2014年1月5日日曜日

2013.12.27 わが友に贈る

わが信心の確信を
子・孫・後輩に
振る舞いで示そう!
後継の人材の育成で
令法久住の大潮流を!

種種御振舞御書 P912
『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか』

◇希望の明日へ
学問は、対話という人間と人間の触発があってこそ、真価を発揮することができる。学者が自身の研究に埋没して閉鎖的となり、謙虚に対話を交わしていく姿勢を失ったならば、学問の発展はない。また、幅広い友好と交流の道を開くことはできない。
平1・3・25

☆女性に贈ることば 十二月二十七日
どのように過ごしても一日は一日、一生は一生である。何かあるたびに・これはいやだ、つまらない、おもしろくない、と不平不満にとらわれては損であるし、価値がない。
どこに行っても、そこで楽しみをつくり、成長と喜びの道を開いていく。つねに、そういう方向へ自身の心の舵をとっていくことが大事である。

☆今日のことば 十二月二十七日
権力をもった人間の名聞名利と偏見で動かされていくかぎり、民衆の幸福は永久にありえないだろう。権力者の胸底に生命蔑視の原理があるかぎり、民衆の生命の安全すら保障されないであろう。ここに魔性の権力が暴威をふるう温床があるからだ。

☆我らの勝利の大道No.119 新時代の人材城
◇友に会おう!励まそう!

この一年
 我らは勝ちたり
  晴ればれと
 常勝創価の
   源流なるかな

今も胸に熱く蘇る、忘れ得ぬ光景がある。
昭和二十六年(一九五一年)七月、戸田城聖先生のもと執り行われた、創価学会常住御本尊を奉戴しての総会の折のことだ。
「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの御本尊の御前に、先生は、目覚ましい奮闘をした三十数人の代表を招かれた。そして讃えられたのである。
「ここに並ばれた方々は、私が褒めるよりも先に、大聖人様がお褒めになっているに間違いありません。私は、この方々に何も差し上げられないが、大聖人様は、すごいご褒美をくださるでありましょうから、なんの心配もいたしません」
今、私も、全く同じ心で、尊き同志の一人ひとりをねぎらい、感謝し、讃嘆したい。
創価の太陽・婦人部も、黄金柱の壮年部も、敬愛する多宝の友も、皆、本当に、本当によく戦ってくださった。ありがとう!
さらに戸田先生は、総会の最後には、壇上に立った青年たちを紹介しながら、こう言われたのである。
「皆さん、この青年男女諸君に、どうか期待してください。この若者たちが、この大法戦をやり遂げる人びとです。これら青年がいる限り、学会は絶対に盤石であります」と。
以来六十有余年──今、日本中、世界中に澎湃と躍り出ている地涌の青年の大陣列を、戸田先生はいかばかり、お喜びであろうか。創価の未来は晴れやかだ。

◇不軽菩薩の実践
新時代の開幕に呼応し、各地で新リーダーが勇み、指揮を執っている。決意が漲る、皆の息吹が嬉しい。
広宣流布の新たな前進は、どこから始まるか。
それは、リーダーが人と会うことから始まる。
一人また一人と、どんどん会って、語り合っていくことだ。心から友を励ましていくことだ。そこから人材が伸び、波動が広がる。これが鉄則だ。
日蓮大聖人は『今日蓮等の類は不軽なり』(P766)と御断言であられる。
生命の次元からみれば。いかなる人も仏性を具えている。その尊極なる仏の生命を信じて、人びとを敬っていく。誰もがその仏性を必ず開いていけることを信じ、励ましを送り続ける。
この不軽菩薩の実践を現代に展開しているのが学会の運動である。不軽の精神とは人間尊敬の心だ。
リーダーにその心があれば、必ず相手にも伝わる。それぞれの良さや持ち味も分かる。ここを伸ばせば、という部分にも自然と気づくものだ。
私自身、ありがたくも、戸田先生に見出され、育てていただいた一人である。ゆえにその報恩の思いで、私は、わが友が秘めている生命の宝をより磨き輝かせるために、全力を注いでいった。誠実に友と接した。温かく包容した。粘り強く関わり続けた。
私は青年部時代、書くことが苦手な友には、あえて会合の感想文を書くことを提案した。数字に弱い人に会計を担ってもらったこともあった。
真剣に祈れば、知恵は必ず出る。それが妙法だ。
人間は、機械ではない。ああ言えば、こう動いて当たり前というものでは決してない。「人生、意気に感ず」というではないか。
まず、こちらの胸中に大情熱が燃えていてこそ、友の心も動くのだ。
現場を歩き回り、駆け巡りながら、どれだけ祈り、考え、悩んで戦ったか。本当に苦労した分だけ、自分の力がつく。力を伸ばした分だけ、成長した分だけ、周囲も触発される。
ここに、希望の方程式がある。
六十年前(一九五三年)の一月、男子部第一部隊長となった私が、出発に際し、班長会で共々に拝した御聖訓がある。
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』『釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし』(P1451)
この一節を通し、私は、わが部隊が一年間で部員一千人の結集を成し遂げ、弘教七十五万世帯という師の誓願の達成へ先駆しようと呼びかけたのである。