悩みがあるから
祈りが深まる。
試練があれから
人は強くなれる。
逆境は境涯革命の母だ!
法華初心成仏抄 P557
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』
【通解】
わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れられるところを仏というのである。
〈寸鉄〉 2019年2月28日
伝統の2月から躍動の春3月へ。さあ心軽やかに動き、列島に友情の花を
青年は慈愛あふれる池田博士の言葉に学べ—中国教授。後継よ成長の糧に
大闘争心が学会の精神—戸田先生。広布も人生も戦いだ。執念で一歩前へ
インフルエンザ、流行のピーク過ぎても注意。手洗い・マスク等、油断せず
ネット含め新聞に触れる人は9割。言論の力は大。希望を送る機関紙へ益々
☆御書と歩む� 第56回 リーダーの一念が勝利を開く
『軍には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり』(乙御前御消息、1219ページ)
◇通解
戦には大将軍を魂とする。大将軍が臆したならば、兵も臆病になってしまう。
◇同志への指針
「法華経の将軍学」こそ、究極のリーダーシップである。一切の勝利の要諦は、「長の一念」にある。
リーダーの勇気は伝播する。誓願の題目が波動を起こす。率先垂範の開拓から勢いが生まれる。
不二の創価の大将軍たちよ、けなげな同志を最大に讃え、労い、一人一人が「私は勝った!」と胸を張れる名指揮を頼む。
☆勝利の実証をわが天地に 原田会長が出席 各部代表者会議 2019年2月21日
世界広布新時代第64回の各部代表者会議が20日、原田会長を中心に、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、冒頭、「若き創価の諸葛孔明」たる青年部、団結固く「広布の太陽」と輝く婦人部・女子部を心からたたえた。
次いで、本年で殉教75年となる創価の父・牧口先生が御書に線を引き、大切にしていた「治病大小権実違目」の一節を拝読した。
すなわち「日本・一同に日蓮をあだみて国国・郡郡・郷郷・村村・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり、見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり」(御書998ページ)と喝破され、だからこそ「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(同ページ)と結論された御聖訓である。
池田先生は、広宣流布とは、善と悪、正と邪が顛倒した「闘諍言訟」の世にあって、「事の一念三千」の妙法を行ずる地涌の菩薩が、現実の上で勝利の実証を示し切っていく大闘争にほかならないと強調。御本仏・日蓮大聖人の御心のまま、牧口先生を鑑として、この立正安国の戦いを貫いているのが創価の師弟であると述べた。
そして、悪口罵詈にも怯まず一人、また一人に正義を叫び抜いてきた創価の父母たちの労苦を称賛しつつ、今やあの地でもこの地でも、学会家族は、地域社会の「連帯の柱」「人材の眼目」「安穏の大船」と信頼を寄せられていると力説した。
さらに、牧口先生の「大聖人の御意志をそのまま実行しようという我らに、なんの障りがあろうか」との師子吼を紹介。この誇りに燃えて、使命の天地で堂々と勝負を決し、民衆の幸福、社会の繁栄、世界の平和へ光を増していこうと述べた。
最後に、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」(同997ページ)を拝しつつ、「師弟誓願の一念ほど強いものはない」「梵天・帝釈をはじめ、諸天を自在に痛快に揺り動かし、創価桜の満開の春を飾ろう」と呼び掛けた。
原田会長は、「一対一の対話」に徹し、正義を自信満々に語り抜く挑戦を貫いて、「5・3」を創価の勝利で飾ろうと訴えた。長谷川理事長、谷川主任副会長、竹本関西青年部長、平井北海道男子部長があいさつ。本社報道局の鯉渕和博記者が取材報告を行った。
2019年2月28日木曜日
2019年2月27日水曜日
2019.02.27 わが友に贈る
勝つことよりも
負けないこと。
そう確信した人は強い。
「私の幸福を決めるのは
私自身」と朗らかに!
曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』
【通解】
生命は三千大千世界をもっても買うことのできないものである。
〈寸鉄〉 2019年2月27日
「大地の底にかくしをきたる真の弟子あり」御書。皆に尊き地涌の使命あり
各地で「女性の日」。地域照らす創価の太陽燦然。さあ歓喜の春へ大行進!
会場提供の皆様に感謝。時間厳守等、ご家族・近隣への配慮を。宝の城守れ
快活に振舞えば相手も快活に—作家。まず自分から!弾む心で対話に挑戦
昨年の災害時、9割が防災用品準備しておらず。教訓は行動に移してこそ
☆勇気の旗高く 池田先生と山形 2019年2月22日
◇さあ民衆勝利の理想郷へ!
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山形県を掲載する。
◇人生の勝負時
池田先生は折に触れて「美しき山形の心」をたたえてきた。「山形は、光沢ある『庶民勝利』の軍旗を、高らかに掲げゆく城であり、天地である」「正直な庶民の幸福者の代表が、山形の方々である」と。2003年(平成15年)3月の随筆では、山形の"希望の春"の到来を願いつつ、万感の思いをつづった。
山形県は、日本有数の豪雪地域の一つだ。あの月山も、蔵王も、鳥海山も、まだまだ白雪に包まれている。
しかし、やがて重い雪の下から雪解け水が迸り、山形の母なる川・最上川も、勢いと水かさを増していく。
芭蕉は、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだが、それより前、春の最上川は、雪解け水を集め、奔流となって轟音を響かせながら、岩を打ち、岸辺を洗う。
それは、山形の同志の正義の師子吼を思わせる。
鉄の意志と忍耐で、広宣流布に戦ってきたわが同志——その善良なる庶民が「我らは勝った!」「我らは勝つのだ!」と雄叫びをあげる黄金の春がきたのだ!
日蓮大聖人は、「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)と仰せである。
人生には、大きく変わる時が必ずある。ここが正念場という、宿命転換、人間革命の勝負時がある。
いかなる試練があろうとも、汝自身の戦場から一歩も退いてはならない。その時を逃さず、断じて戦い、勝つことだ。
東北有縁の文豪・魯迅は、"暗き時代に本気で生きたければ叫べ"と言った。
「何よりもまず、思いきってしゃべり、笑い、泣き、怒り、罵り、闘い、このいまわしい場所から、いまわしい時代を撃退すべきである」(竹内好訳)
そうだ! 思いきって叫ぶのだ。その凜々たる正義の声が、悪を撃退し、希望の新時代の扉を開け放つ。
叫べ、叫べ、正義の山形の同志よ! 日本第一の民衆の「幸福王国」たれ! 愛する我らの大山形よ!
◇「心」こそ大切
春爛漫の1983年(昭和58年)4月18日、池田先生は山形池田講堂(当時)で開かれた県総会の席上、レンギョウや雪柳、桜など美しき山形の自然に触れながら、「桜梅桃李」の法理に言及。誰かと比べるのではなく、自分にしかない使命に生きよと呼び掛けた。
桜は、桜のままに咲き、自らの使命に生きている。梅も、桃も、李も、そうだ。
我々一人一人の人間にとっても同じでなくてはならない。一人一人が個性をもっている。また人格をもち、尊い生命をもった存在である。
ゆえに、あくまでも自分らしく、主体性をもって生きていけばよいのである。
自分にしかない使命、生き方があるものだ。あの人のようでなければならないというものはないのである。
桜には桜としての生命と因縁がある。梅も桃も李も同じくそれぞれその生命となった因縁があるだろう。と同じく信心の眼よりみれば自分自身のこの世に生まれた使命と、それぞれの因縁があるといってよい。
妙法の信心の力によって自分の中にある仏界を涌現させていくことが、人生にとって根本の幸せなのである。
87年(同62年)7月6日、山形幹部大会(山形平和会館)では、不変の学会精神について懇談的に語った。
今はスピード時代といわれるが、なぜ学会がここまで発展してきたか。
それは、なにごとにも"迅速"であったからである。また"全魂""真剣"であったからである。
娑婆世界という現実の世は、永遠に苦悩の連続である。それが実相である。
だれしも、それぞれの悩みがある。皆さま方も、たとえば健康や仕事、家庭のことなど、何らかの悩みをおもちにちがいない。
しかし皆さま方は、そのなかにあって他の人の苦悩を救うため、日夜、弘法に、友の激励・指導にと奔走し、心をくだいておられる。また祈っておられる。これ以上、尊き"仏の使い"の行動、人生はない。
"自分のことはいい、まず友に幸福になってもらいたい""何よりも、まず友の悩みを解決したい"——この、やむにやまれぬ強き思いのなかに、不変の学会精神がある。大慈大悲の大聖人の門下としての誉れの行動がある。
このことを銘記し、山形の皆さまは生涯、"われ、仏の使いなり"との確信と誇りを貫いていただきたい。
大切なのは"心"である。外見ではない。たとえば、事情があって、会合に来たくても、来れない場合がある。
その法を求める心を察し、たたえることが大事なのである。
信心の指導は、どこまでも礼儀を踏まえた"誠実"と"納得"の励ましでなくてはならない。そこに人間尊重の学会精神がある。
◇信心は精進行
池田先生は「山形は、私が『アルカディア(理想郷)』の建設を託した、人の心清き国土である」と期待を寄せている。99年(平成11年)8月の随筆では「アルカディア」建設の使命をつづった。
「アルカディア」とは、ギリシャの地名で、古代ローマの昔から、あまたの詩人たちが謳い上げた「理想郷」である。
山形の同志らは、新しき「民衆のアルカディア」の建設のために、新たな天使のごとく、温かき涙を流しながら、愛する郷土を懸命に走り、戦ってこられた。その尊き使命の行動に進みゆく、清らかな瞳には、美しく歌う心の真珠の光があった。
「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(御書1072ページ)とは、仏法の偉大な法理である。
「信心とは、精進行である」との純粋なる信念は、何ものにも惑わされない。
それは、現実の苦難と苦悩を乗り越えながら、広宣流布の大道と人間革命の行動を、一歩、また一歩と、高みへ前進し抜いていく実像である、と申し上げたい。
経文には、この姿を「勇猛精進」と説いている。
そして、また、この妙法流布の勇者の名前は、あまねく世に響き渡っていくと約束されている。勇気の人には、希望がある。前進の人には、無限の歴史が開ける。
「私は勝った!」という友の歌声は、今や、山形のあの地、この地に轟き渡る。
わが愛する山形こそ、名実ともに、壮大なる二十一世紀のアルカディアである!
一人一人が勝利の花を咲き薫らせゆくところに、大いなる"希望の春"は訪れる。
民衆勝利のアルカディアの建設へ、山形の友の快進撃が始まった。
負けないこと。
そう確信した人は強い。
「私の幸福を決めるのは
私自身」と朗らかに!
曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』
【通解】
生命は三千大千世界をもっても買うことのできないものである。
〈寸鉄〉 2019年2月27日
「大地の底にかくしをきたる真の弟子あり」御書。皆に尊き地涌の使命あり
各地で「女性の日」。地域照らす創価の太陽燦然。さあ歓喜の春へ大行進!
会場提供の皆様に感謝。時間厳守等、ご家族・近隣への配慮を。宝の城守れ
快活に振舞えば相手も快活に—作家。まず自分から!弾む心で対話に挑戦
昨年の災害時、9割が防災用品準備しておらず。教訓は行動に移してこそ
☆勇気の旗高く 池田先生と山形 2019年2月22日
◇さあ民衆勝利の理想郷へ!
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山形県を掲載する。
◇人生の勝負時
池田先生は折に触れて「美しき山形の心」をたたえてきた。「山形は、光沢ある『庶民勝利』の軍旗を、高らかに掲げゆく城であり、天地である」「正直な庶民の幸福者の代表が、山形の方々である」と。2003年(平成15年)3月の随筆では、山形の"希望の春"の到来を願いつつ、万感の思いをつづった。
山形県は、日本有数の豪雪地域の一つだ。あの月山も、蔵王も、鳥海山も、まだまだ白雪に包まれている。
しかし、やがて重い雪の下から雪解け水が迸り、山形の母なる川・最上川も、勢いと水かさを増していく。
芭蕉は、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだが、それより前、春の最上川は、雪解け水を集め、奔流となって轟音を響かせながら、岩を打ち、岸辺を洗う。
それは、山形の同志の正義の師子吼を思わせる。
鉄の意志と忍耐で、広宣流布に戦ってきたわが同志——その善良なる庶民が「我らは勝った!」「我らは勝つのだ!」と雄叫びをあげる黄金の春がきたのだ!
日蓮大聖人は、「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)と仰せである。
人生には、大きく変わる時が必ずある。ここが正念場という、宿命転換、人間革命の勝負時がある。
いかなる試練があろうとも、汝自身の戦場から一歩も退いてはならない。その時を逃さず、断じて戦い、勝つことだ。
東北有縁の文豪・魯迅は、"暗き時代に本気で生きたければ叫べ"と言った。
「何よりもまず、思いきってしゃべり、笑い、泣き、怒り、罵り、闘い、このいまわしい場所から、いまわしい時代を撃退すべきである」(竹内好訳)
そうだ! 思いきって叫ぶのだ。その凜々たる正義の声が、悪を撃退し、希望の新時代の扉を開け放つ。
叫べ、叫べ、正義の山形の同志よ! 日本第一の民衆の「幸福王国」たれ! 愛する我らの大山形よ!
◇「心」こそ大切
春爛漫の1983年(昭和58年)4月18日、池田先生は山形池田講堂(当時)で開かれた県総会の席上、レンギョウや雪柳、桜など美しき山形の自然に触れながら、「桜梅桃李」の法理に言及。誰かと比べるのではなく、自分にしかない使命に生きよと呼び掛けた。
桜は、桜のままに咲き、自らの使命に生きている。梅も、桃も、李も、そうだ。
我々一人一人の人間にとっても同じでなくてはならない。一人一人が個性をもっている。また人格をもち、尊い生命をもった存在である。
ゆえに、あくまでも自分らしく、主体性をもって生きていけばよいのである。
自分にしかない使命、生き方があるものだ。あの人のようでなければならないというものはないのである。
桜には桜としての生命と因縁がある。梅も桃も李も同じくそれぞれその生命となった因縁があるだろう。と同じく信心の眼よりみれば自分自身のこの世に生まれた使命と、それぞれの因縁があるといってよい。
妙法の信心の力によって自分の中にある仏界を涌現させていくことが、人生にとって根本の幸せなのである。
87年(同62年)7月6日、山形幹部大会(山形平和会館)では、不変の学会精神について懇談的に語った。
今はスピード時代といわれるが、なぜ学会がここまで発展してきたか。
それは、なにごとにも"迅速"であったからである。また"全魂""真剣"であったからである。
娑婆世界という現実の世は、永遠に苦悩の連続である。それが実相である。
だれしも、それぞれの悩みがある。皆さま方も、たとえば健康や仕事、家庭のことなど、何らかの悩みをおもちにちがいない。
しかし皆さま方は、そのなかにあって他の人の苦悩を救うため、日夜、弘法に、友の激励・指導にと奔走し、心をくだいておられる。また祈っておられる。これ以上、尊き"仏の使い"の行動、人生はない。
"自分のことはいい、まず友に幸福になってもらいたい""何よりも、まず友の悩みを解決したい"——この、やむにやまれぬ強き思いのなかに、不変の学会精神がある。大慈大悲の大聖人の門下としての誉れの行動がある。
このことを銘記し、山形の皆さまは生涯、"われ、仏の使いなり"との確信と誇りを貫いていただきたい。
大切なのは"心"である。外見ではない。たとえば、事情があって、会合に来たくても、来れない場合がある。
その法を求める心を察し、たたえることが大事なのである。
信心の指導は、どこまでも礼儀を踏まえた"誠実"と"納得"の励ましでなくてはならない。そこに人間尊重の学会精神がある。
◇信心は精進行
池田先生は「山形は、私が『アルカディア(理想郷)』の建設を託した、人の心清き国土である」と期待を寄せている。99年(平成11年)8月の随筆では「アルカディア」建設の使命をつづった。
「アルカディア」とは、ギリシャの地名で、古代ローマの昔から、あまたの詩人たちが謳い上げた「理想郷」である。
山形の同志らは、新しき「民衆のアルカディア」の建設のために、新たな天使のごとく、温かき涙を流しながら、愛する郷土を懸命に走り、戦ってこられた。その尊き使命の行動に進みゆく、清らかな瞳には、美しく歌う心の真珠の光があった。
「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(御書1072ページ)とは、仏法の偉大な法理である。
「信心とは、精進行である」との純粋なる信念は、何ものにも惑わされない。
それは、現実の苦難と苦悩を乗り越えながら、広宣流布の大道と人間革命の行動を、一歩、また一歩と、高みへ前進し抜いていく実像である、と申し上げたい。
経文には、この姿を「勇猛精進」と説いている。
そして、また、この妙法流布の勇者の名前は、あまねく世に響き渡っていくと約束されている。勇気の人には、希望がある。前進の人には、無限の歴史が開ける。
「私は勝った!」という友の歌声は、今や、山形のあの地、この地に轟き渡る。
わが愛する山形こそ、名実ともに、壮大なる二十一世紀のアルカディアである!
一人一人が勝利の花を咲き薫らせゆくところに、大いなる"希望の春"は訪れる。
民衆勝利のアルカディアの建設へ、山形の友の快進撃が始まった。
2019年2月26日火曜日
2019.02.26 わが友に贈る
「法華の行者は
男女共に如来なり」
妙法に行き抜く人は
一人残らず尊貴なり!
異体同心で快進撃を!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
【通解】
日蓮が仏になるための第一の味方は、(大聖人を憎み、命をねらった)東条景信であり、僧侶では(権力と結託し、大聖人を陥れようとした)極楽寺良観、建長寺道隆、道阿弥陀仏であり、また(権力を発動して大聖人を迫害した)平左衛門尉、北条時宗殿である。
彼らがおられなかったならば、日蓮はどうして法華経の行者になれたであろうかと悦んでいる。
〈寸鉄〉 2019年2月26日
人生は何があっても強気でいけ—恩師。青年よ創価の後継らしく堂々進め
�明確な目標�強き祈り�勇敢な行動が勝利の要諦。月々日々に悔いなく
認知症予防に人との語らいが有効と。対話は価値の宝庫。多宝の友が証明
特殊詐欺被害1日当たり1億円。手口も多様化。自分は大丈夫との油断禁物
児童虐待通報・相談通話「189」無料化へ。公明が提言。命守る施策更に
☆地域を歩く 秋田・井川町 2019年2月21日
◇希望の春を確信して
日本が本格的な人口減少社会となって10年ほどが過ぎた。
全国最速で人口減少が進んでいることで知られる秋田県。その中で生じているさまざまな課題と向き合う学会員を訪ねようと、先週末、県都・秋田市から北に30分ほど車を走らせた。
井川町。県のほぼ中央に位置し、東側にある出羽丘陵から、干拓で有名な、西側の八郎潟の調整池へと流れる「井川」に沿って拓けてきた町である。稲作をはじめ、農業が町の基幹産業となってきた。
近年は、鉄道や高速道路などの交通も整備され、都市部で働きながら快適な生活環境を求める人々のベッドタウンとしての役割も担う。
井川町といえば、春を過ぎても、四季折々に桜が楽しめることで有名だ。町内の「日本国花苑」には、全国各地から集められた200種類2000本の桜の木が植えられている。
同町を舞台に活動する学会の支部名(井川さくら支部=筒井一義支部長、菅生裕己婦人部長)にも、「さくら」の名前が入っている。
だが、今は厳しい寒さが続く2月。町は雪で真っ白だ。
井川をさかのぼるように、町の中心部から、山間部へと車を走らせる。しばらくすると、ある集落に到着した。
「ここは、かつて20世帯100人ほどが暮らしていました。現在は、13世帯30人になりました。空き家も5軒あります」
二田一さん(副支部長)。祖父母の代から、この地で生計を立ててきた。
◇厳寒の冬を乗り越え 桜花の人生を共に
現在、父親から受け継いだ稲作をしながら、集落の町内会長や消防団の分団長を務める二田さん。地域への貢献を意識するようになったのは、町にある自動車関連会社に勤めていた20代の頃である。学会3世だったものの、それまでは父の酒乱や、それをどうすることもできない家族への反発もあり、信心に挑戦する意欲が湧かなかった。
やがて、二田さんは自らも酒におぼれた。揚げ句の果てに交通事故を3回も起こしてしまう。気付けば、自分を変えたい一心で、仏壇の前に座っていた。
以来、二田さんは、戸田先生の「信心は一人前、仕事は三人前」との指針を胸に、仕事と学会活動に走るようになった。集落や町の人々との関わりも深まり、さまざまな課題を抱える地域を「どう守ったらいいか」「どう発展させていけるか」と考えながら、行動に移した。
献身の姿に周囲の目は一変。二田さんは昨年、退職と同時に町内会長に推されて就任。とともに、消防団での長年の功労がたたえられ、表彰も受けた。
取材した日も、妻・勝美さん(支部副婦人部長)と一緒に、手際よく集落の雪かきをしていた二田さん。学会員としての誇りを胸に、地域の課題と向き合っていた。
「人口が減少する中で、『一人』の存在が大きくなっていると感じます。一人の行動が地域を変えていくのです」
「気付くと、いつも同志の皆さんに支えられています」
こう語るのは、井川町の浄水場で働く渡部一幸さん(男子部員)。井川町の清らかな水の水源を管理し、町民においしい水を届けている。
皆で一体となって青年部の人材の流れをつくる井川さくら支部の同志。どんな思いで育成に励んでいるのだろうか。
川村金高さん(県長)。施設長を務める特別養護老人ホームを含め、七つの事業を運営し、町の福祉を支えている。
川村さんは、高校でレスリングを始め、全国屈指の強豪校として知られる大学で活躍したものの、卒業後は進路に悩み、なかなか定職に就けずにいた。
福祉関係の仕事に就いたきっかけは、青年部時代に参加した1985年(昭和60年)の第1回「秋田青年平和合唱祭」。
練習に汗を流し、同志と励まし合いながら、合唱祭の成功と、自身の経験を生かせる就職を祈った。
そんな中、見つけたのが、利用者のリハビリ訓練を行う障がい者施設の仕事だった。
働き始めて3年目の27歳の時、川村さんは交通事故に遭い、2日間、意識不明に。同志が何度も集っては回復を祈ってくれ、危機を脱した。
以来、福祉に携わりながら、地域のつながりの希薄化や担い手不足を感じる一方で、支え合いの大切さ、周囲を幸福にすることで得る何ものにも代えがたい充実感を、より深くかみ締めてきた。
川村さんは熱く語る。
「私がそうだったように、今の青年部のメンバーにも、信心を通して、人に尽くす生き方を学んでほしいんです」
昨年、県長となった男鹿勇勝県では、本年、井川さくら支部の菅生弘一さん(ニュー・リーダー)をはじめ、6人の男子部大学校生が誕生した。
「清らかな水の流れとともに、この人材育成の流れが地域の誇りです」と胸を張る川村さん。新たな力を育む喜びを胸に、今日も訪問・激励に走る。
秋田広布のルーツ。
それは、池田先生が1952年(昭和27年)2月、東京・蒲田支部の支部幹事として、同志への激励を重ね、信頼と友情の金字塔を打ち立てた「二月闘争」にある。
当時、秋田の同志は蒲田支部に所属。その後、秋田各地で励ましの連帯が拡大していった。
井川町では、2000年(平成12年)に井川さくら支部が誕生した。
支部の同志が、地域に友好を大きく広げるきっかけとなったのが、05年(同17年)1月に開催した地域振興の催しである。
寒い中、会場を掃除したり、温かな豚汁を振る舞ったりするなど、皆で協力しながら行ったイベントは大成功。町内に喜びが広がった。
以来、支部では、健康セミナーなどを開きながら、地域に幸福のスクラムをつくり続けてきた。
そんな井川さくら支部には、広布の草創期以来、変わらぬ熱意ではつらつと活動する多宝の友も多い。
自転車店を営む遠藤幸雄さん(地区幹事)。「従業員がいないのに、社長、社長と呼ばれてますよ」と笑う。
1938年(昭和13年)、井川町生まれ。現在、81歳。
綿の打ち直しに歩いていた父親の自転車を修理したり、冬用のタイヤに交換したり、幼い頃から自転車に慣れ親しんできた。
中学卒業と同時に、自転車店に弟子入り。10年余りの修業の間、店主から信心を勧められ、56年(同31年)に入会した。
その後、社会や家族にさまざまな変化が起こった。
自動車の普及や少子高齢化で自転車人口が激減。さらに、スーパーやホームセンターなどで自転車を購入する人が増えた。最盛期は地域に5軒ほどあった自転車店は、やがて遠藤さんの店だけになった。
また、妻・キミさん(副白ゆり長)との間に生まれた長女が31歳の若さで亡くなるなど、宿命の嵐が襲った。
だが、遠藤さんの信心への確信は揺るがなかった。82年(同57年)の「雪の秋田指導」や「秋田青年平和合唱祭」を通し、池田先生から受けた励ましが胸に刻まれていた。
他には負けない修理など、アフターサービスの技能を磨いた。たとえ他店で購入した自転車であっても、とにかく顧客に喜んでもらうことを第一に、真心込めて対応した。
やがて、井川町だけでなく、周辺の地域からもわざわざ店を訪れる人が増えていった。
今や自転車店は、地域の人々が憩う場となっている。
そして自転車に関係なく、地域の人々の頼み事が持ち込まれるようになった。
遠藤さんのフットワークは、とても81歳とは思えないほど軽い。そんな姿を見て、周囲の同志はこう呼んでいる。
「生涯、青年ですね」と。
井川町で生まれた森本明子さん(支部副婦人部長)は61年(同36年)8月、家族と共に信心を始めた。当時、高校3年生だった。
入会直後の自身の病気や経済苦に始まり、68年(同43年)の結婚後は、仕事と子育ての両立や義父母の介護、娘の病など、苦難を挙げれば切りがない。
それでも心折れずに前進してこられたのは、池田先生の"宿命転換の祈りは必ずかなう"との確信の励ましがあったから。
森本さんは、地域振興の催しを機に、せっかく絆を結んだ町民と仲良くしていきたいと、本紙の購読推進で、時には月100部を達成するなど、友好拡大の実証を示してきた。
町内会や老人クラブ、同級会など、地域を舞台に、人生の春を謳歌する森本さん。
「広布の思い出は、不思議とみんな寒い時期だよね。二月闘争と聞くと、心が奮い立ちます。苦労に無駄はないねえ」
◇
御書に「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(1253ページ)とある。
厳寒を越えて、見事な花を咲かせる桜のように、必ず悩みや苦しみを勝ち越え、希望の春を迎えていける。
支部の同志一人一人に、その確信があふれていた。
男女共に如来なり」
妙法に行き抜く人は
一人残らず尊貴なり!
異体同心で快進撃を!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
【通解】
日蓮が仏になるための第一の味方は、(大聖人を憎み、命をねらった)東条景信であり、僧侶では(権力と結託し、大聖人を陥れようとした)極楽寺良観、建長寺道隆、道阿弥陀仏であり、また(権力を発動して大聖人を迫害した)平左衛門尉、北条時宗殿である。
彼らがおられなかったならば、日蓮はどうして法華経の行者になれたであろうかと悦んでいる。
〈寸鉄〉 2019年2月26日
人生は何があっても強気でいけ—恩師。青年よ創価の後継らしく堂々進め
�明確な目標�強き祈り�勇敢な行動が勝利の要諦。月々日々に悔いなく
認知症予防に人との語らいが有効と。対話は価値の宝庫。多宝の友が証明
特殊詐欺被害1日当たり1億円。手口も多様化。自分は大丈夫との油断禁物
児童虐待通報・相談通話「189」無料化へ。公明が提言。命守る施策更に
☆地域を歩く 秋田・井川町 2019年2月21日
◇希望の春を確信して
日本が本格的な人口減少社会となって10年ほどが過ぎた。
全国最速で人口減少が進んでいることで知られる秋田県。その中で生じているさまざまな課題と向き合う学会員を訪ねようと、先週末、県都・秋田市から北に30分ほど車を走らせた。
井川町。県のほぼ中央に位置し、東側にある出羽丘陵から、干拓で有名な、西側の八郎潟の調整池へと流れる「井川」に沿って拓けてきた町である。稲作をはじめ、農業が町の基幹産業となってきた。
近年は、鉄道や高速道路などの交通も整備され、都市部で働きながら快適な生活環境を求める人々のベッドタウンとしての役割も担う。
井川町といえば、春を過ぎても、四季折々に桜が楽しめることで有名だ。町内の「日本国花苑」には、全国各地から集められた200種類2000本の桜の木が植えられている。
同町を舞台に活動する学会の支部名(井川さくら支部=筒井一義支部長、菅生裕己婦人部長)にも、「さくら」の名前が入っている。
だが、今は厳しい寒さが続く2月。町は雪で真っ白だ。
井川をさかのぼるように、町の中心部から、山間部へと車を走らせる。しばらくすると、ある集落に到着した。
「ここは、かつて20世帯100人ほどが暮らしていました。現在は、13世帯30人になりました。空き家も5軒あります」
二田一さん(副支部長)。祖父母の代から、この地で生計を立ててきた。
◇厳寒の冬を乗り越え 桜花の人生を共に
現在、父親から受け継いだ稲作をしながら、集落の町内会長や消防団の分団長を務める二田さん。地域への貢献を意識するようになったのは、町にある自動車関連会社に勤めていた20代の頃である。学会3世だったものの、それまでは父の酒乱や、それをどうすることもできない家族への反発もあり、信心に挑戦する意欲が湧かなかった。
やがて、二田さんは自らも酒におぼれた。揚げ句の果てに交通事故を3回も起こしてしまう。気付けば、自分を変えたい一心で、仏壇の前に座っていた。
以来、二田さんは、戸田先生の「信心は一人前、仕事は三人前」との指針を胸に、仕事と学会活動に走るようになった。集落や町の人々との関わりも深まり、さまざまな課題を抱える地域を「どう守ったらいいか」「どう発展させていけるか」と考えながら、行動に移した。
献身の姿に周囲の目は一変。二田さんは昨年、退職と同時に町内会長に推されて就任。とともに、消防団での長年の功労がたたえられ、表彰も受けた。
取材した日も、妻・勝美さん(支部副婦人部長)と一緒に、手際よく集落の雪かきをしていた二田さん。学会員としての誇りを胸に、地域の課題と向き合っていた。
「人口が減少する中で、『一人』の存在が大きくなっていると感じます。一人の行動が地域を変えていくのです」
「気付くと、いつも同志の皆さんに支えられています」
こう語るのは、井川町の浄水場で働く渡部一幸さん(男子部員)。井川町の清らかな水の水源を管理し、町民においしい水を届けている。
皆で一体となって青年部の人材の流れをつくる井川さくら支部の同志。どんな思いで育成に励んでいるのだろうか。
川村金高さん(県長)。施設長を務める特別養護老人ホームを含め、七つの事業を運営し、町の福祉を支えている。
川村さんは、高校でレスリングを始め、全国屈指の強豪校として知られる大学で活躍したものの、卒業後は進路に悩み、なかなか定職に就けずにいた。
福祉関係の仕事に就いたきっかけは、青年部時代に参加した1985年(昭和60年)の第1回「秋田青年平和合唱祭」。
練習に汗を流し、同志と励まし合いながら、合唱祭の成功と、自身の経験を生かせる就職を祈った。
そんな中、見つけたのが、利用者のリハビリ訓練を行う障がい者施設の仕事だった。
働き始めて3年目の27歳の時、川村さんは交通事故に遭い、2日間、意識不明に。同志が何度も集っては回復を祈ってくれ、危機を脱した。
以来、福祉に携わりながら、地域のつながりの希薄化や担い手不足を感じる一方で、支え合いの大切さ、周囲を幸福にすることで得る何ものにも代えがたい充実感を、より深くかみ締めてきた。
川村さんは熱く語る。
「私がそうだったように、今の青年部のメンバーにも、信心を通して、人に尽くす生き方を学んでほしいんです」
昨年、県長となった男鹿勇勝県では、本年、井川さくら支部の菅生弘一さん(ニュー・リーダー)をはじめ、6人の男子部大学校生が誕生した。
「清らかな水の流れとともに、この人材育成の流れが地域の誇りです」と胸を張る川村さん。新たな力を育む喜びを胸に、今日も訪問・激励に走る。
秋田広布のルーツ。
それは、池田先生が1952年(昭和27年)2月、東京・蒲田支部の支部幹事として、同志への激励を重ね、信頼と友情の金字塔を打ち立てた「二月闘争」にある。
当時、秋田の同志は蒲田支部に所属。その後、秋田各地で励ましの連帯が拡大していった。
井川町では、2000年(平成12年)に井川さくら支部が誕生した。
支部の同志が、地域に友好を大きく広げるきっかけとなったのが、05年(同17年)1月に開催した地域振興の催しである。
寒い中、会場を掃除したり、温かな豚汁を振る舞ったりするなど、皆で協力しながら行ったイベントは大成功。町内に喜びが広がった。
以来、支部では、健康セミナーなどを開きながら、地域に幸福のスクラムをつくり続けてきた。
そんな井川さくら支部には、広布の草創期以来、変わらぬ熱意ではつらつと活動する多宝の友も多い。
自転車店を営む遠藤幸雄さん(地区幹事)。「従業員がいないのに、社長、社長と呼ばれてますよ」と笑う。
1938年(昭和13年)、井川町生まれ。現在、81歳。
綿の打ち直しに歩いていた父親の自転車を修理したり、冬用のタイヤに交換したり、幼い頃から自転車に慣れ親しんできた。
中学卒業と同時に、自転車店に弟子入り。10年余りの修業の間、店主から信心を勧められ、56年(同31年)に入会した。
その後、社会や家族にさまざまな変化が起こった。
自動車の普及や少子高齢化で自転車人口が激減。さらに、スーパーやホームセンターなどで自転車を購入する人が増えた。最盛期は地域に5軒ほどあった自転車店は、やがて遠藤さんの店だけになった。
また、妻・キミさん(副白ゆり長)との間に生まれた長女が31歳の若さで亡くなるなど、宿命の嵐が襲った。
だが、遠藤さんの信心への確信は揺るがなかった。82年(同57年)の「雪の秋田指導」や「秋田青年平和合唱祭」を通し、池田先生から受けた励ましが胸に刻まれていた。
他には負けない修理など、アフターサービスの技能を磨いた。たとえ他店で購入した自転車であっても、とにかく顧客に喜んでもらうことを第一に、真心込めて対応した。
やがて、井川町だけでなく、周辺の地域からもわざわざ店を訪れる人が増えていった。
今や自転車店は、地域の人々が憩う場となっている。
そして自転車に関係なく、地域の人々の頼み事が持ち込まれるようになった。
遠藤さんのフットワークは、とても81歳とは思えないほど軽い。そんな姿を見て、周囲の同志はこう呼んでいる。
「生涯、青年ですね」と。
井川町で生まれた森本明子さん(支部副婦人部長)は61年(同36年)8月、家族と共に信心を始めた。当時、高校3年生だった。
入会直後の自身の病気や経済苦に始まり、68年(同43年)の結婚後は、仕事と子育ての両立や義父母の介護、娘の病など、苦難を挙げれば切りがない。
それでも心折れずに前進してこられたのは、池田先生の"宿命転換の祈りは必ずかなう"との確信の励ましがあったから。
森本さんは、地域振興の催しを機に、せっかく絆を結んだ町民と仲良くしていきたいと、本紙の購読推進で、時には月100部を達成するなど、友好拡大の実証を示してきた。
町内会や老人クラブ、同級会など、地域を舞台に、人生の春を謳歌する森本さん。
「広布の思い出は、不思議とみんな寒い時期だよね。二月闘争と聞くと、心が奮い立ちます。苦労に無駄はないねえ」
◇
御書に「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(1253ページ)とある。
厳寒を越えて、見事な花を咲かせる桜のように、必ず悩みや苦しみを勝ち越え、希望の春を迎えていける。
支部の同志一人一人に、その確信があふれていた。
2019年2月25日月曜日
2019.02.25 わが友に贈る
◇今週のことば
「勇気」が扉を開き
「対話」が共感を深め
「誠実」が信頼を築く。
心を動かすのは心だ。
立正安国の挑戦劇を!
2019年2月25日
立正安国論 P17
『旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る』
【通解】
旅客が来て嘆いて言うには、近年から近日に至るまで、天変、地夭、飢饉や疫病があまねく天下に満ち、広く地上にはびこっている。
〈寸鉄〉 2019年2月25日
命を打ち込んで御本尊に祈り抜け—恩師。勝利の力ここに。今日も朗々と
目標達成の秘訣、それは粘り強さだ—学者。さあ栄光の峰へ前進また前進
三寒四温の時こそリズム正しく。食事・睡眠・運動をしっかり。健康が基盤
おれおれ詐欺の被害者8割が「自分は遭わないと思っていた」。油断は禁物
「常に庶民に寄り添ってきたのは公明党」識者。政治は結果。実績で輝け
☆勇気の旗高く 池田先生と岩手 2019年2月18日
◇開拓とは自分自身への挑戦
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は岩手県を掲載する。
◇人材の大河を
岩手県出身の歴史的人物といえば、教育者の新渡戸稲造、詩人の宮沢賢治、富田砕花らの名が挙がる。
池田先生は2002年(平成14年)1月の随筆で、こうした歴史上の逸材を輩出した岩手の地から、妙法の逸材も大河の流れのごとく、続くにちがいないと強調した。
日本第一の広大な県の悠久の天地は、世界第一のすばらしいイーハトーブ(理想郷)である。
「日高見の国」と謳われた岩手の山河は、人を鍛え、豊かにする。陸奥の大動脈・北上の久遠の流れが、不撓の歩みを教えたのか。蒼天に凜と聳える八幡平の雄峰が、不屈の矜持を鍛えたのか。
そしてまた、太平洋の波浪が寄せ来る三陸の絶景が、世界の心を開いたのか。歴史上の逸材も、皆様方の故郷から限りなく輩出している。
おお、妙法の逸材も、大河の流れのごとく、岩手の大道に続きゆくにちがいない。幸福への前進、平和への行進は、いよいよ力強く勢いを増していくだろう。
自分のみの幸せが、私たちの目的ではない。友の笑顔こそが、私たちの勲章である。
「立正安国論」には、厳然と記されている。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐をいのらん者か」(御書31ページ)と。この日蓮大聖人の仰せ通りに、私が敬愛する岩手の同志は、昼となく夜となく、平和のために、無私の奔走をされている。その尊い日々の精進に、私は再び合掌し、心からの大拍手を贈りたい。
諸天善神も、また、同じことだろう。
大好きな岩手の友よ!
頼もしい岩手の友よ!
新しい東北を、世界の東北を、絢爛、燦然と後世の歴史の上に輝かせていくのは、皆様方、岩手の使命であることを、どうか、誇りとしていただきたいのだ。
1999年(同11年)7月の随筆では、使命の大地を力強く駆ける岩手の友の奮闘をたたえた。
岩手の天地は広大である。「未来」という、あまりにも大きい、二十一世紀への不滅の晴れ舞台が、生き生きと待っている。
その地で、使命に活躍される方が、一番、大事である。
御本仏から、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書1467ページ)と託された、不思議なる大菩薩であると、私には思えてならない。
その方々を尊敬し、いっさいを願っていく以外に、広宣流布は達成できない。
わが岩手の同志には、「落胆」という二字はない。「勝利」という二字と、「栄光」という二字しかない。
◇信心の証明者
本年は"水沢指導"から40周年の節目である。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた79年(昭和54年)1月、池田先生は水沢を舞台に、幹部会や自由勤行会、青年部の代表との記念撮影等を行い、限りない励ましを送った。
同12日、先生は水沢文化会館で開かれた岩手県新春記念幹部会の折、仏法における人間の尊厳観・平等観・幸福観を語った。
この世界で、もっとも大切なのは、自分自身である。だれ人たりとも幸福になる権利がある。人生の喜びを満喫していく権利がある。
しかし、現実社会はまさに「三界は安きこと無し 猶火宅の如し」の経文の通りであるといってよい。自分自身の一寸先も分からぬのが、人生の実相なのである。
その幸福への道として仏法がある。政治、経済次元を超克して、自身の宮殿の中の幸福を開きゆくことが信心なのである。御本尊様の功徳は平等大慧であられる。
役職や社会的地位には関係ない。強き信行の人が、はじめて幸福への前進をすることができるのである。皆さん方が勇気をもって、忍耐強く正しい信心を貫いていかれるよう祈ってやまない。
ともどもに仏法家族である。妙法のもとに兄弟である。姉妹である。利害、複雑な社会にあって、人間と人間とが麗しく生き抜いていくことは、幸せなことである。この尊い信心の和合の世界を断じて崩してはならない。
85年(同60年)5月20日、池田先生は岩手県記念代表者会議(岩手文化会館〈現・盛岡文化会館〉)に出席し、懇談的にスピーチ。「岩手広布の新たな人材の城の建設を」と期待を述べつつ、信仰者としての姿勢を語った。
信心しても病気になる人もいる。また、さまざまな事故にあう人もいる。それぞれの境遇と境涯においても、千差万別の姿がある。
この千差万別の人類のなかにあって、千差万別の現証を示していくところに、同じような境遇と境涯の人々に、深く納得せしめゆく信心の証明者となっていける。
したがって、千差万別の境遇の人はそれなりにまた、千差万別の同じ悩みで迷い、生きゆく人々をば救済できるにちがいない。それ自体、偉大な仏の使者なのである。故に、その自分の境遇を信心のうえからみれば、喜びとしなければならないと私は思う。
◇勝利への一念
岩手の友にとって「希望と開拓」は永遠の指針である。
72年(同47年)7月14日、池田先生は盛岡市の岩手県営体育館で行われた3600人との記念撮影会に臨んだ。
席上、先生はこの「希望と開拓」の指針を贈り、「常に十年、二十年先への希望と夢を保ちつつ、自己の運命、そして地域を力強く開拓しゆく人生であり、岩手であってほしい」と呼び掛けた。
のちに、この日が「岩手の日」となった。
先生は2003年(平成15年)2月の随筆で、思い出の記念撮影会を述懐しながら、「希望と開拓」の意義をつづっている。
「希望」は、いずこより来るか。それは「必ず勝つ」「必ずこうしてみせる」という強き一念から起こる。自分の思いこそが未来を創る。「未来の果」は、「現在の因」に納まっているからだ。
そして「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。
人は、誰でも未踏の原野をもっている。それも、どこか遠い彼方ではなく、ごく身近にあるものだ。
苦手だからと、つい避けてきた課題。先入観から「どうせだめだ」と諦めてきたり、「いつかやろう」と思いながら、いつも後回しにして手つかずだった問題……。
最も手強い壁は、実は心の中にある。
ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、「自己拡大の戦い」「人間革命の戦い」を起こすことだ!
「汝自身の原野」に雄々しく挑め! その人こそ、最も勇敢なる開拓者である。
正義は叫び抜かねばならない。声を大にして、声も惜しまず、内にも、外にも、堂々と語るのだ。いな、師子吼するのだ!
御本尊の大功徳を、広布の使命に生きる喜びを、わが同志の敢闘を、そして学会の正義と真実を!
「法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(御書1242ページ)と、大聖人は教えてくださっている。
自分が叫んだ分だけ、幸福の拡大、友情の拡大、栄光の拡大があり、わが身に無量の大功徳が噴き上がるのだ。
「勇気」が扉を開き
「対話」が共感を深め
「誠実」が信頼を築く。
心を動かすのは心だ。
立正安国の挑戦劇を!
2019年2月25日
立正安国論 P17
『旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る』
【通解】
旅客が来て嘆いて言うには、近年から近日に至るまで、天変、地夭、飢饉や疫病があまねく天下に満ち、広く地上にはびこっている。
〈寸鉄〉 2019年2月25日
命を打ち込んで御本尊に祈り抜け—恩師。勝利の力ここに。今日も朗々と
目標達成の秘訣、それは粘り強さだ—学者。さあ栄光の峰へ前進また前進
三寒四温の時こそリズム正しく。食事・睡眠・運動をしっかり。健康が基盤
おれおれ詐欺の被害者8割が「自分は遭わないと思っていた」。油断は禁物
「常に庶民に寄り添ってきたのは公明党」識者。政治は結果。実績で輝け
☆勇気の旗高く 池田先生と岩手 2019年2月18日
◇開拓とは自分自身への挑戦
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は岩手県を掲載する。
◇人材の大河を
岩手県出身の歴史的人物といえば、教育者の新渡戸稲造、詩人の宮沢賢治、富田砕花らの名が挙がる。
池田先生は2002年(平成14年)1月の随筆で、こうした歴史上の逸材を輩出した岩手の地から、妙法の逸材も大河の流れのごとく、続くにちがいないと強調した。
日本第一の広大な県の悠久の天地は、世界第一のすばらしいイーハトーブ(理想郷)である。
「日高見の国」と謳われた岩手の山河は、人を鍛え、豊かにする。陸奥の大動脈・北上の久遠の流れが、不撓の歩みを教えたのか。蒼天に凜と聳える八幡平の雄峰が、不屈の矜持を鍛えたのか。
そしてまた、太平洋の波浪が寄せ来る三陸の絶景が、世界の心を開いたのか。歴史上の逸材も、皆様方の故郷から限りなく輩出している。
おお、妙法の逸材も、大河の流れのごとく、岩手の大道に続きゆくにちがいない。幸福への前進、平和への行進は、いよいよ力強く勢いを増していくだろう。
自分のみの幸せが、私たちの目的ではない。友の笑顔こそが、私たちの勲章である。
「立正安国論」には、厳然と記されている。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐をいのらん者か」(御書31ページ)と。この日蓮大聖人の仰せ通りに、私が敬愛する岩手の同志は、昼となく夜となく、平和のために、無私の奔走をされている。その尊い日々の精進に、私は再び合掌し、心からの大拍手を贈りたい。
諸天善神も、また、同じことだろう。
大好きな岩手の友よ!
頼もしい岩手の友よ!
新しい東北を、世界の東北を、絢爛、燦然と後世の歴史の上に輝かせていくのは、皆様方、岩手の使命であることを、どうか、誇りとしていただきたいのだ。
1999年(同11年)7月の随筆では、使命の大地を力強く駆ける岩手の友の奮闘をたたえた。
岩手の天地は広大である。「未来」という、あまりにも大きい、二十一世紀への不滅の晴れ舞台が、生き生きと待っている。
その地で、使命に活躍される方が、一番、大事である。
御本仏から、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書1467ページ)と託された、不思議なる大菩薩であると、私には思えてならない。
その方々を尊敬し、いっさいを願っていく以外に、広宣流布は達成できない。
わが岩手の同志には、「落胆」という二字はない。「勝利」という二字と、「栄光」という二字しかない。
◇信心の証明者
本年は"水沢指導"から40周年の節目である。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた79年(昭和54年)1月、池田先生は水沢を舞台に、幹部会や自由勤行会、青年部の代表との記念撮影等を行い、限りない励ましを送った。
同12日、先生は水沢文化会館で開かれた岩手県新春記念幹部会の折、仏法における人間の尊厳観・平等観・幸福観を語った。
この世界で、もっとも大切なのは、自分自身である。だれ人たりとも幸福になる権利がある。人生の喜びを満喫していく権利がある。
しかし、現実社会はまさに「三界は安きこと無し 猶火宅の如し」の経文の通りであるといってよい。自分自身の一寸先も分からぬのが、人生の実相なのである。
その幸福への道として仏法がある。政治、経済次元を超克して、自身の宮殿の中の幸福を開きゆくことが信心なのである。御本尊様の功徳は平等大慧であられる。
役職や社会的地位には関係ない。強き信行の人が、はじめて幸福への前進をすることができるのである。皆さん方が勇気をもって、忍耐強く正しい信心を貫いていかれるよう祈ってやまない。
ともどもに仏法家族である。妙法のもとに兄弟である。姉妹である。利害、複雑な社会にあって、人間と人間とが麗しく生き抜いていくことは、幸せなことである。この尊い信心の和合の世界を断じて崩してはならない。
85年(同60年)5月20日、池田先生は岩手県記念代表者会議(岩手文化会館〈現・盛岡文化会館〉)に出席し、懇談的にスピーチ。「岩手広布の新たな人材の城の建設を」と期待を述べつつ、信仰者としての姿勢を語った。
信心しても病気になる人もいる。また、さまざまな事故にあう人もいる。それぞれの境遇と境涯においても、千差万別の姿がある。
この千差万別の人類のなかにあって、千差万別の現証を示していくところに、同じような境遇と境涯の人々に、深く納得せしめゆく信心の証明者となっていける。
したがって、千差万別の境遇の人はそれなりにまた、千差万別の同じ悩みで迷い、生きゆく人々をば救済できるにちがいない。それ自体、偉大な仏の使者なのである。故に、その自分の境遇を信心のうえからみれば、喜びとしなければならないと私は思う。
◇勝利への一念
岩手の友にとって「希望と開拓」は永遠の指針である。
72年(同47年)7月14日、池田先生は盛岡市の岩手県営体育館で行われた3600人との記念撮影会に臨んだ。
席上、先生はこの「希望と開拓」の指針を贈り、「常に十年、二十年先への希望と夢を保ちつつ、自己の運命、そして地域を力強く開拓しゆく人生であり、岩手であってほしい」と呼び掛けた。
のちに、この日が「岩手の日」となった。
先生は2003年(平成15年)2月の随筆で、思い出の記念撮影会を述懐しながら、「希望と開拓」の意義をつづっている。
「希望」は、いずこより来るか。それは「必ず勝つ」「必ずこうしてみせる」という強き一念から起こる。自分の思いこそが未来を創る。「未来の果」は、「現在の因」に納まっているからだ。
そして「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。
人は、誰でも未踏の原野をもっている。それも、どこか遠い彼方ではなく、ごく身近にあるものだ。
苦手だからと、つい避けてきた課題。先入観から「どうせだめだ」と諦めてきたり、「いつかやろう」と思いながら、いつも後回しにして手つかずだった問題……。
最も手強い壁は、実は心の中にある。
ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、「自己拡大の戦い」「人間革命の戦い」を起こすことだ!
「汝自身の原野」に雄々しく挑め! その人こそ、最も勇敢なる開拓者である。
正義は叫び抜かねばならない。声を大にして、声も惜しまず、内にも、外にも、堂々と語るのだ。いな、師子吼するのだ!
御本尊の大功徳を、広布の使命に生きる喜びを、わが同志の敢闘を、そして学会の正義と真実を!
「法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(御書1242ページ)と、大聖人は教えてくださっている。
自分が叫んだ分だけ、幸福の拡大、友情の拡大、栄光の拡大があり、わが身に無量の大功徳が噴き上がるのだ。
2019年2月24日日曜日
2019.02.24 わが友に贈る
「畏れ無きこと
師子王の如く」御聖訓。
いかなる逆境にあろうと
勇敢な実践をつらぬこう!
そこに成長と勝利がある。
開目抄上 P200
『いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ、二辺の中にはいうべし』
【通解】
言わないならば今生では何事も起らないにしても、後生は必ず無間地獄へ堕ちるであろう。言うならば三障四魔が必ず競い起るという事がわかった。二辺のなかでは言うべきである。
〈寸鉄〉 2019年2月24日
会長は一人の人間が世界を変える模範を示した—識者。人間革命の劇、共に
「悪知識を捨てて善友に親近せよ」御書。同志と団結固く。励まし合い前進
苦労した人を信用せよ—恩師。幹部は最も大変な所に飛び込め。姿で光れ
環境に配慮した商品買う倫理的消費が脱プラ推進の力と。意識変革を皆で
はやぶさ2、惑星に着陸。人類史に一頁。不屈の心で我らは友情開拓の一歩
☆3月度男子部「御書活動者会」研さんのために 御義口伝
◇忍耐・智慧・慈悲で勝て! 歓喜の信心に燃え立つ
3月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「御義口伝」を研さん。対話拡大の要諦を学ぶ。
◇御文
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣・当著忍辱鎧是なり座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり室とは慈悲に住して弘むる故なり母の子を思うが如くなり』(御書737ページ)
◇通解
いま日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱える時、この(衣座室の)三軌を一念に成就するのである。衣とは、柔和忍辱の衣であり、(法華経勧持品第13の)「当に忍辱の鎧を著るべし」のことである。座とは、不惜身命の修行で空の座にいるということである。室とは、慈悲の心を持って弘めることであり、母が子を思うようなものである。
◇背景と大意
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て、完成したものと伝えられている。各項目では、経文の一節を挙げ、関連する天台大師、妙楽大師等の釈を引用するなどした上で、「御義口伝に云く……」と、末法の御本仏・日蓮大聖人のお立場からの法華経解釈が展開されている。
今回の研さん範囲は「法師品十六箇の大事」の「第七衣座室の事」。ここでは、法師品第10に説かれる経文を挙げ、釈尊滅後の弘教の在り方を示されている。
◇解説
昨年9月8日に池田先生の小説『新・人間革命』が完結してから、私たちは、初めての3・16「広宣流布記念の日」を迎える。
「創価の三代の師弟の魂」を受け継ぐ使命を胸に刻み、仏縁を一段と拡大し、後継の証しを打ち立てていきたい。
対話の実践においては、相手に真心で語っても、時に反発されることもあるだろう。それでも諦めず、友の幸福を願い、粘り強く語り抜いていくことこそが、地涌の使命にほかならない。
法華経法師品には、末法において仏法を語り広げていく上で、相手の仏性を薫発するための三つの「方軌」(=のっとるべき基準)が説かれている。それが「衣座室の三軌」である。
「三軌」とは、�柔和な気持ちで忍耐強い「柔和忍辱」の心を持つこと、�あらゆる事物・事象(=一切法)には固定的な不変の実体がなく、その本質は「空」であるとの真理に基づくこと、�「大慈悲心」を起こすこと、である。「柔和忍辱」が「如来の衣」、「一切法空」が「如来の座」、「大慈悲心」が「如来の室」であると説かれるため、「衣座室の三軌」と呼ばれる。
この「衣座室の三軌」について御指南されているのが、今回の拝読御文である。ここでは、「三軌」の一つずつに解釈を加えられている。
�「衣」とは、柔和忍辱の衣・忍辱の鎧を着ること——すなわち、どんな反発や非難の風にも紛動されず、穏やかで悠然たる態度を貫く、忍耐の心の大切さを示されている。
�「座」とは、何ものにも執着しない不惜身命の修行で空の座に座るということ——すなわち、広布のために人生をささげていこうという不惜身命の信心によって、自在の智慧を開いていけるとの仰せである。
�「室」とは、母が子を思うように、慈悲を持って妙法を弘めること——すなわち、どこまでも相手を尊敬して大切にし、一緒に幸福になっていこうという慈悲の心こそ肝要であるとの仰せと拝せよう。
拝読御文の前半では、自行化他にわたって南無妙法蓮華経と唱える私たちは、この「衣座室の三軌」を一念(=一瞬の命)に成就すると仰せである。題目を唱え弘める修行によって、忍耐と智慧と慈悲という「仏の徳」が具わると示されているのである。
池田先生はこの御文を拝して語られている。
「信心の『一念』に、徳が成就するのです。特別な力などなくともよい、妙法を唱える歓喜、妙法を語れる歓喜に燃えていることが、いちばん大事なことです。その歓喜の信心に『衣座室の三軌』は含まれるのです。慈悲・忍耐・智慧の徳が含まれているのです」
師が世界広布の方程式を示された『新・人間革命』が完結し、いよいよ弟子が全責任を担って立ち上がる「新時代」を迎えた。創価班・牙城会の「新時代1期生」も全国各地で誕生し、歓喜の前進を開始している。
弟子が後継の誓いを新たにする3月。私たちは"新しい力"と共に、使命に生きる喜びに心を弾ませながら、自他共の幸福のため、立正安国のため、勢いよく対話に打って出ようではないか!
師子王の如く」御聖訓。
いかなる逆境にあろうと
勇敢な実践をつらぬこう!
そこに成長と勝利がある。
開目抄上 P200
『いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ、二辺の中にはいうべし』
【通解】
言わないならば今生では何事も起らないにしても、後生は必ず無間地獄へ堕ちるであろう。言うならば三障四魔が必ず競い起るという事がわかった。二辺のなかでは言うべきである。
〈寸鉄〉 2019年2月24日
会長は一人の人間が世界を変える模範を示した—識者。人間革命の劇、共に
「悪知識を捨てて善友に親近せよ」御書。同志と団結固く。励まし合い前進
苦労した人を信用せよ—恩師。幹部は最も大変な所に飛び込め。姿で光れ
環境に配慮した商品買う倫理的消費が脱プラ推進の力と。意識変革を皆で
はやぶさ2、惑星に着陸。人類史に一頁。不屈の心で我らは友情開拓の一歩
☆3月度男子部「御書活動者会」研さんのために 御義口伝
◇忍耐・智慧・慈悲で勝て! 歓喜の信心に燃え立つ
3月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「御義口伝」を研さん。対話拡大の要諦を学ぶ。
◇御文
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣・当著忍辱鎧是なり座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり室とは慈悲に住して弘むる故なり母の子を思うが如くなり』(御書737ページ)
◇通解
いま日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱える時、この(衣座室の)三軌を一念に成就するのである。衣とは、柔和忍辱の衣であり、(法華経勧持品第13の)「当に忍辱の鎧を著るべし」のことである。座とは、不惜身命の修行で空の座にいるということである。室とは、慈悲の心を持って弘めることであり、母が子を思うようなものである。
◇背景と大意
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て、完成したものと伝えられている。各項目では、経文の一節を挙げ、関連する天台大師、妙楽大師等の釈を引用するなどした上で、「御義口伝に云く……」と、末法の御本仏・日蓮大聖人のお立場からの法華経解釈が展開されている。
今回の研さん範囲は「法師品十六箇の大事」の「第七衣座室の事」。ここでは、法師品第10に説かれる経文を挙げ、釈尊滅後の弘教の在り方を示されている。
◇解説
昨年9月8日に池田先生の小説『新・人間革命』が完結してから、私たちは、初めての3・16「広宣流布記念の日」を迎える。
「創価の三代の師弟の魂」を受け継ぐ使命を胸に刻み、仏縁を一段と拡大し、後継の証しを打ち立てていきたい。
対話の実践においては、相手に真心で語っても、時に反発されることもあるだろう。それでも諦めず、友の幸福を願い、粘り強く語り抜いていくことこそが、地涌の使命にほかならない。
法華経法師品には、末法において仏法を語り広げていく上で、相手の仏性を薫発するための三つの「方軌」(=のっとるべき基準)が説かれている。それが「衣座室の三軌」である。
「三軌」とは、�柔和な気持ちで忍耐強い「柔和忍辱」の心を持つこと、�あらゆる事物・事象(=一切法)には固定的な不変の実体がなく、その本質は「空」であるとの真理に基づくこと、�「大慈悲心」を起こすこと、である。「柔和忍辱」が「如来の衣」、「一切法空」が「如来の座」、「大慈悲心」が「如来の室」であると説かれるため、「衣座室の三軌」と呼ばれる。
この「衣座室の三軌」について御指南されているのが、今回の拝読御文である。ここでは、「三軌」の一つずつに解釈を加えられている。
�「衣」とは、柔和忍辱の衣・忍辱の鎧を着ること——すなわち、どんな反発や非難の風にも紛動されず、穏やかで悠然たる態度を貫く、忍耐の心の大切さを示されている。
�「座」とは、何ものにも執着しない不惜身命の修行で空の座に座るということ——すなわち、広布のために人生をささげていこうという不惜身命の信心によって、自在の智慧を開いていけるとの仰せである。
�「室」とは、母が子を思うように、慈悲を持って妙法を弘めること——すなわち、どこまでも相手を尊敬して大切にし、一緒に幸福になっていこうという慈悲の心こそ肝要であるとの仰せと拝せよう。
拝読御文の前半では、自行化他にわたって南無妙法蓮華経と唱える私たちは、この「衣座室の三軌」を一念(=一瞬の命)に成就すると仰せである。題目を唱え弘める修行によって、忍耐と智慧と慈悲という「仏の徳」が具わると示されているのである。
池田先生はこの御文を拝して語られている。
「信心の『一念』に、徳が成就するのです。特別な力などなくともよい、妙法を唱える歓喜、妙法を語れる歓喜に燃えていることが、いちばん大事なことです。その歓喜の信心に『衣座室の三軌』は含まれるのです。慈悲・忍耐・智慧の徳が含まれているのです」
師が世界広布の方程式を示された『新・人間革命』が完結し、いよいよ弟子が全責任を担って立ち上がる「新時代」を迎えた。創価班・牙城会の「新時代1期生」も全国各地で誕生し、歓喜の前進を開始している。
弟子が後継の誓いを新たにする3月。私たちは"新しい力"と共に、使命に生きる喜びに心を弾ませながら、自他共の幸福のため、立正安国のため、勢いよく対話に打って出ようではないか!
2019年2月23日土曜日
2019.02.23 わが友に贈る
心に垣根をつくらず
あらゆる人に
仏縁を広げよう!
勇んで飛び込めば
感激のドラマが始まる。
四条金吾殿御書 P1112
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば種種の大難雨のごとくふり雲のごとくにわき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』
【通解】
日蓮は法華弘通によりこれらの業障を消し果てて未来は霊山浄土に往くことができるのであるから、種種の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、それは法華経のためであるので、苦をも苦と思わない。
〈寸鉄〉 2019年2月23日
試練に行き当たった時こそ前進の炎燃やせ—牧口先生。題目の利剣で突破
九州婦人部の日。対話の大輪咲かせる先駆の母!幸福勝利の春風を断固と
幹部は全員に光を!仏法は桜梅桃李。皆の長所を重ねれば力は2倍3倍に
人は内面を改善するほど社会生活でも活躍—文豪堂々と人間革命の大道を
携帯やカーナビ操作等の「ながら運転」は死亡事故比率が約2倍。絶対厳禁
☆四季の励まし 語った分だけ幸福は広がる 2019年2月17日
足元の地域から、
全ては始まる。
地域を学び、地域に根を張り、
地域の人びととつながる。
その地道な草の根の行動から、
時代を変える大事業が生まれる。
どんな友情も、
最初は知らない者同士の
出会いである。
自分が引っ込み思案では、
友情も深まらない。
勇気をもって、挨拶する、
会う、語る、縁を結ぶ——
この日常の
誠実な振る舞いのなかにこそ、
わが生命の宇宙を伸びやかに
開発しゆく人間革命もあるのだ。
自ら動いた分だけ、
歩いた分だけ、語った分だけ、
わが地域の
"平和の地図"は拡大する。
祈りに祈り、
心を砕いた分だけ、
"幸福の地図"は
光を放っていくのだ。
私どもの発する「声」が、
広宣流布を前進させる。
今、語らなければ、
後々まで後悔を残してしまう。
未来の「果」は、
現在の「因」にある。
創価の勝利のため、
自身の三世にわたる幸福のために、
今こそ勇敢に、
しゃべりまくることである。
何のための一生なのか。
人生、いかに生きるべきか。
この問いに答え、
所願満足の一生を送り、
しかも、他者の幸福を支え、
社会の繁栄と
平和建設に貢献していく——
これ以上の「心の財」はない。
そして、この「心の財」は永遠だ。
イギリス・ロンドン郊外の街並み。美しい木々の緑の中に、赤茶色の屋根と白い壁が映える。1994年(平成6年)6月、池田大作先生が機中からシャッターを切った。
池田先生は同国訪問の折、広布開拓に奮闘する世界の友に呼び掛けた。
「その国の広宣流布のために、その国の幸福のために戦いぬいた人は、必ず、その国の、また世界の大長者、大指導者と生まれる。ゆえに今世を悔いなく、思い切り行動しぬくことである」
私たちの対話は、全てが仏縁の拡大。勇んで動けば「歴史」ができる。さあ、きょうも足取り軽く、友のもとへ。心通う語らいで、地域に友情と信頼の花を咲かせよう。
あらゆる人に
仏縁を広げよう!
勇んで飛び込めば
感激のドラマが始まる。
四条金吾殿御書 P1112
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば種種の大難雨のごとくふり雲のごとくにわき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』
【通解】
日蓮は法華弘通によりこれらの業障を消し果てて未来は霊山浄土に往くことができるのであるから、種種の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、それは法華経のためであるので、苦をも苦と思わない。
〈寸鉄〉 2019年2月23日
試練に行き当たった時こそ前進の炎燃やせ—牧口先生。題目の利剣で突破
九州婦人部の日。対話の大輪咲かせる先駆の母!幸福勝利の春風を断固と
幹部は全員に光を!仏法は桜梅桃李。皆の長所を重ねれば力は2倍3倍に
人は内面を改善するほど社会生活でも活躍—文豪堂々と人間革命の大道を
携帯やカーナビ操作等の「ながら運転」は死亡事故比率が約2倍。絶対厳禁
☆四季の励まし 語った分だけ幸福は広がる 2019年2月17日
足元の地域から、
全ては始まる。
地域を学び、地域に根を張り、
地域の人びととつながる。
その地道な草の根の行動から、
時代を変える大事業が生まれる。
どんな友情も、
最初は知らない者同士の
出会いである。
自分が引っ込み思案では、
友情も深まらない。
勇気をもって、挨拶する、
会う、語る、縁を結ぶ——
この日常の
誠実な振る舞いのなかにこそ、
わが生命の宇宙を伸びやかに
開発しゆく人間革命もあるのだ。
自ら動いた分だけ、
歩いた分だけ、語った分だけ、
わが地域の
"平和の地図"は拡大する。
祈りに祈り、
心を砕いた分だけ、
"幸福の地図"は
光を放っていくのだ。
私どもの発する「声」が、
広宣流布を前進させる。
今、語らなければ、
後々まで後悔を残してしまう。
未来の「果」は、
現在の「因」にある。
創価の勝利のため、
自身の三世にわたる幸福のために、
今こそ勇敢に、
しゃべりまくることである。
何のための一生なのか。
人生、いかに生きるべきか。
この問いに答え、
所願満足の一生を送り、
しかも、他者の幸福を支え、
社会の繁栄と
平和建設に貢献していく——
これ以上の「心の財」はない。
そして、この「心の財」は永遠だ。
イギリス・ロンドン郊外の街並み。美しい木々の緑の中に、赤茶色の屋根と白い壁が映える。1994年(平成6年)6月、池田大作先生が機中からシャッターを切った。
池田先生は同国訪問の折、広布開拓に奮闘する世界の友に呼び掛けた。
「その国の広宣流布のために、その国の幸福のために戦いぬいた人は、必ず、その国の、また世界の大長者、大指導者と生まれる。ゆえに今世を悔いなく、思い切り行動しぬくことである」
私たちの対話は、全てが仏縁の拡大。勇んで動けば「歴史」ができる。さあ、きょうも足取り軽く、友のもとへ。心通う語らいで、地域に友情と信頼の花を咲かせよう。
2019年2月22日金曜日
2019.02.22 わが友に贈る
行き詰ったら
一人で悩まないことだ。
見栄や気取りを捨て
周囲に相談することが
解決への突破口だ。
三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顛倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず』
【通解】
生と死というものは、九界の迷いのなか、あたかも夢の中での立て分けなのであり、それは凡夫の迷った、ひっくりかえった考えなのです。仏の覚めた悟りから生命を究明していけば、生まれてくる初めもなく、したがって死んでいく終りもないのです。いわゆる生死というものからは超越しているのが生命です。
ですから、生命そのものは人間世界が破滅するとき起こる大火ににも焼けず、どんな水害にも滅びません。また刀でも切ることができず、弓矢でいることもできません。
さらに生命というのものは、極めて小さいケシのなかに入れてもケシが広がるのでもなく、生命が縮まるというものでもありません。大空に満ちわたらせても、大空が広すぎるということもなく、生命が狭すぎるというものでもないのです。
〈寸鉄〉 2019年2月22日
「苦労した分だけ生命の宝器は強く豊かに」恩師。激闘こそ青春!勇み挑戦
鳥取広布原点の日。山光の天地に凱歌の歴史開け民衆の底力を今こそ発揮
誠は心の最も神聖な宝—哲人。真剣そして大誠実の対話で敵をも味方に!
学校に通えぬ子供が2億人以上と。教育即平和だ。国境超えた支援強化急務
一番私たちの提言を受け入れてくれたのが公明—青年団体。衆望担い走れ
☆勇気の旗高く 池田先生と長野 2019年2月15日
◇信濃の同志は絶対に信頼できる
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は長野県を掲載する。
◇「師弟不二」の天地
池田先生の長野初訪問は1957年(昭和32年)8月。その折、池田先生は、第2代会長の恩師・戸田先生と語らい、小説『人間革命』の執筆の思いを定めた。奇しくもその日は、池田先生と戸田先生の初めての出会いから満10年の日だった。
私は、戸田先生に呼ばれ、この軽井沢の地を訪れた。
当時、私は29歳。この時が初めての長野訪問であった。
戸田先生の最後の夏をともに過ごした、ここ軽井沢は、忘れ得ぬ「師弟不二」の天地である。
当時、戸田先生のお体はそうとう衰弱されていた。私は心に先生の死を予感し覚悟しつつ、小説『人間革命』の執筆を固く心に誓った。
世間は戸田先生に対して、さまざまに誤解し、批判・中傷したが、戸田先生の「真実」は、そばで仕えきった人間にしかわからない。ゆえに私は、戸田先生の弟子として、先生の「真実」を断じて書き残したい、この偉大な師匠の「栄冠の人生」「勝利の人生」を満天下に示してみせる、と心に決めた。
◇反転攻勢の舞台
本年は、第1次宗門事件の折、第3代会長を辞任した池田先生が、長野研修道場に初めて訪れ、功労者をはじめ同志への訪問・激励を開始してから40年となる。
先生は、長野各地を駆け巡り、愛する長野の友に、渾身の励ましを送ってきた。
1979年(昭和54年)、仏意仏勅の学会は、吹き荒れる猶多怨嫉の嵐の中、「雌伏」から「雄飛」への反転攻勢を、ここ信濃から開始したのだ。
軽井沢をはじめ佐久、小諸、東御、上田、丸子と、変わらざる功労の友どちとの金の出会いも蘇る。
また、松本、長野、須坂、更埴、川中島、諏訪、茅野、岡谷、塩尻、伊那、飯田、駒ケ根等々、各地で共戦譜を綴ってきた。
雄大なアルプス、詩情あふれる千曲川、ロマンの松本城、水冴える上高地、緑光る志賀高原、豊かな実りの菅平、若人と浩然の気を養った霧ケ峰——。麗しき舞台で、同志とつくった「今生人界の思出」(御書467ページ)は不滅である。さらに、憧れの木曽路、安曇野や大町をはじめ、いずこにも、心通い合う不二の同志が躍動している。
◇本物の一人に
長野の誇りは、師弟有縁の二つの研修道場である。池田先生が「創価の師弟の生命錬磨の大城」と呼んだ長野研修道場、そして「天に一番近い研修道場」と語った長野青年研修道場である。
先生は、両研修道場で数々の指導を残し、人材を、そして青年を育成してきた。
庶民。弱いように見えて、これほど強い存在はない。"強者"が、いかに見くだし、いじめ、苦しめようと、庶民には、旺盛な"生きぬく力"がある。現実の大地に深く根をおろした、たくましさがあり、知恵がある。一個の「人間」としての輝きがある。
その庶民のただ中に飛び込み、庶民とともに、みずからも一個の庶民として歩む——学会の強さは、ここにある。そして、どこまでも民衆を、守りに守りぬいていく——それが学会の精神である。
自分の「限界を超える」戦いを、一回でやめるか、二回、三回、そして生涯続けるか。天才と平凡人といっても、その違いがあるだけなんだ。
結局、「自分に勝つ」以外に、道は開けない。人がうらやましく見える時もあるかもしれない。しかし、人は人、自分は自分だ。他人と比べて一喜一憂するよりも、自分の状況のなかで、自分の今の「限界」を乗り越えることだ。それを続けられる人こそが、人間としての真の「勝利者」であり「天才」なんだよ。
私は、青年部に、そうした「本物の一人」になってほしいのだ。精鋭だよ。「本物の一人」を残せば、そこからいくらでも勝利は広がっていくのだから。
すべては、一人の青年の戦いで決まる。一人の庶民の勝利が一切を変えていく。社会の中で、生活の中で、現実の中で、何があってもはつらつと、たくましく、トップランナーとして走りぬいていく。そこにこそ、わが学会の、新しい勝利が生まれる。栄光と希望が生まれる。凱旋の万歳が響きわたる。
だれがやらなくとも、自分が勝てばよいのである。自分が本物であればよいのである。私も、その決心で走り続けている。
一人が百万人の力を出すことがある。反対に、一人のために百万人が犠牲になることもある。
「一人」が大切なのである。「一人」を、おろそかにしてはならない。「一人」を励まし、伸ばす以外にない。
学会員の皆さまは、尊貴なる「地涌の菩薩」である。
最も尊き「平和の闘士」である。「文化の戦人」である。「人道の勇者」である。
いつもいつも一生懸命に戦い続けておられる。あまりにもけなげである。あまりにもいじらしい。ゆえに私は、わが同志を最大に讃嘆したい。無量に称讃したい。永遠に顕彰申し上げたい。
◇模範の人材山脈
池田先生は昨年8月6日、長野研修道場で小説『新・人間革命』の最後の章を脱稿した。同じ長野で、『新・人間革命』執筆を開始してから、ちょうど25年の節目だった。
この間、長野の友は、「創価信濃大学校」を軸に、小説を皆で読み合いながら、自他共の人間革命のスクラムを広げてきた。
私にとって何よりうれしいことは、今、長野に、模範の人材山脈が聳え、幸と福徳の花が咲き薫り、そして後継の青年の大河が滔々と流れ通っていることである。
長野のこの街でも、あの村でも、わが友は地域の依怙依託と輝き、いよいよ社会に貢献し、友好を深めて、「立正安国」の勝利の光を広げてくれている。
その英姿に私は妻と合掌し、無事安穏であれ! 健康長寿であれ! と題目を送る日々である。
そして、長野から「世界広布」の永遠の光をと、私はいやまして一念を強めている。
御聖訓には、「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)と仰せである。
「信濃」すなわち「信」の「濃き」人びと——その名の如く、信濃の同志は信義に篤い。絶対に信頼できる。
今、世界の友が集い来る広宣流布大誓堂は、東京・新宿区の信濃町に立つ。不思議にも、世界広布の本陣も「信濃」である。
私は、広宣流布の誓願を共に貫き通す学会精神の真髄は「信濃」にあり! 正しき信心は「信濃家族」に学べ! そう、声高らかに叫び切っていきたいのである。
私は、長野が大好きだ。
私は、長野を信ずる。
私の心は、長野の光の友と離れることはない。
さあ、これからも、私と一緒に! 同志と一緒に!
我らの広布の決勝点へ、どこまでも手を携えて、楽しく賢く朗らかに勝ち進んでいこうではないか!
未来永遠に!
長野は池田先生が手作りで築き上げてきた広布の師弟城である。県歌「信濃の歌」を高らかに歌いながら、新たな歴史を開く破竹の前進が、長野のあの地、この地で始まっている。
一人で悩まないことだ。
見栄や気取りを捨て
周囲に相談することが
解決への突破口だ。
三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顛倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず』
【通解】
生と死というものは、九界の迷いのなか、あたかも夢の中での立て分けなのであり、それは凡夫の迷った、ひっくりかえった考えなのです。仏の覚めた悟りから生命を究明していけば、生まれてくる初めもなく、したがって死んでいく終りもないのです。いわゆる生死というものからは超越しているのが生命です。
ですから、生命そのものは人間世界が破滅するとき起こる大火ににも焼けず、どんな水害にも滅びません。また刀でも切ることができず、弓矢でいることもできません。
さらに生命というのものは、極めて小さいケシのなかに入れてもケシが広がるのでもなく、生命が縮まるというものでもありません。大空に満ちわたらせても、大空が広すぎるということもなく、生命が狭すぎるというものでもないのです。
〈寸鉄〉 2019年2月22日
「苦労した分だけ生命の宝器は強く豊かに」恩師。激闘こそ青春!勇み挑戦
鳥取広布原点の日。山光の天地に凱歌の歴史開け民衆の底力を今こそ発揮
誠は心の最も神聖な宝—哲人。真剣そして大誠実の対話で敵をも味方に!
学校に通えぬ子供が2億人以上と。教育即平和だ。国境超えた支援強化急務
一番私たちの提言を受け入れてくれたのが公明—青年団体。衆望担い走れ
☆勇気の旗高く 池田先生と長野 2019年2月15日
◇信濃の同志は絶対に信頼できる
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は長野県を掲載する。
◇「師弟不二」の天地
池田先生の長野初訪問は1957年(昭和32年)8月。その折、池田先生は、第2代会長の恩師・戸田先生と語らい、小説『人間革命』の執筆の思いを定めた。奇しくもその日は、池田先生と戸田先生の初めての出会いから満10年の日だった。
私は、戸田先生に呼ばれ、この軽井沢の地を訪れた。
当時、私は29歳。この時が初めての長野訪問であった。
戸田先生の最後の夏をともに過ごした、ここ軽井沢は、忘れ得ぬ「師弟不二」の天地である。
当時、戸田先生のお体はそうとう衰弱されていた。私は心に先生の死を予感し覚悟しつつ、小説『人間革命』の執筆を固く心に誓った。
世間は戸田先生に対して、さまざまに誤解し、批判・中傷したが、戸田先生の「真実」は、そばで仕えきった人間にしかわからない。ゆえに私は、戸田先生の弟子として、先生の「真実」を断じて書き残したい、この偉大な師匠の「栄冠の人生」「勝利の人生」を満天下に示してみせる、と心に決めた。
◇反転攻勢の舞台
本年は、第1次宗門事件の折、第3代会長を辞任した池田先生が、長野研修道場に初めて訪れ、功労者をはじめ同志への訪問・激励を開始してから40年となる。
先生は、長野各地を駆け巡り、愛する長野の友に、渾身の励ましを送ってきた。
1979年(昭和54年)、仏意仏勅の学会は、吹き荒れる猶多怨嫉の嵐の中、「雌伏」から「雄飛」への反転攻勢を、ここ信濃から開始したのだ。
軽井沢をはじめ佐久、小諸、東御、上田、丸子と、変わらざる功労の友どちとの金の出会いも蘇る。
また、松本、長野、須坂、更埴、川中島、諏訪、茅野、岡谷、塩尻、伊那、飯田、駒ケ根等々、各地で共戦譜を綴ってきた。
雄大なアルプス、詩情あふれる千曲川、ロマンの松本城、水冴える上高地、緑光る志賀高原、豊かな実りの菅平、若人と浩然の気を養った霧ケ峰——。麗しき舞台で、同志とつくった「今生人界の思出」(御書467ページ)は不滅である。さらに、憧れの木曽路、安曇野や大町をはじめ、いずこにも、心通い合う不二の同志が躍動している。
◇本物の一人に
長野の誇りは、師弟有縁の二つの研修道場である。池田先生が「創価の師弟の生命錬磨の大城」と呼んだ長野研修道場、そして「天に一番近い研修道場」と語った長野青年研修道場である。
先生は、両研修道場で数々の指導を残し、人材を、そして青年を育成してきた。
庶民。弱いように見えて、これほど強い存在はない。"強者"が、いかに見くだし、いじめ、苦しめようと、庶民には、旺盛な"生きぬく力"がある。現実の大地に深く根をおろした、たくましさがあり、知恵がある。一個の「人間」としての輝きがある。
その庶民のただ中に飛び込み、庶民とともに、みずからも一個の庶民として歩む——学会の強さは、ここにある。そして、どこまでも民衆を、守りに守りぬいていく——それが学会の精神である。
自分の「限界を超える」戦いを、一回でやめるか、二回、三回、そして生涯続けるか。天才と平凡人といっても、その違いがあるだけなんだ。
結局、「自分に勝つ」以外に、道は開けない。人がうらやましく見える時もあるかもしれない。しかし、人は人、自分は自分だ。他人と比べて一喜一憂するよりも、自分の状況のなかで、自分の今の「限界」を乗り越えることだ。それを続けられる人こそが、人間としての真の「勝利者」であり「天才」なんだよ。
私は、青年部に、そうした「本物の一人」になってほしいのだ。精鋭だよ。「本物の一人」を残せば、そこからいくらでも勝利は広がっていくのだから。
すべては、一人の青年の戦いで決まる。一人の庶民の勝利が一切を変えていく。社会の中で、生活の中で、現実の中で、何があってもはつらつと、たくましく、トップランナーとして走りぬいていく。そこにこそ、わが学会の、新しい勝利が生まれる。栄光と希望が生まれる。凱旋の万歳が響きわたる。
だれがやらなくとも、自分が勝てばよいのである。自分が本物であればよいのである。私も、その決心で走り続けている。
一人が百万人の力を出すことがある。反対に、一人のために百万人が犠牲になることもある。
「一人」が大切なのである。「一人」を、おろそかにしてはならない。「一人」を励まし、伸ばす以外にない。
学会員の皆さまは、尊貴なる「地涌の菩薩」である。
最も尊き「平和の闘士」である。「文化の戦人」である。「人道の勇者」である。
いつもいつも一生懸命に戦い続けておられる。あまりにもけなげである。あまりにもいじらしい。ゆえに私は、わが同志を最大に讃嘆したい。無量に称讃したい。永遠に顕彰申し上げたい。
◇模範の人材山脈
池田先生は昨年8月6日、長野研修道場で小説『新・人間革命』の最後の章を脱稿した。同じ長野で、『新・人間革命』執筆を開始してから、ちょうど25年の節目だった。
この間、長野の友は、「創価信濃大学校」を軸に、小説を皆で読み合いながら、自他共の人間革命のスクラムを広げてきた。
私にとって何よりうれしいことは、今、長野に、模範の人材山脈が聳え、幸と福徳の花が咲き薫り、そして後継の青年の大河が滔々と流れ通っていることである。
長野のこの街でも、あの村でも、わが友は地域の依怙依託と輝き、いよいよ社会に貢献し、友好を深めて、「立正安国」の勝利の光を広げてくれている。
その英姿に私は妻と合掌し、無事安穏であれ! 健康長寿であれ! と題目を送る日々である。
そして、長野から「世界広布」の永遠の光をと、私はいやまして一念を強めている。
御聖訓には、「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)と仰せである。
「信濃」すなわち「信」の「濃き」人びと——その名の如く、信濃の同志は信義に篤い。絶対に信頼できる。
今、世界の友が集い来る広宣流布大誓堂は、東京・新宿区の信濃町に立つ。不思議にも、世界広布の本陣も「信濃」である。
私は、広宣流布の誓願を共に貫き通す学会精神の真髄は「信濃」にあり! 正しき信心は「信濃家族」に学べ! そう、声高らかに叫び切っていきたいのである。
私は、長野が大好きだ。
私は、長野を信ずる。
私の心は、長野の光の友と離れることはない。
さあ、これからも、私と一緒に! 同志と一緒に!
我らの広布の決勝点へ、どこまでも手を携えて、楽しく賢く朗らかに勝ち進んでいこうではないか!
未来永遠に!
長野は池田先生が手作りで築き上げてきた広布の師弟城である。県歌「信濃の歌」を高らかに歌いながら、新たな歴史を開く破竹の前進が、長野のあの地、この地で始まっている。
2019年2月21日木曜日
2019.02.21 わが友に贈る
どんな小さな一歩でも
踏み出せば頂に近づく。
「進まざる退転」だ。
大切な一日一日
昨日の自分に勝とう!
法華経題目抄 P947
『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』
【通解】
妙とは蘇生という意味である。蘇生とは蘇るということである。
〈寸鉄〉 2019年2月21日
「わたうども二陣三陣つづきて」御書。君よ対話の先駆を。勇敢に正義叫べ
人材の創価学会でいけ—恩師。時代開くのは常に新しい力。励まし伸ばせ
良い人間関係を築く要諦は相手への共感と。聞き上手に。リーダーは銘記
あおり運転の摘発、1年で倍増—警察庁。自分も周囲も不幸。断じて撲滅
はしか患者、過去10年間で最多ペース。予防接種など万全に。健康こそ宝
☆勇気の旗高く 池田先生と広島 2019年2月11日
◇「歓喜の題目」を轟かせよ
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は広島県を掲載する。
◇平和運動の命運
1975年(昭和50年)11月8日、広島を訪問した池田先生は、平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に祈りをささげた。この折の真情を、後にこうつづっている。
「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」
前年(74年)から、先生は中国に3回、ソ連に2回、足を運び、対立関係にあった両国の和解へ、民間外交を展開。75年1月には、青年部による1000万の核廃絶署名を国連事務総長に手渡している。同月にはSGIが発足した。
先生が小説『新・人間革命』の筆を執ったのは、93年(平成5年)8月6日。「広島原爆の日」を選んでのことだった。冒頭の一節には、烈々たる決意が凝結している。
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
この「根本の第一歩」を、先生は広島の友と踏み出し、平和の尊さを訴え続けた。
私が恩師の後を継ぎ、世界にその思想を宣揚できたのも、行動があったからこそです。仏法運動の、世界への現実の広がりがあって初めて説得力をもち、世界の知性の注目を集めたのです。
広島は、創価学会の平和と文化の運動にとって急所の、中心的役割を担う地であります。
広島こそ、SGIの平和運動の命運を担っております。それだけに、日常活動の繰り返しが大事なのです。
どうか「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)を胸に、私とともに、生涯、誉れの法戦に、動いて動いて動き抜いてください。
◇唱題も高らかに
「人体には大切な"心臓"がある。組織にも"心臓部"というべき、発展への急所がある」——先生は広島の呉こそ中国方面の心臓部であると述べ、全幅の信頼を寄せている。
第1次宗門事件の渦中で、反転攻勢の対話に打って出た呉の同志は、80年(昭和55年)から5年連続で中国一の弘教を成し遂げた。その破竹の快進撃が、中国全体を奮い立たせたのだ。
躍進の息吹みなぎる呉広布30周年記念の幹部会(84年10月26日)。先生は「呉が動けば、広島が動く。広島が動けば、中国が動く」と、偉大な広布の歩みをたたえた。
入信間もなくのこと、御書を拝し、胸に刻まれたのは、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(同970ページ)との御金言であった。信心は一生成仏のための信心である。全ては、この一生をどう過ごしたかで決まる。
どのように最極の幸せの人生を生きるかが最大の課題である。それぞれの専門の道に人生の価値を見いだす人も多い。また財宝や名誉、地位を得ることを人生の価値とする人もいる。しかし、それらは永遠ではない。いつしか崩れゆくし、むなしさを感じる時が必ずあるものだ。
永遠にして不滅、最極にして最高善の御本尊を信受し、日夜、唱題に励みながら広宣流布へと生きゆくことこそ、最極の人生の道なのである。
その人こそ悔いなく我が人生を生きている人なのである。あらゆる人生の風雪、障魔の嵐にも負けず、妙法の勇者として悠然と胸を張り、唱題も高らかに広布に進みゆくことが最極善の人生である。
呉の友が社会の厳しさの中で"信心で喜びと希望をもって進んでいる"とうかがい、本当にうれしく思った。この確信と深い境涯の人生こそ、栄えゆく人生であるとともに、信心の偉大なる勝利者の姿なのである。どうか、この呉の地に、いかなる嵐にも崩されない難攻不落の人材の陣列を築き上げていただきたい。
◇見事なる実証を
広島第2の都市・福山は「備後都市圏」の中心である。
池田先生の福山訪問は6度を数える。そのたびに、中国方面のみならず、全国へ拡大の波動を送りゆく電源地・福山の使命を訴えてきた。
備後広布30周年を記念する集い(83年12月11日)では、日蓮仏法への絶対の確信こそが広宣流布の根本であると述べ、勝利の人生をと望んだ。
どの地にあっても、広布への炎を燃やし、他の地域に波動を与えゆく電源地となる国土世間がある。広布の電源地・福山として、全日本、全世界に"福山の信心をみよ""福山の広布の姿をみよ"といわれるような団結の前進を!
八万法蔵は法華経に納まり、さらにその法華経は三大秘法の南無妙法蓮華経に納まっていく。全人類の宿命を転換し、幸せと平和の道を開き、時代と世界を蘇生させゆく根源の大法こそ日蓮大聖人の大仏法である。
我らの広宣流布の日々の運動は、まさに、永遠なる文化創造の土台をつくっている。
福山は、日本一、世界一の大福運の国土世間として、信心、功徳の模範の地としての見事なる実証を輝かせていただきたい。
◇悔いを残すな
広島広布30周年記念の勤行会(86年6月23日)で、先生は広島城の雄姿に触れた後、御聖訓「城の主剛ければ守る者も強し城の主おずれば守る者忙る、心は是れ身の主なり」(同979ページ)を拝した。
私どもは常に、最後の最後まで、価値ある何事かを成していこう、という真摯なる歩みを止めてはならない。
強盛なる信心の「心」、確信の「一念」、広布に生きゆかんとする「一心」、その「心」の強い人をこそ諸天は強く守っていくのである。
三世永遠の立場から見た場合には、一時の難や苦しみなどというものは、一瞬のことにすぎない。ゆえに、目先のことで、信心を退することほど愚かなことはない。信心と人生に断じて「悔い」があってはならない。
昨年10月、広島池田平和記念会館で開催された本部幹部会・中国総会。池田先生はメッセージを贈り、「『人間革命』即『世界平和』へ新たな船出を」と呼び掛けた。
「誓願」の題目の師子吼を唱えるならば、どんな困難も、自ら願った試練として受けて立ち、必ず乗り越えられる。いな断固と勝ち越え、「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
わが学会は、たゆみない広布の大回転の渦から、地涌の人材群を、きら星の如く輝かせゆく大銀河であります。
明るくにぎやかに「歓喜の中の大歓喜」の題目を轟かせながら、青年部、未来部の凜々しき「正義の走者」たちを、さらに陸続と誕生させよう!
そして、大いなる「人間革命」の平和と勝利の光で、地球を赫々と包みゆこうではないか!
踏み出せば頂に近づく。
「進まざる退転」だ。
大切な一日一日
昨日の自分に勝とう!
法華経題目抄 P947
『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』
【通解】
妙とは蘇生という意味である。蘇生とは蘇るということである。
〈寸鉄〉 2019年2月21日
「わたうども二陣三陣つづきて」御書。君よ対話の先駆を。勇敢に正義叫べ
人材の創価学会でいけ—恩師。時代開くのは常に新しい力。励まし伸ばせ
良い人間関係を築く要諦は相手への共感と。聞き上手に。リーダーは銘記
あおり運転の摘発、1年で倍増—警察庁。自分も周囲も不幸。断じて撲滅
はしか患者、過去10年間で最多ペース。予防接種など万全に。健康こそ宝
☆勇気の旗高く 池田先生と広島 2019年2月11日
◇「歓喜の題目」を轟かせよ
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は広島県を掲載する。
◇平和運動の命運
1975年(昭和50年)11月8日、広島を訪問した池田先生は、平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に祈りをささげた。この折の真情を、後にこうつづっている。
「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」
前年(74年)から、先生は中国に3回、ソ連に2回、足を運び、対立関係にあった両国の和解へ、民間外交を展開。75年1月には、青年部による1000万の核廃絶署名を国連事務総長に手渡している。同月にはSGIが発足した。
先生が小説『新・人間革命』の筆を執ったのは、93年(平成5年)8月6日。「広島原爆の日」を選んでのことだった。冒頭の一節には、烈々たる決意が凝結している。
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
この「根本の第一歩」を、先生は広島の友と踏み出し、平和の尊さを訴え続けた。
私が恩師の後を継ぎ、世界にその思想を宣揚できたのも、行動があったからこそです。仏法運動の、世界への現実の広がりがあって初めて説得力をもち、世界の知性の注目を集めたのです。
広島は、創価学会の平和と文化の運動にとって急所の、中心的役割を担う地であります。
広島こそ、SGIの平和運動の命運を担っております。それだけに、日常活動の繰り返しが大事なのです。
どうか「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)を胸に、私とともに、生涯、誉れの法戦に、動いて動いて動き抜いてください。
◇唱題も高らかに
「人体には大切な"心臓"がある。組織にも"心臓部"というべき、発展への急所がある」——先生は広島の呉こそ中国方面の心臓部であると述べ、全幅の信頼を寄せている。
第1次宗門事件の渦中で、反転攻勢の対話に打って出た呉の同志は、80年(昭和55年)から5年連続で中国一の弘教を成し遂げた。その破竹の快進撃が、中国全体を奮い立たせたのだ。
躍進の息吹みなぎる呉広布30周年記念の幹部会(84年10月26日)。先生は「呉が動けば、広島が動く。広島が動けば、中国が動く」と、偉大な広布の歩みをたたえた。
入信間もなくのこと、御書を拝し、胸に刻まれたのは、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(同970ページ)との御金言であった。信心は一生成仏のための信心である。全ては、この一生をどう過ごしたかで決まる。
どのように最極の幸せの人生を生きるかが最大の課題である。それぞれの専門の道に人生の価値を見いだす人も多い。また財宝や名誉、地位を得ることを人生の価値とする人もいる。しかし、それらは永遠ではない。いつしか崩れゆくし、むなしさを感じる時が必ずあるものだ。
永遠にして不滅、最極にして最高善の御本尊を信受し、日夜、唱題に励みながら広宣流布へと生きゆくことこそ、最極の人生の道なのである。
その人こそ悔いなく我が人生を生きている人なのである。あらゆる人生の風雪、障魔の嵐にも負けず、妙法の勇者として悠然と胸を張り、唱題も高らかに広布に進みゆくことが最極善の人生である。
呉の友が社会の厳しさの中で"信心で喜びと希望をもって進んでいる"とうかがい、本当にうれしく思った。この確信と深い境涯の人生こそ、栄えゆく人生であるとともに、信心の偉大なる勝利者の姿なのである。どうか、この呉の地に、いかなる嵐にも崩されない難攻不落の人材の陣列を築き上げていただきたい。
◇見事なる実証を
広島第2の都市・福山は「備後都市圏」の中心である。
池田先生の福山訪問は6度を数える。そのたびに、中国方面のみならず、全国へ拡大の波動を送りゆく電源地・福山の使命を訴えてきた。
備後広布30周年を記念する集い(83年12月11日)では、日蓮仏法への絶対の確信こそが広宣流布の根本であると述べ、勝利の人生をと望んだ。
どの地にあっても、広布への炎を燃やし、他の地域に波動を与えゆく電源地となる国土世間がある。広布の電源地・福山として、全日本、全世界に"福山の信心をみよ""福山の広布の姿をみよ"といわれるような団結の前進を!
八万法蔵は法華経に納まり、さらにその法華経は三大秘法の南無妙法蓮華経に納まっていく。全人類の宿命を転換し、幸せと平和の道を開き、時代と世界を蘇生させゆく根源の大法こそ日蓮大聖人の大仏法である。
我らの広宣流布の日々の運動は、まさに、永遠なる文化創造の土台をつくっている。
福山は、日本一、世界一の大福運の国土世間として、信心、功徳の模範の地としての見事なる実証を輝かせていただきたい。
◇悔いを残すな
広島広布30周年記念の勤行会(86年6月23日)で、先生は広島城の雄姿に触れた後、御聖訓「城の主剛ければ守る者も強し城の主おずれば守る者忙る、心は是れ身の主なり」(同979ページ)を拝した。
私どもは常に、最後の最後まで、価値ある何事かを成していこう、という真摯なる歩みを止めてはならない。
強盛なる信心の「心」、確信の「一念」、広布に生きゆかんとする「一心」、その「心」の強い人をこそ諸天は強く守っていくのである。
三世永遠の立場から見た場合には、一時の難や苦しみなどというものは、一瞬のことにすぎない。ゆえに、目先のことで、信心を退することほど愚かなことはない。信心と人生に断じて「悔い」があってはならない。
昨年10月、広島池田平和記念会館で開催された本部幹部会・中国総会。池田先生はメッセージを贈り、「『人間革命』即『世界平和』へ新たな船出を」と呼び掛けた。
「誓願」の題目の師子吼を唱えるならば、どんな困難も、自ら願った試練として受けて立ち、必ず乗り越えられる。いな断固と勝ち越え、「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
わが学会は、たゆみない広布の大回転の渦から、地涌の人材群を、きら星の如く輝かせゆく大銀河であります。
明るくにぎやかに「歓喜の中の大歓喜」の題目を轟かせながら、青年部、未来部の凜々しき「正義の走者」たちを、さらに陸続と誕生させよう!
そして、大いなる「人間革命」の平和と勝利の光で、地球を赫々と包みゆこうではないか!
2019年2月20日水曜日
2019.02.20 わが友に贈る
激しい寒暖差が
疲労の原因に!
風邪などひかぬよう
賢明な予防・対策と
生命力を高める祈りを!
千日尼御返事 P1319
『譬へば二人三人乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人十人六道九界の衆生の心いかんがかわりて候らむ、されば花をあいし月をあいしすきをこのみにがきをこのみちいさきをあいし大なるをあいしいろいろなり、善をこのみ悪をこのみしなじななり』
【通解】
譬えば二人・三人・乃至百千人いても、一尺の顔が真に似ている人は一人もいない。心が似ていないから顔も似ないのである。まして二人・十人・六道・九界の衆生の心はいかに異なっていることであろう。それゆえ、花を愛し・月を愛し・酸いものを好み、苦いものを好み、小さいものを愛し、大きいものを愛し、いろいろである。善を好み、悪を好み、さまざまである。
〈寸鉄〉 2019年2月20日
一人の百歩より百人が一歩前進—二月闘争の総仕上げへ皆が悔いなく挑戦
東京「渋谷の日」。師弟共戦の大城は盤石なり。さあ対話拡大の旋風を!
団結固き民衆パワーに勝るものなし!本領発揮の時は今。東京「荒川の日」
心とは万事の本源—孫文まず勝つと決める事だ。諦めの心破り強気で進め
増える詐欺メール。PCよりスマホのほうが警戒心下がると。守り固く!
☆御書と歩む� 第55回 御本仏と共に不退の前進
『日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(辯殿尼御前御書、1224ページ)
◇通解
日蓮はその身に当たって、仏の大軍を起こして二十余年になる。この間、一度も退く心はない。
◇同志への指針
日蓮大聖人は、現実社会のただ中で、民衆の幸福と平和のために大闘争を起こしてくださった。悪世末法での広布は熾烈を極める。しかし、御本仏の仰せのままに、不退の戦いを貫き通しているのが、創価の誉れである。
「しりぞく心なし」——この誓願の祈りに仏の無窮の力が涌現し、道は必ず開かれる。大聖人直結の立正安国へ、いざや前進! 恐れなく。
疲労の原因に!
風邪などひかぬよう
賢明な予防・対策と
生命力を高める祈りを!
千日尼御返事 P1319
『譬へば二人三人乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人十人六道九界の衆生の心いかんがかわりて候らむ、されば花をあいし月をあいしすきをこのみにがきをこのみちいさきをあいし大なるをあいしいろいろなり、善をこのみ悪をこのみしなじななり』
【通解】
譬えば二人・三人・乃至百千人いても、一尺の顔が真に似ている人は一人もいない。心が似ていないから顔も似ないのである。まして二人・十人・六道・九界の衆生の心はいかに異なっていることであろう。それゆえ、花を愛し・月を愛し・酸いものを好み、苦いものを好み、小さいものを愛し、大きいものを愛し、いろいろである。善を好み、悪を好み、さまざまである。
〈寸鉄〉 2019年2月20日
一人の百歩より百人が一歩前進—二月闘争の総仕上げへ皆が悔いなく挑戦
東京「渋谷の日」。師弟共戦の大城は盤石なり。さあ対話拡大の旋風を!
団結固き民衆パワーに勝るものなし!本領発揮の時は今。東京「荒川の日」
心とは万事の本源—孫文まず勝つと決める事だ。諦めの心破り強気で進め
増える詐欺メール。PCよりスマホのほうが警戒心下がると。守り固く!
☆御書と歩む� 第55回 御本仏と共に不退の前進
『日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(辯殿尼御前御書、1224ページ)
◇通解
日蓮はその身に当たって、仏の大軍を起こして二十余年になる。この間、一度も退く心はない。
◇同志への指針
日蓮大聖人は、現実社会のただ中で、民衆の幸福と平和のために大闘争を起こしてくださった。悪世末法での広布は熾烈を極める。しかし、御本仏の仰せのままに、不退の戦いを貫き通しているのが、創価の誉れである。
「しりぞく心なし」——この誓願の祈りに仏の無窮の力が涌現し、道は必ず開かれる。大聖人直結の立正安国へ、いざや前進! 恐れなく。
2019年2月19日火曜日
2019.02.19 わが友に贈る
「新しい」には
「新しい力」がある。
それを引き出す鍵は
尊敬と信頼と励ましだ。
皆を広布の大人材に!
減劫御書 P1467
『大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ』
【通解】
大悪は大善が来るべき瑞相(前兆)である。一閻浮提(全世界)がひどく乱れたならば、法華経に説かれている「閻浮提の内に広く流布せしめる(世界広宣流布)」の文が実現することは、よもや疑いないでしょう。
〈寸鉄〉 2019年2月19日
一生全ての体験が生きるのが妙法—恩師。青年よ不退の信心を。苦労は宝
「第2宮城総県の日」。幸の種蒔く対話の拡大さらに!我こそ福光の主役と
人生は一瞬の事に過ぎぬ—詩人。今日を完全燃焼。広布の功徳は三世に厳然
声質や表情は言葉以上に意思疎通に影響と。誠実と情熱で心の扉開きゆけ
後部座席のシートベルト非着用は高速事故で致死率9倍。必ず法令順守を
☆新時代を築く 大聖人直結で恩師の如く 2019年2月13日
この世界から「悲惨」の二字をなくしたい——これが戸田先生の熱願であった。
恩師のお心を継ぐ、全国、全世界の宝友が勇んで広布に走る中、数え年120歳の誕生日を迎えられた。あの豪毅な笑顔を胸に浮かべつつ、尽きせぬ師恩へ感謝の勤行・唱題を行った。
* * *
逆境の弟子たちを励まされた恩師の言葉が蘇る。
「信心は全てを変えていける。悩んで祈った分、境涯が深まる。勇気を出して動いた分、仏縁が広がる。苦労して戦った分、必ず大福運の地盤に変わるんだよ」
世界のいずこでも、宿命転換、三変土田という喜びの実証が輝いている。
南米ブラジルも長い軍政下、同志の苦闘が続いた。
1966年(昭和41年)3月、私が訪れた折の文化祭も、政治警察の厳しい監視のもとで行った。私は皆に呼び掛けた。「真剣な唱題と、聡明な知恵と、必死の行動で、新しい局面を開いていくんだ」と。
そして積極果敢に対話し、一人一人を理解者に、友人に変えていった。
メンバーの誠実にして忍耐強い社会貢献の積み重ねで、今や各界から絶大なる信頼が寄せられている。
慶祝議会など顕彰が続く中、昨年の学会創立記念日のその日には、かつて監視下で文化祭を行ったサンパウロ市立劇場で、要請に応えて、イケダヒューマニズム交響楽団が盛大に凱旋コンサートを開いた。若き楽雄たちが平和と希望の妙音を奏で、市民の方々から大喝采を送られる光景に、私は感無量であった。
* * *
広宣流布は世界同時進行で勢いを増している。ゆえに一つの地域の挑戦と勝利は、全同志に波動を広げる。
アメリカのリーダーも、1956年(同31年)の大阪の戦いを学び、私が関西の友へ贈った長編詩から「絶対勝利への七つの鉄則」を確認し合ってきた。
それは——
師弟不二の呼吸がある。
法華経の兵法がある。
異体同心の団結がある。
破邪顕正の勇気がある。
電光石火の速度がある。
行動第一の同志がいる。
そして、「負けたらあかん!」という勝利への執念がある——。
* * *
2月16日は、御本仏・日蓮大聖人の御聖誕の日。
東京・大田の先達・池上兄弟への御聖訓を拝したい。
「がうじゃうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」(御書1084ページ)
この「師子王の心」こそ、創価の師弟の魂である。
大聖人直結で、恩師の如く、何があろうと恐れなく、「いよいよ」の心で前進だ。
「新しい力」がある。
それを引き出す鍵は
尊敬と信頼と励ましだ。
皆を広布の大人材に!
減劫御書 P1467
『大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ』
【通解】
大悪は大善が来るべき瑞相(前兆)である。一閻浮提(全世界)がひどく乱れたならば、法華経に説かれている「閻浮提の内に広く流布せしめる(世界広宣流布)」の文が実現することは、よもや疑いないでしょう。
〈寸鉄〉 2019年2月19日
一生全ての体験が生きるのが妙法—恩師。青年よ不退の信心を。苦労は宝
「第2宮城総県の日」。幸の種蒔く対話の拡大さらに!我こそ福光の主役と
人生は一瞬の事に過ぎぬ—詩人。今日を完全燃焼。広布の功徳は三世に厳然
声質や表情は言葉以上に意思疎通に影響と。誠実と情熱で心の扉開きゆけ
後部座席のシートベルト非着用は高速事故で致死率9倍。必ず法令順守を
☆新時代を築く 大聖人直結で恩師の如く 2019年2月13日
この世界から「悲惨」の二字をなくしたい——これが戸田先生の熱願であった。
恩師のお心を継ぐ、全国、全世界の宝友が勇んで広布に走る中、数え年120歳の誕生日を迎えられた。あの豪毅な笑顔を胸に浮かべつつ、尽きせぬ師恩へ感謝の勤行・唱題を行った。
* * *
逆境の弟子たちを励まされた恩師の言葉が蘇る。
「信心は全てを変えていける。悩んで祈った分、境涯が深まる。勇気を出して動いた分、仏縁が広がる。苦労して戦った分、必ず大福運の地盤に変わるんだよ」
世界のいずこでも、宿命転換、三変土田という喜びの実証が輝いている。
南米ブラジルも長い軍政下、同志の苦闘が続いた。
1966年(昭和41年)3月、私が訪れた折の文化祭も、政治警察の厳しい監視のもとで行った。私は皆に呼び掛けた。「真剣な唱題と、聡明な知恵と、必死の行動で、新しい局面を開いていくんだ」と。
そして積極果敢に対話し、一人一人を理解者に、友人に変えていった。
メンバーの誠実にして忍耐強い社会貢献の積み重ねで、今や各界から絶大なる信頼が寄せられている。
慶祝議会など顕彰が続く中、昨年の学会創立記念日のその日には、かつて監視下で文化祭を行ったサンパウロ市立劇場で、要請に応えて、イケダヒューマニズム交響楽団が盛大に凱旋コンサートを開いた。若き楽雄たちが平和と希望の妙音を奏で、市民の方々から大喝采を送られる光景に、私は感無量であった。
* * *
広宣流布は世界同時進行で勢いを増している。ゆえに一つの地域の挑戦と勝利は、全同志に波動を広げる。
アメリカのリーダーも、1956年(同31年)の大阪の戦いを学び、私が関西の友へ贈った長編詩から「絶対勝利への七つの鉄則」を確認し合ってきた。
それは——
師弟不二の呼吸がある。
法華経の兵法がある。
異体同心の団結がある。
破邪顕正の勇気がある。
電光石火の速度がある。
行動第一の同志がいる。
そして、「負けたらあかん!」という勝利への執念がある——。
* * *
2月16日は、御本仏・日蓮大聖人の御聖誕の日。
東京・大田の先達・池上兄弟への御聖訓を拝したい。
「がうじゃうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」(御書1084ページ)
この「師子王の心」こそ、創価の師弟の魂である。
大聖人直結で、恩師の如く、何があろうと恐れなく、「いよいよ」の心で前進だ。
2019年2月18日月曜日
2019.02.18 わが友に贈る
◇今週のことば
「法華経の行者は
日輪と獅子との如し」
我らは明るく堂々と
友に希望の太陽を!
地域に正義の言論を!
2019年2月18日
経王殿御返事 P1124
『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし』
【通解】
剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。
〈寸鉄〉 2019年2月18日
人生は率先して実行することが大切—牧口先生。幹部は戦う息吹を隅々に
九州壮年部の日。火の国の黄金柱の底力今こそ!燃える魂で拡大の先駆を
褒め合う会社は働く意欲も高いと。学会は励ましの団体。皆に温かな心で
日本の安定もたらす公明に各界が期待。大衆と共に。ブレない政治を貫け
スマホやPCの管理厳重に。紛失すれば個人情報は流出。危機意識を強く
☆私がつくる平和の文化 第2回 多様性の尊重
インタビュー 歌手 アグネス・チャンさん
「違い」は人生を豊かにする
連載「私がつくる平和の文化」の第2回のテーマは「多様性の尊重」です。歌手でユニセフ・アジア親善大使、さらに教育学博士として活躍するアグネス・チャンさんにインタビューし、自身の子育ての経験などを通して、「違い」を認め合い、楽しむ大切さを語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
冷戦が終結して30年が経ちますが、今も世界では、多くの国や地域が紛争状態にあります。その要因は、宗教や主義の違い、民族の違い、貧富の差などです。さらに、根底には、自分たちが一番正しい、自分たちと同じでなければ許さないという「違いを認めない」姿勢があると思います。これが多くの不幸を生んでいます。
私たちが平和のためにできることは、皆が同じになることでも、それを望むことでもありません。違いを認め合う。尊敬・尊重し合う。互いの文化や考え方を学んで一緒に楽しむ。共に生き、共に栄えようという気持ちで暮らしていくことです。
私が47年前に初めて香港から日本に来た時、さまざまな生活習慣や文化の違いに驚きました。香港の人々が食べ慣れたハトやヘビを、日本人は食べない。それを言ったら「なんて野蛮な!」とびっくりされましたが、あの時、出会った人たちは、今でも大好きな友達ですし、違う文化を持った私を嫌うこともありません。互いに新鮮な気持ちで学び、"あっそうか"って楽しんでいけば友情が結ばれます。世の中は皆、違うからこそ面白く、豊かだ——日本に来て、それを一番実感しました。
違いを楽しみ、受け入れることを、いかに子どもたちに教えるか。それが平和を前進させるカギです。教えていくのは、政府や学校の先生だけでなく、親や地域で子どもたちに接する、私たち一人一人です。"あの人はこう言っているけど、こういう見方もあるよ"と一緒に考えてあげる。また認め合うことが、人間が生きていく上でとても重要で、素晴らしい文化を生み出す根本なんだ、と繰り返し語っていくことです。
違いを楽しめることは、その子自身が幸せを味わえるかどうかのポイントでもあります。物事を柔軟に捉え、好奇心を持っていろんなことを吸収する。違いを発見した時、"オッ?"と感動を抱く。違いは豊さであり、恵みなんだ。そう感じられることで幸福の度合いは増すと思う。
日本には今後、海外から多くの人が訪れます。自分が世界に出なくても、世界がやって来ます。他の国から来た方と接しても、怖がったり、嫌がったりせず、親しく付き合う。自分の中に壁をつくらず、固定観念や決め付けを排していけるかが、肝心だと思う。
◇"色めがね"で見ない
私が3歳の長男を連れてアメリカの大学院に留学した時、彼を学内の保育所に入れました。大学院には各国から多様な人が学びに来ており、子連れの人も多くいました。
長男に友達ができた頃、彼によく尋ねました。「○○ちゃんって、どこの国の人?」。世界中から来ているので無意識に聞いてしまうんですね。そうしたらある日、彼が言いました。「ママ、なんでいつもそういうふうに聞くの?」
どこの国の出身かという情報で、安心してしまう自分がいました。でも息子は違います。「そんなこと関係ないでしょ? その子がいい子かどうか、何が好きとか、何をよく食べるとか、そういうことが大事じゃないの?」と。
はっとしました。彼の言うことが正しい。人として大切だと。私たちは外見や出身など、本質的でないことにとらわれ、色めがねで見てしまう。すごく反省し、その日から聞くのはやめて(笑い)、相手の人間としての部分に目を向けるよう努めました。
違いは恐れるものでも、なくすものでもなく、尊重するものです。誰もが必ず大切な役目を持って生まれてきています。皆、偉大な力を持っているのです。私の弟は知的障がいがありますが、彼のおかげで家族の絆は強くなりました。94歳の母も「いつも側にいてくれて、一番、親孝行なのは、この子よ」と、感謝を口にしています。
◇君は君でいい
多様性の尊重を教えることは、今後の教育で一番の課題でしょう。
私自身、子育てで重視したことは「自己肯定力」を養うことです。"私は私で、人と比べる必要はない。誰の上でもなく誰の下でもない"との意識を、心の土台に据えるようにしてあげる。長所も短所もある、ありのままの自分を認め、その自分と付き合っていく。それができる子は、人をうらやんだり、差別したりしません。成功している人を見ても、わが事のように喜べる。自己肯定力が低い子はその反対です。何をやっても満足感が得られず、人の成功が面白くない。
また自己肯定力が高い子は大人になっても、分からないことを素直に人に聞ける。学ぶチャンスが多いということは、人生が豊かになるということです。
子どもの自己肯定力を高めるためには、親は、何があっても自分の子どもと他人を比べないことだと思います。
こう言ってあげてください。"ママにとって君は完璧な存在です。人と比べる必要は全くないよ。隣の子が走るのが速いとか、背が高いとか、成績が良いとか、そんなことはママには関係ない。君への愛情は変わらないよ。無条件で、無限に愛しているから。それだけは分かってほしい"と。そして一緒に"一番好きになれる自分"を探してあげる。たくさんの勇気を与えて、「君は君でいい、生まれてきてくれて、ありがとう」と伝えるのです。すぐに信じるかどうかは分からない。でも長い人生の中で無意識に信じ、生きる力になるのです。
池田先生から贈っていただいた長編詩(「平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる」)に「人生、それは/幸福になるためにある」とあります。
幸福をつくるのは自分です。そのために必要なのは希望です。希望を決して失わないこと。どんな暗闇でも必ず光は差してくるし、冬が来れば春は必ず訪れます。希望がなければ自分でつくればいいし、自分が希望になればいい。
人を愛する力、人を幸せにする力は誰にでもある。それを信じ、違いを恵みとして楽しみ、互いの存在に感謝していく中に、平和はあると思うのです。
アグネス・チャン 歌手、エッセイスト。香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビュー。2008年、第50回レコード大賞特別賞。米スタンフォード大学で教育学博士号取得。長年、日本ユニセフ協会大使を務め、現在、ユニセフ・アジア親善大使。昨年春、旭日小綬章を受章。著書多数。
小説『新・人間革命』第21巻「人間外交」の章から
人には、さまざまな違いがある。多様である。しかし、その差異を超えた共通項がある。
それは、皆がこの地球に住む、同じ人間であるということだ。そして、生老病死を見つめながら、誰もが幸福であることを願い、平和を望んで、懸命に生きているということだよ。
その共通項に立てば、共有すべき"思想"に行き着くはずだ。
それは、生命は尊厳なるものであり、誰にも生存の権利があるということだ。幸福になる権利があるということだ。だから、絶対に戦争を許してはならない。
池田大作
創価学会・女性平和文化センター 築地明美センター長
●あらゆる人が集う座談会は"生命のオアシス"
「みんなちがって、みんないい」——これは、詩人・金子みすゞが、あらゆる生命を慈しむ思いを表現した有名な詩の一節です。
仏法では「桜梅桃李」の法理を説きます。桜や梅などそれぞれの花に美しさや輝きがあるように、人間もまた、一人一人に違いがあり、自分らしく輝いていけるという哲学です。
だからこそ主義・主張も、価値観も違う人々が、ありのままの姿を通して互いに共感し、友情を結べば、幸福も平和も生まれる——そんな信念に貫かれているのが学会伝統の座談会です。
職業も立場も全く違う老若男女が集い、それぞれが一人の人間としての思いを語り、互いの話に耳を傾け、励まし合っています。
以前、ある座談会に参加した時のこと。そこには、子どもたちの詩の朗読があり、赤裸々な婦人の体験があり、戦争体験を通して平和への思いを語る壮年の姿がありました。
会合中、涙を流して聞いていたご婦人がいました。終了後、声を掛けると、彼女は障がいのあるお子さんをはじめ3人の子育てに孤軍奮闘し、つらさを誰にも相談できずに抱えてきたというのです。「きょうは初めて参加しました。こんな世界があったんですね」と語り、学会の温かさや、一人一人が希望を持って前に進む姿に、深く感動しておられました。
池田先生は、「学会の座談会には『対話』がある。『自由』がある。『平等』がある。『哲学』がある。そして『希望』がある」と語られています。
座談会こそ多様性を尊重する「平和の文化」のオアシスです。そして、この座談会は今、世界各地でにぎやかに開催されています。
「法華経の行者は
日輪と獅子との如し」
我らは明るく堂々と
友に希望の太陽を!
地域に正義の言論を!
2019年2月18日
経王殿御返事 P1124
『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし』
【通解】
剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。
〈寸鉄〉 2019年2月18日
人生は率先して実行することが大切—牧口先生。幹部は戦う息吹を隅々に
九州壮年部の日。火の国の黄金柱の底力今こそ!燃える魂で拡大の先駆を
褒め合う会社は働く意欲も高いと。学会は励ましの団体。皆に温かな心で
日本の安定もたらす公明に各界が期待。大衆と共に。ブレない政治を貫け
スマホやPCの管理厳重に。紛失すれば個人情報は流出。危機意識を強く
☆私がつくる平和の文化 第2回 多様性の尊重
インタビュー 歌手 アグネス・チャンさん
「違い」は人生を豊かにする
連載「私がつくる平和の文化」の第2回のテーマは「多様性の尊重」です。歌手でユニセフ・アジア親善大使、さらに教育学博士として活躍するアグネス・チャンさんにインタビューし、自身の子育ての経験などを通して、「違い」を認め合い、楽しむ大切さを語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
冷戦が終結して30年が経ちますが、今も世界では、多くの国や地域が紛争状態にあります。その要因は、宗教や主義の違い、民族の違い、貧富の差などです。さらに、根底には、自分たちが一番正しい、自分たちと同じでなければ許さないという「違いを認めない」姿勢があると思います。これが多くの不幸を生んでいます。
私たちが平和のためにできることは、皆が同じになることでも、それを望むことでもありません。違いを認め合う。尊敬・尊重し合う。互いの文化や考え方を学んで一緒に楽しむ。共に生き、共に栄えようという気持ちで暮らしていくことです。
私が47年前に初めて香港から日本に来た時、さまざまな生活習慣や文化の違いに驚きました。香港の人々が食べ慣れたハトやヘビを、日本人は食べない。それを言ったら「なんて野蛮な!」とびっくりされましたが、あの時、出会った人たちは、今でも大好きな友達ですし、違う文化を持った私を嫌うこともありません。互いに新鮮な気持ちで学び、"あっそうか"って楽しんでいけば友情が結ばれます。世の中は皆、違うからこそ面白く、豊かだ——日本に来て、それを一番実感しました。
違いを楽しみ、受け入れることを、いかに子どもたちに教えるか。それが平和を前進させるカギです。教えていくのは、政府や学校の先生だけでなく、親や地域で子どもたちに接する、私たち一人一人です。"あの人はこう言っているけど、こういう見方もあるよ"と一緒に考えてあげる。また認め合うことが、人間が生きていく上でとても重要で、素晴らしい文化を生み出す根本なんだ、と繰り返し語っていくことです。
違いを楽しめることは、その子自身が幸せを味わえるかどうかのポイントでもあります。物事を柔軟に捉え、好奇心を持っていろんなことを吸収する。違いを発見した時、"オッ?"と感動を抱く。違いは豊さであり、恵みなんだ。そう感じられることで幸福の度合いは増すと思う。
日本には今後、海外から多くの人が訪れます。自分が世界に出なくても、世界がやって来ます。他の国から来た方と接しても、怖がったり、嫌がったりせず、親しく付き合う。自分の中に壁をつくらず、固定観念や決め付けを排していけるかが、肝心だと思う。
◇"色めがね"で見ない
私が3歳の長男を連れてアメリカの大学院に留学した時、彼を学内の保育所に入れました。大学院には各国から多様な人が学びに来ており、子連れの人も多くいました。
長男に友達ができた頃、彼によく尋ねました。「○○ちゃんって、どこの国の人?」。世界中から来ているので無意識に聞いてしまうんですね。そうしたらある日、彼が言いました。「ママ、なんでいつもそういうふうに聞くの?」
どこの国の出身かという情報で、安心してしまう自分がいました。でも息子は違います。「そんなこと関係ないでしょ? その子がいい子かどうか、何が好きとか、何をよく食べるとか、そういうことが大事じゃないの?」と。
はっとしました。彼の言うことが正しい。人として大切だと。私たちは外見や出身など、本質的でないことにとらわれ、色めがねで見てしまう。すごく反省し、その日から聞くのはやめて(笑い)、相手の人間としての部分に目を向けるよう努めました。
違いは恐れるものでも、なくすものでもなく、尊重するものです。誰もが必ず大切な役目を持って生まれてきています。皆、偉大な力を持っているのです。私の弟は知的障がいがありますが、彼のおかげで家族の絆は強くなりました。94歳の母も「いつも側にいてくれて、一番、親孝行なのは、この子よ」と、感謝を口にしています。
◇君は君でいい
多様性の尊重を教えることは、今後の教育で一番の課題でしょう。
私自身、子育てで重視したことは「自己肯定力」を養うことです。"私は私で、人と比べる必要はない。誰の上でもなく誰の下でもない"との意識を、心の土台に据えるようにしてあげる。長所も短所もある、ありのままの自分を認め、その自分と付き合っていく。それができる子は、人をうらやんだり、差別したりしません。成功している人を見ても、わが事のように喜べる。自己肯定力が低い子はその反対です。何をやっても満足感が得られず、人の成功が面白くない。
また自己肯定力が高い子は大人になっても、分からないことを素直に人に聞ける。学ぶチャンスが多いということは、人生が豊かになるということです。
子どもの自己肯定力を高めるためには、親は、何があっても自分の子どもと他人を比べないことだと思います。
こう言ってあげてください。"ママにとって君は完璧な存在です。人と比べる必要は全くないよ。隣の子が走るのが速いとか、背が高いとか、成績が良いとか、そんなことはママには関係ない。君への愛情は変わらないよ。無条件で、無限に愛しているから。それだけは分かってほしい"と。そして一緒に"一番好きになれる自分"を探してあげる。たくさんの勇気を与えて、「君は君でいい、生まれてきてくれて、ありがとう」と伝えるのです。すぐに信じるかどうかは分からない。でも長い人生の中で無意識に信じ、生きる力になるのです。
池田先生から贈っていただいた長編詩(「平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる」)に「人生、それは/幸福になるためにある」とあります。
幸福をつくるのは自分です。そのために必要なのは希望です。希望を決して失わないこと。どんな暗闇でも必ず光は差してくるし、冬が来れば春は必ず訪れます。希望がなければ自分でつくればいいし、自分が希望になればいい。
人を愛する力、人を幸せにする力は誰にでもある。それを信じ、違いを恵みとして楽しみ、互いの存在に感謝していく中に、平和はあると思うのです。
アグネス・チャン 歌手、エッセイスト。香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビュー。2008年、第50回レコード大賞特別賞。米スタンフォード大学で教育学博士号取得。長年、日本ユニセフ協会大使を務め、現在、ユニセフ・アジア親善大使。昨年春、旭日小綬章を受章。著書多数。
小説『新・人間革命』第21巻「人間外交」の章から
人には、さまざまな違いがある。多様である。しかし、その差異を超えた共通項がある。
それは、皆がこの地球に住む、同じ人間であるということだ。そして、生老病死を見つめながら、誰もが幸福であることを願い、平和を望んで、懸命に生きているということだよ。
その共通項に立てば、共有すべき"思想"に行き着くはずだ。
それは、生命は尊厳なるものであり、誰にも生存の権利があるということだ。幸福になる権利があるということだ。だから、絶対に戦争を許してはならない。
池田大作
創価学会・女性平和文化センター 築地明美センター長
●あらゆる人が集う座談会は"生命のオアシス"
「みんなちがって、みんないい」——これは、詩人・金子みすゞが、あらゆる生命を慈しむ思いを表現した有名な詩の一節です。
仏法では「桜梅桃李」の法理を説きます。桜や梅などそれぞれの花に美しさや輝きがあるように、人間もまた、一人一人に違いがあり、自分らしく輝いていけるという哲学です。
だからこそ主義・主張も、価値観も違う人々が、ありのままの姿を通して互いに共感し、友情を結べば、幸福も平和も生まれる——そんな信念に貫かれているのが学会伝統の座談会です。
職業も立場も全く違う老若男女が集い、それぞれが一人の人間としての思いを語り、互いの話に耳を傾け、励まし合っています。
以前、ある座談会に参加した時のこと。そこには、子どもたちの詩の朗読があり、赤裸々な婦人の体験があり、戦争体験を通して平和への思いを語る壮年の姿がありました。
会合中、涙を流して聞いていたご婦人がいました。終了後、声を掛けると、彼女は障がいのあるお子さんをはじめ3人の子育てに孤軍奮闘し、つらさを誰にも相談できずに抱えてきたというのです。「きょうは初めて参加しました。こんな世界があったんですね」と語り、学会の温かさや、一人一人が希望を持って前に進む姿に、深く感動しておられました。
池田先生は、「学会の座談会には『対話』がある。『自由』がある。『平等』がある。『哲学』がある。そして『希望』がある」と語られています。
座談会こそ多様性を尊重する「平和の文化」のオアシスです。そして、この座談会は今、世界各地でにぎやかに開催されています。
2019年2月17日日曜日
2019.02.17 わが友に贈る
今の課題は何か。
朗々たる祈りの中で
日々の目標を明確に!
具体的な実践を重ね
勇猛果敢に勝ち進もう!
三三蔵祈雨事 P1472
『外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしがやうやくわかれて九十五種なり、其の中に多くの智者神通のものありしかども一人も生死をはなれず』
【通解】
外道というものは、仏の出世以前八百年から起こって、初めは二天・三仙のみであったが、次第に分かれて九十五種となった。その中に多くの智者や神通を得た者がいたけれども、一人も生死の迷いから離れてはいない。
〈寸鉄〉 2019年2月17日
幸福でたまらない境涯になるのが学会活動の功徳だ—恩師。今日も弛まず
農漁光部の日。仏法持ち食守る皆様こそ生命世紀の旗手。栄光と福徳あれ
こんな諸悪に黙っていられるか—詩人。これ青年の心。堂々と正義を叫べ
若者の半数が将来難聴に—警鐘。大音量で音楽を聴き過ぎと。見直し賢く
携帯電話の「ながら運転」での事故多し。少しだけが命取り。気を引き締め
☆ふるさとを照らす誉れの長者 地域部 2019年2月6日
池田先生はかつて、地域と関わる大切さについて語った。「地域に根を張り、人々のために尽くすことが、どれほど偉大なことか。地道な活動が、深き信頼を築いていく。わが地域を、希望輝く理想郷へと変革する力となる」と。ここでは、地域の発展と幸福のために奔走する地域部の代表を紹介する。
◇子どもたちが誇れる地域に/福岡市東区 田中友春さん
JR博多駅から国道3号を北上していくと、多々良川河口に架かる「名島橋」に差し掛かる。全長204メートル、全幅24メートルの道路橋だ。側面には7連のアーチが施され、白く輝く御影石が力強い美しさを感じさせる。
一日の車の往来は、約6万台。1933年(昭和8年)の完成以来、福岡都心部と北部九州地域を結ぶ"福岡の東玄関"として重要な役割を果たしてきた。
この名島橋が昨年5月、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として国の登録有形文化財に登録された。働き掛けたのは名島校区の自治協議会会長、自治会連合会会長などを務める田中友春さん(副区長)である。
「名島橋は長年、地域に愛されてきた心のふるさとのようなもの。私が会長になる前から先輩方が願ってきたことが結実し、感無量です」
田中さんの"地域デビュー"は11年前。「あなたのニコニコ顔なら大丈夫!」との住民の声に推された。当時は50代半ばのサラリーマン。自分に務まるのかと不安もあったが、地域活動の大先輩である三善隆之さん(副支部長)・道子さん(区婦人部主事)夫妻の支えが大きかった。
隆之さんは地元の自治会長や東福岡交通安全協会支部長などを歴任し、地域に根差して35年。道子さんは民生委員・児童委員を15年務め、公民館事業の一環として学会婦人部の友と開いた子どものための園芸教室は20年になる。今も、地元老人会で夫婦共に役職を担い、二人三脚で貢献の道を歩み続けている。
"地域の発展のために、愛する未来の宝のために"——そんな先輩の心と行動に、田中さんも続いた。どんなに多忙でも、仕事や地域、学会活動に全力。定年を過ぎた今も、運送会社で月に10日、深夜勤務に従事しながら、地域では11の役職を担う。手帳を開けば先々の予定までぎっしり。地元の公民館館長は「人徳も実行力もある田中さんをいつも頼りにしています」と。
田中さんは言う。「大変な分、やりがいも大きい。名島橋の登録有形文化財の登録も"子どもたちが誇れる町に"との思いの表れでもあります。登録記念の式典に参加してくれた生徒に『名島に生まれて良かった』と言ってもらえた時は、涙が出るほどうれしかった」
人間関係の希薄化が危惧される昨今。少子高齢化の進展などに伴い、地域行事への参加も高齢者に偏りやすい現状がある。
そうした課題と向き合う名島校区では、子どもたちと共に清掃活動をしたり、敬老の日には校区の80歳以上の高齢者全員に地元の小中学生が感謝の手紙を渡したりと、世代を結び、地域全体で子どもを育む取り組みを実施してきた。
また、毎年開催している夏祭りの実行委員会には必ず中学生を入れる。子どもたちの柔軟なアイデアから若者が喜ぶ催しを取り入れる中、10代、20代の参加者が年々増えている。
子どもたちを育てることが、地域の未来を育てることにつながる——この確信を力に、田中さんは人と人をつなぐ"懸け橋"となることを心に期している。
◇誰も置き去りにしない心で/新潟・長岡市 戸田芳子さん
ある人は言う。「彼女は地域の肝っ玉母さんです」と。またある人は親しみを込めて、「おもちゃのミニカーみたいに、みんなのために動き回る人」と。
新潟・長岡市の戸田芳子さん(総県副婦人部長)に寄せられる住民の声からは、その信頼の厚さがうかがえる。戸田さんは、同市宮内地区の民生委員・児童委員副会長、コミュニティ推進委員会理事、東宮内町内の老人会副会長など、数々の役職を受け持つ。小柄な体からほとばしるエネルギーと熱き"地域愛"は、約40年の貢献人生の中で育まれてきた。
入会は1971年(昭和46年)。長岡に嫁いで4年後のことだった。学会への偏見や誤解が多かった時代である。周囲から"村八分"同然の扱いも受けた。それでも「地域を大事にするんだぞ」と励ましてくれたのは、信心の厚い義父だった。いつも笑顔を絶やさず、町に尽くし抜く"地域貢献の大先輩"でもあった。
地道に行動を重ね、地域では「女性初」といわれるPTA副会長に選出。その後も、数々の地域役職を担い、信頼を広げてきた。
「悔し涙を流した時もありましたが、この地域のおかげで人の温かさも知ることができました。目配り、気配り、心配りを大切に、地域に恩返しがしたい」
今、130世帯ほどある東宮内町の約半数が65歳以上の高齢者。独り暮らしも多い。だからこそ日頃からの住民同士の連携が事故を未然に防ぐ鍵だという。
以前、「独り暮らしの方の住宅のカーテンが数日閉まったまま」との情報を受けた。日常との違いを敏感に察知した近隣住民からの声だった。戸田さんは素早く行政と連携し、地域包括支援センターの職員、不動産の担当者らと訪問。布団にくるまったまま"生きる気力"を失っていた高齢の婦人に寄り添い、救命することができた。
「私たちの活動は、地域の皆さんの協力と支えがあってこそ。本当に感謝しています。民生委員が住民と行政の"橋渡し"になることはできても、横のつながりが弱ければ、取り残される人も出てくる。だからこそ、他者との絆を大切にしていきたい」
毎月、宮内地区で開催している集い「ふれあい広場」には、60人以上の高齢者が参加する。「笑いヨガ」や子どもたちとの昼食会などを企画し、積極的に地域交流を図っている。
一方で住民の中には、障がい者や生活困窮者など、多岐にわたる状況から交流の場に足を運べない方も多い。だからこそ戸田さんは"誰も置き去りにしない"との心で、住民一人一人に寄り添い続ける。
「全て学会活動の中で学んだことの実践です。信頼し、支え合える地域づくりのために、私にできることは何でもやります!」
"使命に引退なし"と、その瞳は年を経るごとに、いっそう輝きを増す。
朗々たる祈りの中で
日々の目標を明確に!
具体的な実践を重ね
勇猛果敢に勝ち進もう!
三三蔵祈雨事 P1472
『外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしがやうやくわかれて九十五種なり、其の中に多くの智者神通のものありしかども一人も生死をはなれず』
【通解】
外道というものは、仏の出世以前八百年から起こって、初めは二天・三仙のみであったが、次第に分かれて九十五種となった。その中に多くの智者や神通を得た者がいたけれども、一人も生死の迷いから離れてはいない。
〈寸鉄〉 2019年2月17日
幸福でたまらない境涯になるのが学会活動の功徳だ—恩師。今日も弛まず
農漁光部の日。仏法持ち食守る皆様こそ生命世紀の旗手。栄光と福徳あれ
こんな諸悪に黙っていられるか—詩人。これ青年の心。堂々と正義を叫べ
若者の半数が将来難聴に—警鐘。大音量で音楽を聴き過ぎと。見直し賢く
携帯電話の「ながら運転」での事故多し。少しだけが命取り。気を引き締め
☆ふるさとを照らす誉れの長者 地域部 2019年2月6日
池田先生はかつて、地域と関わる大切さについて語った。「地域に根を張り、人々のために尽くすことが、どれほど偉大なことか。地道な活動が、深き信頼を築いていく。わが地域を、希望輝く理想郷へと変革する力となる」と。ここでは、地域の発展と幸福のために奔走する地域部の代表を紹介する。
◇子どもたちが誇れる地域に/福岡市東区 田中友春さん
JR博多駅から国道3号を北上していくと、多々良川河口に架かる「名島橋」に差し掛かる。全長204メートル、全幅24メートルの道路橋だ。側面には7連のアーチが施され、白く輝く御影石が力強い美しさを感じさせる。
一日の車の往来は、約6万台。1933年(昭和8年)の完成以来、福岡都心部と北部九州地域を結ぶ"福岡の東玄関"として重要な役割を果たしてきた。
この名島橋が昨年5月、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として国の登録有形文化財に登録された。働き掛けたのは名島校区の自治協議会会長、自治会連合会会長などを務める田中友春さん(副区長)である。
「名島橋は長年、地域に愛されてきた心のふるさとのようなもの。私が会長になる前から先輩方が願ってきたことが結実し、感無量です」
田中さんの"地域デビュー"は11年前。「あなたのニコニコ顔なら大丈夫!」との住民の声に推された。当時は50代半ばのサラリーマン。自分に務まるのかと不安もあったが、地域活動の大先輩である三善隆之さん(副支部長)・道子さん(区婦人部主事)夫妻の支えが大きかった。
隆之さんは地元の自治会長や東福岡交通安全協会支部長などを歴任し、地域に根差して35年。道子さんは民生委員・児童委員を15年務め、公民館事業の一環として学会婦人部の友と開いた子どものための園芸教室は20年になる。今も、地元老人会で夫婦共に役職を担い、二人三脚で貢献の道を歩み続けている。
"地域の発展のために、愛する未来の宝のために"——そんな先輩の心と行動に、田中さんも続いた。どんなに多忙でも、仕事や地域、学会活動に全力。定年を過ぎた今も、運送会社で月に10日、深夜勤務に従事しながら、地域では11の役職を担う。手帳を開けば先々の予定までぎっしり。地元の公民館館長は「人徳も実行力もある田中さんをいつも頼りにしています」と。
田中さんは言う。「大変な分、やりがいも大きい。名島橋の登録有形文化財の登録も"子どもたちが誇れる町に"との思いの表れでもあります。登録記念の式典に参加してくれた生徒に『名島に生まれて良かった』と言ってもらえた時は、涙が出るほどうれしかった」
人間関係の希薄化が危惧される昨今。少子高齢化の進展などに伴い、地域行事への参加も高齢者に偏りやすい現状がある。
そうした課題と向き合う名島校区では、子どもたちと共に清掃活動をしたり、敬老の日には校区の80歳以上の高齢者全員に地元の小中学生が感謝の手紙を渡したりと、世代を結び、地域全体で子どもを育む取り組みを実施してきた。
また、毎年開催している夏祭りの実行委員会には必ず中学生を入れる。子どもたちの柔軟なアイデアから若者が喜ぶ催しを取り入れる中、10代、20代の参加者が年々増えている。
子どもたちを育てることが、地域の未来を育てることにつながる——この確信を力に、田中さんは人と人をつなぐ"懸け橋"となることを心に期している。
◇誰も置き去りにしない心で/新潟・長岡市 戸田芳子さん
ある人は言う。「彼女は地域の肝っ玉母さんです」と。またある人は親しみを込めて、「おもちゃのミニカーみたいに、みんなのために動き回る人」と。
新潟・長岡市の戸田芳子さん(総県副婦人部長)に寄せられる住民の声からは、その信頼の厚さがうかがえる。戸田さんは、同市宮内地区の民生委員・児童委員副会長、コミュニティ推進委員会理事、東宮内町内の老人会副会長など、数々の役職を受け持つ。小柄な体からほとばしるエネルギーと熱き"地域愛"は、約40年の貢献人生の中で育まれてきた。
入会は1971年(昭和46年)。長岡に嫁いで4年後のことだった。学会への偏見や誤解が多かった時代である。周囲から"村八分"同然の扱いも受けた。それでも「地域を大事にするんだぞ」と励ましてくれたのは、信心の厚い義父だった。いつも笑顔を絶やさず、町に尽くし抜く"地域貢献の大先輩"でもあった。
地道に行動を重ね、地域では「女性初」といわれるPTA副会長に選出。その後も、数々の地域役職を担い、信頼を広げてきた。
「悔し涙を流した時もありましたが、この地域のおかげで人の温かさも知ることができました。目配り、気配り、心配りを大切に、地域に恩返しがしたい」
今、130世帯ほどある東宮内町の約半数が65歳以上の高齢者。独り暮らしも多い。だからこそ日頃からの住民同士の連携が事故を未然に防ぐ鍵だという。
以前、「独り暮らしの方の住宅のカーテンが数日閉まったまま」との情報を受けた。日常との違いを敏感に察知した近隣住民からの声だった。戸田さんは素早く行政と連携し、地域包括支援センターの職員、不動産の担当者らと訪問。布団にくるまったまま"生きる気力"を失っていた高齢の婦人に寄り添い、救命することができた。
「私たちの活動は、地域の皆さんの協力と支えがあってこそ。本当に感謝しています。民生委員が住民と行政の"橋渡し"になることはできても、横のつながりが弱ければ、取り残される人も出てくる。だからこそ、他者との絆を大切にしていきたい」
毎月、宮内地区で開催している集い「ふれあい広場」には、60人以上の高齢者が参加する。「笑いヨガ」や子どもたちとの昼食会などを企画し、積極的に地域交流を図っている。
一方で住民の中には、障がい者や生活困窮者など、多岐にわたる状況から交流の場に足を運べない方も多い。だからこそ戸田さんは"誰も置き去りにしない"との心で、住民一人一人に寄り添い続ける。
「全て学会活動の中で学んだことの実践です。信頼し、支え合える地域づくりのために、私にできることは何でもやります!」
"使命に引退なし"と、その瞳は年を経るごとに、いっそう輝きを増す。
2019年2月16日土曜日
2019.02.16 わが友に贈る
厳寒の朝を駆ける
無冠の友に感謝!
雪道や凍結路に注意を。
皆様の無事故・健康を
真剣に祈っています!
経王殿御返事 P1124
『仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』
【通解】
釈迦仏の御意は法華経である。日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたものはない。
〈寸鉄〉 2019年2月16日
大聖人御聖誕の日。新時代の「二月闘争」で慶祝。立正安国の魂を社会へ!
千葉の日。誉れ高き民衆仏法源流の天地。今こそ旭日の勢いで友情拡大を
最も尊い人は自覚した目的を持ち、決断、実行する—文豪。使命に走る我ら
SNSで簡単に稼げる—根拠ない宣伝横行。うまい話には裏が。嘘見抜け
花粉症の季節に。早めの対応で症状は緩和。賢い体調管理で朗らかに前進
☆世界に魂を 心に翼を 第12回 精神のシルクロード(下)
◇時代をつくる人間交流の大道
中国とソ連のアーティストが初対面のあいさつを交わす。険しい表情が浮かんでいた。無理もない。両国は"敵対関係"にあった。
1985年夏。公式には決して同席しなかった中ソの音楽家が"世界初共演"に臨む。その舞台こそ、第4回を迎えた民音公演「シルクロード音楽の旅」であった。
第1回の「歌編」(79年)、第2回の「楽器編」(81年)、第3回の「舞踊編」(83年)を総括する「総集編」である。公演のタイトルには「遙かなる平和の道」と冠されていた。
第4回の出演国はトルコ、日本、中国(漢民族、ウイグル族、モンゴル族、キルギス族)、そして、当時はまだソ連だったウズベク共和国の4カ国である。不測の事態に備え、連日、受け入れ態勢が協議された。"プログラムの順番は?""移動のバスは別々にすべきか""宿舎は国ごとに階を分けるか……"
緊張に包まれて迎えた"初顔合わせ"。関係者の不安は瞬く間に消えた。ソ連の音楽家が楽器を手にするやいなや、その旋律に乗って中国の出演者が即興で踊り始めたからだ。
長い年月を共に旅してきたかのような、呼吸の合ったコラボレーション。出会って、まだ数分である。見守る関係者の胸が熱くなった。
各国に通訳がついていたが、身ぶり手ぶりで直接"会話"が弾む。音楽を介し、心は瞬時に通った。国ごとに分かれていた宿舎の部屋割りも、いつしか中ソの音楽家が互いに行き来して話し込むほどに。
日本各地を巡る29回のステージ。舞台脇の関係者が目を見張った。
ソ連の民族舞踊に中国の出演者がさりげなく紛れ込んでいる。かと思えば、中国の演技に、さも当然のようにソ連の音楽家が加わっていた。
第1回から舞台を演出してきた藤田敏雄氏。「ついに中ソの国境線が消えた。精神のシルクロードが誕生した」と肩を震わせた。
◇ ◆ ◇
ミュージカル用語に「ショーストップ」という言葉がある。あまりに素晴らしい歌や演技等に対し、拍手や喝采がやまず、ショーの進行が一時的に中断することだ。
日本の創作ミュージカルの草分け的存在である藤田氏は、この第4回公演を「ショーストップの連続だった」と追想する。
来日した出演者は、いずれも日本でいう"国宝級"。加えて美術に妹尾河童氏、照明に沢田祐二氏、舞台監督に金一浩司氏、制作に山川泉氏。ステージには島倉二千六氏の背景が広がっていた。
中でも公演終盤、全ての国の出演者が共に披露する"合同演奏"は、熱烈な喝采を浴びた。編曲は前田憲男氏である。それぞれの国に足を運んでも、なかなか目にできない希有な舞台。その粋が詰まった公演は、まさに民族音楽の夢の共演であった。
そして何より、人種や国境といった壁をはるかに見下ろす人間の魂の結合が、聴衆の心を捉えて離さない。
大歓声のフィナーレでは、各国の代表が互いに手を取り、高々と花束を掲げている。幕が下りるなり、出演者は肩を抱いて喜び合った。
85年8月16日、全日程を終えた出演者らを、民音創立者の池田先生が聖教新聞本社に迎えている。
歓迎に立った友が「さくらさくら」を歌うと、中国の歌手が飛び入りで唱和し、ソ連の音楽家が日本舞踊を即興で舞った。来日中に振り付けを覚えたという。
池田先生は「芸術には相克も争いもない。芸術は平和の心を結ぶ道であることを、実証してくださった」と、心からの感謝を伝えている。
先生は、後に振り返った。
「文化の交流、民衆の交流、人間の交流——この新しきシルクロードの往来は、たとえ地味であり、小さな波のように見えたとしても、一波が万波となり、万波が平和の船を運んでいく。人々の心と心を結び、世界を大きく友好へとリードする。私どもの運動は、そうした時代の流れをつくり出している。このことを大きな誇りとしていっていただきたい」
第4回公演から4年後の89年、ソ連のゴルバチョフ書記長(当時)が中国を訪問。中ソの劇的な政治的和解が実現した。
◇ ◆ ◇
当初、第4回で終了する予定だった「シルクロード音楽の旅」は、大好評を博し、延長が決定。2009年まで全11回、20カ国300人以上の芸術家が参加している。
インド、イラク、中国、日本、パキスタン、ルーマニア、トルコ、ウズベキスタン(旧ソ連)、タジキスタン(同)、モンゴル、アゼルバイジャン(同)、イラン、エジプト、カザフスタン(同)、ギリシャ、韓国、トルクメニスタン(同)、ネパール、キルギス(同)、シリア(初出演の順)。
民族も文化もさまざま。ましてや、その大半が日本初公演の音楽家である。激動の時代とも相まって、どの公演も一筋縄ではいかなかった。
平成元年(1989年)の第6回公演「遙かなる隊商の道」には、イランが初出演。イラン・イラク戦争の終結直後である。宗教上の慣習に従い、男女の共演は不可。合同演奏には参加せず、女性通訳は布で顔を覆った。
ソ連の崩壊によって、連携が難航した国々もあった。アーティストが無事に成田空港に到着するのを、祈り待つ日々が続いた。
出演者の安着の報をはじめ、公演の進捗を耳にするたび、池田先生は各人の健康や食事、睡眠にいたるまで気を配った。「はるばる来てくださっている。相手の文化を最大に尊重していきなさい」「どの国も大切に。小さな国ほど大事に」。家族のように心を砕いた。
シルクロードシリーズを主催し続けた「民音の英断と心意気」に感謝したい——公演を長く支えた妹尾河童氏は、そう述懐する。「本来なら政府がやるべき事業を、一民間団体が主導している」と、氏自身も多忙を縫っての尽力を惜しまなかった。
各公演は、専門家が各国に足を運び、技量を確かめつつ出演を依頼してきたが、来日公演によって自国で注目されることも少なくなかった。
第4回から第10回まで司会と解説を務めた三隅治雄氏。伝統芸能研究の第一人者である。
「出演者は、皆が一流の芸術家です。しかし、彼らが自国でふさわしい評価を得ているのかといえば、必ずしもそうではない。大きな拍手を受け、感動で涙する観客を目にし、自信と誇りに満ちて帰国する。そこに、どれほど大きな意義があるか。現に、日本での活躍を受け、各国で再評価が進みました。民音の舞台が各国の芸術家を勇気づけ、音楽文化の土壌を掘り起こしてきたのです」
氏は"海のシルクロード"をテーマにした「マリンロード音楽の旅」(全8回)の企画も手掛け、来日する芸術家の変化を間近で見つめてきた。「互いを探り合うような表情だった芸術家が、ひとたび演奏することで即座に打ち解け合う。楽器も旋律も共通する部分は多いですから」
「もちろん、それだけで国際紛争などが解決されるわけではありません。ですが、"潤滑油"にはなります。ここまで継続性のある交流の舞台は、世界にも例がないでしょう。オリンピックが4年に1度あるように、民音のシルクロードシリーズは2年に1度、新たな音楽文化の創造を世に発信してきました」
◇ ◆ ◇
時代を画した第4回「シルクロード音楽の旅」について、池田先生は随筆につづっている。
「実現までの道程は険しかった。『中ソ対立』が影を落としていたからだ。だが、そこに住むのは人間だ。どうして、わかり合えないはずがあろうか! 民音のスタッフは"文化は国家間の対立を乗り越えられる"と信じ、粘り強く交渉を続けていった。この民音がめざす文化交流への熱意が伝わった時、中ソ両国からOKのサインが出たのである」
精神のシルクロードの起点となった、先生のモスクワ大学での記念講演「東西文化交流の新しい道」(75年)。そこには「人間」と「文化」への揺るがぬ信念が凝結していた。
「本来、文化の骨髄は、最も普遍的な人間生命の躍動する息吹にほかなりません。それゆえ、人間歓喜の高鳴る調べが、あたかも人びとの胸中に張られた絃に波動し、共鳴音を奏でるように、文化は人間本来の営みとして、あらゆる隔たりを超えて、誰人の心をもとらえるのであります。この人間と人間との共鳴にこそ、文化交流の原点があると、私は考えるのであります」
講演の翌日、先生はコスイギン首相と再会。その後も訪ソのたびに、チーホノフ首相、ルイシコフ首相、ゴルバチョフ大統領らと対話を重ねてきた。「池田博士の『精神のシルクロードの開拓』という理念は、大学レベルから、わが国の最高指導者のレベルにまで広がっていきました」(モスクワ大学のサドーヴニチィ総長)と識者は指摘する。
今、110カ国・地域にまで発展した民音の芸術交流。池田先生は先の随筆で、その信頼の絆をたたえ、こうも記している。
「この人類を結ぶ文化交流の大道を、私は『精神のシルクロード』と呼びたい。新たな歴史を開いているのだ。私たちは、いかなる批判も、迫害も恐れない」
ここに、文化の地平を開きゆく友の信念があり、決意がある。
無冠の友に感謝!
雪道や凍結路に注意を。
皆様の無事故・健康を
真剣に祈っています!
経王殿御返事 P1124
『仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』
【通解】
釈迦仏の御意は法華経である。日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたものはない。
〈寸鉄〉 2019年2月16日
大聖人御聖誕の日。新時代の「二月闘争」で慶祝。立正安国の魂を社会へ!
千葉の日。誉れ高き民衆仏法源流の天地。今こそ旭日の勢いで友情拡大を
最も尊い人は自覚した目的を持ち、決断、実行する—文豪。使命に走る我ら
SNSで簡単に稼げる—根拠ない宣伝横行。うまい話には裏が。嘘見抜け
花粉症の季節に。早めの対応で症状は緩和。賢い体調管理で朗らかに前進
☆世界に魂を 心に翼を 第12回 精神のシルクロード(下)
◇時代をつくる人間交流の大道
中国とソ連のアーティストが初対面のあいさつを交わす。険しい表情が浮かんでいた。無理もない。両国は"敵対関係"にあった。
1985年夏。公式には決して同席しなかった中ソの音楽家が"世界初共演"に臨む。その舞台こそ、第4回を迎えた民音公演「シルクロード音楽の旅」であった。
第1回の「歌編」(79年)、第2回の「楽器編」(81年)、第3回の「舞踊編」(83年)を総括する「総集編」である。公演のタイトルには「遙かなる平和の道」と冠されていた。
第4回の出演国はトルコ、日本、中国(漢民族、ウイグル族、モンゴル族、キルギス族)、そして、当時はまだソ連だったウズベク共和国の4カ国である。不測の事態に備え、連日、受け入れ態勢が協議された。"プログラムの順番は?""移動のバスは別々にすべきか""宿舎は国ごとに階を分けるか……"
緊張に包まれて迎えた"初顔合わせ"。関係者の不安は瞬く間に消えた。ソ連の音楽家が楽器を手にするやいなや、その旋律に乗って中国の出演者が即興で踊り始めたからだ。
長い年月を共に旅してきたかのような、呼吸の合ったコラボレーション。出会って、まだ数分である。見守る関係者の胸が熱くなった。
各国に通訳がついていたが、身ぶり手ぶりで直接"会話"が弾む。音楽を介し、心は瞬時に通った。国ごとに分かれていた宿舎の部屋割りも、いつしか中ソの音楽家が互いに行き来して話し込むほどに。
日本各地を巡る29回のステージ。舞台脇の関係者が目を見張った。
ソ連の民族舞踊に中国の出演者がさりげなく紛れ込んでいる。かと思えば、中国の演技に、さも当然のようにソ連の音楽家が加わっていた。
第1回から舞台を演出してきた藤田敏雄氏。「ついに中ソの国境線が消えた。精神のシルクロードが誕生した」と肩を震わせた。
◇ ◆ ◇
ミュージカル用語に「ショーストップ」という言葉がある。あまりに素晴らしい歌や演技等に対し、拍手や喝采がやまず、ショーの進行が一時的に中断することだ。
日本の創作ミュージカルの草分け的存在である藤田氏は、この第4回公演を「ショーストップの連続だった」と追想する。
来日した出演者は、いずれも日本でいう"国宝級"。加えて美術に妹尾河童氏、照明に沢田祐二氏、舞台監督に金一浩司氏、制作に山川泉氏。ステージには島倉二千六氏の背景が広がっていた。
中でも公演終盤、全ての国の出演者が共に披露する"合同演奏"は、熱烈な喝采を浴びた。編曲は前田憲男氏である。それぞれの国に足を運んでも、なかなか目にできない希有な舞台。その粋が詰まった公演は、まさに民族音楽の夢の共演であった。
そして何より、人種や国境といった壁をはるかに見下ろす人間の魂の結合が、聴衆の心を捉えて離さない。
大歓声のフィナーレでは、各国の代表が互いに手を取り、高々と花束を掲げている。幕が下りるなり、出演者は肩を抱いて喜び合った。
85年8月16日、全日程を終えた出演者らを、民音創立者の池田先生が聖教新聞本社に迎えている。
歓迎に立った友が「さくらさくら」を歌うと、中国の歌手が飛び入りで唱和し、ソ連の音楽家が日本舞踊を即興で舞った。来日中に振り付けを覚えたという。
池田先生は「芸術には相克も争いもない。芸術は平和の心を結ぶ道であることを、実証してくださった」と、心からの感謝を伝えている。
先生は、後に振り返った。
「文化の交流、民衆の交流、人間の交流——この新しきシルクロードの往来は、たとえ地味であり、小さな波のように見えたとしても、一波が万波となり、万波が平和の船を運んでいく。人々の心と心を結び、世界を大きく友好へとリードする。私どもの運動は、そうした時代の流れをつくり出している。このことを大きな誇りとしていっていただきたい」
第4回公演から4年後の89年、ソ連のゴルバチョフ書記長(当時)が中国を訪問。中ソの劇的な政治的和解が実現した。
◇ ◆ ◇
当初、第4回で終了する予定だった「シルクロード音楽の旅」は、大好評を博し、延長が決定。2009年まで全11回、20カ国300人以上の芸術家が参加している。
インド、イラク、中国、日本、パキスタン、ルーマニア、トルコ、ウズベキスタン(旧ソ連)、タジキスタン(同)、モンゴル、アゼルバイジャン(同)、イラン、エジプト、カザフスタン(同)、ギリシャ、韓国、トルクメニスタン(同)、ネパール、キルギス(同)、シリア(初出演の順)。
民族も文化もさまざま。ましてや、その大半が日本初公演の音楽家である。激動の時代とも相まって、どの公演も一筋縄ではいかなかった。
平成元年(1989年)の第6回公演「遙かなる隊商の道」には、イランが初出演。イラン・イラク戦争の終結直後である。宗教上の慣習に従い、男女の共演は不可。合同演奏には参加せず、女性通訳は布で顔を覆った。
ソ連の崩壊によって、連携が難航した国々もあった。アーティストが無事に成田空港に到着するのを、祈り待つ日々が続いた。
出演者の安着の報をはじめ、公演の進捗を耳にするたび、池田先生は各人の健康や食事、睡眠にいたるまで気を配った。「はるばる来てくださっている。相手の文化を最大に尊重していきなさい」「どの国も大切に。小さな国ほど大事に」。家族のように心を砕いた。
シルクロードシリーズを主催し続けた「民音の英断と心意気」に感謝したい——公演を長く支えた妹尾河童氏は、そう述懐する。「本来なら政府がやるべき事業を、一民間団体が主導している」と、氏自身も多忙を縫っての尽力を惜しまなかった。
各公演は、専門家が各国に足を運び、技量を確かめつつ出演を依頼してきたが、来日公演によって自国で注目されることも少なくなかった。
第4回から第10回まで司会と解説を務めた三隅治雄氏。伝統芸能研究の第一人者である。
「出演者は、皆が一流の芸術家です。しかし、彼らが自国でふさわしい評価を得ているのかといえば、必ずしもそうではない。大きな拍手を受け、感動で涙する観客を目にし、自信と誇りに満ちて帰国する。そこに、どれほど大きな意義があるか。現に、日本での活躍を受け、各国で再評価が進みました。民音の舞台が各国の芸術家を勇気づけ、音楽文化の土壌を掘り起こしてきたのです」
氏は"海のシルクロード"をテーマにした「マリンロード音楽の旅」(全8回)の企画も手掛け、来日する芸術家の変化を間近で見つめてきた。「互いを探り合うような表情だった芸術家が、ひとたび演奏することで即座に打ち解け合う。楽器も旋律も共通する部分は多いですから」
「もちろん、それだけで国際紛争などが解決されるわけではありません。ですが、"潤滑油"にはなります。ここまで継続性のある交流の舞台は、世界にも例がないでしょう。オリンピックが4年に1度あるように、民音のシルクロードシリーズは2年に1度、新たな音楽文化の創造を世に発信してきました」
◇ ◆ ◇
時代を画した第4回「シルクロード音楽の旅」について、池田先生は随筆につづっている。
「実現までの道程は険しかった。『中ソ対立』が影を落としていたからだ。だが、そこに住むのは人間だ。どうして、わかり合えないはずがあろうか! 民音のスタッフは"文化は国家間の対立を乗り越えられる"と信じ、粘り強く交渉を続けていった。この民音がめざす文化交流への熱意が伝わった時、中ソ両国からOKのサインが出たのである」
精神のシルクロードの起点となった、先生のモスクワ大学での記念講演「東西文化交流の新しい道」(75年)。そこには「人間」と「文化」への揺るがぬ信念が凝結していた。
「本来、文化の骨髄は、最も普遍的な人間生命の躍動する息吹にほかなりません。それゆえ、人間歓喜の高鳴る調べが、あたかも人びとの胸中に張られた絃に波動し、共鳴音を奏でるように、文化は人間本来の営みとして、あらゆる隔たりを超えて、誰人の心をもとらえるのであります。この人間と人間との共鳴にこそ、文化交流の原点があると、私は考えるのであります」
講演の翌日、先生はコスイギン首相と再会。その後も訪ソのたびに、チーホノフ首相、ルイシコフ首相、ゴルバチョフ大統領らと対話を重ねてきた。「池田博士の『精神のシルクロードの開拓』という理念は、大学レベルから、わが国の最高指導者のレベルにまで広がっていきました」(モスクワ大学のサドーヴニチィ総長)と識者は指摘する。
今、110カ国・地域にまで発展した民音の芸術交流。池田先生は先の随筆で、その信頼の絆をたたえ、こうも記している。
「この人類を結ぶ文化交流の大道を、私は『精神のシルクロード』と呼びたい。新たな歴史を開いているのだ。私たちは、いかなる批判も、迫害も恐れない」
ここに、文化の地平を開きゆく友の信念があり、決意がある。
2019年2月15日金曜日
2019.02.15 わが友に贈る
一つの種が実を結べば
いくつもの種をつける。
後継の青年こそ希望!
一人を大切に育むことが
永遠の流れを開く鍵だ。
四条金吾殿御返事 P1151
『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利衰毀誉称譏苦楽なり』
【通解】
賢人は八風といって八種の風に侵されないのを賢人というのである。
八風とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。
〈寸鉄〉 2019年2月15日
各地でにぎやかに座談会体験や決意、喝采あり。皆が輝く触発の会座に!
未入会家族に感謝の言葉を。真心込めて。身近な人の理解こそ広布の土台
勇気は人を繁栄へと導く—哲人。今こそ殻破れ!強盛な祈りで大胆に前進
入浴時の血圧変動に注意脱衣所の暖房、水分補給、長湯は控えるなど対策を
乾燥続き火災多発。可燃物の整理、火の元の始末…指さし確認でがっちり
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 立正安国論(上) 2019年2月9日
◇勇気凜々と正義を語り抜こう!
◇生命尊厳を社会の原理に
今月から2回にわたり、「立正安国論」を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「創価学会は、『立正安国の旗』を掲げて、どこまでも、民衆の幸福と世界の平和のために、現実社会の変革に挑戦しゆく使命を貫きます。そこに、『人間のための宗教』の精髄があるからです。それは、仏教の根本精神でもあります。また、日蓮大聖人直結の実践の証です。そして、これこそが創価の師弟の魂にほかなりません」
大聖人の民衆救済の御精神を学び、自他共の幸福を築く対話を広げていきましょう。(拝読範囲は、御書17ページ冒頭〜26ページ12行目です)
◇本抄について
本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。客(時頼を想定)と主人(大聖人を想定)の問答形式で記されています。
「立正安国(正を立て国を安んず)」とは、人々が正法を信受し、仏法の思想が社会の基本原理として確立することによって(立正)、社会の繁栄と世界の平和を築く(安国)との意味です。
本書の御執筆当時、飢饉、疫病に加え、大地震などの自然災害が相次ぎ、民衆は苦悩の底にありました。
問答の中で主人は、災難の根本原因が、生命尊厳の法華経を否定する「謗法」にあると明かします。
そして、このままでは、三災七難のうちまだ起きていない「自界叛逆難(内乱)」「他国侵逼難(他国からの侵略)」が必ず起こると警告し、一刻も早く「実乗の一善」(妙法)に帰依するよう、客に促します。
最後に、客は謗法の教えを捨てて正法に帰依することを誓います。この言葉が本書全体の結論となっています。
◇御文�
『悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』(24ページ2行目〜4行目)
◇通解
悲しいことには、この数十年の間に、百千万の人が法然の魔の働きにたぶらかされて、多くの人が仏の教えに迷ってしまった。謗法の教えを好んで、正法を忘れている。どうして善神が怒りを起こさないだろうか。円満の法を捨てて、偏頗な教えを好んでいる。どうして悪鬼が便りを得ないでいるだろうか。(災難を根絶するには)あのような万の祈りを行うよりも、この一凶である法然の謗法を禁ずることが最も大事である。
◇御文�
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや』(26ページ4行目〜5行目)
◇通解
私は(あなたが言われるように)取るに足りない身ではあるけれども、かたじけなくも大乗の教えを学んでいる。青バエは驥(1日に1000里を走るという名馬)の尾に付いて万里を渡り、緑のつる草は松の枝先に掛かって千尋の高さにまで伸びることができる。仏弟子である私は、唯一の仏(である釈尊)の子として生まれて、諸経の王である法華経に仕えている。どうして仏法が衰微するのを見て、哀惜の心情を起こさないでいられるだろうか。
◇解説
大聖人は、法華経こそ最も勝れた経典であるとし、その肝要であり、万人成仏の法である南無妙法蓮華経を弘められました。
しかし、本書が著された当時、特に隆盛を誇っていたのは、法然の念仏でした。法然は、法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛て(捨閉閣抛)とし、念仏を称えることで、来世は西方極楽浄土に生まれると説きました。
法華経という生命の尊厳性を説いた大法を「捨閉閣抛」することで、人心は諦めや現実逃避で覆われ、世相も荒廃を極めていたのです。
ゆえに、御文�では、災難を止めるためには、まず正法誹謗の「一凶」である念仏を禁じよと断言されているのです。
一凶との戦いは、私たち個人の次元で拝せば、生命の根源的な無知である「元品の無明」との戦いであるといえます。「元品の無明」は、無力感や無関心、自己卑下など、さまざまな形で表れます。これらを打ち破る力こそ、妙法への「信の一字」(御書751ページ)です。
さらに、私たちが対話によって人々の無明を打ち払い、正法を社会に確立することが、立正安国への直道になります。
念仏を破折する主人に対して、客は"卑しい身分でありながら、世間で称賛される法然聖人を批判している"と非難します。その答えが御文�です。
小さなハエも、名馬の尾につかまれば、万里を走ることができる——こうした譬えを通し、主人は、「諸経の王」である法華経を持つ誇りを述べます。そして、真実の仏法者として"正法の衰退を見過ごすことはできない"との真情を語ります。
人間の真価は、身分や地位では決まりません。いかなる法を持ち、いかなる生き方をするかで決まるのです。
私たちでいえば、学会員として、広宣流布の師匠と共に前進していくことで、自分では想像もしなかったような幸福境涯が築かれていきます。
行学の実践を根本に、誉れの創価の大道を朗らかに歩んでいきましょう。
★池田先生の講義から
大事なのは民衆です。民衆が根本です。民衆が平和で安穏に暮らせる社会をつくらなければならない。
そのためにこそ、「生命尊厳」「人間尊敬」の思想を厳然と確立することです。
一人一人の生命は限りなく尊極である。「生命軽視」「人間蔑視」の風潮を断じてはびこらせない。どこまでも「一人を大切にする社会」「万人の幸福を実現する社会」を築く。それが二十一世紀の立正安国の実践です。(『御書と青年』)
◇ ◆ ◇
友のためにと思って、仏法の正義を語った言葉が、反発を受けることもある。しかし、その心は必ず伝わる。
大事なことは、その対話に強く深い「祈り」を込めていくことです。「祈り」のこもった言葉は、必ず相手の生命の内奥の「仏性」に届きます。(中略)
勇気凜々と、わが信念を叫んでこそ、青年です。相手がどうあれ、立正安国という最極の正義の対話の実践です。自信満々と朗らかに語りきっていけば、勝利です。(同)
研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
○…『御書と青年』(同)
○…『御書と師弟』第2巻(同)
いくつもの種をつける。
後継の青年こそ希望!
一人を大切に育むことが
永遠の流れを開く鍵だ。
四条金吾殿御返事 P1151
『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利衰毀誉称譏苦楽なり』
【通解】
賢人は八風といって八種の風に侵されないのを賢人というのである。
八風とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。
〈寸鉄〉 2019年2月15日
各地でにぎやかに座談会体験や決意、喝采あり。皆が輝く触発の会座に!
未入会家族に感謝の言葉を。真心込めて。身近な人の理解こそ広布の土台
勇気は人を繁栄へと導く—哲人。今こそ殻破れ!強盛な祈りで大胆に前進
入浴時の血圧変動に注意脱衣所の暖房、水分補給、長湯は控えるなど対策を
乾燥続き火災多発。可燃物の整理、火の元の始末…指さし確認でがっちり
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 立正安国論(上) 2019年2月9日
◇勇気凜々と正義を語り抜こう!
◇生命尊厳を社会の原理に
今月から2回にわたり、「立正安国論」を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「創価学会は、『立正安国の旗』を掲げて、どこまでも、民衆の幸福と世界の平和のために、現実社会の変革に挑戦しゆく使命を貫きます。そこに、『人間のための宗教』の精髄があるからです。それは、仏教の根本精神でもあります。また、日蓮大聖人直結の実践の証です。そして、これこそが創価の師弟の魂にほかなりません」
大聖人の民衆救済の御精神を学び、自他共の幸福を築く対話を広げていきましょう。(拝読範囲は、御書17ページ冒頭〜26ページ12行目です)
◇本抄について
本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。客(時頼を想定)と主人(大聖人を想定)の問答形式で記されています。
「立正安国(正を立て国を安んず)」とは、人々が正法を信受し、仏法の思想が社会の基本原理として確立することによって(立正)、社会の繁栄と世界の平和を築く(安国)との意味です。
本書の御執筆当時、飢饉、疫病に加え、大地震などの自然災害が相次ぎ、民衆は苦悩の底にありました。
問答の中で主人は、災難の根本原因が、生命尊厳の法華経を否定する「謗法」にあると明かします。
そして、このままでは、三災七難のうちまだ起きていない「自界叛逆難(内乱)」「他国侵逼難(他国からの侵略)」が必ず起こると警告し、一刻も早く「実乗の一善」(妙法)に帰依するよう、客に促します。
最後に、客は謗法の教えを捨てて正法に帰依することを誓います。この言葉が本書全体の結論となっています。
◇御文�
『悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』(24ページ2行目〜4行目)
◇通解
悲しいことには、この数十年の間に、百千万の人が法然の魔の働きにたぶらかされて、多くの人が仏の教えに迷ってしまった。謗法の教えを好んで、正法を忘れている。どうして善神が怒りを起こさないだろうか。円満の法を捨てて、偏頗な教えを好んでいる。どうして悪鬼が便りを得ないでいるだろうか。(災難を根絶するには)あのような万の祈りを行うよりも、この一凶である法然の謗法を禁ずることが最も大事である。
◇御文�
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや』(26ページ4行目〜5行目)
◇通解
私は(あなたが言われるように)取るに足りない身ではあるけれども、かたじけなくも大乗の教えを学んでいる。青バエは驥(1日に1000里を走るという名馬)の尾に付いて万里を渡り、緑のつる草は松の枝先に掛かって千尋の高さにまで伸びることができる。仏弟子である私は、唯一の仏(である釈尊)の子として生まれて、諸経の王である法華経に仕えている。どうして仏法が衰微するのを見て、哀惜の心情を起こさないでいられるだろうか。
◇解説
大聖人は、法華経こそ最も勝れた経典であるとし、その肝要であり、万人成仏の法である南無妙法蓮華経を弘められました。
しかし、本書が著された当時、特に隆盛を誇っていたのは、法然の念仏でした。法然は、法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛て(捨閉閣抛)とし、念仏を称えることで、来世は西方極楽浄土に生まれると説きました。
法華経という生命の尊厳性を説いた大法を「捨閉閣抛」することで、人心は諦めや現実逃避で覆われ、世相も荒廃を極めていたのです。
ゆえに、御文�では、災難を止めるためには、まず正法誹謗の「一凶」である念仏を禁じよと断言されているのです。
一凶との戦いは、私たち個人の次元で拝せば、生命の根源的な無知である「元品の無明」との戦いであるといえます。「元品の無明」は、無力感や無関心、自己卑下など、さまざまな形で表れます。これらを打ち破る力こそ、妙法への「信の一字」(御書751ページ)です。
さらに、私たちが対話によって人々の無明を打ち払い、正法を社会に確立することが、立正安国への直道になります。
念仏を破折する主人に対して、客は"卑しい身分でありながら、世間で称賛される法然聖人を批判している"と非難します。その答えが御文�です。
小さなハエも、名馬の尾につかまれば、万里を走ることができる——こうした譬えを通し、主人は、「諸経の王」である法華経を持つ誇りを述べます。そして、真実の仏法者として"正法の衰退を見過ごすことはできない"との真情を語ります。
人間の真価は、身分や地位では決まりません。いかなる法を持ち、いかなる生き方をするかで決まるのです。
私たちでいえば、学会員として、広宣流布の師匠と共に前進していくことで、自分では想像もしなかったような幸福境涯が築かれていきます。
行学の実践を根本に、誉れの創価の大道を朗らかに歩んでいきましょう。
★池田先生の講義から
大事なのは民衆です。民衆が根本です。民衆が平和で安穏に暮らせる社会をつくらなければならない。
そのためにこそ、「生命尊厳」「人間尊敬」の思想を厳然と確立することです。
一人一人の生命は限りなく尊極である。「生命軽視」「人間蔑視」の風潮を断じてはびこらせない。どこまでも「一人を大切にする社会」「万人の幸福を実現する社会」を築く。それが二十一世紀の立正安国の実践です。(『御書と青年』)
◇ ◆ ◇
友のためにと思って、仏法の正義を語った言葉が、反発を受けることもある。しかし、その心は必ず伝わる。
大事なことは、その対話に強く深い「祈り」を込めていくことです。「祈り」のこもった言葉は、必ず相手の生命の内奥の「仏性」に届きます。(中略)
勇気凜々と、わが信念を叫んでこそ、青年です。相手がどうあれ、立正安国という最極の正義の対話の実践です。自信満々と朗らかに語りきっていけば、勝利です。(同)
研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
○…『御書と青年』(同)
○…『御書と師弟』第2巻(同)
2019年2月14日木曜日
2019.02.14 わが友に贈る
さあ「二月闘争」の
後半戦を意気高く!
生命力をわき立たせ
広布拡大の最前線へ
敢然と飛び出そう!
四信五品抄 P342
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』
【通解】
質問する。あなたの弟子が、すこしの理解もなく、ただ一回だけ声を出して南無妙法蓮華経と唱えた場合、その人の修行段階はどのようなものなのか。
答える、この人は、単に四味・三教の最後の修行段階の者や、爾前の円教の人を超えるだけでなく、さらには真言宗などの様々な宗派の開祖である善無畏・智儼・慈恩大師・吉蔵・道宣・達磨・善導らよりも勝れること百千万億である。是非とも、日本国中の人々よ、私の弟子たちを軽んじるべきではない。
〈寸鉄〉 2019年2月14日
妙法以上の智慧は断じてない—戸田先生。何事も祈りから。常勝の方程式
岡山の日。師弟の誓いは友の胸に赤々。歓喜の春呼ぶ対話の大旋風今こそ
副役職の友が光る組織は無敵。リーダーは連携を密に。心合わせて勝利へ
ピラミッドは頂からは作れぬ—作家。わが足元で友情拡大。広布はここに
特殊詐欺に警戒。安易に銀行カードは手渡すな。家族・地域で注意喚起を
☆2月度座談会拝読御書 生死一大事血脈抄
確信の祈りで幸福境涯を確立
一日一日を完全燃焼し悔いなき人生を
◇拝読御文
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』御書全集 1338ページ8行目〜10行目
◇本抄について
本抄は文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地・佐渡の塚原で認められ、最蓮房に与えられたお手紙と伝えられています。
最蓮房について詳細は不明です。ただ本抄の内容から、もともと天台の学僧であった最蓮房が、「生死一大事血脈」という仏法の極理について、大事な質問をしたことに対する御返事とされています。
題号の「生死一大事」とは、生と死を繰り返して流転する生命において根本の大事、つまり生死の苦悩を解決する万人成仏の法を意味します。
また「血脈」とは、法が仏から衆生へ伝えられていくことを、親から子へ血筋が受け継がれることに譬えた言葉です。
大聖人は本抄のはじめに、「生死一大事血脈」とは「妙法蓮華経」にほかならないことを、天台・伝教の釈を引いて明らかにされます。
続いて、衆生が生死一大事の血脈を受け継ぐための信心の姿勢について、3点にわたって示されます。
1点目が、仏と法と私たち衆生の生命の三つに差別がない、すなわち妙法の当体である衆生自身の胸中に、尊極な仏の生命が具わっていることを信じて題目を唱える実践です。
2点目が、三世にわたって御本尊から離れないという持続、不退転の信心です。
3点目に、広宣流布を目指して、異体同心で南無妙法蓮華経を唱える中にこそ、生死一大事の血脈が受け継がれることを教えられています。
拝読御文は、本抄の末尾の一節であり、生死一大事の血脈を受け継ぐ「正しき信心の要諦」を明かした部分になります。
◇臨終正念と祈念
死をどう捉えるか——そこに宗教の真価が問われるのではないでしょうか。
人間は生まれた瞬間から、死に向かっているといえます。死は誰にでも訪れるものであり、誰一人として免れることはできません。ゆえに仏法では、死から目をそらすのではなく、死を正しく見つめることで、人生を豊かにしていくことを説いています。
今回学ぶ御文で大聖人は「強盛の大信力」を起こして、「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念」していくように教えられています。
臨終正念とは、死に臨んでも心を乱さず、正しい念慮(思い、考え)を持つことです。
つまり、臨終の時に、一切の魔に心を乱されることなく、信心を貫くことができた歓喜と感謝に満ちて、永遠に崩れぬ幸福境涯を確立することです。
では、どうすれば、臨終正念の境涯を勝ち得ることができるのでしょうか。
本抄で大聖人は「"臨終は只今にある"と覚って信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人のことを、普賢菩薩勧発品第28には『この人は寿命が終われば、千もの仏が手を差し伸べ、死後への恐怖を起こさせたり、悪道に堕とさせたりするようなことはしない』と説かれている」(御書1337ページ、通解)と仰せです。たとえ今、死を迎えたとしても、"人生に一点の悔いもない"と言い切れる信心の姿勢が大切なのです。
自らが「強盛の大信力」を起こしていくのはもちろん、眼前の一人に"今、この時しかない"と、仏縁を広げ、励ましを送る生き方こそ、悔いなき人生の正道です。一日一日を完全燃焼する"戦う信心"に、仏界の生命は脈動するのです。
◇「即」の一字
生死一大事の血脈を受け継ぐ信心によって、いかなる境涯が得られるのでしょうか。
拝読御文では、信心の利益を「煩悩即菩提・生死即涅槃」と仰せです。つまり、煩悩や生死の苦悩をバネにして、仏の智慧を発揮し、安穏と歓喜の境涯を確立することができるのです。
この変革の法理のカギを握るのが「即」の一字です。
大聖人は「爾前の心は煩悩を捨てて生死を厭うて別に菩提涅槃を求めたり、法華経の意は煩悩即菩提・生死即涅槃と云えり」(御書821ページ)と仰せです。
「煩悩」と「菩提」、「生死」と「涅槃」は、字義通りにとれば、正反対のものです。ゆえに法華経以前の教えでは、煩悩を厭うことで菩提に至ると説いていました。
しかし、煩悩を否定して覚りを得るという考えは、突き詰めれば生を否定することにつながります。
戸田先生は、「自分の煩悩に生きながら、煩悩のままに、安心しきった幸福境涯をつかむ生活を『煩悩即菩提』『生死即涅槃』というのです」(『戸田城聖全集』第2巻)と語られています。
「即」とは、単に異なるものを結び付けるのではなく、煩悩の迷いや生死の苦悩の質を転換させることなのです。「自身を苦しめる煩悩」から「自身を人間革命させる煩悩」へと転換させる積極的な意味が「即」の一字にはあるのです。
大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732ページ)と仰せです。
悩みや苦しみを御本尊への強き祈りに変えることで、悩みや苦しみは乗り越えるべき自身の使命、人間革命の原動力となり、悪戦苦闘の人生をも楽しんでいける境涯を開いていくことができるのです。
◇誤った血脈観
生死一大事の血脈は、決して特定の人間だけに流れ通うものではありません。万人成仏が仏の願いであることからも明らかなように、あらゆる人に開かれたものなのです。
日蓮大聖人は、拝読御文の前の部分で、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」(御書1337ページ)と仰せです。一切衆生に成仏の血脈を継がせようとの大聖人の慈悲心があふれています。
そもそも本抄の冒頭で、「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」(同1336ページ)と、伝えられるべき法は「南無妙法蓮華経」にほかならないと示されています。
ところが日顕宗は、「血脈相承」を受けるだけで、仏の内証(心の中の覚り)、法体(覚りの法そのもの)が、法主から次の法主だけに伝えられるとする、"神秘的"な血脈観を主張しています。そこから、法主が絶対であるとの法主信仰も生じています。しかし、こうした誤った血脈観は、大聖人、日興上人の教えとは全く無縁の邪義です。
同じように題目を唱えているといっても、そこに「信心の血脈」がなければ、無価値になってしまいます。そのことを「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せです。信心の血脈こそ、流れ通わすべき一大事なのです。
大聖人の御遺命である広宣流布を実践する学会にこそ、日蓮仏法の本義が脈々と受け継がれていることは明白です。
学会の中で、同志と共に、広宣流布に邁進する私たちにこそ、信心の血脈が流れ通うのです。
★池田先生の指針から 「今」を真剣に精一杯生きよ
臨終とは、「人生の総決算」の場です。この時、「どう生きてきたのか」が厳しく問われます。その時に、何の悔いもなく、自身の人生を深く肯定し、大満足で臨終を迎えられるか。逆に、後悔と自責の念で人生の終幕を迎えてしまうのか。
まさに、臨終の時にこそ、その人の生き方そのものが、何一つごまかしようがなく、この一瞬に凝縮されます。したがって、臨終をたとえ今迎えたとしても、雲一つない澄み切った青空のごとく、何一つ悔いや不満がない。そう断言できるように、どれだけ「今」を真剣に精一杯生きているか、ということが最重要になります。
瞬間、瞬間、「今、臨終になっても悔いがない」と言い切れる覚悟で、「現在」を真剣に生きる。それが「臨終只今にあり」という信心です。(『生死一大事血脈抄講義』)
◇ ◆ ◇
戸田先生は、「ありのまま」の本有無作の境涯の達人であられた。外見は凡夫の姿そのものであっても、学会の前進のためにいつも頭脳は鋭く回転しておられた。何よりも広宣流布への責任感は、まさしく悟りの大境涯であられた。広宣流布を必ず成し遂げようとの大煩悩を持ち、責任即悟達の大境涯から、広宣流布に生き切る生死不二の姿を現じられた先生でした。
「ありのまま」とは、その身のままでありながら、常に生命を磨いていくことです。現代的に言えば、人間革命の真髄の姿が即身成仏の実証にほかならない。
要するに、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」とは、「戦い続ける信心」の中でこそ実現するのです。(同)
参考文献
○…『生死一大事血脈抄講義』(聖教新聞社刊)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻(同)
後半戦を意気高く!
生命力をわき立たせ
広布拡大の最前線へ
敢然と飛び出そう!
四信五品抄 P342
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』
【通解】
質問する。あなたの弟子が、すこしの理解もなく、ただ一回だけ声を出して南無妙法蓮華経と唱えた場合、その人の修行段階はどのようなものなのか。
答える、この人は、単に四味・三教の最後の修行段階の者や、爾前の円教の人を超えるだけでなく、さらには真言宗などの様々な宗派の開祖である善無畏・智儼・慈恩大師・吉蔵・道宣・達磨・善導らよりも勝れること百千万億である。是非とも、日本国中の人々よ、私の弟子たちを軽んじるべきではない。
〈寸鉄〉 2019年2月14日
妙法以上の智慧は断じてない—戸田先生。何事も祈りから。常勝の方程式
岡山の日。師弟の誓いは友の胸に赤々。歓喜の春呼ぶ対話の大旋風今こそ
副役職の友が光る組織は無敵。リーダーは連携を密に。心合わせて勝利へ
ピラミッドは頂からは作れぬ—作家。わが足元で友情拡大。広布はここに
特殊詐欺に警戒。安易に銀行カードは手渡すな。家族・地域で注意喚起を
☆2月度座談会拝読御書 生死一大事血脈抄
確信の祈りで幸福境涯を確立
一日一日を完全燃焼し悔いなき人生を
◇拝読御文
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』御書全集 1338ページ8行目〜10行目
◇本抄について
本抄は文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地・佐渡の塚原で認められ、最蓮房に与えられたお手紙と伝えられています。
最蓮房について詳細は不明です。ただ本抄の内容から、もともと天台の学僧であった最蓮房が、「生死一大事血脈」という仏法の極理について、大事な質問をしたことに対する御返事とされています。
題号の「生死一大事」とは、生と死を繰り返して流転する生命において根本の大事、つまり生死の苦悩を解決する万人成仏の法を意味します。
また「血脈」とは、法が仏から衆生へ伝えられていくことを、親から子へ血筋が受け継がれることに譬えた言葉です。
大聖人は本抄のはじめに、「生死一大事血脈」とは「妙法蓮華経」にほかならないことを、天台・伝教の釈を引いて明らかにされます。
続いて、衆生が生死一大事の血脈を受け継ぐための信心の姿勢について、3点にわたって示されます。
1点目が、仏と法と私たち衆生の生命の三つに差別がない、すなわち妙法の当体である衆生自身の胸中に、尊極な仏の生命が具わっていることを信じて題目を唱える実践です。
2点目が、三世にわたって御本尊から離れないという持続、不退転の信心です。
3点目に、広宣流布を目指して、異体同心で南無妙法蓮華経を唱える中にこそ、生死一大事の血脈が受け継がれることを教えられています。
拝読御文は、本抄の末尾の一節であり、生死一大事の血脈を受け継ぐ「正しき信心の要諦」を明かした部分になります。
◇臨終正念と祈念
死をどう捉えるか——そこに宗教の真価が問われるのではないでしょうか。
人間は生まれた瞬間から、死に向かっているといえます。死は誰にでも訪れるものであり、誰一人として免れることはできません。ゆえに仏法では、死から目をそらすのではなく、死を正しく見つめることで、人生を豊かにしていくことを説いています。
今回学ぶ御文で大聖人は「強盛の大信力」を起こして、「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念」していくように教えられています。
臨終正念とは、死に臨んでも心を乱さず、正しい念慮(思い、考え)を持つことです。
つまり、臨終の時に、一切の魔に心を乱されることなく、信心を貫くことができた歓喜と感謝に満ちて、永遠に崩れぬ幸福境涯を確立することです。
では、どうすれば、臨終正念の境涯を勝ち得ることができるのでしょうか。
本抄で大聖人は「"臨終は只今にある"と覚って信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人のことを、普賢菩薩勧発品第28には『この人は寿命が終われば、千もの仏が手を差し伸べ、死後への恐怖を起こさせたり、悪道に堕とさせたりするようなことはしない』と説かれている」(御書1337ページ、通解)と仰せです。たとえ今、死を迎えたとしても、"人生に一点の悔いもない"と言い切れる信心の姿勢が大切なのです。
自らが「強盛の大信力」を起こしていくのはもちろん、眼前の一人に"今、この時しかない"と、仏縁を広げ、励ましを送る生き方こそ、悔いなき人生の正道です。一日一日を完全燃焼する"戦う信心"に、仏界の生命は脈動するのです。
◇「即」の一字
生死一大事の血脈を受け継ぐ信心によって、いかなる境涯が得られるのでしょうか。
拝読御文では、信心の利益を「煩悩即菩提・生死即涅槃」と仰せです。つまり、煩悩や生死の苦悩をバネにして、仏の智慧を発揮し、安穏と歓喜の境涯を確立することができるのです。
この変革の法理のカギを握るのが「即」の一字です。
大聖人は「爾前の心は煩悩を捨てて生死を厭うて別に菩提涅槃を求めたり、法華経の意は煩悩即菩提・生死即涅槃と云えり」(御書821ページ)と仰せです。
「煩悩」と「菩提」、「生死」と「涅槃」は、字義通りにとれば、正反対のものです。ゆえに法華経以前の教えでは、煩悩を厭うことで菩提に至ると説いていました。
しかし、煩悩を否定して覚りを得るという考えは、突き詰めれば生を否定することにつながります。
戸田先生は、「自分の煩悩に生きながら、煩悩のままに、安心しきった幸福境涯をつかむ生活を『煩悩即菩提』『生死即涅槃』というのです」(『戸田城聖全集』第2巻)と語られています。
「即」とは、単に異なるものを結び付けるのではなく、煩悩の迷いや生死の苦悩の質を転換させることなのです。「自身を苦しめる煩悩」から「自身を人間革命させる煩悩」へと転換させる積極的な意味が「即」の一字にはあるのです。
大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732ページ)と仰せです。
悩みや苦しみを御本尊への強き祈りに変えることで、悩みや苦しみは乗り越えるべき自身の使命、人間革命の原動力となり、悪戦苦闘の人生をも楽しんでいける境涯を開いていくことができるのです。
◇誤った血脈観
生死一大事の血脈は、決して特定の人間だけに流れ通うものではありません。万人成仏が仏の願いであることからも明らかなように、あらゆる人に開かれたものなのです。
日蓮大聖人は、拝読御文の前の部分で、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」(御書1337ページ)と仰せです。一切衆生に成仏の血脈を継がせようとの大聖人の慈悲心があふれています。
そもそも本抄の冒頭で、「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」(同1336ページ)と、伝えられるべき法は「南無妙法蓮華経」にほかならないと示されています。
ところが日顕宗は、「血脈相承」を受けるだけで、仏の内証(心の中の覚り)、法体(覚りの法そのもの)が、法主から次の法主だけに伝えられるとする、"神秘的"な血脈観を主張しています。そこから、法主が絶対であるとの法主信仰も生じています。しかし、こうした誤った血脈観は、大聖人、日興上人の教えとは全く無縁の邪義です。
同じように題目を唱えているといっても、そこに「信心の血脈」がなければ、無価値になってしまいます。そのことを「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せです。信心の血脈こそ、流れ通わすべき一大事なのです。
大聖人の御遺命である広宣流布を実践する学会にこそ、日蓮仏法の本義が脈々と受け継がれていることは明白です。
学会の中で、同志と共に、広宣流布に邁進する私たちにこそ、信心の血脈が流れ通うのです。
★池田先生の指針から 「今」を真剣に精一杯生きよ
臨終とは、「人生の総決算」の場です。この時、「どう生きてきたのか」が厳しく問われます。その時に、何の悔いもなく、自身の人生を深く肯定し、大満足で臨終を迎えられるか。逆に、後悔と自責の念で人生の終幕を迎えてしまうのか。
まさに、臨終の時にこそ、その人の生き方そのものが、何一つごまかしようがなく、この一瞬に凝縮されます。したがって、臨終をたとえ今迎えたとしても、雲一つない澄み切った青空のごとく、何一つ悔いや不満がない。そう断言できるように、どれだけ「今」を真剣に精一杯生きているか、ということが最重要になります。
瞬間、瞬間、「今、臨終になっても悔いがない」と言い切れる覚悟で、「現在」を真剣に生きる。それが「臨終只今にあり」という信心です。(『生死一大事血脈抄講義』)
◇ ◆ ◇
戸田先生は、「ありのまま」の本有無作の境涯の達人であられた。外見は凡夫の姿そのものであっても、学会の前進のためにいつも頭脳は鋭く回転しておられた。何よりも広宣流布への責任感は、まさしく悟りの大境涯であられた。広宣流布を必ず成し遂げようとの大煩悩を持ち、責任即悟達の大境涯から、広宣流布に生き切る生死不二の姿を現じられた先生でした。
「ありのまま」とは、その身のままでありながら、常に生命を磨いていくことです。現代的に言えば、人間革命の真髄の姿が即身成仏の実証にほかならない。
要するに、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」とは、「戦い続ける信心」の中でこそ実現するのです。(同)
参考文献
○…『生死一大事血脈抄講義』(聖教新聞社刊)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻(同)
2019年2月13日水曜日
2019.02.13 わが友に贈る
会合に出られない人に
温かな声掛けを!
思いやりの一言から
希望の前進が始まる。
学会は全員が主役だ!
最蓮房御返事 P1341
『悪象の為に殺されては三趣に至らず』
【通解】
悪象の為に殺されても地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちない。
〈寸鉄〉 2019年2月13日
人を頼るな自分が戦え—恩師。どんな労苦も宝に。一人立つ後継の勇者たれ
打ち合わせは要点押さえ時間厳守。冗長な会議はマイナスだ。時間革命を
人生とは今日一日の事—箴言。日々、勝利の歩みを!これが栄光の歴史に
閲覧より5分でも人と話すほうが充実—米教授。闊達な語らいは心の滋養
地雷除去で年550億円必要と。世界の軍事支出の数千分の一。軍縮こそ課題
☆御書と歩む� 第54回 自身が妙法の当体と決めよ
『妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり』(一生成仏抄、383ページ)
◇通解
妙法蓮華経と唱え持つといっても、もし自身の心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく、粗雑な法である。
◇同志への指針
環境や人のせいにしたり、愚痴ばかりこぼすのは、「己心の外」に法を求める生き方だ。戸田先生は、「自分自身が南無妙法蓮華経だと決めることだ!」と言われた。
わが生命が妙法の当体である。無限の智慧と力が涌現しないわけがない。そう確信して題目を唱える中で、諸天善神もいやまして働くのだ。
ここに、幸福をつかむ信心の要諦がある。
温かな声掛けを!
思いやりの一言から
希望の前進が始まる。
学会は全員が主役だ!
最蓮房御返事 P1341
『悪象の為に殺されては三趣に至らず』
【通解】
悪象の為に殺されても地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちない。
〈寸鉄〉 2019年2月13日
人を頼るな自分が戦え—恩師。どんな労苦も宝に。一人立つ後継の勇者たれ
打ち合わせは要点押さえ時間厳守。冗長な会議はマイナスだ。時間革命を
人生とは今日一日の事—箴言。日々、勝利の歩みを!これが栄光の歴史に
閲覧より5分でも人と話すほうが充実—米教授。闊達な語らいは心の滋養
地雷除去で年550億円必要と。世界の軍事支出の数千分の一。軍縮こそ課題
☆御書と歩む� 第54回 自身が妙法の当体と決めよ
『妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり』(一生成仏抄、383ページ)
◇通解
妙法蓮華経と唱え持つといっても、もし自身の心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく、粗雑な法である。
◇同志への指針
環境や人のせいにしたり、愚痴ばかりこぼすのは、「己心の外」に法を求める生き方だ。戸田先生は、「自分自身が南無妙法蓮華経だと決めることだ!」と言われた。
わが生命が妙法の当体である。無限の智慧と力が涌現しないわけがない。そう確信して題目を唱える中で、諸天善神もいやまして働くのだ。
ここに、幸福をつかむ信心の要諦がある。
2019年2月12日火曜日
2019.02.12 わが友に贈る
新聞休刊日
守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』
【通解】
この悪侶は利養(名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること)の故に、この経を広宣流布することができない。
☆随筆「人間革命」光あれ 新時代の黎明 2019年2月4日
勇気で挑め困難に屈するな!
声は力なり 立正安国の言論王たれ
わが郷土は「よきところ」と信頼広げ
「光明は人を輝かす」と、文豪ビクトル・ユゴーは叫んだ。
世界的な傑作『レ・ミゼラブル』では、人を健やかに、幸せにする光明が希求されている。
世の悲惨に打ちひしがれた民衆のために!
苦悩の闇に追いやられた若人のために!
ユゴーは、人間を進歩させる原動力に、「あえてなす」ことを挙げた。
正義と人道の行動に打って出る勇気が、生命を光輝あらしめるのだ。
法華経には、「地涌の菩薩」は「無量の光明あり」(創価学会版法華経四五二ページ)と、その輝く姿が讃えられている。
翻って、地涌の光明は、今いずこにあるのか。
御本仏・日蓮大聖人の仰せの通り、広宣流布のため、立正安国のため、たゆみなく勇猛精進する、創価の民衆にこそあるのだと、私たちは高らかに宣言したい。
執筆二十五年に及んだ小説『新・人間革命』が完結して迎えた一年——いよいよ、わが宝友一人ひとりが自らの人生の上に、偉大な「人間革命」の実証を示しゆく時だ。
創価の世界市民の連帯が地球社会を包み始めた今、この欄も「随筆 『人間革命』光あれ」として、綴っていきたい。
◇衆生の闇を破る
我らが実践する日蓮仏法は、まさしく「太陽の仏法」である。
その正義を、創価の父・牧口常三郎先生は、法難の獄中にあっても、堂々と主張されていた。
当時の訊問調書を繙くと、牧口先生は、法華経神力品の一節を引かれている。
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経五七五ページ)
そして、大聖人こそ、全世界の人類を即身成仏へ導く大導師であられると明言されたのである。
軍部政府の圧迫を恐れた宗門が、御書の「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(九七四ページ)などの要文を削除した所業とは、あまりに対照的であった。
日蓮仏法の真髄の光は、まぎれもなく創価の「師子王の心」によって厳護され、継承されてきた誇りを忘れまい。
牧口先生が身読された神力品の経文には「世間に行じて」とある。
この通りの実践こそ、まさに学会活動なのだ。世間を離れてしまえば、悪口罵詈されることも、煩わしい苦労もない。しかし我らは、久遠元初からの地涌の誓願のままに、あえて試練の国土に躍り出て、民衆の苦悩の闇、時代の闇、社会の闇を打ち破っていくのだ。
今、日本全国、全世界で、創価家族が「柔和忍辱の衣」を着て、勇敢に誠実に大仏法を「世間に行じて」いる英姿の光明を、御本仏がどれほど讃嘆され、また牧口先生が喜んで見つめておられることか。
◇二月闘争の着眼
日蓮大聖人の聖誕の月にして、戸田城聖先生の誕生の月である二月を、「報恩の拡大」で飾ろうと、六十七年前(一九五二年)、私は、蒲田支部の若き支部幹事として行動を起こした。
当時の組織の最小単位である「組」(現在のブロック)を基盤に、異体同心で邁進し、それまでの壁を破る弘教で、広宣流布の突破口を開いた。
その際、「祈りから始める」「体験を語る」との指針と共に、私は「近隣を大切にしよう」と訴えた。
これが「伝統の二月」の淵源である。
特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の「本国土」とはならないのだ。
一番足元の近隣・地域の人びとを眷属と慈しみ、妙法の光で楽土へ照らしていくことが、立正安国の大道なのである。
大聖人は、大難に挑まれている新潟・佐渡で、悠然と言い放たれた。
「我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(御書一三四三ページ)
ともあれ、悩みのない人生がないように、何の課題もない地域など、どこにもあるまい。それでも、わが郷土を、御書の御指南の通りに「よきところ・よきところ」(同一一八三ページ)と一念を定め、皆で知恵を出し、育んでいくのだ。
その快活な挑戦を続ける中で、事実の上でも、必ずや「三変土田」して、「よきところ」へ転換していけるのである。
「二月闘争」等で駆け巡った東京の大田や神奈川の川崎、また鶴見をはじめ共戦の天地も隆々と栄え光っていることを、私は妻と嬉しく伺い、縁の友に題目を送っている。
◇さあ最前線へ!
本年、我らは「創立九十周年へ 創価勝利の年」と掲げて出発した。
このように"一年間のテーマ"を決めるようになったのは、六十年前の一九五九年からだ。
戸田先生が逝去されて初めて迎える新年を「黎明の年」にと、私が発案したのである。
「黎明」とは、暗から明に転ずる「夜明け」のことである。
当時、総務の役職とともに、青年部の室長も兼務していた私は、「青年の力」によって、この一年を創価の黎明とするのだと誓い、祈った。
さあ、広布拡大の最前線へ! まだ訪れていない地域へ! 会えていない友のもとへ!
私は、先陣切って動きに動いた。
「幹部が率先して一番困難な所にあたるのだ。法華経は冬の信心ではないか」と呼び掛けて、私自身が真っ先に、厳寒の北海道へと向かった。
一月十五日には小樽に第一歩を印すと、旭川、夕張、そして札幌へと、北の大地を駆け、同志の中へ飛び込んでいった。恩師の故郷で、北国の友の辛労を偲びつつ、希望の灯火を掲げたのだ。
二月一日には、関西へ。続いて四国に渡り、香川、高知を回った。一旦帰京し、中旬に中部の名古屋、再び大阪。大阪事件の公判の合間を縫って、懸命に友の激励を重ねた。
三月に入ると、茨城の日立、水戸を歴訪し、次いで埼玉の大宮へ。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
行く所、向かう所、御聖訓を拝し、異体同心の団結こそ勝利の要諦なり、と約し合ったのである。
下旬にも、愛知、滋賀、福井、京都、岐阜へと転戦し、御書を拝しては対話を続けた。一瞬の機会も逃さず、真剣な個人指導に徹した。
皆、悩みを抱え、健気に悪戦苦闘していた。その胸奥に、御書と恩師の指導を通して、勇気と希望という確かな黎明の光を灯していったのだ。
御聖訓には、「百千万年くら(闇)き所にも燈を入れぬればあか(明)くなる」(同一四〇三ページ)という譬えがある。
声も惜しまず、勇気凜々と語った分、内外を問わず、仏縁を結び、友の心を明るく照らし、温めることができるのだ。
六十年の時は巡り、青年部の中核たる創価班、牙城会、白蓮グループにも「新時代一期生」が誕生し、新たな黎明を告げる活躍を開始している。
各地の"青年室長"との深い自覚で、励ましを広げ、人材の育成と拡大に当たってくれている男女青年部のリーダーたちを讃え、労いたい。
◇通信員制度65年
人間主義の言論紙たる聖教新聞は通算二万号の金字塔を打ち立てた。とともに、この一月、通信員制度が発足してから六十五周年の節を刻んだ。
地域の最前線で創価の民衆運動を記録し、宣揚しゆく尊い献身にあらためて感謝申し上げたい。
通信員の方々が撮影した写真のページ「郷土アイ」に、先日、懐かしい新潟の瓢湖に飛来した白鳥が紹介されていた。
写真では、「いざ、羽ばたかん!」とばかりに、大きく翼を広げた一羽の姿が印象的であった。
御書には、白鳥の声を聞いて嘶く白馬の声によって威光勢力を増すという輪陀王の故事を通し、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」(同一〇六五ページ)と仰せである。
題目の声を響かせるところ、梵天帝釈をはじめ諸天も光を盛んにして、我らを守護しないわけがないと、ご断言である。
どんな逆境に臨んでも我らには題目がある。
全同志が「自他彼此の心なく」(同一三三七ページ)と題目を唱えゆく恐れなき前進に、諸天の旗も色冴えて、「人間革命」そして「立正安国」の大光はいやましていくのだ。
◇語り続けよ友よ
大寒波に見舞われたアメリカ中西部など、各地で自然災害が続き、国際情勢も揺れ動いている。全世界の尊き仏子の健康と安穏を、強盛に祈らずにはいられない。
「語る者よ、語りつづけよ、歌う者よ、歌いつづけよ」と、アメリカの大詩人ホイットマンは、力強く呼び掛けた。
粘り強く発し続ける青年の声、民衆の声、連帯の声にこそ、世界を変えていく力がある。
「声は力」である。
「声は光」である。
いよいよ「声仏事を為す」(御書七〇八ページ)と、大確信の師子吼を轟かせながら、「創価勝利の年」を輝き光らせていこうではないか!
守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』
【通解】
この悪侶は利養(名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること)の故に、この経を広宣流布することができない。
☆随筆「人間革命」光あれ 新時代の黎明 2019年2月4日
勇気で挑め困難に屈するな!
声は力なり 立正安国の言論王たれ
わが郷土は「よきところ」と信頼広げ
「光明は人を輝かす」と、文豪ビクトル・ユゴーは叫んだ。
世界的な傑作『レ・ミゼラブル』では、人を健やかに、幸せにする光明が希求されている。
世の悲惨に打ちひしがれた民衆のために!
苦悩の闇に追いやられた若人のために!
ユゴーは、人間を進歩させる原動力に、「あえてなす」ことを挙げた。
正義と人道の行動に打って出る勇気が、生命を光輝あらしめるのだ。
法華経には、「地涌の菩薩」は「無量の光明あり」(創価学会版法華経四五二ページ)と、その輝く姿が讃えられている。
翻って、地涌の光明は、今いずこにあるのか。
御本仏・日蓮大聖人の仰せの通り、広宣流布のため、立正安国のため、たゆみなく勇猛精進する、創価の民衆にこそあるのだと、私たちは高らかに宣言したい。
執筆二十五年に及んだ小説『新・人間革命』が完結して迎えた一年——いよいよ、わが宝友一人ひとりが自らの人生の上に、偉大な「人間革命」の実証を示しゆく時だ。
創価の世界市民の連帯が地球社会を包み始めた今、この欄も「随筆 『人間革命』光あれ」として、綴っていきたい。
◇衆生の闇を破る
我らが実践する日蓮仏法は、まさしく「太陽の仏法」である。
その正義を、創価の父・牧口常三郎先生は、法難の獄中にあっても、堂々と主張されていた。
当時の訊問調書を繙くと、牧口先生は、法華経神力品の一節を引かれている。
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経五七五ページ)
そして、大聖人こそ、全世界の人類を即身成仏へ導く大導師であられると明言されたのである。
軍部政府の圧迫を恐れた宗門が、御書の「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(九七四ページ)などの要文を削除した所業とは、あまりに対照的であった。
日蓮仏法の真髄の光は、まぎれもなく創価の「師子王の心」によって厳護され、継承されてきた誇りを忘れまい。
牧口先生が身読された神力品の経文には「世間に行じて」とある。
この通りの実践こそ、まさに学会活動なのだ。世間を離れてしまえば、悪口罵詈されることも、煩わしい苦労もない。しかし我らは、久遠元初からの地涌の誓願のままに、あえて試練の国土に躍り出て、民衆の苦悩の闇、時代の闇、社会の闇を打ち破っていくのだ。
今、日本全国、全世界で、創価家族が「柔和忍辱の衣」を着て、勇敢に誠実に大仏法を「世間に行じて」いる英姿の光明を、御本仏がどれほど讃嘆され、また牧口先生が喜んで見つめておられることか。
◇二月闘争の着眼
日蓮大聖人の聖誕の月にして、戸田城聖先生の誕生の月である二月を、「報恩の拡大」で飾ろうと、六十七年前(一九五二年)、私は、蒲田支部の若き支部幹事として行動を起こした。
当時の組織の最小単位である「組」(現在のブロック)を基盤に、異体同心で邁進し、それまでの壁を破る弘教で、広宣流布の突破口を開いた。
その際、「祈りから始める」「体験を語る」との指針と共に、私は「近隣を大切にしよう」と訴えた。
これが「伝統の二月」の淵源である。
特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の「本国土」とはならないのだ。
一番足元の近隣・地域の人びとを眷属と慈しみ、妙法の光で楽土へ照らしていくことが、立正安国の大道なのである。
大聖人は、大難に挑まれている新潟・佐渡で、悠然と言い放たれた。
「我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(御書一三四三ページ)
ともあれ、悩みのない人生がないように、何の課題もない地域など、どこにもあるまい。それでも、わが郷土を、御書の御指南の通りに「よきところ・よきところ」(同一一八三ページ)と一念を定め、皆で知恵を出し、育んでいくのだ。
その快活な挑戦を続ける中で、事実の上でも、必ずや「三変土田」して、「よきところ」へ転換していけるのである。
「二月闘争」等で駆け巡った東京の大田や神奈川の川崎、また鶴見をはじめ共戦の天地も隆々と栄え光っていることを、私は妻と嬉しく伺い、縁の友に題目を送っている。
◇さあ最前線へ!
本年、我らは「創立九十周年へ 創価勝利の年」と掲げて出発した。
このように"一年間のテーマ"を決めるようになったのは、六十年前の一九五九年からだ。
戸田先生が逝去されて初めて迎える新年を「黎明の年」にと、私が発案したのである。
「黎明」とは、暗から明に転ずる「夜明け」のことである。
当時、総務の役職とともに、青年部の室長も兼務していた私は、「青年の力」によって、この一年を創価の黎明とするのだと誓い、祈った。
さあ、広布拡大の最前線へ! まだ訪れていない地域へ! 会えていない友のもとへ!
私は、先陣切って動きに動いた。
「幹部が率先して一番困難な所にあたるのだ。法華経は冬の信心ではないか」と呼び掛けて、私自身が真っ先に、厳寒の北海道へと向かった。
一月十五日には小樽に第一歩を印すと、旭川、夕張、そして札幌へと、北の大地を駆け、同志の中へ飛び込んでいった。恩師の故郷で、北国の友の辛労を偲びつつ、希望の灯火を掲げたのだ。
二月一日には、関西へ。続いて四国に渡り、香川、高知を回った。一旦帰京し、中旬に中部の名古屋、再び大阪。大阪事件の公判の合間を縫って、懸命に友の激励を重ねた。
三月に入ると、茨城の日立、水戸を歴訪し、次いで埼玉の大宮へ。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
行く所、向かう所、御聖訓を拝し、異体同心の団結こそ勝利の要諦なり、と約し合ったのである。
下旬にも、愛知、滋賀、福井、京都、岐阜へと転戦し、御書を拝しては対話を続けた。一瞬の機会も逃さず、真剣な個人指導に徹した。
皆、悩みを抱え、健気に悪戦苦闘していた。その胸奥に、御書と恩師の指導を通して、勇気と希望という確かな黎明の光を灯していったのだ。
御聖訓には、「百千万年くら(闇)き所にも燈を入れぬればあか(明)くなる」(同一四〇三ページ)という譬えがある。
声も惜しまず、勇気凜々と語った分、内外を問わず、仏縁を結び、友の心を明るく照らし、温めることができるのだ。
六十年の時は巡り、青年部の中核たる創価班、牙城会、白蓮グループにも「新時代一期生」が誕生し、新たな黎明を告げる活躍を開始している。
各地の"青年室長"との深い自覚で、励ましを広げ、人材の育成と拡大に当たってくれている男女青年部のリーダーたちを讃え、労いたい。
◇通信員制度65年
人間主義の言論紙たる聖教新聞は通算二万号の金字塔を打ち立てた。とともに、この一月、通信員制度が発足してから六十五周年の節を刻んだ。
地域の最前線で創価の民衆運動を記録し、宣揚しゆく尊い献身にあらためて感謝申し上げたい。
通信員の方々が撮影した写真のページ「郷土アイ」に、先日、懐かしい新潟の瓢湖に飛来した白鳥が紹介されていた。
写真では、「いざ、羽ばたかん!」とばかりに、大きく翼を広げた一羽の姿が印象的であった。
御書には、白鳥の声を聞いて嘶く白馬の声によって威光勢力を増すという輪陀王の故事を通し、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」(同一〇六五ページ)と仰せである。
題目の声を響かせるところ、梵天帝釈をはじめ諸天も光を盛んにして、我らを守護しないわけがないと、ご断言である。
どんな逆境に臨んでも我らには題目がある。
全同志が「自他彼此の心なく」(同一三三七ページ)と題目を唱えゆく恐れなき前進に、諸天の旗も色冴えて、「人間革命」そして「立正安国」の大光はいやましていくのだ。
◇語り続けよ友よ
大寒波に見舞われたアメリカ中西部など、各地で自然災害が続き、国際情勢も揺れ動いている。全世界の尊き仏子の健康と安穏を、強盛に祈らずにはいられない。
「語る者よ、語りつづけよ、歌う者よ、歌いつづけよ」と、アメリカの大詩人ホイットマンは、力強く呼び掛けた。
粘り強く発し続ける青年の声、民衆の声、連帯の声にこそ、世界を変えていく力がある。
「声は力」である。
「声は光」である。
いよいよ「声仏事を為す」(御書七〇八ページ)と、大確信の師子吼を轟かせながら、「創価勝利の年」を輝き光らせていこうではないか!
2019年2月11日月曜日
2019.02.11 わが友に贈る
◇今週のことば
「人生は強気でいけ」
恩師の師子吼のままに
勇気凛々と挑みゆこう!
楽しく勢いある座談間で
仏の大生命力を出して!
2019年2月11日
如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
〈寸鉄〉 2019年2月11日
戸田先生の生誕日。192カ国に広がる師弟の連帯。堂々たる精神界の王者と
国際部結成の日。語学と人格で世界結ぶ先駆者。創価の全権大使の誇りで
賢者は人の世の未来を考える—文豪。民衆が輝く世紀へ。立正安国の道を
外出時は天気予報、交通情報を確認。行動は無理なく。時間の余裕持って
児童虐待の疑いがある子が過去最多。社会全体の連携が鍵。総力挙げ対策
☆勇気の旗高く 池田先生と静岡 2019年1月31日
◇勝負を決するのは「声の力」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は静岡県を掲載する。
◇太陽の如く
2016年(平成28年)11月、静岡の新愛称が発表された。それは「太陽の静岡」。学会が邪宗門と決別した"魂の独立"から25周年の折であった。池田先生は、翌17年に発刊された指導集『太陽の静岡』に万感の思いを寄せた。
太陽は、希望の光源である。
太陽は、慈愛の熱源である。
太陽は、正義のエネルギー源である。
我らの静岡こそ、太陽の民衆仏法が、最も明るく、最も温かく、最も強く、世界へ未来へ、輝き渡る天地なのだ。
御本仏・日蓮大聖人は厳然と仰せになられた。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190ページ)
この通りに、「師子王の心を取り出して」、命に及ぶ迫害にも断じて屈しなかったのは、殉教の熱原の三烈士を中心とする静岡の農民門下であった。ここに、世界の人権闘争史をも照らしゆく、民衆仏法の凱歌の旭日が昇ったのである。
その「不惜身命」「死身弘法」の大光を、時を超えて受け継ぎ、赫々と放ちゆくのが、牧口常三郎先生と戸田城聖先生を創立の師父と仰ぐ、我ら創価学会である。
世界広布新時代の今この時、民衆仏法の原点の天地たる静岡の太陽の前進を、全世界の同志が見つめている。
大聖人は、「あつわらの者どもの御心ざし異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)と宣言なされた。
我ら太陽の静岡家族は、いやまして異体同心の団結を深め広げながら、愛する郷土に、広宣流布の「永遠の都」を断じて築きゆこうではないか!
いずこにもまして苦楽を分かち合ってきた静岡の同志と、私の心はどこまでも、いつまでも一緒である。
◇全権大使に
池田先生は若き日から富士をこよなく愛してきた。先生は1988年(昭和63年)9月、静岡の友に贈った長編詩「富士光る幸の宝土」で広宣流布に生きる使命をつづった。
富士郡・賀島(編集部注=現在の静岡県富士市)の
高橋入道に与えられた御書に
「其の国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」と
その地域の広宣流布は
そこに住みし人の使命である
自身に連なる人の絆は
誰も 取って代われはしない
君こそ あなたこそが
わが居住の世界の広布を
御本仏より託された
たった一人の開拓者なのだ
責任者なのだ
全権大使なのだ
広宣流布のために
自分は何をすべきか——
常に
その問いかけを忘れまい
そして 人を恃むな
そこに後退の因はある
どんなに大勢でも
それに安住してはならない
それぞれが
それぞれの
使命を果たさずしては
大願の成就は
決してないからだ
ゆえに君よ
創価学会のなかの自分ではない
自分のなかに
創価学会はあることを忘れまい
さあ 友よ
金の絆で
心と心を結びし君たちよ
歓喜の旗をなびかせながら
富士と語りつつ
三世に薫るこの道を
肩組み ともどもに行こう!
◇不退の精神
池田先生は、折々の場面で静岡の青年部に励ましを送ってきた。85年(同60年)7月22日、静岡・白糸研修道場(当時)に開設された「白糸記念青年塾」の開塾記念勤行会では、"信心を貫き通す人が最も尊い人"と後継の友に強調した。
さまざまな競技、スポーツにあっても、途中でやめ放棄することほどみじめなことはない。なにごとにあっても、最後まで、不退の精神で貫き通していくことだ。
勝っても負けても、頑張りぬくことが尊い。そこに人生の生き方の真髄があるといえよう。ましてや、信心を貫き通した人、広布の陣列に馳せ参じて、最後まで連なっていく人はもっとも尊いのである。その人を御本尊はお見通しになり、諸天も讃嘆することはまちがいない。
ゆえに、みずからが決めた道を、最極の法に則ったわが人生の道を、歩み通していく——この一点を、たがいに誓いあっていただきたい。
未来への永続的な発展は、青年がどのように成長し、力をつけ、斬新にして新鮮な生命力でたくましく伸びていけるかにある。そこに今後の発展のいっさいのカギがある。
さらに90年(平成2年)1月21日、静岡県青年会議(富士宮国際文化会館〈当時〉)では、友情の大切さを訴えている。
小さな自分のカラに閉じこもった生命——そこには、躍動がない。真の創造も喜びもない。ゆえに生きた知性の深まりも、価値ある行動の広がりもないであろう。
ところが一歩、人間への行動を起こす。友と会い、語る。一緒に悩み、考える。すると心中には、限りない慈しみと知恵がわく。それが思いきった実践となっていく。いつしか生命は、ダイナミックに回転を始める。「友情」が、生命にみずみずしい触発をあたえているのだ。
友への断ちがたい熱情。会って確かめあう信頼と誓い。苦しみを分かちあう心の強さ、潔さ。「友情」は、心を強くし、人生の行き詰まりを破り、越えていく大いなる力となる。
◇正義の勢い
91年(同3年)10月13日、浜松アリーナで開催された第1回静岡合唱友好祭。静岡文化会館や清水文化会館、富士文化会館をはじめ23会場が中継で結ばれた。
前年の12月に第2次宗門事件が勃発し、宗門との攻防の真っただ中だった。祭典では、"創価勝利"を告げる「歓喜の歌」や「人間革命の歌」などの大合唱が轟いた。
池田先生はその熱唱をたたえつつ、独裁者・ヒトラーと戦った人民の英雄たちの温かき同志愛を紹介。「不屈の歌声」が「民衆の勝利」を約束することを語った。
「勝負」を決したのは「声」であった。「歌」であった。
私も十数年前、どす黒い策謀の嵐の中で、皆さまのことを思い、次々と「歌」を作った。そして信心を根本に歌った。こうして勝利へのリズムを、渾身の力で、ひとり厳然とつくってきた。(編集部注=池田先生が78年〈昭和53年〉に手掛けた学会歌は30曲に及んだ)
「ともに歌おう!」「肩組み、歌おう!」。そのスクラム自体が、すでに"われらは勝ちたり!"との象徴である。また無限に広がりゆく希望の証である。ゆえに、私は歌う。皆さまとともに歌い続ける。
わが友に「不屈の歌声」があるかぎり、「不滅の同志愛」があるかぎり、学会は、また学会員は、権威と権力をふりかざす独裁者の侵略にも、絶対に負けることはない。悠々と、正義の闘争に打ち勝ち、広布の栄光の歴史を、そして自身の栄光の人生を飾りゆくことができる。
さらに先生は2004年(平成16年)5月の随筆で、正義に生きる静岡に限りない期待を寄せた。
静岡が勝つことが、日本中に、勝利の息吹を、そして正義の勢いを、太陽の如く昇らせていくのだ!
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1463ページ)
静岡の健気な在家の門下に贈られた、有名な御聖訓である。わが尊き静岡の偉大な同志よ、東海の王者として、天下にその名を轟かせ、創価完勝の決定打を打ってくれ給え!
「声の力」で「仏法は勝負」の厳然たる実証を満天下に示してきた静岡の友。今、世界が見つめる静岡から、"創価勝利の太陽"は昇る。
「人生は強気でいけ」
恩師の師子吼のままに
勇気凛々と挑みゆこう!
楽しく勢いある座談間で
仏の大生命力を出して!
2019年2月11日
如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
〈寸鉄〉 2019年2月11日
戸田先生の生誕日。192カ国に広がる師弟の連帯。堂々たる精神界の王者と
国際部結成の日。語学と人格で世界結ぶ先駆者。創価の全権大使の誇りで
賢者は人の世の未来を考える—文豪。民衆が輝く世紀へ。立正安国の道を
外出時は天気予報、交通情報を確認。行動は無理なく。時間の余裕持って
児童虐待の疑いがある子が過去最多。社会全体の連携が鍵。総力挙げ対策
☆勇気の旗高く 池田先生と静岡 2019年1月31日
◇勝負を決するのは「声の力」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は静岡県を掲載する。
◇太陽の如く
2016年(平成28年)11月、静岡の新愛称が発表された。それは「太陽の静岡」。学会が邪宗門と決別した"魂の独立"から25周年の折であった。池田先生は、翌17年に発刊された指導集『太陽の静岡』に万感の思いを寄せた。
太陽は、希望の光源である。
太陽は、慈愛の熱源である。
太陽は、正義のエネルギー源である。
我らの静岡こそ、太陽の民衆仏法が、最も明るく、最も温かく、最も強く、世界へ未来へ、輝き渡る天地なのだ。
御本仏・日蓮大聖人は厳然と仰せになられた。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190ページ)
この通りに、「師子王の心を取り出して」、命に及ぶ迫害にも断じて屈しなかったのは、殉教の熱原の三烈士を中心とする静岡の農民門下であった。ここに、世界の人権闘争史をも照らしゆく、民衆仏法の凱歌の旭日が昇ったのである。
その「不惜身命」「死身弘法」の大光を、時を超えて受け継ぎ、赫々と放ちゆくのが、牧口常三郎先生と戸田城聖先生を創立の師父と仰ぐ、我ら創価学会である。
世界広布新時代の今この時、民衆仏法の原点の天地たる静岡の太陽の前進を、全世界の同志が見つめている。
大聖人は、「あつわらの者どもの御心ざし異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)と宣言なされた。
我ら太陽の静岡家族は、いやまして異体同心の団結を深め広げながら、愛する郷土に、広宣流布の「永遠の都」を断じて築きゆこうではないか!
いずこにもまして苦楽を分かち合ってきた静岡の同志と、私の心はどこまでも、いつまでも一緒である。
◇全権大使に
池田先生は若き日から富士をこよなく愛してきた。先生は1988年(昭和63年)9月、静岡の友に贈った長編詩「富士光る幸の宝土」で広宣流布に生きる使命をつづった。
富士郡・賀島(編集部注=現在の静岡県富士市)の
高橋入道に与えられた御書に
「其の国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」と
その地域の広宣流布は
そこに住みし人の使命である
自身に連なる人の絆は
誰も 取って代われはしない
君こそ あなたこそが
わが居住の世界の広布を
御本仏より託された
たった一人の開拓者なのだ
責任者なのだ
全権大使なのだ
広宣流布のために
自分は何をすべきか——
常に
その問いかけを忘れまい
そして 人を恃むな
そこに後退の因はある
どんなに大勢でも
それに安住してはならない
それぞれが
それぞれの
使命を果たさずしては
大願の成就は
決してないからだ
ゆえに君よ
創価学会のなかの自分ではない
自分のなかに
創価学会はあることを忘れまい
さあ 友よ
金の絆で
心と心を結びし君たちよ
歓喜の旗をなびかせながら
富士と語りつつ
三世に薫るこの道を
肩組み ともどもに行こう!
◇不退の精神
池田先生は、折々の場面で静岡の青年部に励ましを送ってきた。85年(同60年)7月22日、静岡・白糸研修道場(当時)に開設された「白糸記念青年塾」の開塾記念勤行会では、"信心を貫き通す人が最も尊い人"と後継の友に強調した。
さまざまな競技、スポーツにあっても、途中でやめ放棄することほどみじめなことはない。なにごとにあっても、最後まで、不退の精神で貫き通していくことだ。
勝っても負けても、頑張りぬくことが尊い。そこに人生の生き方の真髄があるといえよう。ましてや、信心を貫き通した人、広布の陣列に馳せ参じて、最後まで連なっていく人はもっとも尊いのである。その人を御本尊はお見通しになり、諸天も讃嘆することはまちがいない。
ゆえに、みずからが決めた道を、最極の法に則ったわが人生の道を、歩み通していく——この一点を、たがいに誓いあっていただきたい。
未来への永続的な発展は、青年がどのように成長し、力をつけ、斬新にして新鮮な生命力でたくましく伸びていけるかにある。そこに今後の発展のいっさいのカギがある。
さらに90年(平成2年)1月21日、静岡県青年会議(富士宮国際文化会館〈当時〉)では、友情の大切さを訴えている。
小さな自分のカラに閉じこもった生命——そこには、躍動がない。真の創造も喜びもない。ゆえに生きた知性の深まりも、価値ある行動の広がりもないであろう。
ところが一歩、人間への行動を起こす。友と会い、語る。一緒に悩み、考える。すると心中には、限りない慈しみと知恵がわく。それが思いきった実践となっていく。いつしか生命は、ダイナミックに回転を始める。「友情」が、生命にみずみずしい触発をあたえているのだ。
友への断ちがたい熱情。会って確かめあう信頼と誓い。苦しみを分かちあう心の強さ、潔さ。「友情」は、心を強くし、人生の行き詰まりを破り、越えていく大いなる力となる。
◇正義の勢い
91年(同3年)10月13日、浜松アリーナで開催された第1回静岡合唱友好祭。静岡文化会館や清水文化会館、富士文化会館をはじめ23会場が中継で結ばれた。
前年の12月に第2次宗門事件が勃発し、宗門との攻防の真っただ中だった。祭典では、"創価勝利"を告げる「歓喜の歌」や「人間革命の歌」などの大合唱が轟いた。
池田先生はその熱唱をたたえつつ、独裁者・ヒトラーと戦った人民の英雄たちの温かき同志愛を紹介。「不屈の歌声」が「民衆の勝利」を約束することを語った。
「勝負」を決したのは「声」であった。「歌」であった。
私も十数年前、どす黒い策謀の嵐の中で、皆さまのことを思い、次々と「歌」を作った。そして信心を根本に歌った。こうして勝利へのリズムを、渾身の力で、ひとり厳然とつくってきた。(編集部注=池田先生が78年〈昭和53年〉に手掛けた学会歌は30曲に及んだ)
「ともに歌おう!」「肩組み、歌おう!」。そのスクラム自体が、すでに"われらは勝ちたり!"との象徴である。また無限に広がりゆく希望の証である。ゆえに、私は歌う。皆さまとともに歌い続ける。
わが友に「不屈の歌声」があるかぎり、「不滅の同志愛」があるかぎり、学会は、また学会員は、権威と権力をふりかざす独裁者の侵略にも、絶対に負けることはない。悠々と、正義の闘争に打ち勝ち、広布の栄光の歴史を、そして自身の栄光の人生を飾りゆくことができる。
さらに先生は2004年(平成16年)5月の随筆で、正義に生きる静岡に限りない期待を寄せた。
静岡が勝つことが、日本中に、勝利の息吹を、そして正義の勢いを、太陽の如く昇らせていくのだ!
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1463ページ)
静岡の健気な在家の門下に贈られた、有名な御聖訓である。わが尊き静岡の偉大な同志よ、東海の王者として、天下にその名を轟かせ、創価完勝の決定打を打ってくれ給え!
「声の力」で「仏法は勝負」の厳然たる実証を満天下に示してきた静岡の友。今、世界が見つめる静岡から、"創価勝利の太陽"は昇る。
2019年2月10日日曜日
2019.02.10 わが友に贈る
「法華経にそめられ
奉れば必ず仏になる」
御書を心肝に染め
題目を唱え抜こう!
行学の二道を共々に!
種種御振舞御書 P912
『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか』
【通解】
一丈の堀を越えられない者がどうして十丈・二十丈の堀を越えられようか。
〈寸鉄〉 2019年2月10日
学会員の姿から会長の偉大な平和思想を知った—識者。「人の振舞」に師弟
勝利する人は最前線で闘い続ける人—作家。地道に誠実に。今日も対話を
一人の女子部は十人、百人に匹敵する力がある—恩師。希望の世紀を開け
頑張れより頑張ったね—子どもを伸ばす秘訣は時逃さぬ激励と。同志へも
凍結路や雪道での歩行・運転に注意。焦りや油断は禁物。呉々も無事故で
☆勇気の旗高く 池田先生と北海道 2019年1月28日
◇勝つとは深き祈りと三倍の努力
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は北海道を掲載する。
◇恩師の遺言
池田先生はこれまで、恩師・戸田先生の故郷である北海道を51回訪れている。
初訪問は1954年(昭和29年)8月10日。池田先生は、戸田先生と共に、恩師が青春期を過ごした旧・厚田村や札幌を巡った。
戸田先生にお供しての旅であった。そして多忙の日程のなか、師の故郷に足を運んだのであった。
「私のふるさとを、大作に見せておきたいんだ」
先生の育った家も、一緒に拝見させていただいた。
今、その家は、村の公園に移設・復元されている。
師弟二人して厚田の海岸に立った時、先生は、海の彼方を見つめながら言われた。
「この海の向こうには大陸が広がっている。
大作、お前は世界の広布の大道を必ず開いてゆけ! 頼む。断じて開け!」
それは、恩師の広宣流布の遺言である。
その遺言は、今なお私の胸中に響きわたっている。
私は、先生と、苦しんで戦うことが、好きであった。
先生と、あらゆる非難を浴びながら戦うことが、幸福であった。
そして先生と、この一生を、苦楽を共にしながら深い誓いの人生を生きゆくことが、本望であった。
私には、何の悔いもない。
さらに池田先生は、当時の戸田先生との思い出を振り返りながら、恩師から託された北海道広布のさらなる伸展を、次のように望んだ。
先生は言われた。
「北海道は、未来の新天地だ。大作、広布のために、多くの多くの友をつくってくれよ」「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ。発展させていってくれ」
私は、遺言と受け止めた。
今や大北海道に、史上最強の誇り高き青年の陣列が出来上がった。
見よ! 広大な北海道の、あの町で、この町で、正義と勇気と栄光の"三色旗"は、勝利、勝利と翻っている。
「広宣流布は北海道から!」——私は、北海道の英雄の皆様を讃えながら、そしてまた、この永遠の指針を託したいのである。
◇信・行・学のギア
初訪問に先立つ3月、戸田先生から青年部の室長の任命を受けた池田先生。
全国各地で拡大の渦を巻き起こす中、北海道では、「小樽問答」、そして現在の札幌市中央区を中心に、北区、白石区など、市内を巡った「札幌・夏の陣」、空知地域での「夕張炭労事件」と、連戦連勝の歴史を重ねた。先生は、北海道中を駆けた日々を振り返り、真情をつづっている。
毎日の闘争は、皆で呼吸を合わせた朝の勤行と、私の30分の御書講義で始まった。
信心で勝つことだ。
勇気で勝つことだ。
智慧で勝つことだ。
ゆえに「信・行・学」のギアがかみ合ってこそ、一日一日の行動も無敵の闘争となる。
これは、「札幌・夏の陣」における勝利へのリズムであり、翌年の「大阪の大法戦」の原形となるものであった。
悪戦苦闘を突き抜け、断固と勝つことが道を開く。
労働組合が、学会員の信教の自由を圧迫した、あの人権蹂躙の「夕張炭労事件」にも、北海道の同志は、私と共に完全勝利を収めた。
その1957年(昭和32年)から69年(同44年)まで、私は、13年連続で北海道を訪問している。
深雪を踏んで戦う旭川へ、霧をも晴らす情熱の釧路へ、鉄の団結の都・室蘭へ。正義の砦・函館へ、開拓の魂が光る帯広へ。
そして、最北の港湾都市・先駆の稚内へ、交通の要衝・躍進の岩見沢へ、と。
71年(同46年)2月、あえて厳冬に挑み、銀の大地に描いた「雪の文化祭」も、偉大なる開拓精神の詩であった。
「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」——北海道の三大闘争を、私は、若き生命の日記に「勝利」「勝利」と刻みつけながら戦った。
北海道は、創価の連続勝利の光源である。
"牧口先生、戸田先生の青春の故郷に、敗北の汚名を残してなるものか!"
"師弟有縁の神聖なる天地に、必ず輝かしき正義の旗を打ち立ててみせる!"
これが、つねに変わらぬ、私の決心であった。
◇「開拓魂」燃やし
師弟が築いた、あこがれの広布の天地・北海道。池田先生は"開拓魂"燃える同志を、見守り続けている。
北海道と私は一つだ。
つねに広き曠野が、私の胸を走る。
凍りついた大地を、わが友が、いつも苦しみを歓喜の劇に変えながら、そして使命と喜びの杯を交わしながら、歩みゆく姿を思う時、熱い活発な魂が、私の胸に躍る。
もっとも厳しい場所で戦い、そこで勝ってこそ、真実の広宣流布の実像がある。
そして、苦難の吹雪のなか、健気に頑張っている人を、仏と思い、菩薩と尊敬し、励ましてこそ、真実の同志である。
だれが、なんと言おうが、何があろうが、われは、断固として広宣流布をする! 断じて勝ってみせる!
これが、学会精神である。これが、世界の人々の憧れの故郷である、北海道を築いた"開拓魂"である。
この心ある限り、北海道は、いかなる吹雪も烈風も超えて、新世紀の希望の春が、厳然と始まるにちがいない。
私は、健気な北海道の同志の健康と長寿とを、そして皆が勝利者であることを、一生涯、祈り続けたい。
◇希望のVサイン
本年は、池田先生の51回目の北海道訪問(94年〈平成6年〉)から25周年の節目だ。
北海道の同志は、この折に先生から贈られた不滅の指針「勝つとは 深き祈りと 人の三倍 努力することだ」をはじめとする、渾身の激励を胸に刻む。
戸田先生は、よく言われていた。
「私は何がうれしいか。それは、学会員から『こんなに幸せになりました。健康になりました』と報告を受けることが一番うれしい」と。
私も、まったく同じ気持ちである。
目の前の証拠、すなわち信心の「実証」を示すことが、いちばん説得力がある。雄弁に、妙法の正しさを教えられる。ゆえに、生活で勝たねばならない。人生に勝たねばならない。
北海道は、私が牧口先生、戸田先生の心をわが心として、皆さまとともに築いてきた「民衆の幸福城」である。「創価の故郷城」である。
(中略)
大切な大切な、この「幸福城」「故郷城」「三代城」を、断じて魔軍に破壊させてはならない。
魔には、つけ入るスキを与えてはならない。
北海道の皆さまは、どんな時にも、希望のVサインを掲げながら、「北海道さえあれば、学会は永遠なり」という難攻不落の「三代城」を築いていただきたい。
「三代城」は北海道しかない。この誇りで進んでいただきたい。
広布への情熱の炎を燃やし、3年連続の世帯増を成し遂げた北海道の友。"創価勝利の春"へ、難攻不落の「三代城」の底力を満天下に示す時が来た。
奉れば必ず仏になる」
御書を心肝に染め
題目を唱え抜こう!
行学の二道を共々に!
種種御振舞御書 P912
『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか』
【通解】
一丈の堀を越えられない者がどうして十丈・二十丈の堀を越えられようか。
〈寸鉄〉 2019年2月10日
学会員の姿から会長の偉大な平和思想を知った—識者。「人の振舞」に師弟
勝利する人は最前線で闘い続ける人—作家。地道に誠実に。今日も対話を
一人の女子部は十人、百人に匹敵する力がある—恩師。希望の世紀を開け
頑張れより頑張ったね—子どもを伸ばす秘訣は時逃さぬ激励と。同志へも
凍結路や雪道での歩行・運転に注意。焦りや油断は禁物。呉々も無事故で
☆勇気の旗高く 池田先生と北海道 2019年1月28日
◇勝つとは深き祈りと三倍の努力
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は北海道を掲載する。
◇恩師の遺言
池田先生はこれまで、恩師・戸田先生の故郷である北海道を51回訪れている。
初訪問は1954年(昭和29年)8月10日。池田先生は、戸田先生と共に、恩師が青春期を過ごした旧・厚田村や札幌を巡った。
戸田先生にお供しての旅であった。そして多忙の日程のなか、師の故郷に足を運んだのであった。
「私のふるさとを、大作に見せておきたいんだ」
先生の育った家も、一緒に拝見させていただいた。
今、その家は、村の公園に移設・復元されている。
師弟二人して厚田の海岸に立った時、先生は、海の彼方を見つめながら言われた。
「この海の向こうには大陸が広がっている。
大作、お前は世界の広布の大道を必ず開いてゆけ! 頼む。断じて開け!」
それは、恩師の広宣流布の遺言である。
その遺言は、今なお私の胸中に響きわたっている。
私は、先生と、苦しんで戦うことが、好きであった。
先生と、あらゆる非難を浴びながら戦うことが、幸福であった。
そして先生と、この一生を、苦楽を共にしながら深い誓いの人生を生きゆくことが、本望であった。
私には、何の悔いもない。
さらに池田先生は、当時の戸田先生との思い出を振り返りながら、恩師から託された北海道広布のさらなる伸展を、次のように望んだ。
先生は言われた。
「北海道は、未来の新天地だ。大作、広布のために、多くの多くの友をつくってくれよ」「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ。発展させていってくれ」
私は、遺言と受け止めた。
今や大北海道に、史上最強の誇り高き青年の陣列が出来上がった。
見よ! 広大な北海道の、あの町で、この町で、正義と勇気と栄光の"三色旗"は、勝利、勝利と翻っている。
「広宣流布は北海道から!」——私は、北海道の英雄の皆様を讃えながら、そしてまた、この永遠の指針を託したいのである。
◇信・行・学のギア
初訪問に先立つ3月、戸田先生から青年部の室長の任命を受けた池田先生。
全国各地で拡大の渦を巻き起こす中、北海道では、「小樽問答」、そして現在の札幌市中央区を中心に、北区、白石区など、市内を巡った「札幌・夏の陣」、空知地域での「夕張炭労事件」と、連戦連勝の歴史を重ねた。先生は、北海道中を駆けた日々を振り返り、真情をつづっている。
毎日の闘争は、皆で呼吸を合わせた朝の勤行と、私の30分の御書講義で始まった。
信心で勝つことだ。
勇気で勝つことだ。
智慧で勝つことだ。
ゆえに「信・行・学」のギアがかみ合ってこそ、一日一日の行動も無敵の闘争となる。
これは、「札幌・夏の陣」における勝利へのリズムであり、翌年の「大阪の大法戦」の原形となるものであった。
悪戦苦闘を突き抜け、断固と勝つことが道を開く。
労働組合が、学会員の信教の自由を圧迫した、あの人権蹂躙の「夕張炭労事件」にも、北海道の同志は、私と共に完全勝利を収めた。
その1957年(昭和32年)から69年(同44年)まで、私は、13年連続で北海道を訪問している。
深雪を踏んで戦う旭川へ、霧をも晴らす情熱の釧路へ、鉄の団結の都・室蘭へ。正義の砦・函館へ、開拓の魂が光る帯広へ。
そして、最北の港湾都市・先駆の稚内へ、交通の要衝・躍進の岩見沢へ、と。
71年(同46年)2月、あえて厳冬に挑み、銀の大地に描いた「雪の文化祭」も、偉大なる開拓精神の詩であった。
「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」——北海道の三大闘争を、私は、若き生命の日記に「勝利」「勝利」と刻みつけながら戦った。
北海道は、創価の連続勝利の光源である。
"牧口先生、戸田先生の青春の故郷に、敗北の汚名を残してなるものか!"
"師弟有縁の神聖なる天地に、必ず輝かしき正義の旗を打ち立ててみせる!"
これが、つねに変わらぬ、私の決心であった。
◇「開拓魂」燃やし
師弟が築いた、あこがれの広布の天地・北海道。池田先生は"開拓魂"燃える同志を、見守り続けている。
北海道と私は一つだ。
つねに広き曠野が、私の胸を走る。
凍りついた大地を、わが友が、いつも苦しみを歓喜の劇に変えながら、そして使命と喜びの杯を交わしながら、歩みゆく姿を思う時、熱い活発な魂が、私の胸に躍る。
もっとも厳しい場所で戦い、そこで勝ってこそ、真実の広宣流布の実像がある。
そして、苦難の吹雪のなか、健気に頑張っている人を、仏と思い、菩薩と尊敬し、励ましてこそ、真実の同志である。
だれが、なんと言おうが、何があろうが、われは、断固として広宣流布をする! 断じて勝ってみせる!
これが、学会精神である。これが、世界の人々の憧れの故郷である、北海道を築いた"開拓魂"である。
この心ある限り、北海道は、いかなる吹雪も烈風も超えて、新世紀の希望の春が、厳然と始まるにちがいない。
私は、健気な北海道の同志の健康と長寿とを、そして皆が勝利者であることを、一生涯、祈り続けたい。
◇希望のVサイン
本年は、池田先生の51回目の北海道訪問(94年〈平成6年〉)から25周年の節目だ。
北海道の同志は、この折に先生から贈られた不滅の指針「勝つとは 深き祈りと 人の三倍 努力することだ」をはじめとする、渾身の激励を胸に刻む。
戸田先生は、よく言われていた。
「私は何がうれしいか。それは、学会員から『こんなに幸せになりました。健康になりました』と報告を受けることが一番うれしい」と。
私も、まったく同じ気持ちである。
目の前の証拠、すなわち信心の「実証」を示すことが、いちばん説得力がある。雄弁に、妙法の正しさを教えられる。ゆえに、生活で勝たねばならない。人生に勝たねばならない。
北海道は、私が牧口先生、戸田先生の心をわが心として、皆さまとともに築いてきた「民衆の幸福城」である。「創価の故郷城」である。
(中略)
大切な大切な、この「幸福城」「故郷城」「三代城」を、断じて魔軍に破壊させてはならない。
魔には、つけ入るスキを与えてはならない。
北海道の皆さまは、どんな時にも、希望のVサインを掲げながら、「北海道さえあれば、学会は永遠なり」という難攻不落の「三代城」を築いていただきたい。
「三代城」は北海道しかない。この誇りで進んでいただきたい。
広布への情熱の炎を燃やし、3年連続の世帯増を成し遂げた北海道の友。"創価勝利の春"へ、難攻不落の「三代城」の底力を満天下に示す時が来た。
2019年2月9日土曜日
2019.02.09 わが友に贈る
仏法は「以信代慧」。
強盛な信心に立てば
勝利の智慧が湧く。
広布拡大に向け
価値創造の一日を1
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』
【通解】
仏になる道は善知識に勝るものはない。わが智慧は何の役に立とう。ただ暑さ寒さを知るだけの智慧さえあるならば、善知識が大切なのである。
〈寸鉄〉 2019年2月9日
青年の支持がなければ、何もできない—戸田先生後継の若人と動き語ろう
民音の日。文化の力は人の生命を潤し、結ぶ。推進委員の皆様は平和の旗手
懸命に働く人は決して歳をとるという事はない—発明王。多宝の友が模範
厳寒の季節。無冠の友の尊き配達に感謝!使命の道を無事故で。皆が祈る
公明党こそ教育や福祉の大切さを知る国民政党—識者。立党精神貫き進め
☆2月度男子部「御書活動者会」研さんのために 兵衛志殿御返事(三障四魔事)
◇試練こそ成長の好機 「勇敢なる信心」で勝て
2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」を研さん。三障四魔と戦う意義を学ぶ。
◇御文
『しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』(御書1091ページ)
◇通解
潮が干る時と満ちる時、月の出る時と入る時、夏・秋・冬・春という四季の変わり目には、必ずそれまでと異なることがある。
凡夫が仏になる時も、また同じである。必ず三障四魔という障害が現れるので、賢者は喜び、愚者は退くのである。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が身延で認められ、武蔵国・池上(東京都大田区)に住む池上兄弟の弟・宗長(兵衛志)に送られたお手紙である。
これまで建治元年(1275年)の御執筆とされていたが、内容から最近では、建治3年(1277年)と考えられている。
池上家は、鎌倉幕府に仕えていた武士で、有力な工匠であったとされる。宗長は兄・宗仲と共に、立宗宣言から間もない頃、大聖人に帰依したと伝えられている。
だが、真言律宗の極楽寺良観を信奉していた父・康光に信心を反対されていた。兄の宗仲が2度目の勘当を受けた直後に認められたのが、本抄である。
2度目の勘当で、兄の決意は揺るがなかったものの、弟・宗長の心には動揺が生じた。大聖人は、宗長が退転することを心配され、厳愛の励ましを送られている。
そして、凡夫が仏になる時は、必ず三障四魔が競い起こることを示され、難が起こった今こそ、「賢者」の信心を貫いていくよう教えられている。
◇解説
凡夫が仏になる境目には、必ず三障四魔が競い起こる。つまり、三障四魔が現れるということは、正しい信仰をしている証しであり、常楽我浄の幸福境涯を開く好機なのだ。ゆえに、三障四魔の出現を、賢者は「喜ぶ」と仰せである。
拝読御文の後段で、大聖人は、この度の勘当の本質を、「とによせ・かくによせて・わどのばらを持斎・念仏者等が・つくり・をとさんために・をやを・すすめをとすなり」(御書1093ページ)と鋭く喝破されている。兄が勘当されれば、家督の相続権は弟・宗長に移る。兄の勘当には、兄弟の仲を引き裂き、弟の信心を破ろうとする狙いがあったのである。
こうした魔の働きに対し、大聖人は、「すこしも・をそるる心なかれ」(同1091ページ)と、宗長を鼓舞されている。そして、法華経から離れなければ、「我が身・仏になるのみならず・そむきしをやをもみちびきなん」(同1092ページ)と励まされた。
大聖人の教えのままに、勇敢なる信心を奮い起こした池上兄弟は苦境を勝ち越え、ついには父を入信に導くのである。
困難に遭うと、障魔から「攻め込まれている」と感じることがあるかもしれない。だが本質は逆だ。成仏の峰へ到達するために、自ら望んで、障魔を「呼び起こしている」のである。
池上兄弟ゆかりの地・東京都大田区には、若き日の池田先生が、広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」の足跡が刻まれている。
蒲田支部が、1カ月で201世帯の弘教を達成したのは、1952年(昭和27年)2月。巡り来る2月は、弟子が師恩に報いんと立ち上がり、広布の誓願を果たす時だ。
広宣流布のために、私たちが正義を語れば語るほど、負けじと魔の働きも強くなる。
思わぬ試練が立ちはだかることもあろう。しかし、臆してはいけない。信心のギアを一段と加速させ、魔を打ち破るのである。
池田先生は語られている。「広宣流布に進めば、三類の強敵、三障四魔が競い起こるのは当たり前である。そのときこそ、青年は、わが正義を叫ぶべきである。堂々と師子吼すべきである。『勇猛精進』こそ、学会青年部の魂でなければならない」
各地で、男子部大学校の入卒式が行われている。創価班、牙城会など、新たなステージに進む友。新たに大学校の門をたたいた友。清新な決意にあふれる1期生、2期生と共に、師弟の精神を深め合いながら、未来に語り継がれるような、新しい「二月闘争」の歴史を勝ち開いてまいりたい。
強盛な信心に立てば
勝利の智慧が湧く。
広布拡大に向け
価値創造の一日を1
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』
【通解】
仏になる道は善知識に勝るものはない。わが智慧は何の役に立とう。ただ暑さ寒さを知るだけの智慧さえあるならば、善知識が大切なのである。
〈寸鉄〉 2019年2月9日
青年の支持がなければ、何もできない—戸田先生後継の若人と動き語ろう
民音の日。文化の力は人の生命を潤し、結ぶ。推進委員の皆様は平和の旗手
懸命に働く人は決して歳をとるという事はない—発明王。多宝の友が模範
厳寒の季節。無冠の友の尊き配達に感謝!使命の道を無事故で。皆が祈る
公明党こそ教育や福祉の大切さを知る国民政党—識者。立党精神貫き進め
☆2月度男子部「御書活動者会」研さんのために 兵衛志殿御返事(三障四魔事)
◇試練こそ成長の好機 「勇敢なる信心」で勝て
2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」を研さん。三障四魔と戦う意義を学ぶ。
◇御文
『しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』(御書1091ページ)
◇通解
潮が干る時と満ちる時、月の出る時と入る時、夏・秋・冬・春という四季の変わり目には、必ずそれまでと異なることがある。
凡夫が仏になる時も、また同じである。必ず三障四魔という障害が現れるので、賢者は喜び、愚者は退くのである。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が身延で認められ、武蔵国・池上(東京都大田区)に住む池上兄弟の弟・宗長(兵衛志)に送られたお手紙である。
これまで建治元年(1275年)の御執筆とされていたが、内容から最近では、建治3年(1277年)と考えられている。
池上家は、鎌倉幕府に仕えていた武士で、有力な工匠であったとされる。宗長は兄・宗仲と共に、立宗宣言から間もない頃、大聖人に帰依したと伝えられている。
だが、真言律宗の極楽寺良観を信奉していた父・康光に信心を反対されていた。兄の宗仲が2度目の勘当を受けた直後に認められたのが、本抄である。
2度目の勘当で、兄の決意は揺るがなかったものの、弟・宗長の心には動揺が生じた。大聖人は、宗長が退転することを心配され、厳愛の励ましを送られている。
そして、凡夫が仏になる時は、必ず三障四魔が競い起こることを示され、難が起こった今こそ、「賢者」の信心を貫いていくよう教えられている。
◇解説
凡夫が仏になる境目には、必ず三障四魔が競い起こる。つまり、三障四魔が現れるということは、正しい信仰をしている証しであり、常楽我浄の幸福境涯を開く好機なのだ。ゆえに、三障四魔の出現を、賢者は「喜ぶ」と仰せである。
拝読御文の後段で、大聖人は、この度の勘当の本質を、「とによせ・かくによせて・わどのばらを持斎・念仏者等が・つくり・をとさんために・をやを・すすめをとすなり」(御書1093ページ)と鋭く喝破されている。兄が勘当されれば、家督の相続権は弟・宗長に移る。兄の勘当には、兄弟の仲を引き裂き、弟の信心を破ろうとする狙いがあったのである。
こうした魔の働きに対し、大聖人は、「すこしも・をそるる心なかれ」(同1091ページ)と、宗長を鼓舞されている。そして、法華経から離れなければ、「我が身・仏になるのみならず・そむきしをやをもみちびきなん」(同1092ページ)と励まされた。
大聖人の教えのままに、勇敢なる信心を奮い起こした池上兄弟は苦境を勝ち越え、ついには父を入信に導くのである。
困難に遭うと、障魔から「攻め込まれている」と感じることがあるかもしれない。だが本質は逆だ。成仏の峰へ到達するために、自ら望んで、障魔を「呼び起こしている」のである。
池上兄弟ゆかりの地・東京都大田区には、若き日の池田先生が、広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」の足跡が刻まれている。
蒲田支部が、1カ月で201世帯の弘教を達成したのは、1952年(昭和27年)2月。巡り来る2月は、弟子が師恩に報いんと立ち上がり、広布の誓願を果たす時だ。
広宣流布のために、私たちが正義を語れば語るほど、負けじと魔の働きも強くなる。
思わぬ試練が立ちはだかることもあろう。しかし、臆してはいけない。信心のギアを一段と加速させ、魔を打ち破るのである。
池田先生は語られている。「広宣流布に進めば、三類の強敵、三障四魔が競い起こるのは当たり前である。そのときこそ、青年は、わが正義を叫ぶべきである。堂々と師子吼すべきである。『勇猛精進』こそ、学会青年部の魂でなければならない」
各地で、男子部大学校の入卒式が行われている。創価班、牙城会など、新たなステージに進む友。新たに大学校の門をたたいた友。清新な決意にあふれる1期生、2期生と共に、師弟の精神を深め合いながら、未来に語り継がれるような、新しい「二月闘争」の歴史を勝ち開いてまいりたい。
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