2018年12月5日水曜日

2018.12.05 わが友に贈る

「ほむれば弥
功徳まさる」御聖訓。
同志の尊き奮闘を
皆で心から褒め合おう!
学会家族は仲良く前進!

日眼女造立釈迦仏供養事 P1188
『今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし、二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとおぼしめすべし』

【通解】
今、日眼女は現世安穏を祈っておられるようであるけれども、教主釈尊を信仰して造立されたのであるから、未来の成仏もうたがいない。
したがって日眼女は日本国二百九十九万四千八百三十人の女人の中で第一であるとおもっていきなさい。

〈寸鉄〉 2018年12月5日
この会見は永遠に語り継がれる物語—北京大教授周総理・池田会談44周年
「第2総東京青年部の日」広布電源地の後継よ勇み立て。人材の大拡大を!
「名聞名利は今生のかざり」御書。師弟に生きる無名の人間王者に福徳燦然
火事の原因、放火が多く。可燃物の撤去、家の周囲を明るくなど自衛策固く
年末は各種の詐欺が増加傾向。「自分は大丈夫」の隙排し警戒。声掛け更に

☆虹を懸ける 池田先生とケニア�=完 2018年11月25日
◇歩こう! 共に"勝者"の行進を
「アフリカほど平和を求めている大陸はない」「アフリカほど困難と闘っている地もない」「ここを『幸福大陸』『希望大陸』にしていくことが、人類共通の目標でなければならない。アフリカに学び、アフリカを大事にしていく時代を築いていくことだ」(随筆「新・人間革命」)
池田先生が"幸福大陸・アフリカ"の未来を展望して、間もなく60年。その行動と軌跡は、世紀を超え、国境を越えて、アフリカ社会に希望の光を送り続けている。
各界のリーダーとの語らいは、ケニアだけを見ても、大統領や大臣、ノーベル平和賞を受賞したアフリカの環境の母ワンガリ・マータイ博士、ケニア作家協会のヘンリー・インダンガシ会長、大学首脳や歴代駐日大使など多岐にわたる。
また先生が創立した民主音楽協会は、早くも1971年からアフリカの音楽文化を日本に紹介してきた。91年には、公演で来日したケニア国立民族音楽舞踊団一行と先生が会見を行っている。
同じく創価大学は、アフリカの9カ国・13大学と学術交流協定を締結。その第1号となった東アフリカの名門・ケニア国立ナイロビ大学との交流は、今年で30周年を迎えた。
同大学出版局からは先生の『生命を語る』が、初のスワヒリ語版の日本人作品として発刊(90年)。翌年には、イギリスの歴史家トインビー博士との対談集『21世紀への対話』のスワヒリ語版がオックスフォード大学出版局の東・中央アフリカ支局から刊行され、大きな反響を呼んだ。
91年11月29日、東京に大使館を置く「在東京アフリカ外交団」が、26カ国の総意で先生に「教育・文化・人道貢献賞」を授与。この日は邪宗門から愚劣な破門通告書が届いた日であり、学会は魂の独立を果たしたのである。
同外交団からは、後に「感謝状」と「アフリカ友好記念牌」も贈られている。
そして今、先生が蒔いた平和・文化・教育の種は見事に結実し、幾千、幾万もの友が、ケニアを含むアフリカ各国で躍動する時代がやって来たのである。

◇創価同窓の活躍
カツジ・ナカムラさん(ケニア壮年部長)は、東京の葛飾・柴又の出身。高等部時代、本部幹部会の音声中継などで池田先生の指導に触れ、「アフリカ広布の人材に」との誓願を立てる。創大への進学を志し、日本とアフリカの文化交流の懸け橋にとの思いから、20期生として、文学部の日本語日本文学科(当時)に入学した。
その直後、創立者である先生との忘れ得ぬ出会いが。「全部分かっているからね」——一人一人を優しく包み込む慈顔は、目に焼き付いて離れない。
1年次、共にアフリカに尽くそうと語り合っていた妹が、創大に入学する直前、交通事故で帰らぬ人に。悲しみに暮れる一家の支えになったのは、先生からの励ましだった。
部長を務めた創大パン・アフリカン友好会では、折々に南アフリカのマンデラ氏をはじめ、多くの来賓の歓迎を。先生の賓客を一緒に迎えるたびに、アフリカに貢献する決意を深く固めていった。
4年次にナイロビ大学に留学。その際、自身の使命をケニアに見いだし、同大学で大学院まで進んだ。
修士課程在籍中の98年から、現在の職場であるアメリカ国際大学で非常勤講師を。真剣に祈り抜く中、別の学校からも日本語講師として採用された。2000年からは念願だった常勤教員となり、相次ぐ信心の実証に、妻のプリシラさんも信仰の確信をつかんだ。
06年7月、ナカムラさんは、SGI青年研修会で来日し、師弟の再会を果たす。
会合の席上、先生は「遠いところで、けなげに一生懸命、頑張っている人のことを、いつも祈っている」と、アフリカの友らにエールを。さらにスワヒリ語のことわざを通し、創価の魂を示した。
「学会は、どこまでも異体同心であり、全員が平等な同志である」「初代、2代、3代によって、学会は、未来永遠の発展の基礎が築かれた。真の師弟の精神がある限り、学会は将来にわたって勝ち栄えていく」と。
弟子としてさらなる勝利を誓ったナカムラさん。翌年から5年連続で学生が選ぶ学部の「最優秀男性教員賞」を受賞し、大学が新設した「最優秀教員賞」の第1号にも輝いた。
現在はケニア日本語教師会の会長も担う。
ケニアSGIでは、創価班委員長、支部長を経て、壮年部長に。今年8月には壮年部総会を盛大に開催。過去最高の結集で、先生の入信記念日である8・24「壮年部の日」を荘厳することができた。
異国での生活に苦労は尽きないが、信心で一家和楽を築き、妻のプリシラさんは、後任の支部長としてナイロビ市内を奔走。長女・フェイスさんはアメリカ国際大学の創大交換留学1期生に。次男・ダイサクさんは創大国際教養学部の1年生だ。
師と共に断じてアフリカ広布を! ナカムラさんやマスミ・オダリさん(創大12期、ケニア総合婦人部長)ら創価教育同窓生の活躍が、ケニア広布の前進を支えている。

◇誉れの「11・18」
2010年3月8日——アニル・シャーさん(ケニア議長)は、東京でのSGI代表研修会の会場にいた。
「勝ち抜いて一生を送ることだ。仏になって、最高の満足の一生を送ることだ」
池田先生の師子吼に奮い立ち、世界平和を誓ったこの日が、シャーさんのかけがえのない原点になっている。
インドにルーツを持ち、ケニア最大の港湾都市・モンバサで生まれ育った。イギリスの大学を卒業後は製薬の分野に進み、何不自由ない生活を送っていたが、どこか心が満たされずにいた。
そんな時、病気の治療で滞在していたロンドンで仏法を知る。題目を唱えると、心の底から湧き上がる力を感じた。参加した会合で創価家族の温かさに感動したシャーさんは、ケニアに戻ってから本格的に学会活動を始める。やがて御本尊を受持した。
「信心は、私に多くの変化をもたらしてくれました。共に支え合う同志と出会うことができ、どんな悩みにも負けずに前へ進み続ける勇気を学びました。何より、正しい人生の生き方を示してくださる師匠を持つことができた。これ以上の幸せはありません」
入会から12年。地区部長時代には、地道な励ましが実を結び、2年間でメンバーが約4倍に。新たに二つのグループが誕生した。
これまで4度のSGI研修会に参加。来日するたびに師弟の誓願を新たにしてきた。
中でも13年11月、広宣流布大誓堂の落慶記念勤行会に出席した時の感動は、今も記憶に鮮やかだ。現在は議長を務めている。
全世界の同志が指標としてきた大誓堂完成5周年の今年の「11・18」。二度とない誉れの佳節を、シャーさんはケニアの友と晴れやかに勝ち飾った。

1994年、アフリカの新時代が幕を開けた。南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃され、マンデラ大統領が就任したのである。
その直後、イギリスのタプロー・コート総合文化センターで行われたSGI総会(同年6月)。アフリカの代表も招かれ、そこにはケニアの友もいた。
会合前、別会場で待っていたアフリカの同志に、先生は言った。
「アフリカは勝った。一緒に歩こう! これは"勝者"の行進だ」
総会の会場までの距離は、五、六十メートルほど。だが、師と共に踏み締める一歩一歩は「アフリカの世紀」「ケニアの未来」を開きゆく、誇り高き民衆凱歌の大行進であった。
(�は11月22日付に掲載)

〈取材に協力してくださった方々〉ユカ・モンダさん、ジョージ・ボヤさん