2018年12月31日月曜日

2018.12.31 わが友に贈る

新聞休刊日

本尊供養御書 P1536
『事多しと申せども年せまり御使急ぎ候へば筆を留候い畢んぬ』

【通解】
書きたいことは多くあるけれども、年の瀬も迫り、使いの方も急いでいるので、筆を留め置くことにした。

☆御書と歩む� 第49回 全同志の大奮闘に栄光あれ!
『日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず』(諸法実相抄、1359ページ)

◇通解
日蓮を供養し、また日蓮の弟子檀那となられた功徳は仏の智慧でも量り尽くすことはできない。

◇同志への指針
この一年、新たな地涌の友が、あの地でも、この地でも澎湃と誕生した。
御本仏は全国・全世界の大奮闘をいかばかり御賞讃であろうか。本当にありがとう!
大聖人直結の「弟子檀那」として戦う創価家族の功徳は仏の智慧でも量り尽くせない。
新たな一年も、我らは広宣流布のため、立正安国のため、不二の大闘争で、金剛不壊の歴史を築こうではないか!

☆世界に魂を 心に 翼つばさを 第11回 精神のシルクロード(中)
◇「対立」の時代に 創つくる「共演」の舞台
中国、インド、イラクの出演者による華麗なステージが話題を呼び、大盛況となった民音「シルクロード音楽の旅」シリーズの第1回公演。
関係者の胸に焼き付いている光景がある。
1979年8月12日。全国17都市の巡演を終えて迎えた帰国の日。ホテルのロビーでは、それぞれの出発時間ごとに、他の国の共演者が見送りに。抱擁を交わし、涙を流す。
イラン・イラク戦争の前年。中には帰国後に出征する出演者もいた。無事を祈りながら別れを惜しんだ。
激動の時代である。各国の出演者は、来日公演の合間に母国のニュースを食い入るように見つめていた。翌年のモスクワ五輪は60以上の国々がボイコットするなど、文化行事にも暗い影が落ち始めていた。
◇ ◆ ◇
「シルクロード音楽の旅」の企画に携わった、世界的な民族音楽学者の小泉文夫氏。
当時、民族音楽のラジオ番組を担当していた。熱烈な聴衆もいたが、大衆受けするものではない。いかに、「シルクロードの音楽」の魅力を人々に伝えていくか——。
検討の末、海外で現地調査を行い、公演の中身を練ることになった。さらにシリーズ化し、各回にテーマを設けた。第1回は「歌」、第2回は「楽器」、第3回は「舞踊」、そして第4回を「総集編」と位置付けることになった。
第1回公演が実現した79年は、持ち運びに便利な携帯音楽プレーヤーが発売された年。音楽の多様化は、まだまだこれからという時代である。
「当時、小泉先生のいる場所が、世界の珍しい音楽を知るための"情報センター"になっていました」
そう振り返るのは、東京芸術大学で小泉氏の授業を初めて受講した小柴はるみ氏(東海大学名誉教授)。いわば"最初の弟子"の一人である。数々のフィールドワークを共にし、民音の海外での調査にも同行した。
「小泉先生は、何でも自分の目と耳で確かめる方でした。間接的な情報をうのみにせず、現地に足を運んで、本質を捉える。民音の現地調査でも、毎回必ず、仮説、考察、舞台化というプロセスを踏まれました」
何より、小泉氏の温かなまなざしが忘れられないという。
「『調査に来ました』ではなく、『皆さんから教えていただくために来ました』と言いなさい」と氏は口酸っぱく語ってもいた。当初、「調査団」だった名称も「考察団」に改められた。
◇ ◆ ◇
第1回公演以来、関係者の悲願となっていたのが、政治的に激しく対立していた中国とソ連(当時)の合同公演である。
70年代は、日中関係が大きく動いた時代だった。72年に日中共同声明が調印され、78年、日中平和友好条約が締結された。
その間、早くも75年には、中国北京芸術団が民音の招聘で日本公演を果たしている。中国側に何度も合同公演を呼び掛けたものの、中ソの共演だけは強く拒否された。
第2回公演の開催へ、民音は再び考察団を派遣。80年7・8月、小泉団長を中心に、北京、西安、蘭州、敦煌、ウルムチ、クチャ、カシュガル、さらにパキスタンの各地に足を運んだ。
一行は、行く先々で「池田先生がつくられた民音ですね」と声を掛けられた。
この前年の4月、池田先生は創価学会の会長を辞任。日本では学会への中傷が一部マスコミで繰り返された。国内とは正反対の評価に驚きを隠せない。
考察団は敦煌莫高窟、キジル千仏洞などの史跡の壁画を音楽的観点から調査。莫高窟では壁画に描かれた全ての楽器を写真に収め、類例を見ない実績を収めた。
中国から帰国する前日。北京にいた一行を、「敦煌の守り人」として知られる常書鴻氏が訪ねた。
「私には命の恩人が二人います」と語る常氏。さらに続けた。
「一人は文化大革命の時に守ってくださった周恩来総理。もう一人は、私の研究を理解し、励ましてくださった池田先生です」
砂漠の砂に埋もれ、崩壊の危機にあった莫高窟。常氏は、私財をなげうち、敦煌芸術の保護に身をささげた。土砂崩れを防ぐために周辺に木を植え、土塀を作った。水も電気もない。土を固めてベッドや机をこしらえた。
文化大革命では、"敦煌芸術という精神的アヘンで人民を毒する元凶"と批判され、肉体労働を課せられた。暴行などの迫害は10年に及んだ。
この筋金入りの人物が「命の恩人」と語るのが池田先生だった。
襟を正す考察団一行。シルクロードを巡る旅は、池田先生が開いた友好の道をたどる旅でもあった。
「精神のシルクロード」を主題に掲げたモスクワ大学での池田先生の講演(75年5月)。その前年、先生は、9月にソ連のコスイギン首相、12月に中国の周恩来総理、75年1月にはアメリカでキッシンジャー国務長官と会見している。
民間人の立場ながら、冷え切った米ソ、中ソ関係の打開に尽力した。「中ソは必ず和解します。否、そのためにも私は行くのです」と。
その行動は、どんな立場になろうと一貫して変わらなかった。
◇ ◆ ◇
81年7月。中国、イラク、パキスタン、ルーマニアの芸術家による、第2回「遙かなる楽人たちの道」(楽器編)の公演がスタートした。
圧巻はフィナーレの合同演奏「越天楽」。小泉氏が特に思いを込めた企画である。敦煌の壁画に描かれる楽人の合奏が、ステージ上で"再現"された。終演後、しばし喝采がやまなかった。
一方、出演者同士の"文化の違い"は想像以上に大きかった。宗教上の理由による食事制限があれば、スタッフは街を走って食べられる物を探した。公演会場の一室に絨毯を敷いて、イスラム教のお祈り用の部屋を設けたこともあった。
民音のシルクロードシリーズで、長年、出演者のツアーマネジャーを務めた遠藤建吉氏。「通常、こういった類の公演が終われば、海外からの出演者は、疲れてぐったりするのが普通です。でも民音公演は違いました。みんな、逆に元気になってバスに戻ってくるんです」
小泉氏は、出演者を迎える民音側の姿勢に深く共感していた。
かつて大阪万博に招待されて演奏した海外の音楽家たちが、受け入れ側から心ない対応を受けたことがあった。氏は自腹を切って歓待した。
一方、民音の大阪公演では、京都の史跡見学など、出演者が日本文化に触れられるようにと心が尽くされていた。
小泉氏は、うれしそうに語っている。「スピリチュアル・シルクロード(精神のシルクロード)なんでしょうね。民音にはハートがあります」
◇ ◆ ◇
「ちょっと失礼。少し休ませてください」
第3回の考察団の調査結果をもとに、打ち合わせを重ねていた83年6月。小泉氏が背中の痛みを訴えた。病院へ行くと、膵臓癌と診断された。すぐに入院し、面会謝絶となった。第3回「胡旋舞の道」公演が始まる約1カ月前のことだ。
ある日、民音スタッフに、病床の小泉氏から電話があった。
病室に駆け付けると、小泉氏は言った。「何とかしたいが、舞台には立てないかもしれない」
氏は第1回以来、毎回の公演で司会に立ち、解説役を務めてきた。弟子の小柴はるみ氏が、司会の代役に立つことになった。
7月、シリーズ第3回の公演が始まると、小泉氏は妻の代筆で手紙を寄せた。"最終の東京公演は、救急車をお願いしてでも駆け付けたい"
そうした氏の情熱にも支えられ、公演は大成功。中国、インド、トルコからの出演メンバーが帰路に就いた翌日、小泉氏は息を引き取った。
◇ ◆ ◇
84年12月、中国側から突然、民音に電話が入った。「今なら交渉が可能かもしれません」
シリーズ第2回、第3回と、中ソの共演を拒んできた中国。だが、ようやく雪解けの兆しが見え始めた。
小泉氏をはじめとする関係者の悲願が、ついに実現の瞬間を迎えることになる。池田先生のモスクワ大学での講演から10年がたとうとしていた。

◎「世界広布新時代 栄光の年」もご愛読に感謝、感謝。そして大変お世話になりました。

2018年12月30日日曜日

2018.12.30 わが友に贈る

新聞休刊日

御講聞書 P807
『三世十方の諸仏も上行菩薩等も大梵天王帝釈四王十羅刹女天照大神八幡大菩薩山王二十一社其の外日本国中の小神大神等此の経の行者を守護すべしと法華経の第五巻に分明に説かれたり』

【通解】
三世十方の諸仏も、上行菩薩等も、大梵天王・帝釈・四王・十羅刹女・天照太神・八幡大菩薩・山王二十一社・其の外、日本国中の小神・大神等・この経の行者を守護すべきであると・法華経の第五巻に分明に説かれている。

☆御書と歩む� 第48回 統監部の陰の労苦に感謝
『日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女各父母有りといへども其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり』(六郎恒長御消息、1369ページ)

◇通解
日本国の499万4828人の男女は、それぞれに父母があるといえども、その究極を尋ねれば、教主釈尊の子なのである。(当時の「1億」は、現在の「10万」に当たる)

◇同志への指針
日蓮大聖人は当時の総人口や男女別の人数、郡や郷の数などを実に詳細に把握されていた。一つ一つの数字に一人一人の人生がある。一人ももれなく断じて幸福に、との御本仏の祈りが拝される。
このお心に連なる聖業を、統監部の皆さまは担い立たれている。一枚の統監カードは「一人の生命」なり。地道にして労多き陰徳に、勝利の陽報を確信してやまない。

☆友のもとへ 池田先生の激励行 第11回 「冥の照覧」の輝き 自ら決めた使命の道を
第3代会長就任が決定した折、池田先生が最初にあいさつに訪れた場所——。それは、学会本部の管理者室だった。
陰で厳然と広布を支える友こそ、最も尊敬し、大切にしていくべきとの信念ゆえである。
一貫して学会員に希望を送り続けてきた先生。とりわけ光の当たりづらい"陰の立場"で広布に尽くす友に深く感謝し、尊き労苦に敬意をささげてきた。
◆◇◆
奈良盆地のほぼ中央に位置する田原本町。弥生時代の文化遺産で知られる同地で、長年にわたって広布の会場を提供してきたのが、飯田豊八郎さん(奈良総県、圏主事)・勝子さん(地区副婦人部長)夫妻である。
個人会場の「桜会館」が完成したのは、1979年(昭和54年)。来年、40周年を迎える。
青果店を営んでいた飯田さんが学会に入会したのは67年(同42年)。重い胃けいれんに苦しんでいたが、男子部の活動に飛び回る中で克服。当時、地域の同志が集まれる会場はなく、飯田さんは自宅の敷地にリンゴ箱を並べ、その上に畳を敷いた。
"いつか広布の会場を"と思い描き、勝子さんと二人三脚で店を守り育ててきた。
念願かない、桜会館が完成。その2年後の81年(同56年)11月20日、奈良を訪問中の池田先生が同会館を訪れた。
市場から、仕事着のまま駆け付けた飯田さん。先生は突然の来訪を詫びつつ、近況や悩みに耳を傾けた。
来訪を聞き付け、地域の友が集まりだすと、先生は入り口に立って握手で迎えた。未入会だった飯田さんの兄には、「いつも大変にお世話になっています」と丁重に御礼を述べている。
会場は、さながら座談会に。夫を亡くした婦人には「まじめに信心を貫いていくなら、必ず思ってもみなかった幸福の境涯を築けます」と。その場で「父子桜」と揮毫して贈った。
地元の支部長には、法華経に説かれる「百福」を通し、「広布の会場は大切な宝城だ。会場提供の方に感謝し、近隣に配慮していくんだよ」と、いっそうの感謝と気配りを促した。
飯田さんは述懐する。
「先生は会場に入る一人一人に声を掛け、笑顔と握手で迎えておられました。この時、"会場を提供する苦労もあるだろうけど、5人なら5人、10人なら10人、100人なら100人分の福運を持って来てくれる。会場に集う同志の功徳は、全て提供者の功徳になります。喜んで使ってもらうんだよ"とおっしゃいました。今、その通りになっていることを実感します。まさに『冥の照覧』です」
地域を代表する青果店として、実証を示し続ける飯田さん夫妻。桜会館に集う同志と共に、さらなる広布建設を誓う。
◆◇◆
今月22日は「統監部の日」。本年、結成66周年の節を刻む。
同部の原点として語り継がれるのが82年(同57年)7月11日、信濃町で開催された全国統監部長会である。この折、池田先生は恩師・戸田先生の思い出に触れつつ、陰の労苦に光を当てた。
——かつて、草創の幹部の中に、"統監の作業は不必要"と主張する人がいた。だが統監は、単に組織の実態を把握するためだけに行うものではない。一人一人の幸福への歩みを記録する戦いである。広布のために、なかんずく一人を大切にするゆえに、統監は絶対に欠かせないと先生は訴えた。
統監部の友に心からの感謝を述べ、先生は恩師の言葉を紹介した。「銀行の方々は、金銭の数字を数えている。出版者の方々は、本の部数を常に念頭に置いている。私ども創価学会は、地球上で最も尊厳な生命を守り、どれだけ人に妙法を受持せしめ、幸せにしたかということを数えるのである」
全国統監部長会の終了後、先生は代表と懇談し、各地域の奮闘を心からねぎらった。直後、「広宣の 朝陽の英知を 照らしける 尊き労苦を 讃え残さむ」と和歌を詠み贈っている。
この日、東北・宮城から参加した松浦正義さん(総宮城、副県長)。「日々の地道な活動が一家一族を照らす福運の輝きになっている。時がたつほどに、そう思えてなりません」
79年(同54年)に石巻圏(当時)統監部長に就任して以来、目立たない場所にあっても、より心を尽くそうとする統監部員の姿を目の当たりにしてきた。
2011年の東日本大震災。東北統監部長を務めていた松浦さんは、避難所や仮設住宅を友と回りつつ、状況を把握。励まし合いながら、不屈の一歩一歩を刻んできた。
「"学会は、幸せにした人を数えるのである"。この指針を抱き締めて、自分にできることを積み重ねてきました」
戦前、中国・満州で生まれた松浦さん。父は抑留先のハバロフスクで戦病死。妹2人も栄養失調で亡くしている。
終戦の翌年、7歳で日本に引き揚げ、23歳の年に入会。会計士事務所などに勤めた後、松浦さんは半世紀ぶりに生まれ故郷・中国の地を踏んだ。
よみがえる戦乱の記憶。悲哀と向き合い、近隣国との草の根の交流を強く誓う。以来、中国を8度、ロシアを5度訪れた。
父を亡くした地で戦没者の遺骨収集に尽力し、中国では植林事業を推進。県の日中友好協会理事、市の遺族会理事、シルバー人材センター理事をはじめ、地区会、交通安全協会などで要職を担い、広布と地域に尽くす日々だ。
◆◇◆
空が白み、朝日が差し込む創価大学。構内には、工具を手に黙々と汗を流す男たちがいた。
前日(87年9月12日)の「足立青年平和文化祭」を大成功で終え、泊まりがけで後片付けに取り組む「栄光会(設営グループ)」の友である。
文化祭では、大小の川に囲まれた足立を象徴する、橋をイメージした舞台を制作した。
メンバーは若手ばかり。仕事と学会活動を懸命に両立し、制作現場に駆け付けた。
本番では、精魂を込めた舞台の上で、2200人の同志が躍動。池田先生は米国のキッシンジャー元国務長官らと出席し、青年たちの雄姿をたたえ、喝采を送った。
翌朝、解体作業に取り組む友の胸には、全てをやり遂げた感無量の思いがあった。
そこへ役員が早足でやって来た。バナナの差し入れだった。
「池田先生からです!」
まだ早朝である。手を止め、驚いて顔を見合わせた。
朝早くから作業する栄光会の姿を、先生は近くの建物から見守っていたのである。
さらに正午頃。その建物から出てくる人影が見えた。車が待つロータリーではなく、栄光会の方へ近づいてくる。
"池田先生だ!"
整列し、かしこまる友に、先生は深く頭を下げた。
「いつも本当にありがとう! これから学会本部に戻ります」
先生が大学を出た後も、激励は続いた。
「陰の戦いに徹するのが栄光会です。でも池田先生は、そんな私たちに、いつも光を当ててくださいました。生涯、地道な広布の戦いに尽くそうと誓いました」(木村弘美さん〈東京・足立総区、副本部長〉)
数日後、皆で感謝を手紙にしたためた。漢字が苦手だった粟野稔さん(同、副本部長)も後継の誓いを懸命につづった。
中学を卒業後、建築現場で下積みを重ね、40代で起業。従業員の給料が払えない日々もあったが、祈りを根本に全ての仕事を二つ返事で引き受け、完璧に仕上げた。やがて借金を完済し、新しい社屋と念願の個人会館を建設。その間、腎臓病や脳梗塞にも襲われたが、不思議と守られ、不死鳥のごとく全快を遂げてきた。
粟野さんは胸を張る。
「"くぎ一本"をおろそかにしない。全てが広布のお役に立つ。そう信じて進んできた結果です」
◆◇◆
79年(昭和54年)3月13日、東京・信濃町の聖教新聞本社の一室で、各地の文物を紹介する展示が開かれていた。
見学していたのは埼玉・川口の婦人部員。本紙の配達に走る「無冠の友」である。
丹念に鑑賞していると、何人かが「あっ」と声を上げた。
「こんにちは!」
扉の方に目を向けると、そこには池田先生が。配達員が見学に来ていると聞き、激務の合間を縫って立ち寄ったのだ。すかさずメンバーが駆け寄る。
「配達員の皆さんですね。いつも、本当にご苦労さま」
年配の婦人を見つけると、先生は全てを包み込むようにして日頃の苦労をねぎらった。「先生は、その方の健康を案じておられたのだと思います。何回かお題目を唱えられ、"大丈夫、健康になるよ"と語られました。もう、感動で胸がいっぱいで」(上田あつ子さん〈総埼玉、支部副婦人部長〉)
さらに先生は、一人一人の顔を見つめて言った。
「何があっても、全て信心で受け止めていきなさい。創価学会から絶対に離れてはいけないよ。いつまでも長生きしてくださいね」
部屋にあったピアノに、先生が歩み寄る。
「何か弾きましょう」
優しく流れる「月の沙漠」や「うれしいひなまつり」の旋律に、友は目にそっとハンカチを当てた。"生涯、先生と苦楽を共にします"と誓った。
池田先生が第3代会長を辞任したのは、この出会いから約1カ月後のことである。
其山ヒロ子さん(総埼玉、支部副婦人部長)は、「先生の真実を私たちが伝えようと決意しました。毎日、『先生、頑張ります!』と心で叫びながら、新聞を配達しました」。
上田さん、其山さんは、20年以上にわたって配達に尽力。水の流れるような持続の信心は、地域広布の要の存在と輝く。
雪の朝も寒風の日も、また学会を障魔の烈風が襲った時も、先生の心をわが心とする無冠の友の奮闘によって、広布は盤石なものとなった。
◆◇◆
人間の「本当の偉大さ」とは何か。
池田先生は語っている。
「脚光もない。喝采もない。それでも、自分が決めた使命の舞台で、あらんかぎりの、師子奮迅の力を出し切って、勝利の金字塔を、断固、打ち立てていく。その人こそが、最も偉大なのである」
陰の人を決して見逃さず、心から感謝し、たたえ合う。
そこに学会の強さと温かさがある。

2018年12月29日土曜日

2018.12.29 わが友に贈る

配達員・通信員をはじめ
本紙を支えてくださった
皆様ありて広布は発展!
無量無辺の福徳は燦然!
明年も共に誉れの道を!

開目抄下 P237
『教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり』

【通解】
教主釈尊は、一切の外道から大悪人であると、ののしられた。天台大師は、南三北七の十派から怨嫉され、日本の法相宗の僧・得一からも、「三寸に足らない舌をもって(仏説を誹謗し)五尺の仏身を断つものである」と中傷された。また伝教大師も、奈良の諸宗の人々から.「最澄は、いまだ唐の都を見ていない(だから大したことはない)」と悪口を言われた。これらは皆、法華経のゆえであるから、恥ではない。(それよりも)愚人にほめられることこそ第一の恥である。

〈寸鉄〉 2018年12月29日
栄え光る一年を奮闘した全同志に感謝!いよいよ勢い増し創価勝利の年へ
青年の成長なくして広布も未来もない—戸田先生宝の若人と共に勇躍前進
「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」御書。今いる場所で勝て
帰省の運転、断じて無事故で。疲れ・焦り・油断は事故に直結。余裕もって
本年の土砂災害は過去最多を更新。各地の教訓忘れず防災対策をしっかり

☆随筆永遠なれ創価の大城 第36回 地涌の力は無限
◇学会には偉大な信心がある!
◇人生最善の闘争を仲良く朗らかに
◇わが人間革命から新たな平和の潮流を
「創価学会には信心がある!」
今も、私の心に轟く大師子吼である。
恩師・戸田城聖先生は、なぜ、学会が旭日のごとく大前進しているのか、その原動力について叫ばれたのである。
一九五七年(昭和三十二年)の十一月、先生の願業である七十五万世帯の折伏の成就が迫った総会の席であった。
取材の報道陣も二十数社に及んだ。当時は、誤解や悪意の批判があまりにも多く渦巻いていた。
先生は、そうした「信なき言論」に対して宣言されたのだ。
敗戦後の荒廃し切った日本社会に立って、唯々「信心」の力で、不幸に喘ぐ庶民を蘇生せしめてきたのが、創価学会だ。
偉大な信仰に目覚めた、偉大な人間革命の姿を見よ! 我らは、どこまでも信心を根本に、日本そして世界の民衆を幸せにし、社会をよりよくしていくのだ、と。
以来六十余星霜——。この「信心」即「人間革命」の勝利劇は、今や、地球上のあの地この地で繰り広げられている。
なかんずく本年一年、いずこからも新たな地涌の菩薩が澎湃と躍り出て、広宣流布の見事な大拡大が成し遂げられた。
婦人部も、壮年部も奮闘した。男子部も、女子部も、男女学生部も、そして未来部も、目覚ましく成長してくれている。
世界の各地で「ここに希望の光がある!」と、創価の師弟へ信頼と賞讃が寄せられる時代だ。
戸田先生は、「断固として信心で勝ったな!」と会心の笑みを浮かべておられるに違いない。

◇無尽蔵の智慧が
「信心」とは何か。
その無量の意義を、私は戸田先生から教えていただき、師弟相伝の宝として生命に刻んできた。
御本仏・日蓮大聖人は、けなげな女性の門下へ、「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(御書一二四四ページ)と仰せになった。
この御文を拝されて、先生は、地位や権威でも、名声や財産でもない。「信心」のある人こそが一番、偉いのだ。まさに学会の婦人部ではないかと、声を強められた。
信心とは、いうなれば、
「宇宙究極の法則」
「智慧の宝蔵」
「求道の太陽」
「賢者の正道」
「英知の利剣」
「不滅の大哲学」——この大確信である。
妙法への深き信心は、「以信代慧(信を以って慧に代う)」の法理に則り、宇宙大の智慧を湧き出していく源泉である。
「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(同一〇七二ページ)と示される通りだ。
人生も、社会も、常に試練の連続だ。厚い壁に突き当たることもある。しかし自行化他の題目を唱え抜いて戦うところ、必ず無尽蔵の智慧が滾々と湧いてくる。突破できぬ困難は断じてない。
豪雨や台風、地震など自然災害が続いた一年、全被災地の一日も早い復興と、安心の生活の再建を、深く祈念せずにはいられない。
いずこの被災地でも、わが創価の宝友は、どれほど賢者の英知を発揮して、献身の行動を重ねておられることか。
豪雨災害に直面した、広島のある婦人リーダーは、被災された方々に寄り添い、ともかく話をじっくり聴くことを心がけてきたという。若い人たちと協力して、仮設住宅での女子会や健康セミナーなどを行い、皆が少しでも元気になればと、創意工夫を凝らしている。
また、グローバル化などにより、身近な地域社会も大きく変化している。外国人居住者が急増する地域もある。その中で、わが創価家族は、多様な一人ひとりと向き合い、快活にして温かな心配りで、共に生きるスクラムを広げている。
今月は、「世界人権宣言」が国連で採択されて七十年の佳節であった。
成立の大功労者である人権の母エレノア・ルーズベルト氏は語った。
「他人の風俗や習慣を認めて尊重すること自体は小さなことかもしれない。だがそれがもたらす相互の敬愛の実りの、何と大きく豊かなことか」
一個の「人間」として互いに尊敬し合い、生命本来の尊厳を輝かせていける慈愛の世界を、創価の人間主義の智慧は創り開くのだ。

◇誓いつなぐ力走
御聖訓には「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(御書一一七〇ページ)と仰せである。
大宇宙と生命の本源のリズムに合致しながら、絶対の幸福と永遠の平和へ価値創造しゆく根本の方途が、信心なのだ。
信心とは、まさしく、
「生命の宝冠」
「永遠の青春の心」
「感動の人生」
「和楽の光源」
「平和の大道」
「人間学の王道」
「無上の幸福学」——に他ならない。
座談会を軸に、感激の同志、久遠の友と励まし合って、織り成していく広布のドラマは、歓喜とロマンに満ちている。
今月初めにも、ヨーロッパ二十一カ国から来日した求道の若人が東北を訪れて、「欧州と奥州」の連帯のエールを交わし、希望の太陽が昇るような素晴らしき青年友好総会が開催された。
人材の城・東北六県での交流交歓会も、世界同時進行の広布新時代を開く決意が光っていた。
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同一三六〇ページ)と仰せのごとく、地涌の使命に目覚めた一人、また一人が、世界中で湧き出ずるように誕生しているのだ。
目を見張り、胸躍る世界広布の新展開である。
大聖人は「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(同一三三八ページ)と断言なされた。
「広布の誓願」を貫く創価の三代が受け継いできた「信心の血脈」は、「地涌の義」(同一三六〇ページ)に寸分違うことなく一閻浮提に広がり、国境も、民族も、言語や文化の差異さえも超えて、一人、また一人へと脈々と流れ通っている。
共戦の師弟に励まされた一人が立ち上がり、目の前の一人に励ましの襷を渡す。その一人がまた次の一人に励ましの襷をつないでいく——。この信心のリレーが、一人ひとりの人間革命の力走を紡ぎ出していくのだ。
先日の「全国高校駅伝」(男子第六十九回全国高等学校駅伝競走大会)では、大阪代表として初出場を果たした関西創価高校の選手たちが、師走の都大路を、懸命に襷をつないで駆けてくれた。
本当によく頑張った。私は妻と一緒に、"負けじ魂ここにあり!"との関西創価の英姿に、祝福の大拍手を送った。

◇金剛の勇気で!
戸田先生と私は、さらに「ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(同一一九三ページ)の御文を拝し、「法華経の兵法」の何たるかを確認していった。
信心とは——
「最極の正義」
「金剛の勇気」
「不壊の大城」
「人生最善の闘争」
「邪悪への攻撃精神」
「将軍学の極意」
「勝利の軌道の法則」なり、と。
広宣流布、立正安国とは、いかなる戦いか。
大聖人は、この現実社会を主戦場として、法華経の行者と魔軍が「とられじ・うばはん」(同一二二四ページ)とする大法戦であると明かされている。
御本仏が「一度もしりぞく心なし」(同ページ)と戦い抜かれた、この広宣の大道に誇り高く連なっているのが、創価の勇気ある信心である。
この信心から、我らは常に出発する。信心で団結し、信心で戦うのだ。
それゆえに、学会には地涌の無限の力が満々と漲り、広大無辺の功徳が現れ出ずる。皆が仏になる一生成仏の厳然たる実証が輝き光るのである。

◇文明創造の挑戦
「広宣流布大誓堂」の建立から五周年——。
不思議なる時を得て、「人間革命」の大歓喜の広がりは、この五年間で確固たるものとなった。
十四世紀のイスラム世界で活躍し、あのトインビー博士が「偉大な歴史家」と称えたイブン・ハルドゥーンは、進展していく文明の姿を描いた。
「それはまるで、新しい創造、新しい生成が起こり、新世界が生まれたかのごとくになる」
今、まさに世界の激動の荒波の水底で、新しき創造の大いなる潮流が広がっている。
すなわち、万人に具わる生命の尊厳性を開き輝かせる、新たな人間主義の潮流である。どこまでも一人の人間における人間革命を起点として、漸進的に地域革命、社会革命へと進む、民衆革命であり平和革命である。
この広宣流布という、人類の宿命を転換する壮大な文明的挑戦を、いよいよ勢いを増して断行するのだ。

◇恐れなく堂々と
「世界人権宣言」作成に尽力されたブラジルの"人権の獅子"アタイデ氏は私に語られた。
二十一世紀は「『精神の力』がはかりしれないほどの働きを示す世紀になる」「信仰にもとづく息吹は、平和と秩序と正義を拡大していきます」と。
「精神の力」——私たちでいえば「信心」である。生命に具わる無限の可能性への確信である。
何が起ころうが、私には信心がある! わが家には信心がある! 我らには偉大な信心がある!
だから何ものも恐れない。だから絶対に乗り越えられない苦難はない。真面目に、誠実に、勇敢に、信心をやり切って、最後は必ず勝つのだ!
この合言葉で、いよいよこれからと、「強盛の信心」で、威風も堂々、進みゆこう!
どうか、無事故で、健康第一で、よいお正月をお迎えください。そして来年も共々に戦い、共々に勝とうではないか!

2018年12月28日金曜日

2018.12.28 わが友に贈る

年末年始を有意義に。
普段会えない友人や
親族と交流を深めよう。
良き縁を結び広げ
晴れやかな新年を!

南部六郎殿御書 P1374
『若し菩薩有りて悪人を将護して治罰すること能わず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊せば此の人は実に菩薩に非ず、外には詐侮を現じ常に是の言を作さん、我は忍辱を行ずと、其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん』

【通解】
もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができないで、そのために悪を増長させ、善人を悩乱させて、正法を破壊させるならば、この人は実は菩薩ではない。(この人は)外に向かっては、いつわりあなどって、常に、次のように言うであろう。「私は忍辱の行をしているのです」と。
この人は死後、諸々の悪人とともに地獄に堕ちるであろう。

〈寸鉄〉 2018年12月28日
人類の未来は女性の双肩に—識者。創価の婦女の連帯こそ平和世紀の太陽
教育本部の「実践記録」が12万事例。教育界の宝だ。次代をひらく大聖業
御礼や励ましは迅速に!誠実さは速度に表れる。振る舞いで光る賢者たれ
対話拡大に勇み挑む男子部大学校生を皆で応援!後継の若師子と育ちゆけ
文字は是一切衆生の心法の顕れたる—御書。一筆にも友の幸願う心込めて

☆世界広布の大道——小説「新・人間革命」に学ぶ 第3巻 名場面編 2018年12月12日
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第3巻の「名場面編」。心揺さぶる感動の名場面を紹介する。次回の「御書編」は19日付、「解説編」は26日付の予定。(「基礎資料編」は5日付に掲載)

◇広布の使命に生き抜け
〈1961年1月28日、山本伸一はアジアへの平和旅の第一歩を香港にしるした。翌29日、次の訪問地・セイロン(スリランカ)に向かう出発間際まで、同志に励ましを送る〉
彼(山本伸一=編集部注)はメンバーに言った。
「まだ、香港にいるのは十数人の同志にすぎない。しかし、二、三十年もすれば、何万人もの同志が誕生するはずです。皆さんが、その歴史をつくるんです。
一生は夢のようなものです。一瞬にして消えてしまう、一滴の露のように、はかないものかもしれない。しかし、その一滴の水も、集まれば川となって大地を潤すことができる。どうせ同じ一生なら、広宣流布という最高の使命に生き抜き、わが栄光の人生を飾ることです。そして、社会を潤し、永遠の幸福の楽園を築いていこうではありませんか。
アメリカの同志も立ち上がりました。ブラジルの同志も立ち上がりました。今度は、香港の皆さんが、東洋の先駆けとして立ち上がる番です。私と一緒に戦いましょう!」
(中略)
やがて、飛行機は飛び立った。飛翔する機の窓に、そそり立つ褐色の岩肌の山が見えた。獅子山(ライオン・ロック)である。今、香港の天地に、師子の子らが目覚め立った。だが、その力は、まだ、あまりにも小さかった。
しかし、いつの日か香港は、新しき東洋の世紀を開く広布の大師子となることを、伸一は確信することができた。(「仏法西還」の章、79ページ〜81ページ)

◇出でよ! 幾十万の山本伸一
〈61年2月4日、釈尊成道の地ブッダガヤで、「東洋広布」の石碑などを埋納する儀式を行う〉
月氏の天地に、朗々たる唱題の声が響き渡った。山本伸一は、東洋の民衆の平和と幸福を誓い念じながら、深い祈りを捧げた。埋納の儀式は、やがて、滞りなく終わった。
(中略)
今ここに、仏法西還の先駆けの金字塔が打ち立てられた。
伸一は、戸田城聖を思い浮かべた。彼の胸には、恩師のあの和歌がこだましていた。
雲の井に 月こそ見んと 願いてし
  アジアの民に 日をぞ送らん
この歌さながらに、空には太陽が輝き、そびえ立つ大塔を照らし出していた。彼は、師・戸田城聖への東洋広布の誓願を果たす、第一歩を踏み出したのである。
アジアに広宣流布という真実の幸福と平和が訪れ、埋納した品々を掘り出す日がいつになるのかは、伸一にも測りかねた。しかし、それはひとえに彼の双肩にかかっていた。
"私はやる。断じてやる。私が道半ばに倒れるならば、わが分身たる青年に託す。出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ"
月氏の太陽を仰ぎながら、彼は心で叫んだ。(「月氏」の章、161ページ〜163ページ)

◇釈尊が「生命の法」を会得
いつしか、明け方近くになっていた。東の空に明けの明星が輝き始めた。
その瞬間であった。無数の光の矢が降り注ぐように、釈尊の英知は、不変の真理を鮮やかに照らしだした。彼は、胸に電撃が走るのを覚えた。体は感動に打ち震え、頬は紅潮し、目には涙があふれた。
"これだ、これだ!"
この刹那、この一瞬、釈尊は大悟を得た。遂に仏陀となったのだ。彼の生命の扉は、宇宙に開かれ、いっさいの迷いから解き放たれて、「生命の法」のうえを自在に遊戯している自身を感じた。この世に生を受けて、初めて味わう境地であった。
釈尊は知ったのだ。
——大宇宙も、時々刻々と、変化と生成のリズムを刻んでいる。人間もまた同じである。幼き人も、いつかは老い、やがて死に、また生まれる。いな、社会も、自然も、ひとときとして静止していることはない。
その流転しゆく万物万象は、必ず何かを縁として生じ、滅していく。何一つ単独では成り立たず、すべては、空間的にも、時間的にも、連関し合い、「縁りて起こる」のである。
そして、それぞれが互いに「因」となり、「果」となり、「縁」ともなり、しかも、それらを貫きゆく「生命の法」がある。
釈尊は、その不可思議な生命の実体を会得したのであった。彼は、自身が、今、体得した法によって、無限に人生を開きゆくことが確信できた。
(中略)
彼方には、朝靄を払い、まばゆい朝の太陽が昇ろうとしていた。それは、人類の幸福と平和の夜明けの暁光にほかならなかった。(「仏陀」の章、181ページ〜183ページ)

◇発展の源泉は"励まし"に
ホテルには、戸田城聖が、生前、懇意にしていた実業家が宿泊していた。伸一もよく知っている人物であった。
夜更けて、この実業家が、伸一の部屋を訪ねて来た。二人の話題は、戸田の思い出になっていった。
「山本さん、戸田さんのすばらしいところは、学会を組織化したことではないだろうか。そうしなければ、学会はここまで発展しなかったと、私は思う。これからは組織の時代だ。組織があるところは伸びる」
伸一は言った。
「一面では確かにその通りかもしれませんが、それだけではないと思います。組織ならどこにでもあります。会社も、組合も、すべて組織です。そして、組織化すれば、うまくいくかといえば、逆の面もあります。組織は整えば整うほど硬直化しますし、官僚化していくものです。
(中略)
戸田先生の偉大さは、その組織を常に活性化させ、人間の温かい血を通わせ続けたことだと思います。具体的にいえば、会員一人ひとりへの励ましであり、指導です。
(中略)
苦悩をかかえて、死をも考えているような時に、激励され、信心によって立ち上がることができたという事実——これこそが学会の発展の源泉です。
同志が戸田先生を敬愛したのは、先生が会長であったからではありません。先生によって、人生を切り開くことができた、幸福になれたという体験と実感が、皆に深い尊敬の念をいだかせていたんです」(「平和の光」の章、264ページ〜266ページ)

◇雛人形の思い出
母の芯の強さを物語る、こんな思い出がある。
——戦争末期のことだ。蒲田の糀谷にあった家が、空襲による類焼を防ぐために取り壊しが決まり、強制疎開させられることになった。やむなく、近くの親戚の家に一棟を建て増して、移ることにした。
家具も運び込み、明日から皆で生活を始めることになった時、空襲にあった。その家も焼夷弾の直撃を受け、全焼してしまった。かろうじて家から持ち出すことができたのは、長持一つだった。
翌朝、途方に暮れながら、皆で焼け跡を片付けた。生活に必要な物は、すべて灰になってしまった。ただ一つ残った長持に、家族は期待の目を向けた。
しかし、長持を開けると、皆、言葉を失ってしまった。中から出てきたのは雛人形であった。
その端に、申し訳なさそうに、一本のコウモリ傘が入っているだけであった。
長持を、燃え盛る火のなかから、必死になって運び出したのは、伸一と弟である。伸一は全身の力が抜けていく思いがした。
家族の誰もが、恨めしそうな顔で、虚ろな視線を雛人形に注いだ。
その時、母が言った。
「このお雛様が飾れるような家に、また、きっと住めるようになるよ……」
母も、がっかりしていたはずである。しかし、努めて明るく語る母の強さに励まされ、家族の誰もが、勇気が湧くのを覚えた。
焼け跡に一家の笑い声が響いた。
母の胸には、"負けるものか!"という、強い闘志が燃えていたにちがいない。(「平和の光」の章、292ページ〜293ページ)

2018年12月27日木曜日

2018.12.27 わが友に贈る

いつも笑顔を忘れずに。
温かな微笑みは
自他共の心を輝かせる。
幸福の結果というよりも
幸福を生む因である。

三三蔵祈雨事 P1468
『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず』

【通解】
日蓮が仏法を判断するのに、道理が正しく証文がきちんとそろっているもに過ぎるものはありません。
さらに、道理、証文よりも現証に勝るものはないのです。

〈寸鉄〉 2018年12月27日
「千里・二千里・来れる人の如く」御書。近隣を大切に。挨拶一つも心込めて
創価班・牙城会・白蓮Gの皆様、本年もありがとう。尊き献身の青春に幸あれ
帰省の時期。長距離運転は無理なく余裕を持った計画を。無事故最優先で
特殊詐欺被害の認知件数が都内で過去最悪。年々、手口は巧妙化。油断せず
C作戦から28年。学会は世界宗教に発展。日顕宗は信徒激減。正邪は厳然

☆世界広布の大道——小説「新・人間革命」に学ぶ 第3巻 基礎資料編 2018年12月5日
◇物語の時期 1961年1月1日〜2月14日
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第3巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は12日付、「御書編」は19日付、「解説編」は26日付の予定。

◇「仏法西還」の章
1961年の元旦、山本伸一は自宅で「元朝に 祈るアジアの 広布かな」と認め、妻の峯子に贈る。この1月には28日からの18日間、香港、セイロン(スリランカ)、インド、ビルマ(ミャンマー)、タイ、カンボジアへの平和旅を控えていた。
学会本部で行われた初勤行の席上、「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」との戸田城聖の和歌が紹介された。翌2日、伸一は、その東洋広布を熱願していた戸田の墓前で、アジア初訪問の出発を報告する。
アジア訪問の折、「仏法西還」の先駆けの証しとして、釈尊の成道の地であるインドのブッダガヤに、御書の「三大秘法抄」や、「東洋広布」の石碑などを埋納するため、同行のメンバーが準備に奔走する。伸一は渡航前の多忙な日々の中で、九州の3総支部合同の結成大会、両国支部、宇都宮支部、城西支部、都南支部、江戸川支部など、各地の支部結成大会を中心に指導に駆け巡る。
1月28日、香港に降り立った伸一は、座談会で、海外ではアジア初の地区を結成。「香港を東洋の幸福の港にしていこう」との期待を寄せる。

◇「月氏」の章
香港を発ち、次の目的地に向かう機中、伸一は同行の幹部に、近い将来、アジアに総支部をつくりたいとの考えを打ち明ける。戸惑う幹部に対し、「まず構想を描く。そして、そこから現実をどう開いていくかを考えていくんだ」と、現状追随的な意識を打破することを訴える。
シンガポールを経由し、セイロンへ。そこでは、一人の青年を激励し、男子部の隊長に任命する。
いよいよインドに到着した一行は、イスラム王朝のクトゥブの塔や、デリー城などを視察。マハトマ・ガンジーを荼毘に付したラージ・ガートに立ち寄り、インドを独立に導いた非暴力の闘争に思いを巡らす。また、アショーカ大王の法勅を刻んだ石柱の下では、仏法を根底にした政治について語り合う。
タージ・マハルやアグラ城などを巡り、2月4日、ブッダガヤに入る。管理委員会の許可を得て、大菩提寺の境内に、「東洋広布」の石碑や「三大秘法抄」などを埋納する。戸田に誓った東洋広布へ、第一歩を踏み出した伸一は、仏教発祥のインドの地で、"出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ"と心で叫ぶ。

◇「仏陀」の章
埋納を終えた一行は、大菩提寺の周辺を散策。釈尊ゆかりの場所を訪ねた伸一は、人類を生命の光で照らした、その生涯に思いをはせる。
釈迦族の王子として生まれた釈尊は、生後間もなく母を亡くす。万人が避けることのできない老・病・死の問題を解決するため、彼は王家の生活を捨て、出家の道に進む。
禅定や苦行に励むが悟りを得られなかった釈尊は、尼連禅河を渡り、菩提樹の下で深い瞑想に入り、思念を凝らす。次々と襲う欲望への執着、飢え、眠気、恐怖、疑惑と戦い、無限の大宇宙と自己との合一を感じながら、感動のなかに、永遠不変の真理である「生命の法」を覚知。ついに大悟を得て、仏陀となる。
彼は、悟った法を説くべきか否か、悩み苦しんだ末に、民衆の中に入って法を説くことを決意する。
六師外道たちからの迫害にも、提婆達多の反逆にも屈せず、愛弟子の舎利弗、目連との死別の悲しみをも乗り越え、最期の一瞬まで人々を教化した。
伸一は、その生涯を思い、自らも命の燃え尽きる時まで、わが使命の旅路をゆくことを誓う。

◇「平和の光」の章
ガンジス川を訪れた伸一は、居合わせた身なりの貧しい子どもたちとの交流を通して、世界各地の繁栄と平和を念じた戸田の遺志を継ぐ、自身の使命と責任の重さを感じる。その後、寺院や博物館等を見学した一行は2月7日、8日間滞在したインドを離れ、ビルマへと向かう。
伸一は、ビルマで戦死した長兄をしのびつつ、日本人墓地で戦没者の追善法要を行う。彼の胸には、長兄との思い出が次々と去来する。割れた母の鏡の破片を大切に分け合ったこと。出兵先から一時帰国した兄が、憤懣やるかたない様子で戦争の悲惨さを訴えたこと。その兄の戦死の報を受け、背中を震わせながら母が泣いていたこと——。戦没者の冥福を願う祈りは、恒久平和への強い誓いとなっていた。
その後、一行は、タイ、カンボジアを訪問。アジア各地で日本軍による戦争の傷跡を目にした伸一は、一人の日本人として、「幸福の道」「平和の道」を開いていこうと決意する。東洋の哲学・文化・民族の研究機関や、音楽などの交流を目的とした団体の設立を構想。一切の行程を終え、2月14日、帰国の途に就く。

◇戸田先生の和歌
雲の井に
 月こそ見んと
  願いてし
 アジアの民に
  日をぞ送らん

この和歌を聞くと、伸一の心は躍った。それは、一九五六年(昭和三十一年)の年頭に、戸田が詠んだ懐かしい和歌であった。
——雲の切れ間に、ほのかな幸の月光を見ようと願うアジアの民衆に、それよりも遥かに明るく、まばゆい太陽の光を送ろう、との意味である。
ここでいう「月」とは釈尊の仏法であり、「日」とは日蓮大聖人の仏法をさすことはいうまでもない。戸田は、「諫暁八幡抄」などに示された、大聖人の「仏法西還」の大原理をふまえ、東洋広布への決意を詠んだのである。この戸田の決意は、そのまま、愛弟子である伸一の決意であった。
(「仏法西還」の章、9ページ)

◇「東洋広布」の石碑
1961年、インド・ブッダガヤに埋納された「東洋広布」の石碑は現在、ニューデリー近郊の創価菩提樹園にある。
2015年、インド創価学会(BSG)の地涌の陣列は、目標の10万人を突破。この年、「『東洋広布』の石碑を、この菩提樹園で、私たちが永遠に守っていきたい」とのインドの同志の発願によって、ブッダガヤから移設・埋納された。
本年、インドの同志は20万人超に。師が先駆けした東洋広布は今、加速度を増して伸展している。

2018年12月26日水曜日

2018.12.26 わが友に贈る

「妙とは蘇生の義なり」
断じて病魔に負けるな!
南無妙法蓮華経には
仏の大生命力が具わる。
題目の師子吼で勝て!

衆生身心御書 P1591
『仏の御心はよき心なるゆへにたといしらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし、麻の中のよもぎつつの中のくちなはよき人にむつぶものなにとなけれども心もふるまひも言もなをしくなるなり』

【通解】
仏の御心はもとより素晴らしい心であるから、たとえ法華経の理を知らない人であっても、この経を読み奉れば利益は計り知れない。
たとえば、麻の中に生えた蓬、簡の中に入った蛇が真っすぐになり、善人と親しくなる者がおのずと心も行いも真っすぐになるようなものである。

〈寸鉄〉 2018年12月26日
新たな地球社会には価値創造の哲理が必要—博士創価の青年が変革の主役
「他人にはにず多くの人に見て候」御書。会って心結ぶ。広布の一歩そこに
地区部長・婦人部長の奮闘に拍手!愛する地域照らす灯台と。福徳は燦然
全国の受験生がんばれ!冬休みが天王山だ。執念の大挑戦で栄冠をつかめ
各地で火災相次ぐ。可燃物の整理、火の始末などがっちり。隙をつくるな

世界広布の大道——小説「新・人間革命」に学ぶ 第2巻 解説編
紙上講座 池田主任副会長
〈ポイント〉
�組織とリーダーの在り方
�自然災害への対応
�民衆の側に立つ宗教

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第2巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。次回は、第3巻の「基礎資料編」を12月5日付に掲載予定。(第2巻の「基礎資料編」は11月7日付、「名場面編」は14日付、「御書編」は21日付に掲載)

『新・人間革命』第2巻について、三つの視点で述べたいと思います。
1点目は、「組織とリーダーの在り方」という点です。
第2巻は、山本伸一が第3代会長に就任した1960年(昭和35年)5月3日から、同年12月までの国内における激励の様子を中心に描かれています。
具体的には、北は北海道から南は沖縄まで、各地を回り、自らが率先して一人一人に励ましを送っています。その激闘によって、わずか8カ月で、会長就任直前の61支部から124支部へと、学会は発展しました。
「先駆」の章では、男子・女子・学生部に限りない期待を寄せ、「錬磨」の章では、婦人部大会で「行き詰まりとの闘争」について語っています。そこには、今の私たちにとっても、大切な指針となる指導がつづられています。
こうした激励の中、第2巻で特に言及されているのが、「組織とリーダーの在り方」です。
「先駆」の章では、「組織は、信・行・学を間違いなく加速させていく道である。また、人びとが、安心して伸び伸びと大樹に成長していく、大地であらねばならない」(14ページ)と、学会の組織は一人一人の信心の成長のためにあると述べられています。
また、「いかなる運動も、絶えず"なんのため"かという根本目的に立ち返ることがなければ、知らず知らずのうちに、手段や方法が独り歩きし、本来の目的から外れてしまうものだ」(22ページ)と、リーダーが"なんのため"を問うことを忘れた時、空転が生じることを指摘しています。
「勇舞」の章では、「学会の役職は名誉職ではなく、責任職である」(182ページ)と述べられ、「仏法は勝負です。常に障魔との戦いです」(187ページ)とあります。この障魔を破るのが、リーダーの確信の祈りであり、一念であると強調されています。
伸一が会長に就任した60年は、急速に組織が発展した年です。その中で、支部のリーダーたちは、伸一の振る舞いを通して、自らがどうあるべきかを学んでいきました。その核心が「同志を、会員を守り、励ます」(240ページ)という点です。この一点を、私たちも決して忘れてはなりません。
発展している組織というのは、「日々革新」している組織です。リーダーの自己変革の意識が希薄になり、"戦う魂"を失った時、組織は官僚化していきます。広布のリーダーは「どこまでも思いやりにあふれ、(中略)奉仕の人でなければならない」(316ページ)との指導を心に刻んでいきたい。

◇「立正安国」の必要性
2点目は、「自然災害への対応」ということです。
今年は大阪北部地震(6月)、西日本豪雨(7月)、北海道胆振東部地震(9月)、台風の上陸など、多くの自然災害が発生しました。
第2巻では、60年5月のチリ地震津波(38ページ)、59年9月の愛知・三重県を中心に甚大な被害を及ぼした伊勢湾台風(151ページ)について言及されています。
チリで大規模な地震があったことをニュースで知った伸一は、深夜に何度か目を覚まし、ラジオのスイッチを入れます。それほど、現地の被害を憂慮し、津波の心配をしたのです。
伸一は本部で、次々と被災地に見舞いと激励の電報を打ち、最も被害の大きい地域に幹部を派遣することを決めます。さらに、災害対策本部を設け、救援活動を行うよう指示します。
一旦緩急の時に、どのように行動するのか——そこに、その人の責任感が表れます。
こうした迅速な対応に比べ、当時の政府の対応は極めて遅いものでした。この時、伸一は日蓮仏法の本義である「立正安国」の必要性を痛感します。
また、「錬磨」の章では、伊勢湾台風の折、伸一が次々と救援活動の手を打ち、さらに、自らも被災地へと向かい、同志を激励する様子が描かれています。
「大変なことになりましたが、全国の同志が、再起を願い、お題目を送っています。今が正念場です。見事に信心で乗り越えてください」(156ページ)
「家が壊され、家財が流されても、信心が壊れなければ、必ず蘇生することができます。信心をしっかり貫いていけば、必ず立ち直ることができるんです」(同)
被災した方々への激励と、当時の救援活動は、現在の学会の自然災害への対応の原点とも言えるでしょう。

◇師子王のごとく
最後の3点目が、「民衆の側に立つ宗教」です。
第2巻が掲載されたのは、94年6月から12月末です。この年、学会は「創価ルネサンス・栄光の年」と掲げています。91年11月、学会は宗門から「魂の独立」を果たし、世界宗教へ雄飛しました。テーマに「創価ルネサンス」と掲げた年は、92年から94年まで続きました。
そのような中での執筆ということもあり、第2巻は宗門に対する記述が幾つも見られます。
「錬磨」の章では、夏季講習会で「日興遺誡置文」を繙かれ、「僧侶がこの御遺誡に目覚める日を祈り、願いながら、講義を続けた」(145ページ)とつづられています。
また「民衆の旗」の章では、このように述べられています。「学会員を軽んじるような僧侶、悪侶が出たならば、(中略)学会は断固、戦っていかねばなりません」(320ページ)。僧侶を腐敗・堕落させたくはない——それが、伸一の深い思いでした。だが、その思いに反し、宗門は"衣の権威"を振りかざし、学会員を隷属させようとしてきた。
学会員を軽んじ、手段化しようとする"悪"とは、徹底して戦っていかねばなりません。でなければ、広布の組織が破壊されてしまうからです。
「民衆の旗」の章にこうあります。
「学会は永遠に民衆の側に立つ。ゆえに、これからも行く手には弾圧があろう。謀略の罠も待ち受けていよう。しかし、民衆の栄光のために師子王のごとく戦い、勝つことが、学会には宿命づけられているのだ」(281ページ)
今月の本部幹部会のスピーチ映像で、池田先生は新しい七つの鐘の構想に言及し、未来永劫の"創価勝利"の展望を語ってくださいました。
広布の未来を託される師の思いを胸に、私たちは「学会は永遠に民衆の側に立つ」との精神で前進してまいりましょう。

◇名言集
●"後継"と"後続"
"後継"と"後続"とは異なる。後方の安全地帯に身を置き、開拓の労苦も知らず、ただ後に続く"後続の人"に、"後継"の責任を果たすことなどできようはずがない。"後継の人"とは、勝利の旗を打ち立てる"先駆の人"でなければならない。(「先駆」の章、25ページ)

●価値創造の「庭」
家庭とは、家族が共同でつくりあげていく価値創造の「庭」であり、明日への英気を培う、安らぎと蘇生の「園」である。また、人間を育みゆく豊かな土壌といえよう。(「錬磨」の章、91ページ)

●信心の「根」
個人指導は、最も地道で目立たない活動ですが、信心の「根」を育てる作業といえます。根が深く地中に伸びてこそ、天に向かって幹は伸び、葉も茂る。同様に、一人ひとりの悩みに同苦し、疑問には的確に答え、希望と確信をもって、喜んで信心に励めるようにしていくことが、いっさいの源泉になります。(「勇舞」の章、175〜176ページ)

●助走の勢い
助走の勢いが跳躍の力を決定づけるように、広宣流布の活動の勝敗も、いかに周到に準備を進めたかによって、決まってしまうといってよい。ジャンプへと踏み切る"決戦の瞬間"には、既に勝負は、ほぼ決まっているものだ。(「民衆の旗」の章、323ページ)

2018年12月25日火曜日

2018.12.25 わが友に贈る

まず子どもの話を
じっくり聞くことが
親子共に成長する要諦。
語らいの時間を大切に
絆を強める冬休みを!

兵衛志殿御返事 P1091
『ましてわどのばらがわづかの事をへつらひて心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな、かへすがへす今度とのは堕べしとをぼうるなり』

【通解】
まして、あなたがたわずかの所領や利益のためにへつらって信心弱く、悪道に堕ちてから、日蓮を怨んではなりません。繰り返し申しますが、今度は、兵衛志殿は退転すると思います。

〈寸鉄〉 2018年12月25日
「今日蓮等の類は不軽なり」御書。真心の振舞で人々に薫風送る我らこそ
ドクター部・白樺の皆様に感謝。友の健康・安心守る"薬王菩薩"の活躍祈る
小学生と高校生の視力が過去最悪。画面、ゲーム機の使用、親の責務で賢く
感染性胃腸炎、12〜1月に増加と。食品の加熱処理、手洗いの徹底で防げ
19年度、幼保無償化が完全実施。公明が強力に推進。未来築く政策さらに

☆世界広布の大道——小説「新・人間革命」に学ぶ 第2巻 御書編 2018年11月21日
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第2巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の「私の読後感」を紹介する。次回の「解説編」は28日付の予定。(「基礎資料編」は7日付、「名場面編」は14日付に掲載)

◇次代の世界は青年の双肩に
【御文】
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書232ページ、開目抄)

【通解】
つまるところ、諸天善神も日蓮を見捨てるなら見捨てよ。諸難に遭うなら遭おう。身命をなげうっていくだけである。

●小説の場面から
〈1960年5月3日、第3代会長に就任した山本伸一は、恩師の遺言である「300万世帯」の達成を目指して戦いを開始。同月10日に開催された男子部の幹部会で師子吼する〉
私はこの御聖訓を胸に、最後まで、諸君とともに戦い、諸君とともに苦しみ、諸君とともに悩み、そして広宣流布即世界の平和のために、一生を捧げてまいる決意でございます。
かつて、戸田城聖先生は、「青年は国の柱である」「青年は日本の眼目である」「青年は日本の大船である」と指導されましたが、日本の未来も、世界の未来も、青年の双肩にかかっている。
なかんずく、仏法という最高の生命哲理を持った諸君こそ、混迷する社会を開き、次代の世界を担う柱であると、強く確信するものであります。そして、新たな社会の建設のためには、一人ひとりが、科学、経済、教育、政治などあらゆる分野で、一流の人材に育っていかなくてはなりません。
また、狭い日本だけにとらわれるのではなく、広く世界に雄飛し、人類の幸福と平和のために貢献していくことが、諸君の使命であります。
(中略)
私は、皆さん方を、心から信頼しております。もしも、私が倒れることがあったならば、青年部の皆さんが、私の意志を継いで、広宣流布に邁進していっていただきたいと思います。(「先駆」の章、31〜33ページ)

◇"喜び勇む"一念が福運の源泉
【御文】
『仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり』(御書383ページ、一生成仏抄)

【通解】
仏の名号を唱え経文を読み、華を散らし香をひねるに至るまでも、全て自分の一念に納まった功徳善根であると信心を取るべきである。

●小説の場面から
〈1960年7月、男子部の人材グループ「水滸会」の野外研修が千葉の犬吠埼で開催された。質問会で、この御文を実践のうえで、どう拝すべきかと問う青年に、伸一が答える〉
この御聖訓は、御本尊にお仕えする姿勢、また、いっさいの広布の活動への一念の在り方を説かれたものです。
結論していえば、広宣流布につながることは、すべて大功徳、大福運を積んでいくことになるのだと確信していくことです。
そこには、当然、喜びと感謝があります。不平不満や文句など出るわけがない。
私もその思いで信心をしてきました。どんなに苦しく、大変な課題も、喜び勇んで挑戦してきました。
戸田先生のもとで、広布のために必要とあれば、仕事をやり繰りし、どこへでも飛んで行きました。交通費が工面できなければ、歩いてでも行くつもりでした。それが今日の私の功徳、福運の源泉であると思っています。
たとえば、広布のために、遠く離れた極暑や極寒の地で、生涯、暮らさなければならないとなった時に、喜び勇んで行けるかどうかです。その精神と実践がなければ、広宣流布という未聞の大偉業を成し遂げることなど、できるわけがありません。
そして、その厳然たる信心のなかに、三世永遠の大功徳、大福運を積む道があるのです。
(「錬磨」の章、128〜129ページ)

◇ここにフォーカス/「当起遠迎、当如敬仏」の実践
「錬磨」の章に、法華経の普賢品に説かれる「当起遠迎、当如敬仏」との言葉が登場します。「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」と読みます。
日蓮大聖人は、これを「最上第一の相伝」(御書781ページ)と仰せです。この法華経の八字の精神は、「広布に生き抜く同志を、仏のごとく敬い、大切にする」ことにあります。
『新・人間革命』を繙くと、山本伸一が常に同志を敬い、皆のことを考え、行動していることが分かります。2巻でも随所に、その光景が描かれています。
「先駆」の章で、沖縄を初訪問した伸一は、支部結成大会の祝賀の集いで、苦労を重ねてきた同志を心からねぎらおうと、「黒田節」を舞います。「先生、もっと踊ってください」との声に、「踊りましょう。皆さんが喜んでくれるなら」と、さらに舞い続けます。
「民衆の旗」の章では、大分支部の結成大会終了後、伸一が役員の青年たちを激励するシーンがあります。朝から場外などで整理にあたっていたメンバーでした。伸一は、感謝の思いを込めて励まし、"十年後を目指して"と未来への指針を示しました。
いついかなる時も、同志の幸福を祈り、仏に尽くす思いで、誠実に、全力で励ましを送る。この伸一の行動こそ、私たちが受け継がなければならない「学会の魂」です。

私の読後感 識者が語る/ケニア作家協会 ヘンリー・インダンガシ会長
●人生の価値を教える一書
かつて私は、ナイロビ大学からの交換教員として、創価大学に赴任しました。
そして、尊敬する池田先生と初めてお会いすることができ、さらに光栄にも「世界の文学」を巡って語り合う機会にも恵まれたのです。
驚いたのは、先生がアフリカやアフリカ文学について、よくご存じだったことでした。
対談の中で、私が強く訴えたことがあります。それは——『新・人間革命』は「世界の十大小説」の一つである。20世紀から21世紀にかけて、失われる恐れのある人間主義の真髄を、文学に回復することに成功した——ということです。
日本に滞在中、私は先生の書籍を何冊も読みました。その中で、特に感銘を受けたのが『新・人間革命』でした。
とても素晴らしい小説で、人間の価値を教えてくれる、深い慈愛に満ちた一書であると感じました。この本を繙けば、世界中の誰もが、自分と登場人物を重ねながら、人生の価値を高めていくことができるからです。
日本にいた半年間、先生は私に真心の伝言を何度も寄せてくださいました。本には作家の人間性が表れますが、この小説は私が知っている先生の温かな人間性を思い出させてくれます。
第1巻の「慈光」の章には、「二十一世紀は、必ずアフリカの世紀になる」と宣言された場面が描かれています。やはり先生は、アフリカの心を、アフリカ人以上に知っている人であると、改めて感動を覚えました。
文学を専門とする私は、世界の長編小説などから多くのことを学んできました。
文学の根本的な使命は「人間を一つにすること」でありましょう。良い本を読めば、世界が広がります。幸福や平和の意味を深めることができ、相手の立場に立って物事を考えられるようになります。
今、アフリカを含む世界の各地で起きている紛争も、相互理解が進まず、歩み寄りができないことに起因しています。その意味で、文学が果たすべき役割は大きいと思います。
わが国でも、若い世代の活字離れが指摘されていますが、未来は青年に懸かっています。限りある時間を有効に使い、価値ある人生を歩んでもらいたい。
"人間としてどう生きるか"というメッセージを発信してこられた小説の完結に心から敬意を表し、これからも先生の著作を読み続けたいと願っています。

Henry Indangasi 1947年、ケニア生まれ。ケニア作家協会会長。ナイロビ大学教授。池田先生との語らいは、対談集『世界の文学を語る』(潮出版社)に収録されている。

※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

2018年12月24日月曜日

2018.12.24 わが友に贈る

◇今週のことば
全同志の奮闘ありて
大拡大の一年、万歳!
「依正福智共に無量なり」
聡明に健康・無事故で
喜びあふれる新春を!
2018年12月24日

御義口伝巻上 P720
『今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり』

【通解】
今、日蓮が唱える南無妙法蓮華経は、末法一万年の衆生まで成仏させるのである。

〈寸鉄〉 2018年12月24日
会長の平和の言葉を多くの人に届けたい—識者。語り広げる弟子の使命大
「宿縁ふかしと思うて」御書。師弟共戦の誉れの人生。一日一日、悔いなく
楽しくてたまらない境涯になるのが妙法だ—恩師この確信で弛まぬ祈りを
大掃除の時期。高所での作業は無理せず。書類整理も情報管理の意識強く
近隣の仲は顔を見る数が増えるだけでも深まる—学者。真心の挨拶も加え

☆世界広布の大道——小説「新・人間革命」に学ぶ 第2巻 名場面編 2018年11月14日
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第2巻の「名場面編」。心揺さぶる物語の名場面を紹介する。次回の「御書編」は21日付、「解説編」は28日付の予定。(「基礎資料編」は7日付に掲載)

◇師の偉業を永遠に
〈沖縄を初訪問した山本伸一は1960年7月18日、南部戦跡を視察し、摩文仁丘に立つ〉

戸田城聖の起こした平和の大潮流は、慟哭の島・沖縄にも広がり、友の歓喜は金波となり、希望は銀波となったのである。
山本伸一は、その師の偉業を永遠に伝え残すために、かねてから構想していた、戸田の伝記ともいうべき小説を、早く手がけねばならないと思った。
しかし、彼には、その前に成さねばならぬ誓いがあった。戸田の遺言となった三百万世帯の達成である。伸一は、それを戸田の七回忌までに見事に成就し、その勝利の報告をもって、師の伝記小説に着手しようとしていた。
戸田は「行動の人」であった。ゆえに弟子としてその伝記を書くには、広宣流布の戦いを起こし、世界平和への不動の礎を築き上げずしては、戸田の精神を伝え切ることなどできないと彼は考えていた。文は人である。文は境涯の投影にほかならないからだ。
伸一は、戸田の七回忌を大勝利で飾り、やがて、その原稿の筆を起こすのは、この沖縄の天地が最もふさわしいのではないかと、ふと思った。
彼の周りに、見学を終えた友が集まって来た。伸一は、沖縄の友に語りかけた。「かつて、尚泰久王は、琉球を世界の懸け橋とし、『万国津梁の鐘』を作り、首里城の正殿に掛けた。沖縄には平和の魂がある。その平和の魂をもって、世界の懸け橋を築く先駆けとなっていくのが、みんなの使命だよ」
(「先駆」の章、86〜87ページ)

"行き詰まり"との闘争
〈60年7月22日、東京・台東体育館での第2回婦人部大会で、行き詰まりとの闘争について語る〉

伸一の話は、青春時代の自分の体験に及んだ。
「戸田先生が事業の再建のために苦闘されていた時代が、私にとっても、最も苦しい時代でした。健康状態も最悪であり、給料は遅配が続き、無理に無理を重ねていました。
そして、先生とお会いしていた時に、つい弱音を口にしてしまったことがありました。その時、先生が、厳しく言われた言葉が忘れられません。
『伸一、信心は行き詰まりとの永遠の闘争なんだ。魔と仏との闘争が信心だ。それが"仏法は勝負"ということなんだ』
人生には、誰でも行き詰まりがあります。事業に行き詰まりを感じている人もいるかもしれない。夫婦の関係にも、行き詰まってしまうことがあるでしょう。子育てでも、人間関係の面でも、あるいは、折伏や教学に励んでいる時も、行き詰まりを感ずることがあるかもしれません。
しかし、御本尊の力は広大無辺であり、宇宙大であります。ゆえに、私たちの生命も、無限の可能性を秘めています。
つまり、問題は私たちの一念に、行き詰まりがあるかどうかにかかっています。それを本当に自覚した時には、既に勝利の道が開かれているんです。
もし、行き詰まりを感じたならば、自分の弱い心に挑み、それを乗り越えて大信力を奮い起こしていく。戸田先生は、それが私たちにとっての『発迹顕本』であると言われたことがあります。(中略)何か困難にぶつかったならば、行き詰まりとの"闘争"だ、障魔との"闘争"だ、今が勝負であると決めて、自己の宿命と戦い、勇敢に人生行路を開いていっていただきたいのであります」
(「錬磨」の章、96〜99ページ)

対立の壁を超えて
〈60年7月30日、千葉・犬吠埼での「水滸会」野外研修で、青年たちの質問に答える〉

一人の青年が尋ねた。
「東西両陣営の対立は、ここに来て、ますます深刻化しつつありますが、これは日蓮大聖人が仰せの、自界叛逆難の姿ととらえることができますでしょうか」
「私(山本伸一=編集部注)も、そう思います。交通や通信の発達によって、現在の世界は狭くなった。もはや地球は一つの国です。そう考えていくと、東西の対立は、日蓮大聖人の時代の自界叛逆難といえます。
仏法を持った私たちが、世界の平和のために、民衆の幸福のために立ち上がらねばならない時が来ているんです。
イデオロギーによる対立の壁を超えて、人間という原点に返るヒューマニズムの哲学が、これからの平和の鍵になります。それが仏法です」
(中略)「いかに制度や環境を整えたとしても、人間の悩みを克服し、向上心や自律心を培うといった、内面の問題を解決することはできません。
もし、宗教をいつまでも排斥していけば、精神の行き詰まり、荒廃を招くことになります。ゆえに、人間の精神をいかに磨き、高めていくかを真剣に考えるならば、真実の宗教の必要性を痛感せざるをえないでしょう。
そのためにも、大事なことは各国の指導者との対話だと私は思っている。対話を通し、信頼と共感が生まれれば、自然に仏法への眼を開いていくことになります。三十年もたってみれば、今、私の言ったことの意味がよくわかるはずです」
(「錬磨」の章、126〜128ページ)

日頃の振る舞い
〈60年11月9日、甲府支部結成大会後の懇談会で、女子部の友に励ましを送る〉

女子部の幹部が質問した。
「私の母は信心していないので、家に帰り、母と顔を合わせると、歓喜が薄らいでしまいます。どのようにすればよいでしょうか」
「家のなかを明るくするために信心しているのに、あなたが暗くなってしまったら、意味がないではありませんか。また、お母さんを信心させたいと思うなら、あなた自身が変わっていくことです。『そもそも仏法とは……』などと、口で偉そうに語っても、お母さんから見れば、いつまでも娘は娘です。ですから、そんなことより、お母さんが、本当に感心するような、優しく、思いやりにあふれた娘さんになることの方が大切です。
たとえば、本部の幹部会で東京に行った時など、お土産を買って帰るぐらいの配慮が必要です。また、家に帰ったら、『ただ今帰りました。ありがとうございました』と、素直にお礼を言えるかどうかです。信心といっても、特別なことではありません。あなたの日頃の振る舞い自体が信心なんです。
お母さんから見て、"わが子ながら本当によく育ったものだ。立派になった"と、誇りに思える娘になれば、必ず信心しますよ。お母さんの心に、自分がどう映るか——それが折伏に通じるんです」
(「勇舞」の章、209〜210ページ)

約束は必ず守る
山本伸一が父親として常に心がけていたことは、子どもたちとの約束は、必ず守るということだった。 
伸一は、せめて年に一、二度は、一緒に食事をしようと思い、ある時、食事の約束をした。しかし、彼は自分がなさねばならぬことを考えると、そのために、早く帰宅するわけにはいかなかった。
そこで、学会本部から車で十分ほどのレストランで、ともに夕食をとることにした。
しかし、その日になると打ち合わせや会合が入り、取れる時間は、往復の移動も含めて、二、三十分しかなかった。だが、それでも伸一はやって来た。ものの五分か十分、一緒にテーブルを囲んだだけで立ち去らねばならなかったが……。
親子の信頼といっても、まず約束を守るところから始まる。もちろん、時には守れないこともあるにちがいない。その場合でも、なんらかのかたちで約束を果たそうとする、人間としての誠実さは子どもに伝わる。それが"信頼の絆"をつくりあげていくのだ。
峯子は、足早に去っていく伸一を見送ると、子どもたちに言った。
「パパは、来ることなんてできないほど忙しかったのに、約束を守って、駆けつけてくださったのよ。よかったわね」
まさに、子育ての要諦は夫婦の巧みな連係プレーにあるといえよう。
(「民衆の旗」の章、329〜330ページ)

2018年12月23日日曜日

2018.12.23 わが友に贈る

仏法は「平等大慧」。
万人に尊き使命がある。
差異を越えて尊重し合う
創価家族の姿こそ
世界の共生のモデルだ!

兵衛志殿御返事 P1108
『設い妻子等の中のたがわせ給うとも二人の御中不和なるべからず、恐れ候へども日蓮をたいと

【通解】
たとえ、あなた方の妻子同志が仲違いするようなことがあっても、兄弟二人の仲は、不和になってはなりません。
僭越ですが、日蓮のことを尊敬し互いに心を合わせていきなさい。

〈寸鉄〉 2018年12月23日
「心の内に仏はをはしましける」御書。壁破る力は自身に。苦難に負けじと
年末年始友好期間。旧友・親戚と心通う語らいを。絆を結ぶ有意義な一時に
東京・荒川師弟勝利の日。常勝の庶民の王者ここにあり。友情の拡大に先駆
反転攻勢の電源地・新立川が師弟原点の日。さあ対話へ!正義の魂は脈々
学会婦人部は世界に誇る平和の連帯—中国識者。太陽の母に一年の感謝を

☆世界広布の大道——小説「新・人間革命」に学ぶ 第2巻 基礎資料編 2018年11月7日
◇物語の時期 1960年5月3日〜同年末
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第2巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を確認する。次回の「名場面編」は14日付、「御書編」は21日付、「解説編」は28日付の予定。

◇「先駆」の章
山本伸一は1960年5月3日、第3代会長に就任すると、恩師・戸田城聖の遺言である300万世帯の達成を4年後の七回忌までの目標として、新たなスタートを切る。
5月8日には、全国に先駆けて関西総支部幹部会へ。新支部長たちに励ましの言葉を掛けながら支部旗を手渡す。それまで8支部だった関西は、18支部へと陣容を拡大した。
東京に戻った伸一は、9日に女子部幹部会に出席。活動の柱は「座談会」と「教学」であることを訴える。10日の男子部の幹部会でも、「青年の手で座談会を大成功させていこう」と指導。青年部に先駆けの活躍を期して万感の激励を送っていった。
日蓮大聖人の「立正安国論」上書から、ちょうど700年になる7月16日。伸一は、アメリカの施政権下にあった沖縄を初訪問する。翌日、沖縄支部の結成大会に出席。学会のめざす広宣流布とは、この世から「悲惨」の二字をなくし、世界の平和を実現するものであることを訴える。
伸一は沖縄戦の戦跡を訪ね、戸田の伝記ともいうべき小説の筆を起こすのは、沖縄の天地が最もふさわしいのではないかと思う。

◇「錬磨」の章
伸一は、7月22日、第2回婦人部大会に出席。「信心は行き詰まりとの永遠の闘争」との戸田の言葉を通し、勇敢に人生行路を開いていただきたいと訴えた。
伸一は、夏から秋にかけて青年たちの本格的な育成を開始する。7月30日には、千葉県の犬吠埼で行われた男子部の人材育成グループ「水滸会」の野外研修へ。彼は、この研修を、広布を担い立つ旅立ちの集いにしようと考えていた。しかし、その決意も情熱も感じられない参加者の姿を見て、厳しく指導。創価学会の中核として立つべき「水滸会」の自覚を促した。翌日は、女子部の「華陽会」の野外研修が行われている千葉県の富津の海岸へ。一緒にドッジボールに汗を流すなど、メンバーと金の思い出を刻む。
伝統の夏季講習会では「日興遺誡置文」を講義する。
この夏、伸一は、地方指導のほか、各地で行われた青年部の体育大会などに出席。9月に東京の国立競技場で開催された第3回全国体育大会「若人の祭典」では、恩師から受け継いだ広宣流布の"魂のバトン"を託すのは青年部であると語る。

◇「勇舞」の章
10月25日に北・南米の旅から帰国後、伸一は千葉、前橋の支部結成大会へ。千葉では、戦後の食糧難の時代に幕張へ買い出しに来て、農家の婦人が親切にしてくれたことを回顧する。11月6日には、横浜での第9回男子部総会へ。
さらに、支部結成大会の旅は沼津、甲府、松本、長野、富山、金沢へと続く。沼津では、支部長の妻に丁重にあいさつし、家族への配慮の大切さを自らの振る舞いで示す。松本から長野までの列車内では、女子部のリーダーの、事業に失敗したという父親と懇談し、激励する。長野では、旅館で支部幹部と懇談。学歴がないことを不安に思う男子部のリーダーに「自分らしく、自分のいる場所で頑張ることです」と語り、自ら「田原坂」を歌って励ます。
新設された各支部の幹部たちは、伸一の行動を通して「同志を、会員を守り、励ます」リーダーのあり方を学んでいった。
11月18日には、初代会長・牧口常三郎の十七回忌法要に参列。「信教の自由」という信念を貫いて獄死した先師をしのび、牧口を永遠に世界に顕彰しようと誓いの炎を燃やす。

◇「民衆の旗」の章
11月20日、第8回女子部総会に出席した伸一は、戸田の「女子部は幸福になりなさい」との指導を引き、広宣流布という真実の幸福の道を歩み抜くよう訴える。
11月下旬、東北各地の支部結成大会へ。山形、南秋田、岩手の大会に相次いで出席し、学会は「会員第一」「民衆根本」であることを強調する。帰京後は、第2回学生祭へ。「仏法」と「世界のさまざまな思想」の関係性に言及する。
12月に入っても、伸一の激闘は続く。4日は大分支部の結成大会に出席。場外で献身していた役員の青年たちに、10年後をめざしての前進を望む。5日は関西3総支部結成大会、6日は徳島支部の結成大会、7日は岡山での中国本部の落成式に臨む。
その後も、明年度の諸活動の検討など、一年の総仕上げに全力を注ぎ、年末のある夜、久方ぶりに、つかの間の家族だんらんを過ごす。
会長就任以来、片時の休みもなく走り続け、学会の総世帯は170万世帯を上回り、124支部の陣容に。伸一は"民衆の旗"を掲げ、勝利を誓い、決戦の第2幕に躍り出ようとしていた。

2018年12月22日土曜日

2018.12.22 わが友に贈る

本年も残りわずか。
一年の締めくくりへ
身の回りの掃除や
整理整頓を価値的に。
総会に新年を迎えよう!

四条金吾殿御返事 P1168
『我が此の一門の中にも申しとをらせ給はざらん人人はかへりて失あるべし、日蓮をうらみさせ給うな少輔房能登房等を御覧あるべし』

【通解】
我が一門のなかでも、信心を最後まで主張しとおされない人々は、かえって仏罰をこうむるのである。(そのときになって)日蓮を恨まれるようなことがあってはならない。少輔房・能登房等の姿をごらんなさい。

〈寸鉄〉 2018年12月22日
『新・人間革命』には人類が進むべき指標がある—識者。希望の民衆叙事詩
統監部の日。陰の労苦に感謝。広宣流布を支える陰徳に無量の陽報は必ず
人間には不動の限界など存在しない—作家。誓願の峰を負けじ魂で登攀!
きょう冬至。寒さ増す時期。体調管理に油断なく。祈り根本に聡明な日々を
訪日外国人数が初の3千万人突破。5年で3倍に。民衆交流こそ平和の源泉

☆世界広布の大道——小説「新・人間革命」に学ぶ 第1巻 解説編 2018年10月31日
紙上講座 池田主任副会長
〈ポイント〉
�物語の時代背景
�世界宗教への幕開け
�「一人」への励まし

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第1巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。本連載は月4回、原則、水曜日に掲載。1カ月で1巻分を紹介する。次回は、第2巻の「基礎資料編」を11月7日付に掲載予定。(第1巻の「基礎資料編」は10月10日付、「名場面編」は17日付、「御書編」は24日付に掲載)

小説『新・人間革命』第1巻の「はじめに」には、池田先生が執筆を思い立った理由が二つ挙げられています。
一つは「先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えたから」(2ページ)であり、もう一つは「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の『弟子の道』を書き残さなければならないとの思いから」(同)でした。
すなわち、池田先生にとって、『新・人間革命』の執筆は、恩師の偉大さを証明し、その精神を未来永遠に伝えゆく弟子の実践だったのです。
前作の小説『人間革命』は、「黎明」の章から始まります。これに対して『新・人間革命』は、「旭日」の章からスタートします。
「黎明」「旭日」は、どちらも太陽が関係する表現ではありますが、意味合いが少し異なります。
「黎明」とは、夜明け。この黎明の後に昇るのが「旭日」です。
『人間革命』では、戸田先生の心の中だけに「黎明」があったと述べられています。つまり、戸田先生お一人の心から始まった「地涌の菩薩」としての自覚と実践が、弟子・山本伸一に受け継がれ、旭日の勢いで、世界へ広宣流布が広がっていったのです。
さて、『新・人間革命』第1巻が発刊されたのは1998年(平成10年)の1月2日。池田先生が70歳の古希を迎えた日です。この2日後の1月4日付の聖教新聞に、第1回となる「随筆 新・人間革命」が掲載されました。その中で先生はご自身の来し方を10年ごとに振り返りつつ、未来を展望されます。
「七十歳まで……新しき人間主義の哲理を確立 八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉 このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する」
『新・人間革命』第1巻の「あとがき」には、こうあります。「生命の続く限り、動き、語り、そして、遺言の思いで、『新・人間革命』を書き続けていくつもりである」(353ページ)。この『新・人間革命』を執筆することによって、池田先生は、創価三代の精神を後世に、また永遠に留めていこうとされたのだと思えてなりません。

◇皆がダイヤの原石
第1巻について、三つの観点から考えていきたいと思います。
第1のポイントは「時代背景」です。伸一が世界広布の第一歩を刻んだ60年(昭和35年)は、国内外において激動の時代でした。
日本では、日米安全保障条約の改定を巡り、国論は二分していた。世界は冷戦時代の真っただ中で、核兵器の脅威にさらされていました。
アメリカ国内を見ても、人種差別が続いていた。ブラジルでは、日系移住者が数多くの労苦を抱えていました。伸一は、その国や地域の時代背景を踏まえた上で指導しています。
第2のポイントは「世界宗教への幕開け」です。伸一は、恩師から託された世界広布を、どう具体的に進めていくか、人知れず模索していました。
サンフランシスコでは、信心していない壮年を地区の顧問に任命したり、ネバダ州から来ていた夫妻と会うや、ネバダ地区の結成を決めたりします。
これについて、「彼の打つ手の一つ一つは、決して、単なる思いつきではなかった。たとえ瞬時に下された決断であっても、広宣流布のために一念に億劫の辛労を尽くしての熟慮があった」(122ページ)と記されています。
また、「アメリカという新天地に、題目を染み渡らせる思いで、国土の繁栄を祈り念じ、常に唱題を心がけていた」(190ページ)とつづられている通り、伸一は訪問した先々で、友の幸福と地域の発展を胸中で祈りながら、平和旅を続けました。
こうした真剣な祈りと、24日間で3カ国9都市を巡るという激闘によって、2支部17地区が結成され、世界宗教への幕が開かれたのです。
最後のポイントは、世界広布といっても、「目の前の『一人』を励ますことから始まる」ということです。たとえ支部や地区をつくっても、組織を担っていくのは「人」だからです。
サンフランシスコで、"人材がいない"と嘆く同行の幹部に対し、伸一はこう語ります。
「みんな人材です。これから光ってゆきます。純粋に信心を全うしていけば、みんな広布の歴史に名を残すパイオニアの人たちです」(132ページ)
伸一にとっては、一人一人が「ダイヤモンドの原石」でした。その宝の人材を伸一自らが率先して「見つけ」「磨き」「育てる」ことを実践したのです。
シカゴでは、ホテルの廊下に座り込んで、伸一の帰りを待っていた婦人たちと懇談しました。皆、身なりも立派ではなかった。しかし、伸一は「仏」と捉え、全力で激励していきます。
外見や立場などで、決してその人を判断しない。また、信心していなくとも、一つ一つの出会いに心を注ぎ、友情をはぐくんでいく。それが、伸一の信念であり、私たち一人一人が模範とすべき根本姿勢です。

◇「征」の一字の意味
「旭日」の章に、戸田先生が伸一に語った言葉がつづられています。「伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」(14ページ)
ここで注目したいのは、「ゆく」の漢字が「行」ではなく、「征」となっている点です。この「征」の字には「攻めに向かう」といった意味が含まれています。
第1巻の最後には「伸一にとって、この旅は、果てしなき平和への遠征の始まりであった」(346ページ)と。恩師の「征くんだ」との叫びは、池田先生にとって戸田先生と歩む「平和への遠征」の原点にほかならなかったのです。
学会歌「人間革命の歌」の歌詞の中に、「君も征け 我も征く 吹雪に胸はり いざや征け」とあります。私たちも小説『新・人間革命』を学びながら、師と共に「平和への遠征」へ出発しようではありませんか。

名言集
●幸福の宮殿
幸せの大宮殿は、あなた自身の胸中にある。そして、その扉を開くための鍵が信心なんです。(「旭日」の章、58ページ)

●「時」を逃すな
戦いの勝敗も、いかに一瞬の時を生かすかにかかっている。友への励ましにも、逃してはならない「時」がある。(「新世界」の章、114ページ)

●師子の存在
いずこの地にあっても、広布を推進していくには、一人立つ師子の存在が不可欠である。いかなる困難にも敢然と立ち向かい、広宣流布の全責任を担おうとする「人」がいなければ、向上も、発展もありえない。(「錦秋」の章、202ページ)

●大木とマッチ棒
大きな釣鐘があっても、どんな撞木を使うかによって、音の出方は違ってくる。大木で力いっぱい突けば、大きな音が出るけれど、マッチ棒や割り箸で叩いたのでは、小さな音しか出ないでしょう。これと同じように、御本尊は、無量の仏力、法力を具えていますが、こちらの信力、行力が弱ければ、マッチ棒で釣鐘を叩いているようなもので、大きな功徳を出すことはできない。(「慈光」の章、237〜238ページ)

●誓願の祈り
日蓮仏法の祈りは、本来、"誓願"の唱題なんです。その"誓願"の根本は広宣流布です。
つまり、"私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください"という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
そのうえで、日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から、智慧が湧き、創意工夫が生まれ、そこに成功があるんです。(「開拓者」の章、295ページ)

●人生の開拓者
人は皆、人生という原野をゆく開拓者です。自分の人生は、自分で開き、耕していく以外にありません。信心というクワを振るい、幸福の種を蒔き、粘り強く頑張ることです。広宣流布のために流した汗は、珠玉の福運となり、永遠にあなたを荘厳していきます。(「開拓者」の章、300ページ)

※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

2018年12月21日金曜日

2018.12.21 わが友に贈る

交通事故に注意!
スピードの出し過ぎや
携帯等の使用は厳禁。
飲酒運転は言語道断。
厳重に油断を排そう!

三三蔵祈雨事 P1468
『而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識は爪上の土よりもすくなし』

【通解】
しかるに、末代悪世には悪知識は大地微塵よりも多いが、善知識は爪の上の土よりも少ない。

〈寸鉄〉 2018年12月21日
時代の闇を破る正義の声で我らは戦い勝つ—恩師若人よ勇敢に打って出よ
東京・渋谷「婦人部の日」。師弟の歌声響かせ今日も舞う!朗らかに対話拡大
あいさつ一つで心の扉は開く。近隣と交流深める好機に。誠実が仏法の魂
全国の配達員・新聞長に深謝。皆様の労苦ありて広布の血流は隅々に脈動
流感の感染防ぐには湿度40%以上が重要と。手洗い、予防接種含め入念に

☆世界広布の大道——小説「新・人間革命」に学ぶ 第1巻 御書編 2018年10月24日
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第1巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の「私の読後感」を紹介する。本連載は月4回、原則、水曜日に掲載。1カ月で1巻分を紹介する。次回の「解説編」は31日付の予定。(「基礎資料編」は10日付、「名場面編」は17日付に掲載)

◇幸の大光を世界へ
【御文】
法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか
(御書265ページ、撰時抄)

【通解】
法華経の大白法が、日本の国並びに一閻浮提(全世界)に広宣流布することも、疑いないことではないか。

●小説の場面から
〈1960年10月2日、山本伸一は初の海外訪問へ。機中、「世界に征くんだ」との恩師の遺言や、激化する東西冷戦などの国際情勢に思いをはせ、自身の使命をかみ締める〉
伸一は思った。
"日蓮大聖人は、人類の苦悩をわが苦とされ、立正安国の旗を掲げて立たれた。
まさに幸福と平和への軌道の法則を示されたのである。
そして、「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」と、世界の広宣流布を予言され、その実現を後世の弟子たちに託された。
今、その時が来たのだ"
この世に生を受けて三十二年——世界広布を生涯の使命とし、その大業の扉を今、自らの手で開きゆくことを思うと、伸一の心は躍った。
日蓮仏法は、一切衆生が、等しく仏性を具え、一念三千の当体であることを明かしている。
また、人間を拘束する、すべての鉄鎖を解き放つ方途を示している。
まさに、人間の「尊厳」と「平等」と「自由」を打ち立てた、この日蓮大聖人の仏法こそ、二十一世紀の未来を照らし、世界に普遍なる幸の大光を放つ、全人類の平和のための世界宗教にほかならない。(「旭日」の章、15〜16ページ)

◇限りある時間との戦い
【御文】
命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也
(御書955ページ、富木入道殿御返事)

【通解】
命は限りあるものである。これを惜しんではならない。ついに願うべきは仏国土である。

●小説の場面から
〈海外平和旅の3番目の訪問都市・シアトルで、伸一の体調は悪化。病魔と闘いながら行程を進め、シアトルの名所・ワシントン湖に立ち寄る〉
湖面の彼方に、山々が雨で淡く霞み、黄や赤に染まった森の木々が水彩画のように見えた。
「本当にきれい! まるで絵のようね……。でも、この美しい葉も、すぐに散ってしまうと思うと、無常を感じるわね」
しんみりした口調で、清原かつが言った。
伸一はそれに笑顔で応え、静かに語った。
「鮮やかな紅葉は、木々の葉が、限りある命の時間のなかで、自分を精いっぱいに燃やして生きようとする姿なのかもしれないね……。
すべては無常だ。人間も生老病死を避けることはできない。
だからこそ、常住の法のもとに、一瞬一瞬を、色鮮やかに燃焼させながら、自らの使命に生き抜く以外にない。人生は、限りある時間との戦いなんだ。
それゆえに、日蓮大聖人も『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』と明確に仰せになっている。
今の私にほしいのは、その使命を果たすための時間なんだ……」
最後の言葉には、伸一の切実な思いが込められていた。しかし、その深い心を汲み取る人はいなかった。
色づく錦秋の木々にも増して、伸一の心には、広宣流布への誓いが、鮮やかな紅の炎となって燃え盛っていた。(「錦秋」の章、164ページ)

◇ここにフォーカス/三指針の意義
「新世界」の章では、山本伸一がアメリカの日系の同志に、�市民権を取得し、良き市民に�自動車の運転免許の取得�英語の習得——を提案する場面が描かれています。
この三つの指針の意義について、米国の宗教史学者リチャード・シーガー博士は、こう述べています。
「日系社会に閉じこもりがちだった他の仏教団体の中にあって、アメリカ社会に開いた活動を会員に促したことは、仏教のグローバル化の第一歩を印す貴重な事跡であったといえる」
伸一が示した三指針は、「今いる場所に根を張る」ことの大切さを訴えたものといえます。地域を愛し、地域と共に生きる。ここに、学会が世界宗教として飛翔する第一歩がありました。
「地域広布」即「世界広布」です。三指針の精神性は、世界広布の未来を照らす不滅の輝きを放っています。

私の読後感 識者が語る/ブラジルの音楽家 アマラウ・ビエイラ氏
●後世に伝わる永遠の名作
『新・人間革命』の完結を、心よりお祝い申し上げます。
池田先生のペンの闘争は、例えて言うならば、エベレストの頂上を目指し、一歩また一歩と登っていくようなものでしょう。そこには嵐もある。吹雪もある。それでも、ただ平和のため、文化のため、戦いを続けてこられた。どれほどの心労を尽くしてこられたことでしょう。想像を絶します。
ベートーベンの「第九」は、誰もが知る不朽の名曲です。『新・人間革命』もまた、時代から時代へと伝わる永遠の名作であると信じて疑いません。
これまで、先生の数々の著作を読んできました。『新・人間革命』からも多くのことを学んできました。
今、世界は分断の様相を呈しています。だからこそ、私たちは「平和ほど、尊きものはない」で始まる冒頭の一節を、何度も繰り返して読み、そこに込められた先生の思いに、自らの行動を通して迫っていかなければなりません。
『新・人間革命』は今、多くの言語に翻訳されています。いずれ、世界中で繙かれる時が来るでしょう。そして、幾多の人々が自身の人間革命に立ち上がるに違いありません。
『新・人間革命』第1巻「開拓者」の章には、先生のブラジル初訪問のことが記されています。その歴史は、ブラジルSGIのみならず、ブラジルという国家においても重要な意義があります。なぜなら、自身の生活に苦悩していた人たちが、ブラジルの平和、社会の繁栄のために立ち上がったからです。
先生は『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章で、「平和・希望・確信・勇気に満ちた学会歌は"私の心の歌"です」との私の言葉を引用してくださいました。それは"音楽を通して、新たな人間主義の時代を築いてほしい"との私に対するご期待であるように感じてなりませんでした。
これからも、音楽を通して、世界の人々の心を結んでいきたい。SGIの皆さまと手を携えながら。

Amaral Vieira 1952年、ブラジル・サンパウロ生まれ。作曲家・ピアニストとして、数々の賞に輝く。ブラジル・イケダヒューマニズム交響楽団の特別顧問も務める。

※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

2018年12月20日木曜日

2018.12.20 わが友に贈る

王城会・香城会・宝城会
守る会の皆さまありて
会館は"希望の城"に。
尊き献身に心から感謝!
功徳は広大無辺!

清澄寺大衆中 P894
『此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間退転なく申す』

【通解】
これを言えば、必ず、日蓮の命にかかわることになるであろうと承知していたけれども、虚空蔵菩薩の御恩を報ずるために、
建長5年4月28日、安房の国・東条の郷にある清澄寺の道善房の持仏望の南面において、浄円房という者、ならびに少々の大衆に、これを言い始めて、その後20余年の間、退転することなく言ってきた。

〈寸鉄〉 2018年12月20日
日蓮が魂を墨にそめながして・かきて候ぞ—御書。信じ祈り抜け。常勝の要
引き受けた約束は絶対に守れ。青年の社交術だ—戸田先生。大誠実で勝て
東京・多摩池田総区「師弟原点の日」。今こそ先駆の拡大を!誓願の炎は赤々
浸水想定区域に住む人は3千万超と。警戒怠らず。防災地図を確認し備えを
国連の「人間の連帯国際デー」。今いる所で友情の絆を。対話こそ平和の力

☆四季の励まし 報恩の人こそ人生の勝利者 2018年12月16日
報恩の人生は美しい。
お世話になった人に
恩返しをしていこうという心が、
一番、自分を成長させる。
限りない向上の
エネルギーとなっていく。
報恩の人こそ、人生の勝利者である。

何事も皆の支えがあってこそ
成り立つという考えをもつならば、
おのずから、
人々への感謝が湧くものだ。
しかし、自分中心で、
"周囲の人が何かしてくれて当然"
という考え方でいれば、
感謝の思いをいだくことはない。
胸には不平と不満が渦巻いていく。

人を思いやる心は、
相手によって
生まれてくるものではなく、
まず、自分の心の中に
築き上げるものである。
鏡に向かってお辞儀をすれば、
鏡の自分もお辞儀をするごとく、
自分自身の心が、
相手の心を呼び醒ましていくのだ。

「陰徳あれば陽報あり」
(御書1178ページ等)である。
使命の「陰徳」に徹する生命には、
どれほど偉大な「陽報」が
輝きわたることか。
一日一日、また一年一年、
心の財を積み、福徳の境涯と
眷属を広げていけるのが、
創価の人生である。

一年間、本当にありがとう!
また来年も勇敢に戦おう!
すべてに勝とう!
勝てば楽しい。うれしい。
皆が大歓喜に包まれる。
「仏法は勝負」である。
勝つための仏法だ。
正義は断じて勝たねばならない。
新しい一年を
晴れやかに勝利しよう!

ミカン、リンゴ、柿……。色とりどりの果物が、テーブルの上にきれいに盛られていた。2003年(平成15年)10月、八王子市の東京牧口記念会館を訪れた池田大作先生が、設営に当たった役員への感謝を込め、カメラに収めた。
本年も、残すところ2週間余り。一年を振り返り、お世話になった人に感謝の言葉を贈りたい。「ご苦労さまです」「お世話になります」「いつも、ありがとうございます」——たった一言でも真心は届けられる。
御書に「小事つもりて大事となる」(1595ページ)と。こまやかな心配り、温かい励ましから信頼と友情は深まる。年末年始も、朗らかに心の交流を結んでいこう。

2018年12月19日水曜日

2018.12.19 わが友に贈る

慌ただしい年末。
会合や打ち合わせは
時間厳守で価値的に。
賢明な知恵と工夫で
決意新たな前進を!

三世諸仏総勘文教相廃立 P562
『此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す』

【通解】
この三如是の本覚の如来は十方法界を身体とし、十方法界を心性とし、十方法界を相好とするのである。

〈寸鉄〉2018年12月19日
人類の幸福と平和の実現こそ仏法の本義—恩師。青年よ大目的胸に先陣を
「諸天善神等・男女と顕れ」御書。尊き同志に尽くせば全て自身の福徳に
躍進の鍵は「副役職」の友の奮起にあり。広布は総力戦。団結固く明年へ
ささやかなことから重大な破滅が—偉人。交通事故・火事・詐欺等に要警戒
歩きスマホで視野は通常の5%に。加害者になる恐れも。注意喚起を強く

☆世界写真紀行 第36回 スペイン・マドリードの街並み
◇尊重し合う人間の連帯を
石畳の道路の両側には、数百年の歴史を感じさせる建物が軒を連ねていた。
スペインの首都マドリードの旧市街。
スペインは「国土の3分の1が石でできている」といわれるほど「石の文化」が根付いている国。大理石や御影石(花こう岩)、粘板岩など種類も多い。
かつて「太陽の沈まぬ国」といわれたスペイン。その政治・文化の中心として首都マドリードは栄華を極めた。当時の様子をしのばせる街並みは、大きな"博物館"のようで、美しい。
このマドリードが戦火に見舞われた時期があった。
フランコ将軍率いる軍が、共和国政府にクーデターを起こしたスペイン内戦(1936年〜39年)である。
マドリードの独立広場にあるアルカラ門には、現在も内戦当時の弾痕が残っているという。
だが、この内戦は、"国内の出来事"に終わらなかった。
共和国政府が不在となったマドリードをはじめ、スペイン各地で、市民が不当な権力に抗して立ち上がると、それを支えようと、世界から数万人の義勇兵や非戦闘員が集ったのである。
写真家のロバート・キャパは戦争の悲惨な真実を報道し続けた。
アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェーは、現地での体験をもとに『誰がために鐘は鳴る』を著した。
フランスの作家アンドレ・マルローは、戦争体験を小説『希望』に書いて抵抗の姿勢を示した。イギリスの作家ジョージ・オーウェルは政治の嘘を暴き、信じられるのは「無名兵士の水晶の精神」だけだと訴えた。
75年、フランコ将軍の死をきっかけに、軍政は終わりを迎え、民主化が実現した。
スペイン内戦で民衆が立ち上がり、それぞれの力を尽くした歴史は、今も語り継がれる。
このマドリードを、池田先生は2度、訪れている。初訪問は61年。2度目は民主化後の83年である。
83年の訪問の折、先生はスペイン広場の西にある、画家ゴヤが眠る廟を見学した。
廟の近くにあった石垣に目を留めた先生は、その様子をこう描写している。「大きな石、小さな石。丸い石、多角形の石。それぞれの石が、どれひとつ欠けてもならない、かけがえのない位置を占め、風雪に揺るぎもせずに、そびえ立っていた」
さらに、先生は、その石垣の堅固さを通し、困難を乗り越える要諦を、次のように述べた。
"異なった石が互いを補い、組み合わさって、崩れないものができあがる。これが石垣である。同じように、お互いの差異を認め、尊重し合う人間の連帯から、堅固な「平和の石垣」が築かれる"
"私が友情を結んできた「世界市民」のリーダーたちも、皆、平和のためにまず「自分ができることは何か」を考え、情熱を燃やして、一心に行動されている。不可能に思えるようなことが立ちはだかっても、自分を信じ、友を信じてスクラムを組み、困難を乗り越えていくのである"
皆が"同じ行動"をしても本当の団結は生まれない。大いなる理想を目指しつつ、それぞれの個性を互いに尊重し合い、自分にできることをやり抜く中で、強固な団結ができる。それが異体同心の信心の団結である。

2018年12月18日火曜日

2018.12.18 わが友に贈る

誰も見ていない所で
広布を支える友こそ
最も尊貴な人なり!
その真心と奮闘に
大福徳は厳然と!

曾谷殿御返事 P1056
『法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし』

【通解】
法華経の敵を見ながら、放置して責めなければ、師匠も弟子もともに無間地獄に堕ちることは疑いない。

〈寸鉄〉 2018年12月18日
題目唱え広布に駆ける地が「宝塔の住処なり」御書わが使命の舞台で勝利を
東京・足立の日。庶民の都に人間共和の大連帯築け王者の誇りで拡大に先駆
人間に優って驚くべきものなし—詩人。皆が仏。確信の励まし対話を今日も
あおり運転などはためらわず110番通報を—警察庁取締も強化と。皆で根絶
パリ協定の実施規則が全会一致。地球の緑を救う転換点。人道競争の時だ

☆御書と歩む� 第47回 信心根本に絶対無事故で
『よるは用心きびしく夜廻の殿原かたらいて用ひ常には・よりあはるべし』(四条金吾殿御返事、1164ページ)

◇通解
夜は用心を厳しくして、夜廻り警備の人たちと親しく交わって用い、常に、互いに寄り合っていきなさい。

◇同志への指針
一年の総仕上げだ。慌ただしい師走だからこそ、信心の基本を大事にしたい。
日蓮大聖人は四条金吾に、周囲の人を大切にして味方にするように、とも指導された。一つ一つの人間性の振る舞いにこそ、仏法は光る。
"夜は用心厳しく"と仰せだ。特に女性の皆さんは、早めの帰宅を重ねてお願いしたい。深き祈りと細心の注意で絶対無事故を勝ち取ろう!

☆きょうの発心 �13994 同志と共に広布誓願に生き抜く 2018年12月16日
第6千葉総県書記長 影田政文
◇御文
『このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり』(妙心尼御前御返事、1480ページ・編1129ページ)

◇通解
この病は仏のお計らいだろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである。

夫が病床に伏していた女性門下に、病を縁として求道の心が起こってくると励まされた一節です。
私が大学生の時、父が難病の脊髄小脳変性症と診断され、"余命10年"の宣告を受けました。この日から、母は、信心に大反対の父の宿命転換を御本尊に祈り続けました。当時、私は信心に消極的でしたが、地元・岐阜の同志の度重なる激励に発心しました。
1991年(平成3年)に就職で千葉へ。同年11月に開催された「千葉文化友好祭」に出演し、池田先生とお会いできたことが信心の原点です。95年には念願かない父が入会。母と共に、この御文を身で拝することができました。
結婚後、妻の病などもありましたが、師の励ましに奮起し、題目を唱え抜く中で、夫婦で弘教が実り、信心の確信が深まりました。現在、長女は女子部の部長、長男はアメリカで奮闘しています。
「旭日の千葉」の誇りを胸に、第6千葉総県の皆さまと共に、広布誓願に生き抜く決意です。

2018年12月17日月曜日

2018.12.17 わが友に贈る

◇今週のことば
無冠の友をはじめ
尊き陰徳の宝友に深謝!
無量の陽報は絶対だ。
「心の財第一なり」と
誇り高き年輪を共々に!
2018年12月17日

顕立正意抄 P537
『各薬王楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ雪山国王等の如く身を投げ心を仕えよ、若し爾らずんば五体を地に投げ・身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢と為つて持者に奉えよ』

【通解】
各々、薬王のように臂を焼き、楽法梵志のように皮を剥ぎ、雪山童子のように身を投げ、須頭檀王のように心から仕えるべきである。
もし、そうでなければ、五体を地に投げ、身に汗を流すべきでる。もし、そうでなければ、珍宝を仏前に積むべきである。
もし、そうでなければ奴婢となって持者に仕えるべきである。

〈寸鉄〉 2018年12月17日
未来への展望持つ会長を師と仰ぐ学会員は幸せ—博士。さあ創立90周年へ
「音も惜まずよばはり給いて」御書。確信と情熱の言葉を。友の心を動かせ
本年最後の地区協議会。突破口は私が!魂と魂の触発で明年の勝利を先駆
空き巣やひったくり被害は年末に多発。施錠などしっかり。心の守り固く
インフルエンザが流行。咳やくしゃみ出たらまずマスク。感染の拡大防げ

☆世界宗教の仏法を学ぶ 第11回=完 座談会——善知識たる友の集まり
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。最終回となる今回のテーマは「座談会」です。

◇「大白蓮華」の巻頭言から
「座談会」は、創価学会の伝統であり、今や、「ザダンカイ」として、世界中で開催されています。池田先生は、世界広布の推進力となってきた座談会の歴史と精神について、折々に指導しています。

牧口常三郎先生は、戦時中、特高刑事の陰険な監視と怒号にも怯まず、忍難弘通の座談会を一貫して断行なされた。逮捕される直前も、伊豆・下田で座談会を悠然と行われていた。
先生への弾圧の起訴状では、二年間で二百四十回以上にわたって、座談会を開催したことが、その理由の一つとされている。
戸田城聖先生が、出獄後、巌窟王のごとく学会再建の火蓋を切られたのも、座談会であった。
昭和二十一年、戦後最初の座談会で、戸田先生は、殉教の牧口先生と三世永遠に共に戦う決意を天下に宣言なされた。
ゆえに、この広布推進の座談会は、我ら後継の弟子にとって、初代・二代の「不惜身命」の学会精神をたぎらせ、晴れ晴れと意気軒昂に、真剣勝負で臨みゆく師弟一体の法戦場であることを、忘れてはならない。(2006年10月号「座談会こそ広布の源流」)
◇◆◇
私は座談会で、師匠とお会いすることができた。
私は座談会で、大仏法を学び、実践してきた。
私は座談会で、愛する同志と一緒に、日本そして世界へ、広宣流布の拡大を起こしてきた。
私は座談会が、何よりも大好きだ。
法華経の薬王品には、「如清涼池」と説かれる。
すなわち、清らかで涼やかな池は、渇きに苦しむ人々の心身も満たすことができる。その池の如くに、妙法には、生老病死の苦悩から一切衆生を解き放つ大功力が漲っているという譬喩である。
"心の砂漠"が広がる社会にあって、座談会は、集い来る友が、皆、生命を満たし、蘇生していくことのできる「如清涼池」のオアシスといってよい。
御本仏日蓮大聖人は、明快に宣言なされた。
「仏になるみちは善知識にはすぎず」「善知識たいせちなり」、そしてまた「而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり」(御書1468ページ)と。
「一生成仏」のために、最も大切であり、しかも最も値い難き存在が「善知識」だ。この善知識たる友と友の集まりこそが、創価の座談会なのである。

座談会は参加者全員が主役だ。老若男女を問わず、皆、大地から躍り出てきた地涌の名優ではないか!
一人一人が汗と涙でつかんだ体験は、何ものにも代え難い「人間革命」の感動のドラマではないか!
どんなに悩みを抱え、どんなに疲れ果てていても、必ず元気になれる。前向きになれる。勇気が湧いてくる。これこそが、座談会という幸福劇場なのだ。
今や世界中で、「ザダンカイ」が朗らかに行われている。あらゆる差異を超え、地球民族の心に生命尊厳の哲理の火を灯し、人生や国土のいかなる試練にも負けない活力と連帯を生み出しているのだ。
人類が待望してやまない新たな「対話の文明」を創造しゆく無限のエネルギーが、座談会にはある。(2017年11月号「ザダンカイは元気の幸福劇場」)

◇理解を深めるために
●自他共に福徳を積む会座
仏法は、その出発点をたずねれば、小さな「法座」、つまり"座談会"でした。
釈尊は覚りを得た後、5人の旧友との語らいから、説法を開始しました。
大聖人も「少少の大衆にこれを申しはじめて」(御書894ページ)と、少人数の会座から、末法広宣流布の法戦の幕を開けられたのです。
戦後の学会の再建も、座談会からでした。
ここでは、仏法の集いを開く功徳について学びます。
法華経の随喜功徳品第18には、「勧めて坐して聴かしめ、若しは座を分かって坐しめば、是の人の功徳は、身を転じて帝釈の坐処、若しは梵天王の坐処、若しは転輪聖王の坐する所の処を得ん」(法華経521ページ)とあります。
法座に友を誘い、仏法を聴かせ、座を詰めて座らせる人は、その福徳で未来に梵天・帝釈天・転輪聖王の座を得ることができると示されています。
友人を連れてくる人、妙法の偉大さを示す体験談を語る人、他の人のために自分が詰めて座る場所をつくる人、会場を提供してくださる人など、座談会を成功させようとする人々の真心に、無量の福徳が輝くのです。
現実世界で妙法を弘め、自他共に福徳を積む最極の会座が、創価の座談会なのです。

◇日蓮大聖人の御書から 「佐渡御書」について
●大変な時こそ支え合う
「佐渡御書」は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から、門下一同に与えられたお手紙です。
前年の「竜の口の法難」を機に、投獄や所領の没収など、迫害の嵐は門下にも及び、「千が九百九十九人は堕ちて候」(御書907ページ)と仰せのごとく、多くの人々が退転していきました。
信心に疑念を抱き、動揺する門下に、"今こそ成仏の時である"と、不惜身命の信心を力強く教えられたのが本抄です。
創価の三代の会長が、心肝に染め、あらゆる迫害を勝ち越えてきた師弟勝利の御書でもあります。
本抄の追伸で大聖人は、「心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ」(同961ページ)と仰せです。大変な時だからこそ、孤立するのではなく、励まし合うことが大事なのです。
他の御書でも、「互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」(965ページ)等、顔を合わせ、語り合っていくことを促されています。私たちで言えば「座談会」に集うことです。
人間は得てして、一人だけでは、燃え立つような決意も、時間と共に薄れてしまうものです。また、どんなに強いと思っていても、思わぬ逆境に遭えば、心が折れてしまうこともあります。
逆に、共に信心の原点を確認し、誓いを共有し、励まし合う同志がいれば、どんな障魔の嵐にも倒れずに、勝利と幸福の軌道を歩み抜くことができるのです。

2018年12月16日日曜日

2018.12.16 わが友に贈る

広宣流布とは
人と会うことだ!
どこまでも礼儀正しく
誠実一路の振る舞いで
大きく仏縁を広げよう!

遠藤左衛門尉御書 P1336
『左衛門殿は梵天釈天の御使にてましますか、霊山えの契約に此の判を参せ候、一流は未来え持せ給え霊山に於て日蓮日蓮と呼び給え、其の時御迎えに罷り出ず可く候』

【通解】
左衛門殿は梵天・帝釈天のお使いであられましょうか。霊山浄土へ行く固い約束として、この判形を差し上げます。一つは未来世へお持ちになりなさい。そして霊山で「日蓮、日蓮」と呼んでください。その時はお迎えに出てまいりましょう。

〈寸鉄〉 2018年12月16日
青年が思う存分、働けるよう応援する人が偉い—恩師。広布の未来ここに
「偉大な挑戦は不本意な結果さえ栄光にする」諺。最後に勝つ。それが信心
読書や読み聞かせは脳の発達を促進—研究。良書に挑め。まず開く事から
12月は交通事故が最多の月と。慌ただしい今こそ安全運転。早めの点灯も
現在の景気拡大は戦後2番目の長さ。公明よ対策更に。皆の実感伴うまで

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 聖人御難事 2018年12月8日
◇「師弟不二の信心」が勇気の源泉に
◇皆に具わる「師子王の心」
今月は、「聖人御難事」を研さんします。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「わが創価学会は、師子の集いです。一人一人が師子となれば、いかなる逆境にも勝利することができます。師子は強い。何も恐れない。一人一人が師子吼すれば、あらゆる魔性を打ち破ることができます。師子を妨げるものなど、何もありません」
日蓮大聖人から創価三代の師弟に継承されてきた「師子王の心」を学んでいきましょう。(拝読範囲は本抄全編です)

◇本抄について
本抄は、「熱原の法難」の渦中である弘安2年(1279年)10月1日、日蓮大聖人が身延で認められ、門下一同に与えられたお手紙です。
当時、駿河国(静岡県中央部)富士地方では、日興上人を中心に弘教が進み、多くの農民信徒が誕生。その勢いを恐れた、滝泉寺の院主代・行智らは、大聖人門下を迫害します。
同年9月21日、農民信徒20人が無実の罪で捕らえられ、非道な尋問で法華経の信心を捨てるよう脅されます。そして、神四郎・弥五郎・弥六郎は殉教。残る17人は誰一人退転することなく、妙法の信心を貫きました。この不惜身命の弟子の出現に、時の到来を感じられた大聖人は、本抄で御自身の「出世の本懐」を示されます。
そして、大難と戦う門下に、強盛な信心の姿勢を強調されています。

◇御文�
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(1190ページ7行目〜9行目)

◇通解
各々は師子王の心を取り出して、どのように人が威嚇しても、決して恐れることがあってはならない。師子王は百獣に恐れない。師子の子もまた同じである。彼ら(正法を誹謗する人々)は、野干(狐などのような、よく吼える小型の獣)が吼えているようなものであり、日蓮の一門は師子が吼えているのである。

◇御文�
『設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへにばっしがたかるべしと存じ給うべし、月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』(1190ページ10行目〜12行目)

◇通解
たとえ大鬼神がついた人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王また天照太神・八幡大菩薩が守護されているゆえに、罰することができないと、確信していきなさい。
月々日々に、信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。

◇解説
大聖人は掲げた御文�で、法華経の信仰ゆえの迫害と戦う門下に、"一人一人が「師子王の心」を取り出して、絶対に恐れてはいけない"と仰せです。
「師子王の心」とは、大聖人が広宣流布の闘争の中で示された、不屈の勇気であり、何ものにも負けない仏界の生命です。
御文に「取り出して」とあるように、偉大な「師子王の心」は、私たちの胸中にも具わっています。
それを取り出す源泉が、「師弟不二の信心」です。
私たちの実践でいえば、"師匠のために"と立ち上がり、師匠と心を合わせて広布に前進する時、生命の奥底から仏界の無限の力が涌現し、必ず勝利を開いていくことができるのです。
本抄の御執筆当時、迫害と戦っていた熱原の信徒の多くは、入信の日が浅い農民でした。しかし皆、弾圧に屈することなく信心を貫いていたのです。
この共戦の弟子に大聖人は、「師子の子・又かくのごとし」「日蓮が一門は師子の吼るなり」と最大に励まされています。
"いかなる迫害があろうと、師子王の心で戦えば、恐れるものなど何もない"との大確信に、門下はどれほど勇気づけられたことでしょう。
続く御文�で大聖人は、強大な権力をもつ「大鬼神のつける人」が弾圧しようとしても、あらゆる諸天善神が守護するので、法華経の行者が危害を加えられることはないと仰せです。
諸天善神とは、具体的な実体があるのではなく、正法を実践することによって現れる"働き"です。そして、諸天の守護といっても、その人の「信心の強さ」によるのです。
ゆえに、魔はその人の信心を停滞させようと、心の隙を狙ってきます。「月月・日日に」と示された通り、たゆまず前進しゆく信心こそ、魔に打ち勝つ要諦なのです。
題目を根本に、日々「行学の二道」に励み、何があっても負けない師子王の境涯を築いていきましょう。

◇池田先生の講義から
「師子王の心」とは、「不退の心」です。「負けじ魂」「学会魂」であるといってもよい。難と戦えば仏になれる。そのために「師子王の心」を取り出すのです。信心とは、絶えず前進し続ける「勇気」の異名なのです。(中略)
一ミリでも、一歩でも、進んだ人が勝利者です。負けないことが不屈の心の財を積み、その中で自身の人間革命、宿命転換を成し遂げられる。信心の世界は、どこまでも真面目に信心を貫いた人こそが、最後は必ず栄冠を勝ち取るのです。(2015年11月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
◆ ◇ ◆
たゆまざる信心の実践こそ、人生勝利の要諦です。(中略)
戦い続ける人、すなわち、常に仏界を開いている人は、魔を寄せつけません。常に前進する人が、必ず偉大な境涯を築き上げることができる。そのための仏法です。
「月月・日日につより給へ」の信心こそ、三障四魔を破り、宿命転換を成し遂げゆく絶対勝利の根本なのです。(同)

研さんのために
○…2015年10・11月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」(聖教新聞社)
○…『御書と青年』(同)
○…『御書の世界』第1巻(同)

2018年12月15日土曜日

2018.12.15 わが友に贈る

かつてない決意こそ
最高の歴史を築く力だ。
ゆえに目標を明確に!
清新な息吹をみなぎらせ
明年へ先駆しよう!

法蓮抄 P1047
『法蓮上人の御功徳は過去聖霊の御財なり、松さかふれば柏よろこぶ芝かるれば蘭なく情なき草木すら此くの如し何に況や情あらんをや又父子の契をや』

【通解】
法運上人(曽谷教信)の御功徳は、亡くなられた聖霊(父)の御財です。松が栄えれば柏が喜び、芝が枯れれば蘭が泣きます。情のない草木ですら、このようなのです。
まして情のある者はいうまでもありません。また、父子の契りの間柄も、そうなのです。

〈寸鉄〉 2018年12月15日
「日蓮等の類は不軽なり」御書。眼前の友を励まし、尽くす。これ仏法の真髄
いくら踏みつけられても伸びゆくのが青年—戸田先生。艱難に喜び勇んで
会場の提供者、ご家族の方に感謝の言葉を。地域の宝城ありて広布は伸展
年賀状の受け付け開始。旧交温め、友情育む好機。一葉、一筆に心を込めて
中学生10人に1人が不登校傾向。子の笑顔こそ国の希望なり。皆で激励を

☆新時代を進む 第33回 ロマンの青春凱歌の人生
女子部の訪問ロマン総会が、日本全国で楽しく、にぎやかにスタートした。
さあ、友のもとへ!
祈って動けば、希望のドラマが始まる。ロマン輝く青春の語らいが生まれる。友情の花園と咲き薫る。
「常にかたりあわせて」(御書900ページ)と仰せ通りの華陽姉妹のスクラムを、御本仏・日蓮大聖人がどれほどご賞讃であろうか。
「御義口伝」には、「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」(同787ページ)と示されている。
世界一の生命哲学を友に贈ることは、一人一人の幸の宮殿を輝かせ、社会に歓喜の光を広げゆくことだ。
なかなか会えない人もいる。心ない反応が返ってくる場合もあるだろう。
しかし、真心からの声は種となって、相手の命の大地に蒔かれている。いつか必ず花開く時が来るのだ。
最高の仏道修行に励む誇りに胸を張り、賢く朗らかに進んでいただきたい。
学会活動で「心の財」を積む日々ほど、尊貴な青春があろうか。誠実にして福運ある女性には、誰も敵わない。
昭和57年3月、あの長居陸上競技場での関西青年平和文化祭で反転攻勢の大行進を開始した直後、私は、関西の女子部の友に指針を贈った。
「健康」「教学」「余裕」「教養」「唱題」の五つである。
当時の乙女たちが、今や「常勝の太陽の母」となって皆を包んでくれていることも、うれしい限りだ。
— ◇ —
御書には、「真の友でなければ、誰が訪ねてくれるであろうか」(1554ページ、通解)とも記されている。
人を励ませば、自分も励まされる。人を照らせば、互いの未来が明るく晴れる。
労をいとわず、足を運び、声を掛ける創価の励ましは真の友情の発露なのだ。
人と会う。友と語る。それが広布の地盤となる。
師走から新年にかけて、普段はできない語らいや、旧交をあたため、親族とあいさつする機会もあろう。
新しい時代は、心通う対話で開かれる。生命の交流から智慧が湧き、力が倍加する。生き生きと、心広々と仏縁を結んでまいりたい。
— ◇ —
先月、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂が新装され、近隣や地元の方々も喜んでくださっている。
ある年の師走、戸田先生は思い出深き豊島公会堂で叫ばれた。
——全同志が功徳を受け切った姿を、さらに全世界へ示していきたい、と。
さあ、共々に人間革命の勝利の光をいやまして放ち、「凱歌の人生」を堂々と飾りゆこうではないか!

☆青春勝利の大道 第51回 新しい年へ新しい生命で
◇絶対無事故の年末年始を
世界の青年部が固くスクラムを組んで、この一年、幸福と平和の大波を、地球社会に一段と広げることができた。
本当にありがとう!
明年へ出発する師走は、多忙で事故や火災も起きやすい。
日蓮大聖人は、「神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候」(御書1186ページ)と仰せだ。
「断じて魔を寄せ付けない」との強盛な祈りを根本に、「前前の用心」(同1192ページ)を怠らず、油断を排していただきたい。
とくに女子部の皆さんは、帰宅が遲くならないように!「信心即生活」の聡明なリズ厶で、絶対無事故を勝ち取り、健康第一の前進であれ!
感謝の心を伝えよう

◇感謝の人に「栄光」は輝く。
一年を振り返り、お世話になった方々に感謝の心を伝えよう。
年末年始だからこそ会える人もいる。年賀状で心も結べる。
人間性あふれる振る舞いに、仏法の精神は脈動する。
戸田先生は明快に語られた。
「大事なのは、人間としての外交である。どんどん人と会って、友情を結んでいきなさい。すべて、勉強だ。また、それが広宣流布につながるのだ」
楽しく心はずむ出会いから、自他共の偉大なる人間革命の歩みは始まるのだ。
旧交を温め、新たな友情を育み、信頼の絆を広げゆこう!青年よ、「誠実」で勝て!

2018年12月14日金曜日

2018.12.14 わが友に贈る

「一人の父母を讃歎
すれば千子悦びをなす」
一人一人を称えよう!
心にともした希望の灯は
周囲をも照らす光源に!

如来滅後五五百歳始観心本尊抄 P249
『在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり』

【通解】
さて釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、いずれも一切衆生がことごとく即身成仏する純円の教である。なに一つとして闕くところがない。
ただし在世の本門と末法の本門の相違をいうならば、在世は脱であり末法は下種であり、在世は一品二半、末法はただ題目の五字である。

〈寸鉄〉 2018年12月14日
「道理証文よりも現証にはすぎず」御書。体験を語り充実歓喜の座談会に
関西女性の日。誓願の題目を響かせ前進!婦女の連帯固く常勝の新章節を
埼玉婦人部が希望の大行進。きょう部の日。わが地域に励まし対話を拡大
各地で火災が多発。タバコ、ストーブ、コンロ等、火の元の点検をしっかり
組織での忘年会・新年会は厳禁。不信や事故の因。清浄な信心の世界壊すな

☆新時代を進む 第32回 君よ忘るな勝利の絆を
若人の歌声が響くところ生命の躍動は広がる。私も、学会歌のCDに耳を傾けない日は一日としてない。
先日の中国総会では、心凜々しき鳳雛たちが未来部歌「正義の走者」をスクラム組んで歌ってくれた。
歌詞に刻んだ『走れメロス』の物語は、「友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝」と描いている。
それは、人の善意を信じられない悪王の心さえ変えた。
この最極の信実で結ばれ、正義を勝ち開きゆく奇跡の連帯が、創価である。
心が通う人間主義の花の輪に皆が加わっていく時、平和の行進が始まる。
未来部の「E─1グランプリ」でも、メロスたちが登場し、語学を磨き世界市民の友情を育んでいる。何と楽しみな「正義の走者」の成長か!
 ◇
戸田先生は語られた。
「青年の一番の財産は信頼だよ」と。
信じ合える友がいる。友の信頼に応えゆく青春である。ここに無上の誇りがある。
釈尊は、善き友を持ち、善き友と進むことは、仏道の全てであると明かした。
錦秋の列島で、聡明な女子部の友が、希望と幸福の哲学を語る姿は清々しい。
各地の大学祭では、母校愛みなぎる学生部の俊英が友情の光彩を広げる。
そして、逆境もチャンスに変えゆく男子部の師子の陣列は、頼もしい限りだ。
今日(21日)は、敢闘精神に燃える関東で、全国男子部幹部会が行われる。
創価の若き人材群の拡大は、そのまま社会の希望と安全と活力の拡大である。
 ◇
日蓮大聖人は、「師子吼」の意義を「師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)と教えてくださった。
「師弟不二」の心、「異体同心」の団結で、広宣流布を誓願して唱える題目こそが、最強無敵の師子吼なのである。
妙法と共に、師と共に、同志と共に──そう決めた生命には、恐れるものはない。
いかなる試練も、必ずや変毒為薬できる。ここにこそ、絶対勝利の絆があるのだ。
 ◇
我ら創価家族のスクラムの中心に輝くのは、太陽の婦人部の皆さん方である。
思えば、40年前の今日、東京・板橋での本部幹部会で、婦人部歌「母の曲」を贈らせていただいた。
「あの人照らせ この人も」との母たちの励ましの陽光あればこそ、学会は明るく温かい。
「ああ悲しみも いざ越えて」との母たちのけなげな祈りがあればこそ、広布は限りなく前進できる。
さあ創立の秋、学会歌を声高らかに轟かせながら、勇猛精進しよう!

☆青春勝利の大道 第50回 青年よ旭日たれ!師子たれ!
◇苦楽を分かち合う対話を
創立の父・牧ロ先生は、明快に語られた。
「人生に関する問題は対話でなくては相手に通じない」と。
草創以来、学会は、座談会や少人数の会合を大切に、一対一の対話に徹してきた。それゆえに、創価の連帯は192力国・地域に広がったのである。
慌ただしい時代である。働き方なども多様だ。だからこそ、友の話を丁寧に聞こうとする心の余裕を持ちたいものだ。
誠実に耳を傾ければ、自分も学べる。信頼も集まる。そこから、心を開いた対話が深まる。
自ら足を運び、一人を大切に、苦楽を分かち合う真の仏道修行を、忍耐強く重ねよう!

◇勇気の一歩を踏み出せ
わが青年部が「創立の月」を、見事な行学練磨と人材拡大で勝ち飾ってくれた。一人一人の奮闘に拍手を送り、讃えたい。
創立の志は「一人立つ精神」だ。一人が勇気の一歩を踏み出せば、勝利の未来が開かれる。
私は小説『新・人間革命』を、戸田先生の遺志を継いで世界広布へと踏み出す、「旭日」の章から書き起こした。
当時、32歳。この若き「旭日」の勢いで、師弟の誓願を果たしゆく生命のバトンを、愛弟子たちに厳然と託したい。
「法華経の行者は日輪と師子との如し」(御書1219ページ)である。いよいよ使命の舞台で勝ち光り、わが誓いに走りゆけ!

2018年12月13日木曜日

2018.12.13 わが友に贈る

地域や近隣を大切に!
日頃の感謝の思いを
真心込めて伝えよう。
身近な友好の広がりこそ
広宣流布の直道なり。

立正安国論 P29
『是の禿人の輩正法を護持するを見て駈逐して出さしめ若くは殺し若くは害せん』

【通解】
この禿人の輩は正法を護持するものをみて、そのところを追い払い、あるいは殺し、あるいは害するであろう。

〈寸鉄〉 2018年12月13日
会長は友情で世界を結ぶ人道主義の人—露識者。誠実の人間外交を我らも
列島で本年の掉尾を飾る座談会。互いに健闘称え創価勝利の年へ勇躍出発
岐阜・大正義の日。師の初訪問65年。堅塁の要に光る人材城。さあ勝ち捲れ
大善人になるには強くならねばならぬ—牧口先生青年よ激戦の中で鍛えよ
朝食抜く人、20代が最多—調査。栄養不良に陥る可能性も。リズム正しく

☆御書と歩む� 第46回 悪知識を打ち破れ
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取って善心を破るといふ事なり』(唱法華題目抄、7ページ)

◇通解
悪知識というのは、甘い言葉で語り掛け、いつわり、こび、言葉巧みに、愚かな人の心を取って、善心を破るということである。

◇同志への指針
悪知識は、あたかも味方のように現れ、言葉巧みに信心を食い破ろうとする働きだ。
ゆえに、寄せ付ける隙を与えてはならない。魔は魔と見抜けば退散する。信心の利剣で鋭く断ち切るのだ。
学会は最高の善知識の集いである。人間の善性薫る蘭室であり、互いに仏の如く敬う生命の安全地帯である。この究極の異体同心の連帯を断固と守り抜き、広げ抜くのだ。

☆12月度座談会拝読御書 高橋殿御返事
◇拝読御文
『同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる、又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か、又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし、一切衆生を利益するなればなり』(1467ページ1行目〜3行目)

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、駿河国(静岡県中央部)の富士方面で、門下の中心的な役割を担っていた弟子に与えられた、お手紙の一部(断簡)と考えられます。
そこからの推定により、かつては高橋六郎入道に宛てられた御消息文とされていましたが、詳細は不明です。
本抄の冒頭で大聖人は、謗法の者を養ってはならないことを示されます。それは、人々の成仏の種子を断つ、法華経の敵の命を永らえさせ、悪になってしまうからです。
その上で、たとえ謗法の者であっても、命を助ければ、いずれは心を改める時が来て、正法に導くことができるとの可能性を示されます。
どこまでも謗法を誡めることが大前提の上で、「敵人」をも救っていくとの大聖人の慈悲心からの仰せだと拝されます。
一方で、現実に民衆救済の戦いをしている「法華の行者」に米穀を供養することは、供養した相手だけでなく、広宣流布を進め、一切衆生を利益することにつながっていきます。ゆえに、「慈悲の中の大慈悲」の働きになると述べられます。
たとえ同じ米穀であっても、誰への供養かによって、その意味は大きく違ってくるのです。
さらに、大聖人のもとへ使者を遣わし、供養を届けられた弟子の真心を喜ばれ、「あなたの身に釈迦仏、そして地涌の菩薩が入り替わられたのであろうか」と称賛されます。
続いて、「その国の仏法流布は、あなたにお任せします」と、地域広布の主体者としての使命と誇りを教えられます。
最後に、法華経を聞かせることが縁となって万人成仏の種子が相手の生命に植えられることを訴えられ、妙法を説き広めていくよう望まれています。

◇下種仏法
日蓮大聖人の仏法は、万人成仏の根源の一法である南無妙法蓮華経を直ちに説き聞かせ、成仏の種を植えることができるので、下種仏法といいます。
下種とは「種を下ろす」と読みます。「種」は仏種である南無妙法蓮華経のことです。私たちで言えば、相手の幸福を願い、仏法対話に励んでいくことが、下種の実践になります。
下種には「聞法下種(相手の心に成仏の種子を下ろすこと。相手の信不信は問わない)」と「発心下種(下種を受けて、相手が仏法を求める心を起こすこと)」とがあります。聞法下種でも発心下種でも、相手が妙法を聞いたことに変わりはありません。
大聖人は、「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書552ページ)と仰せです。それは、たとえ相手が反発したとしても、仏種を植えたことで、後にこの縁によって必ず発心し、成仏の道に入ることができるからです。
拝読御文で、法華経の敵であっても「終に法華経を引き入るべき故か」と仰せになっているのは、一切衆生を絶対に救うのだとの大聖人の大慈悲の現れと拝されます。
反発した人さえも等しく成仏させていくのが大聖人の仏法です。たとえ反発している人であっても、どこまでも誠実に、妙法の素晴らしさを語っていくことが、大聖人の御精神に叶った慈悲の実践なのです。
すぐに発心するかどうかは、相手の機根によります。すぐに発心しようが、しまいが、どちらにしても、仏法を語って聴かせれば、生命の奥底には、必ず仏種が植えられます。ゆえに、下種の実践に対する功徳は、変わらないのです。

◇御供養の精神
日蓮大聖人は、供養を届けられた門下に、「仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」(御書1596ページ)と、凡夫は「志ざし」によって成仏できると教えられています。
では、「志ざし」とは、どういうことをいうのでしょうか。
大聖人は先の御文に続く部分で、"一つしか無い衣服を法華経に供養すること""これを供養すれば、きょうの命をつなぐことができない時に、その食物を仏に供養すること"を例として、命を捧げるにも等しい「志ざし」に、無量の福徳が輝くことを教えられているのです。
このように、供養は信心の純真な発露であるからこそ、誰に供養するのか、相手の正邪を厳しく見極めていかなければなりません。
拝読御文に仰せの通り、謗法への供養は、「法華経の敵」を利することになり、万人成仏の道を閉ざす悪業を積んでしまうことになるからです。
一方で、「ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん」(同1231ページ)と、法華経の行者である大聖人への供養は、計り知れない福徳となって、一家眷属を包み、そして、さらに多くの人々にまで及んでいくことを教えられています。
また別の御書では、「あなたの真心は、法華経の題目を弘めている人に相当する。多くの人が題目を唱えるならば、その功徳が身に集まるでしょう」(同1241ページ、趣旨)とも仰せです。
大聖人の御遺命のままに、世界広布を現実にしてきたのが創価学会です。ゆえに、それを支える学会員の福徳は、大きく広がっていくだけでなく、自身にも集まって、我が身を荘厳していくのです。

◇謗法厳誡
謗法とは「誹謗正法」のことで、正法を誹謗することをいいます。その罪は、仏の身体を傷つけることよりも重い罪とされ、無間地獄に堕ちる原因となります。それは、正法を誹謗することによって、万人成仏の道を閉ざしてしまうことになるからです。
大聖人は「謗法の者を対治する功徳に依って生死を離る可きなり」(御書68ページ)と、謗法を責める実践が仏の境涯を開くことになると仰せです。ゆえに謗法は厳しく誡めていかなければなりません。このことを「謗法厳誡」といいます。
牧口先生が、戦時中、宗門から"神札を受けるように"と言われた時、「謗法厳誡」の精神で拒否しました。牧口先生は、その心境を、戸田先生に「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである」と語られています。
悪と戦わないことは、悪を放置することになり、結果的に悪と同じになってしまいます。悪と戦うことが善であり、三代会長を貫く学会精神です。そこにこそ大聖人の精神も流れ通うのです。
「災難対治抄」で大聖人は、「謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留む可からざるなり」(同85ページ)と、謗法を退治しなければ、無量の祈りがあっても、災難を留めることができないと、教えられています。謗法を責めてこそ、祈りは叶うのです。

★池田先生の指針から 深き一念で幸福の方向へ
大聖人の御在世当時も、広宣流布の陣列に名前を連ねた、数々の在家の門下たちがいた。
大聖人をお慕いする門下たちは、大聖人がいらっしゃる佐渡や身延にまで、遠く危険な道のりを歩みぬいていった。そのなかには、幼子を連れた女性もいた。かなりの年配の方もいた。
大聖人のもとにお届けした御供養の品も、一生懸命に節約して用意したものであろう。こうした門下の"広宣流布の志"を、大聖人は心から讃嘆された。"ありがとう、本当にありがとう""こんなところまで、よくきてくださいました"と深い深い感謝の心で包んでいかれたのである。
(『池田大作全集』第99巻所収、第55回本部幹部会でのスピーチ)
◇ ◆ ◇
御聖訓には、庶民の真心の信心にかなうものは、この世に何一つとしてないと説かれている。
大聖人は、門下の女性(王日女)の真心を最大に讃嘆されて、こう言われている。
「此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ七宝の塔を朷利天にくみあげたらんにも・すぐるべし」(御書1263ページ)
——あなたの真心の二百文、三百文というお金の御供養は、日本国を治める人(権力者)が国を供養し、七つのすばらしい宝で飾られた塔を、朷利天(欲界の六つの天の二番目。地上から八万由旬の高さ)に届くほど高く組み上げて供養したよりも、すぐれています——と。これが御本仏の御心である。
その御精神をことごとく踏みにじり、庶民の真心を足蹴にしてきたのが、日顕宗である。その罪は、あまりにも重い。(中略)
「妙法のために」「広宣流布のために」という強く深い一念の心があれば、一切を幸福の方向へ、希望の方向へと変化させられる。
信心を貫ききっていけば、最後には「所願満足」となることを晴ればれと確信していただきたい。(『池田大作全集』第88巻所収、中部代表者会議でのスピーチ)

2018年12月12日水曜日

2018.12.12 わが友に贈る

火災に厳重警戒!
燃えやすい物の放置や
たこ足配線はしない。
コンセントの埃に注意。
油断排する声掛けを!

三三蔵祈雨事 P1468
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ』

【通解】
木を植える場合には、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ、倒れない。少々強い者であっても、独りであれば、悪い道では倒れてしまう。

〈寸鉄〉 2018年12月12日
「法華経を持たば必ず成仏すべし」御書。勝利の力はここに。確信の祈りで
「中部広布原点の日」65周年。拡大に走る師子が陸続と。堂々たる堅塁の城
君達は"後生"だから私より偉くなれ—恩師。青年よ従藍而青の心で実証を
静岡女子部の日。正義の大道を進む誉れの青春。華陽姉妹に幸と栄冠輝け
厳しい寒さ続く。高齢者は外出・入浴時の温度差に注意。日々、健康第一で

☆秋季通信員大会への池田先生のメッセージ 2018年12月5日
◇仏の声は不滅の文字となって人々を導く
◇「人間革命」の民衆叙事詩を共に
伝統の「秋季通信員大会」が、9月から12月にかけて各地で開催された。ここでは、池田先生が大会に寄せたメッセージを紹介する。

一、晴れやかな秋季通信員大会の開催、誠におめでとうございます。
私も、この通信員大会を心待ちにしておりました。というのは、小説『新・人間革命』が完結を迎えた今、一緒に聖教新聞を創り上げてきてくれた共戦の通信員の皆さん方にこそ、真っ先に心よりの感謝を伝えたいからです。そして、『新・人間革命』に込めてきた心を、そのまま不二の皆さんに託したいと願っているからです。
すなわち広宣流布の最前線で戦う偉大な創価の宝友に、いやまして光を当て、その人間革命の勝利劇を宣揚してくれるのは、誉れの通信員の皆さん方にほかなりません。
一、今年、私が何にもましてうれしく拝見したのは、「輝くペンの勇者」として5回にわたり紙面を飾られた通信員の皆さんの元気な写真であります。私は、一人一人のはじける笑顔を、そして、誇り高く記された名前を拝見しつつ、健康と無事故、勇気凜々たる大活躍を祈り、妻と真剣に題目を送らせていただきました。
皆さん方の手作りの「郷土アイ」のページからも、ふるさとを見つめる温かい眼差しと、地域広布への燃え上がる誓願が伝わってきます。
御本仏・日蓮大聖人は、「滅せる梵音声かへって形をあらはして文字と成って衆生を利益するなり」(御書469ページ)と仰せであります。まさしく、梵音声という仏の声は、不滅の命をもって「真実を伝える文字」となり、「仏性を呼び覚ます文字」となって、人々を幸福へ、向上へ、連帯へと導いていくのであります。
現代にあっては、日々、我らがつづりゆく広布の機関紙・聖教新聞の一文字一文字こそが、「太陽の仏法」の智慧の光を放ち、人類の平和の未来を照らし晴らしていく「希望と正義の金文字」なりと、胸を張って自負していこうではありませんか!
一、近代日本を代表する信念の人権の闘士・田中正造翁は、地方紙の編集長を担った言論の闘士でもありました。
田中翁は、民衆のために奔走する中で、「聞くと聞かせるとの一つを発明したのみ」(小松裕著『真の文明は人を殺さず』所収、小学館)との言葉を残しております。民衆に話を「聞かせる」、つまり高みから「教え」を与えるのではない。民衆から話を「聞く」ことこそが、根本中の根本だというのです。わが聖教の精神と共鳴する、鋭き視点であります。
人知れぬ同志の奮闘を、言うに言われぬ苦労を、そして汗と涙で勝ち開いた実証を、誰よりも誠実に聞いて聞いて聞きまくり、文字や映像に残して、正確に丁寧に発信してくれる皆さんこそ、"聖教の心臓"であり、"新聞の生命線"であります。
どうか、これからも、法華経に説かれる"清らかにして賢く鋭い耳"の力を思う存分に発揮し、真実と虚偽、正義と邪悪を厳正に聞き分け、「世界のセイキョウ」の良心として、紙面の一段の充実へ生き生きと創意工夫をお願いいたします。
一、私は、『新・人間革命』の「師子吼」の章に、45年前の1973年(昭和48年)5月3日に行われた「全国通信員大会」の模様を書き留めました。
あの日あの時、私は「聖教新聞社の精神」とは、「広宣流布遂行への大情熱であり、一言すれば『強盛にして正しき信心』」であると強調しました。そして「精神は清らかに、志は遠大に、行動は緻密かつ着実に、心情は春のごとく温かくあってください」と申し上げました。この信頼は、今もいささかも変わっておりません。
明年の11月18日には、待望の「世界聖教会館」が完成します。世界を結ぶ人間主義の言論の宝城の誕生は、目前であります。
この「英知の城」から、我らは、創価の師弟の「師子吼」を、地球社会の未来へいよいよ限りなく轟かせていきたい。そう決意し合い、誓い合いたいと思いますが、どうでしょうか。
一、聖教新聞の生みの親である恩師・戸田城聖先生は、「新聞で戦おう!」と叫ばれました。広布の大闘争は、聖教の言論戦があればこそ、勝ち進むことができます。
さあ、「平和の戦友」よ、共々に新たな大前進を朗らかに始めよう!
いざ、「広布の戦友」よ、共々に新たな「人間革命」の民衆叙事詩を、断固と勝ちつづろうではないか!
愛する通信員の皆さんとご一家に、健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ! と強く深く祈りつつ。合掌。

2018年12月11日火曜日

2018.12.11 わが友に贈る

受験に挑む友を
皆で祈り 応援しよう!
未来部は全員が
使命ある宝の存在だ。
家族にも最大の配慮を!

上野殿御返事 P1558
『日蓮生れし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり』

【通解】
日蓮は、生まれたときから今にいたるまで、一日片時も心の休まることはない。ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりである。

〈寸鉄〉 2018年12月11日
「此の娑婆世界は耳根得道の国なり」御書。地域の友に希望を!我らの声で
東京「墨田の日」45周年。庶民の王国に友情の大連帯!澄み渡る決意で前進
「進歩とは次の進歩への一歩なのです」看護師。今日より明日。これ仏法
自分が出すメール、思いが伝わるか不安が7割。会って語る基本を忘れず
「忙」は「心を亡くす」と書く。多忙な時こそ心の隙なく。絶対無事故祈れ

☆欧州・奥州青年友好総会への池田先生のメッセージ 2018年12月3日
◇人類に勇気を贈る光はここに!
◇地涌と平和の陣列を世界へ
一、「二つのオウシュウ」、すなわち、ヨーロッパと東北の「地涌」の若人が相まみえ、広布後継の誓いを新たにする歴史的な青年友好総会、誠におめでとう!
21カ国よりはるばる集い来った、わが愛するヨーロッパの青年リーダーの皆さん、遠いところ、本当にありがとう! そして東北6県の頼もしき青年部の皆さん、本当にご苦労さま!
私の心も今、東北文化会館にあります。この晴れやかな世界広布新時代を象徴する総会を、万感の思いで一人一人と固く心の握手を交わし、見守っております。
日蓮大聖人は、「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)と示されました。
今この時に、共に励まし合って創価の世界市民のスクラムを広げゆく皆さん方が、どれほど深い宿縁で結ばれていることか。そして、今ここから、どれほど大きな広宣流布の歓喜の波動を起こしてくれることか。御本仏が全て御照覧でありましょう。
一、大震災から7年。東北の皆さんは、想像を絶する苦難の中、不撓不屈の負けじ魂を燃やし、復興の歩みを進めてこられました。
また、ヨーロッパの各国の皆さまから、温かな励ましと支援をいただき、私たち日本人は勇気づけられました。このことは、決して忘れられません。
東北には、逆境の中でも人々の心に温もりを広げる共生の精神の炎があります。自他共の尊厳を輝かせる崇高な生命の宝塔が林立しています。
そして、今、若き後継の皆さんが、凜々しくたくましく、東北健児と東北華陽姉妹の底力を示して活躍してくれていることが本当にうれしい。
欧州青年部もまた、さまざまな社会の困難な問題に毅然と立ち向かい、一人一人が人間革命の光を放ちながら、「欧州は一つ」という異体同心の団結で生命尊厳の思潮を高め、目覚ましい社会貢献を果たしてくれています。
一、今年6月、私は、敬愛してやまないアルゼンチンの人権運動家、エスキベル博士との共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」をヨーロッパの地から発表しました。
その中で、人類が試練に直面した時も、「それに立ち向かう『青年の連帯』がある限り、希望は失われることはない」。青年の行動が未来を変えることを信じ、「『民衆と共に人生を歩む』という責任を勇んで担おうではないか」と呼び掛けました。
今、ヨーロッパをはじめ192カ国・地域の青年が世界広布新時代の先頭に立って、「友情の対話」「励ましの対話」「平和の対話」を生き生きと拡大し、人間主義の連帯を築いてくれています。それ自体が「未来を変える」「青年の行動」の大きな潮流であり、共同声明で掲げた、"誰も置き去りにしない"社会への「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント」の推進に他なりません。そして、人類に勇気を贈る「レジリエンス」の黄金の柱なのであります。
一、この東北の地も訪れたことがある20世紀最高峰の歴史家、トインビー博士は、かつて英語版の小説『人間革命』に序文を寄せてくださり、「創価学会は、既に世界的出来事である」と私たちの人間革命運動に大きく期待されていました。
仏法史において、これだけ世界に広がった、気高き平和と人道の民衆運動はありません。いよいよ人類の共生の新時代をリードしゆく大舞台が、洋々と開かれました。皆さん方が活躍する10年先、20年先、そして30年先の栄光の未来を思うと私の胸は高鳴ります。
どうか皆さんは、創価の誇りに胸を張り、一日一日の課題に師子王の心で挑み、自分らしく桜梅桃李の価値を創造していってください。そして、わが黄金の人間革命の日記文書をつづりながら、良き仲間とスクラムを固く組み、一人さらに一人と「地涌の陣列」即「平和の陣列」を広げて、「ヨーロッパ新時代」「東北新時代」の旗手たる使命を、見事に果たしていっていただきたいのです。
一、草創期より、三障四魔が紛然として競い起こるたびに、皆さんの父母たちと心肝に染めてきた「開目抄」の一節があります。
私が最大の信頼を寄せ、世界広宣流布の総仕上げを託しゆく東北とヨーロッパの青年部に、この御聖訓を贈りたい。
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(同234ページ)
この「誓願の信心」「不退の信心」「勝利の信心」の真髄を、君たちが未来永遠に受け継いでくれ給え!
大切な大切な皆さんの健康と成長とご一家のご多幸を祈り、私はこれからも妻と共に一生懸命お題目を送ります。
皆さんの勝利が私の勝利です。皆さんの幸福が私の幸福です。
皆さんと私の心はいつも一緒です。本当にご苦労さま、ありがとう!
「オウシュウは一つ! 師弟勝利のために!」(大拍手)

2018年12月10日月曜日

2018.12.10 わが友に贈る

新聞休刊日

御義口伝巻上 P725
『此の信の字元品の無明を切る利剣なり』

【通解】
信の一字は、元品の無明を断ち切る鋭利な剣である。

☆世界に魂を 心に翼を 第10回 精神のシルクロード(上)
◇「音楽」という光で地球を照らす
「実は、日本のシルクロードブームの火ぶたを切ったのは民音です。メディアや広告業界の知人たちも、あの民音公演に感動し、シルクロードの取材を始めたのです」
演出家の藤田敏雄氏。日本における創作ミュージカルの草分け的存在であり、人気番組「題名のない音楽会」などを手掛けてきた。
シルクロードにゆかりのある20カ国から一流の音楽家を招き、30年にわたって続いた民音公演「シルクロード音楽の旅」。民族音楽史上に残る、一大プロジェクトであった。
NHKの「シルクロード」が放映されたのは1980年。民音は、その3年前からシルクロードに調査団(後に考察団に改称)を派遣し、公演を準備していた。
数々のドキュメンタリーを世に送り出してきた藤田氏をして、「一つの公演を、あれほどの規模で演出したことはありません」。
シルクロード公演は、民音にとっても一つの転機となった。
——民音創立(63年)から10年余り。60年代は音楽鑑賞団体の全盛期であり、歌謡曲や演歌は興行会社・団体が一手に引き受けていた。その一方、クラシックやオペラは、チケットが高額で庶民には手が出ない。
そうした状況下で、民音は独自の発想と努力で安価な入場料を実現。音楽鑑賞の裾野を広げていく。
さらに海外の著名な音楽家を次々に招くなど、国内最大の音楽鑑賞団体として認知されだしていた。
当時、民音で企画に携わっていた荒木秀夫さん(元理事)は述懐する。
「これから民音が果たすべき使命とは何か。スローガンの一つにある"音楽による国際的な文化交流"を形にしたいと議論を重ね、演出家の藤田さんに相談したのです」
"音楽鑑賞団体"から、"世界を結ぶ音楽文化団体"へ——。
飛躍の原点となったのは、民音創立者・池田先生の講演だった。
◇ ◆ ◇
長い冬を越え、モスクワでは木々が一斉に芽吹いていた。
75年5月27日。モスクワ大学の文化宮殿には、約1000人の教職員、学生らが詰め掛けた。
「海外の友人の率直な感想として聞いていただきたい」
東西冷戦の時代。前年にソ連と中国を初訪問し、市民から首相に至るまで、忌憚なく対話を重ねてきた先生。青年時代から愛読するロシア文学への所感を述べつつ、聴衆一人一人と語らうように講演を始めた。
タイトルは「東西文化交流の新しい道」。その主題は「精神のシルクロード」である。
古来、ユーラシア大陸の東西を結んだシルクロード。物資の交易路であっただけでなく、美術、建築、音楽などの文化交流の道でもあった。
当時とは比較にならないほど、物や情報の交換は盛んになった。だが一方で、人間と人間の交流、なかんずく心と心の交流は希薄である——先生の言葉に、一段と力がこもる。
「民族、体制、イデオロギーの壁を超えて、文化の全領域にわたる民衆という底流からの交わり、つまり人間と人間との心をつなぐ『精神のシルクロード』が、今ほど要請されている時代はないと、私は訴えたいのであります」
論点は「南北問題」にも及んだ。
「持てる北」と「持たざる南」。こうした経済発展の度合いによる国の色分けは、対等な文化交流の妨げになってしまうだろう。人類を、もっと別の視点で見ていく必要がある。先生は続けた。
"世界を「経済」という光ではなく、例えば「音楽」という光で照らしてみてはどうか。また「文学」という光、「芸術」という光ではどうか——先進国や開発途上国といった区別は消え、今とは全く異なる光景が現れるに違いない"
相互性、対等性、そして全般性に富んだ文化交流が実現した暁には、「東西のみならず、南北をも包み込んだ『精神のシルクロード』が、世界を縦横に取り結ぶことになるでしょう」。
1時間半を超えるスピーチに、大拍手で応える聴衆。講演の言々句々は、先生の決意の表明でもあった。
翌日、再会したコスイギン首相と文化交流の未来を展望している。
◇ ◆ ◇
「大学講演を何度も繰り返し読みました。特筆すべきは、東西の冷戦構造だけでなく、南北の経済問題にも言及し、文化交流を論じている点です。モスクワ在住の友人も、深い感銘を受けていました」
藤田氏は民音のシルクロード企画の演出を快諾した上で、「企画はその道のプロフェッショナルに頼みたい」と、ある人物の名を挙げた。
小泉文夫氏。「民族音楽」の第一人者である。
東京芸術大学教授を務める傍ら、世界を飛び回ってフィールドワークを続けていた。シルクロードといえば、彼以上の適任者はいない。
当時は、書店を回ってもシルクロードに関する書籍はほぼなかった。小泉氏の知識が頼りである。
氏は「予備調査ができるなら、喜んで企画をやりたいですね」。
どんな音楽があるか。
どんな音楽家がいるか。
日本まで来てくれるのか——。
現地に行ってみなければ、企画の見通しは立たない。
そもそも内陸アジアは社会主義国が多い。入国は制限され、学術調査も思うようにはかどらない。
北極圏をはじめ、五大州のさまざまな地で現地の人々と生活を共にした小泉氏でさえ、共産圏に足を踏み入れたことはなかった。
どうして、民音はここまでシルクロードに情熱を寄せるのか——。
民音のスタッフが、創立者のモスクワ大学での講演について説明すると、小泉氏は声を高めて、「スピリチュアル(精神の)・シルクロード?」と目を輝かせている。
各地で民族音楽を探究し、数々の理論を打ち立ててきた小泉氏。歴史的、文化的な「つながり」に着目し、人類の深い関連性を洞察してきた。
「ある音楽をすばらしいと思うようになると、その音楽を作りだした人々をすばらしい、と思うようになる」(岡田真紀著『世界を聴いた男』平凡社)との持論がある。
氏にとっても、シルクロード調査は音楽の地平を開く挑戦だった。
◇ ◆ ◇
77年7月。小泉氏を団長とする民音シルクロード音楽舞踊調査団が日本を発った。ソ連(ウズベク共和国)、モンゴル、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパールを51日間で巡る強行軍である。
断崖絶壁の山越えに川沿いの険路、炎天下の砂漠に高地……。川で口をゆすぎ、一日が始まる。「ロード(道)」といっても、道はない。砂漠と高山の連続を、車でかき分けるように進んだ。
モンゴルの遊牧民が、日本の「追分」をほうふつとさせる「オルティンドー」を歌うのを目の当たりにし、一行はシルクロードが「音楽の道」であるとの確信を強める。
パキスタンの山奥では、調査団による"歴史的発見"もあった。
7000メートル級の山々が連なるヒンズークシ山脈。その麓にカラーシュ族という民族が暮らしていた。
1年の大半を雪に覆われ、立ち入れるのは、夏の2カ月間のみ。パキスタンの音楽関係者は「カラーシュの音楽に関心を示したのは、あなたたち日本の調査団が初めてです」。
そこで驚くべき光景に出あう。彼らが手にする打楽器「ワッチ」が、日本の正倉院に保存され、法隆寺の壁画に描かれる鼓と酷似していたのだ。
カラーシュ族は、ギリシャのアレキサンダー大王がインド遠征時に残した屯田兵の末裔ともいわれる。そうであれば、西のギリシャと、シルクロードの東端に位置する日本が、"音楽で結ばれていた"ことになる。
帰国後の記者会見には多数のマスコミが詰め掛け、その成果に多くの学識者が目を見張った。
◇ ◆ ◇
「シルクロード音楽の旅」シリーズの第1回公演「遙かなる歌の道」が実現したのは、79年7月。海外からは中国、インド、イラクの最高峰の音楽家が顔をそろえている。
民族音楽の豊かな響きに、聴衆は息をのんだ。反響は大きく、音楽家たちは、関係者に請われてテレビの音楽番組にも出演している。
イラクの音楽家は、公演直前まで音信不通だった。この年の2月にイラン革命が勃発し、イラクとイランが"戦争前夜"の混乱状態にあったことが後に判明した。
公演の舞台裏では、出演者たちの麗しい交流もあった。
モンゴル族の歌手が"友情が永遠に続くように"と歌いだすと、インドの音楽家がベンガル民謡で返礼。緊張気味だったイラクの歌手も手拍子で唱和し、最後は民族舞踊で心を通わせた。
出演者の友情を目にした関係者に、ある考えが芽生えた。"国交が途絶えている国の音楽家が同じ舞台に立てないか"
中ソの国境を音楽の光で照らす。新たな挑戦が始まった。

2018年12月9日日曜日

2018.12.09 わが友に贈る

◇今週のことば
「仏の如く互に敬うべし」
一年の検討を讃え合い
歓喜あふれる座談会を!
会場のご家族に感謝し
「勝利の年」へ出発だ!
2018年12月9日

唱法華題目抄 P14
『法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す可きか然らば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍い無き者をや』

【通解】
法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁となすべきである。そうであれば法華経を説いて謗縁を結ぶ時代であるから争いが無い者はいない。

〈寸鉄〉 2018年12月9日
会長の哲学に触れて感動しないわけがない—総長後継よ学べ。大いに語れ
貴女の姿で悲しみの世界を明るく—文豪。広布に走る女子部こそ希望の光
「天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か」御書。強く祈り、打ち破れ
就寝前のパソコン・飲酒・喫煙で睡眠の質は悪化。多忙な時ほど規則正しく
仕事でのやりがい、1位は人からの感謝の言葉。たたえ励ます組織は発展

☆四季の励まし 人間革命の劇を今ここから 2018年12月2日
1964年(昭和39年)の
きょう12月2日、
私は最も戦火に苦しんだ沖縄の地で
小説『人間革命』の筆を起こした。
「戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない……」
世界不戦は、わが魂の叫びである。
その思想を、
人々の胸中深く打ち込み、
友情の橋を懸けるために、
私は、書き続けてきた。

すべては、
自己自身の変革から始まる。
生活も、事業も、
教育も、政治も、
また経済も、科学も、
いっさいの原点は人間であり、
自己自身の生命の変革こそが
すべての起点となる。

人の幸福を祈れば、
その分、自分が幸福になっていく。
人の健康を祈れば、
その分、自分の健康も守られる——
これが妙法の不思議な力用である。
「利己」と「利他」の
どちらに力点があるかで、
人間の偉大さは決まる。
信心が本物かどうかも決まる。
皆さまは、
法のため、友のため、
真剣に祈り動いて、
「利己」から「利他」へと、
ダイナミックな生命の転換を、
偉大なる人間革命を
実現していただきたい。

人間革命の舞台は、
どこか遠くにあるのではない。
「今ここ」にある。
そのドラマは、
いつか始まるのではない。
眼前の課題に、勇んで祈り、
立ち向かう。
この一瞬から幕を開けるのだ。
真剣勝負の戦いの中にこそ、
人間革命がある。

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」——小説『人間革命』『新・人間革命』に貫かれた主題である。
54年前のきょう、池田大作先生は『人間革命』の執筆を沖縄で開始した。写真は1988年(昭和63年)2月、池田先生が恩納村の沖縄研修道場で撮った一枚である。かつての核ミサイルの発射台の上には、先生の提案によって6体のブロンズ像が立ち、「世界平和の碑」へと生まれ変わった。
世界の平和と幸福のために重ねた執筆は『人間革命』から『新・人間革命』へと続き、本年、完結を迎えた。今こそ師の思いを胸に刻んで、自らの人間革命に挑み、平和のスクラムを築きゆこう。

2018年12月8日土曜日

2018.12.08 わが友に贈る

"重い車輪も油を塗れば
回りやすくなる"
友の心を軽くするのが
学会の個人指導だ。
誠心誠意 心を砕こう!

上野殿御返事 P1539
『日蓮が弟子にせう房と申しのと房といゐなごえの尼なんど申せし物どもはよくふかく心をくびやうに愚癡にして而も智者となのりしやつばらなりしかば事のをこりし時
たよりをえておほくの人をおとせしなり』

【通解】
日蓮の弟子の少輔房といい、能登房といい、名越の尼などといった者たちは、欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こった時に、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである。

〈寸鉄〉 2018年12月8日
「法華の題目は獅子の吼ゆるが如く」御書。強盛な祈りで恐れなく前進!
「北九州の日」35周年。友の心に燃える先駆の魂。"創価勝利"へ勇気の拡大
若い時に苦労し視野の広い実力養え—戸田先生。今の労苦は生涯の宝なり
「ふるさと納税」偽サイト乱立。値引き等を騙り。寄付前に行政サイトを確認
公明には当事者の立場に立つ視点が光る—識者。庶民守る立党精神永遠に

☆第4回未来部E—1グランプリ全国大会への池田先生のメッセージ 2018年11月28日
◇全世界に友情と平和の「金の橋」を
大切な大切な宝の未来部の皆さん、明るく楽しいE—1グランプリの全国大会、誠におめでとう! 全国各地から、よく集ってくれました。
一人一人が努力を積み重ね、真剣に練習に励んできたことは、よく分かっています。E—1グランプリに挑戦してくれた全ての皆さん方が、誇り高き勇者であり、若き希望の世界市民であると、私は心から讃えたいのです。
温かく送り出してくださったご家族の方々、いつも情熱込めて励ましてくださっている担当者の皆さん方も、本当にありがとうございます。
今月、世界70カ国・地域から、広宣流布のリーダーたちを日本に迎え、創立記念日を晴れ晴れと祝うことができました。今や、世界の隅々に創価の同志がいます。誓願の題目の音声が、青き地球を包む時代となりました。
世界の同志が一堂に集う時、そこには必ず、名通訳など、陰に陽に支えてくださっている最優秀の方々が大勢います。未来部の皆さんと同じように、青春時代に語学の習得を決意し、実力を磨き上げてきた先輩たちです。
若き日に誓いを立て、誓いを貫く人は強い。きょうは世界へと飛翔しゆく皆さんと、「勉学で自己を磨く」「友だちと励まし合う」「親孝行に挑戦する」ことを、3つの「青春の誓い」として結びたいと思うが、どうだろうか!
思えば50年前、私は、"創価の鳩摩羅什よ、出でよ!"との思いで、通訳・翻訳に携わる若き世界市民のグループを結成しました。
さらに、時を同じくして、私は「日中国交正常化提言」を発表しました。次の50年へ、私の志を継いで、日本と中国はもとより全世界に友情と平和の「金の橋」を広げゆく創価のメロスこそ、信頼してやまない未来部の皆さん一人一人です。
結びに、大切な御書の一節を、皆さんとともに英語で拝し、私のメッセージとします。
Each of you should summon up the courage of a lion king and never succumb to threats from anyone. The lion king fears no other beast, nor do its cubs.
(各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、御書1190ページ)
わが愛する未来部よ、「師子王の心」で、断固、学び勝ちゆけ!
皆さん一人一人の健康と成長、そして世界への雄飛を祈りつつ——。

2018年12月7日金曜日

2018.12.07 わが友に贈る

激しい寒暖差に注意!
「自分は大丈夫」との
過信は絶対に禁物だ。
一枚多く羽織るなど
体調管理を万全に!

弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ是こそ勢多を渡せし所よ名を揚るか名をくだすかなり』

【通解】
ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、(弥三郎が)今まで生きながらえてきたのは、このことにあうためなのである。
この戦いこそ宇治川を渡すところであり、この戦いこそ勢多川を渡すところである。名をあげるか名をくだすかの境目である。

〈寸鉄〉 2018年12月7日
「一句をも人にかたらん人は如来の使」御書。勇敢な実践ありて福徳は輝く
茨城・つくば、土浦が猛追戦いはここから!民衆の底力で断固と逆転勝利を
全国の受験生よ頑張れ!冬は必ず春となる。夢掴む青春の挑戦劇つづろう
神奈川青年部「師弟勝利の日」。正義と共戦の炎を燃やし拡大へ打って出よ
たこ足配線やコンセントの埃等を点検。火災の予防は「前前の用心」こそ

☆御書と歩む� 第45回 苦闘こそ飛躍への力
『このたきにををくのふなあつまりて・のぼらむと申す、ふなと申すいをののぼりぬれば・りうとなり候』(上野殿御返事、1560ページ)

◇通解
(中国に「竜門」という、高くて激しい流れの滝がある)この滝に多くの鮒が集まって、登ろうとする。鮒という魚が、この滝を登り切れば竜になるのである。

◇同志への指針
激流の滝を登り切った時に、魚は竜となる——試練に挑む若き南条時光へ示された「竜門の滝」の故事である。
「人間革命」の希望の原理がここにある。苦闘は全て、自分が大きく成長する飛躍台である。挑戦自体が勝利だ。強き祈りによって、必ず栄光の未来を勝ち開けるのだ。
受験など、さまざまな課題と格闘する未来部の友へ、皆でエールを送ろう!

2018年12月6日木曜日

2018.12.06 わが友に贈る

「年は・わかうなり
福は かさなり候べし」
広布一筋に歩み抜かれる
皆さまの福徳は無量!
どうか生涯青春の道を!

時光御返事 P1550
『此の時光が麦何ぞ変じて法華経の文字とならざらん、此の法華経の文字は釈迦仏となり給い時光が故親父の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へかけり給へ、かへりて時光が身をおほひはぐくみ給へ』

【通解】
南条時光から贈られた麦が、どうして法華経の文字に変化しないことがあろうか。この法華経の文字は、釈迦仏となられ、そして時光の亡き父上の左右の翼となって、霊山浄土へ飛び、かけゆかれるだろう。
さらに帰ってきて、時光の身を覆い、大切に守ってくださるであろう。

〈寸鉄〉 2018年12月6日
「心はたらけば身うごく」御書。誓願の祈りが勝利の原動力。今日も朗々と
人間を精神的に結ぶ唯一の手段は言葉だ—文豪。地域の友に励ましの一声
少年少女絵画展が好評。夢あり希望あり。平和の未来をこの子らのために
年末年始は飲酒運転事故が増加。"昨晩の酒"残るケースも。慢心・油断なく
元気なうちは働きたい—高齢男性の96%。公明よ意欲と経験生かす社会を

☆第39回部幹部会で紹介された池田先生の指針 人間主義の夜明けの鐘を高らかに
◇勇気と希望の声をはつらつと!
◇広布に戦い抜いた魂は永遠
◇仏法の智慧に行き詰まりはない
◇異体同心のスクラムで前進
「世界広布新時代第39回本部幹部会」(18日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2000年12月度の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。明"創価勝利の年"へ、勇躍前進する友の指針として掲載する。

一、20世紀最後の本部幹部会、おめでとう!
きょうの日を全国の代表の皆さま方とともに、喜びに満ちて迎えることができた。そしてまた、21世紀も、大勝利の歴史を、ともどもに築き残してまいりたい。
一、ドイツの詩人シラーは、「鐘の歌」という有名な詩を詠んだ。その中に、こういう一節がある。
「鐘は愛すべき人達を集めて
和合させ、親密に団結させるのだ。
そしてこれが鐘の今後の使命だ」
「平和こそこの鐘の第一の響にてあれ」(木村謹治訳、『シラー選集』1所収、冨山房)
世界は今、新しい世紀、新しい千年の夜明けを告げゆく、高らかな「平和の暁鐘」を待ち望んでいる。
弱々しく、もの悲しい哀音では、人々を覚醒させることはできない。
汝自身の中に眠る、尊極なる生命に皆を目覚めさせていく、鮮烈な「哲学の鐘」が必要なのである。
あらゆる人々を、平和の方向へ、希望の方向へ、幸福の方向へ、繁栄の方向へと和合させ、団結させていく鐘は、どこにあるのか。
力強く、勢いのある、妙なる歓喜の響きは、どこにあるのか。
心ある世界の知性は、それを創価学会の「人間主義の鐘」に求め始めた。

◇23世紀への展望
一、ご存じの通り、これまで創価学会は、「七つの鐘」を7年ごとに打ち鳴らしながら前進してきた。「七」は「南無妙法蓮華経」の七字にも通ずる。
第一の「七つの鐘」は、学会創立の昭和5年(1930年)から、昭和54年(79年)までの50年間であった。
第二の「七つの鐘」を打ち鳴らす、21世紀の前半の50年では、アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたいと、私は申し上げた。その通りに私は祈り、一つまた一つと、手を打ち続けてきた。
今回、私がアジアの各地を訪問したのも、この21世紀の構想の上からの新たな第一歩である。
続く第三の「七つの鐘」を鳴らす21世紀の後半では、「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させたい。
さらに、第四の「七つの鐘」に当たる22世紀の前半には、世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくりたい。
その基盤の上に、第五の「七つの鐘」が高鳴る22世紀の後半には、絢爛たる人間文化の花が開いていくであろう。
それが実現すれば、第六の「七つの鐘」、第七の「七つの鐘」と進みゆく。日蓮大聖人の立宗1000年(2253年)を迎える23世紀の半ばごろから、新たな展開が始まるであろう。
このように私は、未来の遠大な展望を、深い決意と願望と確信を込めて語り合った。

◇世界平和のために
一、発足時、SGIは51カ国・地域。それが、今では163カ国・地域へと大発展することができた。〈現在、192カ国・地域〉
これもすべて、皆さまのおかげである。
今後もさらに、平和と文化と教育のネットワークを着実に広げてまいりたい。
一、御聖訓には、「一切のことは、国により、時によることである。仏法は、この道理を必ずわきまえていくべきである」(御書1579ページ、通解)と仰せである。
この御文の通りに、学会は実践してきた。
どのような国であっても、どのような時代であっても、仏法の「随縁真如の智」には、絶対に行き詰まりがない。異なる文化、異なる社会の中にあっても、見事に調和しながら、人々の幸福のため、国家の繁栄のため、世界の平和のために、最大に貢献していくことができる。
これが、大聖人の仏法を持った私たちの信仰の力なのである。
ともあれ、第二の「七つの鐘」を乱打しながら、勇気と希望の声を、はつらつとあげていっていただきたい。
慈悲といっても、勇気と希望を与えることである。

◇勝利の100年を
一、大聖人は、こうも仰せである。
「日蓮の弟子のなかに、異体異心の者がいるならば、それは、例えば、城を守るべき人間が城を破るようなものである」(同1337ページ、通解)
21世紀の100年間、創価学会は、さらに「異体同心の団結」で、勝利のスクラムを組みながら、素晴らしき前進の歴史をつくってまいりたい。
皆、100年間は生きていられないかもしれないが(笑い)、戦い抜いた魂は永遠である。また、後継の青年がいる。お子さんや、お孫さんがいる。
日蓮大聖人の仏法の「永遠の証明者」として、また「永遠の勝利者」として、誉れ高き大福運を積んでいっていただきたい。
一、皆さま方が、いつまでもご健康で、ご長寿で、頑健なる身体と信心をもって、「人間王者」の、また「人間横綱」の大力を発揮しながら、悠然たる勝ち戦の一生を、一日一日、忍耐強く、つくりゆかれんことを切望して、私のスピーチを終わりたい。
本当にありがとう。

2018年12月5日水曜日

2018.12.05 わが友に贈る

「ほむれば弥
功徳まさる」御聖訓。
同志の尊き奮闘を
皆で心から褒め合おう!
学会家族は仲良く前進!

日眼女造立釈迦仏供養事 P1188
『今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし、二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとおぼしめすべし』

【通解】
今、日眼女は現世安穏を祈っておられるようであるけれども、教主釈尊を信仰して造立されたのであるから、未来の成仏もうたがいない。
したがって日眼女は日本国二百九十九万四千八百三十人の女人の中で第一であるとおもっていきなさい。

〈寸鉄〉 2018年12月5日
この会見は永遠に語り継がれる物語—北京大教授周総理・池田会談44周年
「第2総東京青年部の日」広布電源地の後継よ勇み立て。人材の大拡大を!
「名聞名利は今生のかざり」御書。師弟に生きる無名の人間王者に福徳燦然
火事の原因、放火が多く。可燃物の撤去、家の周囲を明るくなど自衛策固く
年末は各種の詐欺が増加傾向。「自分は大丈夫」の隙排し警戒。声掛け更に

☆虹を懸ける 池田先生とケニア�=完 2018年11月25日
◇歩こう! 共に"勝者"の行進を
「アフリカほど平和を求めている大陸はない」「アフリカほど困難と闘っている地もない」「ここを『幸福大陸』『希望大陸』にしていくことが、人類共通の目標でなければならない。アフリカに学び、アフリカを大事にしていく時代を築いていくことだ」(随筆「新・人間革命」)
池田先生が"幸福大陸・アフリカ"の未来を展望して、間もなく60年。その行動と軌跡は、世紀を超え、国境を越えて、アフリカ社会に希望の光を送り続けている。
各界のリーダーとの語らいは、ケニアだけを見ても、大統領や大臣、ノーベル平和賞を受賞したアフリカの環境の母ワンガリ・マータイ博士、ケニア作家協会のヘンリー・インダンガシ会長、大学首脳や歴代駐日大使など多岐にわたる。
また先生が創立した民主音楽協会は、早くも1971年からアフリカの音楽文化を日本に紹介してきた。91年には、公演で来日したケニア国立民族音楽舞踊団一行と先生が会見を行っている。
同じく創価大学は、アフリカの9カ国・13大学と学術交流協定を締結。その第1号となった東アフリカの名門・ケニア国立ナイロビ大学との交流は、今年で30周年を迎えた。
同大学出版局からは先生の『生命を語る』が、初のスワヒリ語版の日本人作品として発刊(90年)。翌年には、イギリスの歴史家トインビー博士との対談集『21世紀への対話』のスワヒリ語版がオックスフォード大学出版局の東・中央アフリカ支局から刊行され、大きな反響を呼んだ。
91年11月29日、東京に大使館を置く「在東京アフリカ外交団」が、26カ国の総意で先生に「教育・文化・人道貢献賞」を授与。この日は邪宗門から愚劣な破門通告書が届いた日であり、学会は魂の独立を果たしたのである。
同外交団からは、後に「感謝状」と「アフリカ友好記念牌」も贈られている。
そして今、先生が蒔いた平和・文化・教育の種は見事に結実し、幾千、幾万もの友が、ケニアを含むアフリカ各国で躍動する時代がやって来たのである。

◇創価同窓の活躍
カツジ・ナカムラさん(ケニア壮年部長)は、東京の葛飾・柴又の出身。高等部時代、本部幹部会の音声中継などで池田先生の指導に触れ、「アフリカ広布の人材に」との誓願を立てる。創大への進学を志し、日本とアフリカの文化交流の懸け橋にとの思いから、20期生として、文学部の日本語日本文学科(当時)に入学した。
その直後、創立者である先生との忘れ得ぬ出会いが。「全部分かっているからね」——一人一人を優しく包み込む慈顔は、目に焼き付いて離れない。
1年次、共にアフリカに尽くそうと語り合っていた妹が、創大に入学する直前、交通事故で帰らぬ人に。悲しみに暮れる一家の支えになったのは、先生からの励ましだった。
部長を務めた創大パン・アフリカン友好会では、折々に南アフリカのマンデラ氏をはじめ、多くの来賓の歓迎を。先生の賓客を一緒に迎えるたびに、アフリカに貢献する決意を深く固めていった。
4年次にナイロビ大学に留学。その際、自身の使命をケニアに見いだし、同大学で大学院まで進んだ。
修士課程在籍中の98年から、現在の職場であるアメリカ国際大学で非常勤講師を。真剣に祈り抜く中、別の学校からも日本語講師として採用された。2000年からは念願だった常勤教員となり、相次ぐ信心の実証に、妻のプリシラさんも信仰の確信をつかんだ。
06年7月、ナカムラさんは、SGI青年研修会で来日し、師弟の再会を果たす。
会合の席上、先生は「遠いところで、けなげに一生懸命、頑張っている人のことを、いつも祈っている」と、アフリカの友らにエールを。さらにスワヒリ語のことわざを通し、創価の魂を示した。
「学会は、どこまでも異体同心であり、全員が平等な同志である」「初代、2代、3代によって、学会は、未来永遠の発展の基礎が築かれた。真の師弟の精神がある限り、学会は将来にわたって勝ち栄えていく」と。
弟子としてさらなる勝利を誓ったナカムラさん。翌年から5年連続で学生が選ぶ学部の「最優秀男性教員賞」を受賞し、大学が新設した「最優秀教員賞」の第1号にも輝いた。
現在はケニア日本語教師会の会長も担う。
ケニアSGIでは、創価班委員長、支部長を経て、壮年部長に。今年8月には壮年部総会を盛大に開催。過去最高の結集で、先生の入信記念日である8・24「壮年部の日」を荘厳することができた。
異国での生活に苦労は尽きないが、信心で一家和楽を築き、妻のプリシラさんは、後任の支部長としてナイロビ市内を奔走。長女・フェイスさんはアメリカ国際大学の創大交換留学1期生に。次男・ダイサクさんは創大国際教養学部の1年生だ。
師と共に断じてアフリカ広布を! ナカムラさんやマスミ・オダリさん(創大12期、ケニア総合婦人部長)ら創価教育同窓生の活躍が、ケニア広布の前進を支えている。

◇誉れの「11・18」
2010年3月8日——アニル・シャーさん(ケニア議長)は、東京でのSGI代表研修会の会場にいた。
「勝ち抜いて一生を送ることだ。仏になって、最高の満足の一生を送ることだ」
池田先生の師子吼に奮い立ち、世界平和を誓ったこの日が、シャーさんのかけがえのない原点になっている。
インドにルーツを持ち、ケニア最大の港湾都市・モンバサで生まれ育った。イギリスの大学を卒業後は製薬の分野に進み、何不自由ない生活を送っていたが、どこか心が満たされずにいた。
そんな時、病気の治療で滞在していたロンドンで仏法を知る。題目を唱えると、心の底から湧き上がる力を感じた。参加した会合で創価家族の温かさに感動したシャーさんは、ケニアに戻ってから本格的に学会活動を始める。やがて御本尊を受持した。
「信心は、私に多くの変化をもたらしてくれました。共に支え合う同志と出会うことができ、どんな悩みにも負けずに前へ進み続ける勇気を学びました。何より、正しい人生の生き方を示してくださる師匠を持つことができた。これ以上の幸せはありません」
入会から12年。地区部長時代には、地道な励ましが実を結び、2年間でメンバーが約4倍に。新たに二つのグループが誕生した。
これまで4度のSGI研修会に参加。来日するたびに師弟の誓願を新たにしてきた。
中でも13年11月、広宣流布大誓堂の落慶記念勤行会に出席した時の感動は、今も記憶に鮮やかだ。現在は議長を務めている。
全世界の同志が指標としてきた大誓堂完成5周年の今年の「11・18」。二度とない誉れの佳節を、シャーさんはケニアの友と晴れやかに勝ち飾った。

1994年、アフリカの新時代が幕を開けた。南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃され、マンデラ大統領が就任したのである。
その直後、イギリスのタプロー・コート総合文化センターで行われたSGI総会(同年6月)。アフリカの代表も招かれ、そこにはケニアの友もいた。
会合前、別会場で待っていたアフリカの同志に、先生は言った。
「アフリカは勝った。一緒に歩こう! これは"勝者"の行進だ」
総会の会場までの距離は、五、六十メートルほど。だが、師と共に踏み締める一歩一歩は「アフリカの世紀」「ケニアの未来」を開きゆく、誇り高き民衆凱歌の大行進であった。
(�は11月22日付に掲載)

〈取材に協力してくださった方々〉ユカ・モンダさん、ジョージ・ボヤさん

2018年12月4日火曜日

2018.12.04 わが友に贈る

勇んで友のもとへ!
動けば諸天がはたらく。
会えば心が結ばれる。
気取らず 気負わず
誠心誠意の語らいを!

四恩抄 P938
『只法華経の故に罵詈毀謗せられて刀杖を加えられ流罪せられたるを以て大聖の臂を焼き髄をくだき頭をはねられたるになぞらへんと思ふ、是れ一つの悦びなり』

【通解】
ただ法華経を弘める故に、罵詈・毀謗され、刀杖を加えられ、流罪された事をもって、昔の大聖が臂を焼き髄を砕き頭をはねられた事になぞらえようと思う。これが第一の悦びである。

〈寸鉄〉 2018年12月4日
「経を持つ人を捨て給う仏あるべしや」御書。諸天動かす確信の祈りで勇躍
高知婦人部の日。地域を照らす希望の母のスクラム。さあ魁光る拡大を!
勝利つかむ第一の条件はスピードだ。万事に先手先手で勝ち進む名将たれ
人権週間。自他共の尊厳輝かせゆく創価の民衆運動。桜梅桃李の連帯更に
環境対策、世界の目標達成へ温室ガス削減が3倍必要。皆が当事者意識で

☆広宣流布大誓堂完成5周年11・18「創価学会創立の日」記念 世界広布新時代第39回本部幹部会 SGI総会から 原田稔会長指導
人間革命の凱歌を高らかに
「地涌の義」とは「一人立つ」精神
一、「世界広布新時代第39回本部幹部会」ならびに「SGI総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
本日は、SGI秋季研修会で来日された70カ国・地域300人の同志も参加されております。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心から歓迎申し上げます。
一、「広宣流布大誓堂」の完成5周年を迎える、この「11・18」を目指しての折伏・弘教で、特に本年は、近年まれに見る部員増・世帯増を果たすことができました。心から感謝申し上げるとともに、ともどもに健闘をたたえ合いたいと思います(拍手)。
また、広布部員の皆さまには、世界広布の礎を担いゆく志に、衷心より御礼申し上げます。最後まで無事故で、万代にわたる福徳を積みゆく財務となりますよう、私自身、真剣に祈念してまいります。
一、さて、先月25日、日中平和友好条約締結40周年記念の式典が、北京の人民大会堂で行われ、日本の政財界、文化・教育分野の関係者が列席。学会からも池田主任副会長が参加し、各界代表の十数人と共に、中国の李克強首相との記念写真に納まりました。
また、私もフィリピンを訪問し、これまで池田先生と5度、会見したラモス元大統領や、国立フィリピン大学のアブエバ元総長、ダビデ元最高裁長官夫妻らと会見。池田先生へのマニラ首都圏パサイ市からの「市の鍵」、リサール協会からの「国際賞」授与式も盛大に挙行されました。
さらにアルゼンチンでは、先生に対し、公共メディア・コンテンツ庁から「芸術と平和の青の賞」、東部(エステ)大学から名誉博士号が授与。訪問団の代表が、マクリ大統領と会見しました。
また、このほどアルゼンチンのサンフアン州サルミエント市に、先生のご功績をたたえ、同市議会の決議によって「池田大作先生平和山」が命名・誕生しました(拍手)。
一、特に、昨今の海外訪問を通じて実感するのは、今や時代は、直接には池田先生にお目に掛かっていない世代が、世界中で先生を尊敬し、顕彰する時代に入ったということであります。
例えば、今回、先生に「国際賞」を授与したフィリピンのリサール協会では、これまでキアンバオ元会長が先生と10回を超える会見を重ね、友情を結んでこられました。キアンバオ元会長は語っています。
「池田先生は、リサールだけでなく、世界のあらゆることについて豊富な知識をお持ちです。私は先生の"弟子"と思っています」
現在のイバニェズ会長は、このキアンバオ元会長から語り継がれた池田先生の姿を通して、先生の偉大さを知り、自身も尊敬の念を込めて日本語で"センセイ"と呼ぶのです。
一、今や、24本部64支部へと大発展を遂げたフィリピンSGI。その推進力は青年部であり、その原動力は小説『人間革命』『新・人間革命』であります。
フィグラシオン男子部長は語っています。
「私たち青年世代は、池田先生に直接お会いしたことがないメンバーが大半を占めます。しかし、先生の著作を読めば、心で"直接"対話することができます」と。
日蓮大聖人が「世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」(御書509ページ)と仰せの通り、師匠の正義を語り広げるのは、弟子の責任であります。
私たちは、小説『人間革命』『新・人間革命』を通して師弟の精神を学び、信心即生活の実践の中で、それを体現していきたい。
一、池田先生が「人間革命の歌」の制作に当たって最も心を砕かれたのは、「われ地涌の菩薩なり」との恩師・戸田先生の悟達を、いかに表現し、伝えるかでありました。
昨年末、池田先生は随筆で、「『不思議なる霊山一会の愛弟子たちと共に、末法万年尽未来際までの地涌の義を決定づける』——これが、新しい一年に臨む私の決意である」とつづられました。
御聖訓には仰せであります。「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書1360ページ)
「地涌の義」とは、「一人立つ精神」であります。「末法万年尽未来際」とは、今この瞬間、わが胸中にこそあるのです。
私たち一人一人が「私が山本伸一」との自覚で、「この世で果たさん使命あり」と立ち上がり、師弟の誓願に生き抜く時、池田先生が展望された「妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとる」とのご構想を実現することができると確信します。
さあ、きょうよりまた、新たな「創価勝利」へ、一日一日、新たな人間革命の凱歌を、高らかにうたい上げていこうではありませんか(拍手)。

2018年12月3日月曜日

2018.12.03 わが友に贈る

◇今週のことば
さあ未来部の勝利月間!
「師子王の子は師子王」
皆がかけがいのない宝だ。
若き無限の力を解き放つ
真心の祈りと励ましを!
2018年12月3日

当体義抄 P512
『所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり』

【通解】
所詮、妙法蓮華の当体とは、法華経を信ずる日蓮の弟子檀那等の、父母から生じた肉身そのものをいうのである。正直に方便の教えを捨て、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道が、法身(仏が証得した真理)・般若(真理を悟る智慧)・解脱(生死の苦悩から脱却した真の自由な境地)の三徳と転じて、三観(三つの観点から法を観ずること)・三諦(究極の真理を三つの側面から捉えたもの)が、そのまま一心にあらわれ、その人が住するところは常寂光土となるのである。

〈寸鉄〉 2018年12月3日
心を結ぶ会長の生き方は人類の最良の模範—識者我らも対話の道、一筋に
広宣流布に戦い続ける人が菩薩であり仏—恩師。信心は持続。そこに栄冠
まず相手の話に耳を傾けよ—文人。共感と納得の指揮を。励まし週間開始
前向きな感情は幸の人生を築く力—心理学者。朗らかに進む学会員が実証
風疹が流行。30代以上の男性のワクチン未接種が背景と。人ごとと思わず

☆友のもとへ 池田先生の激励行 第10回 反転攻勢の四国指導
◇広布史に 輝くロマンの 詩国あり
「学会創立の月」である11月は、四国の同志にとって、師との不滅の原点が刻まれた月だ。
それは、1981年(昭和56年)11月の四国指導。「反転攻勢」と呼ばれる、池田先生の激励行は、師弟の絆を分断しようとする邪宗門の謀略を打ち破り、世界広布へ、学会が飛翔する一大転機となった。
井上里子さん(徳島総県、県婦人部主事)は述懐する。「第1次宗門事件の勃発後、宗門の悪僧は、口を開けば学会への罵詈雑言ばかりでした」
まさに、「衣の権威」で信徒を隷属させようとする策謀であった。そこには、日蓮仏法の精神など微塵もなかった。
卑劣な学会攻撃に臆せず、四国の友は師を求めて大型客船「さんふらわあ7」号で神奈川の地へ(80年1月、5月)。井上さんも夫の保さん(同、圏主事)と共に乗船した。
さらに81年10月、四国青年部は、先生の平和行動展を開催。聖教新聞にさえ先生がほとんど登場できない中で、自発的に企画・推進した催しであった。
この友の心意気に応え、11月9日、先生は関西から空路、徳島・香川へ。四国4県の集いにそれぞれ出席し、反転攻勢の闘争開始を宣言したのである。
「とうとう来ましたよ! 約束を果たしにまいりました!」
完成間もない徳島講堂に、先生の力強い声が響く。記念の勤行会に出席した先生は「どんなことがあっても、今日は一目でも一足でも、徳島に入って約束を果たしたかった」と。
同日の夕刻、先生は徳島文化会館(現・徳島平和会館)を初訪問。徳島のリーダーらと懇談し、一人一人の奮闘に耳を傾けつつ、"皆から愛されるように頑張りなさい"と指導した。
懇談に同席した井上さんは、「"絶対に先生を裏切らない。実証を示して、必ず学会を守っていこう"と決意しました」。
産後の肥立ちが悪く、体調を崩した井上さん。わらにもすがる思いで他宗教を転々とし、たどり着いたのが学会だった。
「入会する時は、夫も家族も皆、反対。でも、御本尊の前で初めて勤行した時、なぜか涙がポロポロ出てね。口で言い表せないほどの感動、喜びが、命から吹き出してきたのを今でも覚えています」
唱題に励む中で体調を回復した井上さんは、農作業に精を出し、家族にも誠実に尽くした。その姿に、保さんや他宗の檀家総代をしていた義理の父など、家族や親戚も信心を始めた。
「ただただ池田先生の指導を学んで、学んで、ひたすら実践してきました」と語る井上さん。圏婦人部長を務めていた時には徳島講堂で総会を開催。雪深い地域から十数台の貸し切りバスで大勢の部員、友人が参加した思い出は忘れられない。
地域では吉野川市の老人会会長などを歴任。現在は近隣の高齢者が参加する体操グループで中心者を務めている。
保さんは小学校校長などを歴任。長女の千賀子さん(同、婦人部副本部長)も幼稚園の園長として、教育の道で奮闘した。次女・葉子さんは婦人部本部長、三女の里美さんは地区副婦人部長として後継の道を進む。
まもなく87歳を迎える井上さん。「今、30代の青年と仏法対話しています。先生にご恩返しするには、広布拡大しかないですからね」と、自ら決めた誓いの道を歩み続けている。
◆◇◆
徳島での指導を終えた池田先生は、瀬戸内海を望みつつ、香川の四国研修道場へ。記念幹部会(11月10日)で呼び掛けた。
「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」
「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
その宣言に真っ先に呼応したのは、四国の青年部であった。
11日夜、研修道場に集った青年リーダーたちは「我々の決意を込めた歌をつくろう」と決め、夜通しで作詞を続けた。
翌日、懇談会直前に歌詞が完成。「歌の中に先生の魂を入れてください!」と懇請すると、先生は「1行目が勝負だよ。太陽が、ぱっと広がるような出だしでなくてはいけない」と。
冒頭の「ああ黎明の」を「ああ紅の」と書き換え、メロディーを口ずさむ。行事の合間を縫い、先生は青年部と対話を重ねながら歌詞を紡いでいった。
直しが入った歌詞を、男子部メンバーによる即席の合唱団が歌い、それをカセットテープに録音して先生のもとへ。推敲は二十数回に及んでいる。
合唱団の一人が、男子部部長だった武智利明さん(総愛媛、支部長)。待ちに待った先生の四国訪問を聞き、愛媛・松山から四国研修道場に駆け付けた。
「言葉が一つ変わるたび、歌全体が劇的に生まれ変わるようでした。同志を思う先生のお心に、身が引き締まりました」
「紅の歌」の3番冒頭の歌詞について、先生は語っている。
「今日の創価学会は、君たちのお父さんやお母さんが、世間の非難中傷を受けながら、必死に築いてきた」
愛媛広布の草創期に入会し、一途な信心を貫いてきた母・タミ子さんに続き、武智さんは中学3年の時に入会した。母子家庭で生活は困窮していたが、日大講堂での高等部総会や夏季講習会には、旅費を工面して武智さんを送り出してくれた。
地元の大学に進学後、二十歳を迎えた武智さんを見届けるかのように母が亡くなった。
武智さんは友の励ましを支えに、苦学を重ねて卒業を勝ち取り、学校事務職員に。"亡き母の分まで一人立とう"と、広布に走った。
「『紅の歌』を通して、信念に徹する生き方を教えていただきました。感謝は尽きません」
今月15日に入会50年の節を刻んだ武智さんは、総愛媛の国際部員としても積極的に活動。後継の子や孫と和楽の実証を示し、県のレスリング協会監事としても活躍する。

「"すごい歌だ!"と、推敲が重ねられるたびに、皆が頬を上気させていました」
そう回想するのは、森本龍己さん(高知総県、本部長)。
「紅の歌」の推敲作業が続けられていた11月13日、四国研修道場では高知支部結成25周年を記念する勤行会が開催された。森本さんは創価班として場内整理を担当していた。
先生は勤行会の参加者をはじめ、各部の友や役員を激励し、多くの友とカメラに納まった。その合間を縫って、同道場で歌の作成が進められた。
会合後、駐車場で誘導に当たっていた森本さんが、全参加者が帰途に就いたのを見届けた時のこと。目の前に車が止まり、池田先生が降りてきた。
「記念撮影をしよう」
寒風の中に凜と立つ労をねぎらい、感謝を語る先生。その写真は、森本さんの自宅の仏前にずっと掲げてある。
「あの時、寺に行くたびに、"学会では成仏できない"と中傷されました」。葬儀や法事の場で、これ見よがしに学会を批判する宗門僧の仕打ちに、同志は耐え忍んできた。
「先生の激励に、"広宣流布をしているのは、他の誰でもない。私たち学会なんだ!"との誇りが湧き上がりました」
高知・いの町で建築業を営む森本さん。昨年は3人、本年は5人に弘教を実らせた。
「『紅の歌』の『魁光りぬ丈夫は』の作詞を通し、先生は『男子部は先駆たれ。一人一人の戦いが"光る"ことが大事だよ』と教えてくださいました。一つ一つの会合に、まず自分が、学会の素晴らしさ、師匠の偉大さを語り抜いて集う。そのリズムで今も戦っています」
森本さんが中心となって結成した圏壮年部の「土佐龍馬合唱団」は今年で10周年。広布を担う多くの人材を輩出している。
◆◇◆
81年の四国指導で、先生は、後継の若き友とも幾多の出会いを刻んだ。師弟共戦の魂は今、次の世代に脈々と流れる。
11月13日、岡宏子さん(香川総県、圏副婦人部長)は、長女・英子さん、長男・秀浩さんと共に、四国研修道場で師と記念のカメラに納まった。次男・俊雄さんも、師と握手を交わした。
「先生は未来部員に温かく声を掛けてくださいました。子どもたちにとっても忘れられない原点となりました」
岡さんは60年(昭和35年)12月、高校時代に入会。女子部では部隊長も務めた。68年(同43年)6月の四国本部幹部会では、清掃の責任者を。開会前に作業を終え、会場の側で待機していた時、思いがけず師との出会いを結ぶ。
先生は陰の労苦をねぎらい、岡さんと握手。「いい奥さんになるんだよ」と声を掛けた。その年の末に、茂雄さん(同、副県長)との結婚が決まっていた。「生涯、師弟に生き抜こうと誓った瞬間です」
だが、結婚直後に茂雄さんの勤め先が倒産。さらに起業した会社が、オイルショックの影響で再び倒産の憂き目を見る。
岡さん夫妻は"今こそ宿命転換の時"と定め、祈り抜く。茂雄さんは木工製品の製作会社を立ち上げ、懸命に仕事に取り組みながら、学会活動にも一歩も引かずに挑戦。県の副青年部長まで務め、先生の四国訪問の折には役員として何度も任務に当たった。今、会社の業績は、堅調を維持している。
師と出会いを刻んだ3人の子どもも、後継の大道を。長女の英子さんは香川で支部婦人部長、長男の秀浩さんは地区部長、次男の俊雄さんは副支部長として広布の最前線で奮闘する。
「子どもたちが広布の志を継いでくれていることが、何よりの喜び」と岡さん夫妻。報恩の心で友情のスクラムを広げる。
◆◇◆
池田先生は、四国を「志国」とたたえる。
第1次宗門事件という広布破壊の障魔の嵐が吹き荒れた時、四国の友は、師弟という一点に徹し抜いた。
さらにまた、先生は四国を「詩国」とたたえる。
先生が「桂冠詩人」の称号を受章して、初めて作詞した歌は「紅の歌」である。81年の四国指導の数々の激励は今、「励ましの詩」となって一人一人の心に深く刻まれる。
先生は、"反転攻勢"の天地・四国への万感の思いを詠んだ。

広布史に
 輝くロマンの
  詩国あり
 師弟で綴らむ
   凱歌を未来へ

☆12月の広布史
◎12・2 小説『人間革命』の執筆開始
1964年(昭和39年)12月2日、池田大作先生は小説『人間革命』の執筆を、太平洋戦争で国内最大の地上戦が行われた沖縄の地で開始した(翌65年の元日付から聖教新聞紙上で連載)。
『人間革命』全12巻は完結まで28年余り。聖教新聞での連載は、1509回を数えた。『人間革命』の完結から、わずか半年後の93年(平成5年)8月6日、池田先生は長野の地で小説『新・人間革命』の執筆を開始。本年9月、全30巻で完結した。連載回数は『人間革命』『新・人間革命』を合わせ、通算7978回。これは、日本の新聞小説史上、最多の連載回数である。
※参考資料=『新・人間革命』第9巻「衆望」

◎12・2「文芸部の日」
『人間革命』起稿の日が淵源。池田先生は文芸部の結成の際、"人々に最大に貢献するのだという信念を持ち、大いに活躍を"との指針を示した。
※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」

◎12・5 池田先生が中国の周恩来総理と会見
74年(昭和49年)12月5日、池田先生は、中国の周恩来総理の強い要望により、北京市内で一期一会の歴史的な会見を行った。
※参考資料=『新・人間革命』第13巻「金の橋」、第20巻「信義の絆」

◎12・22「統監部の日」
伸展する広布の状況を正確に把握し、さらなる飛躍を期すため、52年(同27年)12月22日、第2代会長の戸田城聖先生のもと、地方統監部が設置された。
※参考資料=『人間革命』第6巻「離陸」

2018年12月2日日曜日

2018.12.02 わが友に贈る

幸福を感じる要諦は
�地域に積極的に関わる
�学ぶことを怠らない
�人のために尽くす
全てが学会活動にある。

上野殿御返事 P1557
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』

【通解】
ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけが信ずるだけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。

〈寸鉄〉 2018年12月2日
『人間革命』起稿の日。一人立つ勇者が人類の宿命をも転換。主役は我ら
茨城のつくば・土浦・水戸・日立が怒濤の追い上げ。凱歌を必ず!皆がエール
途中で止まるな。信心で最後まで戦うのだ—戸田先生。本年の総仕上げへ
きょう文芸部の日。文は境涯。大願に燃える生命で民衆守るペンの英雄よ
体温が1度低下で免疫力は30%低下と。食事・運動を賢く工夫。唱題根本に

☆虹を懸ける 池田先生とケニア� 2018年11月22日
◇新しい哲学で新しい伝統を
池田先生とSGIメンバーの出会いをつづる「虹を懸ける」。今回は、アフリカ・ケニアに輝く師弟のドラマを紹介する。

池田先生が第3代会長に就任した1960年は「アフリカの年」と呼ばれる。
この年、アフリカに17の新国家が誕生。大陸の地図は次々と塗り替えられ、各地に独立の旗が翩翻とひるがえった。
10月。初の海外平和旅でアメリカを訪れた先生は、ニューヨークの国連本部へ。
そこで見たのは、国連に新加盟したアフリカ諸国の若きリーダーたちの雄姿だった。
遠い未来に思いをはせ、先生は言った。
「二十一世紀は、必ずアフリカの世紀になるよ。その若木の生長を、世界はあらゆる面から支援していくべきだ」
当時の模様は、小説『新・人間革命』第1巻「慈光」の章に詳しく描かれている。
この直前、先生の姿は北海道の厚田にあった。6年ぶりに訪れた恩師・戸田先生の故郷。胸中には、在りし日の師が、厚田の浜辺で語り残した言葉が響いていた。
「この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる」
「東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって」
苦悩する世界の民衆に妙法の灯を!
師の構想を実現せんとする弟子の誓いが、明々と燃え上がった。

◇一人立つ精神
ケニアで広布の活動が始まったのは、10年後の70年である。
仕事で駐在していた日本人会員が、現地の友を折伏したのがきっかけだった。
自宅の警備を任されていたジョージ・ジュグナさん(ケニア参与)が家族ぐるみで親しくなり、自然と仏法対話に。すると、宿命転換の法理に興味を抱いた妻のジョイスさん(支部婦人部参与)が、まず題目を唱え始めた。
それから2カ月がたち、ジュグナさんも唱題を実践するようになった。少しずつ信仰の確信を得ていった二人が"一粒種"となり、紹介者が日本に帰国してからも、一人また一人と仏縁を拡大。会員数は5年で30人を超えた。
時あたかも、75年1月26日にグアムで第1回「世界平和会議」が開催されることに。アフリカからも代表が参加する運びとなり、ジュグナさんもその一人に選ばれた。
アフリカの友はグアムに向かう途中、立ち寄ったロサンゼルスで池田先生と忘れ得ぬ出会いを結ぶ。
先生は食事を共にしながら、各国の文化や国民性、さらには仕事や家庭の状況などに耳を傾け、渾身の励ましを。"一人立つ精神に立ち、強き生命力で前進していってほしい"と訴えた。
そして、新しい哲学で新しい伝統を築こうとする努力の歩みをたたえつつ、「題目をあげ、福運を積み重ねていくならば、将来、人生の開花は間違いありません」と述べ、一人一人の前途に期待を寄せたのである。
1月26日は、世界51カ国・地域の同志が集い合い、全参加者の総意で先生がSGI会長に就任。喜びに包まれる中、式次第は代表のあいさつに。ジュグナさんも登壇し、仏法の慈悲の哲理を根底に、アフリカの諸問題の解決へ挑みゆく決意を述べると、賛同の拍手が送られた。
席上、先生は力を込めて呼び掛けた。
「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
この訪米中、先生はアフリカの友に「下種拡大」「人材育成」といった具体的な広布の展望も示している。
帰国後、ジュグナさんは一段と強い決意で信心に励み、友人や新来者との対話に奔走。仏法になじみのない社会に平和の種をまき、信頼の花を咲かせていった。
生活でも、学会活動でも、幾多の苦難に見舞われたが、「先生は私たちの苦労を全て分かってくださっている——そう思うと勇気が湧き、唱題根本に一つ一つ乗り越えてくることができました」。
病にも負けず、夫妻で真剣に祈りを重ねる日々。自宅を広布の会場として提供し、いつも心で師と対話しながら、後輩たちの激励に全力を注ぐ。
ジュグナさんの胸には、今も、あのグアムでのSGI誕生の光景と、先生の世界広布への熱き叫びが、深く刻まれている。

◇"時"は必ず来る
74年1月。
アフリカに赴任する本紙特派員に、池田先生は語った。
「"時"が来れば、地涌の菩薩はどこにも現れるのだよ。やがて、仏法を求めて多くのアフリカの人々が来日する時代が必ず来る」
そして先生は、ケニアをはじめ各国の指導者や大使らと相次ぎ会見。創価の平和・文化・教育の光でアフリカ大陸を照らしてきた。
先生が示した"時"は現実のものとなり、妙法の灯は今、40カ国にともされた。
SGI研修会には、毎回のように、アフリカの同志が来日する時代が到来している。
ケニア理事長のフィレモン・バンジャさんは、95年10月に初めて日本へ。SGI発足20周年の佳節に開かれた諸行事に出席し、広島と神戸で先生との宝の思い出を築いた。
広島で行われた第14回「世界青年平和文化祭」では、アフリカ9カ国のメンバーで民族舞踊を披露。喝采を送る先生の姿を、その目に焼き付けた。
ほかにも忘れられない場面がある。
滞在中のある日の会合。先生は、会場に入るや、参加者に手を振り、深々と礼を。「ご苦労さまです!」と声を掛け、広布の労をねぎらった。
「どこまでも一人を大切にされる師匠の振る舞いこそが、私の模範になっています」
記念行事の際、先生は世界中から集ったメンバーに、次のように語り掛けている。
「日蓮大聖人の仏法は、『無限の希望』の哲学である」「私たちには絶対に行き詰まりがない。どんな状況にあろうと、限りなく『希望』をわきたたせ、『希望』を実現していける」と。
——バンジャさんの入会は86年。勤務先だったイギリス系銀行の同僚から仏法の話を聞き、SGIの一員になった。
学会活動で培った強い信念と誠実な姿勢を貫き、職場で何度も昇進を果たしたことが、揺るがぬ信心の確信になっている。
両親は違う宗教の熱心な信者だったが、社会で勝利の実証を打ち立てたバンジャさんの学会活動を応援してくれるように。
夫の変化に信仰の力を感じた妻のリネットさん(婦人部員)は、95年に入会した。
理事長となってからは、"毎日2人以上への励まし"を目標にしてきたバンジャさん。特に、遠くに住むメンバーとは、直接会って語り合うことを心掛けている。
週末には車で遠方の町へ向かい、一日かけて訪問・激励に動くことも。「時間はかかりますが、たくさんの同志に会うことができます。それが本当にうれしいのです」
先生の言葉の通り、ケニアには、妙法という「希望」の哲学を胸に、社会に「希望」を広げゆく地涌の菩薩が陸続と躍り出ている。

◇異体同心
ドルフィン・オノノさん(支部副婦人部長)の原点もまた、95年10月の初来日である。
「初めて池田先生にお会いした時、久遠からの師弟の絆を感じ、言い知れぬ感動が込み上げました」
神戸の地では、先生と共に勤行・唱題を。その力強い音声は、23年たっても耳朶から離れない。
入会した84年当時、オノノさんには仕事がなかった。だが、唱題根本に自身の内面を磨く学会活動に励む中、やがて優良企業に秘書として採用される。真面目な勤務態度が評価され、最優秀従業員にも選ばれた。
職場の人間関係など多くの困難に直面したが、一切を信心で勝ち越えてきた。その確信は「ケニア広布に生涯を捧げゆく決意に変わっていきました」。
本年、オノノさんはリネット・バンジャさんらと、9月度のSGI研修会へ。初の"ケニア婦人部研修会"として来日した8人で、教学研さんや日本のメンバーとの交流などを通し、新たな師弟の原点を築いた。
交流交歓会で訪れた神奈川は、先生が世界広布へ新生の船出を開始した天地。オノノさんはじめケニア婦人部の友は「正義」と「共戦」の旗高く、永遠に異体同心で進みゆくことを約し合った。

2018年12月1日土曜日

2018.12.01 わが友に贈る

本年の総仕上げへ
団結固く前進しよう!
幸福のスクラムを
仲良く賑やかに広げ
明年の勝利へ先駆!

曾谷二郎入道殿御返事 P1069
『爰に貴辺と日蓮とは師檀の一分なり然りと雖も有漏の依身は国主に随うが故に此の難に値わんと欲するか感涙押え難し、何れの代にか対面を遂げんや唯一心に霊山浄土を期せらる可きか、設い身は此の難に値うとも心は仏心に同じ今生は修羅道に交わるとも後生は必ず仏国に居せん』

【通解】
思えば、貴辺と日蓮とは、師檀(師匠と檀那)の一分である。しかしながら、煩悩のある肉身は、国主に従うものであるがゆえに、あなたも、この(蒙古襲来の)難に遭おうとしているのであろうか。感涙を抑えることができない。いずれの世に、あなたとふたたび対面を遂げることができるであろうか。ただ一心に、霊山浄土に行くことを期されるべきであろう。たとえ、身は、この難に遭ったとしても、あなたの心は仏心と同じである。今生は修羅道に交わったとしても、来世は必ず仏国に住むことができるであろう。

〈寸鉄〉 2018年12月1日
「未来部勝利月間」開幕!君達こそ創立100周年の主役。温かな励ましを皆で
県歌発表40周年の茨城が勇戦。共に凱歌の人生を。つくば、土浦、勝ち上がれ
千葉県婦人部の日。旭日の母の祈りは無敵。地域照らす対話の陽光を拡大
僕ら一人一人が無限の存在—詩人。信仰とは挑戦の異名。さあ、今日も前へ
冬の省エネ総点検の日。温度設定見直し等できることから。師走の今こそ

☆大白蓮華巻頭言 2018年12月号 「皆仏になれ」と功徳満開に!
仏道修行は、峻厳なる「冥の照覧」に包まれている。
ゆえに信心の世界の苦労だけは、一切合切、無駄がない。
御聖訓には、「雨ふり・かぜふき・人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ」(1548ページ)と示されている。
自然災害が打ち続いた今年も、わが同志は、まさに雨にも風にも負けぬ「心ざし」で広布に走り抜いてくれた。
御本仏・日蓮大聖人の御賞讚はいかばかりであろうか。
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(329 ページ)との一節に照らし、我らは一年一年、極楽の百千万年分もの功徳を積みゆく大闘争の年輪を刻んでいるのだ。
一人一人の奮闘と陰の労苦を労い、新年へ出発しょう!
「ほむれば弥功徳まさる」(1242ページ)と仰せの通り、称え合う真心に、自他共の喜びと力が漲っていくからだ。
今や、この希望のネットワークは全地球に広がった。先駆の夫妻を激励された御書には「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし」(1241ページ)とお約束である。
座談会での体験談が集った友に波動を起こすように、 世界広布が進めば進むほど、その大功徳は、大海の如く、須弥山の如く、創価家族の皆の生命に集まり具わるのだ。
だからこそ戸田先生は、「学会と共に生き抜いてごらん。今の悩みは、必ず全部、功徳に変わる。その人間革命の歓喜で人類の幸福と平和に尽くすんだよ」と励まされた。
なかなか結果が出なくとも、また、高齢や病気などで 動けなくとも、妙法で結ばれた異体同心の連帯と一緒であれば、永遠に「常楽我浄」の軌道を上昇できるのだ。

大聖人は若き南条時光に「一切衆生の恩」を明かされ、「生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきおしなり」(1527ページ)と教えられた。
新しい一年も、我らは「皆仏になれ」と祈りを込めて、広宣流布、立正安国の対話に勇んで挑みゆこう!
楽しく朗らかに仏縁を結びながら、「悪を減し、善を生ずる」功徳の花を満開に咲き薫らせようではないか!

風雪に
 宝樹と伸びゆく
  君なれば
 功徳と勝利の
  年輪 刻めや