広宣流布とは
人と会うことだ!
どこまでも礼儀正しく
誠実一路の振る舞いで
大きく仏縁を広げよう!
遠藤左衛門尉御書 P1336
『左衛門殿は梵天釈天の御使にてましますか、霊山えの契約に此の判を参せ候、一流は未来え持せ給え霊山に於て日蓮日蓮と呼び給え、其の時御迎えに罷り出ず可く候』
【通解】
左衛門殿は梵天・帝釈天のお使いであられましょうか。霊山浄土へ行く固い約束として、この判形を差し上げます。一つは未来世へお持ちになりなさい。そして霊山で「日蓮、日蓮」と呼んでください。その時はお迎えに出てまいりましょう。
〈寸鉄〉 2018年12月16日
青年が思う存分、働けるよう応援する人が偉い—恩師。広布の未来ここに
「偉大な挑戦は不本意な結果さえ栄光にする」諺。最後に勝つ。それが信心
読書や読み聞かせは脳の発達を促進—研究。良書に挑め。まず開く事から
12月は交通事故が最多の月と。慌ただしい今こそ安全運転。早めの点灯も
現在の景気拡大は戦後2番目の長さ。公明よ対策更に。皆の実感伴うまで
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 聖人御難事 2018年12月8日
◇「師弟不二の信心」が勇気の源泉に
◇皆に具わる「師子王の心」
今月は、「聖人御難事」を研さんします。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「わが創価学会は、師子の集いです。一人一人が師子となれば、いかなる逆境にも勝利することができます。師子は強い。何も恐れない。一人一人が師子吼すれば、あらゆる魔性を打ち破ることができます。師子を妨げるものなど、何もありません」
日蓮大聖人から創価三代の師弟に継承されてきた「師子王の心」を学んでいきましょう。(拝読範囲は本抄全編です)
◇本抄について
本抄は、「熱原の法難」の渦中である弘安2年(1279年)10月1日、日蓮大聖人が身延で認められ、門下一同に与えられたお手紙です。
当時、駿河国(静岡県中央部)富士地方では、日興上人を中心に弘教が進み、多くの農民信徒が誕生。その勢いを恐れた、滝泉寺の院主代・行智らは、大聖人門下を迫害します。
同年9月21日、農民信徒20人が無実の罪で捕らえられ、非道な尋問で法華経の信心を捨てるよう脅されます。そして、神四郎・弥五郎・弥六郎は殉教。残る17人は誰一人退転することなく、妙法の信心を貫きました。この不惜身命の弟子の出現に、時の到来を感じられた大聖人は、本抄で御自身の「出世の本懐」を示されます。
そして、大難と戦う門下に、強盛な信心の姿勢を強調されています。
◇御文�
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(1190ページ7行目〜9行目)
◇通解
各々は師子王の心を取り出して、どのように人が威嚇しても、決して恐れることがあってはならない。師子王は百獣に恐れない。師子の子もまた同じである。彼ら(正法を誹謗する人々)は、野干(狐などのような、よく吼える小型の獣)が吼えているようなものであり、日蓮の一門は師子が吼えているのである。
◇御文�
『設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへにばっしがたかるべしと存じ給うべし、月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』(1190ページ10行目〜12行目)
◇通解
たとえ大鬼神がついた人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王また天照太神・八幡大菩薩が守護されているゆえに、罰することができないと、確信していきなさい。
月々日々に、信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。
◇解説
大聖人は掲げた御文�で、法華経の信仰ゆえの迫害と戦う門下に、"一人一人が「師子王の心」を取り出して、絶対に恐れてはいけない"と仰せです。
「師子王の心」とは、大聖人が広宣流布の闘争の中で示された、不屈の勇気であり、何ものにも負けない仏界の生命です。
御文に「取り出して」とあるように、偉大な「師子王の心」は、私たちの胸中にも具わっています。
それを取り出す源泉が、「師弟不二の信心」です。
私たちの実践でいえば、"師匠のために"と立ち上がり、師匠と心を合わせて広布に前進する時、生命の奥底から仏界の無限の力が涌現し、必ず勝利を開いていくことができるのです。
本抄の御執筆当時、迫害と戦っていた熱原の信徒の多くは、入信の日が浅い農民でした。しかし皆、弾圧に屈することなく信心を貫いていたのです。
この共戦の弟子に大聖人は、「師子の子・又かくのごとし」「日蓮が一門は師子の吼るなり」と最大に励まされています。
"いかなる迫害があろうと、師子王の心で戦えば、恐れるものなど何もない"との大確信に、門下はどれほど勇気づけられたことでしょう。
続く御文�で大聖人は、強大な権力をもつ「大鬼神のつける人」が弾圧しようとしても、あらゆる諸天善神が守護するので、法華経の行者が危害を加えられることはないと仰せです。
諸天善神とは、具体的な実体があるのではなく、正法を実践することによって現れる"働き"です。そして、諸天の守護といっても、その人の「信心の強さ」によるのです。
ゆえに、魔はその人の信心を停滞させようと、心の隙を狙ってきます。「月月・日日に」と示された通り、たゆまず前進しゆく信心こそ、魔に打ち勝つ要諦なのです。
題目を根本に、日々「行学の二道」に励み、何があっても負けない師子王の境涯を築いていきましょう。
◇池田先生の講義から
「師子王の心」とは、「不退の心」です。「負けじ魂」「学会魂」であるといってもよい。難と戦えば仏になれる。そのために「師子王の心」を取り出すのです。信心とは、絶えず前進し続ける「勇気」の異名なのです。(中略)
一ミリでも、一歩でも、進んだ人が勝利者です。負けないことが不屈の心の財を積み、その中で自身の人間革命、宿命転換を成し遂げられる。信心の世界は、どこまでも真面目に信心を貫いた人こそが、最後は必ず栄冠を勝ち取るのです。(2015年11月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
◆ ◇ ◆
たゆまざる信心の実践こそ、人生勝利の要諦です。(中略)
戦い続ける人、すなわち、常に仏界を開いている人は、魔を寄せつけません。常に前進する人が、必ず偉大な境涯を築き上げることができる。そのための仏法です。
「月月・日日につより給へ」の信心こそ、三障四魔を破り、宿命転換を成し遂げゆく絶対勝利の根本なのです。(同)
研さんのために
○…2015年10・11月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」(聖教新聞社)
○…『御書と青年』(同)
○…『御書の世界』第1巻(同)