2024年8月12日月曜日

2024.08.12 わが友に贈る

名字の言 手塚治虫氏の「人生の恩人」 2024年8月12日
漫画家の手塚治虫氏が人生の恩人として名前を挙げた人物。それは小学校の先生だった▼小学生の頃、ノート一冊分の漫画を描いた。それを授業中に読んでいた友人が先生に見つかり、ノートを取り上げられてしまう。職員室に呼ばれ、怒られると思ったら、よくできているとほめてくれ、「大いにマンガを描きなさい」と。氏は「先生のおかげで、ぼくは人生に光明を見いだした」と振り返る(『ガラスの地球を救え』光文社)▼良き教師との出会いは人生を豊かにする。氏の先生は皆がどんな夢を持ち、人生をどう歩んでいきたいかを日頃からよく見ていたに違いない▼教育にとって最も大事なことは、子どもたちの声を「よく聞く」ことであろう。池田先生が「言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていく」ことを強調したのは1975年8月12日。創価大学で行われた教育部(当時)の夏季講習会であった▼きょうは、この講習会を淵源とする「教育本部原点の日」。当時、先生が語った"私の最終の事業は教育"との言葉を胸に、創価の教育者は"子どもの幸福が第一"の社会を目指して尽力する。友の奮闘は未来を開く光明であり、その地道な献身の中に教育の目指すべき姿がある。

寸鉄 2024年8月12日
創価学会・SGIこそ日蓮仏法を現実に体現する団体―インド博士。"立正安世界"の誓願皆で
教育本部原点の日。宝の友の未来開く聖業。どこまでも子の幸福の為に!
「衆流あつまりて大海となる」御聖訓。一歩一歩の挑戦が栄光の道切り開く(新205・全288)
新しい刺激は脳の若返りに効果的と。友人との語らい広げる人は生涯青年
大学生就職内定率が91%に。8月時点の最高水準。公明よ更なる若者支援を

〈社説〉 2024・8・12 きょう「国際青少年デー」
◇"青年の熱と力"応援する社会を
きょうは「国際青少年デー」。若者が社会のあらゆる分野に参画し、意見を反映させられる未来を目指し、1999年に国連で制定されたものだ。
制定に先立って、世界の若者が置かれた状況を改善すべく採択された「世界行動計画」には「青少年は大きな社会的変革を引き起こす当人であり、受益者であり、また犠牲者である。また総じて、既存の秩序に組み込まれようとしながら、一方ではその秩序を変革する原動力となる」とある。
日本若者協議会の室橋祐貴代表理事は、社会の風潮として「若者は未熟であり、権利の主体ではなく、支援・保護対象だと見なすまなざしがある」と指摘する(2023年10月5日付朝日新聞デジタル)。若者の未熟さは時にリスクにもなろう。しかし、それ以上に若者が変革と刷新の原動力となってきたことは明白だ。
青年の数だけ希望があり、未来がある――その熱と力に、誰よりも期待を寄せてきたのが、池田大作先生である。2006年に発表した提言「世界が期待する国連たれ」の中では「世界の青年のために活動を特化した専門機関、もしくは国連事務局における『青年担当局』の設置を」と提案。そして昨年、国連は青年に関する事柄に特化した「ユース・オフィス」を設置した。青年に光を当てた、世界的問題の解決に向けての取り組みは、さらに加速していくであろう。
グテーレス国連事務総長は一昨年の青少年デーに「若者の声に耳を傾けるだけでは不十分です。地方、国、国際レベルの意思決定メカニズムに、若者たちを組み入れる必要がある」と述べた。昨今は日本でも青少年が政策提言したり、議員や首長に意見を伝えたりする「子ども議会」「若者議会」を導入する自治体が増えてきた。
人口比率では"少数派"である日本の青少年たちにとって、自身の意見が政策に反映される経験は貴重であり、社会のさまざまな課題について考え、解決していく主体者となる動機ともなろう。
変化の大きい時代の中、国内外で困難な問題が山積している。しかし、悲観することはない。今、必要なのは、青年たちに挑戦と変革の機会を与えるとともに、その清新な熱と力を応援することを社会全体の"当たり前"にしていくことだ。それこそが、次の時代を開くための鍵となるに違いない。
🚴 関口

2023年11月18日土曜日

池田大作先生が霊山へ

創価学会名誉会長・SGI(創価学会インタナショナル)会長の池田大作先生が15日夜半、老衰のため、東京・新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた。95歳のご生涯であった。葬儀は17日、近親者のみで家族葬として執り行われた。池田先生は19歳で入信。第2代会長の戸田城聖先生に師事した。恩師が掲げた広宣流布の願業実現に青春をささげ、戸田先生の後を継いで32歳で第3代会長に就任。以来、世界広布のために東奔西走し、学会を192カ国・地域に広がる平和のスクラムに発展させた。学会葬は今月23日、全国の会館を同時中継で結び、会員を対象に挙行される(詳細は明日付本紙に掲載)。後日、「お別れの会」が行われる(日時・会場は未定)。

 下記の創価学会公式チャンネルをご視聴ください。
【池田大作先生が逝去】原田会長・池田主任副会長が談話|創価学会公式
https://www.youtube.com/watch?v=TeuEI6QxA4s

2023年10月29日日曜日

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2022年10月29日土曜日

2022.10.29 わが友に贈る

理想の社会を創るのは
全て一人の変革から!
これが広布の方程式だ。
友の心に希望を送る
勇気の実践を"私"から!

当体義抄送状 P519
『経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり』

【通解】
法華経従地涌出品に「地涌の菩薩は、世間の法に染まらないこと、あたかも蓮華が泥水の中にありながら、清浄であるのと同じである。しかも、この菩薩は大地から涌き出た」と説かれている。これは、まさしく地涌の菩薩が当体蓮華であることを示している。

名字の言 最高峰エベレストを一望できるロッジを建てた女性部員 2022年10月29日
ネパールから写真が届いた。標高4000メートルほどの丘に立つ石造りの建物で、山小屋風の宿泊施設だった。山荘から見える風景を撮った別の写真に、目を見張った。世界の最高峰エベレスト(サガルマータ)が気高くそびえていた▼「エベレストを一望できる場所にロッジを建てよう」。こう心を定めた一人の女性の強い思いが写真からも伝わってきた。1989年に完成したロッジは今、現地の人々や多くの登山者にとって"なくてはならない友好の広場"となっている▼建てた女性は今年91歳。40年以上、日本とネパールの民間交流に尽くす。ネパールに何度も足を運び、来日した留学生を親身になって面倒を見てきた。今秋から、ネパールの教育を支援する新たなプロジェクトを本格的に開始。「年がいもなく見えますが、私が決めた人生ですから」▼約50年前、国際部(現在の国際本部)が結成された71年に決意した。「生涯、青春。生涯、求道。生涯、報恩」。この誓いを忘れないからだろう。体の無理は利かない年齢になっても、心は生き生きと輝いている▼「精神面の若さをささえるものは、"偉大なる道"を求める、真摯な求道心」と池田先生。最高峰の哲学を持ち、最高峰の人生を歩む先輩に続きたい。

寸鉄 2022年10月29日
全国各地で「ユースフェスタ」に向け青年が疾駆。伸びゆく宝友を皆で応援
青森県女性部の日。輝く新時代の"人材の大森林"地域に励ましの大波を!
「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」御書。大確信で真実と正義を語り抜け(新1711・全1241)
秋の読書推進月間。本には人生観変える力がある—識者。まず1頁繙こう
気候変動は人類の課題。熱波等の死者、20年間で7倍と。世界一体で応戦

〈社説〉 2022・10・29 「世界の識者との対話」開始55年
◇「黄金」の言葉で平和の道開こう
冷戦、核戦争の危機、環境問題——。池田先生が"世界との対話"を始めた1967年、地球規模の課題は山積みだった。
平和を求める賢人の中には、解決の道を大乗仏教に見いだし、日蓮仏法を根本に進む創価学会の運動に注目する人々がいた。
現在のEU(欧州連合)の基礎を築き、「ヨーロッパ統合の父」と称されるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵もその一人だった。
氏は学会を「世界最初の友愛運動である仏教のよみがえり」と評価。67年10月30日、先生との出会いが実現した。
3年後に再会し、対話は「核廃絶」「青年論」など多岐にわたり、計10時間を超えた。
氏は創価学園で講演し、建設中の創価大学を訪れるなど、先生と各界識者の教育交流の先駆けに。2人の語らいは72年、『文明・西と東』として結実。先生の約80冊に及ぶ対談集の1冊目となった。
以来、先生はさまざまな差異の壁を超え、対話の力で世界を結んできた。特に仏教の世界と遠い西欧の思想家と対話を続けた理由の一つを次のように記している。
——どんな宗教であれ、創始者が初めて真理を語った時には輝きを放っていた言葉も、時代が変われば古びて聞こえるようになっていってしまう。
「しかし、その言葉の中に秘められた真理は、けっして古びたり衰えたりしてはいない。黄金は、どんなに埃をかぶっても、やはり黄金なのである。ただ、それが黄金であることを人びとに納得させるためには、その表面をおおっている埃を取りのぞかなければならない」「この点について自分でも納得したい」(ルネ・ユイグ氏との対談集『闇は暁を求めて』の序文)
ゆえに先生は、第一級の知性との対話を通して「仏教」にまつわる固定観念や偏見といった「埃」を吹き払い、「幸福とは」「生命とは」「人はいかに生きるべきか」を探り続けてきたのである。
『文明・西と東』で先生は訴えた。「いかなる対立や、相克であっても、力によるのでなく、人間の英知によって、新しい解決の道を求めるべきである」と。
私たちは今、感染症、戦争をはじめ多くの危機に直面している。今こそ、師がよみがえらせた「黄金」の言葉、不変の真理に親しみたい。そして学会活動の現場で新たな智慧、新たな表現を生み出し、平和の道を開いていきたい。

☆勇気の源泉 御書と共に 「耳根得道」の国
『この娑婆世界は耳根得道の国なり。(中略)これを耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり。』(一念三千法門、新363・全415)

【通解】この娑婆世界は耳根得道の国である。(中略)妙法蓮華経を耳に触れる一切衆生は功徳を得る衆生である。

耳根は仏法で説く六根(目・耳・鼻・舌・身・意)の一つ。耳根得道の国とは、仏法を「聞く」ことで成仏へと至る国土である。
人間の「耳」は、誕生前から臨終まで、常に開いているという。目や口は閉じることができるが、何かでさえぎらない限り、耳を閉ざすことはできない。
池田先生は『法華経の智慧』で、耳は「生命の窓」であると語り、「命の奥底にまっすぐに入っていける『魂への門』」と。
例えば、会合で体験を聞いて感動する。SOKAチャンネルなどで先生の指導を胸に刻む。同志の励ましによって元気になる——。主に「耳」を通して言葉を伝えることで、心が変革されていくといえよう。
そして仏法で「聞く」ことが重要なのはそのまま、「語る」ことが重要ということでもある。
法華経には「五十展転」の法理が説かれている。法を「聞いて」歓喜した人が、別の人に「語る」。それを聞いた人がまた歓喜し、さらに次の人に語る。このようにして50番目に伝え聞いた人の功徳も絶大だとされる。
この御文を通し先生は関西の友に訴えた。
「勇気をもって正義を語りきることです。『声の力』が人々の心を変える。功徳の華を広げる。国土も大きく変革していく」
歓喜の語らいに勇み立ち、自他共の幸福を開いていきたい。

☆小説「新・人間革命」に学ぶ 言葉のちから 坂元信行北陸長
◇自身を築く
地区の協議会で、さまざまな意見が出て、それをうまくまとめられなかったと責任を感じた壮年部の友。同じく協議会で、活躍するメンバーの姿を見て、なかなか勇気を出せないでいる自分は、ずるいのではないかとまで深く考えてしまった壮年部の同志。それぞれに話をお聞きし、私なりの考えを述べさせていただきました。
すぐに答えは出せなくとも、誠実に「聞き役」に徹してみることや、御書に「随力弘通」とあるように、自分らしく広宣流布を進めること自体が尊いことなど。そして、小説『新・人間革命』にも、ヒントになりそうな箇所があります。
「壮年の一人が、伸一に尋ねた。
『私には、人に信心を教えるような経験も、実力もありません。これから、支部の幹部として、みんなから相談をもちかけられた場合、どうすればよいでしょうか』
真摯な質問であった。伸一は微笑んだ。
『経験は、これから積めばいいんです。学会は指導主義です。指導は、教授とは違う。自分が習得したものを人に教えるのが教授ですが、指導というのは、進むべき道を指し示し、ともに進んでいくことです。したがって、御書にはこう仰せである、学会ではこう教えていると、語っていけばいいんです。そして、一緒に、その人の幸せを祈ってあげることです。これは、誰にでもできることだが、人間として最も尊い行為です。自分のために、祈ってくれる同志がいるということほど、心強いことはありません。それが、最大の力になり、激励になります』」(第1巻 336ページ)
「指導主義」が大切ということと、その人の幸福を祈っていくことが、相手の何よりの支えになることを忘れないでいたいですね。

◇"自分への指導"と胸に刻み
ともあれ、私たちの信心の姿勢として心がけたいことは、日蓮大聖人や師匠の指導を、自分に頂いた言葉として、「その通りだ」と確信し、実践することだと思います。その「求道心」こそが、自分で自分を養うのではないでしょうか。
池田先生は、かつて「四条金吾殿御返事」を講義され、「『衆生』のうちに貴殿もれ給うべきや。『所』とは、一閻浮提なり。日本国は閻浮提の内なり。『遊楽』とは、我らが色心・依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや」(新1554・全1143)との御文を通して、こう語られました。
「この(法華経の「衆生所遊楽」という)経文は、あなた自身のことなのですよ、と。凡夫の悲しさで、どんなに経文を読み、御書を拝しても、『自分は別だ』と思ってしまう。
特に、苦しい嵐が吹きつけているとき、悲しみで心が張り裂けそうなとき、『自分の苦しみだけは救われない』と思ってしまうものです。
そうではないのですよ、というのが、ここの御文です。(中略)
『自受法楽』とあるように、最高の幸福境涯である仏界から、すべてを見下ろしていける自分自身を築き上げることが根本です。そうなるためには、題目を唱え抜いていく以外にないと仰せなのです。
また『色心依正ともに』と仰せのように、仏法は『心』だけの観念論ではない。『自分(正報)』だけの主観論でもない。心の福徳は、目に見える『物質面(色法)』にも表れ、『環境(依報)』にも表れる。目に見えない信心の『一念』が、色心依報ともに、一切を幸福の方向へ、所願満足の方向へ、一番いい方向へ、怒濤のごとく変化させていくのです。それが『自受用身の仏』です」
「もしも、心のどこかに『自分だけは幸福になれない』『自分だけは人材になれない』『この悩みだけは解決できない』と決めつける一念があれば、その一念の分だけ、功徳を塞き止めてしまうのです。ですから、この御文は、苦難の中にある金吾に対し、『あなたも必ず、この経文通りになるのですよ』と念を押されているところです。大聖人の慈愛です」と。
御本仏・日蓮大聖人と池田先生の言葉を、自分への指導なのだと深く胸に刻んで、人間革命の道を歩み続けましょう。

◇主体的、能動的に
さて、この「言葉のちから」の連載に、多くの方から感想を頂戴しました。その言葉に、私のほうが励ましていただき、心から感謝しています。何より、うれしいのは、皆さんと共に大聖人の御金言に触れ、池田先生の指導を学び合う機会を持てたことです。
ありがとうございました。
最後に、小説『新・人間革命』の言葉を確認し、終わりたいと思います。
「受け身ではなく、御本尊に巡り合い、一生成仏できることへの感謝と歓喜をもって、主体的、能動的に、勇んで信心に取り組んでいくことです。その時に、御本尊の大功徳を享受していくことができるんです。今、この時に人間として生まれ、御本尊を受持したこと自体、大変なことなんですよ」(第28巻 175ページ)

2022年10月28日金曜日

2022.10.28 わが友に贈る

"できない"ではなく
"やろう"と腹を決めて
苦手なことにも挑もう!
人間革命の劇は
そこから始まる!

四条金吾殿御書 P1111
『食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり』

【通解】
食法餓鬼という餓鬼は出家となって仏法を弘める人のうちで、自分が法を説けば人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって人よりも勝れようと思って今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない人を食法餓鬼というのである。

名字の言 弟が兄から受け継いだ"音楽への思い" 2022年10月28日
サクソフォン奏者の壮年が数十年前の高校時代、吹奏楽の全国大会で演奏する映像を見せてもらった。彼が手にする楽器は、思いのほか使い込まれていた。聞けば、10も年上の兄から譲り受けたものという▼兄は抜群の腕前で音楽家を目指していたが、病となり進路を変更。それでも楽器の手入れを怠らない兄の"音楽への思い"を、弟の彼が受け継ぎ、中学から吹き始めた。兄弟の心が宿る楽器を画面越しに見つめながら、名演を味わった▼学生部のある先輩と後輩は、しばしば連れ立ってメンバーの激励に歩いた。その中に毎回、家に行っても会うことを拒む学生がいた。それでも先輩は、持参した一筆箋に激励文をつづってはドアポストに挟んだ▼後年、先輩は大学を卒業し、就職で他県へ。後輩が当地のリーダーを引き継いだ。ある日、会えなかったその人から後輩に電話があった。「悩みを相談したい」。訪ねた部屋には、かつて先輩が書き続けた大量の置き手紙が大切に保管されていた。心を開いた友は信心で再起を果たし、苦悩を打開した▼自らかなえる願いもあれば、人に託し、時を経て花開く強き願いもある。その分、実った時の喜びは倍になり、志を立てた人、継いだ人の両方を輝かせる。

寸鉄 2022年10月28日
学会をつくったのは庶民—戸田先生。青年よ正義の言論で尊き和合僧守れ
東京「杉並女性部の日」。広布新展開の誉れの舞台連帯拡大を!幸の大輪を
「仏種は縁より起こる」御聖訓。妙法の種蒔く励ましの語らいを今こそ!(新1953・全1467)
SGIの友は良き市民として重要な貢献—エリース・ボールディング博士。地域に安心の光送る灯台
信号機のない横断歩道で60%の車が停止せずと。歩行者優先を互いに順守

☆「桜梅桃李」の輝き 池田先生の指導に学ぶ
◇光る人間の真価とは
創価大学の近くには、有名な東京純心女子大学があるが、その首脳の先生方とも、私たちは親交を結ばせていただいている。(中略)先日、高野(澄子)理事長から、一冊の貴重な書籍をいただいた。それは、『江角ヤス学園長先生 追慕の記』という本である。
江角ヤス先生は、東京純心女子大学の創立者であられる。(中略)
いただいた本には、江角先生を追悼して寄せられた百人以上もの多くの方々の声が収められている。さっそく感銘深く拝読させていただいた。
どの方も、江角先生を心から慕い、深い感謝をささげておられる。どれだけの人に尽くし、どれだけの人を励まして、どれだけの人の心の中に、自分の存在が刻まれたのか。ここにこそ、人間の真価が光る。
一人の教え子の方は、江角先生の忘れ得ぬ言葉として、こう紹介している。
「あなたがた一人一人は、個性を持って咲く花である。庭に咲くバラやゆりかもしれないし、野に咲く一輪の花かもしれない。そしてもし野の花がバラの花のようになりたいと思って、ひねくれた花を咲かせるより、自分自身の花を咲かせることに努めて野の花は野の花らしい花を咲かせた方が、どれ程価値があり美しいことか」(『江角ヤス学園長先生 追慕の記』純心女子学園発行。以下、引用は同書から)——と。
日蓮仏法の「桜梅桃李」に通ずる、すばらしい人生哲学である。

◇人生は、お金でも名誉でもない
また江角先生は、若き乙女たちに、「人生で、まことの勝利者はどんな人か」についてスピーチをされた。
今の多くの人々は、"人生の目的をお金と名誉と快楽とにおいている"。
しかし、「そこにほんとうの人生の勝利が得られるかどうか」「お金をたくさんもって、豪華な家を建ててる人、人臣をきわめた、総理とか大臣とか、社長とかの位についている人、その人達の晩年がほんとに喜びにみたされた生活であるかどうか」——と。
江角先生が作られた老人ホームには、立派な大学を卒業した人や、著名な芸術家や、お金には何不自由ない資産家なども、たくさんおられた。そのなかでもっとも幸福に暮らしていた人は、だれか?
それは、小学校しか出ておらず、若いころはお手伝いをしていた一人の平凡なおばあさんであると、江角先生は言われている。
おばあさんは、「どうしたら他人様をよろこばせることが出来るか」をつねに考えている方で、大病を患い自由に動くことができなくなっても、その人がいるだけで、雰囲気があたたかくなったという。
江角先生は、つくづくと語っておられる。「他人様のために、自分を忘れ働き他人様のためにつくした人のこの晩年の美しさ、幸福さを私はしみじみ思ってみているのです」と。
「生涯の終りの時に問われることは、どれだけ自分のまわりの者を愛したかということだけです」——これが江角先生の哲学であった。
皆さま方も、悩んでいる友のため、自他ともの幸福のために、わが使命の場所で、勇気ある慈悲の行動を生き生きと展開しておられる。その途中に、いかなる苦難があろうと、それはすべて、人生の最後を無量の幸福で飾っていくための「劇」なのである。
長い人生には、だれしもさまざまな起伏がある。しかし、何も悩みがないことが幸福なのではない。何があっても耐えぬいて、勝ち越えていけることが幸福なのである。
御書にも、「仏をば能忍(=よく忍ぶ人)と名けたてまつる」(全935・新1212)と仰せである。
いちばん苦労に耐え抜いた人が、いちばん幸福を勝ち取っていく。これが「煩悩即菩提」「変毒為薬」の妙法である。
いちばん誠実に生きぬいた人が、いちばん栄光に輝いていく。それが広宣流布の世界である。

◇植えておけば やがて花が、実が
別の教え子の方は、江角先生と一緒に汗を流して、柿や梅を植樹した思い出をしるしておられる。そのとき、江角先生は、「植えておけば少しでも花が咲くし、実がなるのよ。でもね、何もせず、植えなければ何もみのらないし、ゼロなのよ」と教えられたという。
何事であれ、「植える」「種を蒔く」という作業こそ、もっとも地味でありながら、もっとも尊い偉大な姿である。(『池田大作全集』第90巻 SGI公認通訳会議でのスピーチから)

2022年10月27日木曜日

2022.10.27 わが友に贈る

折伏こそ最も尊い
慈悲と勇気の実践だ。
友の幸せを願う
「抜苦与楽」の励ましに
揺るがぬ信頼が築かれる。

佐渡御勘気抄 P891
『日蓮は日本国東夷東条安房の国海辺の旃陀羅が子なり、いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず』

【通解】
日蓮は日本国の東国の片田舎の者で、安房の国東条の郷・海辺の旃陀羅の子である。むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のために捨てることができるのは、ちょうど石を金にかえるようなものではないか。あなた方は、嘆かれてはならない。

【先生の指導から】
大聖人みずから、ご自身のことを「民の子ども」(御書p1332、通解)と言われた。最下層の身分を意味する「旃陀羅(せんだら)の子ども」であると堂々と宣言されている。
最も貧しく、最も虐げられてきた民衆が、最も偉大な仏になる。宇宙大の境涯を開く。常楽我浄の生命を輝かせる。それを大聖人は、わが身で示された。本当に、すごいことである。

名字の言 「この一冊に、ありがとう」——きょうから「読書週間」 2022年10月27日
『動物農場』『一九八四年』などで知られるイギリスの作家ジョージ・オーウェルがある時、生涯に何冊の本を読んだかと問われた。文豪の答えは「800冊か900冊」。質問者は数の少なさに驚いたという▼このエピソードを通し、詩人の管啓次郎さんがつづっている。「読む」ことの濃度は人それぞれであり「冊」という単位には意味がない、と▼例えば詩について、管さんは「詩の読書はどれほど断片的でもかまわない。一行が、心を捕らえることもある。一行が、きみを変えることもある」と訴える(『本は読めないものだから心配するな』ちくま文庫)▼書店や図書館に足を運ぶか、あるいは電子書籍やオーディオブックを活用すれば、数え切れないほどの本に出あうことができる。その中から、限られた自分の時間で「何を」「どう」読むか。10冊の本を読むもよし。一方、1冊の本を10回読み、精神の"血肉"にする読み方もある。「座右の書」というが、常に傍らに置き、読むたびに新しい発見と気づきを得る——そんな本に出あえることは人生の喜びの一つだろう▼きょうから「読書週間」(11月9日まで)。今年の標語は「この一冊に、ありがとう」。良書に触れ、心を豊かにする秋のひとときを。

寸鉄 2022年10月27日
外交戦は礼儀正しく誠実に粘り強く—戸田先生。颯爽と友情広げる対話へ
滋賀青年部の日。愛する湖国を共生の理想郷に。師弟の誓い胸に勝ち進め
「希望は永遠の喜びだ」イギリス作家。信心は崩れぬ幸福と勝利の確かな光源なり
良書は心を豊かに。多忙な中でこそ繙く挑戦を。「文字・活字文化の日」
政府が通園バス置き去り対策強化—公明提言で。命守る政治に全力挙げよ

〈社説〉 2022・10・27 きょうから「読書週間」
◇本の"楽しさ"と出あう秋に
わずか数十秒の動画で紹介された30年前の小説が、重版されて15万部以上を売り上げた——。
これはSNSで小説の魅力を発信している小説紹介クリエーター・けんごさんのエピソード。「小説に興味がないという人にこそ、その楽しさを知ってほしい」と、毎月15もの作品の紹介動画を投稿し、話題を呼んでいる。
国立青少年教育振興機構の調査(2018年)では、1カ月で紙の本を1冊も読まない人が約半数に上り、年代に関係なく、読書離れの傾向が強くなっているという。
しかしけんごさんは、それは小説の魅力を"知るきっかけ"が他のエンタメ作品と比べて少ないからだと訴える。そして、きっかけさえ広がれば、読書の面白さに気付く人は増えるのではないかと語っている(本紙10月16日付)。
読書によって読解力が培われるなど、その効果は多くの観点から論じられる。しかし、そうした教育目的でなくても、"なんだか面白そう"という興味から本に触れるのも自然だろう。
少年少女きぼう新聞では、創刊以来、子ども自身が「おすすめの本」を紹介するコーナーを連載。そこでは「物語の場面を想像するのが面白い」「知らなかったことを学べるのがうれしい」など、勉強のためというより、純粋に本を読む楽しさがつづられている。
現代の若者はインターネットの娯楽に限っても、SNSやオンラインゲーム、動画サイトなどで多くのコンテンツに囲まれている。その中にあって、読書に親しむ時間がつくれれば、より生活に潤いや豊かさが増していくだろう。
きょうから「読書週間」が始まる(11月9日まで)。標語は「この一冊に、ありがとう」。本を手に取るきっかけは人それぞれだ。けんごさんが初めて小説を読んだのは大学生になってからで、500ページ以上ある分厚さが目に留まったからだという。友達からの口コミで心が動いたという人や、装丁のデザインに引きつけられたという人もいるかもしれない。
今は電子書籍や"本を耳で読む"オーディオブックもあり、読む方法も多様になった。実際に書店まで足を運べば、意外な「一冊」との出あいがあるかもしれない。これまで読書に親しんできた人も、なかなか手が伸びなかったという人も、「読書の秋」をきっかけに本を開いてみてはどうだろうか。

☆「桜梅桃李」の輝き 池田先生の指導に学ぶ
◇「多様性の調和」が法華経の世界
つねに御書を拝し、御聖訓のままに行動していくことが、わがSGI(創価学会インタナショナル)の永遠の軌道である。
今回の英文の『御書選集』(※1996年)にも収録されている、有名な御金言を拝したい。
それは、遠く離れた佐渡で活躍する、婦人門下の千日尼への御手紙の一節である。
「九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり、譬へば二人・三人・乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人・十人・六道・九界の衆生の心いかんが・かわりて候らむ、されば花をあいし・月をあいし・すきをこのみ・にがきをこのみ・ちいさきをあいし・大なるをあいし・いろいろなり、善をこのみ悪をこのみ・しなじななり、かくのごとく・いろいろに候へども・法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味なるがごとく・衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし」(全1319・新1749)
——九界・六道の一切衆生は、おのおの心が違っています。たとえば、二人、三人、ないし百人、千人いても、一尺(約30センチ)の顔の中が真に似ている人は、一人もいません。心が似ていないから、顔も似ていません。まして二人、十人、六道、九界の衆生の心は、どれほど違っていることでしょう。すなわち、花を愛し、月を愛し、酸っぱいものを好み、苦いものを好み、小さいものを愛し、大きいものを愛し、いろいろです。善を好み、悪を好み、さまざまです。このように、いろいろですが、法華経に入ってしまうと、(全員が仏になるゆえに)ただ一人の身であり、一人の心です。たとえば、多くの川も大海に入れば、同じ塩味となるように、また多くの鳥も須弥山に近づけば、同じ金色になるようなものです——。
法華経は、人間の多様性を最大に尊重し、生かし、そして調和させゆく哲理である。それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめていく。そして、うるわしい「桜梅桃李」の花園を築いていく。そのための源泉が妙法である。
多様性に満ちたニューヨークは、ある意味で、地球の縮図であろう。
そのなかにあって、わがニューヨークの友は、「多様性の調和」という人類の最重要の課題に取り組んでおられる。
日蓮大聖人は、ニューヨークの仏子のこの連帯を、あたたかく見守ってくださっているにちがいない。

◇「真実の同志」を一人でもつくる
牧口先生は言われていた。
「人数ではない。少数でも、真実の同志を見いだしていく以外にない」と。
牧口先生は、そうした人材を「砂の中の金」「泥の中の蓮華」、そして「ダイヤモンド」に譬えて、最大に大切にされていた。
その意味で、ニューヨークは、「一騎当千の獅子」の集いでいきたい。
「一人」が大切なのである。「一人を大切にする」——そこから一切が開けてくる。これが広宣流布の永遠の方程式である。
ニューヨーク生まれの詩人ホイットマンは謳った。
わたしたちの一人一人は非常に貴重だ、
わたしたちの一人一人は無限だ——わたしたちの一人一人は彼あるいは彼女の権利と共に地上にある、
わたしたちの一人一人は大地の永遠の目的を承認したのだ、
ここにあるわたしたち一人一人は、ここにあるいかなるものとも等しく神聖なのだ。(「世界万歳!」、『草の葉』富田砕花訳、第三文明社)
(『池田大作全集』第87巻 ニューヨーク文化会館の集いでのスピーチから)

☆京都広布の礎 山科文化会館訪問30周年
◇先駆の使命を誓う
山科文化会館が開館したのは1987年(昭和62年)。5年後の92年(平成4年)10月25日、池田先生は京都広布の先陣を切る山科の同志を激励するため、同会館を初訪問した。
 会館に着くやいなや「懸命に頑張っている。立派なところだ。私は知っているよ」と集まったメンバーに声をかけ、記念植樹を。山科支部結成27周年の記念勤行会では、懇談的にスピーチした。
 「学会と一緒なら必ず幸せになるんです。悩みのない人生はないし、強く生きることが大事です」「仲良くすれば福運がつくし、力がつく。人生の喜びがわく」
 さらに、「強盛な信心があってこそ、御本尊の仏力・法力が顕れる」と強調。「偉大なる/歴史をつつみし/山科の/長者と王者の/和楽楽しや」など、5首の和歌が詠み贈られると、会場は歓喜の拍手に包まれた。
 240回目の関西指導で、師が足跡を刻んだこの日は、10・25「山科総区の日」の淵源に。不滅の原点から30周年の節目を迎える本年、今再びの先駆の使命を誓う。

2022年10月26日水曜日

2022.10.26 わが友に贈る

一番苦しんだ人が
一番幸せになる。
それを可能にする信心だ。
不屈の心で困難に挑み
勝利の未来を開こう!

開目抄下 P230
『若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん』

【通解】
もしまた法華経を受持するものを見て、その過悪を出すならば、もし、そのことが実であろうと不実であろうと、この人は現世に白癩の病を得るであろう。

名字の言 "毒ガスの島"から"平和を願う島"へ 2022年10月26日
瀬戸内海の大久野島(広島県竹原市)は「ラビットアイランド」と呼ばれる。数百匹のウサギが生息し、国内外から観光客が訪れる人気スポット。だがこの島は、かつて旧日本陸軍が毒ガスを製造し、多くの犠牲者を出した歴史を持つ▼戦後、島内に「毒ガス資料館」が建設された。発電場や毒ガス貯蔵庫などがそのまま残され、平和学習の場として活用されている。"毒ガスの島"は、戦争の悲惨を後世に伝える"平和を願う島"に生まれ変わった▼ある女性部員は13歳で同島に学徒動員された。終戦を迎えた後、毒ガス汚染の影響で慢性気管支炎に。"戦争は終わっても、苦しみは終わらない"——将来を悲観していた時、学会に出あった▼信心に励む中で「一個の人間を基調とした『人間平和』があってこそ、崩れぬ世界の平和もありうる」との池田先生の言葉に触れた。以来、彼女はつらい記憶が平和に役立つならと、戦争体験を語り抜いた。不戦の誓いは子や孫に脈々と受け継がれている▼御書に「わざわいも転じて幸いとなるべし」(新1633・全1124)と。過去の悲劇を未来の希望をつくる力に変えていく。その一念の変革を成し遂げゆく中に「立正安国」「立正安世界」への直道がある。

寸鉄 2022年10月26日
広布は私がやるとの気概で進め—戸田先生。11・18へ悔いなき拡大を今こそ
池田先生の北陸初訪問65周年。誓願の炎は赤々と。共々に妙法勇者の行進を
「病によりて道心はおこり候」御書。闘病の同志よ負けるな!祈り強く前へ(新1963・全1480)
7割が自転車の危険運転に遭遇と。"車両"の意識忘れず。スマホ操作等、厳禁
夜型生活は朝型より疾患リスクが上昇と—研究。"惰性"は排して健康人生

〈社説〉 2022・10・26 カスタマーハラスメントを防ぐ
◇誰もが安心の介護現場に
介護職員を雇用する男性から、最近の悩みを聞いた。彼は「人手が足りません。辞めていく人も多いですが、その理由は給与や待遇だけでなく、利用者との関係の悩みが大きい」と語っていた。
日本は、65歳以上の割合が3割に迫る「超高齢社会」。介護職員の離職が続けば、多くの人の生活基盤を揺るがしかねない。
近年、介護現場でのカスタマーハラスメントの問題が浮き彫りになってきた。カスタマーとは顧客のこと。利用者や家族による、不当・過剰・法外な要求や立場の乱用などがこれに当たる。
何がカスタマーハラスメントになるか、正しい知識がなければ、"どうしてやってくれないのか"と、不満や苦情になりかねない。
例えば、ホームヘルパーに要望できる内容は、次のうちどれか。「家族全員分の洗濯」「来客の対応」「草むしり」「犬の散歩」——実は原則、いずれも依頼できない。
介護サービスには、「できること」「やってはいけないこと」が明確にある。この線引きを、介護職員だけでなく、利用者もよく理解することが、適切な関係を築く第一歩といわれる。
事業者も、誰でも分かる説明の工夫、ハラスメントに関する禁止事項の明文化など、介護職員も利用者も守るための仕組みづくりを進めている。行政の改革推進にも期待したい。
一方で、介護サービスを受けることをためらう必要はない。負担を軽減し、より良い介護生活とするために活用したい。介護職員は、利用者や家族に寄り添ってくれる、かけがえのない存在だ。
本紙・介護の体験談「こころの絆」には、日々、多くの声が寄せられる。「目まぐるしい生活。心が折れそうだった時、励ましてくれたのはヘルパーさんでした」「介護は一人ではできません。介護職員の方の献身的な支えがあって、初めて乗り越えられました」など、感謝の声が絶えない。
社会福祉学者の結城康博氏は、「利用者も感謝の気持ちを忘れず、その思いが介護職員に伝わることで、両者の間で『相互満足度』を高めていくべきである」(『介護人材が集まる職場づくり』ミネルヴァ書房)と指摘する。
"介護職の誰もが安心して働ける社会"であってこそ、"誰もが安心して介護を受けられる社会"となることを忘れてはいけない。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第24回 クーデンホーフ=カレルギー
〈クーデンホーフ=カレルギー〉
正しいことのために戦うことは幸福を意味している。
人生は、いつまでも闘争であるべきである。

55年前の10月、池田大作先生は世界の識者や指導者と本格的な文明間・宗教間対話を開始した。その最初の相手となったのは「欧州統合の父」と仰がれるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵である。
伯爵が"欧州を一つにまとめることが、平和につながる"とする「パン・ヨーロッパ運動」に立ち上がったきっかけは、第1次世界大戦だった。オーストリアの皇太子がサラエボの青年に暗殺された事件が端緒となり、全欧州を戦場に1914年から4年以上も続いた、人類最初の世界戦争である。
戦後、多くの小国に分裂した欧州は、新たな火種が生まれ、第2次世界大戦がいつ起きてもおかしくない状況下にあった。
欧州統合の理念自体は古くから存在していた。だが分断や対立が激化する社会で、その実現はどこか夢物語にすぎなかった。
大学を卒業し、20代後半で中部ヨーロッパの有力な思想家として認められるようになっていた伯爵は、今から100年前の1922年、パン・ヨーロッパ運動に関する論文を発表する。
翌年、28歳の時に『パン・ヨーロッパ』を出版し、大きな反響を呼んだ。さらには「パン・ヨーロッパ連合」を結成し、各国に「パン・ヨーロッパ協会」を設立。"欧州は一つ"の理想へ、各地を精力的に駆け巡った。運動に「全て」を意味する「パン(汎)」を掲げたのは、主権国家同士の共同体を築くとの決意からであった。
しかしその夢は、ナチス・ドイツの台頭で一度は挫折する。海外への亡命を余儀なくされ、ウィーンにある本部を占拠したナチスにパン・ヨーロッパ関連の文書を破棄されてしまう。39年には、恐れていた第2次大戦が勃発した。
それでも伯爵は諦めず、アメリカに渡ってパン・ヨーロッパ思想への支持を拡大。45年の終戦後に欧州へ戻り、統合実現に向けて再び動き出す。49年に欧州評議会が発足すると、続いて57年に欧州経済共同体(EEC)、67年に欧州共同体(EC)が誕生し、夢は現実となった。
伯爵の信念の言葉にこうある。
「平和の領域は一歩一歩づつしか占拠できないものであって、現実に一歩前進することは空想で何千歩進むより以上の価値がある」
「正しいことのために戦うことは幸福を意味している」
「人生は闘争であり、また、いつまでも闘争であるべきである」
1894年11月17日、クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、7人きょうだいの次男として日本で生まれた。日本名は「エイジロウ」である。
父・ハインリヒはオーストリア=ハンガリー帝国の有力貴族で、母・光子は日本の商家の娘。2人は、外交官だった父が代理公使として日本に赴任していた時に出会い、結婚した。一家は伯爵が生後1年を経たころ、父の帰国とともにオーストリアへ移住する。
オランダ、ドイツ、ロシア、ポーランド、ギリシャの血を引いていた父は18カ国語に通じ、アラビア、インドをはじめ東洋に深い関心を寄せていた。自宅には海外から多くの来客が訪れ、少年時代の伯爵は父の"国際人"としての仕事を目の当たりにしながら成長した。書斎には哲学者の像や多くの書籍が並び、父が地球儀を回しながら世界について語ってくれることもあったという。
母は移住後、周囲からの偏見と向き合いながら、伯爵夫人としてふさわしい女性になるため、言語や教養を身に付けつつ、7人の子育てに奮闘した。
円満だった一家に試練が襲ったのは、移住から10年がたった1906年。父が心筋梗塞のため急逝したのである。周囲は、日本人の光子が財産を相続することに反対したが、彼女は批判の声にも屈さず、一家の家長として子どもたちを立派に育て上げていった。
後年、伯爵は述懐している。
「母は、子どもの教育については、夫である私どもの父の精神を、そのまま受け継いでおりました。(中略)私は、こうした母がいなかったとしたら、決してパン・ヨーロッパ運動を始めることはなかっただろうと考えています」
後に欧州連合(EU)へと発展する、欧州統合の出発点は"世界市民"である伯爵の両親だったともいえよう。

〈クーデンホーフ=カレルギー〉
他人や環境を変えようとする前に、まず自分自身を変える努力をすべきである。

さらに、こうも語っている。
「一人の人間の周りに、家族、友人、社会、国家などがあります。人間は自分自身に対して、第一の義務を負っているわけですから、他人や環境を変えようとする前に、まず自分自身を変える努力をすべきだと思います」
「真に世界平和を保証する唯一の道は結局、宗教以外にはない」
伯爵がこの真情を伝えた相手こそ、池田先生であった。
EUの前身であるECが発足した1967年、クーデンホーフ=カレルギー伯爵は71年ぶりに日本の土を踏んだ。72歳の時である。
創価学会を「世界最初の友愛運動である仏教のよみがえり」と評価していた伯爵。訪日に当たって会見を希望した1人が、池田先生だった。
10月30日、初の出会いが実現。「私は直ちに池田の人物に強く感銘した。やっと39歳の、この男から発出している動力性に打たれたのである」——そう振り返った会談は「東京滞在中のもっとも楽しい時間の一つ」になったという。
伯爵と先生が再会したのは3年後の70年10月。再来日の折に4度会い、のべ十数時間に及ぶ会見を行った。語らいは対談集『文明・西と東』として結実。先生が海外の識者と編んだ対談集の第1号となった。発刊から2カ月後の72年7月、伯爵は77歳の生涯を閉じた。

〈クーデンホーフ=カレルギー伯爵を語る池田先生〉
青年が勇気をなくしたら、もはや、青年ではない。
人々に「気持ちがいいな!」「素敵だな!」と思わせる、勇気の声を響かせていくのだ。

自らも若き指導者であった伯爵は「青年」に期待を寄せていた。その心を知る先生は、伯爵の言葉を通し、こう呼びかけている。
「博士が、青年への信頼を込めて語っていたことが忘れられない。
『人類の未来は、明敏な頭脳が主導権をにぎる世界となるだろうと思います。したがって、現在の学生たちが明日の世界を決定づける指導者となるのであって、彼ら自身は、その自覚に立って、未来に向かって自己形成し、準備をするべきだと思います』
青年は、自己形成を怠ってはならないと博士は遺言されたのである。頭脳も心も人格も鍛えなければならない。知識だけで『人間』が置き去りにされれば、社会は、どんどん誤った方向へ進むであろう。人格形成を根本に均衡のとれた人間形成が必要なのである」(95年5月21日、常勝関西第1回青年部記念総会でのスピーチ)
「(伯爵は)語っておられた。
『青年のみが熱意と、意志と、希望と、信念と、力を持っている』『青年は炎を持っており、その炎がなかったら、いかなる理念も光を発しないし、また勝利を占めることが出来ない』と。
創価学会も、青年で勝ってきた。青年が炎となって戦ったから、勝ってきたのである。(中略)
青年が勇気をなくしたら、もはや、青年ではない。青年は『勇気の皇帝』である。『平和の皇帝』である。若いというだけで、すでに、無限の財産と希望を持つ皇帝なのである。ゆえに若き皆さんは、『あの青年は気持ちいいな!』『あの青年は素敵だな!』——周囲の人々にこう思わせる、凛々とした勇気の声を響かせていっていただきたい」(2001年9月23日、第1回千葉青年部総会でのスピーチ)
両者の初会見から55年。創価の青年スクラムは今、日本、欧州、世界に大きく広がっている。