へ送ってしまう。深い悔恨を残し、その自責の念を戦後の復興の誓いにした。郷土の再建に尽力した後、沖縄初の大学の学長に就き、人材育成の礎を築いた▼紀元前3世紀、インド初の統一国家を築いたアショカ大王。かつて"暴君"と恐れられたが、戦乱の地獄図を見て、痛切な後悔の念にさいなまれた。大王は仏教に帰依し、「武力による政治」ではなく、「法による統治」を行った▼インド・ガンジー研究評議会のラダクリシュナン博士は、「最初は暴君と恐れられたアショカ大王でさえ、平和の指導者へと変わることができた。自己を変革することができた」と述べ、「誰もが自分を変えることができる——そうガンジーは見た」と▼人間は必ず変わることができる。変わろうとする一念から、新たな時代の扉も開かれる——史実は、そう教える。一人の人間革命には無限の力がある。
寸鉄 2022年9月28日
開かれた精神性が学会の最大の特色—イタリア博士。差異を超え心結ぶ対話、更に
苦労なくして真の指導者は育たない—戸田先生。青年よ次代担う力今こそ
今日という日は再び来ないと思え—詩人ダンテ。日々、勤行・唱題で新生の出発
小中学生の「摂食障害」が倍増—調査。早期発見が治療の鍵。変化見逃さず
大雨の"災害便乗"詐欺に注意。「無料点検」謳い不要工事行う。呉々も警戒
☆御書と未来へ 第38回 即身成仏の唱題行こそ真の回向
〈御文〉
『過去の慈父尊霊は、存生に南無妙法蓮華経と唱えしかば、即身成仏の人なり。石変じて玉と成るがごとし。孝養の至極と申し候なり。』〈内房女房御返事、新2033・全1423〉
〈通解〉
亡くなったお父様は、存命中に南無妙法蓮華経と唱えたのですから、即身成仏の人なのです。それはちょうど、石が変じて玉となるようなものです。これこそ、最高の親孝行というべきです。
〈池田先生が贈る指針〉
妙法の功力は永遠である。生前、題目を唱えた故人が即身成仏の境涯にあることは、絶対の約束だ。追善の唱題の光明は、信心していない家族にも厳然と届く。
妙法で結ばれた我らは常楽我浄の軌道を「生も歓喜、死も歓喜」と悠々と進みゆけるのだ。
幸の仏縁を広げ、「心の財」を積み、最上の孝養をすがすがしく!
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第20回 病によりて
◇妙心尼御前御返事
『このやまいは仏の御はからいか。そのゆえは、浄名経・涅槃経には、病ある人仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候なり。』(新1963・全1480)
◇勇気の指標
病気になること自体、何ら恥ずかしいことでもないし、まして人生の敗北などでは断じてありません。しかし、「自分は信心しているのに、なぜ」と疑いがもたげたり、「こんな時に病気になって」と苦しんだりする人もいるかもしれません。
だからこそ、「このやまひは仏の御はからひか」と受け止める信心が肝要なのです。偉大な妙法を持つ人が宿命を打開できないはずがありません。
◆◇◆
「道心」とは仏道を求める心です。成仏への軌道に入るということです。妙法の題目を唱え、病気に負けず、立ち向かう中で、実は、一段と大きく仏の境涯を開いていける。より深く、強く、尊く人生を生きていくことができる。そして、「病」や「老」や、「生」と「死」の実相を、恐れなく明らかに見つめられる功徳を満々と得ていけるのです。
◆◇◆
仏法では、病気は生命に本然的に具わっているものと捉えます。
病に直面して、健康の大切さ、生命の尊さを実感していくのです。自身の人生と使命を一重深く見つめ直すことができるのです。
その上で、強盛な信心、不屈の祈りで病魔と闘い、自身の偉大な境涯を築いていく姿は、皆に勇気と希望を贈ります。「病」は、即「使命」です。
◇病魔と闘い偉大な境涯築く 磯部昌継 ドクター部長
池田先生は、ドクター部の友に対して、よく「負けじ魂の善医」と呼びかけてくださいます。
「負けじ魂」といえば、強盛な信心と、医術を通して日蓮大聖人をお守りした四条金吾です。
金吾のごとく、広宣流布の最前線で戦い、自らの生命を磨きながら、どこまでも学会の同志を守り、"生命の世紀"を開く"戦うドクター部"の陣列を築いてまいります。
幸福へのプロセス
コロナ禍が長期化する中で、今こそ「生命尊厳の英知」「福徳長寿の智慧」である日蓮仏法を、先生の講義を通して学び深めていきたいと思います。今回は「妙心尼御前御返事」を拝します。
私は歯科医師として大学病院の口腔外科で臨床に従事した後、現在は自身の歯科医院で診察を行っています。特に大学病院では、口腔がんと闘う多くの患者さんの治療に携わってきました。
どんな人も、生老病死の苦悩からは逃れることはできません。
思いがけず、病気が分かり、"なぜ私が""どうして大切な今この時に"と動揺することもあるかもしれません。
先生はこの御文を拝し、病は"忌み嫌う対象"ではないと述べられ、次のように教えてくださっています。
「むしろ、かけがえのない人生の一部、それも『一生成仏』、すなわち永遠の幸福への欠かせぬプロセスであると捉えるならば、今こそ強盛の信心を燃え上がらせる『まことの時』と確信することができるのではないでしょうか」
◇「妙とは蘇生の義」
私自身、自分や家族の病を通して、このことを強く実感しています。中でも、長女の闘病は、自分にとって大きな経験となっています。
長女が生後7カ月の時、事故で脳出血を起こし、緊急搬送。手術を受け、なんとか一命を取り留めましたが、左半身にまひが残りました。集中治療室での娘の痛々しい姿に、ショックを受けました。
数カ月して退院できましたが、手足のまひを回復させるためのリハビリが始まりました。自分の病気ならまだしも、小さな体で闘う娘の姿に胸をつかれました。当初、医師からは、"今後の発育に関してはどうなるか分からない"と言われていました。
「子どもが病気をとおして親に本当の信心を教えてくれようとしている。絶対に完治させてわが子を広布の人材に育てていこう」「必ず宿命転換していこう」——夫婦して御本尊に必死に祈る中で、語り合いました。
長女はリハビリに励み、徐々に手足が動くように。「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがえる義なり」(新541・全947)の御聖訓を胸に、娘の脳細胞の一つ一つに注ぎ込む思いで、真剣に祈りました。すると、年々、担当医も驚くほど、知能や運動能力が回復。まさに、蘇生の実証を目の当たりにする思いでした。現在、長女は、軽度の障害はありますが、それに負けることなく、私の歯科医院で歯科助手として勤務。また女性部では華陽リーダーとして奮闘しています。
この間、師匠と地域の同志の皆さまにどれほど支えていただいたことか。娘の姿を通して、信心の偉大さを教えていただいたと、感謝の毎日です。
◇価値創造の戦い
先生はさらに、「偉大な妙法を持つ人が宿命を打開できないはずがありません」と強調されています。
病気になった時、「必ず意味がある」と捉えるからこそ、新しい価値創造の戦いが始まります。また、そこに病魔に打ち勝つ鍵があると思います。
また先生は、9月号の「大白蓮華」の巻頭言の中で、仏法は最高の道理であるからこそ、基本の励行を改めて確認されました。具体的には、
・張りのある勤行と献身の行動
・無理と無駄のない生活
・教養のある食生活
・睡眠を十分にとること
・時を逃さない早めの検診や治療
そして、「広宣流布を遂行する、かけがえのない宝器たる我が身を守り抜いていくことだ」と呼びかけてくださっています。
自らの健康を守ることが、広宣流布につながっていく——この確信で、聡明で豊かな生活を心がけ、創立100周年へ、はつらつと前進していきましょう。
◇メモ
「妙心尼御前御返事」は、病の夫・高橋入道を見守り支える妙心尼に対して、厳愛の励ましを送られたお手紙。夫妻は、駿河国(静岡県中央部)の富士方面に住む門下で、高橋入道は、この時期、重い病だった。
2022年9月27日火曜日
2022.09.27 わが友に贈る�
☆危機の時代を生きる インタビュー ジャーナリスト 田原総一朗氏
◇「宗教のための人間」か 「人間のための宗教」か
ジャーナリストの田原総一朗氏が、長年の取材をもとに著した『創価学会』(毎日新聞出版)。その文庫版が7月に発刊された。高度成長の時代から創価学会に強い関心を持ち、取材を重ねてきた田原氏は、危機に直面する現代をどう見つめているのか。今、宗教が果たすべき役割についてインタビューした。
◇排除の壁
——気候変動、コロナ禍、ウクライナ危機と、人類的課題が相次いでいます。
非常に大きいのは地球環境問題でしょう。このままいけば、30〜40年後には地球に住めなくなるかもしれない。パリ協定(産業革命以降の平均気温上昇を2度、理想的には1・5度未満に抑えることを目指す国際枠組み)が結ばれ、できるだけ早く石炭や石油といった化石燃料の使用を減らすなど、エネルギー政策を見直していこうという動きがありますが、福島原発事故の影響もあり、原子力発電をどうしていくかという一つをとっても、明確な答えが出にくい難題です。
そして、カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)に向けて世界が踏み出そうとした矢先のコロナ禍、今年のウクライナ危機です。常に変化を続ける時代にあって、私たちはどう生きていくべきか。本来、その生きる軸となるべきものが宗教であったはずです。そうした時に起きてしまったのが安倍晋三元首相の銃撃事件でした。
容疑者は、母親が団体に家庭を破綻させるほどの献金をしたと供述しています。この母親にとっては、いわば生活を犠牲にすることが信仰の強さを示すものとなっていた。
まず言いたいのは、目的や手段を間違った宗教は、いつか深刻な事態を引き起こすという点です。極端な話ですが、宗教には、ともすれば人を殺めたり傷つけたりすることを正当化するような教義を持つものもある。また、信仰心が強いほど、他の宗教を認められなかったり、排除しようとしたりすることもある。宗教には、そのような怖さや危険性があることを知っておかなければならない。
こうした、いわば「排除の壁」というものに、宗教はどう向き合うのか。果たして宗教はこの壁を乗り越えていけるのか。そこに僕は注目してきました。
——長年、創価学会を見つめてこられました。
僕は、戦後初期の創価学会も、この宗教における「排除の壁」という問題に陥っているのではないかと感じていました。信仰への確信ゆえに、自分たちと異なる意見を認めることができない、だから民主主義とも相いれないと思っていた。公明党が誕生し、政界に進出した時も、この矛盾をどう解消していくのか注目していたんです。
でも池田大作会長(当時)は、その壁を克服した。創価学会が現在のように発展できた理由は、三つあると思っています。
まず、言論・出版問題(1970年ごろ)をきっかけに、それまでの在り方を見直して、機構改革などに取り組み、より近代的な組織として生まれ変わったこと。地域に根差し、親しまれる創価学会を目指して、社会との関係を構築していくようになりました。
二つ目に、宗教的な寛容性の高まり。初期の創価学会では、他の宗教を時に「邪宗」と言い切るなど、攻撃的、排他的な部分があったが、70年の本部総会で会長は、弘教において行き過ぎの絶対にないよう、道理を尽くした対話であるべきことを確認しています。「邪宗」という言葉も「他宗」へと変わっていきました。
三つ目に、「人間あっての宗教」と言い切ったこと。池田会長は「仏教史観を語る」という講演(77年1月)で、「"宗教のための人間"から"人間のための宗教"への大転回点が、実に仏教の発祥だったのであります」と述べています。
「人間あっての宗教」ではなく、「宗教あっての人間」となれば、人間が宗教の手段になってしまい、やがては生活や人生、家族を破綻させかねません。その意味からも、この池田会長の言葉は、宗教の在り方を問う普遍性のある指摘です。僕は、よくぞ言ってくれたと思っています。
この講演では「仏教はいかにあるべきか」について語っていますが、これは日蓮正宗、つまり宗門の激しい怒りを買い、第1次宗門問題のきっかけともなりました。やがて池田会長は辞任を余儀なくされ、名誉会長となります。部外者として見れば、会長辞任は敗北にも見える幕引きです。しかし名誉会長は、さらなる世界広宣流布へと踏み出す好機と捉えていきました。
名誉会長は宗門問題以前から、宗教間の対話にも意欲的で、むしろ対立するような思想の人とも、忌憚なく本音で語り合うことを是としてきた。そうした対話もさらなる広がりを見せていきます。
振り返れば、言論・出版問題や宗門問題といった窮地に、創価学会は何度も直面してきた。そのたびに誰もが、創価学会は間違いなく衰退すると予測しました。僕もその一人です。でも創価学会は、その推測を見事に裏切り、その都度、驚くべきエネルギーをもってピンチをチャンスに変え、逆境を乗り越えてきた。この過程で、創価学会は「人間のための宗教」として成熟し、宗教における「排除の壁」をも乗り越えた。これはとても大きい意義を持つし、僕の見る限り、他には成し遂げられなかったことだと思うんです。
◇信仰と理性
——73年、初めて池田名誉会長を取材された時、「信仰と理性」の関係について話題になったそうですね。
この時の僕は、信仰とは、理性をかなぐり捨てて、ひたすら祈りを捧げることで成り立つものだと考えていました。ただ「理性には限界があるから、宗教が必要だ」という人も多く知っていた。それで「人間は理性だけじゃ生きられないですよね。だから宗教が必要なのでは?」と質問したんです。
すると"理性というのは非常に大事にすべきだ。理性に限界があるなんて言ってもらっては困る"と、思いがけない答えが返ってきた。
僕が大変に尊敬し、親しくしていた人に、哲学者の梅原猛さんがいます。彼はカント、デカルト、ニーチェをやった後に、釈迦の研究を始めた。「なぜ釈迦を?」と聞くと、「田原さん、人間っていうのは理性だけでは生きていけない」「心は理性だけじゃない。どうしても宗教が必要になる」と言うんです。
理性を大事にする哲学者が宗教の重要性を語り、一方で、信仰を大事にする宗教者が理性の重要性を語っている。
名誉会長は"人間がものを考える際の基本は理性です。だから理性をなくしてはいけません。理性があり、さらに信仰がある。この二つはなんら矛盾していません"とも言っていました。
理性を最大限に働かせていく中に、信仰を位置付けていたことに驚きました。
——今、求められる宗教の価値とは何でしょうか?
人生とは一体何なのか。そこを追求して、「生きる意味」を見いだしていけるのが宗教だと思います。
僕も生きる意味について、必死に探した時期があります。答えを得るために、ある新興宗教の合宿に参加したこともある。そこでは因果応報を説いていました。現世が良くないのは、前世での行いが良くないから——というものです。
多くの宗教で「救い」が説かれていますが、そのほとんどは、あくまで死後や来世での救いを言っている。一方で創価学会は、この世で「宿命転換」や「人間革命」ができるという。
現世で成果が出るというのは、創価学会の新しさであり、強みですね。今、自分の人生に希望が持てる。ここが大きな特徴だと思います。
僕が初めて創価学会を取材したのは、テレビディレクターをしていた64年のことです。「人間革命」という言葉を聞いて、疑問に思っていた。革命っていったら、権力を打ち倒す改革じゃないか。人間を革命するなんて、どうやるのか。そんなことが果たしてできるのかって。
◇息づく母性原理
——取材を女性から始められたそうですね。
日本の社会で弱い立場に立たされてきた女性が、創価学会の中でどのように活動しているのか。20人ほどの女性を取材しましたが、皆、例外なく、池田名誉会長への信頼を語ってくれました。宗教団体のリーダーだからというのではなく、身近な次元でつながっているという実感です。この絆、一体感が創価学会の強さなのだと思います。
ここで付け加えれば、創価学会の平和への思いは、女性の学会員の存在抜きには語れないとも感じています。なぜなら、彼女たちの活動には、真に平和を願い、生命を慈しむ「母性原理」が息づいているから。僕は、競争や強権を旨とするような「男性原理」だけでは、本当の平和は訪れないと思っている。
名誉会長のスピーチや著作からは、その平和の思想の根底に、母性原理が存在することが見てとれます。創価学会の女性が、さまざまな活動の担い手として立ち、公明党の支援にも全力を尽くせるのは、名誉会長のそうした信念と深く重なっていることを実感できているからなんでしょう。
——平和への思いを、お聞かせください。
僕は戦争を知る最後の世代。それは、ある意味で幸せなことだと思っています。
玉音放送を聞いたのは、小学5年の夏休みでした。
終戦前、ラジオや新聞が、こぞって国民の英雄だと褒めたたえていた人が非難された。アジアの国々を独立させ、植民地を解放する「正義の戦争」だと信じていたのに、「戦争は悪」だと180度変わったんです。
ところが高校に入学すると朝鮮戦争が始まり、そこで「戦争反対」と言ったら「お前はいつから共産党になったんだ」と叱られた。
偉い人やマスコミは信用できない——これがジャーナリストになったきっかけです。伝聞や推定じゃなく、1次情報を自分でちゃんと確かめなきゃいけない。
今、僕の生きる目的は三つあります。
一つ目に、言論の自由を絶対に守る。
二つ目に、日本に戦争をさせない。戦争を肯定するような人間には、断固、反対して、糾弾する。
三つ目に、政治を活性化させたい。その3点ですね。
◇一期一会の絆
——創価学会の海外における発展を、どうご覧になりますか。
いくら国内で大きくなったとはいっても、正直なところ、世界の壁は非常に厚いだろうと思っていました。鎌倉時代の歴史的背景がある純日本宗教だし、経典も題目も漢字で書かれています。日本の植民地支配によって、反日感情が根強く残っている国だってある。でも、創価学会は世界でも発展を続けている。それは数を見ても顕著です。
仏教や日蓮のことを知らない、もともと別の宗教を信仰していた人たちが、なぜ創価学会を選ぶのか。海外の幹部にもインタビューしました。魅力や入会動機は千差万別でしたけれど、共通していたのは、信仰したことで成長できたという自己変革体験、つまり「人間革命」の経験です。それを成し遂げた歓喜が、信仰の手応えとなっているようでした。
僕が注目しているのは、池田名誉会長の信仰観です。人間の幸福は、あくまで自身の強い生命力によって獲得できるものであり、その生命力を引き出すのが信仰であると考えられていますよね。反対に、困難に打ち勝とうとする闘争心を萎えさせるなら、それは信仰ではないと見ている。海外にあっても、人間の内面を強くする信仰の在り方が鍵となってくるのではないかと感じています。
◇逆境に臆せず立ち向かう そこに創価学会の真価が
——世界宗教への道程と挑戦にあって、何が重要でしょうか。
日本の宗教として前人未到の領域に踏み込むことであり、当然、困難は避けられないでしょう。ただ僕は、その答えはすでに示されていると思う。
池田名誉会長が作家の松本清張と対談するため、京都を訪れた折のことです。車が赤信号で止まった時、オートバイに乗っていた2人の少年が、車内の名誉会長に手を振った。名誉会長も窓から手を出して振り返した。しかし、すぐに信号が青に変わり、車とオートバイはそれぞれ走り出してしまう。そこで名誉会長は「あの2人の少年を何とか捜し出せないか」と。
その夜、何と2人の名前と住所が判明します。名誉会長は手元にあった著書に署名して贈り、その後も会って激励を重ねています。
一回、会った人を非常に大事にする。そのままにはしない。この「一期一会」のエピソードには、一人をどこまでも尊重し、大切に励まし、人間革命や宿命転換の挑戦を支える結び付きがある。それはどんな国や社会にあっても、根源的な価値と言えるでしょう。現に世界では、名誉会長と会ったことがない若い世代の学会員たちが、名誉会長の指針を学び、生きる希望を与え合いながら発展を続けていますよね。
これからも、苦難や逆境にひるむことなく、励まし合って立ち向かっていく。そこに創価学会の真価が発揮されていくのではないでしょうか。
この時代の危機をどのように転換していけるのか、注目しています。
◇「宗教のための人間」か 「人間のための宗教」か
ジャーナリストの田原総一朗氏が、長年の取材をもとに著した『創価学会』(毎日新聞出版)。その文庫版が7月に発刊された。高度成長の時代から創価学会に強い関心を持ち、取材を重ねてきた田原氏は、危機に直面する現代をどう見つめているのか。今、宗教が果たすべき役割についてインタビューした。
◇排除の壁
——気候変動、コロナ禍、ウクライナ危機と、人類的課題が相次いでいます。
非常に大きいのは地球環境問題でしょう。このままいけば、30〜40年後には地球に住めなくなるかもしれない。パリ協定(産業革命以降の平均気温上昇を2度、理想的には1・5度未満に抑えることを目指す国際枠組み)が結ばれ、できるだけ早く石炭や石油といった化石燃料の使用を減らすなど、エネルギー政策を見直していこうという動きがありますが、福島原発事故の影響もあり、原子力発電をどうしていくかという一つをとっても、明確な答えが出にくい難題です。
そして、カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)に向けて世界が踏み出そうとした矢先のコロナ禍、今年のウクライナ危機です。常に変化を続ける時代にあって、私たちはどう生きていくべきか。本来、その生きる軸となるべきものが宗教であったはずです。そうした時に起きてしまったのが安倍晋三元首相の銃撃事件でした。
容疑者は、母親が団体に家庭を破綻させるほどの献金をしたと供述しています。この母親にとっては、いわば生活を犠牲にすることが信仰の強さを示すものとなっていた。
まず言いたいのは、目的や手段を間違った宗教は、いつか深刻な事態を引き起こすという点です。極端な話ですが、宗教には、ともすれば人を殺めたり傷つけたりすることを正当化するような教義を持つものもある。また、信仰心が強いほど、他の宗教を認められなかったり、排除しようとしたりすることもある。宗教には、そのような怖さや危険性があることを知っておかなければならない。
こうした、いわば「排除の壁」というものに、宗教はどう向き合うのか。果たして宗教はこの壁を乗り越えていけるのか。そこに僕は注目してきました。
——長年、創価学会を見つめてこられました。
僕は、戦後初期の創価学会も、この宗教における「排除の壁」という問題に陥っているのではないかと感じていました。信仰への確信ゆえに、自分たちと異なる意見を認めることができない、だから民主主義とも相いれないと思っていた。公明党が誕生し、政界に進出した時も、この矛盾をどう解消していくのか注目していたんです。
でも池田大作会長(当時)は、その壁を克服した。創価学会が現在のように発展できた理由は、三つあると思っています。
まず、言論・出版問題(1970年ごろ)をきっかけに、それまでの在り方を見直して、機構改革などに取り組み、より近代的な組織として生まれ変わったこと。地域に根差し、親しまれる創価学会を目指して、社会との関係を構築していくようになりました。
二つ目に、宗教的な寛容性の高まり。初期の創価学会では、他の宗教を時に「邪宗」と言い切るなど、攻撃的、排他的な部分があったが、70年の本部総会で会長は、弘教において行き過ぎの絶対にないよう、道理を尽くした対話であるべきことを確認しています。「邪宗」という言葉も「他宗」へと変わっていきました。
三つ目に、「人間あっての宗教」と言い切ったこと。池田会長は「仏教史観を語る」という講演(77年1月)で、「"宗教のための人間"から"人間のための宗教"への大転回点が、実に仏教の発祥だったのであります」と述べています。
「人間あっての宗教」ではなく、「宗教あっての人間」となれば、人間が宗教の手段になってしまい、やがては生活や人生、家族を破綻させかねません。その意味からも、この池田会長の言葉は、宗教の在り方を問う普遍性のある指摘です。僕は、よくぞ言ってくれたと思っています。
この講演では「仏教はいかにあるべきか」について語っていますが、これは日蓮正宗、つまり宗門の激しい怒りを買い、第1次宗門問題のきっかけともなりました。やがて池田会長は辞任を余儀なくされ、名誉会長となります。部外者として見れば、会長辞任は敗北にも見える幕引きです。しかし名誉会長は、さらなる世界広宣流布へと踏み出す好機と捉えていきました。
名誉会長は宗門問題以前から、宗教間の対話にも意欲的で、むしろ対立するような思想の人とも、忌憚なく本音で語り合うことを是としてきた。そうした対話もさらなる広がりを見せていきます。
振り返れば、言論・出版問題や宗門問題といった窮地に、創価学会は何度も直面してきた。そのたびに誰もが、創価学会は間違いなく衰退すると予測しました。僕もその一人です。でも創価学会は、その推測を見事に裏切り、その都度、驚くべきエネルギーをもってピンチをチャンスに変え、逆境を乗り越えてきた。この過程で、創価学会は「人間のための宗教」として成熟し、宗教における「排除の壁」をも乗り越えた。これはとても大きい意義を持つし、僕の見る限り、他には成し遂げられなかったことだと思うんです。
◇信仰と理性
——73年、初めて池田名誉会長を取材された時、「信仰と理性」の関係について話題になったそうですね。
この時の僕は、信仰とは、理性をかなぐり捨てて、ひたすら祈りを捧げることで成り立つものだと考えていました。ただ「理性には限界があるから、宗教が必要だ」という人も多く知っていた。それで「人間は理性だけじゃ生きられないですよね。だから宗教が必要なのでは?」と質問したんです。
すると"理性というのは非常に大事にすべきだ。理性に限界があるなんて言ってもらっては困る"と、思いがけない答えが返ってきた。
僕が大変に尊敬し、親しくしていた人に、哲学者の梅原猛さんがいます。彼はカント、デカルト、ニーチェをやった後に、釈迦の研究を始めた。「なぜ釈迦を?」と聞くと、「田原さん、人間っていうのは理性だけでは生きていけない」「心は理性だけじゃない。どうしても宗教が必要になる」と言うんです。
理性を大事にする哲学者が宗教の重要性を語り、一方で、信仰を大事にする宗教者が理性の重要性を語っている。
名誉会長は"人間がものを考える際の基本は理性です。だから理性をなくしてはいけません。理性があり、さらに信仰がある。この二つはなんら矛盾していません"とも言っていました。
理性を最大限に働かせていく中に、信仰を位置付けていたことに驚きました。
——今、求められる宗教の価値とは何でしょうか?
人生とは一体何なのか。そこを追求して、「生きる意味」を見いだしていけるのが宗教だと思います。
僕も生きる意味について、必死に探した時期があります。答えを得るために、ある新興宗教の合宿に参加したこともある。そこでは因果応報を説いていました。現世が良くないのは、前世での行いが良くないから——というものです。
多くの宗教で「救い」が説かれていますが、そのほとんどは、あくまで死後や来世での救いを言っている。一方で創価学会は、この世で「宿命転換」や「人間革命」ができるという。
現世で成果が出るというのは、創価学会の新しさであり、強みですね。今、自分の人生に希望が持てる。ここが大きな特徴だと思います。
僕が初めて創価学会を取材したのは、テレビディレクターをしていた64年のことです。「人間革命」という言葉を聞いて、疑問に思っていた。革命っていったら、権力を打ち倒す改革じゃないか。人間を革命するなんて、どうやるのか。そんなことが果たしてできるのかって。
◇息づく母性原理
——取材を女性から始められたそうですね。
日本の社会で弱い立場に立たされてきた女性が、創価学会の中でどのように活動しているのか。20人ほどの女性を取材しましたが、皆、例外なく、池田名誉会長への信頼を語ってくれました。宗教団体のリーダーだからというのではなく、身近な次元でつながっているという実感です。この絆、一体感が創価学会の強さなのだと思います。
ここで付け加えれば、創価学会の平和への思いは、女性の学会員の存在抜きには語れないとも感じています。なぜなら、彼女たちの活動には、真に平和を願い、生命を慈しむ「母性原理」が息づいているから。僕は、競争や強権を旨とするような「男性原理」だけでは、本当の平和は訪れないと思っている。
名誉会長のスピーチや著作からは、その平和の思想の根底に、母性原理が存在することが見てとれます。創価学会の女性が、さまざまな活動の担い手として立ち、公明党の支援にも全力を尽くせるのは、名誉会長のそうした信念と深く重なっていることを実感できているからなんでしょう。
——平和への思いを、お聞かせください。
僕は戦争を知る最後の世代。それは、ある意味で幸せなことだと思っています。
玉音放送を聞いたのは、小学5年の夏休みでした。
終戦前、ラジオや新聞が、こぞって国民の英雄だと褒めたたえていた人が非難された。アジアの国々を独立させ、植民地を解放する「正義の戦争」だと信じていたのに、「戦争は悪」だと180度変わったんです。
ところが高校に入学すると朝鮮戦争が始まり、そこで「戦争反対」と言ったら「お前はいつから共産党になったんだ」と叱られた。
偉い人やマスコミは信用できない——これがジャーナリストになったきっかけです。伝聞や推定じゃなく、1次情報を自分でちゃんと確かめなきゃいけない。
今、僕の生きる目的は三つあります。
一つ目に、言論の自由を絶対に守る。
二つ目に、日本に戦争をさせない。戦争を肯定するような人間には、断固、反対して、糾弾する。
三つ目に、政治を活性化させたい。その3点ですね。
◇一期一会の絆
——創価学会の海外における発展を、どうご覧になりますか。
いくら国内で大きくなったとはいっても、正直なところ、世界の壁は非常に厚いだろうと思っていました。鎌倉時代の歴史的背景がある純日本宗教だし、経典も題目も漢字で書かれています。日本の植民地支配によって、反日感情が根強く残っている国だってある。でも、創価学会は世界でも発展を続けている。それは数を見ても顕著です。
仏教や日蓮のことを知らない、もともと別の宗教を信仰していた人たちが、なぜ創価学会を選ぶのか。海外の幹部にもインタビューしました。魅力や入会動機は千差万別でしたけれど、共通していたのは、信仰したことで成長できたという自己変革体験、つまり「人間革命」の経験です。それを成し遂げた歓喜が、信仰の手応えとなっているようでした。
僕が注目しているのは、池田名誉会長の信仰観です。人間の幸福は、あくまで自身の強い生命力によって獲得できるものであり、その生命力を引き出すのが信仰であると考えられていますよね。反対に、困難に打ち勝とうとする闘争心を萎えさせるなら、それは信仰ではないと見ている。海外にあっても、人間の内面を強くする信仰の在り方が鍵となってくるのではないかと感じています。
◇逆境に臆せず立ち向かう そこに創価学会の真価が
——世界宗教への道程と挑戦にあって、何が重要でしょうか。
日本の宗教として前人未到の領域に踏み込むことであり、当然、困難は避けられないでしょう。ただ僕は、その答えはすでに示されていると思う。
池田名誉会長が作家の松本清張と対談するため、京都を訪れた折のことです。車が赤信号で止まった時、オートバイに乗っていた2人の少年が、車内の名誉会長に手を振った。名誉会長も窓から手を出して振り返した。しかし、すぐに信号が青に変わり、車とオートバイはそれぞれ走り出してしまう。そこで名誉会長は「あの2人の少年を何とか捜し出せないか」と。
その夜、何と2人の名前と住所が判明します。名誉会長は手元にあった著書に署名して贈り、その後も会って激励を重ねています。
一回、会った人を非常に大事にする。そのままにはしない。この「一期一会」のエピソードには、一人をどこまでも尊重し、大切に励まし、人間革命や宿命転換の挑戦を支える結び付きがある。それはどんな国や社会にあっても、根源的な価値と言えるでしょう。現に世界では、名誉会長と会ったことがない若い世代の学会員たちが、名誉会長の指針を学び、生きる希望を与え合いながら発展を続けていますよね。
これからも、苦難や逆境にひるむことなく、励まし合って立ち向かっていく。そこに創価学会の真価が発揮されていくのではないでしょうか。
この時代の危機をどのように転換していけるのか、注目しています。
2022.09.27 わが友に贈る
会合に参加できない友に
丁寧な声掛けをしよう。
全員が「使命の人」だ。
一人に寄り添う真心が
次の挑戦への原動力に!
治病大小権実違目 P997
『国主も又一には多人につき或は上代の国主の崇重の法をあらため難き故或は自身の愚癡の故或は実教の行者を賎しむゆへ等の故彼の訴人等の語ををさめて実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈日月四天等其の国を罰する故に先代未聞の三災七難起るべし、所謂去今年去ぬる正嘉等の疫病等なり』
【通解】
国主もまた、ひとつには多人数の方につき、あるいは昔の国主が崇重してきた教えをあきらめることが難しいため、あるいはまた自らの愚癡のゆえに、あるいは法華経の行者を賎しむ心から、彼の讒訴人の言葉を受け入れて法華経の行者を迫害している。このために法華経の守護神である梵天・帝釈・日月・四天等がその国を罰するゆえに先代未聞の三災七難が起きているのである。去年や今年、または正嘉等の疫病等がそれである。
名字の言 友の激励に駆ける地区部長が発心した"きっかけ" 2022年9月27日
かつて広布の活動から離れていた壮年が、当時の心境を語っていた。「何かに束縛され、自由でなくなる気がしていた」。学会の友が訪ねてきても邪険にして、追い返したことも▼その頃、営業職でバリバリ活躍していたという。「でも知らず知らず、わがままになって……」。面倒なことは避け、苦手なことは人任せ。職場で衝突を繰り返し、憂さ晴らしの夜遊びに興じるように。そして事故を起こした。会社は解雇▼そんな時、親身に励ましてくれたのは地域の同志だった。自分は冷たくしてきたのに、「大丈夫」「僕も一生懸命、祈るから」と。胸が熱くなった。壮年は、学会活動に励むようになって気付く。"弱い心に束縛され不自由になっていたのは俺自身だった。この信心で強くなってみせる"。再就職を勝ち取った今、地区部長として友の激励に自在に駆ける▼アメリカ心理学会元会長のセリグマン博士は「自分中心の人は、悲観主義におちいる」と指摘した。自分中心——つまり、揺れ動く自分の心を師としている限り、悩みは尽きない▼そうではなく、御本尊を心の師として人の幸福に尽くせば、自らが強く明るくなれるし、自由自在の境涯を開ける。創価の哲学と連帯は、その道を照らす。
寸鉄 2022年9月27日
広布の若師子・男子部が全国幹部会へ勇躍の拡大 頼もしき奮闘を皆で応援
熊本県女性部の日。友の幸せ願う行動は地域の光 励ましの絆を今こそ強く
学会活動は平和と文化推進の重要な実践—先師。生命尊厳の民衆スクラム
「人の為」と思うと仕事の質が向上—研究。利他の心は豊かな創造の源泉
薄暮時に交通事故が増える季節。早めの点灯を。歩行者は反射材等を活用
☆栄光の共戦譜 第9回 1968年(昭和43年)「栄光の年」
◇平和・文化・教育の花開く
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第9回は、「栄光の年」と銘打たれた1968年(昭和43年)を掲載する。
◇「4・8」創価学園入学式
創価教育を実践する学校の創立——それは、牧口先生、戸田先生の悲願であった。池田先生は、その実現に向けて尽力し、1968年(昭和43年)4月8日、創価学園(中学・高校)の待望の入学式が行われた。
先生が学校設立のため、東京・小平市の建設候補地を視察したのは、60年(同35年)の4月、第3代会長に就任する1カ月前だった。65年(同40年)11月には、準備のための委員会が発足した。
68年4月、先生は開校に先立ち、創立者として、開校の目的を発表した。「創価学園は創価学会のために設立したのではない」「創価学園は、あくまでも、日本の未来を担い、世界の文化に貢献する、有為の人材を輩出することを理想とする」
さらに、「進取の気性に富み、栄光ある日本の指導者、世界の指導者に育て」等、五つの指針を贈る。後の校訓として、鳳雛たちに刻まれることになる。
4月8日の入学式当日、先生は"学校運営は、校長や理事長が中心"との思いから、式典終了後に学園を訪問した。
そして、「みんなであの橋を渡ろう」と、生徒らと共に、玉川上水に架かる栄光橋へ。栄光寮にも足を運び、親元を離れ、向学心を燃やす寮生たちに万感の励ましを送った。
同年9月には、学園の寮歌(現・校歌)に、5番の歌詞を贈った。「未来に羽ばたけ 君と僕」——その一節一節に、創立者の父子の願いが込められていた。
本年、東京校は第55期生、関西校は第50期生を新入生として迎えた。入学式のメッセージで先生は、強く呼びかけた。
「今、皆さんを取り巻く時代の闇は深い」「わが学園生よ、希望の太陽と光れ! 勇気の明星と輝け! 英知の大星雲となって、地球の未来を照らしゆけ!」
◇「9・8」日中国交正常化提言
今月は、「日中国交正常化」から50周年の節目である。
1968年(昭和43年)9月8日の第11回学生部総会。池田先生は、その講演に向けて、原稿作成に取り組んでいた。歴史的な「日中国交正常化提言」の原稿である。
当時、中国は7億を超す人口を抱えながら、文化大革命が先鋭化する時期でもあり、国際的に孤立していた。先生は、アジアと世界の安定のため、歴史的にも地理的にも深い関係にある、日本と中国の国交正常化の必要性を痛感していた。
提言の発表は、身の危険も伴っていた。しかし、先生は、深い覚悟を固める。
"私が、発言するしかない! 私は仏法者だ。人びとの幸福と世界の平和の実現は、仏法者の社会的使命である"
先生の眼には、アジアの民衆の救済を叫び続けた恩師の姿が浮かんでいた。
日大講堂で開催された学生部総会の冒頭、先生は、9月8日が、戸田先生の「原水爆禁止宣言」が発表された日であることを通し、創価の平和の魂を確認。そして、日中の国交正常化、中国の国連における正当な地位の回復、経済的・文化的な交流の推進などを提案した。
同提言は大きな反響を呼び、中国側にも伝わった。4年後の72年(同47年)、日中国交正常化は現実のものとなる。
その後も、池田先生は、周恩来総理ら、中国の要人と対話を重ねた。さらに、民間交流を促進し、信頼と友情の"金の橋"を築いていったのである。
先生は、日中友好への思いをつづっている。「尊き先人が切り開いた『金剛の道』『金の橋』を、さらに強く、固く、広く、長く構築していく努力をしていかなくてはならない」「その軸となる根本は、『信義』の二字である」
◇「10、11月」各方面で芸術祭
芸術部主催による初の芸術祭が行われたのは、同部結成の翌年、1963年(昭和38年)だった。人間文化の創造の息吹にあふれた舞踊や演奏などが披露された。そして68年(同43年)秋、池田先生の提案により、中部、四国、九州、そして関西、東京の5方面で、芸術祭を開催することが決まった。
先生は、芸術祭の企画に悩む友に語った——。「私たちの芸術祭には、こうしなければならないという形式があるわけでもなければ、イデオロギーの宣伝でもありません」「信心をもった自分自身の生きる喜びを、そのまま表現していけばいいんです」
芸術祭は、「郷土」に光が当てられ、民謡や地域の踊りなどが祭典を彩った。中部芸術祭(10月14日)では、徳川家康の少年時代を題材にした舞踊劇が演じられた。同月の四国芸術祭は、坂本龍馬の青春時代が取り上げられ、11月10日の九州芸術祭では、郷土芸能の小倉祇園太鼓が披露された。
先生は11月に開催された関西、東京での芸術祭も含め、全5会場に出席し、真心の喝采を送った。掉尾を飾った東京芸術祭のフィナーレは、先生が青年に贈った詩「元初の太陽を浴びて」に曲をつけた歌の大合唱だった。
♪わが愛する 若人たち
諸君の背に かがやくのは
光彩陸離たる 栄光
とどろく その跫音は
世紀への警鐘と 救済の乱打だ……
青年のパワーが時代を動かす原動力となる。この下半期、青年世代を主役とする「SOKAユースフェスタ」が開催される。創価の文化と友情の光彩が、地域・社会を照らしていくに違いない。
1968年◆年表◆
〈1月1日〉
聖教新聞に詩「栄光への門出に」を発表
〈1月29日〉
創価学園(中学校・高等学校)の落成式(東京)
〈3月18日〉
九州指導(〜20日。福岡、長崎)
長崎会館を訪問。被爆地の平和祈念像を訪れ、恒久平和を祈る(20日)
〈4月4日〉
創価学園の開校に先立ち、「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ」等の5項目の指針(後の校訓)を贈る
〈4月5日〉
山梨本部落成入仏式(山梨)
〈4月8日〉
創価学園の第1回入学式式典後に学園を訪れ、「英知・栄光・情熱」のモットーの碑の除幕、記念撮影を行う
〈4月9日〉
最初の大学会となる東京大学会の結成式(東京)
〈5月3日〉
第31回本部総会。核保有国の首脳が一堂に会し核兵器廃棄の話し合いを行うよう訴える(東京)
〈5月18日〉
九州指導(〜20日。福岡、熊本、大分)
〈5月22日〉
女子大学会の結成式(東京)
〈8月8日〉
第1回高等部総会。「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」と激励(静岡)
〈8月29日〉
学生部の海外委員会のメンバーらと懇談(東京)
〈8月31日〉
婦人部幹部会。席上、婦人部の愛唱歌「今日も元気で」が発表される(東京)
〈9月2日〉
創価学園の学園寮歌「草木は萌ゆる」(現・校歌)に5番の歌詞「富士が見えるぞ 武蔵野の/渓流清き 鳳雛の/平和をめざすは 何のため/輝く友の 道拓く/未来に羽ばたけ 君と僕」を加筆
〈9月8日〉
第11回学生部総会で日中国交正常化を提言(東京)。
�中国の存在を正式に承認し、国交を正常化する
�国連における中国の正当な地位を回復する
�経済的・文化的な交流を推進する、等を提案
日本やアメリカが中国を敵視するなかでの大胆な発言に、日中友好を願う人々に反響が広がり、創価学会の民衆運動に着目していた周恩来総理も高く評価。提言の内容に沿うように4年後に国交正常化が実現する
〈9月13日〉
北海道指導(〜17日)
日本最北端の市・稚内を訪問し、「日本最初の広宣流布を成し遂げてもらいたい」と語る(14日)
〈10月14日〉
第1回中部芸術祭(愛知)。以後、四国(10月15日)、九州(11月10日)、関西(11月14日)、東京(11月26日)の芸術祭に出席
〈11月10日〉
九州・関西指導(〜15日。福岡、熊本、鹿児島、大阪)
奄美大島で「日本の広宣流布の理想郷に」と呼び掛ける(13日)
〈11月17日〉
高等部の定時制鳳雛会第1期生と懇談(東京)
丁寧な声掛けをしよう。
全員が「使命の人」だ。
一人に寄り添う真心が
次の挑戦への原動力に!
治病大小権実違目 P997
『国主も又一には多人につき或は上代の国主の崇重の法をあらため難き故或は自身の愚癡の故或は実教の行者を賎しむゆへ等の故彼の訴人等の語ををさめて実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈日月四天等其の国を罰する故に先代未聞の三災七難起るべし、所謂去今年去ぬる正嘉等の疫病等なり』
【通解】
国主もまた、ひとつには多人数の方につき、あるいは昔の国主が崇重してきた教えをあきらめることが難しいため、あるいはまた自らの愚癡のゆえに、あるいは法華経の行者を賎しむ心から、彼の讒訴人の言葉を受け入れて法華経の行者を迫害している。このために法華経の守護神である梵天・帝釈・日月・四天等がその国を罰するゆえに先代未聞の三災七難が起きているのである。去年や今年、または正嘉等の疫病等がそれである。
名字の言 友の激励に駆ける地区部長が発心した"きっかけ" 2022年9月27日
かつて広布の活動から離れていた壮年が、当時の心境を語っていた。「何かに束縛され、自由でなくなる気がしていた」。学会の友が訪ねてきても邪険にして、追い返したことも▼その頃、営業職でバリバリ活躍していたという。「でも知らず知らず、わがままになって……」。面倒なことは避け、苦手なことは人任せ。職場で衝突を繰り返し、憂さ晴らしの夜遊びに興じるように。そして事故を起こした。会社は解雇▼そんな時、親身に励ましてくれたのは地域の同志だった。自分は冷たくしてきたのに、「大丈夫」「僕も一生懸命、祈るから」と。胸が熱くなった。壮年は、学会活動に励むようになって気付く。"弱い心に束縛され不自由になっていたのは俺自身だった。この信心で強くなってみせる"。再就職を勝ち取った今、地区部長として友の激励に自在に駆ける▼アメリカ心理学会元会長のセリグマン博士は「自分中心の人は、悲観主義におちいる」と指摘した。自分中心——つまり、揺れ動く自分の心を師としている限り、悩みは尽きない▼そうではなく、御本尊を心の師として人の幸福に尽くせば、自らが強く明るくなれるし、自由自在の境涯を開ける。創価の哲学と連帯は、その道を照らす。
寸鉄 2022年9月27日
広布の若師子・男子部が全国幹部会へ勇躍の拡大 頼もしき奮闘を皆で応援
熊本県女性部の日。友の幸せ願う行動は地域の光 励ましの絆を今こそ強く
学会活動は平和と文化推進の重要な実践—先師。生命尊厳の民衆スクラム
「人の為」と思うと仕事の質が向上—研究。利他の心は豊かな創造の源泉
薄暮時に交通事故が増える季節。早めの点灯を。歩行者は反射材等を活用
☆栄光の共戦譜 第9回 1968年(昭和43年)「栄光の年」
◇平和・文化・教育の花開く
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第9回は、「栄光の年」と銘打たれた1968年(昭和43年)を掲載する。
◇「4・8」創価学園入学式
創価教育を実践する学校の創立——それは、牧口先生、戸田先生の悲願であった。池田先生は、その実現に向けて尽力し、1968年(昭和43年)4月8日、創価学園(中学・高校)の待望の入学式が行われた。
先生が学校設立のため、東京・小平市の建設候補地を視察したのは、60年(同35年)の4月、第3代会長に就任する1カ月前だった。65年(同40年)11月には、準備のための委員会が発足した。
68年4月、先生は開校に先立ち、創立者として、開校の目的を発表した。「創価学園は創価学会のために設立したのではない」「創価学園は、あくまでも、日本の未来を担い、世界の文化に貢献する、有為の人材を輩出することを理想とする」
さらに、「進取の気性に富み、栄光ある日本の指導者、世界の指導者に育て」等、五つの指針を贈る。後の校訓として、鳳雛たちに刻まれることになる。
4月8日の入学式当日、先生は"学校運営は、校長や理事長が中心"との思いから、式典終了後に学園を訪問した。
そして、「みんなであの橋を渡ろう」と、生徒らと共に、玉川上水に架かる栄光橋へ。栄光寮にも足を運び、親元を離れ、向学心を燃やす寮生たちに万感の励ましを送った。
同年9月には、学園の寮歌(現・校歌)に、5番の歌詞を贈った。「未来に羽ばたけ 君と僕」——その一節一節に、創立者の父子の願いが込められていた。
本年、東京校は第55期生、関西校は第50期生を新入生として迎えた。入学式のメッセージで先生は、強く呼びかけた。
「今、皆さんを取り巻く時代の闇は深い」「わが学園生よ、希望の太陽と光れ! 勇気の明星と輝け! 英知の大星雲となって、地球の未来を照らしゆけ!」
◇「9・8」日中国交正常化提言
今月は、「日中国交正常化」から50周年の節目である。
1968年(昭和43年)9月8日の第11回学生部総会。池田先生は、その講演に向けて、原稿作成に取り組んでいた。歴史的な「日中国交正常化提言」の原稿である。
当時、中国は7億を超す人口を抱えながら、文化大革命が先鋭化する時期でもあり、国際的に孤立していた。先生は、アジアと世界の安定のため、歴史的にも地理的にも深い関係にある、日本と中国の国交正常化の必要性を痛感していた。
提言の発表は、身の危険も伴っていた。しかし、先生は、深い覚悟を固める。
"私が、発言するしかない! 私は仏法者だ。人びとの幸福と世界の平和の実現は、仏法者の社会的使命である"
先生の眼には、アジアの民衆の救済を叫び続けた恩師の姿が浮かんでいた。
日大講堂で開催された学生部総会の冒頭、先生は、9月8日が、戸田先生の「原水爆禁止宣言」が発表された日であることを通し、創価の平和の魂を確認。そして、日中の国交正常化、中国の国連における正当な地位の回復、経済的・文化的な交流の推進などを提案した。
同提言は大きな反響を呼び、中国側にも伝わった。4年後の72年(同47年)、日中国交正常化は現実のものとなる。
その後も、池田先生は、周恩来総理ら、中国の要人と対話を重ねた。さらに、民間交流を促進し、信頼と友情の"金の橋"を築いていったのである。
先生は、日中友好への思いをつづっている。「尊き先人が切り開いた『金剛の道』『金の橋』を、さらに強く、固く、広く、長く構築していく努力をしていかなくてはならない」「その軸となる根本は、『信義』の二字である」
◇「10、11月」各方面で芸術祭
芸術部主催による初の芸術祭が行われたのは、同部結成の翌年、1963年(昭和38年)だった。人間文化の創造の息吹にあふれた舞踊や演奏などが披露された。そして68年(同43年)秋、池田先生の提案により、中部、四国、九州、そして関西、東京の5方面で、芸術祭を開催することが決まった。
先生は、芸術祭の企画に悩む友に語った——。「私たちの芸術祭には、こうしなければならないという形式があるわけでもなければ、イデオロギーの宣伝でもありません」「信心をもった自分自身の生きる喜びを、そのまま表現していけばいいんです」
芸術祭は、「郷土」に光が当てられ、民謡や地域の踊りなどが祭典を彩った。中部芸術祭(10月14日)では、徳川家康の少年時代を題材にした舞踊劇が演じられた。同月の四国芸術祭は、坂本龍馬の青春時代が取り上げられ、11月10日の九州芸術祭では、郷土芸能の小倉祇園太鼓が披露された。
先生は11月に開催された関西、東京での芸術祭も含め、全5会場に出席し、真心の喝采を送った。掉尾を飾った東京芸術祭のフィナーレは、先生が青年に贈った詩「元初の太陽を浴びて」に曲をつけた歌の大合唱だった。
♪わが愛する 若人たち
諸君の背に かがやくのは
光彩陸離たる 栄光
とどろく その跫音は
世紀への警鐘と 救済の乱打だ……
青年のパワーが時代を動かす原動力となる。この下半期、青年世代を主役とする「SOKAユースフェスタ」が開催される。創価の文化と友情の光彩が、地域・社会を照らしていくに違いない。
1968年◆年表◆
〈1月1日〉
聖教新聞に詩「栄光への門出に」を発表
〈1月29日〉
創価学園(中学校・高等学校)の落成式(東京)
〈3月18日〉
九州指導(〜20日。福岡、長崎)
長崎会館を訪問。被爆地の平和祈念像を訪れ、恒久平和を祈る(20日)
〈4月4日〉
創価学園の開校に先立ち、「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ」等の5項目の指針(後の校訓)を贈る
〈4月5日〉
山梨本部落成入仏式(山梨)
〈4月8日〉
創価学園の第1回入学式式典後に学園を訪れ、「英知・栄光・情熱」のモットーの碑の除幕、記念撮影を行う
〈4月9日〉
最初の大学会となる東京大学会の結成式(東京)
〈5月3日〉
第31回本部総会。核保有国の首脳が一堂に会し核兵器廃棄の話し合いを行うよう訴える(東京)
〈5月18日〉
九州指導(〜20日。福岡、熊本、大分)
〈5月22日〉
女子大学会の結成式(東京)
〈8月8日〉
第1回高等部総会。「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」と激励(静岡)
〈8月29日〉
学生部の海外委員会のメンバーらと懇談(東京)
〈8月31日〉
婦人部幹部会。席上、婦人部の愛唱歌「今日も元気で」が発表される(東京)
〈9月2日〉
創価学園の学園寮歌「草木は萌ゆる」(現・校歌)に5番の歌詞「富士が見えるぞ 武蔵野の/渓流清き 鳳雛の/平和をめざすは 何のため/輝く友の 道拓く/未来に羽ばたけ 君と僕」を加筆
〈9月8日〉
第11回学生部総会で日中国交正常化を提言(東京)。
�中国の存在を正式に承認し、国交を正常化する
�国連における中国の正当な地位を回復する
�経済的・文化的な交流を推進する、等を提案
日本やアメリカが中国を敵視するなかでの大胆な発言に、日中友好を願う人々に反響が広がり、創価学会の民衆運動に着目していた周恩来総理も高く評価。提言の内容に沿うように4年後に国交正常化が実現する
〈9月13日〉
北海道指導(〜17日)
日本最北端の市・稚内を訪問し、「日本最初の広宣流布を成し遂げてもらいたい」と語る(14日)
〈10月14日〉
第1回中部芸術祭(愛知)。以後、四国(10月15日)、九州(11月10日)、関西(11月14日)、東京(11月26日)の芸術祭に出席
〈11月10日〉
九州・関西指導(〜15日。福岡、熊本、鹿児島、大阪)
奄美大島で「日本の広宣流布の理想郷に」と呼び掛ける(13日)
〈11月17日〉
高等部の定時制鳳雛会第1期生と懇談(東京)
2022年9月26日月曜日
2022.09.26 わが友に贈る
◇今週のことば
行学の金秋、到来す。
動けば命が躍動する。
学べば境涯が深まる。
語れば功徳が広がる。
青年を先頭に一歩前進!
2022年9月26日
王舎城事 P1138
『御勘気を二度までかほりすでに頚となりしかどもついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』
【通解】
(日蓮は)流罪を二度までもこうむり、すでに頸の座にもついたけれども、ついに恐れず信仰を貫き通したので、今では日本国の人々も「日蓮の言うことが道理かもしれない」という人もあることであろう。
名字の言 思考を固定化しない棋士・藤井聡太五冠 2022年9月26日
昨今、将棋界では「藤井曲線」という言葉が使われる。棋士の藤井聡太五冠の対局ではAI(人工知能)が示す形勢判断のグラフが、中盤以降、藤井五冠の方へ徐々に優位を拡大する曲線を描くことが多い。このことから生まれた言葉だ▼どの手が悪かったのかが分からない——藤井五冠に敗れた多くの棋士が対局後、そう口にする。藤井五冠の特徴の一つは、序盤からの「読みの深さ」だ。それが小さい差を生み、終盤には大差になっている、ともいわれる▼将棋には「定跡」がある。昔からの研究で、最善とされる手だ。ところが、藤井五冠は定跡から外れた手を指し、それが優勢の因になることがある。思考を固定化せず、それまでの前例を見直す姿勢が、読みの深さにつながっている▼前例にとらわれず、何が最善手かを考える——将棋の世界の話は、人生や社会にも応用できよう。思えば、コロナ禍以降、世界は新たな局面を迎えた。日々の生活でも、それまでの"当たり前"がそうではなくなった。物事の前提を疑い、柔軟に考え、行動を変える必要性を、誰もが実感したに違いない▼時代の挑戦に対して、一人一人ができることに全力を注ごう。人間の底力は活路を開き、豊かな未来を築くと信じる。
寸鉄 2022年9月26日
信心で宿業を破らねば同じ事で苦しむ—戸田先生 人間革命の劇を勇敢に!
「毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし」御聖訓。堂々と希望と正義の対話(新1632・全1123)
忍耐と根気が最後に勝つ—運動家ヘレン・ケラー。地道に一歩ずつ。その努力は人生の宝
核兵器の全面的廃絶のための国際デー。"絶対悪"との恩師の遺訓を世界へ
読書の機会が多い子ほど新しい事に興味を持つ—調査。親子で楽しく挑戦
☆四季の励まし 「生涯求道」の健康人生を 2022年9月18日
◇池田先生の言葉
わが"多宝の友"が
広布に走り抜いた
誉れの歴史は、
自身の生命に
黄金の日記として
厳然と刻まれる。
自らの命を使って
「人間革命」の実証を
示してきた栄光の福徳は、
絶対に消えないのだ。
年をとっても、
心まで
老け込んではならない。
妙法という生命の大法を
持った我々は、
生き生きと
若返っていくのである。
張り切って進むのである。
日蓮大聖人の御生涯は、
最後の最後まで、
広宣流布の大闘争に
貫かれていた。
信心に「引退」はない。
心は退いてはならない。
自他共の
一生成仏のためには、
どこまでも信心一筋に、
学会と共に
生き抜くことである。
「生涯求道」「生涯挑戦」
「生涯闘争」である。
ゆえに、「今一日」
「あと一日」における
信心が大事だ。
純一無二の信心で、
自身の広布と人生の
総仕上げをしていくのだ。
疲れをためないよう、
上手に休息をとりながら、
聡明に、健康第一で
進んでいきたい。
題目を朗々とあげ、
生命力を満々とたたえて、
価値ある一日一日を
勝ち取っていくことだ。
何歳になっても、
新しい何かに
挑戦する人は、
若々しく生きていける。
それが真の人生である。
いわんや私どもは、
不老長寿の最高の法である
南無妙法蓮華経を
持っている。
妙法と共に、
いよいよ若々しく、
広宣流布と
人生の最高峰へ、
お互いに、楽しく、
粘り強く挑み続けて、
勝っていこう!
【写真説明】鮮やかなコスモスが、競い合うように咲いていた。花びらが桜に似ていることから和名は「秋桜」。高原に一足早い秋を告げる。2006年(平成18年)8月、長野を訪れた池田大作先生がカメラに収めた。
古代中国では、人生を四季にたとえた。幼少期の「玄冬」から「青春」「朱夏」と進み、高齢期の「白秋」は、人生の実りを楽しむ時期とされる。
学会には、"生涯求道"の心で苦難の坂を越えてきた、尊き多宝会、宝寿会、錦宝会の方々がいる。皆さまの功労ありて、世界広布の基盤は築かれた。
あすは「敬老の日」。信心の大先輩への敬意と感謝を伝えたい。
☆初の墓地公園誕生45周年 「生死不二の生命の宮殿」がここに
◇基本理念 1、恒久性 2、平等性 3、明るさ
長年、広布のために戦ってこられた方々のために、安穏な成仏を象徴する場を——この池田先生の願いから誕生した創価学会の墓地公園。背景には昭和30年代初頭から起きた"墓地問題"があった。
当時、学会員の多くは、他宗派が管理する墓地を使用していた。ところが、創価学会への"改宗"を理由に、墓地使用を拒否される事態が相次いだ。墓を盾に取った暴挙であった。こうした状況や学会世帯の増加に伴い、墓園建設を望む声は日増しに大きくなっていった。
そして、墓園建設のために学会本部に墓苑公益事業部門が発足。池田先生の構想を骨子として、墓園の三つの基本理念が定められた。
第一に、時代の移り変わりに左右されない「恒久性」。第二に、仏法の生命観に根差した「平等性」。第三に、墓参者に潤いを与える親しみやすい「明るさ」である。
墓園・納骨堂は、この基本理念に基づき、各方面の特色を生かしながら発展を続け、現在では全国20カ所に広がっている。
大自然の中に美しく整備された園内、大小の差がなく整然と並ぶ墓石——学会の墓園を訪れた識者も賛辞を寄せる。
「経済力や社会的地位とは関係なく、墓石は同じものに統一されています。創価学会の価値観と人間観そのものです」
◇全国の墓園・納骨堂一覧
�北海道・戸田墓園
第2代会長・戸田城聖先生の名を冠した「戸田記念墓地公園」は1977年(昭和52年)10月2日、創価学会初の墓園として、戸田先生の故郷・北海道の石狩市厚田区に開園。来月、45周年を迎える。
恩師の亡き後、第3代会長に就任した池田先生は60年(同35年)8月27日、厚田を訪問。その折の真情をこうつづった。
「厚田村から、戸田先生という若鷲が、人類救済のために羽ばたいていった。そして広宣流布の礎を築かれた。その先生を、後世永遠に顕彰していくためにも、いつかこの地に、先生の精神をとどめる、『記念の城』を築かねばならない。それが弟子としての私の使命であり、責任である」(小説『新・人間革命』第26巻「厚田」の章)
その後、池田先生の構想は同園の完成をもって結実。開園式で先生は語った。
「戸田前会長の故郷である厚田の大地を、私を含めて全学会員の心の故郷ともし、広布の"生死不二の永遠の都"としていくよう提案したい」
この師弟の魂魄がとどめられた戸田墓園には、戸田先生の立像や記念碑等が設置。
来園者や地域住民に親しまれ、生死不二の福徳と栄光の理想郷として、北海の天地に燦然と輝いている。
�岩手・みちのく墓園
今月、開園20周年を迎えた、みちのく池田記念墓地公園(岩手・奥州市)。園内の高台にある時計塔からは、奥州市と奥羽の山々を望むことができる
�宮城・東北墓園
雄大な蔵王連峰に抱かれた東北池田記念墓地公園(宮城・白石市)。これまで池田先生が2度訪問。園内には「母の池」など美しい景観が広がる
�茨城・ひたち墓園
鮮やかに色づいた紅葉が美しい、ひたち平和記念墓地公園(茨城・城里町)。首都圏を中心に多くの人が訪れ、これまでの来園者は500万人を超える
�群馬・はるな墓園
池田先生が何度も訪れた、はるな池田記念墓地公園(群馬・渋川市)。榛名山麓に広がり、赤城山や日光連山などを一望できる。今月、開園35周年を迎えた
�静岡・富士桜墓園
静岡・富士宮市の富士桜自然墓地公園は、秀麗な富士の裾野に広がる。池田先生が10度にわたり訪問。春には約8000本の桜が咲き、園内を鮮やかに彩る
�新潟・牧口墓園
牧口記念墓地公園は2019年、初代・牧口先生の生誕の地である新潟・柏崎市に開園。広大な丘陵地に立つ同園からは「刈羽三山」の雄姿を望める
�三重・中部墓園
伊勢湾を望む景勝地にある中部池田記念墓地公園(三重・津市)。池田先生は同園を3度訪問。本年8月には管理センター等を一部増築し、リニューアルした
�滋賀・びわこ墓園
2016年に滋賀・大津市に開園した、びわこ池田記念墓地公園。園内に造られた「近江庭園」では、四季折々の花々が来園者を楽しませてくれる
�兵庫・関西墓園
常勝の天地に立つ関西池田記念墓地公園(兵庫・丹波市)。池田先生は2度訪れ、開園に尽力した地元の友らを激励。自然に彩られた同園をたたえた
�広島・中国墓園
中国平和記念墓地公園にある「世界平和祈願之碑」。爆心地の真北に立ち、世界中の被ばく者の追悼と恒久平和を誓う意義が込められている(広島・北広島町)
�島根・山光墓園
島根・松江市の山光平和記念墓地公園。学会の墓園として初めてカリヨン(音階別の鐘で音楽を奏でるもの)の時計塔が設置され、明るい音色で時を告げる
�香川・四国墓園
本年6月に開園20周年を迎えた四国池田記念墓地公園(香川・三木町)。秋には真っ赤に染まったタイワンフウをはじめ、色とりどりの木々が来園者を迎える
�大分・九州墓園
九重連山の景色を望む九州池田記念墓地公園(大分・日田市)。園内には、九州の先駆の伝統を築いた同志を顕彰する「世界広布先駆之碑」が立つ
�沖縄墓園
"日本一早咲きの桜"で有名な八重岳に広がる沖縄平和記念墓地公園(沖縄・本部町)。1999年2月、池田先生は満開の桜並木を通り、同園を初訪問した
�青森・十和田納骨堂
東北十和田多宝納骨堂(青森・十和田市)は東北研修道場の敷地内に立つ。同道場には池田先生の筆による「滝の詩」の歌碑が。近くに奥入瀬渓流が流れる
�石川・北陸納骨堂
能登半島国定公園に隣接する景勝地に立つ北陸常楽納骨堂(石川・七尾市の北陸研修道場内)。立山連峰を望み、能登島などが浮かぶ七尾湾を一望できる
�滋賀・関西納骨堂
滋賀研修道場内に設置されている関西常楽納骨堂(滋賀・米原市)。目の前には日本一の大きさを誇る琵琶湖が広がる
�和歌山・関西白浜納骨堂
眼前に太平洋の大海原が広がる関西白浜平和納骨堂(和歌山・白浜町の関西研修道場内)。昨年11月には、礼拝室や永久収蔵納骨室などが増設された
�福岡・九州納骨堂
九州多宝納骨堂(福岡・糸島市)は福岡研修道場の敷地内に立つ。"筑紫富士"と呼ばれる可也山の中腹に位置し、糸島平野や博多湾を望むことができる
行学の金秋、到来す。
動けば命が躍動する。
学べば境涯が深まる。
語れば功徳が広がる。
青年を先頭に一歩前進!
2022年9月26日
王舎城事 P1138
『御勘気を二度までかほりすでに頚となりしかどもついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』
【通解】
(日蓮は)流罪を二度までもこうむり、すでに頸の座にもついたけれども、ついに恐れず信仰を貫き通したので、今では日本国の人々も「日蓮の言うことが道理かもしれない」という人もあることであろう。
名字の言 思考を固定化しない棋士・藤井聡太五冠 2022年9月26日
昨今、将棋界では「藤井曲線」という言葉が使われる。棋士の藤井聡太五冠の対局ではAI(人工知能)が示す形勢判断のグラフが、中盤以降、藤井五冠の方へ徐々に優位を拡大する曲線を描くことが多い。このことから生まれた言葉だ▼どの手が悪かったのかが分からない——藤井五冠に敗れた多くの棋士が対局後、そう口にする。藤井五冠の特徴の一つは、序盤からの「読みの深さ」だ。それが小さい差を生み、終盤には大差になっている、ともいわれる▼将棋には「定跡」がある。昔からの研究で、最善とされる手だ。ところが、藤井五冠は定跡から外れた手を指し、それが優勢の因になることがある。思考を固定化せず、それまでの前例を見直す姿勢が、読みの深さにつながっている▼前例にとらわれず、何が最善手かを考える——将棋の世界の話は、人生や社会にも応用できよう。思えば、コロナ禍以降、世界は新たな局面を迎えた。日々の生活でも、それまでの"当たり前"がそうではなくなった。物事の前提を疑い、柔軟に考え、行動を変える必要性を、誰もが実感したに違いない▼時代の挑戦に対して、一人一人ができることに全力を注ごう。人間の底力は活路を開き、豊かな未来を築くと信じる。
寸鉄 2022年9月26日
信心で宿業を破らねば同じ事で苦しむ—戸田先生 人間革命の劇を勇敢に!
「毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし」御聖訓。堂々と希望と正義の対話(新1632・全1123)
忍耐と根気が最後に勝つ—運動家ヘレン・ケラー。地道に一歩ずつ。その努力は人生の宝
核兵器の全面的廃絶のための国際デー。"絶対悪"との恩師の遺訓を世界へ
読書の機会が多い子ほど新しい事に興味を持つ—調査。親子で楽しく挑戦
☆四季の励まし 「生涯求道」の健康人生を 2022年9月18日
◇池田先生の言葉
わが"多宝の友"が
広布に走り抜いた
誉れの歴史は、
自身の生命に
黄金の日記として
厳然と刻まれる。
自らの命を使って
「人間革命」の実証を
示してきた栄光の福徳は、
絶対に消えないのだ。
年をとっても、
心まで
老け込んではならない。
妙法という生命の大法を
持った我々は、
生き生きと
若返っていくのである。
張り切って進むのである。
日蓮大聖人の御生涯は、
最後の最後まで、
広宣流布の大闘争に
貫かれていた。
信心に「引退」はない。
心は退いてはならない。
自他共の
一生成仏のためには、
どこまでも信心一筋に、
学会と共に
生き抜くことである。
「生涯求道」「生涯挑戦」
「生涯闘争」である。
ゆえに、「今一日」
「あと一日」における
信心が大事だ。
純一無二の信心で、
自身の広布と人生の
総仕上げをしていくのだ。
疲れをためないよう、
上手に休息をとりながら、
聡明に、健康第一で
進んでいきたい。
題目を朗々とあげ、
生命力を満々とたたえて、
価値ある一日一日を
勝ち取っていくことだ。
何歳になっても、
新しい何かに
挑戦する人は、
若々しく生きていける。
それが真の人生である。
いわんや私どもは、
不老長寿の最高の法である
南無妙法蓮華経を
持っている。
妙法と共に、
いよいよ若々しく、
広宣流布と
人生の最高峰へ、
お互いに、楽しく、
粘り強く挑み続けて、
勝っていこう!
【写真説明】鮮やかなコスモスが、競い合うように咲いていた。花びらが桜に似ていることから和名は「秋桜」。高原に一足早い秋を告げる。2006年(平成18年)8月、長野を訪れた池田大作先生がカメラに収めた。
古代中国では、人生を四季にたとえた。幼少期の「玄冬」から「青春」「朱夏」と進み、高齢期の「白秋」は、人生の実りを楽しむ時期とされる。
学会には、"生涯求道"の心で苦難の坂を越えてきた、尊き多宝会、宝寿会、錦宝会の方々がいる。皆さまの功労ありて、世界広布の基盤は築かれた。
あすは「敬老の日」。信心の大先輩への敬意と感謝を伝えたい。
☆初の墓地公園誕生45周年 「生死不二の生命の宮殿」がここに
◇基本理念 1、恒久性 2、平等性 3、明るさ
長年、広布のために戦ってこられた方々のために、安穏な成仏を象徴する場を——この池田先生の願いから誕生した創価学会の墓地公園。背景には昭和30年代初頭から起きた"墓地問題"があった。
当時、学会員の多くは、他宗派が管理する墓地を使用していた。ところが、創価学会への"改宗"を理由に、墓地使用を拒否される事態が相次いだ。墓を盾に取った暴挙であった。こうした状況や学会世帯の増加に伴い、墓園建設を望む声は日増しに大きくなっていった。
そして、墓園建設のために学会本部に墓苑公益事業部門が発足。池田先生の構想を骨子として、墓園の三つの基本理念が定められた。
第一に、時代の移り変わりに左右されない「恒久性」。第二に、仏法の生命観に根差した「平等性」。第三に、墓参者に潤いを与える親しみやすい「明るさ」である。
墓園・納骨堂は、この基本理念に基づき、各方面の特色を生かしながら発展を続け、現在では全国20カ所に広がっている。
大自然の中に美しく整備された園内、大小の差がなく整然と並ぶ墓石——学会の墓園を訪れた識者も賛辞を寄せる。
「経済力や社会的地位とは関係なく、墓石は同じものに統一されています。創価学会の価値観と人間観そのものです」
◇全国の墓園・納骨堂一覧
�北海道・戸田墓園
第2代会長・戸田城聖先生の名を冠した「戸田記念墓地公園」は1977年(昭和52年)10月2日、創価学会初の墓園として、戸田先生の故郷・北海道の石狩市厚田区に開園。来月、45周年を迎える。
恩師の亡き後、第3代会長に就任した池田先生は60年(同35年)8月27日、厚田を訪問。その折の真情をこうつづった。
「厚田村から、戸田先生という若鷲が、人類救済のために羽ばたいていった。そして広宣流布の礎を築かれた。その先生を、後世永遠に顕彰していくためにも、いつかこの地に、先生の精神をとどめる、『記念の城』を築かねばならない。それが弟子としての私の使命であり、責任である」(小説『新・人間革命』第26巻「厚田」の章)
その後、池田先生の構想は同園の完成をもって結実。開園式で先生は語った。
「戸田前会長の故郷である厚田の大地を、私を含めて全学会員の心の故郷ともし、広布の"生死不二の永遠の都"としていくよう提案したい」
この師弟の魂魄がとどめられた戸田墓園には、戸田先生の立像や記念碑等が設置。
来園者や地域住民に親しまれ、生死不二の福徳と栄光の理想郷として、北海の天地に燦然と輝いている。
�岩手・みちのく墓園
今月、開園20周年を迎えた、みちのく池田記念墓地公園(岩手・奥州市)。園内の高台にある時計塔からは、奥州市と奥羽の山々を望むことができる
�宮城・東北墓園
雄大な蔵王連峰に抱かれた東北池田記念墓地公園(宮城・白石市)。これまで池田先生が2度訪問。園内には「母の池」など美しい景観が広がる
�茨城・ひたち墓園
鮮やかに色づいた紅葉が美しい、ひたち平和記念墓地公園(茨城・城里町)。首都圏を中心に多くの人が訪れ、これまでの来園者は500万人を超える
�群馬・はるな墓園
池田先生が何度も訪れた、はるな池田記念墓地公園(群馬・渋川市)。榛名山麓に広がり、赤城山や日光連山などを一望できる。今月、開園35周年を迎えた
�静岡・富士桜墓園
静岡・富士宮市の富士桜自然墓地公園は、秀麗な富士の裾野に広がる。池田先生が10度にわたり訪問。春には約8000本の桜が咲き、園内を鮮やかに彩る
�新潟・牧口墓園
牧口記念墓地公園は2019年、初代・牧口先生の生誕の地である新潟・柏崎市に開園。広大な丘陵地に立つ同園からは「刈羽三山」の雄姿を望める
�三重・中部墓園
伊勢湾を望む景勝地にある中部池田記念墓地公園(三重・津市)。池田先生は同園を3度訪問。本年8月には管理センター等を一部増築し、リニューアルした
�滋賀・びわこ墓園
2016年に滋賀・大津市に開園した、びわこ池田記念墓地公園。園内に造られた「近江庭園」では、四季折々の花々が来園者を楽しませてくれる
�兵庫・関西墓園
常勝の天地に立つ関西池田記念墓地公園(兵庫・丹波市)。池田先生は2度訪れ、開園に尽力した地元の友らを激励。自然に彩られた同園をたたえた
�広島・中国墓園
中国平和記念墓地公園にある「世界平和祈願之碑」。爆心地の真北に立ち、世界中の被ばく者の追悼と恒久平和を誓う意義が込められている(広島・北広島町)
�島根・山光墓園
島根・松江市の山光平和記念墓地公園。学会の墓園として初めてカリヨン(音階別の鐘で音楽を奏でるもの)の時計塔が設置され、明るい音色で時を告げる
�香川・四国墓園
本年6月に開園20周年を迎えた四国池田記念墓地公園(香川・三木町)。秋には真っ赤に染まったタイワンフウをはじめ、色とりどりの木々が来園者を迎える
�大分・九州墓園
九重連山の景色を望む九州池田記念墓地公園(大分・日田市)。園内には、九州の先駆の伝統を築いた同志を顕彰する「世界広布先駆之碑」が立つ
�沖縄墓園
"日本一早咲きの桜"で有名な八重岳に広がる沖縄平和記念墓地公園(沖縄・本部町)。1999年2月、池田先生は満開の桜並木を通り、同園を初訪問した
�青森・十和田納骨堂
東北十和田多宝納骨堂(青森・十和田市)は東北研修道場の敷地内に立つ。同道場には池田先生の筆による「滝の詩」の歌碑が。近くに奥入瀬渓流が流れる
�石川・北陸納骨堂
能登半島国定公園に隣接する景勝地に立つ北陸常楽納骨堂(石川・七尾市の北陸研修道場内)。立山連峰を望み、能登島などが浮かぶ七尾湾を一望できる
�滋賀・関西納骨堂
滋賀研修道場内に設置されている関西常楽納骨堂(滋賀・米原市)。目の前には日本一の大きさを誇る琵琶湖が広がる
�和歌山・関西白浜納骨堂
眼前に太平洋の大海原が広がる関西白浜平和納骨堂(和歌山・白浜町の関西研修道場内)。昨年11月には、礼拝室や永久収蔵納骨室などが増設された
�福岡・九州納骨堂
九州多宝納骨堂(福岡・糸島市)は福岡研修道場の敷地内に立つ。"筑紫富士"と呼ばれる可也山の中腹に位置し、糸島平野や博多湾を望むことができる
2022年9月25日日曜日
2022.09.25 わが友に贈る
"交通事故に遭わない。
起こさない"と祈り抜き
常に安全を心掛けよう。
ちょっとした油断を排し
有意義な一日一日に!
富木尼御前御返事 P975
『やのはしる事は弓のちからくものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり』
【通解】
矢が飛ぶことは、弓の力です。雲が動くことは、竜の力です。男の行いは、女の力によるものです。
名字の言 少年野球を通した母子のドラマ 2022年9月25日
ある少年部員は地元の野球チームに所属して1年がたつ。その間、真面目に練習してきたが、なかなか上達しない。下級生は次々にレギュラーとなり、活躍している。親身になって少年に野球を教えてきたコーチは悩んだ。"何でできないのだろう"▼だが、同時にこうも思った。ただただ、ひたむきに練習を重ねる少年の姿勢に"何で、そこまで努力できるんだろう"と▼コーチは少年と話をする中で訳を知った。少年の母は入院中で、さまざまな治療を試しても、思うように回復しない。母子は電話で語らう日々が続いた。ある日、少年は母に弱気なことを口にした。「僕、一生懸命に練習しているんだけど、全然、うまくならないんだ」▼受話器の向こうで母は優しく言った。「何があっても諦めず、自分で決めたことを貫く人が一番偉くて強いんだよ」。それは"元気になって家族の元に帰るぞ"と決意する母が自身を励ます言葉でもあったろう▼先月、ついに母が退院。その数日後、少年は試合に初出場を果たした。応援席では元気になった母が両手に持つメガホンをたたいてエールを送っていた。誰かに勝つより、自分に負けないこと。母子は人生を勝ちゆく、かけがえのない心の宝を得たに違いない。
寸鉄 2022年9月25日
SGIには調和のとれた幸福な社会を築く力が—ドミニカ識者。共生哲理を世界へ
「ひとえに一乗に帰すべし」御書。広布の師弟に生きる誉れ。共戦の魂で(新513・全463)
他人の為に動かねば精神の健康保てない—哲人ヒルティ。今日も颯爽と学会活動に
デマへの沈黙は"お墨付"与える危険—識者。青年が悪の正体鋭く裁き正せ
子育て世代で帯状疱疹が急増。過労やストレス等で発症。生活リズム整え
☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第4回 「原水爆禁止宣言」の発表65周年〈下〉
◇相互理解と信頼の世界へ
先崎 戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表された1年後の1958年(昭和33年)、池田先生は、聖教新聞に「原水爆宣言に思う」(9月26日付)という一文を寄せられました。
長谷川 池田先生は「一瞬にして、幾十万の尊き生命を殺傷した、地獄の使いたる原爆の使用は、絶対に禁止しなければならない。原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と記されました。そして、「御遺訓の成就するまで、いかなる難にも負けず」と、いかに核兵器廃絶の道程が困難であったとしても、恩師の宣言を実現する誓いを述べられています。
58年9月といえば、戸田先生が逝去されて5カ月後、まだ池田先生が第3代会長に就任される2年前のことです。しかし、先生はすでに遺訓を果たす深き責任感に立たれていました。
戸田先生が原水爆禁止宣言を発表された後、池田先生の胸中には数々の構想が広がっていきました。しかし、はやる心を抑え、先生が力を注いだことは、地道な弘教による人間革命の運動です。その運動の流れが国内、そして世界へと広がる中で、学会の広範な平和運動が展開されていきます。
◇"核の力"より"生命の力"を
田島 池田先生は一貫して、国連支援と市民社会の声の結集を訴えられてきました。
長谷川 地球的な諸問題を恒常的に話し合える場が国連にほかなりません。だからこそ、池田先生は国連を「人類の議会」と位置付け、支援してきました。核兵器の問題についても、世界的規模で議論する場を設けることを繰り返し提案されています。
74年(同49年)に愛知で開催された本部総会では、学会は永久に民衆の側に立った平和の道を走る、との基本路線を確認します。
そして、核兵器の問題について、「恐怖による戦争抑止という考え方から、相互理解と信頼による真の平和樹立という考え方へと、根本的に発想を転換すべきである」と述べられます。先生は、核抑止論を真っ向から否定し、新たな発想に立つことを提案されたのです。
さらに、核兵器廃絶のために、�結論を生むまで首脳会議を続行する�国連を実行力ある機関にする�科学者は人類的視野に立った代表として発言し行動すべき、と主張されました。
先生は翌75年(同50年)、広島で行われた本部総会では、同年1月に、青年部有志が中心となって集めた核兵器反対の1100万人の署名簿を、国連事務総長に手渡したことを紹介。また、核兵器全廃のために各国首脳が集まって議論する国際平和会議を、平和原点の地である広島で開催することなどを主張されます。
83年(同58年)1月に初めて「SGIの日」記念提言を発表されて以降、先生は核兵器廃絶に関する提案をされてきました。今年で40回です。
また、今年7月に発表された核兵器の「先制不使用」の誓約等を求める緊急提案は、各界から大きな反響がありました。恩師の遺訓を実現しようとされる、先生の深い思い——。師匠の戦いに、皆さんが続いてほしいと思います。
山下 創価学会はこれまで、「核兵器——現代世界の脅威」展、「核兵器なき世界への連帯」展などを国内だけでなく、世界各国で行ってきました。
長谷川 87年(同62年)5月のことです。ソ連(当時)のモスクワで"核の脅威展"が開かれ、先生に随行させていただきました。
先生は開幕式の席上、「この地球上に、核もない、悲惨と残酷さもない社会が生まれ、人間と人間との平和の花が咲き乱れることを強く信じたい」と訴えられました。核保有国での先生の叫びは、35年たった今も、私の心に響いています。
また、96年(平成8年)6月、コスタリカで行われた"核の脅威展"の開幕式も印象に残ることがありました。
500人の招待客のうち、250人が小学生でした。また、会場の科学文化センターには、子ども博物館が併設されていました。場内は子どもたちの声があふれていました。
開幕式が始まってからも、元気に遊ぶ声はやみません。私は内心、"少しの間だけでいいから、静かにしてくれないかな"と思っていました。
ところが、あいさつに立った先生は笑顔を浮かべ、「この元気な声を聞いてください」と呼びかけられたのです。そして、こう続けられました。
「賑やかな、活気に満ちた、この声こそ、この姿こそ、『平和』そのものです。ここにこそ、原爆を抑える力があります。希望があります」
私は感動で胸が震えました。コスタリカの新聞の論説委員長は、先生のあいさつに、「池田会長の知性とセンスと人間性が、あますところなくあらわれています」と賛辞を送りました。
先生はさらに、子どもたちは、伸びゆく「生命」の象徴であり、核兵器は「死」と「破壊」の象徴であると述べられ、「焦点は、"核の力"よりも偉大な"生命の力"を、いかに開発させていくかです。そして、"核の拡大"よりも強力な"民衆の連帯"を、どう拡大していくかです」と訴えられました。そこに私たち、また後継の皆さんの大きな使命があります。
◇平和のために今できること
山口 今年8月、未来部の夏季研修会が開催されました。皆で、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章を教材に、「平和」について学び合いました。
長谷川 学びに学んで力をつけてください。そして、友だちを大切にすることです。「友情」こそ平和の礎です。
「平和」というと、どこか漠然としたイメージがあるかもしれない。しかし、「平和」といっても、どこか遠くにあるのではない。身近な人と仲良くすることから平和は生まれます。
先生が語られた「相互理解と信頼による真の平和樹立」とは、友情を「築く」「広げる」ことだと思います。
もう1点は、「生命を大切にする」ということです。
仏法では、生命の限りない尊さを説きます。国籍や民族、宗教に関係なく、全ての人間の生命は等しく尊い。現在、「生命尊厳」の仏法を基調にした創価学会の運動は、192カ国・地域にまで広がっています。皆さん一人一人がその大切な担い手です。立派に成長し、先生や先輩たちが進めてきてくださった運動を、さらに大きく広げていっていただきたい。
田島 学生部では今月8日から、全国で平和意識調査を開始しました。平和を求める学生の声を糾合し、新たな未来を開いていきます。
長谷川 素晴らしい! 「先駆」を使命とする皆さんの活躍を期待しています。
今回の座談会に当たって、私も皆さんと一緒に、もう一度、『人間革命』『新・人間革命』を学びました。
特に、『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章は、「広宣流布」即「世界平和」への新たな前進を、師から弟子へ、また次の世代へと託されたものと思われてなりません。
若き皆さんは、どうか、『人間革命』『新・人間革命』の研さんに取り組み、後継の師子になってほしい。一人一人が「新時代の山本伸一」として、大きく雄飛していってください。
起こさない"と祈り抜き
常に安全を心掛けよう。
ちょっとした油断を排し
有意義な一日一日に!
富木尼御前御返事 P975
『やのはしる事は弓のちからくものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり』
【通解】
矢が飛ぶことは、弓の力です。雲が動くことは、竜の力です。男の行いは、女の力によるものです。
名字の言 少年野球を通した母子のドラマ 2022年9月25日
ある少年部員は地元の野球チームに所属して1年がたつ。その間、真面目に練習してきたが、なかなか上達しない。下級生は次々にレギュラーとなり、活躍している。親身になって少年に野球を教えてきたコーチは悩んだ。"何でできないのだろう"▼だが、同時にこうも思った。ただただ、ひたむきに練習を重ねる少年の姿勢に"何で、そこまで努力できるんだろう"と▼コーチは少年と話をする中で訳を知った。少年の母は入院中で、さまざまな治療を試しても、思うように回復しない。母子は電話で語らう日々が続いた。ある日、少年は母に弱気なことを口にした。「僕、一生懸命に練習しているんだけど、全然、うまくならないんだ」▼受話器の向こうで母は優しく言った。「何があっても諦めず、自分で決めたことを貫く人が一番偉くて強いんだよ」。それは"元気になって家族の元に帰るぞ"と決意する母が自身を励ます言葉でもあったろう▼先月、ついに母が退院。その数日後、少年は試合に初出場を果たした。応援席では元気になった母が両手に持つメガホンをたたいてエールを送っていた。誰かに勝つより、自分に負けないこと。母子は人生を勝ちゆく、かけがえのない心の宝を得たに違いない。
寸鉄 2022年9月25日
SGIには調和のとれた幸福な社会を築く力が—ドミニカ識者。共生哲理を世界へ
「ひとえに一乗に帰すべし」御書。広布の師弟に生きる誉れ。共戦の魂で(新513・全463)
他人の為に動かねば精神の健康保てない—哲人ヒルティ。今日も颯爽と学会活動に
デマへの沈黙は"お墨付"与える危険—識者。青年が悪の正体鋭く裁き正せ
子育て世代で帯状疱疹が急増。過労やストレス等で発症。生活リズム整え
☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第4回 「原水爆禁止宣言」の発表65周年〈下〉
◇相互理解と信頼の世界へ
先崎 戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表された1年後の1958年(昭和33年)、池田先生は、聖教新聞に「原水爆宣言に思う」(9月26日付)という一文を寄せられました。
長谷川 池田先生は「一瞬にして、幾十万の尊き生命を殺傷した、地獄の使いたる原爆の使用は、絶対に禁止しなければならない。原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と記されました。そして、「御遺訓の成就するまで、いかなる難にも負けず」と、いかに核兵器廃絶の道程が困難であったとしても、恩師の宣言を実現する誓いを述べられています。
58年9月といえば、戸田先生が逝去されて5カ月後、まだ池田先生が第3代会長に就任される2年前のことです。しかし、先生はすでに遺訓を果たす深き責任感に立たれていました。
戸田先生が原水爆禁止宣言を発表された後、池田先生の胸中には数々の構想が広がっていきました。しかし、はやる心を抑え、先生が力を注いだことは、地道な弘教による人間革命の運動です。その運動の流れが国内、そして世界へと広がる中で、学会の広範な平和運動が展開されていきます。
◇"核の力"より"生命の力"を
田島 池田先生は一貫して、国連支援と市民社会の声の結集を訴えられてきました。
長谷川 地球的な諸問題を恒常的に話し合える場が国連にほかなりません。だからこそ、池田先生は国連を「人類の議会」と位置付け、支援してきました。核兵器の問題についても、世界的規模で議論する場を設けることを繰り返し提案されています。
74年(同49年)に愛知で開催された本部総会では、学会は永久に民衆の側に立った平和の道を走る、との基本路線を確認します。
そして、核兵器の問題について、「恐怖による戦争抑止という考え方から、相互理解と信頼による真の平和樹立という考え方へと、根本的に発想を転換すべきである」と述べられます。先生は、核抑止論を真っ向から否定し、新たな発想に立つことを提案されたのです。
さらに、核兵器廃絶のために、�結論を生むまで首脳会議を続行する�国連を実行力ある機関にする�科学者は人類的視野に立った代表として発言し行動すべき、と主張されました。
先生は翌75年(同50年)、広島で行われた本部総会では、同年1月に、青年部有志が中心となって集めた核兵器反対の1100万人の署名簿を、国連事務総長に手渡したことを紹介。また、核兵器全廃のために各国首脳が集まって議論する国際平和会議を、平和原点の地である広島で開催することなどを主張されます。
83年(同58年)1月に初めて「SGIの日」記念提言を発表されて以降、先生は核兵器廃絶に関する提案をされてきました。今年で40回です。
また、今年7月に発表された核兵器の「先制不使用」の誓約等を求める緊急提案は、各界から大きな反響がありました。恩師の遺訓を実現しようとされる、先生の深い思い——。師匠の戦いに、皆さんが続いてほしいと思います。
山下 創価学会はこれまで、「核兵器——現代世界の脅威」展、「核兵器なき世界への連帯」展などを国内だけでなく、世界各国で行ってきました。
長谷川 87年(同62年)5月のことです。ソ連(当時)のモスクワで"核の脅威展"が開かれ、先生に随行させていただきました。
先生は開幕式の席上、「この地球上に、核もない、悲惨と残酷さもない社会が生まれ、人間と人間との平和の花が咲き乱れることを強く信じたい」と訴えられました。核保有国での先生の叫びは、35年たった今も、私の心に響いています。
また、96年(平成8年)6月、コスタリカで行われた"核の脅威展"の開幕式も印象に残ることがありました。
500人の招待客のうち、250人が小学生でした。また、会場の科学文化センターには、子ども博物館が併設されていました。場内は子どもたちの声があふれていました。
開幕式が始まってからも、元気に遊ぶ声はやみません。私は内心、"少しの間だけでいいから、静かにしてくれないかな"と思っていました。
ところが、あいさつに立った先生は笑顔を浮かべ、「この元気な声を聞いてください」と呼びかけられたのです。そして、こう続けられました。
「賑やかな、活気に満ちた、この声こそ、この姿こそ、『平和』そのものです。ここにこそ、原爆を抑える力があります。希望があります」
私は感動で胸が震えました。コスタリカの新聞の論説委員長は、先生のあいさつに、「池田会長の知性とセンスと人間性が、あますところなくあらわれています」と賛辞を送りました。
先生はさらに、子どもたちは、伸びゆく「生命」の象徴であり、核兵器は「死」と「破壊」の象徴であると述べられ、「焦点は、"核の力"よりも偉大な"生命の力"を、いかに開発させていくかです。そして、"核の拡大"よりも強力な"民衆の連帯"を、どう拡大していくかです」と訴えられました。そこに私たち、また後継の皆さんの大きな使命があります。
◇平和のために今できること
山口 今年8月、未来部の夏季研修会が開催されました。皆で、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章を教材に、「平和」について学び合いました。
長谷川 学びに学んで力をつけてください。そして、友だちを大切にすることです。「友情」こそ平和の礎です。
「平和」というと、どこか漠然としたイメージがあるかもしれない。しかし、「平和」といっても、どこか遠くにあるのではない。身近な人と仲良くすることから平和は生まれます。
先生が語られた「相互理解と信頼による真の平和樹立」とは、友情を「築く」「広げる」ことだと思います。
もう1点は、「生命を大切にする」ということです。
仏法では、生命の限りない尊さを説きます。国籍や民族、宗教に関係なく、全ての人間の生命は等しく尊い。現在、「生命尊厳」の仏法を基調にした創価学会の運動は、192カ国・地域にまで広がっています。皆さん一人一人がその大切な担い手です。立派に成長し、先生や先輩たちが進めてきてくださった運動を、さらに大きく広げていっていただきたい。
田島 学生部では今月8日から、全国で平和意識調査を開始しました。平和を求める学生の声を糾合し、新たな未来を開いていきます。
長谷川 素晴らしい! 「先駆」を使命とする皆さんの活躍を期待しています。
今回の座談会に当たって、私も皆さんと一緒に、もう一度、『人間革命』『新・人間革命』を学びました。
特に、『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章は、「広宣流布」即「世界平和」への新たな前進を、師から弟子へ、また次の世代へと託されたものと思われてなりません。
若き皆さんは、どうか、『人間革命』『新・人間革命』の研さんに取り組み、後継の師子になってほしい。一人一人が「新時代の山本伸一」として、大きく雄飛していってください。
2022年9月24日土曜日
2022.09.24 わが友に贈る
生命の絆は永遠だ。
妙法流布に尽くす
真剣な題目と行動こそ
最高の追善回向となる。
福徳の大道を共々に!
乗明聖人御返事 P1012
『夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや』
【通解】
法華経より劣った仏を供養しても、なお九十一劫の長い間、金色の身になったのだから、すぐれた法華経を供養した施主が一生の間に仏の境界に入らないことがあろうか。
名字の言 ある女性部員の御書研さんの原点 2022年9月24日
その女性の御書には、多くの書き込みがあった。後半部分は数百ページにわたって、細かなメモがほぼ全ての行に記されていた▼幼い時に両親が離婚。母は病の克服を願い、1952年に信心を始めた。彼女も入会し、美容師として母を支えた。しかし、経済的には厳しい状況が続いた。その苦悩を聞いた先輩は、彼女を連れて学会本部へ。そこで、池田先生と出会った▼彼女はありのままを伝えた。すると、先生は「今は冬の信心だね。冬のあとには、暖かい春が必ず来るに決まっているよ」と。そして、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)を拝し、凍えた彼女の心を温かく包み込むように励ましを送った▼彼女は「あの時に、心の重い雲がサーッと去った。暖かい太陽の光が、生命に降り注いだような気がした」と振り返る。この時の池田先生の励ましが、彼女の御書研さんの原点となった。昨年、89歳で霊山へ旅立つまで、御書根本の人生を歩み続けた▼11月の教学部任用試験へ向け、各地で研さんの息吹が高まっている。今この時、受験者と、その挑戦を励ます人で築く"信心の思い出"は、最高の宝と輝いていく。試験に挑む一人一人を、全力で応援しよう。
寸鉄 2022年9月24日
各地で座談会たけなわ。「11・18」へ創価家族の励ましの連帯固く前進!
「はげみをなして強盛に」御書。どんな試練も必ず越えられる。強き一念で(新1623・全1192)
一人の青年が命をかければ広宣流布できる—恩師 自身が"山本伸一"の如く
発がん要因、菌や肝炎ウイルス等の感染がトップと。受診率の向上が重要
街中や駅のホーム等での"歩きスマホ"は危険。ちょっとの隙が大事故に
☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第3回 「原水爆禁止宣言」の発表65周年〈上〉
◇核兵器の存在を許さない
山口 明8日は、1957年(昭和32年)に、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表されてから65周年の佳節です。
長谷川 日蓮仏法は生命尊厳の哲理であり、万人の幸福を志向しています。だからこそ、創価学会の社会的使命は「世界平和」と「民衆の幸福」の実現にあります。
日蓮大聖人は末法万年のために、妙法を説かれた。つまり、私たちの信仰は、常に「今」のためにあります。
戸田先生の原水爆禁止宣言もそうです。「今の私たち」のために、核兵器は人類の生存の権利を脅かすものと断罪し、その全面禁止を求める宣言を発表されたのです。それは、逝去される7カ月前のことでした。
私たち、なかんずく青年部の皆さんが、原水爆禁止宣言を過去の出来事として捉えてしまったならば、「遺訓の第一」として発表された宣言の精神も、核兵器は"絶対悪"であるとして、その遺訓の実現に生涯を捧げてこられた池田先生の精神も、流れ通わなくなってしまう。
恩師の宣言をいかに実現していくかを、真剣に考え、行動を起こすことに、青年部の戦いがあります。
◇師から弟子へ平和託す儀式
山下 原水爆禁止宣言が発表された横浜での「若人の祭典」に、理事長は参加されていたと伺いました。
長谷川 当時、私は高校生で、先輩に連れられて参加しました。恥ずかしい限りですが、"感動した"という記憶しかなく、戸田先生の宣言が、どれほど大きな意義があり、歴史的な瞬間の場にいたのかということは、池田先生のご指導などを通して、後で知りました。
学会の集いにどんな意義があるのか、10代、20代の時には分からないことがほとんどです。しかし、後になって、だんだんと分かってくる。
だから、先輩は未来部を、新たな人材を、大切に育んでもらいたい。私も先輩が連れていってくれたからこそ、原水爆禁止宣言の発表の場にいることができた。そのことは今、自身の大きな歴史となっています。
私は、あの日の恩師の宣言は、後継の青年の代表である池田先生へ託されたものであったと思います。師弟の峻厳なる儀式です。
小説『人間革命』第12巻「涼風」の章に、「若人の祭典」の1カ月前、57年8月13日、浅間山の鬼押出しでの語らいの場面が描かれています。
「何か聞きたいことはないかね」と尋ねる戸田先生に、山本伸一は「現代では、戦争などの人災の方が、はるかに大きな脅威になってきているのではないかと思います。なかでも最大の脅威は、原水爆ではないでしょうか」と述べます。すると、戸田先生は「そうだ。そうなんだよ。私も、最近、この問題について、考え続けているんだよ」と答えます。
原水爆に関して、師弟の思いが同じであることを示している印象深いシーンです。
伸一は恩師の宣言を、「打ち震える思いで」聞きました。さらに、「この師の遺訓を、必ず果たさなければならないと、自らに言い聞かせた。そして、戸田の思想を、いかにして全世界に浸透させていくかを、彼は、この時から、真剣に模索し始めた」(小説『人間革命』第12巻「宣言」の章)のです。
伸一は恩師の遺訓を、「ほかの誰か」ではなく、「自分自身」に与えられた、と捉えています。
この責任感にこそ、師弟の精神は脈動するのです。
◇学会の活動は"水底の動き"
田島 戸田先生は核兵器の使用について、「使用したものは、ことごとく死刑にすべき」と宣言されています。『人間革命』第12巻「宣言」の章では、「死刑」という言葉をあえて使われた理由を、「生命の魔性への『死刑宣告』ともいえよう」と記されています。
長谷川 世界のいずれの国であれ、核兵器を戦争の道具として使用しようとすることは、人間の生命に巣食う「魔性」の働きにほかなりません。
仏法では、その魔性の働きを「元品の無明」と説きます。戸田先生は無明に染まった生命を、「法性」「菩提」という善の生命に転じていかねばならないという意味から、あえて「死刑にせよ」という言葉を使われたのだと思います。
人間の生命には善悪の両面があります。"悪の生命"を克服し、"善の生命"を輝かせていく——つまり、一人一人の胸中に「平和の砦」を築いていかなければなりません。
先崎 先日、ニューヨークの国連本部で開かれていた核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は合意に至らず、残念ながら、最終文書の採択はできませんでした。
長谷川 だからこそ、平和を願う民衆の声が、民衆の連帯が、重要度を増しているといえます。私たちは広宣流布の運動を、強く推し進めていくことを誓い合いたいと思います。
20世紀を代表する歴史学者のトインビー博士は、究極的に歴史をつくるのは、世間をにぎわすニュースや出来事ではなく、「水底のゆるやかな動き」と述べています。
学会活動は、平和を築く"水底の動き"——その確信を、青年・未来部の皆さんは持っていただきたいのです。
学会は仏の慈悲の精神がみなぎる、麗しい人間主義の団体です。私たちは、創価の平和哲学を勇気凜々と語り、友情と信頼を広げていきたいと思います。
池田先生は『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章で、次のようにつづられています。
「あきらめてしまえば事態は何も開けない。平和とは、あきらめの心との闘争である。戦争を行うのは人間である。ならば、人間の力でなくせぬ戦争はない」と。
学会の人間革命の実践は、平和構築への不断の闘争でもあります。核兵器廃絶への道は険路です。しかし、どれほど困難であろうと、断じてあきらめてはなりません。
山口 理事長は、第2次世界大戦下、4歳で東京大空襲に遭われました。当時のご記憶をお聞かせください。
長谷川 あの時のことは、今でも忘れられません。3月10日、焼夷弾の雨でした。
火の粉の海の中を無我夢中で逃げました。目の前に焼夷弾が落ちてきて、恐怖で立ちすくんで、逃げられなくなりました。しかし、そのおかげで助かった。逃げるはずだった場所に爆弾が落ちたのです。
幼い頃の東京大空襲の記憶は、今でも焼き付いています。原爆の被害を受けた広島、長崎の方々の苦しみは、どれほど大きいか。
戦争となれば、ミサイルなどによって、多くの人命が失われ、建物も破壊される。しかし、原爆の恐ろしさ、残酷さは通常兵器の比ではありません。一瞬にして無数の人が殺され、町が消える。まさに、地獄です。
被爆者の中には、今なお後遺症などに苦しむ人がいます。「核兵器の存在を、ましてやその使用など絶対に許してはならない」とは、私たち、師弟の叫びです。
平和を守るために、青年部の皆さんが立ち上がってほしい。生命の尊厳を叫び抜いてもらいたいと強く願っています。
妙法流布に尽くす
真剣な題目と行動こそ
最高の追善回向となる。
福徳の大道を共々に!
乗明聖人御返事 P1012
『夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや』
【通解】
法華経より劣った仏を供養しても、なお九十一劫の長い間、金色の身になったのだから、すぐれた法華経を供養した施主が一生の間に仏の境界に入らないことがあろうか。
名字の言 ある女性部員の御書研さんの原点 2022年9月24日
その女性の御書には、多くの書き込みがあった。後半部分は数百ページにわたって、細かなメモがほぼ全ての行に記されていた▼幼い時に両親が離婚。母は病の克服を願い、1952年に信心を始めた。彼女も入会し、美容師として母を支えた。しかし、経済的には厳しい状況が続いた。その苦悩を聞いた先輩は、彼女を連れて学会本部へ。そこで、池田先生と出会った▼彼女はありのままを伝えた。すると、先生は「今は冬の信心だね。冬のあとには、暖かい春が必ず来るに決まっているよ」と。そして、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)を拝し、凍えた彼女の心を温かく包み込むように励ましを送った▼彼女は「あの時に、心の重い雲がサーッと去った。暖かい太陽の光が、生命に降り注いだような気がした」と振り返る。この時の池田先生の励ましが、彼女の御書研さんの原点となった。昨年、89歳で霊山へ旅立つまで、御書根本の人生を歩み続けた▼11月の教学部任用試験へ向け、各地で研さんの息吹が高まっている。今この時、受験者と、その挑戦を励ます人で築く"信心の思い出"は、最高の宝と輝いていく。試験に挑む一人一人を、全力で応援しよう。
寸鉄 2022年9月24日
各地で座談会たけなわ。「11・18」へ創価家族の励ましの連帯固く前進!
「はげみをなして強盛に」御書。どんな試練も必ず越えられる。強き一念で(新1623・全1192)
一人の青年が命をかければ広宣流布できる—恩師 自身が"山本伸一"の如く
発がん要因、菌や肝炎ウイルス等の感染がトップと。受診率の向上が重要
街中や駅のホーム等での"歩きスマホ"は危険。ちょっとの隙が大事故に
☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第3回 「原水爆禁止宣言」の発表65周年〈上〉
◇核兵器の存在を許さない
山口 明8日は、1957年(昭和32年)に、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表されてから65周年の佳節です。
長谷川 日蓮仏法は生命尊厳の哲理であり、万人の幸福を志向しています。だからこそ、創価学会の社会的使命は「世界平和」と「民衆の幸福」の実現にあります。
日蓮大聖人は末法万年のために、妙法を説かれた。つまり、私たちの信仰は、常に「今」のためにあります。
戸田先生の原水爆禁止宣言もそうです。「今の私たち」のために、核兵器は人類の生存の権利を脅かすものと断罪し、その全面禁止を求める宣言を発表されたのです。それは、逝去される7カ月前のことでした。
私たち、なかんずく青年部の皆さんが、原水爆禁止宣言を過去の出来事として捉えてしまったならば、「遺訓の第一」として発表された宣言の精神も、核兵器は"絶対悪"であるとして、その遺訓の実現に生涯を捧げてこられた池田先生の精神も、流れ通わなくなってしまう。
恩師の宣言をいかに実現していくかを、真剣に考え、行動を起こすことに、青年部の戦いがあります。
◇師から弟子へ平和託す儀式
山下 原水爆禁止宣言が発表された横浜での「若人の祭典」に、理事長は参加されていたと伺いました。
長谷川 当時、私は高校生で、先輩に連れられて参加しました。恥ずかしい限りですが、"感動した"という記憶しかなく、戸田先生の宣言が、どれほど大きな意義があり、歴史的な瞬間の場にいたのかということは、池田先生のご指導などを通して、後で知りました。
学会の集いにどんな意義があるのか、10代、20代の時には分からないことがほとんどです。しかし、後になって、だんだんと分かってくる。
だから、先輩は未来部を、新たな人材を、大切に育んでもらいたい。私も先輩が連れていってくれたからこそ、原水爆禁止宣言の発表の場にいることができた。そのことは今、自身の大きな歴史となっています。
私は、あの日の恩師の宣言は、後継の青年の代表である池田先生へ託されたものであったと思います。師弟の峻厳なる儀式です。
小説『人間革命』第12巻「涼風」の章に、「若人の祭典」の1カ月前、57年8月13日、浅間山の鬼押出しでの語らいの場面が描かれています。
「何か聞きたいことはないかね」と尋ねる戸田先生に、山本伸一は「現代では、戦争などの人災の方が、はるかに大きな脅威になってきているのではないかと思います。なかでも最大の脅威は、原水爆ではないでしょうか」と述べます。すると、戸田先生は「そうだ。そうなんだよ。私も、最近、この問題について、考え続けているんだよ」と答えます。
原水爆に関して、師弟の思いが同じであることを示している印象深いシーンです。
伸一は恩師の宣言を、「打ち震える思いで」聞きました。さらに、「この師の遺訓を、必ず果たさなければならないと、自らに言い聞かせた。そして、戸田の思想を、いかにして全世界に浸透させていくかを、彼は、この時から、真剣に模索し始めた」(小説『人間革命』第12巻「宣言」の章)のです。
伸一は恩師の遺訓を、「ほかの誰か」ではなく、「自分自身」に与えられた、と捉えています。
この責任感にこそ、師弟の精神は脈動するのです。
◇学会の活動は"水底の動き"
田島 戸田先生は核兵器の使用について、「使用したものは、ことごとく死刑にすべき」と宣言されています。『人間革命』第12巻「宣言」の章では、「死刑」という言葉をあえて使われた理由を、「生命の魔性への『死刑宣告』ともいえよう」と記されています。
長谷川 世界のいずれの国であれ、核兵器を戦争の道具として使用しようとすることは、人間の生命に巣食う「魔性」の働きにほかなりません。
仏法では、その魔性の働きを「元品の無明」と説きます。戸田先生は無明に染まった生命を、「法性」「菩提」という善の生命に転じていかねばならないという意味から、あえて「死刑にせよ」という言葉を使われたのだと思います。
人間の生命には善悪の両面があります。"悪の生命"を克服し、"善の生命"を輝かせていく——つまり、一人一人の胸中に「平和の砦」を築いていかなければなりません。
先崎 先日、ニューヨークの国連本部で開かれていた核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は合意に至らず、残念ながら、最終文書の採択はできませんでした。
長谷川 だからこそ、平和を願う民衆の声が、民衆の連帯が、重要度を増しているといえます。私たちは広宣流布の運動を、強く推し進めていくことを誓い合いたいと思います。
20世紀を代表する歴史学者のトインビー博士は、究極的に歴史をつくるのは、世間をにぎわすニュースや出来事ではなく、「水底のゆるやかな動き」と述べています。
学会活動は、平和を築く"水底の動き"——その確信を、青年・未来部の皆さんは持っていただきたいのです。
学会は仏の慈悲の精神がみなぎる、麗しい人間主義の団体です。私たちは、創価の平和哲学を勇気凜々と語り、友情と信頼を広げていきたいと思います。
池田先生は『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章で、次のようにつづられています。
「あきらめてしまえば事態は何も開けない。平和とは、あきらめの心との闘争である。戦争を行うのは人間である。ならば、人間の力でなくせぬ戦争はない」と。
学会の人間革命の実践は、平和構築への不断の闘争でもあります。核兵器廃絶への道は険路です。しかし、どれほど困難であろうと、断じてあきらめてはなりません。
山口 理事長は、第2次世界大戦下、4歳で東京大空襲に遭われました。当時のご記憶をお聞かせください。
長谷川 あの時のことは、今でも忘れられません。3月10日、焼夷弾の雨でした。
火の粉の海の中を無我夢中で逃げました。目の前に焼夷弾が落ちてきて、恐怖で立ちすくんで、逃げられなくなりました。しかし、そのおかげで助かった。逃げるはずだった場所に爆弾が落ちたのです。
幼い頃の東京大空襲の記憶は、今でも焼き付いています。原爆の被害を受けた広島、長崎の方々の苦しみは、どれほど大きいか。
戦争となれば、ミサイルなどによって、多くの人命が失われ、建物も破壊される。しかし、原爆の恐ろしさ、残酷さは通常兵器の比ではありません。一瞬にして無数の人が殺され、町が消える。まさに、地獄です。
被爆者の中には、今なお後遺症などに苦しむ人がいます。「核兵器の存在を、ましてやその使用など絶対に許してはならない」とは、私たち、師弟の叫びです。
平和を守るために、青年部の皆さんが立ち上がってほしい。生命の尊厳を叫び抜いてもらいたいと強く願っています。
2022年9月23日金曜日
2022.09.23 わが友に贈る
学会の座談会は
地域の皆を元気にする
生命のオアシスだ。
一人一人をたたえ励まし
歓喜あふれる集いに!
開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』
【通解】
過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい。
名字の言 読書は勝利者の源泉 2022年9月23日
評論家の草柳大蔵氏が生前、池田先生を取材したことがある。その折、先生が「戸田大学」で使用したテキストの中から20冊を借りて、目を通した▼『世界史』(矢田俊隆著、有精堂)や『化学』(F・S・テーラー著、河出書房)などジャンルは幅広い。氏は記している。「どの本も最終頁まできちんと赤線がひかれ、書きこみのしてあるのにはおどろいた」(『実力者の条件』)。広布の激闘が続く中で、池田先生は書を繙き、学び続けた▼恩師から教わったテキストや、戦時中に防空壕に入れて守った本など、青春時代からの愛読した約7万冊の書籍を、池田先生は創価大学に寄贈している。その膨大な蔵書は、中央図書館の「池田文庫」に所蔵された。関係者の強い要望によって命名された同文庫は、今年で開設25周年となる▼池田先生は折々に読書の大切さを創価大学生に語ってきた。2004年1月、中央図書館に足を運んだ先生は、勉強に励む学生に声をかけ、「読書は黄金の輝き」「読書は勝利者の源泉」「読書は幸福の伴侶なり」など、次々と箴言を贈った▼慌ただしい日々の中でも、活字に触れ、思索を深める時間を持ちたい。良書に親しむことは、それ自体が喜びであり、価値創造の根幹の力となる。
寸鉄 2022年9月23日
「題目の光無間に至って即身成仏せしむ」御書。秋の彼岸に追善回向の唱題(新991・全712)
広布の戦いはどこまでも現実社会での格闘—戸田先生。今いる場所で勝利
少年少女部の結成記念日創立100周年の主役を皆で応援!強く賢く伸びゆけ
激しい気温差に注意を。外出時は上着持つ等、小さな積み重ねで健康維持
6割が睡眠不足を実感—調査。良質な眠りが体調管理の源。聡明な生活で
〈社説〉 2022・9・23 きょう少年少女部の結成記念日
◇信じる心が子どもの「自信」育む
きょう23日は、少年少女部結成記念日である。
1965年のこの日、高等部、中等部に続き、少年部(当時)が誕生した。翌年には少年少女合唱団も発足。
池田先生は、目指すべき新時代・21世紀に羽ばたきゆく鳳雛たちに、大いなる希望を見いだし、慈愛を注いだ。
子どもは社会の宝、世界の希望だ。しかし、昨今の日本の子どもたちは世界的に見て、自己肯定感が低いといわれている。
内閣府の調査(2018年度)では、「自分自身に満足している」と答えた割合が調査対象の7カ国中、最も低かった。日本では多くの青少年が、"自分は駄目だ""自分には価値がない"という思いを抱いている。
小学3年、中学1年で肯定感が下がるという研究もある。健全な社会建設のため、何より子どもたちの幸福のために「自信」を育んでいくことが不可欠だろう。
池田先生は少年少女部の結成について、「世界の平和と人類の未来を託す思いで、私がつくりました」と、「少年少女きぼう新聞」9月号に心境をつづった。
未来部担当者や地域の同志も同じ思いで、未来からの使者に温かい励ましを送り続ける。未来部時代に悩み、池田先生の言葉を支えに唱題に挑戦し、信心の確信をつかんだ人も多く、励ましに力が入る。
北海道のある女性部員は、家族を失った悲しみで小学校に行けなくなってしまった未来部員を根気強く激励。時には家に招き、優しく包み込むように対話を重ねた結果、少女は徐々に心を開き、笑顔が増えた。そして、晴れて卒業式に出席することができた。
女性部員は「子どもは必ず成長していきます。今の状況だけ見て決めつけてはいけません」と語る。
今の姿がどうあれ、誰もが命に"宝"を持っている。子どもを信じ抜く心が、子どもの「自信」を育んでいくことを忘れまい。
池田先生は『青春対話』の中で、「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる」と語っている。
創価学会には、未来部員を信じ抜く担当者や地域で励ます大人たちがいる。激動の時代を生き抜く少年少女部員に、"必ず君にしかできない使命の舞台が待っている""あなたは本当に素晴らしい"と確信の言葉を届けたい。
☆「志国」に輝く希望の旭日——永遠の指針「楽土建設の革命児たれ」発表から55周年
◇新時代の勇気あるリーダーが四国から誕生することは間違いない
1967年(昭和42年)9月11日、池田先生は四国本部幹部大会で、「楽土建設の革命児たれ」との永遠の指針を発表した。明後11日は、55周年の佳節である。四国の友は、広布への「志」厚く、たゆみない前進を続けてきた。ここでは、四国での先生の励ましの足跡を紹介する。
�.心に染みた師の姿
池田先生が第3代会長に就任して7年が経過した1967年(昭和42年)5月3日、創価学会は"次の7年"へ向け、新たな出発を開始した。
この船出に当たり、先生は活動の旗印として、各地方にモットーを示した。同年6月13日の関西本部幹部大会を皮切りに、九州、中部、東北、北海道、中国の大会に出席。掉尾を飾ったのが、9月11日に香川・高松市の体育館で開催された四国の大会である。
この大会に向けて、四国の同志は"日本一の拡大で師匠を迎えよう"と対話に奔走。前月の8月、日本一の弘教を達成した。
9月11日、会場には、誓いを果たした6000人の同志の歓喜が弾けた。
午後3時半、大会が幕を開けた。会場に、鼓笛隊が奏でる、学会歌の音色が響いた。ファイフを演奏していた渡邊洋子さん(愛媛池田東県、地区女性部長)は、この時が初めての先生との出会いだった。
大会の終了後、池田先生は鼓笛隊のメンバーと懇談。先生が「皆さんの中で、お父さんのいない人はいますか?」と尋ねると、数人が手を上げた。先生は、温かく包み込むようにして、友に励ましを送った。
さらに、先生はメンバーと記念のカメラに納まった。"全員が幸福になってもらいたい"との師の慈愛は、16歳の渡邊さんの心に深く染みた。以来、"私の師弟共戦の歴史をつづろう"と、信心の大道を真っ直ぐに進んできた。
3年前、地区女性部長に就任。だが、昨年、胃がんを発症した。病床で何度も、「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との御聖訓を拝し、1日も早く広布の最前線に戻ることを、真剣に祈り続けた。
手術で、胃の3分の2を摘出した。寛解を目指して、経過観察を続ける。しかし、渡邊さんは「病魔に負けません!」と朗らかだ。
地区の活動は、林真知子さん(同、女性部副本部長)、青野幸子さん(同、支部女性部長)が支える。渡邊さんは、あの日の記念写真を見返しつつ、地域広布の歩みを重ねている。
�.わが地域のために
四国に初の学会員が誕生したのは、53年(同28年)のこと。この年、高知班が結成され、翌54年(同29年)には、四国で初めての地区が高知に誕生する。
そして、55年(同30年)1月22日、戸田先生が池田先生と共に高知へ。これが池田先生の四国への第一歩である。
戸田先生は地区総会で、高知出身の板垣退助や中江兆民の「自由民権運動」に触れつつ、「新時代の平和革命の大思想は、この日蓮大聖人の仏法である」と訴えた。
それから12年後の四国本部幹部大会で、池田先生は強調した。
「四国の地から、妙法を受持した坂本龍馬、板垣退助、中江兆民といえる新時代の勇気ある指導者が、陸続と出現することは、絶対に間違いないと私は確信するものです」
さらに、交通網の発達に伴い、四国が広布の戦いの中心地となっていく時が来たと期待を述べ、四国広布の未来を見据えつつ、「青年部、学生部、高等部、中等部、少年部を大事にして、育てていっていただきたい」と力を込めた。
31分間にわたる渾身のスピーチに続いて、先生は学会歌の指揮を執った。師匠の舞に合わせ、青年部は高らかに旗を振った。松岡貞敏さん(高知池田正義県、副県長)も、その一人である。
「55年前のことですが、先生が『楽土建設の革命児たれ』とのモットーを発表された時の感動は、今でも覚えています」
発電機メーカーに勤務した後、31歳で独立。工業部品の卸売業を始めた。経営の浮き沈みを何度も経験した。苦難に直面した時ほど、信心の炎を赤々と燃やし、乗り越えてきた。
「楽土建設の革命児たれ」を胸に、地域活動にも率先した。町内会の防災の副会長、高知県の薬物乱用防止推進委員などを歴任。妻の政代さん(同、県女性部主事)と、二人三脚で信頼の輪を広げた。
8年前、試練が襲う。県婦人部書記長(当時)を務めていた長女の美智子さんが、くも膜下出血で倒れ、半年後に亡くなった。松岡さん夫婦は、御本尊にしんしんと祈り、"娘の分まで広布に尽くし抜こう"と誓った。昨年、夫婦で広宣貢献賞を受賞した。
次女の香織さん(同、女性部本部長)、三女の由美さん(同、支部女性部長)も、父母と同じ思いで、愛する地域の楽土建設に駆け巡っている。
�.小豆島ここにあり
67年(同42年)9月11日、四国本部幹部大会の終了後、池田先生は瀬戸内海に浮かぶ小豆島に向かった。
小豆島広布は、53年(同28年)8月、道下ハナさん(故人)の入会から始まった。周囲から「南無妙法蓮華経が歩いている」などと言われながら、道下さんは、地域に仏法を語り広めた。
一人の女性から、一人また一人へと幸福の種が蒔かれ、先生が67年に小豆島を初めて訪問した時には、2支部にまで発展していた。
先生が島を訪れたことは、同年9月13日付の聖教新聞1面で報道され、会館建設が決定したことも掲載された。その朗報は、瞬く間に伝わった。
翌68年6月、小豆島会館が完成。その10年後の78年7月、先生は小豆島会館の開館10周年記念勤行会に出席した。
席上、先生は語った。
「これからも、私は、小豆島の皆さま方に題目を送ります。"小豆島ここにあり"という『団結の小豆島』『福運の小豆島』を、スクラムを組んで建設してください」
柴田徳彦さん(香川池田正義県、圏壮年部長)は、勤行会が生涯の原点だ。会館に到着すると、柴田さんの視線の先に、師の姿があった。
「よく来たね」と声を掛けた先生と、固く握手を交わした。その柔らかく、温かい手のぬくもりは、柴田さんの心に今も鮮明だ。
柴田さんは、小豆島の初代の高等部長を務め、未来の宝の育成に全力を注いだ。地域活動にも尽力。瀬戸内国際芸術祭では、スタッフとして運営に携わってきた。島のための労を厭わない姿に、周囲からの信頼は厚い。
◇◆◇
池田先生は、四国の友に万感の期待を寄せている。
「『香川』『高知』『愛媛』『徳島』と、いずれも、おとぎの国のようなロマンあふれる名前を冠した四国は、『常楽我浄』の生命の宝塔が林立する幸福と平和の楽土を、永遠に勝ち栄えさせていってください」
地域の皆を元気にする
生命のオアシスだ。
一人一人をたたえ励まし
歓喜あふれる集いに!
開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』
【通解】
過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい。
名字の言 読書は勝利者の源泉 2022年9月23日
評論家の草柳大蔵氏が生前、池田先生を取材したことがある。その折、先生が「戸田大学」で使用したテキストの中から20冊を借りて、目を通した▼『世界史』(矢田俊隆著、有精堂)や『化学』(F・S・テーラー著、河出書房)などジャンルは幅広い。氏は記している。「どの本も最終頁まできちんと赤線がひかれ、書きこみのしてあるのにはおどろいた」(『実力者の条件』)。広布の激闘が続く中で、池田先生は書を繙き、学び続けた▼恩師から教わったテキストや、戦時中に防空壕に入れて守った本など、青春時代からの愛読した約7万冊の書籍を、池田先生は創価大学に寄贈している。その膨大な蔵書は、中央図書館の「池田文庫」に所蔵された。関係者の強い要望によって命名された同文庫は、今年で開設25周年となる▼池田先生は折々に読書の大切さを創価大学生に語ってきた。2004年1月、中央図書館に足を運んだ先生は、勉強に励む学生に声をかけ、「読書は黄金の輝き」「読書は勝利者の源泉」「読書は幸福の伴侶なり」など、次々と箴言を贈った▼慌ただしい日々の中でも、活字に触れ、思索を深める時間を持ちたい。良書に親しむことは、それ自体が喜びであり、価値創造の根幹の力となる。
寸鉄 2022年9月23日
「題目の光無間に至って即身成仏せしむ」御書。秋の彼岸に追善回向の唱題(新991・全712)
広布の戦いはどこまでも現実社会での格闘—戸田先生。今いる場所で勝利
少年少女部の結成記念日創立100周年の主役を皆で応援!強く賢く伸びゆけ
激しい気温差に注意を。外出時は上着持つ等、小さな積み重ねで健康維持
6割が睡眠不足を実感—調査。良質な眠りが体調管理の源。聡明な生活で
〈社説〉 2022・9・23 きょう少年少女部の結成記念日
◇信じる心が子どもの「自信」育む
きょう23日は、少年少女部結成記念日である。
1965年のこの日、高等部、中等部に続き、少年部(当時)が誕生した。翌年には少年少女合唱団も発足。
池田先生は、目指すべき新時代・21世紀に羽ばたきゆく鳳雛たちに、大いなる希望を見いだし、慈愛を注いだ。
子どもは社会の宝、世界の希望だ。しかし、昨今の日本の子どもたちは世界的に見て、自己肯定感が低いといわれている。
内閣府の調査(2018年度)では、「自分自身に満足している」と答えた割合が調査対象の7カ国中、最も低かった。日本では多くの青少年が、"自分は駄目だ""自分には価値がない"という思いを抱いている。
小学3年、中学1年で肯定感が下がるという研究もある。健全な社会建設のため、何より子どもたちの幸福のために「自信」を育んでいくことが不可欠だろう。
池田先生は少年少女部の結成について、「世界の平和と人類の未来を託す思いで、私がつくりました」と、「少年少女きぼう新聞」9月号に心境をつづった。
未来部担当者や地域の同志も同じ思いで、未来からの使者に温かい励ましを送り続ける。未来部時代に悩み、池田先生の言葉を支えに唱題に挑戦し、信心の確信をつかんだ人も多く、励ましに力が入る。
北海道のある女性部員は、家族を失った悲しみで小学校に行けなくなってしまった未来部員を根気強く激励。時には家に招き、優しく包み込むように対話を重ねた結果、少女は徐々に心を開き、笑顔が増えた。そして、晴れて卒業式に出席することができた。
女性部員は「子どもは必ず成長していきます。今の状況だけ見て決めつけてはいけません」と語る。
今の姿がどうあれ、誰もが命に"宝"を持っている。子どもを信じ抜く心が、子どもの「自信」を育んでいくことを忘れまい。
池田先生は『青春対話』の中で、「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる」と語っている。
創価学会には、未来部員を信じ抜く担当者や地域で励ます大人たちがいる。激動の時代を生き抜く少年少女部員に、"必ず君にしかできない使命の舞台が待っている""あなたは本当に素晴らしい"と確信の言葉を届けたい。
☆「志国」に輝く希望の旭日——永遠の指針「楽土建設の革命児たれ」発表から55周年
◇新時代の勇気あるリーダーが四国から誕生することは間違いない
1967年(昭和42年)9月11日、池田先生は四国本部幹部大会で、「楽土建設の革命児たれ」との永遠の指針を発表した。明後11日は、55周年の佳節である。四国の友は、広布への「志」厚く、たゆみない前進を続けてきた。ここでは、四国での先生の励ましの足跡を紹介する。
�.心に染みた師の姿
池田先生が第3代会長に就任して7年が経過した1967年(昭和42年)5月3日、創価学会は"次の7年"へ向け、新たな出発を開始した。
この船出に当たり、先生は活動の旗印として、各地方にモットーを示した。同年6月13日の関西本部幹部大会を皮切りに、九州、中部、東北、北海道、中国の大会に出席。掉尾を飾ったのが、9月11日に香川・高松市の体育館で開催された四国の大会である。
この大会に向けて、四国の同志は"日本一の拡大で師匠を迎えよう"と対話に奔走。前月の8月、日本一の弘教を達成した。
9月11日、会場には、誓いを果たした6000人の同志の歓喜が弾けた。
午後3時半、大会が幕を開けた。会場に、鼓笛隊が奏でる、学会歌の音色が響いた。ファイフを演奏していた渡邊洋子さん(愛媛池田東県、地区女性部長)は、この時が初めての先生との出会いだった。
大会の終了後、池田先生は鼓笛隊のメンバーと懇談。先生が「皆さんの中で、お父さんのいない人はいますか?」と尋ねると、数人が手を上げた。先生は、温かく包み込むようにして、友に励ましを送った。
さらに、先生はメンバーと記念のカメラに納まった。"全員が幸福になってもらいたい"との師の慈愛は、16歳の渡邊さんの心に深く染みた。以来、"私の師弟共戦の歴史をつづろう"と、信心の大道を真っ直ぐに進んできた。
3年前、地区女性部長に就任。だが、昨年、胃がんを発症した。病床で何度も、「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との御聖訓を拝し、1日も早く広布の最前線に戻ることを、真剣に祈り続けた。
手術で、胃の3分の2を摘出した。寛解を目指して、経過観察を続ける。しかし、渡邊さんは「病魔に負けません!」と朗らかだ。
地区の活動は、林真知子さん(同、女性部副本部長)、青野幸子さん(同、支部女性部長)が支える。渡邊さんは、あの日の記念写真を見返しつつ、地域広布の歩みを重ねている。
�.わが地域のために
四国に初の学会員が誕生したのは、53年(同28年)のこと。この年、高知班が結成され、翌54年(同29年)には、四国で初めての地区が高知に誕生する。
そして、55年(同30年)1月22日、戸田先生が池田先生と共に高知へ。これが池田先生の四国への第一歩である。
戸田先生は地区総会で、高知出身の板垣退助や中江兆民の「自由民権運動」に触れつつ、「新時代の平和革命の大思想は、この日蓮大聖人の仏法である」と訴えた。
それから12年後の四国本部幹部大会で、池田先生は強調した。
「四国の地から、妙法を受持した坂本龍馬、板垣退助、中江兆民といえる新時代の勇気ある指導者が、陸続と出現することは、絶対に間違いないと私は確信するものです」
さらに、交通網の発達に伴い、四国が広布の戦いの中心地となっていく時が来たと期待を述べ、四国広布の未来を見据えつつ、「青年部、学生部、高等部、中等部、少年部を大事にして、育てていっていただきたい」と力を込めた。
31分間にわたる渾身のスピーチに続いて、先生は学会歌の指揮を執った。師匠の舞に合わせ、青年部は高らかに旗を振った。松岡貞敏さん(高知池田正義県、副県長)も、その一人である。
「55年前のことですが、先生が『楽土建設の革命児たれ』とのモットーを発表された時の感動は、今でも覚えています」
発電機メーカーに勤務した後、31歳で独立。工業部品の卸売業を始めた。経営の浮き沈みを何度も経験した。苦難に直面した時ほど、信心の炎を赤々と燃やし、乗り越えてきた。
「楽土建設の革命児たれ」を胸に、地域活動にも率先した。町内会の防災の副会長、高知県の薬物乱用防止推進委員などを歴任。妻の政代さん(同、県女性部主事)と、二人三脚で信頼の輪を広げた。
8年前、試練が襲う。県婦人部書記長(当時)を務めていた長女の美智子さんが、くも膜下出血で倒れ、半年後に亡くなった。松岡さん夫婦は、御本尊にしんしんと祈り、"娘の分まで広布に尽くし抜こう"と誓った。昨年、夫婦で広宣貢献賞を受賞した。
次女の香織さん(同、女性部本部長)、三女の由美さん(同、支部女性部長)も、父母と同じ思いで、愛する地域の楽土建設に駆け巡っている。
�.小豆島ここにあり
67年(同42年)9月11日、四国本部幹部大会の終了後、池田先生は瀬戸内海に浮かぶ小豆島に向かった。
小豆島広布は、53年(同28年)8月、道下ハナさん(故人)の入会から始まった。周囲から「南無妙法蓮華経が歩いている」などと言われながら、道下さんは、地域に仏法を語り広めた。
一人の女性から、一人また一人へと幸福の種が蒔かれ、先生が67年に小豆島を初めて訪問した時には、2支部にまで発展していた。
先生が島を訪れたことは、同年9月13日付の聖教新聞1面で報道され、会館建設が決定したことも掲載された。その朗報は、瞬く間に伝わった。
翌68年6月、小豆島会館が完成。その10年後の78年7月、先生は小豆島会館の開館10周年記念勤行会に出席した。
席上、先生は語った。
「これからも、私は、小豆島の皆さま方に題目を送ります。"小豆島ここにあり"という『団結の小豆島』『福運の小豆島』を、スクラムを組んで建設してください」
柴田徳彦さん(香川池田正義県、圏壮年部長)は、勤行会が生涯の原点だ。会館に到着すると、柴田さんの視線の先に、師の姿があった。
「よく来たね」と声を掛けた先生と、固く握手を交わした。その柔らかく、温かい手のぬくもりは、柴田さんの心に今も鮮明だ。
柴田さんは、小豆島の初代の高等部長を務め、未来の宝の育成に全力を注いだ。地域活動にも尽力。瀬戸内国際芸術祭では、スタッフとして運営に携わってきた。島のための労を厭わない姿に、周囲からの信頼は厚い。
◇◆◇
池田先生は、四国の友に万感の期待を寄せている。
「『香川』『高知』『愛媛』『徳島』と、いずれも、おとぎの国のようなロマンあふれる名前を冠した四国は、『常楽我浄』の生命の宝塔が林立する幸福と平和の楽土を、永遠に勝ち栄えさせていってください」
2022年9月22日木曜日
2022.09.22 わが友に贈る
寒暖差に注意。
季節の変わり目は
今一重の体調管理を。
夏の疲れを取りながら
健康第一で進もう!
盂蘭盆御書 P1430
『悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息夫妻所従檀那無量の衆生三悪道をはなるるのみならず皆初住妙覚の仏となりぬ』
【通解】
悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。さらには、子息、夫妻、従者、檀那、無量の衆生が三悪道を離れただけでなく、皆、ことごとく(菩薩の修行の中で最初の不退の位である)初住の位に昇り、また(極果である)妙覚の仏となったのである。
【先生の指導から】
なかには、ご家族が信心されていない場合もある。ご家族を、早くに亡くされる場合もあるかもしれない。しかし、大聖人は断言されている。
(中略)
一人が成仏すれば、皆を成仏させることができる。一人が幸福になれば、皆を幸福にしていくことができる。嵐の暗夜にあっても、一本の灯台が燦然と輝きわたっていれば、多くの船を安全に導いていけるようなものである。自身が根本である。
仏意仏勅の学会は、究極の「幸福の安全地帯」である。この学会とともに自分自身が生きぬいていくならば、一家眷属も皆、必ず幸福へとリードしていくことができる。この大確信を忘れないでいただきたい。
名字の言 鹿児島で話題の"90歳の現役美容師" 2022年9月22日
日本をはじめ、世界各国の教育思想に大きな影響を与えた米国の教育哲学者ジョン・デューイ。90歳の誕生日の祝賀会が開かれた時、感謝のあいさつに立った彼は「これからの将来に横たわっている仕事に自分が専念する」(石田理訳)と述べた。90歳を過ぎても、青年のごとく、学問に情熱を注いでいた▼鹿児島に"県内最高齢の現役美容師"として話題の女性部員がいる。20歳で美容師免許を取得し、28歳で独立。経営の浮き沈みや自身の病など、さまざまな苦労を乗り越えてきた。この道70年、90歳の支部副女性部長である▼彼女がカットとカラーを行い、同居する86歳の妹が接客を担当する。仲良し姉妹がもてなす美容室は、常連客も同世代が多い。無理はせず、予約は1日3人まで。「お客さまがいる限りは、店を続けていきたい」と、ますます元気だ▼加齢によって体が衰えるのは誰しも避けられない。しかし、心は違う。自分で希望を生み、挑戦を続ける人には、前進の息吹がみなぎっている。そんな人に接すると、こちらも元気になってくる▼池田先生は「『若さ』とは、年齢では決まらない。生命の力、生命の勢いで決まる」と教える。不屈の信仰でわが心を磨き、充実人生の一日一日を刻もう。
寸鉄 2022年9月22日
「ほむればいよいよ功徳まさる」御書。体験語り互いに讃え合う座談会に(新1713・全1242)
東京・青梅総区の日。わが地域を広布の理想郷に!誓願の祈り強く対話拡大
いかなる苦悩もやがては大きな実りに—戸田先生 多宝の友が厳然と証明!
未来の創造の為に今、何かを準備せねば—哲学者ベルグソン 青年は勇んで試練に挑め
今冬、流感と新型の同時流行に懸念—医師。基本的な感染対策を緩みなく
〈社説〉 2022・9・22 あす「手話言語の国際デー」
◇"違い"を"個性"と理解し合う社会へ
本年3月、ろう者の俳優が主な登場人物を演じた映画「コーダ あいのうた」が米アカデミー賞に輝いたのは記憶に新しい。同作はコーダ(ろう者の親を持つ聴者)の高校生とその家族が共に成長していく物語で、手話の豊かな表現力が多くの人を魅了した。
あす23日は「手話言語の国際デー」。手話言語を音声言語と対等であると認め、ろう者の人権が保障されるよう、社会全体での意識向上を促進するために2017年、国連で定められた。
既に06年には、手話を言語と位置付けた「障害者権利条約」が国連で採択。世界的にも、ニュージーランドや韓国など手話を公用語と定めた国は広がりつつある。
日本では、11年の東日本大震災が大きな転機となった。この時、避難の呼びかけや防災無線が聞こえず、逃げ遅れたろう者らが少なくなかった。手話による情報提供を求める声が高まったことなどから、同年改正の障害者基本法では「言語(手話を含む。)」と明記され、日本の法律として初めて手話を独自の文法を持つ言語として規定したのだ。以後、手話言語条例を制定し、住民の手話への理解を深める活動に取り組む自治体も増加。また、聴者が言語科目として手話を学べる大学も複数ある。
ろう者の活躍の舞台も広がっている。日本の手話とは表現などの異なる海外の手話を学び、留学を目指す学生がいる。筆談やスマートフォンの音声変換アプリ等を活用して、白ゆり長として広布に駆けるメンバーもいる。
池田先生は「桜梅桃李」という仏法の知見について、「それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめ、麗しい人間共和の世界を築いていく、人間や文化の多様性を最大に尊重し、生かし、また調和させゆく哲理」と語った。これは、ろう者と共に生きる社会を考える上でも大切な英知だと思える。
このほど、ろう者など聴覚に障がいのあるアスリートが実力を競う、4年に1度の国際スポーツ大会「デフリンピック」が、25年に東京で行われることが決まった。"ろう者の五輪"とも呼ばれ、日本では初の開催となる。
同大会を機に、"聴者の「普通」にろう者が合わせるのではなく、互いに歩み寄る社会"を、そして"「違い」を「個性」として理解し合える社会"を築いていきたい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第23回 アルバート・アインシュタイン
〈アルバート・アインシュタイン〉
他の人の喜びを喜び、他の人とともに苦しむこと——
これが人間にとって一番の指針です。
「笑ってください」とのカメラマンの要望に、舌を出してユーモアたっぷりにほほ笑む。
飾らないユニークな人柄で知られるアルバート・アインシュタインの有名な写真は、72歳の誕生日パーティーの帰り際に撮影されたものだった。
"現代物理学の父"アインシュタインは1879年3月、ドイツ南部の都市ウルムで暮らすユダヤ人の両親の元に生まれた。
科学に興味を抱くきっかけとなったのは、幼少期に手にした方位磁石。どの方角に向けても北を指し続ける磁針——物体に作用する"目に見えない不思議な力"の存在を知り、科学のとりこになった。
磁針に据えられた少年の眼は、やがて宇宙の謎の解明へと向けられ、科学者になるという夢をもつように。しかし、そこへ至る道は決して平たんではなかった。
父が営む工場の経営不振を機に学校を中退。その後、受験の失敗を経て大学進学を果たすも、今度は就職でつまずいた。
やむなく臨時の教師をしながら研究を続ける中、友人の助けもあり、スイスの特許局に就職。そこは安定した職場ではあったが、夢をかなえられる場所とは言いがたかった。
それでも、アインシュタインの科学への情熱が消えることはなかった。「私には特別な才能などありません。ただ好奇心が激しく強いだけです」
1905年、26歳の時に「特殊相対性理論」をはじめとする三つの科学論文を発表。それは200年以上、物理現象の常識とされた「ニュートン力学」に基づく「時間」と「空間」の概念を覆す内容であった。
支持を表明する著名な物理学者はいたものの、無名の青年の論文は容赦なく誹謗された。ユダヤ人という理由で中傷されもした。
「人間としての真の偉大さにいたる道はひとつしかない。何度もひどい目にあうという試練の道だ」——彼の信念はその11年後、「一般相対性理論」の完成として結実する。精密な天体観測の結果、この理論は証明され、科学の発展に尽くした功績によって21年度のノーベル物理学賞が贈られた。
アインシュタインは後年、次のように記している。
「他人のために生きる人生だけが生きがいのある人生だ」「他の人の喜びを喜び、他の人とともに苦しむこと——これが人間にとっていちばんの指針です」と。
"何のための科学か"——波瀾万丈の人生の中でそれを問い続けた姿こそ、「20世紀最大」と称される物理学者の実像であった。
〈アルバート・アインシュタイン〉
我々は自らの心を変え、勇敢に声を発することによってのみ、他者の心を変えることができる。
アインシュタインは戦争を憎んだ平和主義者でもあった。
彼が生きたのは、日進月歩の科学技術が、2度の世界大戦で武力として使用された時代。科学はあくまで手段であり、それを用いる人間次第で「希望」にも「恐怖」にもなり得る、というのが彼の考えであった。
本格的に反戦・平和運動へと身を投じるようになったのは、1914年の第1次大戦勃発以降。欧州の文化を支持し、人々に分断ではなく連帯を呼びかける声明書に署名したほか、戦争の早期終結を目指してフランスの文豪ロマン・ロランらと意見を交わした。
また、国際連盟の知的協力委員会にも所属。「人々の間の語らいは、魂のふれ合いを進めうる」との思いで、物理学者マリー・キュリー、詩聖タゴール、心理学者フロイトら知識人と親交を結ぶ。
そうした中、祖国ドイツではナチスが政権を掌握(33年)。ユダヤ人は総じて迫害の対象となり、アインシュタインは一家でアメリカへと亡命する。
遠い異国の地にまで届く同胞の悲痛な叫び。胸をえぐられるような毎日を過ごしていたある日、一人の物理学者から相談が持ちかけられる。それは、ドイツが原子力を利用した新型爆弾をつくっている可能性と、対応が必要だと米国のルーズベルト大統領に伝えるべきであるとの趣旨であった。
アインシュタインは、大統領宛ての書簡に署名。ドイツが製造間近ではないと分かるのは後の話だが、これが米国による原子爆弾開発の「マンハッタン計画」を急がせることになった。
彼自身、実際の開発には携わっていない。しかし、新型爆弾の原理には、相対性理論で示した質量とエネルギーの関係を表す公式が応用されたのである。
45年8月6日、世界初の原爆が広島に投下。3日後には長崎にも落とされ、無数の尊い命が一度に奪われた。人類最悪の悲劇が起きた事実を知り、アインシュタインは絶句した。そして、その後悔を背負い、残りの人生を対話による核兵器の廃絶に捧げていく。
「恒久の平和は脅迫によってではなく、相互の信頼を招く真摯な努力によってのみ、もたらされるものです」「我々は、自らの心を変え、勇敢に声を発することによってのみ、他者の心を変えることができる」と。第2次大戦が終結したこの年、彼は65歳になっていた。
アインシュタインが生涯を閉じたのは、10年後の55年4月のことである。最後まで科学の探究と平和の創造に生き抜き、亡くなる7日前には全ての国に核兵器と戦争の根絶を訴える共同声明への署名を承諾。この声明は「ラッセル=アインシュタイン宣言」として、科学者など11人の連名で世界に発信され、平和の誓いとして次代に継承されていった。
〈アインシュタインを語る池田先生〉
「私の永遠は、今、この瞬間なんだ」
清新な決意の一念に立ち返るならば、わが生命に元朝の旭日が赫々と昇る。
人生は戦いである。充実と歓喜の峰へ、新たな一歩を踏み出すのだ。
今から100年前の1922年秋。アインシュタインは日本を訪れ、各地で講演活動を行った。
最初の講演会の場所は、東京・慶應義塾大学。会場には、創価の父・牧口常三郎先生と22歳の戸田城聖先生の姿があった。
戸田先生は5時間にわたる相対性理論の講義を受講した思い出を"人生の誉れ"として、折々に愛弟子の池田先生に語った。
池田先生は恩師の会社で少年雑誌の編集長をしていた21歳の時、「少年日本」の第1号(49年10月号)でアインシュタインを取り上げ、その魅力を伝えている。
そして「ラッセル=アインシュタイン宣言」から2年がたち、同宣言に基づく世界の科学者の連帯「パグウォッシュ会議」が発足されて2カ月後の57年9月8日。
戸田先生は青年部の「若人の祭典」で、核兵器を絶対悪と断ずる「原水爆禁止宣言」を発表した。
民衆の生存の権利を脅かす魔物を断じて許してはならぬ! この思想を広めることこそ、青年の使命である——烈々たる師子吼が、横浜・三ツ沢の競技場に集った5万人の胸に刻まれた。
恩師が「青年への遺訓の第一」とした宣言は学会の平和運動の原点となり、その精神は池田先生に継承された。先生は毎年の「SGIの日」記念提言や各国の首脳・識者との対話を行うとともに、青年を軸にした草の根の運動を提案するなど、核兵器廃絶を目指す連帯を世界に広げてきた。
「ラッセル=アインシュタイン宣言」の署名者の中では、ライナス・ポーリング博士(ノーベル化学賞・平和賞受賞者)、ジョセフ・ロートブラット博士(パグウォッシュ会議名誉会長、ノーベル平和賞受賞者)と深い交友を結び、それぞれ対談集を発刊している。
さらには、随筆やエッセー、スピーチなどでアインシュタインの珠玉の言葉を紹介し、社会の繁栄と平和の建設に尽くす友に指針を贈ってきた。
「大科学者アインシュタイン博士は、『私の永遠は、今、この瞬間なんだ』と言った。
仏法は一念三千と説く。『今、この瞬間』の一念に、『永遠の勝利』も『三世の功徳』も納まっている。いついかなる時も、清新な決意の一念に立ち返るならば、わが生命には、元朝の旭日が赫々と昇りゆくのだ。(中略)
人生は戦いである。ならば今、悔いなく、不滅の戦いを起こすのだ。自身の充実と歓喜の峰へ、新たな一歩を踏み出すのだ」(2007年12月29日付「随筆 人間世紀の光」)
「博士は、こんな言葉も残している。『高貴な思想と行為に導きうるのは、偉大でかつ純粋な個性の実例のみである』と。
率先垂範の『実例』がありてこそ、新たな価値創造の波動も広がる。我らの掲げる『青年の拡大』も、先駆の『一人』から始まるのだ」(17年1月25日付「随筆 永遠なれ創価の大城」)
今月8日、「原水爆禁止宣言」の発表から65周年を迎えた。広宣流布即世界平和の大誓願へ——弟子が立ち、弟子が戦い、弟子が勝つ時は常に「今」である。
季節の変わり目は
今一重の体調管理を。
夏の疲れを取りながら
健康第一で進もう!
盂蘭盆御書 P1430
『悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息夫妻所従檀那無量の衆生三悪道をはなるるのみならず皆初住妙覚の仏となりぬ』
【通解】
悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。さらには、子息、夫妻、従者、檀那、無量の衆生が三悪道を離れただけでなく、皆、ことごとく(菩薩の修行の中で最初の不退の位である)初住の位に昇り、また(極果である)妙覚の仏となったのである。
【先生の指導から】
なかには、ご家族が信心されていない場合もある。ご家族を、早くに亡くされる場合もあるかもしれない。しかし、大聖人は断言されている。
(中略)
一人が成仏すれば、皆を成仏させることができる。一人が幸福になれば、皆を幸福にしていくことができる。嵐の暗夜にあっても、一本の灯台が燦然と輝きわたっていれば、多くの船を安全に導いていけるようなものである。自身が根本である。
仏意仏勅の学会は、究極の「幸福の安全地帯」である。この学会とともに自分自身が生きぬいていくならば、一家眷属も皆、必ず幸福へとリードしていくことができる。この大確信を忘れないでいただきたい。
名字の言 鹿児島で話題の"90歳の現役美容師" 2022年9月22日
日本をはじめ、世界各国の教育思想に大きな影響を与えた米国の教育哲学者ジョン・デューイ。90歳の誕生日の祝賀会が開かれた時、感謝のあいさつに立った彼は「これからの将来に横たわっている仕事に自分が専念する」(石田理訳)と述べた。90歳を過ぎても、青年のごとく、学問に情熱を注いでいた▼鹿児島に"県内最高齢の現役美容師"として話題の女性部員がいる。20歳で美容師免許を取得し、28歳で独立。経営の浮き沈みや自身の病など、さまざまな苦労を乗り越えてきた。この道70年、90歳の支部副女性部長である▼彼女がカットとカラーを行い、同居する86歳の妹が接客を担当する。仲良し姉妹がもてなす美容室は、常連客も同世代が多い。無理はせず、予約は1日3人まで。「お客さまがいる限りは、店を続けていきたい」と、ますます元気だ▼加齢によって体が衰えるのは誰しも避けられない。しかし、心は違う。自分で希望を生み、挑戦を続ける人には、前進の息吹がみなぎっている。そんな人に接すると、こちらも元気になってくる▼池田先生は「『若さ』とは、年齢では決まらない。生命の力、生命の勢いで決まる」と教える。不屈の信仰でわが心を磨き、充実人生の一日一日を刻もう。
寸鉄 2022年9月22日
「ほむればいよいよ功徳まさる」御書。体験語り互いに讃え合う座談会に(新1713・全1242)
東京・青梅総区の日。わが地域を広布の理想郷に!誓願の祈り強く対話拡大
いかなる苦悩もやがては大きな実りに—戸田先生 多宝の友が厳然と証明!
未来の創造の為に今、何かを準備せねば—哲学者ベルグソン 青年は勇んで試練に挑め
今冬、流感と新型の同時流行に懸念—医師。基本的な感染対策を緩みなく
〈社説〉 2022・9・22 あす「手話言語の国際デー」
◇"違い"を"個性"と理解し合う社会へ
本年3月、ろう者の俳優が主な登場人物を演じた映画「コーダ あいのうた」が米アカデミー賞に輝いたのは記憶に新しい。同作はコーダ(ろう者の親を持つ聴者)の高校生とその家族が共に成長していく物語で、手話の豊かな表現力が多くの人を魅了した。
あす23日は「手話言語の国際デー」。手話言語を音声言語と対等であると認め、ろう者の人権が保障されるよう、社会全体での意識向上を促進するために2017年、国連で定められた。
既に06年には、手話を言語と位置付けた「障害者権利条約」が国連で採択。世界的にも、ニュージーランドや韓国など手話を公用語と定めた国は広がりつつある。
日本では、11年の東日本大震災が大きな転機となった。この時、避難の呼びかけや防災無線が聞こえず、逃げ遅れたろう者らが少なくなかった。手話による情報提供を求める声が高まったことなどから、同年改正の障害者基本法では「言語(手話を含む。)」と明記され、日本の法律として初めて手話を独自の文法を持つ言語として規定したのだ。以後、手話言語条例を制定し、住民の手話への理解を深める活動に取り組む自治体も増加。また、聴者が言語科目として手話を学べる大学も複数ある。
ろう者の活躍の舞台も広がっている。日本の手話とは表現などの異なる海外の手話を学び、留学を目指す学生がいる。筆談やスマートフォンの音声変換アプリ等を活用して、白ゆり長として広布に駆けるメンバーもいる。
池田先生は「桜梅桃李」という仏法の知見について、「それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめ、麗しい人間共和の世界を築いていく、人間や文化の多様性を最大に尊重し、生かし、また調和させゆく哲理」と語った。これは、ろう者と共に生きる社会を考える上でも大切な英知だと思える。
このほど、ろう者など聴覚に障がいのあるアスリートが実力を競う、4年に1度の国際スポーツ大会「デフリンピック」が、25年に東京で行われることが決まった。"ろう者の五輪"とも呼ばれ、日本では初の開催となる。
同大会を機に、"聴者の「普通」にろう者が合わせるのではなく、互いに歩み寄る社会"を、そして"「違い」を「個性」として理解し合える社会"を築いていきたい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第23回 アルバート・アインシュタイン
〈アルバート・アインシュタイン〉
他の人の喜びを喜び、他の人とともに苦しむこと——
これが人間にとって一番の指針です。
「笑ってください」とのカメラマンの要望に、舌を出してユーモアたっぷりにほほ笑む。
飾らないユニークな人柄で知られるアルバート・アインシュタインの有名な写真は、72歳の誕生日パーティーの帰り際に撮影されたものだった。
"現代物理学の父"アインシュタインは1879年3月、ドイツ南部の都市ウルムで暮らすユダヤ人の両親の元に生まれた。
科学に興味を抱くきっかけとなったのは、幼少期に手にした方位磁石。どの方角に向けても北を指し続ける磁針——物体に作用する"目に見えない不思議な力"の存在を知り、科学のとりこになった。
磁針に据えられた少年の眼は、やがて宇宙の謎の解明へと向けられ、科学者になるという夢をもつように。しかし、そこへ至る道は決して平たんではなかった。
父が営む工場の経営不振を機に学校を中退。その後、受験の失敗を経て大学進学を果たすも、今度は就職でつまずいた。
やむなく臨時の教師をしながら研究を続ける中、友人の助けもあり、スイスの特許局に就職。そこは安定した職場ではあったが、夢をかなえられる場所とは言いがたかった。
それでも、アインシュタインの科学への情熱が消えることはなかった。「私には特別な才能などありません。ただ好奇心が激しく強いだけです」
1905年、26歳の時に「特殊相対性理論」をはじめとする三つの科学論文を発表。それは200年以上、物理現象の常識とされた「ニュートン力学」に基づく「時間」と「空間」の概念を覆す内容であった。
支持を表明する著名な物理学者はいたものの、無名の青年の論文は容赦なく誹謗された。ユダヤ人という理由で中傷されもした。
「人間としての真の偉大さにいたる道はひとつしかない。何度もひどい目にあうという試練の道だ」——彼の信念はその11年後、「一般相対性理論」の完成として結実する。精密な天体観測の結果、この理論は証明され、科学の発展に尽くした功績によって21年度のノーベル物理学賞が贈られた。
アインシュタインは後年、次のように記している。
「他人のために生きる人生だけが生きがいのある人生だ」「他の人の喜びを喜び、他の人とともに苦しむこと——これが人間にとっていちばんの指針です」と。
"何のための科学か"——波瀾万丈の人生の中でそれを問い続けた姿こそ、「20世紀最大」と称される物理学者の実像であった。
〈アルバート・アインシュタイン〉
我々は自らの心を変え、勇敢に声を発することによってのみ、他者の心を変えることができる。
アインシュタインは戦争を憎んだ平和主義者でもあった。
彼が生きたのは、日進月歩の科学技術が、2度の世界大戦で武力として使用された時代。科学はあくまで手段であり、それを用いる人間次第で「希望」にも「恐怖」にもなり得る、というのが彼の考えであった。
本格的に反戦・平和運動へと身を投じるようになったのは、1914年の第1次大戦勃発以降。欧州の文化を支持し、人々に分断ではなく連帯を呼びかける声明書に署名したほか、戦争の早期終結を目指してフランスの文豪ロマン・ロランらと意見を交わした。
また、国際連盟の知的協力委員会にも所属。「人々の間の語らいは、魂のふれ合いを進めうる」との思いで、物理学者マリー・キュリー、詩聖タゴール、心理学者フロイトら知識人と親交を結ぶ。
そうした中、祖国ドイツではナチスが政権を掌握(33年)。ユダヤ人は総じて迫害の対象となり、アインシュタインは一家でアメリカへと亡命する。
遠い異国の地にまで届く同胞の悲痛な叫び。胸をえぐられるような毎日を過ごしていたある日、一人の物理学者から相談が持ちかけられる。それは、ドイツが原子力を利用した新型爆弾をつくっている可能性と、対応が必要だと米国のルーズベルト大統領に伝えるべきであるとの趣旨であった。
アインシュタインは、大統領宛ての書簡に署名。ドイツが製造間近ではないと分かるのは後の話だが、これが米国による原子爆弾開発の「マンハッタン計画」を急がせることになった。
彼自身、実際の開発には携わっていない。しかし、新型爆弾の原理には、相対性理論で示した質量とエネルギーの関係を表す公式が応用されたのである。
45年8月6日、世界初の原爆が広島に投下。3日後には長崎にも落とされ、無数の尊い命が一度に奪われた。人類最悪の悲劇が起きた事実を知り、アインシュタインは絶句した。そして、その後悔を背負い、残りの人生を対話による核兵器の廃絶に捧げていく。
「恒久の平和は脅迫によってではなく、相互の信頼を招く真摯な努力によってのみ、もたらされるものです」「我々は、自らの心を変え、勇敢に声を発することによってのみ、他者の心を変えることができる」と。第2次大戦が終結したこの年、彼は65歳になっていた。
アインシュタインが生涯を閉じたのは、10年後の55年4月のことである。最後まで科学の探究と平和の創造に生き抜き、亡くなる7日前には全ての国に核兵器と戦争の根絶を訴える共同声明への署名を承諾。この声明は「ラッセル=アインシュタイン宣言」として、科学者など11人の連名で世界に発信され、平和の誓いとして次代に継承されていった。
〈アインシュタインを語る池田先生〉
「私の永遠は、今、この瞬間なんだ」
清新な決意の一念に立ち返るならば、わが生命に元朝の旭日が赫々と昇る。
人生は戦いである。充実と歓喜の峰へ、新たな一歩を踏み出すのだ。
今から100年前の1922年秋。アインシュタインは日本を訪れ、各地で講演活動を行った。
最初の講演会の場所は、東京・慶應義塾大学。会場には、創価の父・牧口常三郎先生と22歳の戸田城聖先生の姿があった。
戸田先生は5時間にわたる相対性理論の講義を受講した思い出を"人生の誉れ"として、折々に愛弟子の池田先生に語った。
池田先生は恩師の会社で少年雑誌の編集長をしていた21歳の時、「少年日本」の第1号(49年10月号)でアインシュタインを取り上げ、その魅力を伝えている。
そして「ラッセル=アインシュタイン宣言」から2年がたち、同宣言に基づく世界の科学者の連帯「パグウォッシュ会議」が発足されて2カ月後の57年9月8日。
戸田先生は青年部の「若人の祭典」で、核兵器を絶対悪と断ずる「原水爆禁止宣言」を発表した。
民衆の生存の権利を脅かす魔物を断じて許してはならぬ! この思想を広めることこそ、青年の使命である——烈々たる師子吼が、横浜・三ツ沢の競技場に集った5万人の胸に刻まれた。
恩師が「青年への遺訓の第一」とした宣言は学会の平和運動の原点となり、その精神は池田先生に継承された。先生は毎年の「SGIの日」記念提言や各国の首脳・識者との対話を行うとともに、青年を軸にした草の根の運動を提案するなど、核兵器廃絶を目指す連帯を世界に広げてきた。
「ラッセル=アインシュタイン宣言」の署名者の中では、ライナス・ポーリング博士(ノーベル化学賞・平和賞受賞者)、ジョセフ・ロートブラット博士(パグウォッシュ会議名誉会長、ノーベル平和賞受賞者)と深い交友を結び、それぞれ対談集を発刊している。
さらには、随筆やエッセー、スピーチなどでアインシュタインの珠玉の言葉を紹介し、社会の繁栄と平和の建設に尽くす友に指針を贈ってきた。
「大科学者アインシュタイン博士は、『私の永遠は、今、この瞬間なんだ』と言った。
仏法は一念三千と説く。『今、この瞬間』の一念に、『永遠の勝利』も『三世の功徳』も納まっている。いついかなる時も、清新な決意の一念に立ち返るならば、わが生命には、元朝の旭日が赫々と昇りゆくのだ。(中略)
人生は戦いである。ならば今、悔いなく、不滅の戦いを起こすのだ。自身の充実と歓喜の峰へ、新たな一歩を踏み出すのだ」(2007年12月29日付「随筆 人間世紀の光」)
「博士は、こんな言葉も残している。『高貴な思想と行為に導きうるのは、偉大でかつ純粋な個性の実例のみである』と。
率先垂範の『実例』がありてこそ、新たな価値創造の波動も広がる。我らの掲げる『青年の拡大』も、先駆の『一人』から始まるのだ」(17年1月25日付「随筆 永遠なれ創価の大城」)
今月8日、「原水爆禁止宣言」の発表から65周年を迎えた。広宣流布即世界平和の大誓願へ——弟子が立ち、弟子が戦い、弟子が勝つ時は常に「今」である。
2022年9月21日水曜日
2022.09.21 わが友に贈る
"実践の教学"こそ
学会の誉れの伝統だ。
「我もいたし、
人をも教化候え」
行学の二道を貫こう!
(新1793・全1361)
御義口伝巻上 P725
『信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり』
【通解】
信ずることによって、智慧という宝を買うことができる。三世のあらゆる仏の智慧を買うのは信によるのである。
名字の言 常に向上しようとする"キングカズ"の雄姿 2022年9月21日
55歳203日で日本フットボールリーグの最年長出場記録を更新した三浦知良選手が、コラムにつづっている。「学ぶということを知っている者はだれのせいにもしない。僕は学び続ける人間でいたい」▼仮に自分と同じポジションの経験がない監督であっても、指示に耳を傾け、プラスとなる何かを探す。「過去の実績なんてものはどこかへしまって、今を歩む」(日本経済新聞2010年11月5日付)と。年齢や環境にとらわれず、常に向上しようとする"キングカズ"の雄姿は、ファンを魅了してやまない▼ある壮年はバイク事故に遭い、車いす生活に。母が信心しても「自分に未来はない」と入会を拒んだ。そんな彼を4年前、地域の壮年部員が教学部任用試験の勉強に誘った▼最初は渋々始めた。だが、人々を救うため、あえて宿業を背負い生まれてくる「願兼於業」の法理を学ぶ中で、宿命は使命に変えられることを知った。会友で合格し、本年3月に入会。脊髄損傷者を支援する会の県会長として、福祉車両を運転し友の元へ通う▼「生きるとは学ぶことです。学ぶとは生きることです」と池田先生は教える。苦闘の中でなお、至高の生命哲理を学ぶ。その人は不動の自分を築くことができる。
寸鉄 2022年9月21日
信用できるのは青年の心—恩師。正義の炎燃やす広布の闘士よ新時代開け
任用試験、申し込み進む。"理は信を深からしむ"。新たな同志と共に研さん
妙法は「蘇生の義」。苦闘の友を皆で応援。最後に勝つのがわれらの信心だ
国連・国際平和デー。新たな誓いで今日も対話を!生命尊厳の哲理を掲げて
車の事故、雨の日は約4倍と。不安定な天候。次の連休も無理のない計画を
〈社説〉 2022・9・21 きょうから秋の交通安全運動
◇横断歩道では歩行者が優先
「赤信号で止まりますか」——車を運転する人は全員が「止まる」と答えるだろう。では、歩行者が渡ろうとしている、信号機のない横断歩道ではどうか。「止まる」人が多いと願いたいが、実際には「止まらない」人が約7割にものぼったという。
日本自動車連盟(JAF)の調査によれば、信号機が設置されていない横断歩道を歩行者が渡ろうとしている時、一時停止した車は何と30・6%だけだった(2021年調査)。
道路交通法では、横断歩道などを渡ろうとする歩行者などがいるかいないか分からない場合は横断歩道の手前で停止できる速度で走行すること、また、横断中もしくは横断しようとしている歩行者などがいる場合には一時停止することがドライバーに義務付けられている。違反すると罰則の対象となり、違反点数2点、反則金9000円(普通車の場合)の行政処分が科せられる。
21年に全国の警察が横断歩行者妨害で摘発したのは32万件超と、過去最多を更新した。違反の多さ以上に、横断歩道が全く安全ではない現実に戦慄を覚える。
きょうから「秋の全国交通安全運動」(31日まで)。警察庁では、交通事故死者数に占める歩行者の割合が高いことを踏まえ、「子どもと高齢者をはじめとする歩行者の安全確保」などの重点事項を定めている。
ドライバーは今一度、「横断歩道は歩行者優先」との基本に徹し、横断歩道手前での減速・一時停止を厳守していきたい。
また、歩行者も手を挙げるなどドライバーに横断する意思を明確に伝えることや、安全を確認してから横断を始めることなど、自らの安全を守る行動を心がけよう。
池田先生は友の無事故と安全を心から願い、「事故を防ぐ要諦とは何か——それは、信心においても、生活においても、しっかりと基本を守るということです。基本を怠るというのは油断であり、さらに、そこには慢心があります」(小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「大山」の章)と戒めている。
私たちは、ドライバーであれ、歩行者であれ、絶対に"事故を起こさない""事故に遭わない"との明確な意識と強盛な祈りを根本に、交通ルールを順守し、無事故で充実の日々を過ごしたい。
☆対話のツボ 【問い】「彼岸」は、どういう意味なの?
「彼岸」とは、「向こう側の岸」の意味で、「こちら側の岸」を意味する「此岸」との対比で用いられます。此岸とは煩悩の迷いの世界を譬えたもの、彼岸とは成仏の覚りの境涯を譬えたものです。
また、彼岸には成仏の境涯とともに「到彼岸」、すなわち、そこに到る「修行」「実践」の意義も含んでいます。
日本では年2回、「春分の日」や「秋分の日」を挟むそれぞれ前後1週間を「彼岸」と呼び、墓参や先祖供養を行っています。しかし、これは仏教本来の伝統ではなく、日本独特の風習です。
本来、仏教における「彼岸」の本義は、どこまでも「成仏の境涯」、また「成仏に到る実践」にあります。
日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんば、かなうべからず」(新1721・全1448)と仰せのように、南無妙法蓮華経と唱え、広布に生き抜くことで、誰もがこの一生のうちに生死の大海を越えて、覚りの境涯に到達することができるのです。
御書では、「彼岸」という言葉を、先祖供養の意義で用いられている箇所はありません。むしろ大聖人の仏法では、毎日の勤行・唱題が、先祖への追善回向となっています。毎日が彼岸であり、いわば「常彼岸」とも言えるのです。
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第30回 さあ仏法対話に取り組もう
明2023年の11月、広宣流布大誓堂完成10周年を目指して、新たなる弘教拡大の歩みが開始されました。私たちが仏法対話に取り組む姿勢について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指針を紹介します(指導集163ページ、164ページを抜粋)。
◇穏やかに、にこやかに
大聖人は、破折をするさいにも、「穏やかに、また強く、両目を細くして、顔色をととのえて、静かに申し上げなさい」(新1673・全1280、通解)と仰せである。
大確信をもって、穏やかに、また、にこやかに仏法を語っていくことだ。
(『池田大作全集』第96巻、関東会・東京会合同研修会でのスピーチ)
◇確信と体験を堂々と語る
仏法の偉大さと信心のすばらしさを自信満々と話していくことです。
そして人生の確信ある生き方、未来への限りなき希望に雄々しく生きぬく、価値ある生活の実証を語っていくことです。
結論して言えば、自分自身の確信と体験を堂々と語りぬいていくことです。
(『池田大作全集』第94巻、世界平和祈念勤行会でのスピーチ)
◇焦ってはいけない
人には、それぞれ「時」というものがあります。いつか、その人も、正しい仏法に目覚める時が来る。祈っていれば、必ずそうなります。焦ってはいけない。
忍耐強くいきなさい。戦いは忍耐です。
また、なかなか思うとおりにいかない人がいるからこそ、題目がたくさん唱えられるのではないですか(笑い)。その功徳は、全部、自分のものです。広布への行動に無駄はない。「損」はない。学会活動は、「得」ばかりなのです。
(『池田大作全集』第94巻、世界平和祈念勤行会でのスピーチ)
◇耳を傾けること
真の対話は、他者の尊極の生命に対する敬意から始まる。
この点に関しては、世界的な文化人類学者ヌール・ヤーマン博士とも一致した。「相手を尊敬すること」そして「耳を傾けること」である、と。
(本紙2007年9月30日付、「世界との語らい」)
学会の誉れの伝統だ。
「我もいたし、
人をも教化候え」
行学の二道を貫こう!
(新1793・全1361)
御義口伝巻上 P725
『信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり』
【通解】
信ずることによって、智慧という宝を買うことができる。三世のあらゆる仏の智慧を買うのは信によるのである。
名字の言 常に向上しようとする"キングカズ"の雄姿 2022年9月21日
55歳203日で日本フットボールリーグの最年長出場記録を更新した三浦知良選手が、コラムにつづっている。「学ぶということを知っている者はだれのせいにもしない。僕は学び続ける人間でいたい」▼仮に自分と同じポジションの経験がない監督であっても、指示に耳を傾け、プラスとなる何かを探す。「過去の実績なんてものはどこかへしまって、今を歩む」(日本経済新聞2010年11月5日付)と。年齢や環境にとらわれず、常に向上しようとする"キングカズ"の雄姿は、ファンを魅了してやまない▼ある壮年はバイク事故に遭い、車いす生活に。母が信心しても「自分に未来はない」と入会を拒んだ。そんな彼を4年前、地域の壮年部員が教学部任用試験の勉強に誘った▼最初は渋々始めた。だが、人々を救うため、あえて宿業を背負い生まれてくる「願兼於業」の法理を学ぶ中で、宿命は使命に変えられることを知った。会友で合格し、本年3月に入会。脊髄損傷者を支援する会の県会長として、福祉車両を運転し友の元へ通う▼「生きるとは学ぶことです。学ぶとは生きることです」と池田先生は教える。苦闘の中でなお、至高の生命哲理を学ぶ。その人は不動の自分を築くことができる。
寸鉄 2022年9月21日
信用できるのは青年の心—恩師。正義の炎燃やす広布の闘士よ新時代開け
任用試験、申し込み進む。"理は信を深からしむ"。新たな同志と共に研さん
妙法は「蘇生の義」。苦闘の友を皆で応援。最後に勝つのがわれらの信心だ
国連・国際平和デー。新たな誓いで今日も対話を!生命尊厳の哲理を掲げて
車の事故、雨の日は約4倍と。不安定な天候。次の連休も無理のない計画を
〈社説〉 2022・9・21 きょうから秋の交通安全運動
◇横断歩道では歩行者が優先
「赤信号で止まりますか」——車を運転する人は全員が「止まる」と答えるだろう。では、歩行者が渡ろうとしている、信号機のない横断歩道ではどうか。「止まる」人が多いと願いたいが、実際には「止まらない」人が約7割にものぼったという。
日本自動車連盟(JAF)の調査によれば、信号機が設置されていない横断歩道を歩行者が渡ろうとしている時、一時停止した車は何と30・6%だけだった(2021年調査)。
道路交通法では、横断歩道などを渡ろうとする歩行者などがいるかいないか分からない場合は横断歩道の手前で停止できる速度で走行すること、また、横断中もしくは横断しようとしている歩行者などがいる場合には一時停止することがドライバーに義務付けられている。違反すると罰則の対象となり、違反点数2点、反則金9000円(普通車の場合)の行政処分が科せられる。
21年に全国の警察が横断歩行者妨害で摘発したのは32万件超と、過去最多を更新した。違反の多さ以上に、横断歩道が全く安全ではない現実に戦慄を覚える。
きょうから「秋の全国交通安全運動」(31日まで)。警察庁では、交通事故死者数に占める歩行者の割合が高いことを踏まえ、「子どもと高齢者をはじめとする歩行者の安全確保」などの重点事項を定めている。
ドライバーは今一度、「横断歩道は歩行者優先」との基本に徹し、横断歩道手前での減速・一時停止を厳守していきたい。
また、歩行者も手を挙げるなどドライバーに横断する意思を明確に伝えることや、安全を確認してから横断を始めることなど、自らの安全を守る行動を心がけよう。
池田先生は友の無事故と安全を心から願い、「事故を防ぐ要諦とは何か——それは、信心においても、生活においても、しっかりと基本を守るということです。基本を怠るというのは油断であり、さらに、そこには慢心があります」(小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「大山」の章)と戒めている。
私たちは、ドライバーであれ、歩行者であれ、絶対に"事故を起こさない""事故に遭わない"との明確な意識と強盛な祈りを根本に、交通ルールを順守し、無事故で充実の日々を過ごしたい。
☆対話のツボ 【問い】「彼岸」は、どういう意味なの?
「彼岸」とは、「向こう側の岸」の意味で、「こちら側の岸」を意味する「此岸」との対比で用いられます。此岸とは煩悩の迷いの世界を譬えたもの、彼岸とは成仏の覚りの境涯を譬えたものです。
また、彼岸には成仏の境涯とともに「到彼岸」、すなわち、そこに到る「修行」「実践」の意義も含んでいます。
日本では年2回、「春分の日」や「秋分の日」を挟むそれぞれ前後1週間を「彼岸」と呼び、墓参や先祖供養を行っています。しかし、これは仏教本来の伝統ではなく、日本独特の風習です。
本来、仏教における「彼岸」の本義は、どこまでも「成仏の境涯」、また「成仏に到る実践」にあります。
日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんば、かなうべからず」(新1721・全1448)と仰せのように、南無妙法蓮華経と唱え、広布に生き抜くことで、誰もがこの一生のうちに生死の大海を越えて、覚りの境涯に到達することができるのです。
御書では、「彼岸」という言葉を、先祖供養の意義で用いられている箇所はありません。むしろ大聖人の仏法では、毎日の勤行・唱題が、先祖への追善回向となっています。毎日が彼岸であり、いわば「常彼岸」とも言えるのです。
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第30回 さあ仏法対話に取り組もう
明2023年の11月、広宣流布大誓堂完成10周年を目指して、新たなる弘教拡大の歩みが開始されました。私たちが仏法対話に取り組む姿勢について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指針を紹介します(指導集163ページ、164ページを抜粋)。
◇穏やかに、にこやかに
大聖人は、破折をするさいにも、「穏やかに、また強く、両目を細くして、顔色をととのえて、静かに申し上げなさい」(新1673・全1280、通解)と仰せである。
大確信をもって、穏やかに、また、にこやかに仏法を語っていくことだ。
(『池田大作全集』第96巻、関東会・東京会合同研修会でのスピーチ)
◇確信と体験を堂々と語る
仏法の偉大さと信心のすばらしさを自信満々と話していくことです。
そして人生の確信ある生き方、未来への限りなき希望に雄々しく生きぬく、価値ある生活の実証を語っていくことです。
結論して言えば、自分自身の確信と体験を堂々と語りぬいていくことです。
(『池田大作全集』第94巻、世界平和祈念勤行会でのスピーチ)
◇焦ってはいけない
人には、それぞれ「時」というものがあります。いつか、その人も、正しい仏法に目覚める時が来る。祈っていれば、必ずそうなります。焦ってはいけない。
忍耐強くいきなさい。戦いは忍耐です。
また、なかなか思うとおりにいかない人がいるからこそ、題目がたくさん唱えられるのではないですか(笑い)。その功徳は、全部、自分のものです。広布への行動に無駄はない。「損」はない。学会活動は、「得」ばかりなのです。
(『池田大作全集』第94巻、世界平和祈念勤行会でのスピーチ)
◇耳を傾けること
真の対話は、他者の尊極の生命に対する敬意から始まる。
この点に関しては、世界的な文化人類学者ヌール・ヤーマン博士とも一致した。「相手を尊敬すること」そして「耳を傾けること」である、と。
(本紙2007年9月30日付、「世界との語らい」)
2022年9月20日火曜日
2022.09.20 わが友に贈る
悪天候等の大変な中で
本紙配達に携わる皆様に
心から感謝します!
決して無理をしないよう
無事故・安全第一で!
妙一尼御前御消息 P1252
『譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇えり、父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し』
【通解】
たとえば、ある人に七人の子供がいて、その子の中で一人が病気になったとする。父母の心は、どの子にも平等であるが、やはり、病気の子に対しては誰よりも、心配するようなものである。
名字の言 "なる"と決める。"なれる"と信じ抜く 2022年9月20日
生徒から「授業が分かりやすい」と定評のある、中学校教諭の男子部員。彼に「優秀なんですね」と声をかけると、「その逆です」と笑顔で答えた。元々は勉強が苦手で、算数の九九を覚えるにも人の何倍も時間を要したという▼彼は少年部時代、「将来、学校の先生になれたらいいな」と未来部員会で夢を語った。すると担当者は「"なる"と決めよう。"なれる"と信じ抜こう」と励ました。後年、教員採用試験に5度目の挑戦で合格。「全てがトントン拍子にいっていたら、今の教員生活に、これほどの充実感はなかった」と振り返る▼先日、ある女性部員が知人と仏法セミナーに参加した。語らいながら会場へ向かう道中、知人が彼女に聞いた。「これまで信心に疑いを抱いたことはありましたか?」。彼女は「入会して55年間、一度もありません」と言った▼ただ、彼女の人生は波瀾万丈だった。若くして母を亡くし、結婚後は息子のけが、夫の大病など幾多の試練が襲った。その一切を信心で乗り越えてきた▼苦難があったにもかかわらず、いな、苦難があったからこそ、仏法への不動の確信を築けたのだ。順風ばかりの人生では信心の醍醐味は味わえない。苦闘を通して、わが生命は磨かれ、輝く。
寸鉄 2022年9月20日
「一句一偈なりとも行ぜば、必ず得道なるべし」御書。実践の人が勝利者(新1828・全1496)
創価班・牙城会の若き力が躍動!未来は君の双肩に。勇気と智慧で光れ!
苦労せざるものは幸運に値せず—偉人ダ・ヴィンチ。あえて困難に挑む青春こそ無上道
歩幅を広げれば認知症予防に効果—研究。運動はできる事から。室内でも
台風通過の地域でも"吹き返し"に注意。土砂崩れ等も。厳重警戒さらに
☆教学随想 日蓮仏法の視座 他者への想像力 石田幸司男子部教学部長
今月2日、第2次世界大戦の正式な終結から77年を迎えた。今この時に当たり、「一人」を思いやる想像力の重要性を考えてみたい。そこに、平和実現のための確実な方途があるに違いないからだ。
◇利己主義超える世界平和の道
「一人」の幸福を信じ祈る
近年、SNSの普及に伴って、その匿名性の故か、気軽に発信できるからか、さまざまな形で「誹謗中傷」が横行し、社会問題になっている。
見ず知らずの相手へ、攻撃的なメッセージを一方的に送りつける。その人は、スマホやパソコンの画面の"向こう側"にいてメッセージを受け取る"生身の人間"の痛みに、どれほど思いを巡らせているだろうか。
他者を思いやれない。目にしているもの以外に思いが至らない——。そこに欠如しているのは、目に見えない相手の"状況"にまで深く思いを巡らせる「想像力」ではないだろうか。
それは裏返せば、自分本位というエゴイズム(利己主義)の表出といえるかもしれない。他者の存在を軽視するところから、人間不信が社会に根を張り、やがて、対立や分断、争いが生じてしまうことは、古今の歴史が証明している。
他者への想像力が欠如した社会に、明るい未来はない。
◇「異の苦」と「同一苦」
日蓮大聖人は「今ときどのにげんざんつかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとおぼう」(新1316・全975)と、目の前にいる富木常忍を自らのもとへ送り出した、妻の富木尼御前の献身に思いをはせられている。眼前の一人だけでなく、その背後にいるであろう家族、そして地域の門下にまで心を砕かれたのだ。
また、大聖人は、大集経や薬師経などの経典に基づいて自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)の二難を予言し、後に二月騒動と蒙古襲来として的中された。民衆を守るために、現実を深く洞察した上で、経典という根拠に基づいて、まだ起きていない事柄の生起を言い当てられたのだ。
これらはまさに、究極の「想像力」だと思えてならない。では、その根底にあるものとは何か。
御書では、涅槃経に説かれる「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ如来一人の苦なり」との一節を引用し、二つのことを述べられている。
すなわち、「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ日蓮一人の苦なるべし」(新1056・全758)と、「一切衆生の同一苦は、ことごとくこれ日蓮一人の苦なり」(新745・全587)である。
「異の苦」とは、あらゆる人々がそれぞれに抱く、一つ一つの苦しみを指す。「同一苦」とは、万人成仏を説く法華経を蔑ろにした人々が、無間地獄に堕ちる苦しみのことである。
つまり大聖人は、個々人が持つ多様な「苦」と一切衆生の「苦」、その両者を御自身の「苦」として捉えられていたのだ。
目の前の「一人」の苦悩を起点に、人類全体の苦悩へと思いを巡らせる——。大聖人の「想像力」の根底にあるものとは、一切衆生を救わんとする、偉大な「大慈悲」にほかならない。
そもそも、「異の苦」と「同一苦」は一見、次元が異なるように見えるが、そこには密接な関係がある。それぞれ異なる苦悩を抱いている人々は、実は、その根底に、生命への根本的な不信という「同一苦」を抱いているのだ。それは、生命軽視、人間不信という、人類が抱える根源的な苦悩である。ゆえに、この「同一苦」との戦いなくして、真の苦悩の克服はありえないのである。
◇菩薩が法を説く場
大聖人が示された「立正安国」の原理も、ある面、人間不信や生命軽視という「同一苦」との戦いといえまいか。
妙法を信受した一人が生命を変革し、幸福境涯を開いていくことで、やがて、法華経の万人成仏に基づく生命尊厳の理念が、一人また一人と広がり、社会を動かす基本原理として確立される。
それによって、私たちの住む現実世界がそのまま、安穏な仏国土となることを、「立正安国論」では教えられている。そのための実践として示されたのが、「一対一の対話」である。
大乗仏教の維摩経では、在家の菩薩である維摩詰が、自らが病になった原因について、"衆生を子のように愛するので、衆生が病めば、菩薩も病むのである"と述べる場面がある。先の涅槃経の一節に通じる話である。
注目したいのは、維摩詰が、学校や政治・法律の場、議論の場、さらには酒場や賭博場にまで入り込んで法を説いていることだ。具体的、直接的にあらゆる他者と関わることは、万人尊敬の実践であり、一切衆生の救済につながることを示唆しているように思える。
現実に関わる「一人」と語らい、「一人」を救済することから、あらゆる衆生の救済は始まるのだ。
◇具体的な幸せの姿
以前、戦争を経験した方々のお話を伺ったことがある。ある方は、語り部として学校等で必ず伝えていることがあるという。
「学校で友達をいじめる。これは、人間生命を大切にしていないという点で戦争に通じる。人生にはもっともっと楽しいことがあるはずなんです。それを、友達と協力して努力して見つける。平和って、そうやって築いていくしかないと思う」と。
争いと対極という意味での「楽しいこと」を、身近な他者と協力して見つけていく粘り強い営みが、今ほど求められている時はないと感じる。
私が創価学会の活動を積極的に始めた頃、先輩から教わったことがある。それは、「あの人に幸せになってほしい」という漠然とした願いから一歩踏み込んで、「こういう幸せをつかんでほしい」という、相手が具体的に幸福になる姿を祈ることだった。
そのためには、相手のことを深く知らなければいけない。会って話すなど、人間関係が深まれば、より一層、相手についての想像力が働く。「一人を大切にする」ことの一つの形がここにあると思う。
池田先生は、「一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、『同苦』は始まるのである」と述べられている。
関わることで他者への想像力は培われ、培われた想像力をもって他者に励ましを送っているのが、私たち学会員の生き方である。
さらに先生はつづられている。「あの友の悩みに耳を傾け、懸命に励ましの言葉をかける。この人に、なんとしても幸せになってほしいと、必死に仏法を語り、題目を送る——われらの健気なる日々の実践こそが、大聖人に連なる直道であるのだ。
その時、自身の偏狭なエゴイズムの殻は破られ、地涌の菩薩の、御本仏の大生命が胸中に脈動し、境涯革命の歯車が回転するのだ」
自分だけの幸福などない。他人だけの不幸もない。
社会の分断が危惧される今こそ、想像力豊かに、目の前の一人を大切にする行動を貫き、その思想を広げ、思いやりに満ちた社会を築いていきたい。
本紙配達に携わる皆様に
心から感謝します!
決して無理をしないよう
無事故・安全第一で!
妙一尼御前御消息 P1252
『譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇えり、父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し』
【通解】
たとえば、ある人に七人の子供がいて、その子の中で一人が病気になったとする。父母の心は、どの子にも平等であるが、やはり、病気の子に対しては誰よりも、心配するようなものである。
名字の言 "なる"と決める。"なれる"と信じ抜く 2022年9月20日
生徒から「授業が分かりやすい」と定評のある、中学校教諭の男子部員。彼に「優秀なんですね」と声をかけると、「その逆です」と笑顔で答えた。元々は勉強が苦手で、算数の九九を覚えるにも人の何倍も時間を要したという▼彼は少年部時代、「将来、学校の先生になれたらいいな」と未来部員会で夢を語った。すると担当者は「"なる"と決めよう。"なれる"と信じ抜こう」と励ました。後年、教員採用試験に5度目の挑戦で合格。「全てがトントン拍子にいっていたら、今の教員生活に、これほどの充実感はなかった」と振り返る▼先日、ある女性部員が知人と仏法セミナーに参加した。語らいながら会場へ向かう道中、知人が彼女に聞いた。「これまで信心に疑いを抱いたことはありましたか?」。彼女は「入会して55年間、一度もありません」と言った▼ただ、彼女の人生は波瀾万丈だった。若くして母を亡くし、結婚後は息子のけが、夫の大病など幾多の試練が襲った。その一切を信心で乗り越えてきた▼苦難があったにもかかわらず、いな、苦難があったからこそ、仏法への不動の確信を築けたのだ。順風ばかりの人生では信心の醍醐味は味わえない。苦闘を通して、わが生命は磨かれ、輝く。
寸鉄 2022年9月20日
「一句一偈なりとも行ぜば、必ず得道なるべし」御書。実践の人が勝利者(新1828・全1496)
創価班・牙城会の若き力が躍動!未来は君の双肩に。勇気と智慧で光れ!
苦労せざるものは幸運に値せず—偉人ダ・ヴィンチ。あえて困難に挑む青春こそ無上道
歩幅を広げれば認知症予防に効果—研究。運動はできる事から。室内でも
台風通過の地域でも"吹き返し"に注意。土砂崩れ等も。厳重警戒さらに
☆教学随想 日蓮仏法の視座 他者への想像力 石田幸司男子部教学部長
今月2日、第2次世界大戦の正式な終結から77年を迎えた。今この時に当たり、「一人」を思いやる想像力の重要性を考えてみたい。そこに、平和実現のための確実な方途があるに違いないからだ。
◇利己主義超える世界平和の道
「一人」の幸福を信じ祈る
近年、SNSの普及に伴って、その匿名性の故か、気軽に発信できるからか、さまざまな形で「誹謗中傷」が横行し、社会問題になっている。
見ず知らずの相手へ、攻撃的なメッセージを一方的に送りつける。その人は、スマホやパソコンの画面の"向こう側"にいてメッセージを受け取る"生身の人間"の痛みに、どれほど思いを巡らせているだろうか。
他者を思いやれない。目にしているもの以外に思いが至らない——。そこに欠如しているのは、目に見えない相手の"状況"にまで深く思いを巡らせる「想像力」ではないだろうか。
それは裏返せば、自分本位というエゴイズム(利己主義)の表出といえるかもしれない。他者の存在を軽視するところから、人間不信が社会に根を張り、やがて、対立や分断、争いが生じてしまうことは、古今の歴史が証明している。
他者への想像力が欠如した社会に、明るい未来はない。
◇「異の苦」と「同一苦」
日蓮大聖人は「今ときどのにげんざんつかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとおぼう」(新1316・全975)と、目の前にいる富木常忍を自らのもとへ送り出した、妻の富木尼御前の献身に思いをはせられている。眼前の一人だけでなく、その背後にいるであろう家族、そして地域の門下にまで心を砕かれたのだ。
また、大聖人は、大集経や薬師経などの経典に基づいて自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)の二難を予言し、後に二月騒動と蒙古襲来として的中された。民衆を守るために、現実を深く洞察した上で、経典という根拠に基づいて、まだ起きていない事柄の生起を言い当てられたのだ。
これらはまさに、究極の「想像力」だと思えてならない。では、その根底にあるものとは何か。
御書では、涅槃経に説かれる「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ如来一人の苦なり」との一節を引用し、二つのことを述べられている。
すなわち、「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ日蓮一人の苦なるべし」(新1056・全758)と、「一切衆生の同一苦は、ことごとくこれ日蓮一人の苦なり」(新745・全587)である。
「異の苦」とは、あらゆる人々がそれぞれに抱く、一つ一つの苦しみを指す。「同一苦」とは、万人成仏を説く法華経を蔑ろにした人々が、無間地獄に堕ちる苦しみのことである。
つまり大聖人は、個々人が持つ多様な「苦」と一切衆生の「苦」、その両者を御自身の「苦」として捉えられていたのだ。
目の前の「一人」の苦悩を起点に、人類全体の苦悩へと思いを巡らせる——。大聖人の「想像力」の根底にあるものとは、一切衆生を救わんとする、偉大な「大慈悲」にほかならない。
そもそも、「異の苦」と「同一苦」は一見、次元が異なるように見えるが、そこには密接な関係がある。それぞれ異なる苦悩を抱いている人々は、実は、その根底に、生命への根本的な不信という「同一苦」を抱いているのだ。それは、生命軽視、人間不信という、人類が抱える根源的な苦悩である。ゆえに、この「同一苦」との戦いなくして、真の苦悩の克服はありえないのである。
◇菩薩が法を説く場
大聖人が示された「立正安国」の原理も、ある面、人間不信や生命軽視という「同一苦」との戦いといえまいか。
妙法を信受した一人が生命を変革し、幸福境涯を開いていくことで、やがて、法華経の万人成仏に基づく生命尊厳の理念が、一人また一人と広がり、社会を動かす基本原理として確立される。
それによって、私たちの住む現実世界がそのまま、安穏な仏国土となることを、「立正安国論」では教えられている。そのための実践として示されたのが、「一対一の対話」である。
大乗仏教の維摩経では、在家の菩薩である維摩詰が、自らが病になった原因について、"衆生を子のように愛するので、衆生が病めば、菩薩も病むのである"と述べる場面がある。先の涅槃経の一節に通じる話である。
注目したいのは、維摩詰が、学校や政治・法律の場、議論の場、さらには酒場や賭博場にまで入り込んで法を説いていることだ。具体的、直接的にあらゆる他者と関わることは、万人尊敬の実践であり、一切衆生の救済につながることを示唆しているように思える。
現実に関わる「一人」と語らい、「一人」を救済することから、あらゆる衆生の救済は始まるのだ。
◇具体的な幸せの姿
以前、戦争を経験した方々のお話を伺ったことがある。ある方は、語り部として学校等で必ず伝えていることがあるという。
「学校で友達をいじめる。これは、人間生命を大切にしていないという点で戦争に通じる。人生にはもっともっと楽しいことがあるはずなんです。それを、友達と協力して努力して見つける。平和って、そうやって築いていくしかないと思う」と。
争いと対極という意味での「楽しいこと」を、身近な他者と協力して見つけていく粘り強い営みが、今ほど求められている時はないと感じる。
私が創価学会の活動を積極的に始めた頃、先輩から教わったことがある。それは、「あの人に幸せになってほしい」という漠然とした願いから一歩踏み込んで、「こういう幸せをつかんでほしい」という、相手が具体的に幸福になる姿を祈ることだった。
そのためには、相手のことを深く知らなければいけない。会って話すなど、人間関係が深まれば、より一層、相手についての想像力が働く。「一人を大切にする」ことの一つの形がここにあると思う。
池田先生は、「一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、『同苦』は始まるのである」と述べられている。
関わることで他者への想像力は培われ、培われた想像力をもって他者に励ましを送っているのが、私たち学会員の生き方である。
さらに先生はつづられている。「あの友の悩みに耳を傾け、懸命に励ましの言葉をかける。この人に、なんとしても幸せになってほしいと、必死に仏法を語り、題目を送る——われらの健気なる日々の実践こそが、大聖人に連なる直道であるのだ。
その時、自身の偏狭なエゴイズムの殻は破られ、地涌の菩薩の、御本仏の大生命が胸中に脈動し、境涯革命の歯車が回転するのだ」
自分だけの幸福などない。他人だけの不幸もない。
社会の分断が危惧される今こそ、想像力豊かに、目の前の一人を大切にする行動を貫き、その思想を広げ、思いやりに満ちた社会を築いていきたい。
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